亜細亜の街角
春霞のためアンナプルナが見えない
Home 亜細亜の街角 | Pokhara / Nepal / Apr 2010

ポカラ  (参照地図を開く)

ポカラはカトマンドゥの西200kmのところに位置する。カトマンドゥ盆地を除くとネパールで二番目に大きな町で人口は約20万人とされている。北西のアンナプルナ山群から流れ下るセティ・ガンダキとハルパン・コーラ,さらに北側からのビジャプル・コーラの3河川により侵食と堆積が繰り返され,北西から南東方向に長手方向が15km,最大幅が7kmほどの細長い三角形の盆地状の平地が広がっている。

町は盆地の北西部,セティ・ガンダキの西岸に広がっている。西側にはハルパン・コーラがせき止められた面積5km2ほどのフェワ湖がある。下流側にダムがあるので人造湖だと思っていたら,本来は自然湖であり,それに人間が手を加えたようだ。アンナプルナ山群を間近に見られるところとして,またトレッキングの拠点として急速に観光地化が進行した。

現在の湖岸には多くの宿泊施設,レストラン,旅行会社が並び,明らかに供給過剰の状態である。ツーリスト・エリアはレイクサイド(湖の東岸)とダムサイド(湖の南側)に分かれており,現在はレイクサイドが圧倒的にメインとなっている。ポカラの魅力はなんといってもカトマンドゥに比べてはるかにのんびりできるところであり,条件が良ければ宿の屋上からでも見ることのできるアンナプルナの白い連なりである。

僕の滞在していた4月の下旬は残念ながら大気中の水分が多く,数km先の丘が霞んでいる状態であった。アンナプルナは早朝の30分ほど霞んで見えるのが精一杯であった。20年前はモンスーンの時期でも雨上がりにマチャプチャレがくっきりと見えたものであるが,もうそれは過去の話しになってしまった。

カトマンドゥ(07:15)→ポカラ(15:30) 移動

06:20にチェックアウトする。ポカラ行きのツーリストバスはダルバール・マルグの横を南北に走るカンティ・パト通りの路上から出ている。通りに到着すると10台以上のツーリストバスが並んでいる。こんなに乗客がいるんだろうかと不思議に思う。バスの関係者にチケットを見せて自分のバスを見つける。

座席指定なのでチケットに記載された座席に坐る。荷物は座席の下に置くことができた。物売りが集まっているのでリンゴを2個(50Rp)買う。リンゴは食事の代わりにもなるありがたいものだ。僕が乗ったときはガラガラだったのにしだいに予約のない乗客が乗り込んできて満席となる。名称はツーリストバスであるが実態は都市間バスといったところだ。

バスはカトマンドゥ盆地を囲む外輪山を越えるため急坂を登る。盆地側では傾斜のきつい斜面も棚田になっており,これでは雨季の雨による土壌浸食は大きいだろう。山がちなネパールではタライ平原とカトマンドゥ盆地を除くと,ほとんど平地と呼べるところはないので,このような斜面農業に頼らざるを得ない。このような国でも人口爆発が起きており,タライの開発が一段落した現在,新たな農地はどこにもない。

外輪山を越えると条件のよい棚田が出てくる

外輪山を越えると緩斜面が増え,条件のよい棚田が出てくる。その後は一気に急な坂を下り,川沿いの道に出た。幸いなことに僕の席は谷側である。しかし,空気の透明感がなくよい写真にはならない。川が突然大きくなり,川幅は川原を含めて100mほどである。地図で見るとどうやらトリスリ川のようだ。

高くてまずそうな食堂で休憩する

標高が400mを切ったあたりで食堂の前に停車し最初の休憩となる。しかし,ここの物価はカトマンドゥの2倍はするうえ,容器に入っているでき合いの焼きソバは油ぎっており,とても注文する気にはならない。

川沿いのテーブルだけを借りて手持ちのリンゴとビスケットでしのぐ。バスはそのまま川沿いの道を進み,二つの川の合流点に出る。ここはムグリンのあたりのようだ。ちょうどカトマンドゥとポカラとの中間点である。バスは今までの川を渡り,そこに合流する川の上流に向かう。

前の席のインド系男性が席を倒してきた。座席を少し倒すのではなくいっぱいに倒してくる。後ろの座席に坐っている僕はきゅうくつになる。2時間ほど前の一回目は撃退したが今回は負けた。うしろの乗客のことなどまったく考えない迷惑な乗客だ。

インド人もしくはインド系ネパール人にこのような人が多い。カトマンドゥ盆地に住むまともなネパール人とは異質な人たちである。この男性はペットボトルやなにかの缶を気軽に路上に捨てている。こんなバカがいるので田舎の風景が台無しになる。

ポカラの手前で車両は停止させられた

14:30,ポカラの入り口のあたりでバスが停車した。前方には長い車列ができている。ネパールでは「バンダ」と呼ばれる強制ゼネストがしばしば発生する。しかし,2008年に民主的な選挙が実施され,国王制を廃止して共和制となったので,バンダのようなムチャクチャなゼネストは無くなるものと考えていたが甘かったようだ。

ネパールのバンダは「強制」という形容詞が付くように,ストの主導者が自分たちとは関係の無い商店や交通機関を強制的に休業状態にさせ,違反すると暴力に訴えるというひどいものである。今回のバンダの背景については「ジャナクプル」のページで説明する。

ポカラに入ったところで一般のネパール人客は降ろされ,ツーリストだけが残ることになる。そして,到着したところはレイクサイドの中心部であった。ポカラのツーリストエリアの中心は完全にレイクサイドになっており,そこから800mほど南にあるレイクサイドとはかなり雰囲気の異なるところになっている。そのためレイクサイドにバスパークがあるようだ。

僕はダムサイドに宿泊予定であったのでけっこう歩くことになった。「New hotel Yad」の部屋は8畳,3ベッド,T/Sは共用,清潔である。200Rpの料金もうれしい。僕の部屋の隣が共用のT/Sなので,ほとんど自分の部屋にあるようなものだ。何よりも窓が二面にあり明るいのがよかった。しかし,なぜか宿の写真は一枚も撮らなかったようなので子どもの写真で代替する。

ヒマラヤの白い峰がかすんでいる

06時に起床して窓から外を見る。地域全体が朝もやの中にあり,かろうじてヒマラヤの白い峰がかすんで見える。あわててカメラを持って上のテラスに行く。宿の4階はテラス付きの部屋になっており,そのもう一つ上に太陽熱温水器がセットされている。そこは周辺の家屋では最も高いところで,遮るもののない風景を眺められる。

しかし,地域全体が朝もやの中にあり,かろうじてヒマラヤの白い峰がわずかにかすんで見えるだけだ。アンナプルナの白い峰は日が出るともう少し程度は良くなるかもしれないと期待したが,太陽が出るとあっさり消えてしまった。もっとも太陽も濃い朝もやの中にあり,写真にするとまるで満月のようにはっきり見える。少し時間がたつと東の空全体が茜色に染まる。この写真もいいものだ。

フェワ湖のダムサイト

フェワ湖の南側は細くなっており,そこから二本の水路が流れ出ている。西側の大きな水路はプレス・コーラとなり少し下流でセティ・ガンダキに合流している。しかし,ダムサイドからは丘の向こう側にあり見ることはできない。東側の水路の前には水門がありここで水量を調整している。周辺には湖に投げ込まれたプラスチック製品やゴミが集まってきており,景観はいまいちである。北側には湖の本体があるが,かなり先まで狭い水面となっている。

カリアンドラ(ベニゴウカン)

ネムノキに似た濃いピンク色の花をつけた潅木がある。ベニゴウカンの仲間であろう。ネムノキの仲間は分類が文献により異なっている。「マメ目・マメ科」とするものと「マメ目・ネムノキ科」としてアカシア属,ネムノキ属,ベニゴウカン属,ギンゴウカン属,オジギソウ属を独立させているのがある。

ベニゴウカン属の学名は「Calliandra」,これはギリシャ語の「美しい雄しべ」に起因する。和名のベニゴウカン属はこの属を代表する「ベニゴウカン」の花がネムノキ(合歓の木)に似ており,雄しべの色がネムノキよりも濃い紅色であるところから名付けられた。ベニゴウカン属には100以上の種があり,多くは中南米が原産地となっている。花は小さな半球状の集まりになり,そこから多数のピンクあるいは濃いピンクの長い雄しべを出す。

水を汲む人

草を刈る人々

レイクサイドの南端の湖岸側は草地になっており,そこで女性たちが牛か水牛の飼料にするため草を刈っている。家畜はこの一画には入れないので人間が草を刈って運ぶ仕組みになっているようだ。一方,道路を挟んだ陸側のグランドではサッカーやスポーツに汗を流す人がいる。両者は現在のネパールの置かれている状態を凝縮しているようだ

女性たちは黙々と草を刈り,背負いカゴにつめる。草は豊富にあるのでじきにカゴはいっぱいになる。カゴがいっぱいになったらご近所同士で背負って歩き出す。肩で荷重を支えるのではなく,額に当てた布とそれから伸びるロープで支えている。このタイプの背負いカゴは慣れないと非常に危険だ。僕がこの20kgくらいの荷重をかついだら首が後ろに引っ張れてえらいことになる。

水牛が待っていた

彼女たちは3軒の家に分散していった。そのうち2軒は隣同士であった。どちらも30坪から50坪程度の畑がついた家で,地所は塀で囲っている。これがポカラの農家の標準的な構造のようだ。僕の訪問した家は住宅と同じ敷地に水牛の小屋があり,水牛のすぐ横を通らなければならない。この立派な門番は家族が一緒でもちょっと怖い。

気持ちよく写真を撮らしてもらったので二人の子どもにヨーヨーを作ってあげる。僕はこの二人が姉弟と思っていたら,叔母と甥の関係だと教えられた。一つの家に老父母と結婚した子どもたちが住んでいるのでこのようなことになる。ヨーヨーを作っているととなりからも二人の子どもがやってきた。日本円で10円ちょっとのおもちゃでこれほど喜んでもらえるのは僕にとっても嬉しいことだ。 おじいさんが孫を介して「お茶はどうですか」と聞いてくる。「いただきます」と答えると12歳くらいの娘にお茶を用意させた。この娘さんはよく働く。さきほども母親と一緒に草刈から戻ったところなのに,食器を洗い,さらにお茶を入れてくれた。僕のザックには今朝買ったリンゴが2個入っている。それを娘さんに渡し,洗って切ってくださいとお願いする。現地の人たちと食べ物を共有するのはなんだかとてもいいね。みなさんにお礼を言ってお別れをする。

レイクサイドはホテルとゲスト・ハウスで溢れている

表通りを北西に向かって歩くとじきにレイクサイドのメインストリートに出た。そこまでの道沿いにも多くのゲストハウスやホテルがあり,観光客に比べて明らかに供給過剰である。同じようにメインストリートの両側にある土産物屋も供給過剰に見える。

路上の洗濯屋

レイク・サイドの北の終端

ツーリストエリアの終わりになると,背後は土の土手に守られた畑となっている。現在は草地になっており,水牛たちが移動しながら草を食んでいる。土手の一部は切られており水がこちらまできている。そこは水牛が水浴びする場所になっている。しかし,水浴びというよりは泥浴びというほうが実態に近い。水牛はこの泥の中にねそべり,背中がかゆいのかときどき背中をこすりつけながら足をバタバタさせている。

マンゴージュースを購入する

スーパー・マーケットがあったので買い物をする。蚊取り線香は10個入りで25Rpとずいぶん安い。それに対してバッテリーは単3が3本で200Rpと高い。マンゴー・ジュースの1リットル・パックは140Rpと高いが,マンゴーのねっとりした甘さを楽しむことができる。この日は半分くらいを飲んだ。

湖岸の風景

洗濯場は女性と子どもたちで賑わっていた

湖岸を歩いていると途中からメインストリートと分かれることになる。少し先は湖が狭くなっており子どもたちの水遊び場になっている。そこは洗濯場になっており女性たちは湖の岸で洗濯をしている。

体をせっけんで洗っている人もいるし,シャンプーをつけて頭を洗っている人もいる。フェワ湖の水は飲料水ではなく生活用水として使用しているようだ。現在は水量に比して水の使用量が少ないので,せっけんなどはちゃんと分解できるようだ。

渡し舟が運行している

近くにワイヤーで引かれる渡し舟が運行しており,対岸に渡ることができる。ここは湖でももっとも幅の狭いところである。乾季なので水量が少なくなっており,対岸まではほんの10mほどである。

女性たちが集っている

トカゲはのんびり日向ぼっこをしていた

宿に戻る途中の林の中でのんびり日向ぼっこをしているトカゲを見つけた。対象物が小さいのでかなり近寄らなければならない。そっと,近寄り撮影に成功する。


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