亜細亜の街角
ゼネストで6日間足止めされる
Home 亜細亜の街角 | Janakpur / Nepal / May 2010

ジャナクプル  (参照地図を開く)

ジャナクプルはネパール東部,タライ平原に位置するヒンドゥー教の聖地である。かつてはヴィデーハ王国の首都「ミティラー」の名で知られていた。

この町は古代インドの叙事詩「ラーマーヤナ」の舞台の一つとなっているため,ヒンドゥー教の聖地となっている。それによると,ここはジャナカ王の娘ジャナキ(ラーマーヤナではシータと呼ばれている)とラーマ王子の結婚式が執り行われたところとされている。

ミティラー地方には女性が家の土壁に独特の絵を描く習慣があり,ミティラー・アートと呼ばれている。それは,天体,動物,植物などを題材にしたものであり,母から娘に受け継がれてきた。しかし,周辺の村にももう素晴らしいものは残っておらず,僕の見たもっとも素晴らしいものは,町一番のホテル・マナキの壁面であった。

この町には3日間の滞在予定であったが,不幸なことに出発日の5月2日からネパール共産党毛沢東主義派によるゼネストが始まり,さらに6日間をここで過ごさなければならなかった。

日本の新聞は次のように報じている。ネパール制憲議会の最大野党ネパール共産党毛沢東主義派が5月1日,首相のネパール氏の辞任などを求めカトマンズで約50万人によるデモを行った。首相側は辞任の意思を見せておらず,毛派は2日から無期限のゼネストを決行する構えだ。

長引くゼネストは社会生活に及ぼす影響が大きく,一般市民からの反発が強まったため5月7日になって中止の発表があった。この時期,一般の商店は夕方から営業していた。交通機関は全面的に運行されておらず,道路には車が停められ交通そのものも遮断されていた。



ポカラ(16:30)→ジャナクプール(04:30) 移動

15:45から宿の受付で待っているとよくみかけるおばあさんが電話をしてくれた。チケットを手配してくれた男性がバイクでやってきて,そのまま空港の少し先にあるバスパークに向かう。バスパークは路上にバスが止まっているだけのものである。バイクの男性がチケット売り場でバスを確認しようとした。バスはまだ到着しておらずあと5分ということであった。

しばらくしたらバイクの男性はチケット窓口の人にこの外国人旅行者をジャナクプール行きのバスに乗せてくれと言い残して戻っていった。チケット売り場の横は食堂になっていたのでここでチャーイをいただき15分ほどを過ごす。窓口でチケットを見せるとすぐにバスに案内してくれた。



ジャナクプールに到着(04:30)

ちょうど12時間でジャナクプールに到着する。暗い広場にたくさんのバスが並んでいる。ここがジャナクプールのバスパークのようだ。この時間では宿に行くことはできないので,近くのチャーイ屋のイスに坐る。チャーイを飲んでから電灯の下で日記作業を開始する。もちろん,パソコンに引く電源はない。

電圧がしょっちゅう変動するので電灯は暗くなったり明るくなったりを繰り返す。ともあれ,停電でないことを感謝しよう。05:30を過ぎると明るくなった。空はどんようとした黒い雲に覆われておりまるで雨季の空模様である。モンスーンにはまだ1月以上先なんだけどなあ。



サイクルリキシャーに乗って

06:00になると周辺の人がホテルはもうチェックインできるというのでサイクル・リキシャーで宿に向かう。彼らの言い値は50Rpである。距離はおよそ1kmなので20Rpが適当な料金だろう。荷物があるので30Rpで行ってもらうことにした。

道路は舗装がはがれており乗り心地はよくない。ちゃんと地図で場所と名前を指示したのにもかかわらず着いたのはマナキ・ホテルであった。

この立派なホテルは目指すスク・サガルから300mほどしか離れていないので,ジャナク・チョウクまで行ってもらった。そこでリキシャーを降りて100Rp札を出すと彼は50Rpだと言い張る。これはさすがにひど過ぎる。70Rpのおつりを要求する。うまい具合に武装警察の人たちが通りかかったので彼はしぶしぶ70Rpをよこした。

スク・サガル・ホテル

めざすスク・サガルホテルはジャナク・チョウクから寺院群の周りを1/4周したところにある。フロントで料金をたずねると400Rpだという。僕がシングルは200Rpになっているとガイドブックを見せると200Rpの部屋に案内してくれた。部屋は6畳,Wベッド,T/S付き,まあまあ清潔である。とりあえず,3日は滞在するので600Rpを渡し,宿帳に記載してもらう。

シャワーを浴び,ファンを回し,荷物を出してベッドに横になるとすぐに寝てしまった。やはりナイト・バスは体にとってきつい。08時に停電で目が覚めた。幸い電気はすぐに回復したので,さっさとパソコンのチャージをかねて日記作業を始める。

気温が上がっているので頭を洗うことにした。それほど身構えなくてもシャワーの水は十分に温まっていた。この宿のシャワーはちゃんと機能しておりネパールでは珍しい。

ジャナクプルには9日間も滞在することになった。しかも後半の何日かは下痢のためほとんど宿にひきこもっている状態であった。長期旅行をしていてこれほどひどい下痢に悩まされたのは初めてである。

今回のものは10日あまりも続き,感染症のような病気になったのではと疑うほどであった。それなりに腹痛もあるので,下痢が始まってから4日目からは薬局で買った下痢止めと痛み止めを飲むことになった。

下痢を抱え,移動もできないという状態が続き,食べ物にはずいぶん苦労した。選択肢も少なく毎日,ほぼ同じメニューをいただくことになった。
朝食:野菜煮込み,ジレヴィ,プリー=30Rp
昼食:ハーフ・ダルバート=25Rp
夕食:ハーフ・ダルバート=25Rp

マナキ・ホテルで朝食

朝食は1000Rp札を崩したかったのでマナキ・ホテルに行ってみた。ここのレストランは十分すぎるほどに立派であった。コンチネンタル・ブレックファストは175Rpとずいぶんな値段である。

しかし,出てきたものはポカラでよく朝食をとっていたウッド・ハウスのものと大差はない。設備に比して料理はずいぶんお粗末ということだ。実際,広いレストランには一人も客はいなかった。

会計は税金が10%ついて193Rpと高額であった。もう再び来ることはないだろう。ここは費用対効果が悪すぎる。唯一の収穫はミティラー・アートがホテルの壁面に描かれており,撮影することができたことだ。また,その壁画を描いたのは「FULGAMA村」の女性で,そこまでは10kmほどあるとのことだ。念のためにネパール語で村の名前を書いてもらう。

スク・サガル・ホテル前の露店

スク・サガル・ホテルはジャナキ寺院の横の入り口に通じる道路に面している。そのため,道路の両側には露店が並んでおり,これを見て歩くのは楽しい。

ジャナキ寺院の入り口の近くでスイカの切り身を売っていた。1個5Rpの良心価格だ。味もよくてすぐに食べ終えてしまった。さてこの皮をどうしようということになる。

ネパール人のように路上にポイ捨てはしたくない。近くに牛がいないかと視線を巡らす。ちょうどうまい具合に牛がみつかり,鼻先にスイカの皮を差し出すと満足そうに食べてくれた。スイカ屋のおじさんたちはこれを見て笑っている。

医院の前にはたくさんの人たちが順番待ちをしている。ネパール人の病気の確率は旅行者である僕よりずっと高いことだろう。特に乳幼児は水や食べ物による消化器系の病気が多いはずだ。医院では必要な薬を処方箋にし,人々はこの処方箋を薬局にもって行って薬を買う仕組みになっている。そのため薬局の前もかなりの人が集まっている。

ジャナキ寺院は大きい

この町最大の寺院はジャナキ寺院である。寺院の敷地は100m四方ほどあり,その東側には50mX100mほどの広場がある。この寺院は1911年にインド中部の藩王国の王妃により建造されたネパールで唯一のムガール様式のヒンドー寺院とされている。この新しい寺院は東西を基軸としており,東に正門がありそのまま進むと本殿への階段がある。

この正門は非常に美しい。横幅は70m近くあり全景を撮るためには広場の端からとなる。左右には2本の塔をもつ方形の建物があるが,この建物は寺院の四隅に置かれている。

この4つの建物をつなぐように管理棟や巡礼宿の建物がある。屋根の上にはチャトリという小ドーム状の飾り屋根がたくさん取り付けられており,白壁の建物のところどころに使用されている彩色とともに華やかな印象を与えている。

入り口の門付近と広場の門前市

広場の周辺にはいつも巡礼の人々が多く,彼らをターゲットにした土産物や参拝用の小物を売る露天もひしめいている。この地域の標高は120m,暑季の日中における陽射しの強さと気温は耐え難いものである。

露店の多くは日中は閉店しているところも多い。実際,巡礼者や参拝者も日中はずいぶん少なくなる。ゼネストが始まると参拝者の数は減るだろうと予想していたが,どういうことかそれほど差は無かった。

露店はほとんどが鮮やかな色彩の色粉を扱っている。現代の色粉は安価な化学合成の色素が使用されており,ホーリーで皮膚炎などの健康被害も出ているという。

そもそもこのような化学合成の色素は顔料や染料として開発されたものであり,人の皮膚に直接塗ることは想定されていない。伝統的なものはインド伝統医学のアーユヴェーダに基づく薬効のある植物素材が使用されていた。

正面の門をくぐると

寺院への入り口は正面と右側面の2ヶ所にある。右側のものはラム・ジャナキ結婚寺院へと続いている。正面の入り口から入ると,石段があり,一段高いところに本堂がある。

本堂も正門と同じようにアーチとチャトリで飾られており,見ごたえのある美しい建物である。石段の上は履物が禁止されており,本堂の周囲は裸足で回らなければならない。白に近い大理石が使用されているので僕の足の裏でもなんとか耐えられる温度である。

ジャナキとはラーマーヤナにでてくるシータの別名であり,そのシータがこの寺院に祀られている。シータの父親はジャナカ王なのでジャナキとなるようだ。内陣は撮影禁止とガイドブックに記載されていたが,ネパール人の参拝者は気軽に写真を撮っていたので,僕も一枚撮らしてもらった。

この聖室はひな壇のようになっている。上段には5体の神像が置かれており,頭部以外は金色の飾りで覆われている。下段にも同じように4体の神像が置かれている。

全部で9体の神像があり,そのうち4体のものは大きく,金色の冠をかぶっている。冠の形状からそれらは男女2体づつである。おそらくシータは中央の女性で,残りの3体は彼女の父母とラーマ王子であろうと推測した。

巡礼者は宿泊できるようだ

ジャナキ寺院の本堂の左右と背後はすべて巡礼宿になっている。これほどの規模ならば相当数の人々が滞在することができる。中庭には宿泊者の洗濯物が盛大に干されている。僕が見学している間にも大きな荷物を抱えた家族連れが到着した。寺院の中庭には水場もあり,どこかで調理も可能なのだろう。

牛も説教を聞いている

正門に相当するところは管理棟のようになっており,頼むと上に上がらせてもらえた。正門の裏面も前面と同じ装飾となっており,この建物はどこも手を抜いていない。

夕方になると本堂の横には大勢の女性たちが集まり説法を聞いている。写真ではたまたま横になった白い牛が入っており,この牛も一緒に説教を聞いているようだ。

ダヌス・サガル池

ラム寺院の入り口は東側にあり,道路を挟んでその東側にはダヌス・サガル池がある。この池は三辺にガートがあり,この池で沐浴してからラム寺院に参拝したのであろう。

ラム寺院に面している西側には細長い大きな建物があり,これは巡礼宿のようだ。1階は壁のない造りになっており,参拝用の小物を扱う露天が並んでいる。目立つのは鮮やかな色彩の色粉である。寺院の石像によく付けられているものである。

ラム寺院(Ram Mandir)

ジャナクプルででもっとも古く1782年の建立とされている。敷地を囲むように道路が走っている。ヒンドゥー教では大きな構造物を造る場合は,東西あるいは南北を基軸にすることが多い。しかし,この町では南北軸に対して20度ほど東に傾いている。航空写真で見ると中心部にある13の人口池やラム寺院はすべてこの軸線でできている。おそらくなんらかの理由でこの町の軸線は20度傾くことになったのであろう。

ラム寺院の本堂はネパール様式のレンガの二層の屋根をもっているる。本堂の東側は新しいコンクリートの建物が追加されており,前室のような構造になっている。そこでは数人の楽師がヒンドゥーの聖歌を伴奏付きで歌っている。単調な言葉の繰り返しで終わりがない。退屈な歌にも聞こえるが,僕は目を閉じてこのような音の世界に浸るのが好きだ。

ラム・ジャナキ結婚寺院

ラム・ジャナキ結婚寺院はジャナキ寺院の北側にあり,なぜかここだけは有料であった。正門は閉じられており,横の門でチケット(5Rpだったかな)を買って入るようになっていた。この寺院の正面も東に向いており,少し長い参道の両側は公園になっている。外観は二層屋根のパゴダ様式であるが木造ではないようだ。近代的なパゴダ様式といったところである。敷地の四隅には祠堂が配され,全体として五堂形式となっている。

四方に広い窓があるため内部はヒンドゥー寺院とは思えない明るさである。白い大理石の床の上にはラーマ王子とシータの結婚式の模様が再現されている。正面には新郎新婦が坐り,両側には両家の親族が列席している。背後が窓のため逆光となり写真は難しい。

宿の屋上からの眺望

沐浴池の風景

新市街の中心部

鉄道駅はジャナク・チョークから北東方向に1kmくらいのところにある。ここにはネパールで唯一のジャナクプル鉄道が営業している。滞在中に乗ってみたいと考え,運行時刻を確認に行った。ジャナク・チョークから一本道なので迷うことはない。シヴァ・チョークを過ぎると新市街の雰囲気となる。その先はバヌ・チョークという大きな交差点があり,このあたりが新市街の中心のようだ。

商店街の子どもたちは写真慣れしており,堂々とフレームに入ってくれた。この地域では少し珍しい東アジア系の顔立ちである。

商店街の壁面に質の良いミティーラ絵画がある。本来のミティーラ絵画は女性たちが自分の家の壁面に描く素朴なものである。しかし,それが芸術としてお金になるようになると,良質なものはお金を出してくれる壁面に限定されるようになった。周辺の村を回っても,簡単なものを除いてミティーラ絵画を見ることはできなかった。


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