亜細亜の街角
シライ市に出かけ人力トロッコで遊ぶ
Home 亜細亜の街角 | Bacolodo / Philippines / Mar 2009

砂糖の島   (地域地図を開く)

ネグロスは西のパナイ島と東のセブ島に挟まれた面積12,706km2(四国の2/3),人口400万人の島である。ネグロス島の中央を南北に山脈が走っており,島を東西に分断している。島の東部は低い山々が海岸まで迫る地形になっている。一方,島の北部と西部は広い平野になっており,肥沃な土地は広大なサトウキビ農園に占有されている。

フィリピンを征服したミゲル・ロペス・デ・レガスピとその部下たちが1565年にこの島に到来したとき,出会った先住民族であるネグリートの人々の肌が暗いことからこの島を「ネグロス」と呼んだ。これがそのまま島の名前として現在まで使用されている。

島を東西に分断する山脈は民族的にも分水嶺となっている。西側ではビサヤ諸語の中でもイロンゴ語(ヒリガイノン語)が主要言語となっており,東側はセブアノ語が主要言語となっている。行政も東ネグロス州と西ネグロス州に分かれており,バコロドは西ネグロス州の州都である。バコロドの人口約43万人はネグロス島の総人口の1割に相当する。

ネグロス島はフィリピン最大の砂糖の産地であり,「フィリピンの砂糖つぼ」,「シュガー・アイランド」とも形容されている。特に西ネグロス州は国内の砂糖の半分を生産し,サトウキビのプランテーションが肥沃な平野の大部分を占めている。ヴィクトリア市にある製糖工場は世界最大級のものである。

ネグロス島では可耕地の約70%がサトウキビ・プランテーションとなっているため,農業・経済は全面的に砂糖生産に依存したモノカルチャーとなっている。食料の自給体制は極めて低く,ほとんどが他の島から運ばれてきている。

プランテーションは地主が所有し,900家族が東京都よりも広い24万haの土地を所有する大土地所有制となっている。単純に計算すると一家族あたり250haである。その一方で島民のおよそ75%は日雇い農業労働者となっている。

フィリピンを支配したスペインは,内陸部の人口が少ないネグロス島に目をつけ,大規模なサトウキビ農園を造成するようになった。同時に農園の労働力として多数の人々を近隣の島から移住させた。

スペイン人が支配する大規模なサトウキビ農園には教会,市場,学校などの社会的インフラが整備され,それ自体が一つの社会となっていた。その形態は「領主」と「領民」の関係に近かった。

この植民地時代そのままの体制が現代まで引き継がれてきたことは驚くべきことである。日本は米軍統治時代に農地解放を実現させたが,フィリピンは米国の植民地時代にも大土地所有制は温存された。両者の極端な貧富の格差はフィリピンの置かれている状況を象徴するものであり,そのためネグロス島は「フィリピンの縮図」とも形容されている。

このような貧富の格差により1970年代から新人民軍(NPA)の武力闘争が激化した。国軍は大規模な軍事作戦を行い内戦状態となった。山間部の農村は戦闘と国軍による掃討で破壊され,多くの避難民が出た。1990年代半ばにNPAはほぼ壊滅したが,内戦の後遺症により村へ帰れない難民も多い。

フィリピン民主革命により生まれたアキノ政権下では土地所有の不平等を解決するため「包括的農地改革法」を制定し,農地の強制収用や再配分を実現しようとしたが地主の抵抗が強く目標は達成できていない。再配分された農地でも地主に雇われた民兵が暴力で生産を妨害する事例も多発しており,農地改革はまだまだ道半ばといった状態である。

サン・カルロス→バコロド 移動

07:30にセレス・ライナーのバスターミナルに到着する。立派なバスターミナルで黄色と白に塗り分けられたセレスのバスがたくさん停車している。近郊に向うジープニーも周辺に待機している。

バコロドまでのバスは北の海岸回りのものと山を横断するものがある。僕は横断ルートのエコノミーを選択した。料金は112ペソ,08時出発,10:30到着なので,北回りよりは時間も費用も節約できる。窓が大きくバスが動き出すと風が入ってくるので十分に涼しい。出発してすぐに上りが始まり600mあたりの高原地帯を走る。

周辺にはサトウキビ畑にまじって水田も多い。地形によってはきれいな棚田状の水田も見られる。田植えから1ヶ月くらいだろうか,水田は青々としている。サトウキビのような商品作物一辺倒の農業から食料の自給を達成する農業への転換が少しずつ浸透している様子を見ると,この島の将来に少し希望が持てるような気になる。

バスはネグロス島の「チョコレート・ヒル」の近くを走る。きれいな円錐形ではなくかなり形の不ぞろいの小山が並んでおり,本家のものとはだいぶ趣が異なる。

バスは山中にある滝の展望台のところで10分ほど停車してくれた。これはありがたいサービスであった。この辺りの標高は800m近く,山の上は雲がかかっている。滝の落ち口は少しえぐれており,そのため洞窟から水が流れ落ちるように見える。

山を下り平地に出ると一面のサトウキビ農園となっている。これが西ネグロスを代表する風景である。農地改革が進んでもまだ大地主の所有する農園は解体されていない。

Baldevia Pension House

バコロドのバスターミナルからジープニーで中心部に移動する。ガイドブックには500ペソ以下の安宿は掲載されていない。確かにいくつかの宿を当たってみても700ペソが下限となっている。

バコロド・ペンションハウスは418ペソの部屋が一つだけあるが僕の訪れた日は埋まっていた。ということで初日は638ペソの部屋に泊まり,二日目は安い部屋に移動することにした。

最初の部屋は10畳,トイレ・シャワー付き,エアコン付きでとても清潔である。しかし,冷房は性に合わない。僕の部屋のエアコンを止めても両側の部屋が冷やしてくれるので寒い。長袖のトレーナーの上下を着込み,シーツを被って寝る。二日目の部屋は4.5畳,トイレ・シャワー付き,ファン付きで清潔である。ただし,ゴキブリが多く何匹かを靴底でたたくことになった。

<ビザ延長と航空券手配

バコロドではビザの延長とイロイロ→マニラの航空券の手配を予定していた。しかし,この日は市庁舎は休みだったので,ビザ延長はイロイロまで持越しである。

航空券は近くにPAL(フィリピン航空)の公式代理店があったのでそこで手配する。指定の用紙に必要事項を記入して料金をたずねると2500ペソであった。このとき記入用紙には「from」の欄がないことに気が付かなかった。

担当者は早朝と夕方の便ならば1780ペソだと告げられ,料金の方に意識が行ってしまい,イロイロ発マニラ行きという重要事項をすっかり失念してしまった。「それでは夕方の便にしてください」とお願いしたが,それはバコロド→マニラのフライトであった。

イーチケットが発券され,代理店を出てから15分後にそのことに気が付いた。バコロドとイロイロの間の高速船は片道224ペソなので,午前中にイロイロを出てバコロドからマニラに飛ぶという選択肢もあったが,マニラ到着が夜になり,タクシーを使用しなければならない。

(う〜ん)と5分ほど考えてからやはり航空券を変更する方を選択した。さきほどの代理店に行きチケットの変更を申し出る。変更手数料は480ペソ,新しいチケットは1970ペソであった。

サン・セバスチャン教会

バコロド中心部の道路は北東・南西方向のガシスラオ通りに対して北西・南東方向のブルゴス通り,リサール通り,ルズリアガ通りが交差している。リサール通りを挟むように広場とサン・セバスチャン教会が向かい合っている。この二つはもっとも分かりやすいランドマークである。

サン・セバスチャン教会は石造り,両側に高い鐘楼をもつ堂々とした建物である。鐘楼がかなり高いため道路の反対側(広場の端)から写真を撮ろうとしても先端部ははみだしてしまう。

スペインの統治時代の19世紀に建造されたサン・セバスチャン教会は切妻屋根の長方形の建物の両側に幅の狭い側廊が付加されている。これはローマに起源をもつバシリカ様式を踏襲するものだ。

ヨーロッパ建築の起源はギリシャ・ローマにあり,中世にはロマネスク,ゴシック,ルネサンス,バロック,ロココと時代により建築様式が変遷してきたが,教会建築の基本はバシリカ様式を基本にしている。

もっともバシリカ様式の平面図は長方形であり,教会建築ではこれに一工夫を加えている。もう一つの長方形の建物をを交差させて平面図を十字架形にしている。これを十字架プランという。

切妻屋根の二つの建物が交差するところに大きなドームを乗せる様式も多い。入り口から見てこのドーム空間の背後に,つまり十字架の上部にあたるところには聖壇が設けられている。

教会建築に固有のもう一つの特徴は正面入り口の両側に高い鐘楼を設けていることである。この十字架形状の礼拝堂本体と鐘楼,ときには大きなドームがローマ・カソリック教会建築の基本となっている。

礼拝堂はかなりの奥行きがあり,アーチ型の天井を両側に並んだアーケードで支える構造となっている。正面の祭壇には十字架を担いだイエスの像が神の家に納められている。側廊の壁面はステンドグラスの入った窓となっており,内部の照明とあいまって明るい礼拝堂空間となっている。

礼拝堂に飾られている十字架のイエスは手足に打ち付けられた釘までがはっきり分かるようになっており生々しい。別室には黒い肌の聖母子像が置かれている。これはフィリピンでも珍しい。

ガツスラオ通りを北東に歩く

ネグロス博物館を見るためサン・セバスチャン教会からガシスラオ通りを北東に向かう。通りの両側には大学や新しいショッピングセンターがあり,きれいな街並みが続いている。その先には州庁舎,ネグロス博物館がある。

決して大きくはないが重厚で均整のとれた建物である。ネグロス博物館はなんとなく違和感が感じられた。ガイドブックの写真と見比べると,最上部に並んでいた小窓が塗るつぶされている。そのためのっぺりとした印象を受けたのが僕の違和感の原因のようだ。

キワタ(Bombax ceiba)の木を発見する

街に戻る途中,「キワタ」の木を見つけた。キワタ(木棉)はアオイ科(クロンキスト体系や新エングラー体系ではパンヤ科)・キワタ属の落葉高木である。

和名のキワタは「木に生る綿」の意味であり,漢字では木棉となる。原産地が熱帯アジアということでインドキワタ,インドワタノキなどとも呼ばれている。

原産地は熱帯アジア,樹高は20-30m,幹は直立することが多く,円錐状の突起に覆われている。枝は水平に伸びる性質がある。この枝が水平に伸びる樹形が識別の一つの決め手になる。

落葉樹でありサクラのように赤い花が葉よりも先に開くのでこの時期のものはとても目立つ。花は5弁で大きさも形も椿の花に似ており,花弁が基部でつながっているため花が落ちるときも椿のように花弁全体がぽろっと落ちる。

花の後には20-30cmほどの緑色の細長い紡錘形の果実がたくさんつく。この状態のキワタもとても目立つ。実が熟すと表皮は茶色に変わり,内部に詰まっている白い繊維質がはじける。

この繊維質が綿花と似ているので「キワタ」という名前が付けられた。実際,集められてクッションなどの詰め物に利用される。

本家のワタと同じように,この繊維質の中に種子が入っている。ワタはこの種子を風に乗せて運搬する役目をもっているようだ。繊維が切れて小さな塊になると,十分に風に乗ることができる。それに対して大きな塊のままだとそのまま下に落下してしまう。

この木の根元にはそのような繊維質の塊がたくさんあり,内部の種子を見ることができた。あった,あった・・・あずき大の黒い種子である。繊維質はワタに比べるとずっと柔らかく,短い。そこには小さな塊になって飛距離をかせごうとする戦略が見てとれる。

枝にぶら下がっている実は表皮がきれいにはじけて内部の繊維質が出ているものと,一部しか出ていないものがある。内部の圧力がうまくかからないときれいに開裂しないようだ。

キワタを調べていて Ceiba pentandra(パンヤノキ)と Bombax ceiba(キワタ)が日本のサイトではずいんぶん混同されていることが分かった。パンヤノキ(Kapok)の原産地は熱帯西アフリカおよび熱帯アメリカ,樹高は60-70mにもなり巨大な板根をもつ。

枝全体にサクラのように白い花を咲かせ,15cmほどの紡錘型の果実を付ける。種子は白い繊維質の中にくるまれている。

キワタとパンヤノキが混同された原因は学名にある。「 Bombax ceiba」の学名が先にリンネにより付与されているにもかかわらず,「ceiba」という名称が異なる植物の属名に使用されたことが混乱をまねいた。同じ名称を学名の属名と種小名の両方に使用した植物学者の罪が重いようだ。

印判屋,これは手彫りなのだろうか

商店街の歩道で印章屋を見かけた。ゴムの板に顧客の要求内容を彫り込み,木の台を取り付けると完成である。対象物が小さいので机一つが彼の仕事場である。机の上には商品見本が並んでおり,丸型のものなどはずいぶん複雑である。

彼の仕事の始めのところは見られなかったので,下絵をゴム板に貼って彫り出すものなのか,下絵を見ながら直に彫るものなのかは分からない。このスタイルの印章屋はセブ・シティでも見かけたのでけっこういい商売になるのかもしれない。

ホールチキン,これはおいしそう

ブレドコ埠頭でイロイロ行きの高速船の時間を確認する

イロイロ行きの高速船の時間を確認するため5kmほど離れたバナゴ埠頭に行こうとした。ジープニーで目的地に行くのはずいぶん大変だった。バナゴと表示されたジープニーに乗るとそのあたりを回ったあげく町の南側で降ろされた。

言葉の通じない外国人は州庁舎の前あたりから北東に向かうジープニーでないとバナゴ行きは難しいようだ。しかも,バナゴではイロイロ行きの船は街の中心部から1.5kmほど離れたブレドコ埠頭から出ていると教えられ,がっかりしながら街に戻ることになった。

ブレドコ埠頭に行ってみると「Weesam Express」と「Ocean Jet」の運行表が見つかった。Ocean Jet は06:15/07:45/9:15/10:45 と1.5時間に1本出ており,Weesam Express はその15分後に出ている。

申込書に氏名,年齢などを記入して提出しなければならないのでチケットの窓口はかなり混雑している。明後日の06:15に乗りたかったので,混雑に備えて事前にチケットを買っておく。これは結果的に正解であった。

高速船が発着する港の北側500mくらいのところにも大きな埠頭がある。本来は北側の大きなものがブレドコ埠頭である。高速船の発着する港の正式名称は「Bacolodo Roll-on Roll off Port」であり,西に突き出した砂州の一部をを利用したものである。

地元ではこの二つの港湾施設はまとめてブレドコ埠頭と呼ばれているようだ。埠頭に停泊しているオーシャン・ジェットの船を眺めている時,水中に多数の黒い物体が漂っているのに気が付いた。じっと目を凝らすとクラゲであった。黒いクラゲなんてありかなあ…。

ブレドコ埠頭の風景

少し歩くと自然の海岸に出る

湾内に停泊している赤い船は木造船のようだ

この漁師の施設はボルネオ島マレーシアでも見た

水上フェンスのように見えるが・・・

子どもたちの多い路地

ブレドコ埠頭はブルゴス通りの突き当たりにある。街を北西・南東に分断するガシスラオ通りとブルゴス通りの交差点から北西側は小さな家屋が密集した地域となっている。

この家屋密集地域の西側500mほどは港湾施設や商業施設のための区画整理された土地となっており,再開発もしくは埋め立てが行われたようだ。

もう25年くらい前にバコロド市のゴミ処分場(分別無しにゴミを集積する巨大なゴミ捨て場)はかって海岸近くにあり,そのゴミから金属やプラスチックを回収して生計を立てている人たちのことを聞いたことがある。

現在,そのような処分場は見当たらないので,その跡地を再開発したのかもしれない。フィリピンでは第一次産業からはじき出された人々を雇用する機会は非常に少ない。そのため,廃品の回収で生計を立てる人々はゴミ山の周辺にバラック小屋を建てて住み着くことになる。

生ゴミを含むあらゆる種類のゴミが混在する極めて劣悪な環境で子どもたちも働かなければならない。かってマニラにあったスモーキー・マウンテンはつとに有名である。

このようなゴミ山を移動させ都市の再開発が行われる事例は多い。しかし,再開発でゴミの山が消えてしまうと,この人々は生活手段を失ってしまうのだ。この住宅密集地の路上には自転車トラシクルが並んでおり,この地域の人々がそれでなんとか生計を立てていることがうかがわれる。

ところどころに路地が交差しており,そこは子どもたちの遊び場になっている。カメラを向けると顔を前に突き出すようなポーズをとってくれた。君たちけっこう写真慣れしてるんだね。

近くにパイナップルの切り身を売っている露店がある。小ぶりのパイナップルを半分を切って袋に入れたものは10ペソである。これを買って子どもたちと一緒にいたただく。彼らは汚れた手を洗うこともなく平気でパイナップルをつまんで口に入れていた。

人間の体には免疫という機能が備わっており,外部から体内に侵入してくる異物に対して防御反応を働かせる。この機能があるので人間は多少の雑菌が体内に入ってきても病気にならずに済む。

ひるがえって,日本では清潔志向が病的にまで強くなり,多くの抗菌グッズが生活の中に入ってきている。子どもたちは外で土に触れて遊ぶことも少なくなり,その結果,免疫機能は十分には発達できなくなっている。

ここの子どもたちは健全な免疫機能を有しているにちがいない。それにしてもやはり物を食べる前には手を洗った方がいいよと老婆心ながら忠告したくなる。

早朝06:30に宿を出る

バコロドの北30kmくらいのところにビクトリアという町がある。そこには世界最大級の製糖工場があり,5月から7月までは工場見学ができる。ここの工場見学も楽しみの一つであったが,3月ではどうのもならない。

代わりにその手前にあるシライに行くことにする。ここではうまくするとサトウキビを運搬する蒸気機関車が見られるかもしれない。06:30に宿を出る。街はまだ活動しておらず朝食の屋台も見つからない。

ジープニーは動いているので北バスターミナルに行き,食堂でごはんと目玉焼き(20ペソ)をいただく。近くの市場ではスイカが主要商品となっており,ココナツ,ジャックフルーツ,バナナの雄花などは隅に追いやられている。

シライ市の風景

ネグロス島の北端にあるカディス行きのバスが見つかったので乗り込む。道路状態は良好で30分ほどで町に到着した。幹線道路沿いにコロニアル風の建築物が残っており,中でも中央に銀色のドームをもつ大聖堂は絵になる。

少し斜めから見るとこの大聖堂は十字架プランとなっていることが分かる。バコロドのサン・セバスチャン教会は上から見ると長方形となっている(長方形プラン)。

それに対してシライの大聖堂の上面図は二つの建物が交差する十字架の形状をしており,その交点に大ドームが乗っている。この様式はキリスト教の古い教会ではよくみられる。

日曜日なので中ではミサが行われている。四列のベンチ型イスはほぼいっぱいである。礼拝堂から見てドームの後ろ側には祭壇のための半ドームの空間がある。

教会建築の専門用語ではこの部分は後陣と呼ばれている。そこには神の家があり十字架を掲げるキリストの両側に聖母像が置かれている。

かってはプランテーションから製糖工場に収穫したサトウキビを運搬する狭軌の鉄道が島内を行きかっていた。現在ではトラック輸送が主流となっており,鉄道輸送はごく一部にとどまっている。

シライの町には蒸気機関車はおろかサトウキビ畑も見当たらない。町のカフェでたずねてみたがどうも要領を得ない。思い余って蒸気機関車がサトウキビを満載した貨車を引くつたない絵を描くと何とか分かってくれたようだ。

となりの男性が「ハワイアン・フィリピン・カンパニーだろう」と言うので大きくうなずきながら「その製糖工場だよ」と答える。「う〜ん,ここから4-5kmビクトリア方向に行ったところかな,バスで行くといいよ」と言ってローカルバスに乗せてくれた。

幹線道路沿いにコロニアル風の建築物が残っている

ここでしか見られない人力トロッコの乗り場がある

車掌には「ハワイアン・フィリピン・カンパニー」と告げておいたので,ちゃんとそこで降ろしてくれた。結局,バコロドからのバス料金は32ペソとなった。道路の横にはサトウキビを満載したトラックが何台も停まっている建物がある。その背後にはさび付いた貨車が並んでいるが,使用されているようには見えなかった。

もっとも,この日は日曜日なので工場は休日のはずだ。しかし,1-2km離れたところには製糖工場と思しき建物があり,煙突からは白い煙が上がっている。

幹線道路を横断するレールがあり,ビクトリアに向って左側にここでしか見られない人力トロッコの乗り場がある。このトロッコは普通の小型トロッコの前の部分に自転車のペダルが取り付けてあり,チェーンを介してトロッコの前輪を駆動するようになっている。

トロッコの上にはベンチが取り付けてあり,乗客はそこに坐るようになっている。何台ものトロッコが道端に並んでおり,乗客が集まるとトロッコをレールの上に移動させる。

乗客が乗ると二人の男性がトロッコを押し,動き出すと片方の男性がペダルをこぎ出す。時速は10kmには達しない,線路のつなぎ目ではガタンと振動が加わるが乗り心地は悪くない。トロッコに乗りながら両側に広がるサトウキビ畑の写真を撮る。なんともいいね。

周辺はサトウキビ畑になっている

草の生えた狭い線路を人力トロッコが走る

自転車のようにこいでトロッコを動かす

この人数が乗っているので相当の負荷になる

単線なので対抗車両があるとどうするか

線路は単線なので対向車が来ると困ったことになる。双方のトロッコを止め,片方のトロッコを線路から下ろし,相手の車両を通してから再び線路に戻して動かすことになる。このトロッコ路線は2kmほど先までありそうだが,僕は1kmあたりで降ろしてもらい,逆方向に向うトロッコの写真を撮る。

対向車両がいなくなると再び線路に乗せて走り出す

サトウキビから上白糖を製造する工程

ネグロス島にある製糖工場ではどのように砂糖が作られるのであろうか。世界で生産される砂糖のうち65%はサトウキビ,35%はテンサイから作られる。他にも少量ながらサトウヤシ,サトウカエデなどからも砂糖は作られる。

サトウキビは竹のようにすらりと直立した茎をもち,そこからススキのような葉がたくさん出ている。花もススキそっくりであり,実際サトウキビにもっとも近縁の植物はススキであると言われている。

サトウキビを刈り取り,先端部の葉と茎に付いている枯葉を取り除き,茎だけの形にして製糖工場に搬送される。サトウキビの茎を切断,粉砕して圧搾機にかける。

繊維質のかす(バガス)を除いたしぼり汁に石灰を加える。これはさとうきびの微酸性を中和すると同時に,不純物を沈澱させて除去するためである。

沈澱物をろ過したあとの液を濃縮し,遠心分離機でショ糖の結晶と糖蜜を大まかに分離したものが粗糖(原料糖)である。国際的に取引されるのがこの粗糖であり,輸入国では粗糖をさらに精糖工場で精製して白砂糖にする。

沈澱物をろ過したあとの液を煮詰めたり真空状態で濃縮して水分を除去すると黒砂糖ができる。黒砂糖は蜜を含んでいることから含蜜糖と呼ばれており,サトウキビに含まれるミネラル分がそのまま残っている。

製糖工場からの廃棄物は二種類ある。サトウキビの絞りかす(バガス)は製糖工場のボイラーの燃料として使用されることが多い。糖蜜は黒いタール状の物質で従来はやっかいな廃棄物であったが,現在では黒砂糖に混入したり,いくつかの食品の原料として再利用される。

廃糖蜜を培地にしてグルタミン酸を生成する微生物を養い,化学調味料を製造する。日本で発明されたこの化学調味料は中国や東南アジアで広く使用されている。

廃糖蜜を培地としてパンの製造に適した単種の酵母(イースト)を増殖させる。これに対して自然の産品に付着している酵母は天然酵母として区分される。

廃糖蜜には糖分が含まれているので微生物の力でアルコール発酵させ,それを蒸留させてラム酒や醸造アルコールを製造する。最近ではバイオエタノールの生産が急速に伸びており,今までじゃまものであった廃糖蜜が資源として見直されるようになった。

雨宿りの家

近くに小さな集落があり,5-6歳の女の子がサトイモを大きくしたような根塊を洗っている。写真のお礼にヨーヨーを作ってあげようとすると,あっというまに7-8人の子どもたちが集まってきた。君たちの分は無いよというわけにはいかないので人数分を作ることになる。

この異国のおもちゃは子どもたちには大人気である。一部の子どもたちは近くの集落に報告に行き,僕がトロッコの写真を撮っていると10人くらいの子どもたちが遠巻きに眺めている。

さすがにこの人数分は作れないので幹線道路に向って戻ることにする。ヨーヨーの家でも一度雨が降り,帰り道でも再び強い雨になり近くの民家に逃げ込むことになった。

二回目の雨のため雨宿りをさせてもらう

ときにはこんな光景にも遭遇する

この畑は畔を作って灌漑している

さすがに歩くよりトロッコの方が早い

ハワイアン・フィリピン・カンパニーの計量所

雨の合間をみながら幹線道路に出る。さきほどサトウキビを満載したトラックが停車していた建物の裏手で古びた貨車の写真を撮っていると三回目の雨になる。今度の雨は長い時間降り続き,ひまな時間を過ごす。

この建物はトラックで運ばれてきたサトウキビの計量所のようだ。しかし,僕が雨宿りでひまな時間を過ごしている間,職員は全然働く様子は見られなかった。

その間もトラックは集まってきて,10台くらいが滞留している。こうして見ると,サトウキビ運搬はもうトラックに代わっており,蒸気機関車が貨車を引く光景はこのあたりでも見られそうも無い。

バコロドの街中にジャックフルーツが実をつけている

おすまし顔だね

ネット利用のためSMシティの商業施設に行く

広場の北西側にはSMシティという巨大なショッピングモールがある。ルズリアガ通りの北東側と南西側に二棟の建物があり,道路をまたいで連絡通路がある。ここには映画館,ゲームセンター,ファストフード店,スーパーマーケット,ショッピングセンターが集まっており,町の新名所になっている。

フィリピンの巨大ショッピング・モールといえば「ガイサノ」であったが,最近ではSMシティがその主役となっている。広い敷地に駐車場を備える二階建ての近代的なモールは日曜日なのでずいぶん混雑していた。

ここにはフィリピンで目にするほとんどのファストフード・チェーンが入っており,その盛況ぶりには驚かされる。僕はここなら日本語のインターネット環境があるのでは期待しながら来てみた。

なにしろ建物が二棟あるうえに店内が広くて探すのに手間取った。一階の中央は広い通路になっており,そこには小さなメリーゴーラウンドが置くことができるくらいの空間がある。さらに,機関車トーマスをパクったような電動の汽車すら走れるようになっている。

ようやく見つけたネット・ショップは1時間で45ペソと高いけれど,ちゃんと日本語IMEがインストールしてあった。これでようやくフィリピンに入って二回目のメールを出すことができた。

広場に戻るとき周辺の道路が異常に渋滞している。警察官が一部区間の交通を止めていた。渋滞をよそに交通規制はしばらく続いていた。これは何のため,実はVIPが通るというだけのことであった。それならばパトカーや白バイが先導するだけでいいのに,なんとも人騒がせな交通規制であった。

ゴールデン・フィールドまで歩いてみる

ガシスラオ通りを南西に行くとクランク状になっておりさらに南西に向かって空港行きの道がある。その途中にゴールデン・フィールドと呼ばれる娯楽施設が集中している地域がある。

日本のマンガやアニメ文化はそれなりに浸透している

新しいタイプのジープニーも出てきている

見るからにおいしそうな豚の丸焼き
内臓を取り出して香草を詰めてある

歩いているといくつかの露店が出ている。豚の丸焼きがそんなところにある。内臓を取り出して香草を詰めてあり見るからにおいしそうだ。この料理はフィリピンではよく見かけたので,少なくともビサヤ諸島では定番のご馳走なのだろう。ここの屋台では肉を削り小分けにして販売していた。

この子たちには一人ずつの写真を撮らされた

露店の近くでは子どもたちが遊んでいる。「そこに並んで」と言うとフェンスのところにちゃんと並んでくれた。やはり女の子はフレームを作りやすい。問題はその後であった。何人もの女の子から「一人で撮って」という要求がきた。おかげで6枚ほど追加で写すことになった。

ゴールデン・フィールドには商業施設があるだけだ

近くにはガイサノの新しい建物がある。ガイサノはSMシティと並ぶフィリッピンで最大級の商業資本で,各地に大きなショッピング・モールをもっている。日本のデパートと同様に,立派な商業施設の物価は高いので買物はしたことがない。

ゴールデン・フィールドはバーやカラオケ屋が集まっている一画でまったく見る価値はなかった。こんなつまらないところはガイドブックに載せないでくれと言いたくなる。がっかりしながらジープニーで戻ることになった。

肉屋はこのようになっており慣れないとちょっときつい


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