亜細亜の街角
旅行者にも住み良いのどかな町
Home 亜細亜の街角 | Fan / Thailand / Mar 2001

異常気象のためパイ滞在を断念する  (地域地図を開く)

ソポーン(09:00)→パイ(10:30)→チェンマイ(14:00)→チェンライ(17:30)とバスで移動する。パイまでの道の両側には焼畑が点在しており,さまざまな作物が栽培されている。その割には焼畑から回復する途中の森林は見当たらないので,移動耕作から定住耕作に変わっているのかもしれない。

パイまでの間にある峠の最高地点は約1300mである。峠にはたいていチェック・ポイントがあり麻薬検査のためタイ警察が乗客の荷物を検査する。雨はずっと降り続いており,標高1000mを超えたあたりから雲海に入り視界が悪化する。

パイは欧米人の旅行者であふれ,ゲストハウスやこぎれいなレストランがたくさんある。旅行者には住みやすそうな所だがここでも雨が降っている。外をいる欧米人ツーリストにこのところの天候のことをたずねると,「もう1週間も雨が降り続いている」との返事であった。

山の天候の回復を待つため,パイをスキップしチェンマイ経由でチェンライまで行くことにする。天候回復待ちのためチェンライで2泊し,それからファン→タートンと移動し,川下りでチェンライに戻った。チェンライの旅行記はファンの後にまとめることにする。


チェンライで2泊しファンに移動

チェンライ(10:45)→メースエイ(12:00)(12:30)→ファン(14:30)とバス・ミニバスで移動する。タイ北部は山がちな地域であり僕の滞在地の標高差はけっこう大きい。メーホンソン(500m)→山越え(1000m)→ソポン(500m)→山越え(1300m)→パイ(500m)→山越え(1100m)→チャンマイ(250m)→山越え(1100m)→山越え(1100m)→チェンライ(350m)と町と町の間には山越えが必要だ。

メースエイから先の道路から見える山は焼畑の傷あとが痛々しい。自然林はほとんど見当たらない。タイ北部の森林破壊の大きさに胸が痛むと同時に,生きていくために焼畑をしなければならない少数民族の現在のそして将来の生活の厳しさを肌で感じる。

となりの座席の若い女性はヤオ族の出身でコンピューター学校を昨日卒業し,両親に卒業証書を見せに帰るところだという。少数民族の親たちも焼畑の将来に不安を感じ,子どもたちにはちがう人生を歩んでもらいたいと考えているようだ。またそれは子供たちの希望なのかもしれない。ミニバスはファンの少し手前で止まり,彼女は迎えのスズキのピックアップに乗って自分の村に向かった。

ファンのバスターミナルからバイクタクシーでウィンケオ・ホテルに向かう。母屋の2階の部屋は10畳,トイレ・シャワー付き,2ベッド,洗濯物干し,籐製のイスと机が備えられており,1泊120Bとお勧めである。

このゲストハウスにはヤモリがたくさん住み着いており,明かりに集まる虫を食べている。彼らの鳴き声を文字に表すと「グウー・トッケイ・トッケイ・トッケイ」である。トッケイの発音は非常に明確で,そのためタイでは「トッケイ」と呼ばれている。

夕食がてら街を散策する

ファンの町は南北に走る国道沿いに展開されており非常に簡単だ。それでも立派な寺院,商店街,市場が備わっている。レストランや屋台もたくさんあり旅行者にも住み良いところである。

シャン族の村を訪問する

近郊の村に行くためのミニバスは見つからず,バイクタクシーを利用した。このバイクは2人乗りでも時速70kmくらいで走り,涙が出る。山の入り口の村は少数民族の鄙びた面影はない。立派な寺院,コンクリートの家屋である。

ウエンワーイ村はタマネギ一色であった

バイクタクシーで町から9km離れたシャン族のウエンワーイ村に行く。村はたまねぎの収穫時期にあたっており,村中がたまねぎ一色である。村の入り口は少し高くなっており左手にたまねぎの袋詰作業場がある。たまねぎの収穫作業は収穫,乾燥,茎切り,選別,袋詰の工程に分かれる。

乾燥が終わったたまねぎは作業場に運ばれ茎とヒゲ根を切られる。作業者はすべて近くの集落から日当で働きに出てきている女性と子供である。彼女たちは束になった茎をもってヒゲ根を切り,その後で茎を切っていた。彼女たちの前にはたまねぎの山があり,作業は延々と続く。

たまねぎは大きさにより2種類に区分され25kgの袋に詰められる。この後は大型トラックに積みこまれバンコク等の市場に出荷される。袋詰以降の力作業は男性が担当する。

タイのたまねぎは安さを武器に日本にも輸出されており,日本の農家はそのような国際競争に伍していかなければならない。消費者としては安いたまねぎは歓迎すべきであるが,食料の多くを海外に依存するようになっては国家としての安全に不安が生じるし,国土の荒廃を招きかねない。

ビルマ式寺院がある

山の方にのんびり歩く

ウエンワーイ村の純ビルマ式の寺院を見学してから山に向かって歩き出す。すぐに民家は途切れ,田園風景の中をひたすら歩く。酷暑のため畑には人の姿は全く見えない。平野部ではたまねぎ畑が目立つが傾斜地になるとマンゴー,オレンジなどの果樹園が主体になる。

バロン族の村を訪問する

炎天下の8kmを歩いてバロン族の村に到着した。バロン族はタイでも特に珍しい民族で僕も出会うのは初めてである。女性の服装は独特のもので,腰の回りにたくさんの籐製の輪を付けている。子どもたちの服装は現代化している。

村を案内される

村の家は高床式で壁材は板か竹,屋根はアシかヤシの葉のようなもので葺いている。乾期の作業は籠作りと屋根葺きの材料作りである。籠は竹を細く裂いてみごとな手さばきでそれを編んでいく。屋根材はヤシの葉を2つ折りにして竹に取り付け,細く裂いた竹の表皮で縛り付けていく。

ブドウの木の手入れをする

バイクタクシーでウエンワーイ村から7km山に入ったスワンチャー村(村というよりは集落に近い)まで行ってもらう。道路は一部未舗装であるが特に問題はない。ここから徒歩でアカ族の村を目指す。

今日も暑い。のんびり歩いているとぶどうと思われる果樹園があり,独特の赤をベースにした民族衣装を着たバロン族の女性たちが働いている。入り口を見つけて中に入り写真を撮らせていただく。今日の作業はぶどうの木の新芽に何やら薬(たぶん成長促進もしくは病害虫防止)を塗っている。

アカ族の村に向かう

ここからはゆるやかな登りがずっと続いている。道の右側は谷になっており,向かいの山の斜面はほとんど焼畑になっている。このときちょうどバイクが通りかかったので上のパッカー村まで乗せてもらう。

アカ族の村を訪問する

パッカー村は山の尾根から斜面にかけてひろがる戸数100戸ほどの村であった。家は高床式,壁は板もしくは竹,屋根は草葺のようだ。写真のお礼に子どもたちにフーセンとキャンディーをあげると村中から子供が湧いてくる。子供だけではなく老人や女性も手を出す。

村の中央には水場があり大きなコンクリート製のたらいがある。ここは水浴びと洗濯場になっており,子供たちのかっこうの遊び場にもなっている。水はより高い水源から竹の樋で引いてきており,蛇口の無いパイプから常時流れ出している。

帰り道でバロン族の村を発見する

アカ族の村からウエンワーイ村に戻る途中でバロン族の村を見つけた。こちらはウエンワーイ村からそう遠くはない。ともあれ,水と昼食とキャンディーが必要なのでウエンワーイ村を目指す。途中でおじさんに声をかけられて冷たい水をごちそうになる。感謝である。

水を仕入れてバロン族の村に戻る

昼食をとり,水とキャンディーを買ってバロン族の村に向かう。30分で到着した。山の斜面に50戸ほどが集っている。人影はまったく見えない。ほとんどの家の戸は閉まっている。

広場に出ると子どもたちが集っている。集合写真と希望者の写真を撮り,お礼はキャンディーとフーセンにする。ここで一つ学んだことがある。

子どもたちはフーセンを膨らませるプロセスを楽しんでおり,フーセンの口を縛らずに手で押さえ,その手を離すと飛んでいく様子も楽しんでいる。口を縛ってしまうと,これらの他の楽しみは無くなってしまう。

子どもたちとの友好関係ができたので,2軒の家に入れてもらった。内部は寝室兼居間と台所エリアに分かれている。食事は台所エリアでいただく。この村の外れで子どもたちと遊んでいると,下の村に向かうピックアップトラックが通りかかったので乗せてもらった。

ウエンワーイ村でタマネギの収穫を手伝う

ウエンワーイ村では昨日と違う畑を歩いてみる。タマネギ畑で見知った顔を見つけ,少し収穫作業をお手伝いする。ちょうど,アイスキャンディー屋が特徴のある音楽を流しながらやってきたので13本買って,皆さんと一緒にいただく。暑い時期の作業なので,とても喜ばれた。ちなみにアイスキャンディー代は103バーツである。

日によって違うバイクタクシー料金

小さな村なので昨日のバイクタクシーが見つかりファンに戻る。昨日の料金は30バーツなのに,今日は40バーツを要求された。言い値で支払うのは納得できないので,30バーツと数バーツの小銭を渡した。

シャン族の結婚式

一軒の家に村の人が集まっている。結婚式のようだ。親族の人が中に入りなさいと誘ってくれた。花嫁は白い上着と巻きスカートというシャン族の盛装,花婿はTシャツ姿である。飾らない結婚式にとても好感がもてる。花婿の父親が花嫁の右手と花婿の左手を取り,手首のところを白いひもで軽くしばる。父親の儀式とともに二人の末永い幸せを祈った。

ビルマ式寺院

宿の北側にも立派なビルマ風寺院が2つある。一つは木造であり,ビルマ風の五重塔が屋根の上に乗っている。もう一つのものは新しく,コンクリート造りとなっている。屋根の上にはやはり五重塔が乗っているが風情は失われている。この寺院の本尊はミャンマーのマンダレーにあるマハムニ仏と雰囲気が似ている。


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