Home 亜細亜の街角 | Bangalore / India / May 2010

バンガロール  (参照地図を開く)

バンガロールはインドIT産業の中心都市として急速に発展している。インドの白地図を見せられてバンガロールがどのあたりにあるかを正確に当てることのできる人は少ないだろう。デカン高原にあるというイメージのためムンバイの東側あたりだと考える人が多いのでは推測する。実際にはバンガロールはチェンナイの西側,ほとんど南インドといってよいところにある。

バンガロールは標高900mの高原に位置しており,平地の都市に比べるとはるかに過ごしやすく,庭園の多いことから「インドのガーデン・シティ(庭園都市)」と呼ばれている。インドの経済自由化後はハイテク産業の中心地となり,インドの情報通信産業(IT産業)を成長させる原動力になった。現在の人口は620万人,人口密度は8400人/km2とかなり高い。

デカン高原

デカン高原はインド洋にV字形に突き出したインドの中央部から南部を占める標高600-700m,逆三角形の形をした台地である。範囲はおおむね北がヴィンディヤ山脈,西は西ガート山脈,東は東ガート山脈に囲まれた50万km2ほどの広大な地域であり,バンガロールはその南端に近いところに位置している。

このような地形は洪水玄武岩によりもたらされたものである。大陸の地殻を形成している花崗岩ではなく,マントルに由来する玄武岩が(海底を含む)地表に大量に噴出したものが洪水玄武岩である。このような大規模な玄武岩の噴出は大陸分裂のように大規模な地殻変動の時期に重なっている。玄武岩は粘性が低いため非常に広範囲な地域を覆うことになる。

デカン・トラップ

デカン高原を形成する洪水玄武岩は「デカントラップ」と呼ばれており,6800万年前から6000万年前の間に何回かの巨大噴火によって形成された。デカントラップは現在のデカン高原に比べてはるかに広大な地域を占めており,面積150万km2,厚さ2000m以上の玄武岩層であったと推定されている。しかし,その後の浸食と大陸移動により縮小し,現在は面積50万km2,標高600-700mの台地となっている。

デカン高原は西側が少し高く,東に向って緩やかに傾斜している。そのためおおむね河川は西ガート山脈からベンガル湾に向って流れている。東西のガート山脈に挟まれているため湿った風がさえぎられ,高原は半乾燥地帯となっている。6月から9月のモンスーンの時期は雨季となり,大半の雨はこの季節に降るため多くの河川は乾季には干上がることになる。

コルカタ(10:00)→バンガロール(21:20) 移動

10時に一階に降りてチェックアウトを告げる。暑苦しくてシーツもないベッド生活からさよならである。僕の部屋はまだダブルなので広いが,シングルはかなり悲惨な環境のようだ。地下鉄の公園駅から乗車する。この駅はコの字形に地下を歩き,チケットを買い,さらにとなりの車線まで歩くことになる。車両はずいぶん混んでおり立つことになった。つり皮はなく,かなり高いところに横棒がある。

30分足らずで終点のダムダムに到着した。ここからは列車もしくはバスで空港に行くことができる。地下鉄駅から出て左に路地を歩き,階段を上ると鉄道駅がある。今回は時間もあるので列車で行くかなと思い,エアポート方向をたずねると,近くの男性がチケットをもっているかと確認し,持っていないならバスがいいよと案内してくれた。

ダムダムからバスで空港に向かう

駅の階段を降り,ガードをくぐり,左側にバスが停車していた。こんなときに限り接続がよく,発車間際のバスに乗ることができた。このバスは空港が終点ではないので,車掌に「空港で降ろしてくれ」と頼んでおく必要がある。

このバスはインドとは思えないほどきれいであり,乗り心地は悪くない。しかし,大変な暑さと湿度のため汗がひどい。胸の上部からあごにかけて何回もぬぐうことになる。およそ30分で空港バス停に到着する。時刻はまだ11:15である。バス停の向かいに家屋の切れ目があり,その向こうに白い建物が見える。それが空港施設である。空き地のようなところを真っ直ぐ行くと国際線のターミナルである。国内線のターミナルはそこから右に200mほど歩かなければならない。

コルカタ(17:00)→バンガロール(19:50) フライト

出発ロビーに入るためにはチケットとパスポートを提示しなければならない。入ったところがちょうど待合室で,左側にチェックイン・カウンターがある。チェックインが済むともう元の待合室には戻れない。先に進むと手荷物検査があり,ここで水は放棄しなければならない。手荷物およびボディ・チェックが済むと各便共通の搭乗待合室に入ることができる。

定刻から少し遅れて離陸する。ジェット・エアウェーの子会社であるジェット・ライフは格安航空会社であり,機内食は有料サービスとなっている。ほぼ定刻にバンガロール空港に到着する。空港はバンガロールからは40kmほど離れており,シャトルバスが運行されている。空港の建物を出ると正面にシャトル・バスの表示があり,表示にしたがって道路を横切って進むと,その先にたくさんシャトル・バスが並んでいた。

スールヤ・ネスト

バススタンドに到着すると雨である。到着した時は小雨であったが,すぐに雷雨となった。10分ほどで小降りになったので,バススタンドの東側に出る。ホテルを探そうかと思ったらまた雨が強くなり,近くの食堂に入りヌードルスープを注文する。出てきたものはフライド・ヌードル(60Rp)であったが注文と違うとクレームをつける気にもならなかった。ヌードルの味は悪くないが量は多すぎて1/3を残すことになった。

宿探しは難航した。宿はたくさんあるが,3軒は満室で断られる。4軒目のスールヤ・ネストはシングル400と高いけれどもここで手を打った。最初の値段は450,これはさすがに高すぎるのでまけてもらった。部屋は4.5畳,1ベッド,T/S付きでとても清潔である。さすがはデカン高原の町である,窓を開けてファンなしで気持ちよく眠れた。

まず駅の位置を確かめよう

バススタンドとシティ鉄道駅の位置関係から宿はバススタンドの東側にあることが分かった。バススタンドには二本の歩道橋があり,市バスの発着所および駅への地下道につながっている。このおかげでバススタンドの東側の様子や下を走っている道路の状況を撮ることができた。

バンガロール中央駅

歩いて5分のところにある駅はごく普通のインドの駅である。中に入ると電光掲示板で発車時間が表示されている。このくらいのことは今ではインドのどの駅でもやっていることで,とりわけこの駅がハイテクという感じは受けなかった。

床に座る人々

大理石の床には大勢の列車を待つ乗客が布や新聞紙を敷いて坐っている。これもインドらしい光景である。駅の内部の写真を撮ると咎められることもあるので必要最小限にとどめる。

小さな祠の前には

駅に向かって左側に何軒かの食堂がある。その近くには小さな祠のようなものがあり,真っ黒いご神体が置かれていた。祠の前には吉祥の紋様が描かれ,金属製のお盆にお供え物が置かれていた。

マサラ味のおかゆ

駅に向かって左側の食堂でおかゆのようなごはんをいただく。地元の人は「ライスパッド」と呼んでいた。マサラ味のおかゆで,そこに口直し用にヨーグルト味のスープに浸した野菜が付いている。久しぶりのマサラ味に口が少し拒否反応を起こしており,これでは先が心配である。

腹のほうも2時間くらいで拒否反応を起こし,植物園で急にもよおしてきて,トイレを探すことになった。この料理は25Rpくらいのはずだが,僕が払いに行くとすでに勘定が済んでいるということであった。横の席のおじさんが僕の分まで払ってくれたらしい。おじさんにお礼をいい,娘さんとの記念写真を撮る。

ガネーシュを祀った寺院

ブルテンプルは駅からは4kmほど離れているのでオート・リキシャーで行くことにする。駅に向かって右側にはオート・リキシャーのスタンドがある。この窓口で行き先を告げると行き先と料金をプリントしてくれる。これで料金については心配することなくオートリキシャーを利用することができる。僕がブルテンプルと告げると42Rpの料金がプリントされてきた。距離は4kmなのでバンガロールのオート・リキシャーの適性料金は10Rp/kmということになる。

オートリキシャーから降りたところにガネーシュを祀った寺院があり,多くの人々が参拝に訪れている。中央奥の聖室に向かって幅1mほどの仕切りがあり,参拝者はその両側に並んでいる。ご神体は白いかなり太めのガネーシュである。二人のバラモンがおり,参拝者からの供物を受け取っている。

ブルテンプルの塔門

ブルテンプルは左奥にあり,その手前にはたくさんの神々の像を飾った塔門がある。南インドの寺院でよく見られるゴープラムとはちょっと形状が異なるが,この下を通って寺院に入るようになっている。

ブル・テンプル寺院

ブルテンプルの寺院本体は多くの石柱に支えられた一層のシンプルなものである。幅1.5mほどの通路を奥に進むと,巨大なご神体が見える。

本尊は巨大な石から削りだした牡牛である

ブルテンプルの本尊は巨大な石から削りだした牡牛である。全身が真っ黒なのは色を塗られたためだろう。近くには大きな岩が転がっており,そのような岩からこの牡牛像は造られたのであろう。ガイドブックの写真では平面的に見えたが,実際は立体的な像である。この牡牛像もなかなか写真写りがよい。

女学校の試験には多くの女性が集まっていた

ブル・テンプルからラールバーグ植物園まで歩いてみた。ブル・テンプルの東側にはかなり大きな庭園がある。庭園の向かい側にある女学校では入学試験が行われている。大勢の女子生徒が集まっているので一瞬中に入り,写真を撮らせてもらう。

ヒンドゥーの結婚式

ホテルのようなビルの前に人だかりができている。白馬に乗った男性が建物の入り口にやってきたところだ。結婚式の様子が見られそうである。ヒンドゥー社会では花婿は白馬に乗って式場にやってくるということは決まりのようだ。楽隊と照明を伴って夜間に街中をねり歩く場合もある。にぎやかであればあるほど,新しい夫婦には幸せがくるとされている。

白ずくめの衣装を身につけた新郎が馬から下りると,お祝いの印を付けようとする女性たちが取り囲む。ビデオカメラが回され,写真を撮る人もいる。彼らのジャマにならないように僕は階段の上から写真を撮る。会場に入ると中央に式壇があり,それを囲むようにイスが並べられている。入り口の壁には楽師がおり,チャルメラ似の楽器,鐘,タイコでにぎやかな音を出している。

会場には新郎の関係者だけが集まっている

この会場には新郎の関係者だけが集まっており,新婦の関係者はここにはいないようだ。周囲を飾られた式壇には新郎とその親族が集まり,ヒンドゥーに基づく儀式が進められている。ヒンドゥー社会では(男子は)人生においていくつもの通過儀礼を経験しなければならず,結婚式もその一つである。着飾った関係者はこの様子を眺めている。

ラールバーグ植物園

ラールバーグ植物園はマイソール王国時代の1760年にハイダル・アリーとその息子のティプ・スルターンによって造営された。ラール・バーグはカルナータカ語で「赤い庭園」を意味しており,当初は英語で「The Red Garden」と呼ばれていた。現在では96haの敷地に1000種以上の植物のコレクションがあり,インドでも有数の植物園である。

ラールバーグ植物園の西口前には男性の胸像がある。三枚の碑文はインドの文字で書かれているため,読めない。唯一,1904年-1994年の文字が彼の生きていた時代を表している。おそらく,ラールバーグ植物園ゆかりの人物と考えられるがどの文献にも記されていない。

植物園の案内板

植物園に入るとすぐに園内の案内板があった。中心部にはJames Cameron が建設したロンドン・クリスタル・パレスを模した立派な温室があり,東の外れにはケンペ・ガウダが築いた望楼がある。この地図はなぜか南北がひっくり返っているので要注意である。西口から入って少し東に歩くとパンヤノキ(シルク・コットン・ツリー)が大きな幹を四方に広げている。

Ceiba pentandra

学名は「Ceiba pentandra」,パンヤ科・パンヤノキ属であり,和名はパンヤノキが分かりやすい。原産地は熱帯アメリカ,西アフリカ,成長すると50mを越える大木になり,板根と樹冠をもつことが多い。

果実は15cmほどの紡錘形であり,熟すると開裂し,中には黒い種子とそれを取り巻く繊維(パンヤ)が詰まっている。果実から白い繊維が出てくることから,インドワタノキ(キワタ,Bombax ceiba)と混同されることが多い。僕もインドワタノキは何度も見たが,パンヤノキを見たのは初めてである。

固い実が鈴なりになっている木

この植物園はよく手入れが行き届いている。ただし,植物園としては樹木に対する標識があまり多くはない。また,標識が見づらくなっているものもある。植物コレクションの種類は多いのかもしれないが,ガイドブックにある「原色の花で覆われる」という表現はたぶんに誇張である。テーマごとに植物の区画があり,どこを回っても同じようなものだ。凶器になりそうなほど固い実が鈴なりになっている木があった,地元の人の話ではこの実は食べられないという

ナスに似た花がかん木に咲いていた

ナスに似た花が高さ5mほどの小高木に咲いていた。幹も枝もそれなりに太く,立派な木である。花は栽培ナスとほぼ同じで,青い球形の実を付けている。このような青い球形のナスは東南アジアでよく見かける。ナス(ナス科・ナス属)の原産地はインドの東部が有力とされている。その後,ビルマを経由して東南アジアや中国へ渡ったと考えられている。

栽培ナスは一年草の形態をとるが,熱帯では多年生植物となる。しかし,大きくなるといっても高さは1mほどであり,茎が完全に木質化しているものは見たことがない。この木にはプレートが付けてあり,そこには「Fam solanaceae(名称),Solanum macrophyllum(学名)」と記載されていた。Solanum はナス属を表しているので,確かにナスの仲間のようだ。

諸行無常と万物流転

東の外れに巨大な花崗岩の岩盤がむき出しになっている。このような平らな岩盤にも小さな段差がある。それは,温度による膨張・収縮と雨水の浸透によりある部分が母岩から剥離した結果である。花崗岩のような堅固な物質でも時間は少しずつ削り取り,最後には小さな砂粒に変えていく。

「諸行無常」と「万物流転」は東洋と西洋の偉大を思想を凝縮した言葉である。「諸行無常」とはブッダの教えの根幹をなすもので,「この世のすべての存在は姿も本質も常に流動変化するものであり,一瞬といえども存在は同一性を保持することができない」ことを意味している。「万物流転」はギリシャの哲学者ヘラクレイトスの考え方で,「万物の根源をなすものは火であり,世界の真の姿は火のように絶え間く変化をするものである」と主張している。

人の世も自然も絶えず変化するものである

諸行無常も万物流転も人の世も自然も絶えず変化するものであるという視点から始まり,前者はそれでは人はどう生きるべきかという命題に取り組み,後者はそのような変化はどのような法則に基づくものであり,どうして世界は調和していられるかを考察している。

人はどうあるべきか,どう生きるべきか・・・,自然はどのような法則を含有しているのか・・・,現代では前者は宗教,後者は科学の領域に含まれるようになったが,古代世界で哲学の二大テーマであったはずだ。ブッダの教えの中には神やあの世という概念は一切含まれていない。このようなことから仏教の本質は,神のいない世界で人はどう生きるべきかを説いたものであり,哲学に近いものだと考えている。

MGロード沿いもやはりインドの町である

IT都市バンガロールの新市街とはどんなところだと思っていたら,ちょっと新しいけれどやはりインドの町並みであった。オートリキシャーの運転手は要求通りブリゲイド通りとの交差点で下ろしてくれた。しかし・・・,地元の人に「カウベリー」はどちらとたずねると反対側を教えられ,しばらく西側に歩いてしまった。400mほど歩いて「インド政府観光局」の表示があり,ようやく逆方向に歩いていることに気が付いた。

東に向きを変えて歩き出す。この頃からぽつりぽつりの状態から小雨になり,宿に着く頃までずっと降り続いていた。このタイプの雨は旅人泣かせである。雨なのでカメラは使用できないし,目指すトーマスクックはどこにも見つからない。ガイドブックの地図は道路の反対側,緑地帯の中にあると表示されている。しかし,そこはずっと塀で仕切られた区画である。

インドのT/C両替事情

おそらくトーマスクックは移転もしくはなくなったと判断した。角地にはちょっと怪しげな両替所があった。T/Cの手数料はないといいながらレートは1$=43.5と現金(44.5)より1.0悪い。100$について100Rpのコミッションと同じである。

ガイドブックではコミッションはTC1枚について50Rpと記されているので,期待していたより50Rp手取りが少なくなる。しかし,小雨の中をこれ以上歩きたくないのでここで200$を両替した。ムンバイの空港で両替した時は3%近いコミッションを取られた。インドではT/Cの利用価値は相対的に低い。

旅行者泣かせの雨

この小雨ではカメラは使用できず,ひたすら歩くだけである。雨がやむことを期待して久しぶりのKFCに入ってみる。チキンナゲットのバーガーは29Rpと安い,しかしこれに飲み物を付けると税込みで65Rpとなる。なるほど飲み物が28Rp,税金が13.5%つくという計算である。しかし,インドの付加価値税もしくはぜいたく税は5%程度のものであり,残りは店のサービスチャージということになる。

旧市街と新市街の間には大きな緑地帯が設けられており,そのため東西方向の交通は分かりづらいものになっている。バス停は1kmおきくらいにしかなく,簡単にはつかまえられない。路上のオートリキシャーは70などとほざくので意地でも乗りたくない。この季節外れの雨は近くを通過したサイクロンのせいであったようだ。


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