亜細亜の街角
琉球創世神話の残る久高島と斎場御嶽
Home 亜細亜の街角 | 沖縄・久高島と斎場御嶽|Nov 2013

久高島へのアクセス

今日の行動内容は那覇BT( 38番志喜屋線)→あざまサンサンビーチ前(フェリー)→久高島→久高島1周(フェリー)→あざま港(徒歩)→斎場御嶽(徒歩)→ウローカー(38番志喜屋線)→那覇BTである。

沖縄本島南部の東海岸に知念半島があり,そこから東に5kmほど沖合に周囲8kmの「久高島」が浮かんでいる。ただし,最高標高は17mの平坦な島なので知念半島の海岸から島影は確認できなかった。

知念半島の東先端部に安座真(あざま)港があり,ここから久高島に向かうフェリーが出ている。今日はバスとフェリーを利用することになり,どちらも運行本数は多くないので計画的に行動しなければならない。冬期のフェリー運航時間は下記の通りである。

安座間→久高 久高→安座間

0900
1000
1130
1400
1530
1700

0800
0900
1100
1300
1500
1630

安座間さんさんビーチで下車する

安座間港と久高島を結ぶ船は高速船とフェリーが交互に出ている。所要時間は高速船が15分,フェリーが20分であり,料金は往復で高速船が1410円,フェリーが1240円となっている。僕はのんびりが好きなのでフェリーを選択した。

10時発のフェリーに間に合わせるためバスで移動し09時過ぎに安座間に到着した。停留所は「あざまサンサンビーチ入口」がもっとも近い。「あざまサンサンビーチ」は安座間港のとなりにあり,赤瓦屋根のビーチハウスには売店・シャワー・ロッカーなどの設備が整備されている。

半円形の二つのビーチがある

海に向かって防潮堤で仕切られた2つの半円形のビーチがあり,左側は遊泳区域,右側は遊泳禁止区域(マリーンスポーツエリア)となっている。11月に入っているので海に入る人はおらず,ビーチも閑散としている。フェリーの時間待ちの間はこのビーチを独り占めして風景を眺めていた。

こちらが南側

防波堤から見る沖合の海の色

ビーチは東に面しており,午前中の光では海の色はそれほど輝いてはくれない。

久高島かと思っていたらクマカ島であった

かすかに島影が見えたので久高島かと思っていたら,地元の人が久高島との間にあるクマカ島だと教えてくれた。

11月に入ると沖縄でも海に入る人は少ない

安座間(あざま)港には高速船とフェリー乗り場がある

僕はフェリーくだかで島に向かう

フェリーは速度の遅いところがよい

久高島は平坦なのでサンゴ礁が隆起した島のようだ

フェリーの接岸場所はこちら側である

およそ20分で久高島・徳仁港に到着した

高速船とフェリーでは接岸場所が異なる。高速船は浮桟橋に平行に接岸し,乗客は船の横から乗降する。それに対してフェリーは緩やかに傾斜したコンクリートの岸に船首から接岸する。扉を兼ねたエプロンが下がり,乗客はエプロンを通り乗降する。

近くには高速船用の桟橋もある

久高島航空写真

久高島は細長い島で南西に徳仁港があり,北東の先端部がカベール岬である。写真を徳仁港を基準に時計回りに90度回転させると地図の方角と一致する。港湾施設の左側にあるのは漁港である。集落は南西部に集中しており,北東側はほとんど住居はない。

島の面積は1.4km2,人口は約200人である。地質は島尻マージと呼ばれる赤土で保水力に乏しく,生活用水は雨水と泉(井戸)に依存している。 琉球創世神話では琉球の創世神アマミキヨが天からこの島に降りてきて国づくりを始めたとあり,島自体が聖域となっている。沖縄最高の聖域とされる斎場御嶽が久高島と向かい合った知念半島にあるのは,久高島からの霊力がもっとも集まりやすいためとされている。

フェリー乗り場の上に長生きベンチが置かれている

フェリー接岸場所から坂を上ったところに小さな建物があり,その前に置かれたベンチには「長生きベンチ」と記されていた。ここは港を見下ろす場所であり,お年寄りの憩いの場所でもあるようだ。港からの上り道は建物の近くを通るので,そこにいた人たちに軽く会釈をして先に進む。

観光開発が進んでおらず伝統的な家屋が残されている

徳仁港と久高漁港の間はきれいなビーチになっている

徳仁港と久高漁港の間はきれいなビーチがある。このビーチは西に面しているので午前中の光の中で薄い青緑から濃い青への美しいグラデーションを見ることができた。

浅いところでは波紋が砂地に映る

沖縄本島は意外と近いところにある

沖縄本島は5km先にある。本島の海岸からは久高島は視認できなかったが,久高島の海岸からは本島がずいぶん近くに見える。

郵便局もちゃんとある

郵便業務はユニバーサル・サービス(日本全国同一サービス)が義務付けられており,人口200人の久高島にも郵便局はちゃんとある。

石垣と福木の囲い

沖縄本島では少なくなった福木と琉球石灰岩の石垣の風景はこの島には残されている。

久高殿

久高殿(ウドゥンミャー)は昔シラタル(百名白樽)とその娘タルガナー(多留加那)が天神地祇を祭り,島の繁栄を祈った場所と言われています。久高祝女と久高根人が祭主で,ここの前にある広場も含めて午年に行われていたイザイホーの舞台となった神聖な場所です。

その他にもマッティ(麦の収穫祭),ウブマーミキ(大漁祭),ハティグァッティ(お払い・健康祈願)などの祭祀もここで執り行われます。左からタルガナーと呼ばれるイラブー(海蛇)の燻製小屋,カミアシャギ,シラタル宮と並んでいます。これらの後にある森はイザイヤマと呼ばれて聖域です。一切立ち入り禁止になっていますのでご注意ください。(沖縄観光情報より引用)

イザイガー入り口の標識

イザイガーは漁港の防波堤の少し北東にある泉である。海岸岸壁の岩のすき間に水が湧いている。北側の海岸線を歩いていると標識が目に入ったので海岸まで出てみた。

台風により半分破壊されたコンクリートの石段があり,その下の水槽に水が溜まっていた。表示から普通の水場であると判断して下まで降りたのは大間違いであった。

ここは12年に一度行われる「イザイホー」の前に女性たちがみそぎをする神聖な場所であり,男子禁制の聖域であった。旅行から帰り,この旅行記を書く段になりそのことが分かり自分の不明を恥じることになった。

それでも,同じような過ちを他の観光客が起こさないようにするためにもここに自分の失敗談を記しておく。沖縄ではよそ者が勝手に入ることの許されない聖域があり,そこは外から見るだけに止めておかなければならない。

「イザイホー」は久高島におけるもっとも重要な神事であるが,神女になるための条件が厳しく,該当者がいないことから1978年以降は行われていない。今後も再開されるのは難しい状況である。

イザイガーから眺める海

ミーガー

イザイガーの少し北東側にある井戸である。井戸といっても地表から浸み込んだ雨水が海岸の岩の割れ目から浸み出してくるものである。ここも井戸に下りる階段があったが,台風により一部が破壊され,現在,その部分は金属製のスロープになっている。現在も禊(みそぎ)用として使用されているとのことであるが,立ち入り禁止場所とはなっていない。

青空を背景にしたアダンは絵になる

沖縄に来てこのような写真は何枚撮ったかは分からないほどだ。自然状態のアダンは絡み合って大きな群落を形成する。そのような中からすっと伸びた枝は青空によく映える。

テリハボク

葉の光沢,中央部のよく目立つ葉脈からテリハボクと判断した。もう少しでお茶に似た白い花が見られる。果実は銀杏のように数個のものがまとまって枝からぶら下がる。

■調査中

昼間なのにオカヤドカリが外に出ていた

甲殻類(エビやカニの仲間)はキチン質と呼ばれる硬い含窒素多糖類の殻で体表を覆って身を守っている。しかし,身体の機能上,腹部はキチン質には覆われていないためそれが弱点となっている。

ヤドカリ類はそれを補うため貝殻などに腹部を入れて身を守っている。外敵に襲われると貝殻の中に入り込み,鋏脚で入り口をぴったり塞いで防御態勢をとる。

オカヤドカリは陸上進出のため貝殻の中に少量の水を蓄え,柔らかい腹部が乾燥するのを防ぎ,陸上での鰓呼吸も可能となっている。また,陸上生活に適応するため鋏脚や歩脚は太く頑丈になっている。しかし定期的な水分補給や交換が必須であり,水辺からそれほど遠く離れられない。

ヤグルガーから眺める海

ヤグルガー

「ヤグルガー」も島の北側海岸にある泉(井戸)である。少し南西側にある「ミーガー」と同様に地中に浸み込んだ雨水が岩のすき間から浸みだしてきたものである。地表にはまったく水源の無い久高島ではこのような水の出るところは生活用水を確保する重要な場所であった。

「ヤグルガー」も標識があるので簡単に場所は分かる。石段を降りていくと岩の窪みに水が溜まっている。現在も禊(みそぎ)用として使用されているとのことであるが,立ち入り禁止場所とはなっていない。

ヤグルカーに下りる石段の脇にツワブキがある

花が咲いていないのでちょっと判断に自信はないがリュウキュウツワブキ(琉球石蕗,キク科・ツワブキ属)であろう。ツワブキの名前は艶葉蕗(つやばぶき),つまり「艶のある葉のフキ」から転じたとされており,その特徴により暗い空間でも目立つ存在となっており,陽光のもとではさらに緑が鮮やかである。

ツワブキは関東以南で見ることができ,イシブキあるいはツワとも呼ばれている。沖縄では「ちぃぱっぱ」と呼ぶらしい。リュウキュウツワブキは奄美大島,沖縄本島,西表島に分布する固有変種である。花の時期は11月から2月であるが,若い個体なので今年はまだ花をもたないのかもしれない。

自転車の集団に追い越される

沖縄の離島を見学するには自転車がもっとも効率が良い。しかし,僕の感性では自転車でも速すぎる。のんびりと歩くのがもっとも性に合っている。このような感性はアジアの各地を訪問して身に付けたものであり,その地域を理解するにはゆっくり歩いて地域の人たちの生活を見せてもらうことが必要である。残念ながら日本では人々の生活を見せてもらうわけにはいかない。

熟したアダンの実を集める

熟したアダンの実が乾燥のためシートの上に並べられていた。この用途は不明だ。アダンの実はパイナップルのような外観をもっているので食用になりそうであるが,ほとんどが硬い繊維質であり可食部はそれぞれの果実のごく一部に限られている,この部分を取り出す手間を考えると食料としてはほとんど評価できないものである。

クボウウタキ(フボーウタキ)入り口

沖縄の七御嶽の一つであり,久高島のみならず沖縄でも最高の霊地(聖域)である。沖縄では古くから女系の精神文化が根付いており,神事は女性中心で行われることが多い。そのため,多くの御嶽は男子禁制の場所となっている。

クボウウタキは久高島では最高の霊地なのでおそらく限られた島の女性だけが特別の神事をここで執り行ったのであろう。そのような場所に男女を問わず部外者が入るのは島の人々が大切にしてきたものを汚す行為であり,興味半分で立ち入ることは厳禁である。

実際,部外者のそのようなふるまいがあったため,現在は男女を問わず全面的に立ち入り禁止になっている。森の中に続く小道の手前から眺めるだけでも十分に霊地の雰囲気は感じられる。

ロマンスロードのビューポイントからの眺望

久高島の中心部を縦断するように集落からカベール岬に向かって幹線道路が走っている。島の北東部には幹線道路から北側に森を巡る半円形のロマンス道路がある。海岸近くには東屋があり,そこから眺める海の景色は確かに素晴らしいものがある。

ロマンスロードは舗装されている

カベール岬に到着する

細長い久高島はさしわたしが3kmほどであり,のんびり歩いて行ってもそのうち北東端のカベール岬に到達する。その手前の幹線道路はそれほど紹介するような植物などはなかった。道路の途切れるあたりがカベール岬の砂浜となっている。

光の中で海の色が輝く

絶景の色とはいえないが,カベール岬からの海の色は南国の輝きをもっている。

サンゴ石灰岩が浸食され小さなプールになっている

海岸に露頭している琉球石灰岩が少し浸食されて小さなプールになっていた。このような場所ではよく磯の生物が観察できるのだが,ここには何もいなかった。観察する場所が悪いのか,探し方が悪いのか,沖縄ではあまり磯の生物は観察できなかった。

カベール岬の西側は岩場になっている

西側は琉球石灰岩の岩場となっており,この島が隆起したサンゴ礁でできていることが分かる。このような岩場は鋭い突起が多く,島ゾウリなどで歩くとケガをする恐れがある。岩を抱きかかえるような植物はおそらくミズガンピ(ハマシタン)であろう。いつもこの植物は全体を撮影するため,細かいところがよく分からないので推定になってしまう。

ウパーマ浜

カベール岬から中央の幹線道路を戻り,南側の小道に入るとすぐにウパーマ浜に出る。久高島の北側海岸は小さな崖になっており,南側は砂浜から緩やかな傾斜の海岸になっている。

向かって右側は砂浜

左側は岩場になっている

曲がりくねって絡み合うアダンの幹

海岸沿いの小道と海岸の間は森となっており,アダンの自然な姿を観察できる。自然界ではアダンの横枝は他のものと絡み合い,スクラムを組んだようになっている。この構造により強い風雨にも耐えることができる。

感じの良い通り道

ガジュマルがたくさんの気根を伸ばしている

伊敷浜

亜熱帯のジャングルはとても入れない

沖縄の森は大きな木が少ないかわりに中高木やアダンなどが密生しており,とても中に入れるような状況ではない。

アダンの正式名はタコノキである

今まで「アダンの正式名はタコノキである」と理解していたが正確にはアダンはタコノキ属の一つの種であり,正式和名はアダンである。和名の「タコノキ」は同じタコノキ属であり小笠原諸島の固有種のことを指すようだ。

実際,タコノキ属を見ても,固有の和名が付いているのは「タコノキ」と「アダン」しかない。タコノキ属には約600種が含まれており,そのうち和名が付いているのは二種しかないようだ。

風のせいなのかずいぶん横に寝ている

カメラを傾けて撮影したわけではない。このあたりの樹木はずいぶん横に寝ている。このような姿になるのは特別にこの樹木の根性が曲がっているわけではなく雪か風の影響である。強い風が同じ方向から吹く環境では若木は風下側に押し曲げられ,そのまま成長する。

牛舎と牧草地の風景もある

久高島でも牧場があうことが分かった。ここは集落からかなり近いところである。

これがアダンの花であろう

アダンの実はずいぶん見かけたが花はまったく見たことがなかった。おそらくこの白いものが花であろうと撮影しておいた。自宅に戻って調べてみると確かにアダンの雌花であった。

雄花はガマの穂のようなものが集まっており,触れると煙のような花粉が飛散するという。おそらく風媒花のだろう。雌花もガマの穂のような総状花序となっており白い小さな花の集合体となっている。当然,果実も集合果となるわけだ。

外間殿

外間殿(フカマ)は久高殿(ウドゥンミャー)と並ぶ島の二大祭祀場の一つである。琉球王府の時代,久高島にはノロ(祝女,神女)制度があった。その中でも王府任命のノロ職は公事ノロと呼ばれ,外間家から選ばれ,シマノロはタルガナー家(久高家)から選ばれた。殿は祭祀場のことであり,島には外間殿と久高殿という二つの重要な祭祀場が設置された。

外間殿の前庭には

外間殿の前庭には四隅の柱で支えられた棚と石組みに囲まれた樹木がある。祭祀はノロ(祝女,神女)によりとり執り行われ,男性の参列者はこの棚の下に敷かれたゴザの上に座り,女性は石垣に寄りかかって立つという。その意味するところは女性は男性を包み込むように見守ることだとされている。

大里家

琉球王朝第一尚氏王統第七代の尚徳王が鬼界島征伐後,凱旋報告のため来島した時,美人クニチャサ祝女と恋仲になり,長い間同棲した場所である。王が首里城を忘れているうちに叛乱が起こり,急いで帰路についたが,その途中で王朝は転覆し,尚円王が王位についたことを知り,海に身を投げたと伝えられている。(パンフレットより引用)

尚徳王身投げの話を聞き,クニチャサは悲しみにくれ,この家の前にあるガジュマルの木で首を吊って死んだという言い伝えもある。

小中学校

知念村のマンホール

行政的には本島の知念村に含まれており,マンホールのふたも知念村となっている。

アメリカハマグルマ

アメリカハマグルマ(Sphagneticola trilobata,キク目・キク亜科)の原産地は中央アメリカであり,世界の熱帯・亜熱帯地域に帰化植物として定着している。花壇の一面を覆う強い繁殖力をもち,沖縄では緑化植物として導入され,野生化している。

マングローブや海岸植生といった希少な自然環境に侵入し,在来種や生態系を脅かしており,侵略的な外来種となっている。国際自然保護連合では本種を世界の侵略的外来種ワースト100のひとつに選定している。この植物を見ている限りでは環境に影響するようには見えないが,外観にだまされてはいけないという事例である。

斎場御嶽に移動する

15時30分の高速船で安座間港に戻り,51号線を歩いて南に上っていく。知念郵便局から北に向かう枝道があるのでそこを10分ほど歩くと御嶽の管理事務所がある。

周辺には駐車場はあるものの絶対数が不足しているので車でここに来ると駐車場探しで苦労することになる。ぼくの訪問したのは3連休の初日の土曜日だったのでずいぶん混雑していた。

斎場御嶽概略図

南城市役所のサイトに斎場御嶽のイラストがあったので引用した。ただし,縦横比の関係で標準サイズの画像には収まりきらなかったのでノロの絵は移動した。このような改変はめったにしないが,素晴らしいイラストだったのでついつい手を加えてしまった。

斎場御嶽は琉球王国最高の御嶽とされ,国家の最高神職である聞得大君が管理した。かっての琉球王国の御嶽は男子禁制であり,ノロ(祝女,神女)だけが神事のために入ることを許されていた。

斎場御嶽は庶民が御門口(ウジョウグチ)を越えて進入することは許されず,国王でも御門口より先に入るには袂の合わせを女装に改める必要があったという。

2000年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一部として斎場御嶽はユネスコの世界遺産に登録された。世界遺産への登録には異論はないが,最奥部の三庫理拝所まで一般公開したのはさすがにやり過ぎであろう。

一般公開そのものが斎場御嶽の精神文化の拠り所としての価値を損ねることになり,世界文化遺産にふさわしいとはとても考えられない。少なくとも三角岩の手前で観光客が入れなくする措置が必要である。

このままいくと,三庫理拝所も岩の陰にある展望台に成り下がってしまう。僕としてはそのような観光施設になった斎場御嶽を見たいとは思わない。他の世界遺産にも例があるように,一部がオフリミットになっていても世界遺産としての価値を減じるものではなく,逆に訪問者に遺産の価値を知らしめる効果がある。

ウジョウグチを保護するための木製階段

本物の御門口(ウジョウグチ)は木製階段の下にある琉球石灰岩の石段である。世界遺産登録により観光客が押し寄せるようになり,石段の保護のために設けられた。

かってのウジョウグチの写真

大庫理(ウフグーイ)

戦時中に打ち込まれた砲弾跡

この岩も聖域にふさわしい

寄満(ユインチ)

聖域の雰囲気がよく出ている

聖域の雰囲気がよく出ている

歩く範囲は石畳となっている

三庫理(サングーイ)

三庫理(サングーイ)の内側にある拝所

バス時刻をまちがえてウローカーを見学する

那覇に戻るバスの時刻を間違えてしまい1本(約1時間)待つことになった。バス停にいるのは退屈なので国道331号線を安座間港の方に下りて,途中から小道に入って「ウローカー」を見学した。

ウローカーは琉球王国時代に斎場御嶽へ入る者が泉の水で身を清めた場所でる。御門口(ウジョウグチ)の手前から行くのが本来のルートであるが,現在は道が崩れて通行禁止である。

そのため,国道側からの迂回路を利用することになる。もっとも国道から小道に入り数十mでウローカーに出る。しかし,工事中であり重機が入って周辺を整備していた。石で囲まれた泉からの水路は近いうちには整備されることだろう。


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