亜細亜の街角
■アラビア海,インド洋,ベンガル湾が一つになる聖地
Home 亜細亜の街角 | Kanyacumari / India / Oct 1999

カーニャクマリ(コモリン岬)  (地域地図を開く)

カーニャクマリはインド亜大陸の最南端にある。ここでアラビア海,インド洋,ベンガル湾が一つになることから,ヒンドゥー教の聖地となっている。ここではベンガル湾から朝日が昇り,アラビア海に夕陽が沈むのを見ることができる。大昔からこの地が聖地とされてきたことがうなずける。人々は早朝には東の空を,夕暮れには西の空を眺め,日中は聖なる海で沐浴する。


ラーメシュワラム→カーニャクマリ移動

ラーメシュワラムからカーニャクマリにバス(250Rp)で移動する。所要時間はおよそ10時間である。移動の途中でいくつかの塩田を見た。海水を引き込み,太陽熱で蒸発させ塩を作りだしている。写真に収めたいと思っても走るバスの中からは思ったようにはいかない。

カーニャクマリは観光地化が進み,ホテルは高くなるし,同時に多くのホテルの建築ラッシュが続いていた。僕の宿泊した「Saagar」は設備もよいが,値段も400Rpと高い。


日課は朝日と夕日の見学

ここでの日課は朝日と夕日の見学である。朝日はV字形の右半分のどこからでも見ることが出来る。僕はホテルの近くの漁師集落で見学していた。毎朝,多くの巡礼者や観光客が暗いうちから海岸に集まり日の出を待つ。色彩の乏しかった水平線の上空は少しずつ赤みが増し,やがて太陽が顔を覗かせると,海を切り裂くように光の束がこちらに向かってくる。人々はおしゃべりを忘れ,刻々と移り変わる色彩の変化に魅せられる。太陽がさらに登り明るくなると,人々は三々五々戻っていく。

夕日はガンディー記念館から眺めた。建物の西面は夕日見物の人々があふれ,場所を確保するのに少し苦労するほどだ。残念ながら,この日は水平線に雲がかかり,夕日は途中からさえぎられてしまう。それでも,わずかな雲の切れ目から,名残の赤い光を見ることができた。周辺の景色は急速に色を失い,人々は夕日の余韻に浸りつつ,夕暮れのひとときを楽しんでいる。


多くの漁師が木を組み合わせただけの小舟で漁に出る

カーニャクマリには漁で生計を立てている人々が大勢いる。コンクリートのホテルを望む海岸には,丸太を3-4本組み合わせただけの小舟が並んでいる。漁師は早朝にこの舟に外付けエンジンを付け,暗い海に乗り出す(見たことはないが日の出の頃には戻ってくるので推測できる)。2-3人の漁師がこの不安定な小舟を操り,漁をして,魚を付けたままの刺し網を乗せて戻ってくる。

漁師は舟を海岸に引き上げ,網からイワシと思われる小さな魚を外す。一隻当たりの漁獲量はそう多くはないようだ。別の漁師はエンジンを取り外し,大事に布にくるんで家に持ち帰る。少し大きな魚やさらに大きな魚を獲るためには,それなりの装備を必要とするらしく,新しい漁船も係留されていた。

日の出から少し経った頃,漁師の居住区で大きな魚を運んでいる人を見つけ後をついていくと,広場で仲買人との間でセリが行われていた。売買はどちらも男性で,魚を見ながら値段を交渉している。大きな魚はインドの物価水準からすると,けっこう良い値段で取引されている。いわしやアジクラスの魚は,漁師のおかみさんが直接消費者に売っている。


ユニークな民芸品もある

カーニャクマリは観光地のため,多くの土産物屋が軒を連ねている。さらに,たくさんの観光グッズの露店もある。中にはユニークなものもあり,ザックのスペースがあれば買い求めたいものもある。貝殻細工はどの店でも扱っており,メインの物産らしい。なかなか凝った作りのものもあり見ていて飽きない。

ヤシの殻を利用した人形もユニークであった。殻の内側の繊維質をほぐして髪とひげにしたもので,そのユーモラスな顔を見て,だいぶ心が動かされた。細い材料を使ったよしず張りに描かれた絵が,クマリ寺院の中で売られていた。絵の題材は動物,舞踊,女性など多彩で,壁掛けにもなる。これも欲しい。しかし,僕の旅は始まったばかりなので,お土産の購入は控えざるを得ない。

急速な経済成長が続くインドでは,貧富の差が拡大しつつある。観光客としてこの地を訪れ,家族で楽しそうにお土産を買い求める人々がいる一方で,メインの通りでは死にそうな老人が素裸に近い状態で横たわっている。人々は老人を一瞥するだけで,無関心を装って通り過ぎる。しばらくして,布を持った人たちがやって来て,老人をくるみ運んでいった。


人々は聖地の海で服を着たまま沐浴する

ガートに続く海は沐浴場というよりは海水浴場になっている。人々は思い思いの服装で海と戯れている。ガートから少し離れたところに岩場がある。インド洋の荒波はこの岩場に遮られ,内側は安全地帯になっている。岩場の外では2mを越す波が押し寄せてきており,僕は大きな岩の上で次々と押し寄せ,岩に砕ける波を飽きもしないで眺めていた。日本ではとても考えられないような時間を過ごすことも,旅の面白さの一つだ。

岩場には隙間があり,そこから波が入り込んでくるので,安全地帯でもけっこう楽しむことができる。子どもたちは波が来る度に歓声をあげている。若い女性のグループはパンジャビードレスのままで波と戯れている。彼女たちはカメラを持参してきており,仲間同志で写真をとっている。僕もこれに便乗してポーズをとっているろところをとらせてもらう。すると,その中の一人が近づいてきて,一緒の写真に入ってというので喜んで承知した。彼女たちは女子大生で,全員寄宿舎に入っており,今日は遊びに来たとのことであった。


人々の暮らし

観光地化が進んでいるとはいえ,カーニャクマリの町を歩くと人々の生活が見られる。朝の漁師地域ではサリー姿の女性たちが朝ごはんの支度をしている。すでに食事を終えたのか,鍋やごはんのついた金属製の食器を洗っている人もいる。毎日どのような洗い方をするのか,鍋はぴかぴかに磨かれている。鍋のきれいさはよい妻の条件なのかもしれない。

家の横の路地では仔ヤギが乳を求め母親の下にもぐり込み,鼻先で乳房を突き上げる。すると母ヤギはおとなしく乳を飲ませる。登校中の小学生は,制服であろうか,緑色のチェックの上着と緑のズボンを組み合わせた,なかなかすてきなパンジャビー姿である。低学年の女の子にはスカート姿も見られる。ほどんどの子どもたちははだしであった。

いくつかの屋台では,アジに似た魚を油で調理しチリソースをつけたものが売られている。外観は真っ赤なので,さそがし辛いだろうと小さなかけらをいただくと,思ったほど辛くはなかった。残念ながらこのような屋台は,チリ魚を売るだけで食事はできない。



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