亜細亜の街角
20年ぶりの古都パタンはずいぶん変わっていた
Home 亜細亜の街角 | Padan / Nepal / Apr 2010

パタン  (参照地図を開く)

パタンはカトマンドゥ盆地に位置する古都である。カトマンドゥの中心部からは南に5kmほどのところにあり,バグマティ川が境界となっている。20年前はゼネストで交通機関が動いていなかったので,のんびり歩いて行った記憶がある。ネパールにおける正式名称は「ラリトプル(美の都)」と改名されている。

4世紀の後半にはインド・アーリア系のリッチャヴィ王朝がカトマンズ盆地を征服しネーパーラ王国を興した。その後,9世紀にはデーヴァ王朝,13世紀にはマッラ王朝が成立している。15世紀から17世紀にかけてマッラ王朝は3つの王国(カトマンズ,パタン,バクタプル)に分裂し,カトマンドゥ盆地を統治していた。パタンはパタン・マッラ王朝の都となり,当時の王宮をはじめ多くの歴史的建造物,文化財が残されている。

今日の目標はチャング・ナラヤンである。ガイドブックにはバグ・ザバールのあたりからバスが出ているようだ。まだ,タメル地区周辺の地理には不案内なのでタメル・チョウク→ダルバール・マルグの南西角交差点→ラーニ・ポカリ南西の角の歩道橋交差点→バグ・バザールと歩く。ダルバール・マルグの南西角交差点から南に向かうと右側に白亜の大きな建物があり,その向かいが米国大使館となっている。もちろん高い塀に囲まれ,警備も厳重である。

ガイドブックにあるバグ・バザールのバス停ではナラヤン行きのバスはなかった。警官を含めみんなシティ・バスターミナルに行けという。南にあるシティ・バスターミナルまで行く途中にもバス停があり,ここでも確認したら同じ答えであった。

シティ・バスターミナルはバグ・バザールから徒歩で10分ほどのところにある。ここからは近郊地域に向うバスが発着している。遠距離のものはニュー・バスパークということになる。シティ・バスターミナルはかなり大きなもので発着するバスの数も多い。100台近い大小のバスがひしめいているが,どこ行きがどの辺りから出るというルールが無いようだ。

バスターミナルは昨日の雨でかなりぬかるんでいる。一段高くなった安全地帯はあるけれど,そこにはゴミが集められており,ひどい悪臭を放っている。周辺にも大量のゴミがあり,なぜか人糞がずいぶんたくさん落ちている。こんな,とんでもないバス・ターミナルはアジアでは例が無いだろう。ネパールの行政府の程度は考えられないほど低いようだ。

バスの移動経路も乗降場所も確定していない。バスは人をかきわけ我先にと動いているだけである。ここで旅行者が目的地に向うバスを見つけ出すのは至難の業である。今日の目的地のチャング・ナラヤンという地名はみんな知っているが,そこ行きのバスはあっちだ,こっちだというばかりで見つからなかった。汚いバス・ターミナルで40分ほど探してあきらめ,行き先をパタンに変更する。

バスはバグマティ川にかかる橋を渡る。ネパールの聖なる川とされているバグマティ川は真っ黒に汚れ,完全に死んでいる。廃水処理などまったくないまま下水が流れ込むので川はすぐにドブになってしまう。バスの終点は観光の中心となるダルバール広場から700mほど離れたところにあった。バス停から少し南に歩くとパタン・ゲートがある。

古い家並みは少なくなっている

古都パタンもずいぶん変貌していた。古い町並みは新しい建物にとって代わられている。20年前の町歩きの感動はとても望めない。狭い通りをバイクと車が通るのでここの町歩きも危険になった。

車両のマナーはインドと変わりがない。南アジアでもっとも温厚な民族とされていたネパール人気質も車社会になるとずいぶん変わってしまったようだ。クラクションを鳴らし狭い通りを走る抜けるバイクにかなり肝を冷やした。

建物の壁面にも仏や神々の像が刻まれている

もう,「中世が残る町」などというキャッチフレーズはダルバール広場の周辺以外には使用できない。それでも通りのあちらこちらに祠堂や祠があり,建物の壁面にも仏や神々の像が刻まれ,どれもが信仰の対象となっている。このような多くの場所におわす神像は赤い色に塗られている。ネパールでは赤が高貴な色とされており,多くの人々は神像に赤の色粉を塗りつけたり,その色粉に触れて自分の額に押し当て吉祥の印しをつける。

土産物屋で目についたのは異形の仮面である

この通りはバス停からダルバール広場にまっすぐ向うので観光客がよく通るのであろう。いくつかの土産物屋が営業していた。目についたのは異形の仮面である。ネパール仏教は,ヒンドゥー教と混在・混交し,共生関係にある。土産物屋の店先を飾る異形の仮面はチベット仏教と共通するものであるが,より幅が広いように感じられる。それはサンスクリット経典とともに古代インドの儀礼をも引き継いでいるからなのかもしれない。

仏教寺院の二階は学校になっている

小さな仏教寺院もある。入り口には立派な門があり,その前には二つの仏塔が前後に並んでいる。手前の仏塔の上には大きなドルジュ(金剛杵)が置かれている。古代インド神話ではではヴァジュラと呼ばれており,インドラ神が雷を操る武器とされている。仏の教えが煩悩を滅ぼすことから密教やチベット仏教では法具の一つとされている。中央に柄があり,その上下に細長い刃が付いている。刃の数や形によって独鈷杵,三鈷杵,五鈷杵など固有の名前がつけられている。

中庭には遊行仏の像と蓮座の上で接地印を結ぶ仏像があるだけである。建物の二階は学校になっており,少数派の仏教徒の子弟はここで学んでいるようだ。この時間は授業が行われておらず,何人かの生徒が自習をしていたので一枚撮らせてもらう。

ゴールデン・テンプルの入り口を守る獅子

パタンのほとんどの寺院はヒンドゥー教のものだが仏教寺院もいくつか残されている。その一つがゴールデン・テンプルである。正式にはヒラニャ・ヴァルナ・マハー・ヴィハールというが,あまりにも長い名前なのでガイドブックにもそのような名前は使用されていない。

本堂が金箔に覆われていることから単にゴールデン・テンプルとなっている。建立は12世紀とされているが,現在の建物は19世紀のものである。入り口には雌雄二頭の獅子像がガーディアンとなっている。しかし,その顔はとても愛嬌があり,門を守るという効果はあまり期待できない。

ビィハールはアジャンタの石窟の様式にもある僧院を意味する「ヴィハーラ」と同じ言葉であろう。マハーは大きいあるいは偉大なを意味し,ヴァルナはバラモン教の聖典ヴェーダに出てくる秩序・規律・正義を守る司法神で,インドラと並ぶ重要な神の一人である。この寺院の名前からしてネパールではヒンドゥーと仏教が混交していることが分かる。カースト制の元になっているヴァルナ(四姓)はアルファベットではつづりが異なり,別の言葉である。

余談であるが2000年に発見された太陽系外縁天体にも「ヴァルナ」の名前が付けられている。直径は約1000kmとされている。岡崎二郎のアフター0(ゼロ)というコミックス作品に「ほうき星翔ける街角」と作品があり,そこにヴァルナという彗星に翻弄される人々が描かれている。

この寺院は多くの仏像や神像で飾られている

殺生を嫌う仏教の寺院らしく中庭には革靴をはいたまま,あるいは革製品を身に着けたまま入ることはできない。このルールはときどきヒンドゥー寺院にもあるので,どちらがルールの本家なのかは分からない。両側を建物に挟まれた小さな門があり,そこをくぐると中庭になる。この小さな門の上部を飾るレリーフや彫像はすばらしい。この門の天井には精緻な石のマンダラがはめ込んであるとガイドブックには記載されているがどうしたことか見落としてしまった。

中庭に入ると金剛杵の置かれた祠,副堂,本堂が直線上に並んでおり,いずれもくすんだ金色となっている。本堂の上部は修理中で足場が組まれており,なるべく足場が入らないように縦の写真にする。この寺院は多くの仏像や神像で飾られており,僕にはそちらの素晴らしさばかりに目がいってしまった。この寺院は仏教寺院とはなっているが,仏教とヒンドゥー教が混交しているネパールではヒンドゥーの神々の像が一緒にあってもまったく違和感は無い。

本堂の柱を飾る神像もすばらしい。ノミと金槌だけでこれだけの芸術作品を作り出した,当時の職人たちの信仰心が伝わってくるようだ。

本堂入り口を飾る真ちゅう製の象

この寺院は仏教徒のネワールの人々にとってはもっとも重要なものの一つである。ネパールの総人口2590万人のうちヒンドゥー教徒が81%を占めており,仏教徒は11%,イスラム教徒は4%となっている。

仏教はチベット仏教とともに後期密教に属するが,彼らが依拠している経典はサンスクリット語の大乗経典である。この経典は中国語やチベット語となっている大蔵経の元になったもので,インドではことごとく失われている。大乗経典の原典ともいうべきサンスクリット経典はカトマンドゥ盆地で今日まで伝えられてきており,研究者は唯一残されたネパールの経典を頼りにしている。

数人の男性が経典の補修をしていた

中庭の周囲の建物の一室では数人の男性が経典の補修をしていた。経典は黒い布のような素材に金泥の顔料で記されている。読めなくなってしまったところがあるのか,書物を手に経典の文字をていねいに補修している。これはとても根気の要る作業である。古代のインドのサンスクリット文字で記された経典は千数百年の間,僧侶の写本とこのような修復作業により維持されてきたのだ。

ダルバール広場の喧騒に比べて,この寺院の内部は静かな空間になっており,パタン工芸の粋を集めた工芸品をじっくり見るには最適の場所である。1時間くらいをかけるつもりでゆっくり見学することをお勧めする。

ダルバール広場

ゴールデン・テンプルから歩いて5分でダルバール広場に到着する。多くの観光客でにぎわっており,ここも20年前の感激はもうない。どこがどうとは説明できないがなにか大事なものが消失しているように感じられる。最初に訪れたときは中世のたたずまいの残る広場に新鮮な感動を覚えた。そのときは雨上がりだったので,しっとりとした町並みが感動を増幅してくれたのかもしれない。

パタンに何を期待してやってくるかはそれぞれ人によって異なるでろうが,古いイメージをひきずってここにやってきた僕にとっては物足りないところであった。それでもカトマンドゥのひどさに比べるとずいぶんましだねと自分を慰める。北端のビムセン寺院は典型的なパゴダ様式でり,その隣のヴィシュワナート寺院は回廊の内側に聖室がある。

土産物屋

ダルバール広場の北側にはたくさんの露店の土産物屋が店を広げている。仏具,おどろおどろしい仮面,腕輪,真ちゅう製の神像や動物たち・・・・,外国人の観光客に人気のある品物が並んでいる。僕は土産物屋はていねいに見るけれど買うことはない。長期旅行中の各地でお土産を買っていたら,荷物が増えて移動の制約が大きくなるからだ。まあ,ここの土産物屋は商売不熱心というか,インドに比べるとずっと声がかかかることは少ない。

ビムセン寺院

パタンのダルバール広場は南北方向に長い一画を占めている。東側には王宮と王宮寺院が並び,王宮の一部は博物館になっている。西側にはビムセン,ヴィシュワナート,クリシュナ,ジャガナラヤン,ハリシャンカール,クリシュナ寺院が比較的乱雑に並んでいる。東側のラインは揃っているのに,西側はラインを揃えるという発想はなかったようだ。

ネパールでは宗教と芸術は一体の関係にあり,宗教建築物はそのまま屋外展示の芸術作品となっている。宗教建築物はパゴダ様式,仏塔様式,シカラ様式に大別される。ダルバール広場にある木造建築はすべてパゴダ様式である。ビムセン寺院も複数の屋根を重ねた形状となっており,長く張り出した庇は多数の支柱により支えられている。この支柱にはそれぞれ異なった神々の像が彫られている。

水汲み場の風景

首都カトマンドゥを含むカトマンドゥ盆地の人口は急速に増加している。長期に渡るマオイストと政府軍の内戦により,多くの人々がここに流入してきたためである。それに人口の自然増も加わり,1991年の106万人が2009年には300万人に膨れ上がっている。

カトマンドゥ盆地は標高1200mに位置し,面積は560km2なので人口密度は500人/km2を越えている。この急激な人口増加により,盆地内の水の供給は危機に瀕している。

すでに盆地内の水源は開発しつくされており,新たな水源は30kmほど離れている盆地北東部のメラムチ川上流部分からの取水に頼らざるを得ない。カトマンドゥ市内の一部には水道が普及しているが,水の供給はまったく需要に追いついていないのが現状である。

近くに水汲み場がある。マッラ王朝の時代にこのような給水施設(ドゥンゲ・ダーラ)が造られている。ワニの口に入った魚のような動物の口から出ているのは地下水である。

おそらく土地の高低差を利用して,ここまで導水菅で引いてきているのであろう。マッラ王朝(13-18世紀)の時代はカトマンドゥ盆地の人口は現在に比べてはるかに少なかったことだろう。

盆地内のほとんどの人々は地下水に頼っているが,これも水需要の増加に自然涵養が追いつかず,地下水位は下がり続けている。僕が訪問した午前中の時間帯にはポリタンクなどの水を運ぶ容器がずらっと並んでいた。

二つの口から流れ出る水流はとても細く,ここに並んでいる容器を満たすにはどれほどの時間がかかるか分からない状態である。多くの人々は自分の番がくるのを辛抱強く待っている。

ヴィシュワナート寺院

パゴダ様式の寺院の第一層は柱だけで支えられ,回廊の内側に聖室をもつものと,壁をもつものがある。仏教寺院の場合は本尊を安置し礼拝する空間が必要なので壁は必須である。最上部の屋根の上には金属の飾りを取り付け,そこから寺院の正面に金属で編んだ細い帯を垂らしているものも多い。

この帯は天界から神々が降臨するときの道標とされている。仏教寺院の場合は,屋根の天頂部の金属飾りはガジュールと呼ばれ五輪塔の形状になっている。これは,密教において宇宙の構成要素とされる空・風・火・水・地を意味している。

ヴィシュワナート寺院の前にある人を乗せた象は少し前に見たゴールデン・テンプルのものと同じ構図である。ヴィシュワナート寺院の壁面を飾るレリーフにもすばらしいものが多く,写真の枚数が増える。

二つの石柱

ダルバール広場には二つの石柱がある。一つはクリシュナ寺院の前のもので,その最上部にはガルーダの像が置かれており,クリシュナ寺院の方を向いている。もう一つは広場の南側にあるもので,その最上部にはシッディ・ナラシン・マッラ王の像が置かれており,こちらは旧王宮の方を向いている。

生きているヒンドゥー寺院は入れない

クリシュナ寺院はシカラ様式の現役のヒンドゥー寺院であり,異教徒は内部に入ることはできない。この種の寺院はインドでずいぶんたくさん見てきたので格別に見たいとは思わないのでちらっと見ただけでパスする。この寺院の前には円柱が立っており,その最上部にはガルーダの像が置かれている。ガルーダ像はクリシュナ寺院の方向を向いている。ガルーダはビシュヌ神の乗り物とされており,クリシュナはビシュヌの化身の一つなのでおかしな組み合わせというわけではない。

旧王宮

旧王宮の建物はダルバール広場の東側にあり,広場に面したラインは凹凸の無い一直線となっている。木造でありながら壁面にはレンガが使用されている。これは不思議な造りだ。ダルバール広場に面した部分は切妻屋根の建物であり,パゴダ様式の寺院と同じように庇が長く,それを支持棒で支えている。この支持棒にも彫刻が施されている。王宮の建物の一部は博物館になっており,中庭までは入ることができる。

旧王宮の中庭

旧王宮の中庭を囲む建物は外側同じようにレンガの壁となっている。総二階の構造となっており,高さのない二階部分の壁には格子状の窓が取り付けられている。いくつかの出入り口があり,扉は明り取りを兼ねて格子状になっている。その上にはネパール独特の半円状の門飾りがある。厚みのある板を何枚か張り合わせ,立体的なレリーフを施している。

最下段の両側には魚の体,象の鼻,ワニの足をもった想像上の動物がいる。この造形は広場の水汲み場にある水の出口となっている動物と同じものであろう。二階の長く伸びた庇はやはり神像の彫られた支持棒で支えられている。大きな写真で見ると,この神像は本体の柱の両側に部材を張り合わせている。木材のムダを省く知恵である。往時は彩色されていたようで,顔料の一部はまだ残されている。

全体像はとても撮りづらい

カトマンドゥ盆地では古くから女神信仰が強い。ヒンドゥー教徒も仏教徒もさまざまな名前で女神を信仰しており,それらは混交している部分もある。首都カトマンドゥにしても,夢に出てきた女神の指示に従って王は8人の女神に囲まれたところに町を造ったという伝承が残されている。国王は女神の力をもらって初めて国を統治する力をもつともされている。

多くの女神の中で「タレジュ女神」はカトマンドゥ盆地あるいはネパール王国の守り神とされており,歴代の王朝は王宮寺院としてタレジュ寺院を維持してきている。パタンでは王宮内にタレジュ寺院があり,ここは外からも見ることができなかった。ダルバール広場の南端には塔門のような建物に吊るされた「タレジュの鐘」があり,ガイドブックによると嘆願者が王に不平を訴えるために鐘をならしたとなっている。

ネワール帽を被った男性たちが並んでいた

タレジュの鐘の南側からダルバール広場に展開する旧王宮の建物群と寺院群の全体像を撮ろうとしたが,これはなかなか難しい。北側からもトライしてみた。二枚を比較して南側からのものを採用した。広場の近くにはベンチ型のイスがあり,ネワール帽を被った男性たちが並んでいた。お許しをもらって一枚撮らせていただく。

自然素材とプラスチックの雑貨0

広場から離れて歩くといろんなものが目に入る

打ち捨てられた給水施設

ダルバール広場を一通り見終わったので昼食にする。食堂のメニューに「モモ35」と書かれていたので中に入ることにする。ベジタブルモモは30,ここのところたんぱく質のとり過ぎなのでベジを選択する。中身もソースもマサラ味であり,インド的にアレンジされたモモである。本来のチベット・モモにはマサラは使用しないし,ソースもしょうゆが基本である。頭の中で文句を言いながらも全部食べてしまった。

ダルバール広場を縦断してマハボーダ寺院に向かう。ここは数少ない仏教寺院の一つである。途中で何ヶ所か水汲み場を見つけた。しかし,水は出ておらず人々からは見捨てられている。カトマンドゥ盆地の水問題は容易に解決しそうもないので,これらの水場に水が戻ることは難しいだろう。打ち捨てられてしまった中世の文化遺産を見るのはとても寂しい。

マハボーダ寺院

マハボーダ寺院は建物の間の狭い通路を通って入るようになっている。建物の壁に「マハボーダ寺院」と書かれていないと見落とすところだった。間口1間の狭い通路の向こうに入り口があった。

入り口の壁にはヘーカルと呼ばれるインド後期密教の守護尊の壁画があった。写真を文献と比較してみるとカーラチャクラ(時輪金剛)のものとよく似ている。黒い体,四面に12の眼,24の腕をもち,妃のヴィシュヴァ・マーターを抱く姿で表されている。このような守護尊画はチベット仏教寺院でよく見られる。

石造りの大塔の基部に本尊が納められている。本尊に向って手前から灯明台,金剛杵,灯明台が一直線上に並んでいる。ネパールではこのような直線配置がよく見られる。本尊のブッダ像はかなり奥にあり,手前の灯明の明かりでようやく見える程である。しかも,ガラスが入っているので写真はうまくいかない。僕がのんびり見ていると15人ほどの女性の一段がやってきた。多くはチベット系の顔立ちであり,仏教徒のように見える。

高さ30mの大塔が寺院の中心となっている

寺院も建物に囲まれた狭い空間にある。高さ30mの大塔が寺院の中心となっているが,下からは全景が撮れない。この塔はボーダガヤのマハボーディ寺院に似せた建造物で,16世紀に建立された。1934年の地震で崩壊し,現在のものはその後に再建されたものだという。構造は二段の方形の基壇の上に四角錘の塔が乗せられている。一段目の基壇の上には中心塔の四隅に副祠堂が置かれており,五堂形式(パーンチャラター)を踏襲した構成となっている。

塔の壁面は仏像が彫り込まれており,ガイドブックには総数は9000ともいわれているとなっている。しかし,写真をもとに数えてみると大塔の壁面では1500体くらいのようだ。大塔の背後の建物の3階に上るとことができるので,大塔の全景をとるのならそこがベストである。

彼女たちに本尊の周辺を明け渡し,入り口近くの壁面にある仏像を撮ることにする。半分光があたる位置のものは陰影があり,写真に奥行きが出る。本尊と反対側の面にも仏像が納められており,灯明台越しに写真を撮ったらポロシャツは鳩のフンで汚れ,おまけに灯明の油まで付いてしまった。奥の左側にももう一つの塔があり,こちらは高さが5mほどで,大塔のミニュチュアのように見える。こちらは直に触れることができるので,仏像や神像は赤い粉で染まっている。


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