亜細亜の街角
チェンライとメーコック川で結ばれた町
Home 亜細亜の街角 | Thaton / Thailand / Mar 2001

チェンライとメーコック川で結ばれた町  (地域地図を開く)

ファン→タートン移動

チェックアウトし,三輪自転車で市場に向かう。運転者の言い値は20バーツであったが,交渉の結果,10バーツなる。しかし,よく見ると60歳くらいのおじいさんだったので15バーツを手渡す。朝食を忘れて動きだしたミニバスに乗る。タートンへの道は片側2車線にする工事中で埃っぽい。

きれいな田園風景を楽しむ間もなく約1時間でタートンに到着する。メーコック川の方に歩いていくと立派なホテルやこぎれいなレストランが並んでいる。

ゲストハウスを探しながら橋を渡る。川沿いにあるチャンカセムGHに200Bで泊まることにする。部屋の広さは10畳,トイレ・シャワー付き,2つのベッドがある。ベッドとシャワー室は清潔で居心地はよい。

メーコック川の風景

シャワーを浴びベッドで横になり一休み。幸せな瞬間である。昼食は同じ敷地にある食堂で川を見ながらフライドヌードルをいただく。ゲストハウスには2人の娘さんがおり,年上の方は英語が少しできるのでそれからの注文は彼女にお願いする。

メーコック川では子供たちが水遊びに興じている。川幅は約100m,水深はせいぜい中学生の腰あたりまでの深さ,ちょっと土色だが水もきれいである。男の子は短パン,女の子はTシャツとズボン姿で,写真を撮ろうとカメラを向けると逃げ出してしまう。

中学校を発見

ミニバスに乗って山の村へ移動する。分岐点の右手に学校がある。すでに授業は終了している。中学生の英語は力はまったくダメで会話にならない。折り鶴を教えて記念撮影となる。

アカ族の村を訪問

道路を挟んだ向かい側に見えるアカ族の村に歩いて行く。村にいるのは未就学児童が10人ほどである。実は子どもたちはまだ学校から帰ってきていなかった。

集団下校の子どもたち

16時になり,帰りの時間が気になりだした頃,赤い旗を先頭に3グループに分かれて集団下校してきた。不思議なことに全員手ぶらである。教材はすべて学校で補完しているようだ。

子どもたちの写真を撮っているとアカ族のおばさんにつかまり,プロミスリングを売りつけられる。言い値は20バーツととても高い。5バーツに修正し,6個30バーツで商談は成立。チェンライからの観光客が高値でも買うので,このような言い値になっているようだ。

この商談でミニバスを逃し,後は45分待っても1台も来ない。あきらめて次の村まで歩き,バイクタクシーでタートンに戻る。

イスラエル人の旅行者

06時に起床。寝心地は最悪であった。となりのアップルから女性の大きな笑い声と叫び声が01時すぎまで断続的に聞こえる。欧米人の旅行者が楽しんでいるようだが,回りの迷惑を考えてもらいたいものだ。

朝食は宿の食堂でフライドライスをいただく。おじさんの調理はカリカリになるまで炒める。でも味は悪くない。キュウリを付けて25バーツの朝食である。

横のテーブルではイスラエル人の旅行者がコーヒーを飲んでおり,会話が始まる。タイの食事は口に合わない,タイからオーストラリアに向かう,航空券は(イスラエルからの全行程からかは不明だが)1500ドル,ヘブライ語は3000年の歴史をもつなどずいぶん離してくれた。

タートン寺

橋の見下ろすように立っているタートン寺に行く。下から見上げると白い観音様がとても目立つ。登ってみるとこの観音菩薩像は高さ10mもある巨大なもので,この寺が中国の影響を受けていることが理解できる。

観音寺院の横の幼稚園を訪問

寺の横には幼稚園がある。3-5才児がざっと50人,盛況である。子供たちの服装はこぎれいで,水筒とおやつを持参している。ここでは写真をとるかたわら1時間も保父さんを経験する。

一人を抱き上げてやると次から次へ希望者が多くこれだけでも疲れる。ツルを折ってあげるとこれも希望者が尽きず,自分で作らせることもできず結局8羽を折ったところで本職の保母さんに引き継いでもっらた。

ミニバスに乗ってラオター村に向かう

ミニバスに乗ってリス族のラオター村へ行く。ガソリンスタンドのある大きな分岐点で下車する。ここには茶店があり,クイティオ(クァイティオ,クイティアオとも発音)・ナームをいただく。

タイの麺はコメのものと小麦のものがあり,コメ麺は一般的にクイティオという。ナームは水,液体を意味するようで,クイティオ・ナームはスープ麺となる。ベトナムのフォー,フーティオと同系統の食べ物である。

少し遠くの山からは焼畑の煙が上がっている。ここからラオター村へは歩いて30分,周辺の畑は移動耕作ではなく定住農業になっている。また,果樹園も多く,豊かな村であることが推測される。村の入り口にはきれいな衣類が捨てられている。リス族は死者の衣類や持ち物を村の結界の外に捨てる慣習があるためだ。

村の地面はコンクリートであった

村に着いて驚いた。家はみんなコンクリート造りで,家の周囲の地面もコンクリートで覆われている。女性は伝統衣装を着ているが写真はすべて断られる。小さな子守の女の子だけがとても良い被写体になってくれた。

学校に行くと英語のできる若い新任教師が話をしてくれた。「ここの学校は小学校の6年生までで,中学はメーアイに行く。彼女は2週間前に着任したが,チェンラーイの出身なので村の子供たちが話すリス語が分からず苦労している。ちょうど明日は新校舎の落成式があり,子供たちの踊りも見られる」とのことだったので明日もう一度ここに来ることにする。

アカ族の村を訪問

ガソリンスタンドのある分岐点に戻り,バイクタクシーを拾いアカ族の小学校に移動する。運転手はその前に温泉を見せてくれた。タイには活火山が無いが,以外とたくさんの温泉がある。大まかに言って国土の西側に集中している。ただし,暑い気候のせいか,温泉の良さを知らないせいか,温泉宿や観光資源としては利用されていない。

学校はちょうど下校時で,生徒全員が下校式に参加していた。先生の話の後,国旗が生徒の手で下ろされこれで帰りの儀式は終了。あとは,グループ(集落毎の)に分かれて村に戻る。中にはとても大きな子供がいるので先生に確認すると,ここには11年生までの生徒がいるとのことであった。

恐怖の一夜

この日の夜,部屋でのんびりしている停電が発生した。すぐに懐中電灯を取り出し,星を見に外に出る。あたり一帯の電気が消えたおかげですばらしい星空が堪能できた。天の川も薄い光の帯になって見える。

この宿の夜は二夜続けて恐怖の夜となった。前日の夜はとなりのアップルから大きな女性の笑い声と叫び声が響いてくる。欧米の旅行者にはときどきこのようなはた迷惑な人がいる。03時頃にはドアをひっかくような物音が断続的に聞こえる。小さな灯をつけてチェックするが,異常は無い。さらに,鳥の羽ばたきのような音も加わり,何度も目が覚めた。

この夜は02時にものすごい家鳴りで飛び起きた。地震かと思ったがタイには地震はない。04時にも同じ物音で飛び起きた。朝になって原因が分かった。2階に動物が飼われており,それらが何かの原因で暴れるようだ。

ラオター村に向かう

小学校の落成式を見るため朝食もとらずに村に向かう。学校に着くとまだ生徒は集まっていない。学校と同じ敷地にある屋台でクイティオ・スープ(タイ風ラーメン)をいただく。何故か近くの家の子供たちもここに朝食を食べに来ている。

09時半に子供たちは校庭に集められ国旗が掲揚される。全員で何かを唱和している。意味はまったくわからない。その後,1年生から順番に新校舎の廊下に座っていく。生徒の服装は白いシャツと紺色のズボンかスカートで,平地の学校と同じである。

長い読経に子どもたちは退屈している

読経が始まる。僧侶の声がスピーカーから流れ出すと子供たちは神妙に両手を胸の前で合わせる。しかし,時々中断するものの読経は延々と続き,子供たちはすぐに飽きて私語とふざけっこになる。しらみ取りを始める女生徒もいる。先生も一度注意しただけで後は何も言わない。

昼食をいただく

昼休み時間になる。子供たちの昼食はごはんに野菜スープをかけたものだ。隣の教室を覗いてみるとここでは村の男性がごはんを食べてる。メニューは豚肉の炒めもの,肉野菜炒め,野菜スープ,生野菜それにカーニャオである。自分も座らされてごはんをいただく。コメ・ウイスキーも勧められたがこれは恐ろしく強いものなので固辞してコーラにしてもらう。

ラオター村で小学校の落成式を見る

巨大なスピーカーが大音量を出し始める。お祝いのあいさつとアトラクションの始まりである。新校舎の建設を支援してくれた女性から祝辞があり,花束が贈呈される。その後は司会者が何やら長い話をしている。スピーカーの音に誘われるように近所の人が集まり出し,民族衣装の女性たちも大きな集団を作るようになる。

アトラクションの最初のプログラムはなんとプロの女性歌手の歌であった。一人が歌い終わると次が出てくる。子どもたちのそぼくな出し物を期待していた僕は少なからず驚く。生徒の出し物は男女混合のダンス,女生徒による応援団風のボンボンを使ったダンス,Tシャツ女生徒のダンスと続いていく。舞台よりも見物をしている子供たちの何気ない表情が写真のよい題材になる。

民族衣装を着た上級生のダンス

最後にようやく民族衣装を着た上級生のダンスが見られた。やはりリス族の民族衣装はとてもきれいだ。ピンクをベースにした上着は,胸から下を別の色の布になり,ひざ下までの長さがある。ただし腰から下は両サイドにスリットが入っているため動きのじゃまにはならない。

前からみるとちょうどピンクの上着に別色のエプロンをかけているように見える。下は膝下までの黒いパンツ,脛はピンクのスパッツで覆われている。こんなきれいな民族衣装をほんの小さな子供でも着ているので写真好きにとっては涙の出るほど嬉しい所である。

メーコック川の思い出

夕暮れのメーコック川は音も無く流れている。川の両岸にあるレストランやゲストハウスの照明が灯され,向こうの橋にはナトリウム灯が輝いている。少し前のガイドブックで「タイの辺境を実感できるところ」と紹介されているタートンであるが,観光地化が進み,普通の地方の町になっている。この時期の観光客は少なく,多くのレストランはがら空きの状態である。

僕の滞在している宿の食堂もほとんど客の姿はない。そのような環境で絵も川を静かに眺めるのは,旅の楽しみの一つである。音も無く目の前を通り過ぎる水の流れと一緒に静かな時間が過ぎていく。

乾季のメーコック川は水深が1mに満たない。子どもたちは試験休みの暑い時期を川で遊ぶ。川の風景はいずこも似ている。川の本流の岸辺と中州によって流れが遮られたところにはおたまじゃくしが群れており,子どもたちの遊び相手をさせられる。

子どもたちはオタマジャクシを捕まえ,容器に移すときに何匹かが砂地にこぼれ落ちる。それらは,放置されものの数分で死んでしまう。

仏教では無用な殺生を戒めており,僕は子どもたちに代わり,オタマジャクシを一匹,一匹拾い上げ水に戻してあげる。上座部仏教の国では,捕らえられた鳥を放して功徳を積む文化がある。この日の僕は少し功徳を積んだのかもしれない。

夜の8時ごろ,下の川原で話し声がするので近寄ってみると,10人ほどの男女が鍋を囲んで宴会をしている。英語はほとんど通じず,彼らが地元の警察官であることだけが分かった。酒はだめだと言うと,料理とコーラをすすめられる。日本のジンギスカンのような鍋から肉と野菜を取り,これにタイ式のたれをつけて食べる。大感謝である。


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