亜細亜の街角
周辺に少数民族の村が点在する村
Home 亜細亜の街角 | Sophon / Thailand / Mar 2001

少数民族の村が近い町ソポーン  (地域地図を開く)

メーホンソン(07:15)→ソポーン(09:00)とバスで移動する。パイ経由チェンマイ行きのバスに乗る。ソポンは小さな町のため通り過ぎても気が付かないこともあり得るので,車掌にソポンで下ろしてくれるようにお願いする。道路は完全に舗装されており快適である。

道の周囲は焼き畑の痕跡が少なく豊かな森林となっている。今までさんざん焼き畑を見てきたので,タイ北部の山の本来の姿はこんな風なんだろうなと感慨にふける。途中にはビューポイントがあり,ここからの眺めはすばらしい。

道路の谷側がずっと開け,豊かな森のかなたに切れ込んだ山がかすんでいる。一面に雲海が広がり青い山々がそこから浮かび上がっている。残念ながらバスは全然止まってくれず写真はとれない。この風景は自分の記憶の中にしまっておこう。


Bann Cafe Guest House

昨夜は雨がトタン屋根を打つ音で2回目が覚めた。不思議なことに雨の夜はあまり気温が下がらない。荷物をパッキングして07時10分にチェックアウトしてバスターミナルに向かう。前の日に確認したところでは08時ちょうどのはずであったが07時20分に着くと,ちょうどパイ経由チェンマイ行きに間に合った。

バスは急なアップダウンを繰り返し,あるときはあえぎながら,あるときは猛スピードで進んでいく。周囲の森林にはメーホンソンに比べて山焼きの痕跡はずっと少なく,植生も豊かである。ビューポイントあたりから見る外の景色は素晴らしい。ちょうど雲海の中に青い山並みが浮かんでいるようだ。

車掌が合図してくれたので無事にソポーンで下車することができた。バス停の近くには30軒ほど家があるだけでゲストハウスは見あたらない。メーホンソン方向に歩いて行くと右手にこぎれいなコーヒーショップがあり,この店の裏手にコテージがある。

ゲストハウスの正式名称はBann Cafe。部屋はきれいな板張りでマットレスが2つ,暖炉,机が付いている。シーツと枕カバーは清潔で気持ちがよい。入り口と反対側のドアを開けるとベランダがあり右はトイレ・シャワー室,前方には川が流れている。

コテージは母屋から少し離れており夜になるとあたりは真っ暗で水の音とカエルの合唱が寂しさを増幅する。川側のドアを開けると深い闇の中から何かが出てきそうでちょっと怖い感じがする。

リス族の子どもたちのセミとり

ソポーンの村の周辺にはリス族の村が点在しており,村の中でもよくリス族の子どもたちを見かけた。今日はセミ取りの少年グループと川遊びのリス族の少女グループにつき合う。セミは彼らの貴重なタンパク質の供給源のため,遊び半分とはいえ真剣にセミを探し,とりもちのついた棹で捕まえる。

リス族の子どもたちの水遊び

セミとりの林の向こうには川が流れており,リスの女の子はあのきれいな民族衣装のまま水遊びをする。年長者はちゃんと小さな子どもの面倒を見ている。その子のためにヨーヨーを作ってあげたら,他の子どもたちも「僕にも」,「私にも」と迫られた結局ヨーヨーを12個も作らされた。ま,子どもたちが喜んでくれるのでいいけどね。

モノクロの世界

今日も今にも雨が降り出しそうな空模様で,とても乾期とは思えない。このところ毎日のように厚い雲がかかり断続的に雨が降る。夜が明けても山の風景はモノクロームのままだ。この天気はいつまで続くのだろう。このままでは予定を変更しなければならない。

じきに雨になった。近くの屋台で朝食をとろうと外に出ると,コーヒーショップの女主人から朝の挨拶があったのでおかゆを注文した。さて出てきたのは具だくさんの「タイ風雑炊」というべきものであった。味は悪くない。店の前をカサもささずに行く中学生の登校風景を眺めながらこの雑炊をいただく。

リス族の村を訪問する

雨の合間をぬって山に登りリス族のノントン村を訪ねる。女性たちは子供を含め,きれいな民族衣装を身につけている。リスの民族衣装は黒いズボンと長い上着の組み合わせで,上着の両サイドは切り込みが入っている。上着の基本色は赤,ピンク,紫で襟,胸,背中の部分にはさまざまな色や模様の布地が使用されており,山岳民族の伝統衣装の中ではもっともはなやかである。

メーホンソンまで民芸品を売りに行く

女性たちは腰機で帯を織り,民族衣装のセンスを生かした小物入れ等の民芸品を作る。小学校高学年の少女たちは早朝に少し年上のリーダーに連れられてメーホンソンまでこれらのお土産グッズを売りに行く。村の家の中には寝台,衣類,食器以外は何もない。そのかわりバイクが必需品らしくどの家にも普及している。

明日のための買い物をする

山の村から下りてきて,明日のための買い物をする。タイでは立派なフーセンが手に入る。1袋が17バーツである。キャンディーも1袋が20バーツである。朝方,出会ったメーホンソンに民芸品の土産物を売りに行ったリス族のグループと再会する。彼女たちと一緒にクイティオ(15バーツ)をいただく。

ロッジ風のゲストハウスの周辺は灯もなく真っ暗だ。川の音とカエルの合唱を子守歌に就寝といいたいところだがまだ19時である。母屋に出かけ25バーツのコーヒーをいただく。日記を書くには最高の環境である。

タム・ロット洞窟

06時に起床。母屋から離れたロッジはさすがに寂しい。パシ,パシという物音にびくつくことになるが,灯を消したらすぐに寝入ってしまった。02時頃に少し寒さを感じ,布団を2枚重ねにした。カエルの合唱はこの時間も続いている。

出かけようとしたところ,宿の母屋の食堂はすでに開いており,女主人に見つかり,おかゆを注文することになった。出てきたものはトッピングが多く,タイ式雑炊というべきものであった。まあ,味は悪くなかったけれど・・・

村の中心部でタム・ロット洞窟への移動をたずねたら,60バーツという答えであった。40バーツと値切ろうとしたら,歩いて行ったらと返された。結局,50バーツで行ってもらった。

ガイドブックによるとタム・ロット洞窟は村から8kmのところにある。山ひとつが巨大な鍾乳洞になっており地下の川も流れているという。バイクタクシーに乗りおよそ15分で洞窟に到着する。事務所で入園料を払いランタン持ちのガイドを雇う。洞窟の入り口はここから歩いて数分の所にある。

途中でこのあたりに住むシャン族と思われる人が屋根葺きに使用する枯れた木の葉を運んでいるのを見かける。このところの雨模様の天気では枯葉も湿っているのでさぞかし重いだろうななどと考えながらシャッターを押す。

タム・ロット洞窟の入り口は高さ10m,幅20mほどある。川が洞窟の中に流れ込み地下の川になって流れている。入り口付近には数百匹の大小の魚が群れている。土地の人は殺生を嫌い魚を捕らないためか,または観光客の投げる餌に引かれてのことか川一面に魚が集まっている。

事務所のところで店を出している子連れのおばさんから買った餌を10mほど下の水面に投げると水音を立てて魚が取り合いをする。すっかり餌付けされているようだ。

洞窟の総延長は約1kmで第1と第2洞窟に分かれている。2つの洞窟は地下の川で結ばれている。洞窟の内部は真っ暗で巨大な空間が広がっている。唯一の明かりはガイドのもつガス灯であるが,洞窟のほんの一部を照らし出しているにすぎない。

内部の構造は複雑かつ足場も悪いので,懐中電灯を持っていてもとてもガイド無しでは見学できない。照明設備がないため鍾乳石の複雑な造形はガス灯の範囲でしか楽しめないのが難点である。しかし逆に暗闇から突然新しいシーンが現われるため,次々に新しい感動が生じるという利点もある。

早朝の托鉢

山の上のリス族の村を訪問

少し坂を登るとまた雨が降り出し近くの大きな家に避難する。この家では大家族制が存続しており数家族が一緒に暮らしている。小さな子どもがいたのでヨーヨーを作ってあげるととても喜んでくれる。水は屋根から落ちる雨水を貯めるバケツのものを使用させたもらった。このヨーヨー作りは子供はもちろん大人も興味しんしんで見学してくれる。

昼食をいただく

この家には衛星放送の受信設備とピックアップトラックがありお金持ちのようだ。子供と老人と体の調子の悪い青年はテレビを見ているが,他の大人はひまわりの種を食べながら縁側でくつろいでいる。女性の一部は昼食の準備をしている。

そうこうしていると昼食の時間になり,僕はこの家の家長とおぼしき人と一緒に真っ先にごはんをいただくことになった。献立はカーニャオと野菜スープ,肉料理である。ごはんには順番があるらしく,我々が終わった後,家族の他のメンバーが食べ始める。これがリス族の伝統的な習慣かどうかは分からない。

市場の周辺

GHに戻り温水シャワーで頭を洗う。亜熱帯のタイで温水シャワーを利用するとは思いもしなかった。さっぱりしたところで,宿の食堂でコーヒーを飲みながら日記作業をする。日記が一段落したところで,雨も上がったようだ。

夕食がてら市場の方に歩いて行く。昨日の店でパッシーウー(幅広麺の焼きそば)をいただく。近くのテーブルで食事中の二人の男性の料理を観察していると,テーブルに座ってと声がかかった。彼らのお皿にある3品を味見させてもらった。全般的に中国的な味付けで,日本人にもなじみがある。彼らは旅行業に従事しているといい,年上の人の英語は素晴らしかった。


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