Home 亜細亜の街角 | Mysore / India / May 2010

マイソール  (参照地図を開く)

マイソールは標高770m,デカン高原最南端に位置する町である。現在はカルナータカ州(州都はバンガロール)の一都市であるが,14世紀からインド独立の1947年まで存続したマイソール王国の都として地域の中心地となってきた。マイソール王国の初期はヴィジャヤナガル朝に封建していた小王国であったが,16世紀にウォディヤール家のもとで独立した王国となった。

現在のマイソール最大の観光資源となっているマハーラジャ宮殿はイスラームとヒンドゥー様式が混合したインド・サラセン様式の代表的建造物となっている。1897年から16年をかけて完成とあるので,マイソール藩王国時代のものである。現在は博物館となっている宮殿の建物には5万個もの電球が取り付けられており,日曜日と祝日の夕方から点灯される。

マイソール王国

マイソール王国がもっとも強勢となったのは18世紀末で,王国の将軍ハイダル・アーリーとその息子ディブ・スルタンがウォディヤール家に代わり王位についていた時代である。ムガール帝国はすでに滅亡しており,代わってマラータ同盟王国がインドの大部分を支配していた。しかし,英国は地方勢力の争いに乗じて武力によるインド支配を強めていった。

大局観と優れた行政能力能力をもつマイソール王国のディブ・スルタンはインド支配をもくろむ英国にとって最大の障害物であった。英国はマラータ王国やハイデラバード藩王国を自陣営に引き入れ,1792年第3次マイソール戦争を開始した。1799年の第4次マイソール戦争でディブ・スルタンが戦死し,英国は従順なウォディヤール家をマイソール藩王国として残し,間接統治の形態をとることにした。

ハッサン(08:20)→マイソール(11:50) 移動

昨夜も暑さのためファンを回し,毛布を被って寝ることになった。ファンがもっとゆっくり回ってくれると助かるのだが…。今朝はビスケット,トマト,ぶどうで朝食をとり出かけるとしよう。腹具合はほぼ快調であり,そろそろ心配がいらない状況だと思えるようになった。

マイソール行きのバスはすぐに見つかった。荷物は網棚に乗せる。少し経ってバスは動き出した。乗車率は50%くらいなのでとなりの席にサブ・ザックを置きのんびり写真を撮る。今日のバスは田園風景がちゃんと撮れたのでラッキーであった。乾季の終わりだというのに周辺の農地は緑になっており,野菜類が生産されている。多くの農地では牛を使った荒起こしが行われており,これはモンスーンの雨を期待する水田造りであろう。

岩山の風景

デカン高原は玄武岩の台地なので不毛の土地と考える人も多いだろうが,ここは玄武岩の風化したレグール土(黒色綿花土)に覆われた肥沃な土地である。周辺には高さ100-200mの岩山が点在している。このような岩山はよく宗教的な聖地となることもある。道路の近くに立派な岩山があったが写真にはできなかった。これはちょっと残念だ。マイソールまでは114km,料金は80Rpである。距離の割には時間がかかり3.5時間を要した。

Woodside Lodge

長距離バスの発着するセントラル・バススタンドは東側の幹線道路に沿って200mほど続いている。現在は建物の工事中でかなり雑然としている。僕の目指している宿はバススタンドの西側にある。直線距離は3分であるが,バススタンドの三方は壁で囲われており,東側の道路に出てから大回りをしなければならない。

Woodside Lodge の受付でシングルはありますかと聞くと150Rpという返事が返ってきた。部屋は全体で4.5畳,1ベッド,T/S付き,まあまあ清潔である。大きな町の150Rpの宿はかなり安い部類に入る。一休みをしてからに昼食に出かける。通りの北側にあるベジ食堂で甘いラッシーとプレーン・ドーサ(38Rp)をいただく。インド食の中ではもっともマサラの影響の少ない食事である。

中央郵便局前のロータリー

宿の北側には東西方向の大きな通りがある。西側には州政府の建物のある一画に向うアーチ門があり,東側に向かうと大きな交差点がある。ロータリーができるほどの大きさである。

マイソールの街並みはインドとしてはずいぶん整然としている。英国の影響を受けたマイソール藩王国の歴史がこのような街並みを造り上げたのであろう。周辺には高さのそろった銀行などの建物が並んでいる。中でも中央郵便局は新しさと重厚さを併せもった建物である。

オオギヤシの実

通りには果物の露店が目についた。一つは「オオギヤシの実」である。カンボジアでよく見かけるヤシで頂部にヤシとしては比較的小さな葉を球形に広げるものである。このヤシは花柄を切るとそこから樹液がにじみ出てくる。それを素焼きのカメなどで受けると,朝方にはヤシ酒になっている。また樹液を煮詰めるとサトウを作ることもできる。

オオギヤシの実はあまり見かけることがないが,南インドではけっこう見かけた。実を輪切りにすると3つの部屋に分かれており,そこに半透明の柔らかい果肉が入っている。この果肉はそのまま食べることもできる。ほんのりと上品な甘味が楽しめる。ただし,果肉を取り出すのは素人には大変すぎる。

巨大なジャックフルーツ

もう一つはジャックフルーツである。60cmはある大きなものが並べられている。いつ旅行しても見かけるがやはり旬があるのか,この季節の南インドでは大量に売られていた。もちろん,この巨大な果物を1個単位で買う人はめったにいないであろう。露店では解体して果肉の単位で販売されている。種子も食用になるらしく,多くの露店ではあらかじめ果肉から取り出してある。

モスクがある

この少し先にミナレットが見えたので行ってみる。かなり大きなモスクである。イスラムはこの地域まで進出して来ている。アザーンが流されたので人が集まってくる。しかし,せいぜい20人といったところだ。

「ちゃんと足は洗ったか」と指摘された

僕は礼拝堂で座っていると「ちゃんと足は洗ったか」と指摘された。このような指摘は初めてのことだ。池のところに行き,緑がかった水で足を濡らし,水道の蛇口で手を洗う。礼拝堂は柱の多い空間となっており,奥行き方向には柱の間に三枚の礼拝用じゅうたんが敷かれている。じゅうたんの柄はおなじみのアーチ門である。

New Statue Circle 周辺

西に行くつもりが南に歩いてしまった。時計塔のあるロータリーに出てようやくまちがいに気付いたが,別に問題は無い。マイソールは英国の影響かとてもロータリーが多い。現在の街並みは英国間接統治下のマイソール藩王国になってからのもののようだ。時計塔ロータリーのすぐ南にはNew Statue Circle がある。

中心には天蓋をもった男性像が置かれている。英国と戦って死んだディブ・スルタンはマイソールでは大変な人気だそうだが,彼ではないであろう。彼はウォディヤール王家にとっては王位を簒奪した逆臣なのである。

電球が一定の間隔で取り付けられている

パレスの北門からは中に入れない。門の両側には寺院があり,門を含めてライトアップされるのか電球が一定の間隔で取り付けられている。パレスの周囲は高さ4mほどの塀で囲まれており,その外側は緑地帯となっている。そのため東西方向が500m,南北方向が400mという広い敷地をもっている。

パレスの東門

時計方向に1/4周して東口に出る。ここにも立派な門がついており,宮殿の建物を正面から見ることができる。ここから宮殿の建物の全景を見ることができることが分かったので,夕方のライトアップ時には迷わずここに来ることにした。

空き地には20人ほどの人が食事をとっていた

さらに1/4周して南門に出る。土曜日のため道路には観光バスが一列に並んでいる。一般車両は駐車場を利用しなければならない。露店,売店,物売りが多く歩くのも大変だ。となりの空き地には20人ほどの人が食事をとっていた。どこで調理したのか大鍋にごはんとおかずが入っている。おばさんは僕にも皿を出してくれたが,昼食はすでに済ませてあるのでお礼を言いながらお断りした。

パレスの南門

パレスの入場料は200Rpになっていた。世界遺産でも250Rpなのにこの料金は僕にとっては高すぎる。中には入らず門の鉄格子のところから写真を撮っておしまいとする。建物の写真は夜のライトアップ時に撮れば十分であろう。さらに1/4周して西口に出たが,盛りのホウオウボク以外は見るべきものはなかった。

デーヴァラージ・マーケット

街の中心となっているKR Circle と呼ばれているロータリーの北側にデーヴァラージ・マーケットがある。このマーケットの敷地ははずいぶん細長い形となっており,そこに何列かの商店が入っている。果物と野菜,花が主要商品である。花は女性の髪を飾るためのもので大変な量が商われている。これほど需要が大きいものなのであろうかと疑問をもつが,道を行く女性の髪の後ろには一様に花が飾られており,これならば需要は大きいと納得する。

バショウと思われる植物が売られていた

バナナの葉は南インドではお皿として使用されるので欠かせないものだ。当然,市場ではたくさん売られている。ちょっと珍しかったのはおそらくバショウと思われる植物が束ねられて売られていたことだ。葉はそれほど大きくないのでお皿の代わりにはならない。使い道を聞いてみたい気がする。

希少品種の赤いバナナ

バナナはもちろん大量に売られており,その中に赤いバナナがあった。日本でも高級品の「レッド」あるいは「モラード」バナナとして販売されている。食感はもちもちしてモチ米のようだと形容されている。インドでも希少品種で黄色のバナナの2倍,1本10Rp程度で売られている。

マイソール駅

デーヴァラージ・マーケットを出ると雲行きが怪しくなる。1.5kmほど離れた雨宿りのできるマイソール駅に急いだ方が良さそうだ。マイソールの町にはパレスに似せた立派な建物がいくつかる。駅舎もその仲間かと思っていたら意外とあっさりとした建物であった。待合室のようなものはなく,中に入るとすぐプラットホームになる。

マイソール駅の前にはプリペイド・リキシャーのスタンドがある。行き先を告げると行き先と料金がプリントされた伝票が出てくる。この伝票発行手数料は1Rp,目的地に着いたら伝票の金額を支払う仕組みである。セントラル・バススタンドまでは15Rpであった。宿の前で降ろしてもらい,20Rpを出すと運転手はサンキューと握手を求められた。これはおつりはチップとしていたただくよということだ。僕も苦笑するしかない。

うるさいバススタンド

マイソールのバススタンドはうるさかった。夜中の12時までひっきりなりにクラクションが響いている。インドのバスのクラクションは日本のものに比べて二倍くらいの音量があり,近くで鳴らされると耳を塞ぎたくなるほどだ。ここのバススタンドは南北に細長く,南が入り口と出口,北が出口になっている。僕の宿は北側に面しており,そこの広場は無秩序に停まり,動くバスで占められている。

乗客を乗せるスペースと,バスが動くためのスペースがまったく分離されていない。乗客はバスの間を動き回り,動いているバスは安全のためクラクションを鳴らすことになる。また,出口付近で停まっているバスもあり,後続のバスがクラクションを鳴らす。さらに,乗客に乗ってくれと合図するときもクラクションが使われる。

ソームナプトルに行こうとして

マイソールから東に26kmのところにソームナプトルという小さな村がある。ここにはホイサラ朝時代の傑作といわれるケーシャヴァ寺院がある。マイソールからバヌールに行き,そこでソームナプトルを通るバスに乗り換える必要がある。マイソールのバススタンドの建物は改装中でバヌール行きのバスもバススタンドの東の幹線道路を南に行き最初の角を曲がってしばらく歩いたところにあるバス・ストップから出ていた。

このバスは1時間弱でバヌールに到着した。僕の下車したバススタンドは周囲にわずかの商店がある小さな広場である。ムシロにくるまれている巨大なものお祭りで使用する山車であった。15分くらい待って入ってきたミニバスがソムナートプルを通ると地元の人に教えられた。このバスはすでに満席であり最後部付近に立つことになる。

プルメリア(インドソケイ)

ミニバスは30分ほどでソムナートプルに到着した。そこはただの路上で,周辺には何軒かの家屋があるだけのところである。幹線道路からだいぶ奥まったところに目的の寺院らしきものが見える。ソムナートプルは遺跡寺院として有料であった。外国人は100Rp,まあ許容できる範囲だ。内部は広い庭園になっており,入り口の近くででチケットを買う。

庭園にはプルメリアがたくさん植えられている。プルメリア(キョウチクトウ科・インドソケイ属)は西インド諸島の原産であるが,花が美しいので熱帯各地で植栽されている。東南アジアでは供花となっているので寺院の敷地内によく見られる。そのため,英語名はTemple tree となっている。かすかな芳香があり,中心部が黄色のものは色彩的にも艶かしい。熱帯の花ではもっとも写真写りの良い花だと思っている。

ケーシャヴァ寺院@ソムナートプル

寺院は周壁によって囲まれており,東側に門が開かれている。この門は奥行きがあり,左側にはこの寺院の建立経緯を示したものなのであろうか,大きな石碑にびっしりと文字が記されている。この門のところから寺院の全景を撮ることができる。西側のシカラはちょっと顔を出しているだけなので,できればこの門の上からの写真がちょうど良さそうだ。

大きな石碑にびっしりと文字が記されている

ケーシャヴァ寺院は13世紀にホイサラ朝の武将ソーマによって建造された。今まで見た二つのホイサラ朝時代の寺院はシカラと呼ばれる塔が復元されていなかった。ここのものでようやく完全な姿のホイサラ朝様式の寺院を見ることができた。ここのものは三つの聖室の上部に層状に積み上げたシカラをもっている。これは南方系(ドゥラビダ様式)に近い。

これが完全な姿のホイサラ朝寺院である

一般的にヒンドゥー寺院は一つの寺院に一つの前室と一つの聖室を備える構造になっている。にもかかわらず,ホイサラ朝の寺院ではこの法則が適用されていない。ケーシャヴァー寺院は東に門があり中央に一つの前室,西,北,南にそれぞれ聖室とシカラ(高塔)をもっている。つまり一つの前室と三つの聖室をもっている。

入り口の説明文には西はKeshava,北はVenugopala,南はJnanarghana が祀られていると記されていた。本堂は方形の基壇の上に置かれている。ただし,基壇はそれぞれの角がL字形に削られており,複雑な多角形となっている。この基壇のスタイルはホイサラ朝寺院では共通のようだ。本堂の平面図も基壇と同じような多角形となっており,非常に角の多い壁面となっている。

壁面の周方向には何段ものレリーフが取り巻いている

寺院本体の壁面の周方向には何段もの高さ20-30cmのレリーフや彫像が取り巻いている。その上には高さ1mほどの神像,さらに神像を納めるための祠のようなレリーフがその上に配されている。

石を削ってころほど細かい加工ができるものだと感心する

この寺院は神像の精緻な造形がひときわ目に付く。よくもまあ,石を削ってこれほど細かい加工ができるものだと感心する。寺院の全体構造が分かること,精緻な壁面のレリーフや彫像をもつことから,この寺院はまさしくホイサラ朝の傑作である。

仏教の三尊像の構図に類似している

寺院の内部は入り口から装飾された石柱が並び,その先に直径2m,高さ10-15cmの円形のマウンドがある。これが前室の真下であることを表している。その上には複雑な彫刻の施されている天井があるけれど,この暗さでは写真にならない。入り口の左右の壁面には明り取りの小穴が開けられているが,その光もここまでは届かない。前室の正面,左右にはそれぞれ聖室がある。正面のものは真っ暗で見えない。左右のものは小さな蛍光灯の明かりがあり,なんとか写真になる程度である。

上にいくほど小さくなるブロックが積み上げられている

シカラも角の多い多角形となっており,上にいくほど小さくなるブロックが積み上げられている。この様式は北方系のより高いシカラの構造と類似している。

バスを待つ間に通りかかった牛車を写真にする

道路の近くで1時間(11:50-12:50)待つことになった。近所の子どもたちはすっかり観光客からものをねだることを覚えてしまい,5ルピーとかペンという言葉が自然と出てくる。ビスケットという変わった要求もあった。いずれにしても村の生活は貧しく,子どもたちはすっかりものをねだることに慣れており,観光地の悪い面が強調されている。

マイソールに到着(14:00)

バスは「Hardinge Circle」のあたりが終点であった。州政庁のある緑地帯を通って宿に戻る。この緑地帯には気根を無数に生やしたバニヨンの木があった。一口にバニヨンといっても多くの種類があるのだろうが,この気根の数はちょっと異常だ。ここのものは地上1.5mくらいのところで切られており,全部が地上に届いたらどんなことになるんだろうね。

マハーラジャ宮殿のイルミネーション

マイソールのシンボルともいえるマハーラジャ宮殿の外側には5万個もの電球が取り付けられており,日曜と祝日の夕方から点灯される。今日は日曜日なので盛大に点灯されるはずだ。問題は雨である。黒い雲が上空を覆っており今日も夕立は避けられそうもない。なんとか20時くらいまで降らないでもらいたいものだ。

マハーラジャ宮殿の観光用の入り口は南門であるが,建物を正面から見ることのできるのは東門である。19時少し前に東門に到着すると門自体も電球の光で縁どられている。東門から150mほど離れた宮殿の建物も同じように電球で縁どられている。いったいいくつの電球が使用されているのか見当がつかないほどだ。5万個という途方も無い数もそうかもしれないという気になる。

光に包まれたおもちゃのようなパレスがある

門を含めすべての建物が明るく輝くすばらしくきれいだ。これはうまく写真をとると一級品の絵になる。フラッシュ禁止のオートモードでは電球の光がにじんでしまう。マニュアルにして露出を大きくし,シャッター速度を1/20から8/1まで試してみる。どうやら1/12から1/8あたりが適当のようだ。

最初は警察が門かなり手前におり門の写真しか撮れない。そのうち警察は門の中に入り,門の鉄柵のところまで近寄ることができるようになった。正面には光に包まれたおもちゃのようなパレスがある。望遠レンズで全景と中心部を撮る。しかし,警察官がときどきフレームの中に入ってきてこれはジャマだ。一通り写真を撮り急いで宿に戻る。やはり,20時30分あたりから雷雨が始まった。


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