亜細亜の街角
妙法寺の世界平和ストゥーパまでの道のりは長かった
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コーヒーの木

幹線道路に戻るためには家屋の間を抜けていかなければならない。コーヒーの木があり,ちょうど白い花を付けていた。コーヒーノキはアカネ科・コーヒーノキ属に属する植物の総称で,すべてコーヒー豆を産することができる。

原産地はエチオピア高原であるが,コーヒーが全世界で愛飲されるようになり,現在では世界中の熱帯・亜熱帯地域で栽培されている。

コーヒーノキの属するアカネ科はあまりなじみのない植物群である。調べてみるとコーヒーノキ,クチナシ,キナ(マラリヤの特効薬キニーネの原料となる)などが含まれている。そういえば,クチナシの葉と花はなんとなくコーヒーノキに似ている。

コーヒーノキの葉は常緑で光沢を帯びており,枝に沿って小さな白い花をたくさん付ける。花はジャズミンに似た香がするという。そういえばクチナシも良いにおいをもっている。花が終わるとすぐに実を付け,熟すると赤くなる。葉,花,実が楽しめるので観賞植物としても人気がある。この実の中には向かい合って2個の種子が入っており,これを取り出して焙煎するとコーヒー豆になる。

英語のリーダーを読んでいる少女がいたので写真を撮り,画像を見せてあげる。少女は家の中のおばあさんを呼び,自分の画像を得意そうに見せる。おばあさんは孫と一緒に撮ってくれと要求するので,喜んでお応えする。近所の子どもも出てきたのでヨーヨーを作ってあげる。英語のリーダーを読んでいるだけあって,ウオターの単語にはちゃんと反応してくれた。

タシリン・チベット村

幹線道路に沿って1kmほど歩くと妙法寺の山に上る道がかなり近くなる。この辺りにはタシリン・チベット村があるはずだ。近くの人にたずねると「そこの角を曲ったらすぐだよ」と教えてくれた。確かにチベットを感じさせる一画がある。この人々は1959年のチベット動乱以降にヒマラヤを越えてネパールに逃れてきた人々およびその子孫である。立派な寺院があり,その周りには僧坊がある。寺院の入り口は閉まっており勤行は行われていない。

英語表記では「monastery」となっている。日本語では寺院と僧院の区別はそれほど厳密ではないが,キリスト教文化圏では教会と修道院ははっきり区別されている。教会とは人々が集って礼拝するところであり,修道院は修道士(女)が神に仕え,清貧な共同生活を営む場所である。確かにこの定義によればチベット寺院は僧院となる。しかし,チベット僧院といわれてもあまりピンとこないのでやはり寺院という表現にしよう。

お土産品の多くはカトマンドゥと同じである

寺院の先には何軒かの土産物屋があり,さかんに日本語で呼び込みの声がかかる。ここで暮らす人々は自分たちのコミュニティを作り,自分たちの文化を継承しようとしている。ここで売られているお土産品の多くはカトマンドゥのツーリスト・エリアのものと同じである。

チベットとネパールは古くから交易路によって結ばれていたので,文化的あるいは人間的な交流,混交も起きていたのであろう。チベット文化圏はヒマラヤを越えてインドからブータンにかけての地域にまで広がっている。その意味ではチベットから亡命してきた人々にとっては,ネパールは住みよいところの一つであろう。

毛糸作りをしてしてひがな一日を過ごす

軒先で作業をしているおばあさんはこころよく写真を撮らせてくれた。彼女たちも若い頃はじゅうたんを織っていたのであろう。しかし,細かい指先の作業が要求されるじゅうたん織りは年をとると難しくなる。彼女たちは毛糸作りをしてしてひがな一日を過ごす。

じゅうたん売り場の女性は英語ができるので彼女たちには小さな孫がいるかどうかを聞いてもらった。全員がいるよという答えだったので,お孫さんにあげてねとヨーヨーを4個作ってあげる。少し離れて作業をいているおばあさんからも要求があったので,5個目を作ることになった。

縦糸に結びつける

広場の向こうにじゅうたん工房がある。建物の軒先でお年寄りの女性たちが糸巻き台を使用して三本よりの毛糸をほぐして一本の毛糸を作っている。じゅうたん用には一本の毛糸が使用されるのだ。建物の中では女性たちが縦糸に毛糸を結びつけている。

チベットじゅうたんは比較的大まかな模様のものが多い。そのため設計図も比較的簡単で,彼女たちの前に棒に巻いた状態で置かれている。ここの工房ではノッチ(結び目)を作るときに編み針を大きくしたような金属棒を使用している。これは初めて見る道具だ。

日本山妙法寺への道

広場の入り口に食堂があり,バフモモは10個で80Rpであった。これはちょっと多すぎるので6個にしてもらった。濃い中国産のしょうゆを少しお皿にたらしていただく。ちゃんとしたチベット料理のモモである。今回の旅行で初めてまともなモモに出合ったことになる。100Rp札を出すと,食堂のおじさんは6個分の50Rpを受け取り50Rpのおつりが返ってきた。

妙法寺のある山の斜面には稲妻形にひっかいたような道路ができている。この道路はもう少し先で幹線道路につながっている。僕は村の中を通り村人の使用する道路で上り出した。この道も斜面を削ったものだが,こまかい土ぼこりはなく,周辺には段々畑も見られるので比較的快適な道である。

ところどころにネパールらしい農家も散見される

しかし,ひたすら上り道で体にとってはきつい道である。50歩あるいて一息つくという繰り返しで高度をかせいでいく。周辺は段々畑の農地になっており,ネパールらしい農家も散見される。

一軒の家から子どもたちの歌声が聞こえてきたのでおじゃまする。男の子が二人,女の子が二人出てきた。軒下が広くなっており,そこのベンチに座ってもらい集合写真を撮る。よくしつけの行き届いた子どもたちで英語もかなりできる。お礼にヨーヨーを作ってあげるととても喜んでくれた。この家の少し先で道は二股に分かれており,僕が迷っていると子どもたちがやってきて道を教えてくれた。

道路の途中からはポカラ盆地を眺望できる

村の生活道路はその先で一般道路に出た。この道はバイクやトラクター車が通るので細かい土ぼこりがたまっており歩くのに難儀する。傾斜はそれほど急ではなく100歩あるいて一息という行程である。ヨーロピアンの女性二人が僕を追い越して行き,その先で休んでいた。

小さな石段があり,その上の尾根が妙法寺の山につながっているという。ちょっと怪しげなルートだったので僕は一般道をそのまま歩くことにした。彼女たちは僕が妙法寺の手前のホテルに到着してすぐにやってきた。尾根道の方が気持ちが良かったことだろう。

道路で削られた岩盤

ようやくパゴダまで登ってきた

大きな羽音がして昆虫が飛んできた

妙法寺は世界平和パゴダをインド各地に建設している。僕もラジギール,バイシャリ,ルンビニで見ている。ここのものはとても立派で多くの人が訪れるようだ。ここでも中国人の団体に出合った。中国人らしくとてもにぎやかな団体である。

一緒に行動したくないので,庭の花の写真を撮り時間をずらす。近くには日本山妙法寺があるが,パゴダに向う時に覗いてみると閉まっていた。庭の花を見ているときに大きな羽音がして昆虫が飛んできた,光沢のある姿が美しいので止まるのを待って撮影する。

世界平和パゴダ

中国人の団体客がいなくなってからパゴダをゆっくり見学させてもらう。二段の円筒形の基壇の上に釣鐘型のストゥーパが乗せられている。ストゥーパの最上部には方形の平頭(びょうず)があり,その上には傘蓋がある。基壇,ストゥーパ,平頭はすべて白色で,傘蓋とストゥーパの4方向に配された仏像だけが金色に輝いている。

サランコットの丘が三角形の姿を見せている

ストゥーパは標高1113m,フェワ湖の南側の尾根筋にあり,フェワ湖の西半分が一望できる。ここはアンナプルナのビューポイントとなっており,視界がよければパノラマの景観が楽しめるところであるがこの季節ではまったくそれは望めない。フェワ湖の対岸にはサランコットの丘(標高1592m)が三角形の姿を見せている。その山ですら霞んでいる状態である。

日本人らしい顔立ちの僧侶がいたので話しかけてみると確かに日本人であった。前はルンビニにおり,ここでだいぶ長い間住職を務めているという。彼は14時からお勤めがあると言ってお寺の入り口を開けてくれた。日蓮宗らしい本堂である。中央に釈迦如来の坐像があり,後背には僕では読みきれない芸術的な漢字が記されていた。彼の話では山の上にあるお寺なので水と買出しが大変だいうことである。

帰りはダムサイドを目指す

この住職に教えられ,帰りは森の中の道を抜けてダムサイドに下りようとした。この道は森の中を通るハイキングコースである。周辺はうっそうとした森になっており,一人で歩くのはお勧めできない。途中で二人の男性と出会い一人にはガイドを申し込まれたがもちろん断った。森の中の道を地元の男性と一緒に歩くのは気持ちの良いものではない。

標高800m近くまで下りてきて,ダムサイドはすぐであった。しかし,ここにきて分岐点をまちがえた。ダムサイドへの道はいったん上り,尾根を越えるルートであった。僕は分岐点でそのまま下りの方を選択してしまいずいぶん遠回りをして湖岸に出てしまった。ちょうど中島にあるバラヒ寺院が良く見えるあたりだ。湖岸沿いにダムサイドを目指すと渡し舟があるはずだ。

人の弱みに付け込むいやなやつら

近くのボートは対岸までの200mに100Rpを要求する。人の弱みに付け込むいやなやつらだ。こんな輩のボートには乗るつもりはさらさらない。僕が湖岸を回って歩いていくとボートで何か叫んでいるが知ったことではない。湖岸の道は平らなので歩きやすい。今ままでとは逆方向で湖とレイクサイドの写真を撮る。しかし,急がなければならない,強い風が吹いてきており,雷鳴が聞こえる。

渡し舟まであと10mというところで湖岸は岩場になっており歩けない。石段の上に門がありそこが閉まっている。なんということだ。渡し舟と同じところにあるボート乗り場から少年の操るボートがやってきた。彼の言い値はやはり100Rpである。観光地とはいえひどい値付けである。50Rpでも高いくらいだが雨の予感ため妥協して50と二回言うとその値段になる。

ミニバスでオールド・バザールへ

レイクサイドに向かう道でミニバスに乗りオールド・バザールに向かう。しかし,下ろされたところはどうも様子が違う。どうやらニュー・バザールのあたりだったようだ。しばらくはここはどこという状態であった。

上の階のスラブ造り

北の方向に歩いて行っても見知った場所には出ない。ヒンドゥバシニ寺院への道をたずねるとまっすぐ北に行って左方向と教えられ,ようやくビムセン寺院のあたりであることが分かった。オールド・バザールといっても他の地域と特に変わったところはない。ところどころにレンガ造りの古い建物が残っているくらいのものだ。

この辺りは子どもの写真が撮りやすかった

この辺りは子どもの写真が撮りやすかった。子どもたちはかなり写真慣れしており,ピースサインまで知っている。広場にある大きな木の周りはレンガやコンクリートで囲われている。昔は重い荷物を背負いカゴに乗せて運んでおり,ちょっと一休みというときはこの囲いの上に荷物を置いて休憩したという。これならば,荷物を背負い,再び立ち上がるのは容易だ。現在のポカラではそのような姿で荷物を運ぶ人はめっきり少なくなっており,この囲いは歩くの疲れた人たちの休憩場所となっている。

古い建物が残っている

ビンドゥバニシ寺院

見覚えのある仏教寺院にようやく到着する。寺院の横の石段を上るとビンドゥバニシ寺院の境内に出る。下に仏教寺院,上にヒンドゥー寺院があるところはいかにもネパールらしい。

ビンドゥバニシ寺院は3つの寺院が集まった複合寺院である。向って左にクリシュナ寺院,正面にヴィシュヌ寺院,右側にドゥルガー寺院が配されている。クリシュナ寺院とドゥルガー寺院は寺院というより祠に近い。しかし,どちらもバラモン僧がおり,参拝する人々に祝福を与えている。

メインはドゥルガー寺院なのだろう。多くの人が次々とお参りしている。僕も中を覗いてみると黒い神像が祀られており,カーリー女神にも見える。この祠の入り口にはバラモンがおり入ることはできなかった。「ドゥルガー」はシヴァ神の神妃とされているが,シヴァ神の神妃に関しては非常に複雑なことになっているので僕なりに整理してみた。

シヴァ神の最初の妃はダクシャの娘サティーとされている。しかし,ダクシャはシヴァを嫌っており,父とのいさかいの結果,サティーは焼身自殺してしまう。妻を失ったシヴァは悲しみのあまり狂気にとりつかれ,サティーの遺体を抱いて各地を放浪し,都市を破壊した。見かねたヴィシュヌ神が円盤を投げてサティーの遺体を細かく切り刻むとシヴァは正気を取り戻した。(wikipedia)。

一般的にシヴァの妃は「パールバティ」とされており,ヒマラヤの神ヒマヴァットの娘でガンジス川の女神であるガンガーとは姉妹とされ,心優しい美しい女神とされている。彼女は「ウマー」とも呼ばれており,サティーの生まれ変わりとされている。愛する妻を失なったため,女性を受け入れまいとするシヴァのかたくなな心をほぐして新たな妃となった。

一方,ドゥルガー女神は外見は優美で美しいが,実際は恐るべき戦いの女神である。アスラの王マヒシャが軍勢を率いて天界を攻め入ったとき,ドゥルガーは神々から武器を借り受け,ヒマラヤの神ヒマヴァットからは聖なるトラを借りてマヒシャを打ち倒した。この神話によりトラもしくはライオンに乗った姿で描かれている。ヒンドゥー教では神々は変身により複数の神格をもつことがあり,ドゥルガーはパールバティの別の神格とされている。ここのドゥルガー寺院に祀られている「カーリー神」はドゥルガーのさらに別の神格とされている。

ドゥルガー寺院の前では記念写真を撮っている一家に便乗して子どもたちの写真を撮る。インド・アーリア系のこの一家はネパールでは上流階級に属しているのか,写真に対して忌避感はまったくない。

結婚式を終えた新郎新婦

ヴィシュヌ寺院では結婚式を終えた新郎新婦がそのままの姿で詣でていた。着飾った親戚の人たちも一緒である。気軽に写真を撮らせてくれたので感謝である。僕も彼らに請われて新郎との写真に入った。さすがに新婦と一緒の写真を撮られたときは照れた。

夕食時には空模様が怪しくなってきた。最初はアニール・モモ食道の屋根だけのあるところに坐っていたが,風が吹いてからしばらくして雨がやってきたので建物の中に避難することになった。強い雨はトタン板に当たる雨音で分かる。30分ほどで小ぶりになったのでその機会に宿に戻る。雨は断続的に21時過ぎまで降っていた。空がひっきりなしに明るくなり,遠い雷鳴が聞こえる。


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