亜細亜の街角
ダムの下流で洗濯の風景を見る
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ネパール女性は本当によく働く

ネパールの平均寿命は女性57歳,男性58歳である(UNDP 2000)。生物学的には女性の方が長生きできるように仕組まれているにもかかわらず,ネパールでは早婚,妊娠・出産時のリスク,過重労働により男性より女性の寿命が短いという世界でも数少ない国のひとつとなっている。

ポカラの夕食はいつもアニール・モモでいただいた

ポカラの夕食はいつもダムサイドのメインストリート沿いにある日本料理のアニール・モモでいただいた。最初の日は親子丼(155Rp)を注文し,そのおいしさに驚いた。経営者の男性は日本で相当期間働いたことがあり,きれいな日本語を話す。調理は奥さんの担当であり,完全に日本の味をマスターしている。

もう一つの絶品メニューはカツ丼(165Rp)である。こちらは肉がちょっと薄いけれど見事なものであった。ポカラ滞在中の6日間はずっとここまで夕食に通い,親子丼とカツ丼を交互にいたただいていた。この店ではよく日本人旅行者と出会い,旅行の話で時間を過ごした。

商店の前で4人の女の子が歌と踊りを披露していた

宿の南側の様子を見るためお出かけする。宿の南東にあるビラウタ・チョークに出る。ここはレイクサイドのメインストリートと飛行場,ニューバザール,オールドバザールを結ぶポカラのメインストリートの合流するロータリーとなっている。この道はパルディ・バザールと呼ばれ,その先はタンセン経由でブトワルまでまっすぐ南下する。

シャッターの閉まった商店の前で7-10歳くらいの女の子がめいめい歌と踊りを披露していた。夕方の時間帯なので動いている人の写真は難しい。一通り踊りが終わったところで集合写真を撮ると今度は個別写真を要求された。少し斜めになってポーズを決める子もいる。写真のお礼にヨーヨーを作ってあげる。

子どもたちは写真が大好き

バン(ゼネスト)が始まりそうだ

早朝のヒマラヤ

滞在3日目の早朝,屋上のテラスからヒマラヤを眺める。昨日と状態はほとんど変わらないが,少し状態は良い。マチャプチャレ(6993m)はまだ暗いシルエットであるが8000m前後のアンナプルナ・サウスやアンナプルナTのピークは光が当たり白く輝いている。アンナプルナVやWはかろうじて影のようになっている。

この程度のヒマラヤではポカラの名前が泣くというものだ。晴れており雲も出ていないのに大気の透明感がない。ガイドブックには春霞と表現されており,5km先のサランコット山がかすんでいる。これではとてもヒマラヤ遠望は望めない。実際,5日間の滞在中にマチャプチャレは一度も見ることはできなかった。

ポカラでの朝食

ポカラの朝食は宿の近くのカフェでいただくことが多かった。玉子焼き2個,トースト2枚,ジャムとバターで85Rpである。カトマンドゥの立派な90Rpの朝食(トースト2枚,ジャムとバター,目玉焼き2個,ポテトとトマトの炒め物,コーヒー)に比べると物価は高い。しかし,僕の朝食の時間帯に開いている食堂はここぐらいのものだった。

ポカラ空港

今日は20年前の記憶に残る飛行場をもう一度見ることにする。さすがに滑走路を含め空港施設全体は金網で囲まれていた。一部は有刺鉄線が回され軍隊が詰めていた。マオイストとの内戦のなごりのようだ。20年前は囲いのない空港で滑走路は舗装されていなかった。周辺は草地になっており,牛が草を食んでいたと記憶している。滑走路路上で牛と飛行機が衝突するなどという事態も起こりえた。

プリティビ・チョーク

空港施設を過ぎたあたりにプリティビ・チョークがある。この大きな交差点は南北方向に走るポカラ市内の幹線道路とカトマンドゥとポカラを結ぶハイウェーが交差するところであり,ポカラの基準点となっているところだ。

北はポカラの新旧のバザールに,南は遠くタンセン,ブトワルに,東はカトマンドゥに,西はアンナプルナの入り口にあたるバグルンに通じている。交差点のすぐ東側にはシティ・バスパークがあり,ポカラから西に向うバスはここから出ているようだ。

商店の前にはなぜか女性たちが腰を下ろしていた

商店の前にはなぜか女性たちが腰を下ろしており,一枚撮らせていただく。ロータリーを囲む柵のところには表面を覆うようにストライキを呼びかけるマオイストのビラが貼られている。柵の部分のものははがされ,無残な姿をさらしている。土台のコンクリートに貼ったものは簡単にはがせないのでそのまま残されている。

ストライキを呼びかけるマオイストのビラ

このストライキを主導しているのは「ネパール共産党統一毛沢東主義派(現在の名称)」である。長い間,マオイストと呼ばれ政府と武力闘争を行ってきたが,「2008年のネパール制憲議会選挙(定数601議席)」では229議席を獲得し第一党となる。しかし,プラチャンダ連立政権は2009年5月に崩壊し,現在は最大野党となっている。

連立政権崩壊の原因は政党でありながら,「ネパール共産党統一毛沢東主義派」が依然として武装組織「人民解放軍」を擁しており,プラチャンダ連立政権では「人民解放軍」を政府軍へ編入し軍部を掌握しようとした。露骨な軍部掌握の狙いに連立を組む政党も反発し,連立政権は崩壊している。今回のストライキは5月2日から始まった無期限ゼネストの事前演習のようなものだったようだ。

赤はネパールでは高貴な色とされている

この周辺には人通りが多く,伝統衣装の女性がけっこう目についた。特にきれいな服を着た人を選んで写真を撮らせてもらう。先方もよそ行きの服装なので気軽に写真に納まってくれる。彼女たちの服装の赤はネパールでは高貴な色とされている。伝説ではカトマンドゥ盆地の守護神であるタレジュ女神も王族と会うときは赤い衣装で現れたという。

マンゴー売りのおばさんが客と商談をしている

近く商店の前ではマンゴー売りのおばさんが客と商談をしている。背負いカゴいっぱいのマンゴーはやはり30kgくらいの重さになるだろう。これを背負って行商するのは大変だろう。

地中を流れるセティ・カンダキ川

さらに1kmほど歩くとニューバザールとなる。普通の商店が並んでいるだけであり,扱っている商品はやはり現代的なものが多い。この先を東に折れるとセティ・カンダキ川にかかる橋を渡る。ここでは川が大地を侵食し,50mもの深さの狭い峡谷を刻んでいる。幅は5m程度しかないので,上から見ると大地の割れ目のようだ。この橋の上からの眺めでは50mの深さは感じられない。

荷物を運ぶチベット系のおばさん

30kgは確実ある荷物を背負って歩く3人のチベット系女性を見かけた。例によって荷重は額で受けており,首が後ろに反らないように両手で後頭部を押さえている。この運搬方法はチベットから東南アジアにかけて広く見られる。彼女たちのジャマにならないように写真を撮る。

自然史博物館

自然史博物館はプリティヴィ・ナラヤン大学のキャンパス内にあり,探すのにかなりとまどった。ずいぶん素朴な展示であり,ネパールの動物たちは壁面にレリーフのように少し立体的に描かれている。剥製を展示するよりこちらの方が分かりやすい面がある。昆虫の標本は引き出しを自分で開けるようになっており,これはちょっと例の無い展示方法だ。

動物のはく製はコストがかかるし,管理も大変なのだろう。この博物館では例えば高度の違いにより生息している動物が異なることを絵で展示しており,これは分かりやすい。

歩いて宿に戻る

今朝の山見

毎日同じ春霞のパターンである。06時にアンナプルナ・サウスとTの上部が輝き始める。マチャプチャレはシルエットであり,アンナプルナWとXは上部がわずかに白く輝く。この季節にポカラからヒマラヤを見ることはできない。おそらくモンスーンの時期も同じような傾向があると考えられるので,ポカラでアンナプルナ眺望が期待できるのは10月から3月ということになる。

宿の下には旅行会社のような機能をもった事務所がある。経営は宿と同じ家族があたっている。ここの男性は怪しげな情報をもってくるので注意したほうがよい。彼は早朝のポカラ発ジャナクプール行き,所要時間8時間のバスがあるという。アンナプルナは見られそうもないのでトレッキングはあきらめ,チケットの手配をお願いする。

先日の食堂でチャーイをいただく

ダムサイドの南側にあるパルディ・バザールを歩いてみる。幹線道路の両側は家屋が並んでいるが,ところどころにすき間があり,背後は農地になっている。先日,子どもたちの写真を撮ったところの近くにある食堂でチャーイをいただく。そのときの姉妹が出てきて弟と一緒の写真を要求される。ここが彼女たちの家のようだ。

この家の中にはツバメが巣を作っている

この家の中にはツバメが巣を作っており,もう親鳥と変わらないくらいにまで成長したヒナが三羽いる。この巣はなんとむき出しの蛍光灯の上に作られている。巣は泥を固めたものなのでいちおう絶縁体になっているようだ。それにしても入り口の蛍光灯の上とはすごい場所に巣作りをしたものだ。客が出入りするときにフンが落ちてこないように下にはダンボールの受け皿が取り付られている。

妙法寺のある山が見える

家の間を通り背後の農地を歩いてみる。乾季の今は作物は栽培されておらず雑草の風景である。その向こう側に妙法寺のある山が見えるのでフレームのうまく納まるポイントを探していたら川に出た。

この川はダムから放水されているもので,ダムの水は単に下流側の水量調節のためだけに使用されているようだ。農地の向こう側に妙法寺のある山が見えるのでフレームのうまく納まるポイントを探していたら川に出た。

川の風景

ダムがないときは雨季の激しい水流が岩盤を削り10mほどの深さの谷を刻んでいる。現在はダムらか一定量の水が放水されているため岩盤の浸食はずっと軽減されていることだろう。岸辺の岩盤には直径40cmくらいの丸い穴がいくつもあいている。これは強い水流で石が小さな窪みで回されながら岩を丸く削ったものだ。

そのようなところで近所の人々は洗濯をしている。岩盤のうち平らな部分が洗濯板の役割を果たしている。母親の周囲には子どもたちが水遊びに興じている。いかにも田舎らしい風景なので写真を撮る。少し上流側に吊り橋があり,その向こうにダムが見える。吊り橋のところまで歩くとその先は広い川原になっており,たくさんの女性が洗濯をしている。

吊り橋を渡り,対岸の階段を下りて水辺に出る。水量があり,水のきれいなここは洗濯には向いている。少し上流にダムがあり,ここは自然の滝の下の瀬になっている。周辺では女性たちがたくさんの洗濯物を黙々と洗っている。使用しているのは洗濯せっけんである。環境において比較的すみやかに分解されるので環境負荷は小さい。

しかし,頭を洗うのにはシャンプーが使用されている。石鹸に比べて泡立ちがいいのできれいになると思われているのだろう。実際,含まれている界面活性剤の量が多いので洗浄力は強い。しかし,化学的に合成された界面活性剤は自然界では簡単に分解されないので環境負荷は大きい。ここを流れる水は同じように下流側の人々も使用している。生活用水にしている地域もあるのでは推測する。

二人の子どもが遊んでいる

ほぼ同じ年に見える二人の子どもが川からきれいな形の石を拾い上げて遊んでいる。風景と一緒に写真を撮り,お礼にヨーヨーを作ってあげる。もちろん大喜びである。

下から眺めるつり橋はけっこう絵になる

下から眺めるつり橋はけっこう絵になる。背負いカゴをかついでいる女性や女学生の通るときに写真にする。洗濯の女性たちの多くはサロン(一枚布の前後を縫い合わせ円筒型にした衣類)を着用している。洗濯をしたり体を洗ったりするときにはとても便利なものだ。

ダムにアクセスするのは大変

この川原の上流は大きな瀬になっており,100mほど先のダムにアクセスすることはできない。吊り橋のところまで上って迂回してなければならない。ダムの上部に水門がありその下から二列になって水が流れ出ている。もう一つ,斜面に沿って別方向に向かう水路もある。この水路は農地の中を流れており地域の人たちの生活用水として利用されているようだ。

可憐な花を付けている野草

ダムにアクセスするための斜面には可憐な花を咲かせる野草があった。どこかで見たことがあるなと思って写真をチェックしてみたら,インドのシュラーバスティ(祇園精舎のあるところ)でもこの花を見かけており,写真にしていた。

イボタクサギ(Clerodendrum inerme,クマツヅラ科)は日本では沖縄に自生している常緑低木であり,花に出合わなければほとんど目に留まらない植物である。葉腋に3個の花をつける。花の大きさは直径が約15mmほどであり,長い4本の雄しべと雌しべに特徴がある。


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