亜細亜の街角
インドにあるチベット文化圏
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レー  (地域地図を開く)

南のヒマラヤ山脈,北のカラコルム山脈そして西チベットに挟まれたラダック地方は,行政的にはジャム・カシミール州に属しているが,文化的にはチベット世界の一部といってよい。

中央部をチベットに源をもち,ヒマラヤ・エリアとカラコルム・エリアを分ける大河インダスが流れている。その地理的条件によりインド世界から切り離されているように思えるラダックは,中国のカシュガルとインドのスリナガルを結ぶシルクロードの枝道が通っており,レーはその中継点として発展した。

ラダックは近代になりインド世界に組み込まれた。17世紀に絶頂期を迎えた「ラダック王国」は,19世紀にシーク教徒に滅ぼされ,その後カシミールに併合される。

現在はインドとパキスタンとの間でカシミールの領有権をめぐって紛争が続いている。一方,仏教徒の多いラダックの人々は,イスラム教徒の多いジャム・カシミール州からの分離を願っており,地域の情勢は複雑だ。

ラダックの中心都市・レーは標高3,500m。かつての栄華を偲ばせる褐色の王宮が街の北西の山にそびえている。その下に民家が密集する旧市街が広がり,その外側に新しい市街地が拡大している。


レーに到着する

最高地点の峠から3500mの平地に下り,レーのバススタンドには19:15に到着する。旧市街までは1km程度なのにタクシーは100Rpを要求する。あきらめて暗くなりかけた街を王宮を目指して歩き出す。

旧市街の周辺はまるで迷路のようになっており,何人かの人にたずねてようやく「Old Raddak GH」に到着した。しかし,満室のためその向かいにある「Tak GH」のひどい部屋に泊まることになった。

3畳,T/Sは共同,なんとか泊まれるレベルで100Rpもする。もっともここのGHの二階は明るくて居心地の良さそうな部屋になっている。レーの町には新しい宿がたくさんできており,100Rpを出せば,もっと快適なところに宿泊できるはずだ。

足ならしに宿の近くを歩いてみる

レーの王宮は旧市街の背後にある岩山の中腹から街を見下ろしている。夕方5時から伝統音楽と舞踊の催しものの音が聞こえる。少したつと王宮の下のモスクからアザーンが響いてくる。この2つの音にラダックのおかれた複雑な事情が凝縮されている。

ジャム・カシミール州に帰属するようになってから,多くのインド系の人々がこの町に入ってきた。一神教のイスラム教徒と仏教徒が共存するのは難しい。インドにおいて,衰退を続けながらもヒンドゥー教と共存していた仏教にとどめをさしたのはイスラム教徒である。

ラダックの人々は固有の文化を守るためにも,ジャム・カシミール州からの分離を切に願っている。インドではイスラムとヒンドゥーの原理主義が台頭し,政情不安の大きな要因となっている。さらに,隣国のパキスタンやバングラデシュからもイスラム過激派が流入し数多くの爆弾テロが発生している。ラダック地域の平和と伝統文化を守るためには一定の宗教による分離政策も必要であろう。

旧市街の背後にある山を登り王宮に行く。その高さまで登ると旧市街を一望できる。平らな屋根が密集しており地面はほとんど見えない。左にポログラウンドの空間が空いている。インド人がこの土地に入ってきたせいか,人々の新しい生活スタイルのせいか,この街は汚れる一方だ。人目につかない石塀の影は小便の強いにおいが漂うし,下水はゴミで詰まり悪臭を放っている。

メインバザール

旧市街の表通りは旅行者相手の店がたくさん並んでいる。でも,おいしい食事にありつけるところはそれほど多くは無い。写真で見て手前の「IL FORNO」,右側前方の「Pizza Hat」,それに左側少し先のケーキ屋あたりがお勧めである。中でも「IL FORNO」のピザはおいしかった。1枚100Rp以上と高いけれどもそれだけの価値はある。ここの肉料理も悪くない,付け合せに野菜やポテトが付くので野菜不足解消にもよい。

僕は表通りの土産物屋にはあまり縁が無い。レーの町ではせいぜいマンダラやタンカなどの仏画を眺めるくらいだ。中から声がかかり品物を見せてもらうと,品質も良くないし,値段も高い。観光客が増えるとこの種のものはどうしても質が落ちる。

そんな中で,みごとなキルトがウインドーに飾ってあった。刺繍といおうか,キルトといおうか,なんとも味のある布である。でも,大きさが1.5m四方ほどもあり,この先も旅の予定があり荷物を増やせない僕は写真でがまんするしかない。

登校前の子どもたち

朝の散歩のとき商店街の前に子どもたちが集まっていた。服装からするとこれから学校に行くところだ。白いシャツとネクタイはインドの学校でよく見られる。僕としては民族服の方が好ましいと思うのだが。

子どもたちは学校教育を通してどんどんインド化されていく。この子たちは大きくなっても,チベット服を着ることはもう無いのかもしれない。マイナーの文化がどんどんメジャーに吸収されていくのは悲しいことだ。

ヒマラヤは南に

旧市街から南に10分も歩くと田園地帯になる。標高3500mの乾燥地帯にあっても水さえあれば作物が育つ。土地の所有権を明らかにするためか,畑はすべて石垣で囲われている。

したがって必然的に道路は石垣と石垣の間に限定される。視界の開けた場所では,ほぼ南の方角に雪山が見える。マナリからレーへの移動で,あのヒマラヤの山々を越えてきたんだなあと感慨に浸る。

少し高い所から旧市街を眺める

ラダックのチベット仏教

9世紀,チベットにおきた内乱のため,多くの高僧がラダックに避難した。これによりラダックにチベット密教がもたらされた。チベット密教は大乗仏教の後期密教がチベットにおいて独特の形で発展したものである。

ラダックにおける仏教を確立したリンチェンサンポである。10世紀にインドに留学したあと,仏典の翻訳に努めるとともに,ラダックに108の寺院を建立したとも伝えられる。

インドでは13世紀に仏教が滅び,チベットが中国の一部となり,その宗教と文化を喪失する中で,ラダックはシッキムと並んでチベット密教本来の姿を今に伝えている。

チベット密教では,人の意識を効率よく,的確に,速やかに破壊して,一気に本格的覚醒の境地まで引き上げて,ブッダとなすことを目的とした意識革命の教えである。それは一歩間違えば非常に危険なことになるので,強力かつ有能な指導者が必要になる。

そのため,「密教」においては師僧から選ばれた弟子に対してのみ,教義が継承される形態をとる。これが,一般の人々に開かれた「顕教」に対して「密教」と呼ばれる所以である。

基本的な教義は同じでもチベット密教はニンマ派,サキャ派,カギュ派,ゲルク派の4つの主要宗派に分かれており,時に対立抗争を繰り広げながらも,たがいに影響を及ぼしながらチベット密教を今日に伝えてきた。

各宗派はそれぞれ「転生活仏」を頂点にいただいている。「活仏」とは菩薩の化身とされ,転生を繰り返し人々を救済すると考えられている。

活仏が死ぬと,その転生者を探し出し,寺院で引き取り,英才教育を施し,次の活仏とするのが転生活仏制度である。チベット密教の最大宗派であるゲルク派はダライ・ラマを活仏としており,17世紀のダライ・ラマ5世の頃から政教一致の法王=最高権力者としてチベットに君臨してきた。

2008年3月8日の人民日報の日本語サイトには次の記事が掲載されている。 西蔵(チベット)自治区の向巴平措(シャンバピンツォ)主席は7日,「活仏の転生者の決定には歴史的な慣例,宗教上の規則,中央政府の認可という3つの原則および国家の関連法規を守る必要がある」と述べた。

中国では宗教に対しては厳しい規制がかけられている。それは本来の宗教により「共産党一神教」の基盤が揺らぐことを恐れてのことであろう。チベット密教の転生者を選ぶのに国家の承認が必要と堂々と発言されるのがチベットの人々の置かれている状況をよく物語っている。

マトゴンパ

レーの日帰り圏にはたくさんのゴンパ(チベット寺)がある。旧市街から1kmほどのところにバススタンドがあり,たいていのミニバスはそこから出ている。

バススタンドでは3人の日本人旅行者と出会った。ヘミスと書かれたバスが動き出そうとしている。しかし,運転手はヘミスに行かないと言うのではしかたがない。次にマト行きのバスが出るというので,彼らと一緒に行くことにする。

距離は約25km,およそ1時間でマトゴンパの下のバス停に着く。ミニバスの中では笑い話が発生した。車掌が「forty」というのでみんな50Rpをだしたところ実際の料金は「fourteen」であった。最初の人の支払いで正しい料金が分かり,僕は15Rpを出す。

ゴンパはバス停からだいぶ高い岡の上にある。ちょっと自分の心肺機能を危ぶみながら坂を登っていく。ムスリムの生徒を乗せたバスが我々を追い越していく。3人グループの一人は写真家である。重いカメラバッグを肩から下げ,いろいろな視点からゴンパを構成しているさまざまな部分を撮っていく。

建物の屋根に上がる階段がついている。そこに上がるとそこから平地が眺望できる。雪解け水が集まるこの周辺は緑が豊かであるが,そこから少し外れると灰褐色の世界が広がる。ずっと遠くにも緑のまとまりが見える。それらは灰色の荒野に点在する小さなオアシスのようだ。

ゴンパはオアシスの近くの山の上に建てられることが多く,まるでその目印のようにも見える。また別の方角にはインダス川の作る緑の帯が連なっている。

見学者はムスリムの学生であった

マトゴンパの中庭

ゴンパの小さな門をくぐると中庭になっている。ゴンパはチベット寺院に相当するが,日本の感覚のお寺とはかなり異なっている。正確には僧院というべきもので,多くの僧侶がそこで修行に励んでいる。

勤行堂という名称はチベット寺に適用できるかどうかは分からない。そこは寺の中でもっとも重要なところだ。正面にはイスがあり,ラマ(高位の僧)の写真が飾ってある。チベット密教はいくつかの派に分かれているため,ここに置かれている写真はダライ・ラマのものではない。

毎日ある時間にゴンパの僧侶がここに集まり読経をする。乾燥気候のため喉が渇くので,少年僧が何度もバター茶を僧侶の前の湯飲みに注いでいく。

マトゴンパの下にもチョルテン(仏塔)が置かれている

僧侶のための学校

マトゴンパから降りてくると道路の向こうに学校がある。少年たちが僧侶になる勉強をしていた。先生の話では彼らはネパールから来ているとのことである。ネパールでは少年が学べる寺院や学校が少ないらしい。

当然,言語が異なるので彼らはチベット密教に加えて,ラダック語なども学ばなければならないので大変である。年端もゆかない少年たちは親元から離れる寂しさに耐え,元気に学校の裏手にある寮で24時間の共同生活を送っている。昼食時になると,食器をもって外で食べている。そのとき,彼らは普通の少年の顔に戻っていた。

ピクニックの女学生

学校の校庭ではテントが張られ,チベット系の女子学生が輪になって盆踊りのようなダンスに興じていた。好奇心に溢れる日本人4人の一行はこの集団に加わる。彼女たちはレー近くの女学校の生徒で,今日はピクニックに来ているという。

服装は民族服,パンジャビー,ジーンズと多彩だ。集団の3分の1ほどはチベット密教の尼僧の服装をしていた。ここでは,写真をたくさん撮ったうえ,昼食(オレンジジュース,カリー,洋ナシ)までご馳走になってしまった。

昼食の風景

チベット系の少女が近くで家畜の世話をしていた

記念写真

高地適用動物のヤクが道路を歩いている

レーニ戻る

降りたところで待っているとミニバスがやってきてレーのバススタンドに戻ることができた。料金も来た時と同じ14Rpであり,インドのバスはラダックでも,外国人が乗っても定価料金である。

旧市街の人々

旧市街にある宿の周りは迷路になっている。3日もここにいるのに時々道をまちがえることがある。そのような路地を歩き,子どもたちの写真を撮っていたら,おばさんたちから声がかかった。

身振りから彼女たちの写真を撮ってくれということが分かる。カメラを向けると近くのおばさんも参加してくれて集合写真になった。画像を見せてあげるとプリントが欲しいので,この住所に送ってくれとメモを渡された。

旧市街ではそれぞれの家まで水道がいっていない。毎日,朝と夕方に人々は街角の水道から水を汲んでいく。僕の宿には水道が引かれており,水で苦労することはなかった。

宿の主人がポリタンクの水を指差して,「この水は飲料水なので飲んでも大丈夫」と言う。それを信じてペットボトルに入れて飲んでいた。しかしある日…,僕は宿の主人がその飲料水のポリタンクに,ホースを使って水道水を入れているのを発見してしまった。まあ,実害はなかったからいいけどね。

メインバザールの土産物店

旧市街の日常的な朝の風景

今日はバスでヘミスゴンパに向かう

ヘミスゴンパの中庭

レーから45km南にあるへミス・ゴンパは,ラダック地方最大の僧院のひとつである。ラダックの黄金時代,カシミールのイスラム王の娘とラダックの仏教徒王の間に生まれたシンゲ・ナムギャル王によって17世紀に建立された。

08:45のバスに乗り,11:00にヘミスに到着する。帰りのバスは12:15ということなので,駆け足の見学しなる。小さな門をくぐると中庭になっている。正面は岩山になっており,後ろと右に漆くいで化粧されたメインの建物が,左には僧房がある。

左の土壁は木枠により仕切られており,そこにはたくさんの漆くいに描かれた仏教説話と思われる絵が貼られていた。古い壁画を細かく分割し,一枚一枚ここに貼ったようだ。

メインの建物の一部も僧房になっているようで,等間隔で茶色の庇が並び,その下には小さな窓が付いている。

ヘミスゴンパの壁画と仏像

本堂の中に入ると,入口の壁の左右には歓喜仏のすばらしい壁画が残っている。正面には「グル・パドマ・サンババ」の座像がある。

ブッダの祭られている部屋には経典が書棚に納められている。経典は60X20cmほどの厚手の紙に書かれ,それを何十枚かまとめて風呂敷に包んである。僧侶はその紙を一枚一枚めくり,お経を唱える。

六道輪廻図であろうか

これも僧房に見えるが・・・

ヘミスゴンパの中庭というか下の階の屋上といおうか

仏塔が下から見えるようになっている

シェーゴンパ

帰りのバスで,シェー・ゴンパに向かう。このゴンパは山の上にあり,下からの眺めも堂々としている。寺院というよりは城砦のイメージである。

山を登っていくと視界が広がる。巨大な石にチベット文字が書かれ,マニ石のなっている。その上に寺院の建物がある。斜面に造られているため,谷側にはきれいな石積みとなっており,その上に寺院を建てている。

シェーゴンパの壁画と仏像

内部には本堂,副本堂,それにたくさんの僧房がある。副本堂では2人の若い僧が大麦の粉をこねて,仏塔のようなものを作っている。立体マンダラの製作で,それ自体が修行の一部である。

天井からの明かりの中で,二人はひたすら像の制作に励む。この副本堂の壁は小さなブッダの絵で埋め尽くされている。かなり古い壁画のようだ。その上には掛け軸のようななった仏画が飾られている。

本堂には巨大なブッダの坐像がある。1階からはひたすら見上げるばかりで,2階に上がるとちょうどお顔の高さになる。この本堂の壁画もすばらしい。憤怒尊や釈迦如来を題材にしたもの,仏の世界を描いたものもある。薄暗い部屋の中で見る古い壁画は,幽玄さを感じさせてくれる。

ゴンパからもう少し斜面を上る

シェー・ゴンパからさらに尾根筋が延びており,上には砦の跡がある。そこまで登っていくと素晴らしい眺望が楽しめる。生まれてすぐのインダスが平野部を蛇行し,その周囲には緑の楽園が広がっている。

周辺の褐色の大地に比べると,そこはまさしく別天地である。緑はそこだけではない。雪解け水の流れる谷間も,立派な農地が広がり,樹木も多い。

下から仰ぎ見るシェーゴンパ


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