亜細亜の街角
蝶々園でオオゴマダラと触れ合う
Home 亜細亜の街角 | 沖縄本島・本部|Nov 2013

本部半島

沖縄本島の北部の中心となるのは名護市であり,市役所は西海岸にあるが市域は東海岸に達している。名護市の西側は本部半島と呼ばれ南部は本部町,北部は今帰仁(なきじん)村となっている。明確な定義はないが,名護市の北側地域は「山原(やんばる)」とされている。

名護市の東側は大浦湾に面しており,湾の南側に半島状に突き出しているところが「辺野古」である。現在,半島部およびその西側は米軍海兵隊のキャン・プシュワブとなっている。キャンプの総面積は約21km2であり,その99%は名護市が占めている。

普天間基地機能を移転させるため,辺野古の沿岸を埋め立てるプランが進行中であるが,2014年に仲井間沖縄知事が埋め立て承認を出した後に行われた名護市長選挙で埋め立て反対を掲げた稲峰氏が再選したことにより,普天間基地閉鎖は先行きが不透明となっている。

名護バスターミナル

10月29日はコザ(バス,1.5時間)→名護(バス,1時間)→本部と移動した。胡屋の交差点から名護に向かうバスは各駅停車であり,ずいぶん時間がかかる。その分,沖縄のローカルの風景を眺めることができる。

名護は本島北部の中心都市であり,普天間基地の移転先としてなにかと話題になっているところである。本島の北部は「山原」と呼ばれる自然の豊かな地域が広がっており,それは名護の北側ということになる。山原も1ヶ所くらいは訪問したかったが,本部に移動してから天気が良くなく,3日目は完全な雨になってしまった。この本島北部の悪天候はしばらく続きそうだったので,那覇に戻ることにした。

海洋博公園行きバスは右回りと左回りがある

名護バスターミナルは本島北部の交通の要所であり,周辺地域へのバスはここから出ている。本部方面へは名護BT→沖縄海洋博公園→名護BTの循環線があり,時計回りは「65本部線」,反時計回りは「66今帰仁線」と呼ばれている。また,瀬底島を経由して新里入り口に向かう「70系統」も海洋博公園を通過する。

海洋博公園はほぼ中間地点にあるので左回りでも右回りでも所要時間はほぼ同じである。高速バスは名護と那覇空港を結んでおり,所要時間は1時間40分ほどである。所要時間は短いし,値段も安いのでこれはお得である。もっとも,海洋博公園を経由する高速バスもあるので,これがもっとも使い勝手がよい。

宿への道|114号線山川で下車する

名護から左回りで本部に向い山川のバス停で下車する。一帯の海岸は海洋博公園となっており,「美ら海水族館」まで10分くらいのところである。宿の「OKINAWAS MOTOBUゲストハウス」はバス停から少し山側に入ったところにある。

道は途中まで民宿山川と同じであるが,民宿山川との分岐点からさらに奥に入るので,夜間は懐中電灯が必需品である。僕は夕食を6時過ぎに116号線沿いの食堂でいただき,それから宿に戻るときは道が分からないほど暗くなっていた。

宿への道|沖縄でも冬場はキャベツができる

亜熱帯の沖縄では冷涼な気候を好む十字架植物(菜の花の仲間)の栽培は難しい。それでも,冬場にはキャベツが栽培できるようだ。

宿への道|もしかしてナーベーラー

果実の外観と色から判断するとキューリではないようだ。縦方向に筋が入っているので沖縄の島野菜である「ナーベーラー」なのかもしれない。「ナーベーラー」はヘチマ(ウリ科・ヘチマ属)の沖縄方言であり,果実から繊維がとれることから正式和名は「糸瓜(いとうり)」である。

熟すると果実内部に繊維質が発達しいわゆる垢すりに利用する「ヘチマ」がとれるが,若い果実はそのまま食用にすることができる。沖縄では皮をむいて味噌あえにするというが,残念ながらこの料理には巡り合うことはできなかった。

宿への道|福木の防風林

沖縄本島では珍しくなってしまった福木の防風林が家を囲んでいる。この見事にそろった防風林は正面から見ると緑の壁のようにそびえ立っている。

宿への道|ようやく到着

民宿山川との分岐点以降は2ヶ所の案内板があるので(少なくとも昼間は)道に迷うことはない。「OKINAWA MOTOBUゲストハウス」の入り口は奥の階段の裏手にある。この階段は屋上に通じており,そこではハンモックに揺られながら日光浴ができる。宿の周辺は緑の多い環境である。

この宿は素泊まりでドミトリーが1泊2000円であり,自炊もできる。オーナーの「ニクさん」は本土から沖縄に移住して,この宿を経営している。屋内は板張りとなっており,ゆんたく空間だけは畳の部屋となっている。

ドミトリーの寝室は二段ベッドが4台入っている。もう一つの客室はどうなっているのか確認していない。そろそろシーズンオフになっているのか,ゲストは御夫婦と僕の二組であった。もっとも二日目からは民泊の修学旅行生が数人宿泊することになり,にぎやかになった。

夏だとゆんたくの場所になりそう

建物の前には大きな縁台が置かれており,夏ならばここでゆんたくができそうである。

裏のブロック塀にも利用者の記念が残されている

敷地を囲むブロック塀には利用者の残した記念のメッセージがたくさん残されている。

ここが居間兼食堂

正面には利用者の記念写真がたくさん貼られている。その左側の棚にはたくさんの泡盛の酒瓶が並べられている。上部にはコの字形の棚が取り付けられており,漫画の本が並んでいる。残念ながら浦沢直樹を除くと僕の趣味には合わない。

山川のバス停の目印となる琉宮城

山川のバス停の前には巨大な「琉宮城」があり,ランドマークになってくれた。ここは観光施設で土産物屋と食堂が入っている。僕はここの「蝶々園」に引かれて入ることになった。

琉宮城には蝶々園があり入ることにした

左手には本島と瀬底島を結ぶ瀬底大橋が見える

「琉宮城」の裏手に出ると本部の海を眺望することができる。正面の瀬底島と本島を結ぶ瀬底大橋が見える。ここはバスが通っているので天気さえよければ片道を歩くプランをもっていたが,滞在3日目は強い雨になりこの計画は流れてしまった。

蝶々園は温室になっている

ここは亜熱帯の沖縄なので温室というよりは蝶が逃げ出さないための囲いのようなものだ。中にはたくさんの植物が植えられ,オオゴマダラが飛び交っている。飛び交っているというのはちょっと正確性を欠く表現である。オオゴマダラの飛び方はとてもゆっくりしており,ヒラヒラと普通のチョウに比べてずっとゆっくりとしている。

人工の花に集まるオオゴマダラ

温室の中には砂糖水を浸した人工の花があり,たくさんのオオゴマダラが吸蜜に集まっている。自然界ではこれだけたくさんの個体が一つの花に集まると争いになりそうだが,ここでは集団で行儀よく吸蜜している。

羽を開いたオオゴマダラ

オオゴマダラ(Idea leuconoe,タハチョウ科・マダラチョウ亜科)は東南アジアに広く分布し,日本では喜界島,与論島以南の南西諸島に分布する。日本国内では最大級の蝶であり,前翅長は7cm,開長は13cmにもなる。

翅は白地に黒い放射状の筋と斑点があり,僕の観察した範囲では翅の表と裏は同じ模様である。白と黒のまだら模様に加えて前翅の中央部はごく薄い黄色にも見える。この黄色の濃淡は個体差があるようだ。

飛び方も大きなチョウにふさわしく,ゆっくりと羽ばたきフワフワと滑空するような飛び方をする。自然界ではそのような鈍い飛び方をしているチョウはすぐに天敵に襲われてしまう。ところがよくしたもので,オオゴマダラは体内に毒素をもっており,天敵は一度食べると次回からは避けるようになる。

この毒素は自分で産生したものではなく幼虫が食草としているホウライカガミ,ホウライイケマの葉に含まれているアルカロイドである。もともとは植物が動物の食害を防ぐために作りだした防御物質であるが,オオゴマダラはそれを自分の防御物質として利用している。

オオゴマダラの幼虫,蛹,成虫には毒素が残っており,金色の蛹や成虫のフワフワとした飛び方は捕食動物に対して警戒させるためだと考えられる。

オオゴマダラが卵からどのように成虫になるかについてネット上で調べてみた。すると, 「オオゴマダラの観察日記」 が見つかった。

この観察日記は「平成24年度那覇地区児童科学作品展」で金賞を受賞したものであり,観察者は小が3年生女子である。自分の家の庭にホウライカガミがあり,しばしばオオゴマダラが産卵に訪れるので観察することを思い立ったとある。

彼女は5匹の個体を個別のケースに入れて観察した。それによると,卵から幼虫になるまでの期間はすべて4日間,幼虫からさなぎになるまでの期間は18-20日間,さなぎから羽化するまでの期間は12-13日間となっており,たまごから羽化までは35-37日間ということになる。

幼虫は黒地に白色の縞模様,頭部には複数の,尾部には1本の突起をもち,お世辞にもかわいらしいとはいえないものである。脱皮は4回,終齢幼虫の体長は40mmほどである。さなぎは尾部を上にしてぶら下がる形態となり,時間が経つと金色に見える。wikipadia によるとこの色は構造色とのことである。

構造色とは光の波長あるいはそれ以下の微細構造により光の干渉が生じ,あたかも色がついているように見える現象をいう。構造色を生み出す微細構造には次の3種類がある。
(1)薄膜による光の干渉
(2)多層膜による光の干渉
(3)微細な溝・突起などによる光の干渉

シャボン玉に色が付いて見えるのは薄膜による干渉であり,ある種の甲虫が金属光沢をもつのは多層膜による干渉であり,CDが虹色に見えるのは微細な溝・突起による干渉によるものである。

オオゴマダラの蛹の厚さは最初は20ミクロンほどであるが2日で40ミクロンほどになる。この厚みが増加した部分は多層構造となっており,それにより光の干渉が生じて金色に見える。

金属の色は反射スペクトルにより異なり,金の反射スペクトルは500nmあたりで急激に増加する。この反射スペクトルはオオゴマダラの蛹のものと類似しており,そのため人間の目には金色に見える。

オオゴマダラの黒白縞模様の幼虫,金色のさなぎ,黒白模様の成虫は天敵に自分は毒をもっているとアピールするため目立つようになったと考えられる。

フィリピン人のシスターも感激していた

彼女たちはミンダナオ島からやって来たという。フィリッピンにもオオゴマダラは分布しているが,これほどの個体数を一度に見ることは自然界ではまずない。ということで彼女たちもこの光景に感激していた。もちろん,彼女たちにはオオゴマダラの金色の蛹を紹介してあげた。

交尾中の個体もいた

交尾中の個体・その2

オオゴマダラの黄金の蛹

目立つ色の蛹は警戒色となっている

■調査中

コバノセンナとランタナ

コバノセンナ(Cassia coluteoides Colladon,マメ科・カワラケツメイ属)と同族のハナセンナはよく似ている。見分け方は葉の先端部が丸いものがコバノセンナであり,少し尖っているものがハナセンナである。どちらも黄色の花がよく目立つ。原産地はどちらも南米であり1-2m落葉低木である。日本では九州以南の暖地で自生している。

スズメガがランタナの花に吸蜜にやってきた。一見花に止まっているようであるが,ホバリングしている。この器用な空中姿勢を維持できるのは1秒間に26回ほどの高速羽ばたきと姿勢制御能力である。

人類は巨大な飛行機を飛ばすことはできても羽ばたきによる飛翔体を作るのは現在の技術をもってしても難しい。室内のような空気環境が安定している空間では可能でも,絶えずランダムな空気の動きのある自然環境では制御が難しい。

一般的に昆虫の大きさと時間当たりの羽ばたき回数は反比例する。チョウは毎秒10回,トンボやガなど大型昆虫の羽ばたきは毎秒20回,ミツバチでは250回,蚊は毎秒600回程度となる。

ちなみに,ホバリングしながら吸蜜するハチドリの羽ばたきは毎秒55-80回程度であり,体の大きさに比して非常に羽ばたき回数が多い。当然,大量のエネルギーを消費するので日中時間はほとんど吸蜜しており,ある種のハチドリは体重の半分ほどの蜜を摂取する。夜間は蜜を吸えないので体温を極端に下げてエネルギー消費を抑える。

オキナワキョウチクトウ

海洋博記念公園の横を通る県道114号線の街路樹となっていた。正式和名はミフクラギ(Cerbera manghas,キョウチクトウ科・ミフクラギ属)といい,熱帯から亜熱帯の海岸近くの森林に分布している。

園芸種のキョウチクトウと同様に食害防止のための毒性をもつので,果実をつぶしたり,葉や枝を傷つけたときに出てくる乳液は有毒である。さすがに,街路樹には果実や樹木は有毒なので持ち帰らないことと表示されている。

新装なった海洋文化館

海洋博公園に付属する「海洋文化館」はリニューアル工事のため閉鎖されていたが2週間ほど前に一般公開されるようになった。この施設では沖縄を含めた太平洋地域における海洋民族の歴史や文化が紹介されており,太平洋を描いた床地図と壁面を利用した大型映像の組み合わせの素晴らしさに驚かされた。また,「世界最高の星空」とされるプラネタリウムにも驚かされた。

海洋文化館|オセアニアゾーン

海洋文化館は指定された3か所の写真ポイント以外は撮影禁止となっている。簡単にいうと2階に展示されている3隻の大型カヌー以外は写真に収めることができない。このような大型カヌーはヨーロッパ人の大航海時代に先がけて,ミクロネシア,メラネシア,ポリネシアという太平洋の島々に進出していった。海洋文化館はそのような海洋民族の航海術や文化を展示している。

2階のオセアニアゾーンは床に太平洋の地図が映しだされ,壁面の大型スクリーンと連動してかって大海原を渡った人々の様子が映し出されている。この素晴らしい空間だけは残しておきたいと一枚撮らせてもらった。

海洋文化館には多くの文物が展示されており,自分で写真を残さないと記憶が定着されない。入館のときにいただいたパンフレットには館内説明はあるものの自分で撮った写真に比べると記憶の呼び覚まし効果はうすい。

海洋文化館|クラカヌー

「クラカヌー」は文化人類学の国際的第一人者といわれるマリノフスキーがフィールド調査をしたトンブリアンド諸島の儀礼的な交換文化になくてはならない航海用カヌーと紹介されている。「ラカイト」はパプア湾モトゥ族の交易に使われていた双胴の大型カヌーと紹介されている。すでに現地でも使われておらず,残された大型カヌーなど舟に関する貴重な資料を元に現地で製作された。

太平洋地域に点在する「ミクロネシア」,「メラネシア」,「ポリネシア」の3地域に居住する人々がどこを起点にどのようにしてそれらの島々に拡散していったかは,人類最後のグレートジャニーとされている。

彼らの祖先は台湾を起点に東南アジアを経由して東はイースター島,西はマダガスカル島まで広まっていった。拡散のきっかけとなったのは約1万年前に氷期が終わり,海水面の上昇によりスンダランドと呼ばれる東南アジアの大陸部と島嶼部がまとまった陸域が水没し,現在のような島嶼部が形成されたことによる。拡散は8000年前には始まり,800年前にはハワイ島に到達している。文献によっては南米大陸に到達していた可能性も指摘している。

この移動を可能にしたのは両側に安定器を備えた帆をもったカヌーと高度な伝統航海術であった。太陽や星の動き,風,海流などにより彼らは地図やコンパスなしに1000km単位の航海を行っている。伝統的な航海術とカヌー製作技術は口伝えで現代にまで受け継がれている。

このような拡散の結果,東南アジアと太平洋上の3地域およびマダガスカル島は共通の祖語から派生した言語圏となり,「オーストロネシア語圏」と呼ばれている。海洋文化館ではこのような海洋文化とその歴史を十分に堪能できる施設であった。

海洋博記念公園|修学旅行生の記念撮影

海洋博記念公園|夕暮れの風景

すっかりマンホールを撮るくせがついてしまった

「もとぶ おすい」と記されており,本島では市町村ごとにマンホールのふたは異なっているようだ。

クダマキモドキの仲間かな

夕方,食事に出かけようとようとすると入口の網戸にキリギリスのような虫が止まっていた。キリギリスの仲間は識別がとても難しい。沖縄のキリギリスで検索して画像を比較した結果,クダマキモドキの仲間であろうと判断した。

今日の夕食はチャンプルー食堂でゴーヤチャンプルー

夕食は県道114号線を海洋博公園の方に向かって少し行ったところにある「チャンプルー食堂」でゴーヤチャンプルーをいただいた。県道114号線から宿までの帰り道はところどころに外灯がある暗い夜道であり,室内の非常灯になる明かりを頼りに歩いた。

しかし,見える範囲が狭いので分岐点をまちがえてしまい,どんどん奥に入り込み,分岐点まで引き返すことになった。分岐点のところには小さな看板が出ているが,僕の灯りではそれを見過ごしてしまった。

ゲストハウスのオーナーはニクさん

ゲストハウスのオーナーは「通称ニクさん」であり,本名は不明である。沖縄県人ではなく本土からの移住者であるが,現地の人々や地域社会にすっかり溶け込んでおり,生粋の沖縄人のようにも見える。三線と泡盛をこよなく愛し,彼が三線で歌を披露してくれる傍らで僕は日記作業をしていた。

滞在3日目|雨模様の天気の中をお出かけ

滞在2日目は丸1日を「美ら海水族館」で過ごした。「美ら海水族館」の見学記は次ページにまとめておく。滞在3日目は完全な雨になり,本部町まで歩くだけで終わった。沖縄北部の天気は2-3日悪いとのことなので,山原はあきらめて那覇に戻ることにした。

瀬底島と本部を結ぶ瀬底大橋

正面の湾状の海ではクロマグロの養殖が行われているという。本部港ではクロマグロの水揚げが行われており,僕が到着したときは氷の入った保管箱に入れられてしまっていた。

沖縄海洋博公園|立派なガジュマルの木

ガジュマルは不思議な形態をもつ植物である。鳥のふんと一緒に樹木の枝や崖などに排泄されても,根は地表に向けて急速に伸びていく。地表に達すると養分を吸い上げ急速に成長する。根は太くなって幹のようになり,幹は上方に伸びるとともに横枝を出す。

横枝からは気根と呼ばれるたくさんの細い根を出し,地表に向かって伸びていく。気根が地表に達すると幹のように太くなり,しだいに複数の幹が樹木を支えるという奇妙な樹形となる。

インドのコルカタ植物園にある世界最大のバニヨン樹(ベンガルボダイジュ)は(人為的な手入れのため)親木(すでに無くなっている)を中心にほぼ円形の広がりをもち,面積は1.5haを占めている。

下から見上げるとほとんど空は見えない

アダンの木も同様であった

子どもたちの隠れ家

たまうちさんちのシーサーはちょっとすごい

海洋博公園では降ったり止んだりの状態であった雨は本部町に向かって歩き出した頃から本格的な降りになってしまった。それでも傘をさして歩いて行くと道路下にちょっとすごいシーサーがあった。これでは家に入ろうとする悪霊も退散することだろう。

トックリヤシモドキの果実はナツメヤシに似ている

樹形はまったく異なるが果実は中近東に多いナツメヤシと類似している。熟したナツメヤシの実を乾燥させたデーツは長期保存が可能であり,乾燥地帯に住む遊牧民は伝統的に乾燥させたデーツと乳製品を主食としている。

ガジュマルの木も一斉に葉を落とすことがあるのかな

この植物の樹形はガジュマルの仲間と判断できるが,完全に落葉し新芽がいっせいに芽吹いているところだ。ガジュマルは常緑高木とされているので僕の判断が間違っているのかもしれない。ガジュマルは熱帯・亜熱帯地域の植物なので寒さにあうと落葉することもあるらしいが,沖縄ではちょっと考えられない。

浦崎の交差点にはコンビニもある

114号線を南に行くと449号号線とT字で交差する。この交差点にはコンビニもある。

パッションフルーツの木を発見

パッションフルーツ(クダモノトケイソウ,Passiflora edulis,トケイソウ科・トケイソウ属)の原産地は中南米の亜熱帯地域である。現在は果実が食用となる品種の中で優れた性質をもつものがさらに品種改良され,世界中の熱帯・亜熱帯地域で栽培されている。日本では古くから南西諸島を中心に栽培されており,現在では関東地域のハウスでも栽培されている。

パッションフルーツは温度に関してはずいぶんぜたくな植物である。越冬には4℃以上が必要であり,30℃以上の気温が続くと高温障害を起こす。これではちょっとした猛暑の年には本土では収穫が難しくなる。その点,沖縄は夏でも最高気温が32℃あたりのことが多く,栽培の適地である。

東南アジアでは生食されることが多く,市場でも売られている。しかし,世界的にはジャムやジュースのような加工品として販売されることが圧倒的に多い。

トケイソウの仲間はユニークな花でも知られている。和名は時計板のような円形の花と3つに別れた雄しべが時針,分針,秒針のように見えることから時計草となっている。

英語名は「passion flower(受難の花)」であり,「キリスト受難の花」とされている。この名称は16世紀の南米に派遣されたイエズス会宣教師がキリスト教の故事にちなんで命名したとされる。

パッションフルーツの名前は英語名の花に由来している。一方,和名は「果物時計草」であり,こちらも花にちなんで命名されている。

海岸の風景

本部町の中心部は入江のような地形の南側にあり,海岸線を延長する形で本部大橋が両岸を結んでいる。橋の少し手前に小さな砂浜があり,そこに岩塔が立っている。おそらく海食により取り残された海食柱であろう。ちょっとした光景なので写真にしようとしたが,雨の中をカサをさしながら写真を撮るのはかなり大変であった。

本部大橋

本部大橋はかなり立派なものであり,取り付け道路を含めると400mほどあり,中央部は船を通過させるため高くなっている。

渡久地の漁港

大規模な工事が行われている

本部大橋の下では護岸工事および橋梁整備にための大掛かりな土木工事が行われている。機械の力により円筒形の基礎杭が少しずつ泥の中に押し込まれていく。

クロマグロは内臓を出されすぐに氷づめにされた

本部漁港に到着した時,養殖クロマグロはすでに内臓処理が終わり,氷の入った保存容器に入れられるところであった。クロマグロが見られたのはほんの一瞬であり,写真を撮る暇もなかった。

マグロ(鮪)はスズキ目・サバ科・マグロ属(genus Thunnus)に分類される回遊性の大型肉食魚類の総称であり,日本を始めとする世界各地で重要な食用魚として漁獲されている。代表的な魚種には太平洋クロマグロ,大西洋クロマグロ,ミナミマグロ(インド洋),メバチ,キハダ,ビンチョウなどがあり,日本でホンマグロとされているのは太平洋クロマグロおよび大西洋クロマグロのことである。

日本人は世界で漁獲される高級マグロとされるクロマグロの約80%を消費しており,その6割を輸入している。

マグロは海の食物連鎖の頂点近くに位置しており,その資源量はそれほど多くはない。クロマグロの年間世界消費量は3万トン,ミナミマグロは1.1万トン程度と推計される。漁獲量ではなく消費量としたのは,消費量の中には天然ものと養殖ものが含まれているからである。

ホンマグロの価格は魚類の中でも群を抜いて高価である。平成23年から24年にかけての築地市場における生ホンマグロの取引価格は1kgあたり1000-67,000円となっている。このような高価格は必然的に乱獲につながり,大西洋クロマグロ,ミナミマグロの資源量は危機的状況になっている。太平洋クロマグロも資源量は低下している。

天然ものの資源量が減少しているので,それを補うために「養殖」が行われている。とはいってもマグロの完全養殖は技術的にきわめて困難であり,2002年に近畿大学でようやく成功したと報道されている。それでも人工受精→稚魚→幼魚→成魚と成長させる過程における歩留まりは悪く,そう簡単には事業化できない状態である。

現在行われているマグロの養殖とは「蓄養」のことである。もともとは産卵後の痩せたクロマグロを生簀で肥育し脂の乗った高級マグロとして出荷したのが始まりである。現在では幼魚(0-3歳)を捕獲し生簀で蓄養するスタイルとなっている。ただし,JAS法では蓄養という用語はなく,給餌して育てた魚はすべて養殖魚とされている。

養殖は一見マグロ資源の保護につながるようにみえるが,幼魚が大量に捕獲され,繁殖に参加できる個体が減少することにつながり,資源の減少を招くことになる。

資源量が危機的状況の大西洋クロマグロ,ミナミマグロでは国際管理機関による厳しい規制が設けられ,比較的資源状況のよい太平洋クロマグロについても「中西部太平洋まぐろ類委員会」は2013年にクロマグロの幼魚(0-3歳)の捕獲量を2002-2004年平均から15%削減することを決定した。

太平洋クロマグロの成熟年齢は5歳とされており,体長150cm,体重は70kgほどになる。その後も年齢とともに体長・体重ともに増加していくが,日本の養殖では5歳あたりの時期に出荷される。日本における蓄養マグロは20か所で行われており,出荷量は年間3000トン,沖縄産のものは300トンとなっている。

本部町の沖合には直径400mほどの円形の養殖場があり,その中に長方形の生簀が複数配置されている。生簀の大きさは縦60m,横40m,深さ20mとなっている。生簀は11あり,現在2万匹のホンマグロが養殖されている。養殖本マグロは品質,出荷量,価格が安定しており,、一晩冷やし空輸で出荷するため鮮度も良い。

人がいなくなるとカラスが集まってくる

資源保護は重要な課題だ

本部大橋を下から見上げる

渡久地地区には伝統家屋が残されている

昼食は近くの食堂で煮物定食をいただく

漁港の近くには食堂があり,ちょうど昼食時間だったので中に入る。本部の名物は沖縄ソバでありこのところずっと食べていたので,今日は煮物定食を注文した。味付けは薄味であり,石垣島でいただいた季節行事のものと類似している。

客は地元の人とウエットスーツ姿のダイバーのグループである。安い定食屋はあまりないのか,ここの食事の評判がよいのかテーブルはすぐに埋まってしまった。

食事が終わるととなりのテーブルのおじさんからどこに泊まっているのかとたずねられた。「山川です」と答えると,彼は今帰仁に戻るところなので送ってあげると告げられた。これは沖縄流のもてなしなのかと解釈し,小型トラックで送っていただいた。小雨の中を歩かずにすんだのでこれは助かった。

本部から那覇まで高速バスがあった

本部では3泊し,翌日からの天気予報は芳しいものではなかったので那覇に戻ることにした。海洋博公園や本部からは那覇に向かう高速バスが運行されている。僕の泊まった山川ではこのバスが「やんばる道の駅」の隣りのリゾートホテルに立ち寄ってくれるので11時過ぎの便を利用することにした。とはいうものの,リゾートホテルなどには縁のない僕にとってはここのロビーはちょっと居心地が悪い。

宿の近くのリゾートホテルから那覇まで直行する

高速道路の休憩所の売店は本土と同じである

11月になってもアイスクリーム屋が営業している

沖縄の有名ハンバーガーショップも出店している

ジェフは沖縄生まれのファストフード・チェーンであり,地元では評判が良いようだ。その系列店が高速道路の休憩所にもあった。とはいうものの,日本ではまずハンバーガーを食べることのない僕としてはメニューを眺めて沖縄独自のハンバーガーをチェックする程度である。

ジェフといえばゴーヤーバーガー

ジェフの看板メニューは「ゴーヤーバーガー」と「ぬーやるバーガー」ということになるらしい。この他にもウェブサイトでは「ハムチーズサンド」や「ハムエッグサンド」,「チーズバーガー」,「チキンサンド」,「フィッシュサンド」などのメニューもある。

ゴーヤーバーガーの具はゴーヤーの入った卵焼き,ぬーるやバーガーの具はゴーヤー入りの卵焼きに焼いたポークランチョンミートが追加されている。いかにも沖縄発のバーガーという感じがする。


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