亜細亜の街角
3泊の予定が宿の改修のため1泊になり大急ぎで見学する
Home 亜細亜の街角 | 沖縄本島・コザ|Oct 2013

嘉手納基地と胡屋交差点

那覇から名護市まで沖縄自動車道が通っており,宜野湾市から沖縄市にかけての自動車道の西側は広大な米軍基地となっており,その中には普天間基地(宜野湾市),嘉手納空軍基地(沖縄市)など沖縄以外の人々でもよく耳にする基地も含まれている。

沖縄自動車道は嘉手納基地の西側の境界線に沿っており,沖縄南インターから少し北東にある基地ゲートから国道330号線(サンサン通り)に向かう通りが空港通り(ゲート通り)であり,330号線との交差点が胡屋(ゴヤ)交差点である。

330号線はその東側で329号線と交差し,この交差点はコザ交差点と呼ばれている。わずか1kmほどのところに似たような名前の交差点があるので地元の人でも間違えるという。このあたりの地域はコザと呼ばれており,米国文化と沖縄文化が融合し,沖縄の音楽ステージの最前線でもある。

那覇バスターミナル

那覇から沖縄本島の各地に向かうバスはほとんど「那覇バスターミナル」から発着している。場所はゆいレールの旭橋駅の東側であり,敷地は直角三角形の形をしている。三角形の長辺は壺川通りに面しており,直角部の長い辺にはバス会社の事務所がある。

乗り入れているバス会社は琉球バス交通(19路線),沖縄バス(18路線),那覇バス(9路線),東陽バス(6路線)となっており,どうやって目的地に向かうかは旅行者には難解である。迷わずじみゅ所を訪ねた方がよい。

バス会社の事務所に行くと「おきなわバスマップ」というけっこう厚い冊子をもらうことができる。この冊子には沖縄本島のバス路線と時刻表が網羅されている。

また,バス路線だけを確認するなら「おきなわ本島バスルートマップ」が便利である。大きさはA4サイズの8倍の大きさであり,折りたたむことができる。通常のバス移動はルートマップだけで十分であるが,本数の少ない路線を利用するときは時刻表が必須である。

那覇バスターミナルには数多くの路線が接続しているため,ターミナル内に1-14の乗り場があり,それぞれから複数の路線が出ている。また,周囲の道路上に旭橋バス停とバスターミナル前バス停がある。バスに乗るためにはまず目的地に行く系統番号を見つけ出し,その系統がどの乗り場から出ているのかを確認しなければならない。

10月28日は宿(徒歩,10分)→晴明病院前(バス,30分)→糸満BT(バス,30分)→那覇BT(バス,1時間)→胡屋と移動した。バスの接続が良かったので胡屋到着は12時少し前であった。

ごーやー荘に到着

胡屋のバス停から国道330号線(サンサン通り)を北東方向に10分ほど歩くとボーリングセンターがあり,その少し先の路地を南に曲がると「ごーやー荘」が見つかった。想像通りの伝統的な民家であり,壁にごーやー荘の表示が無ければ通り過ぎてしまったかもしれない。

ともあれ,宿に到着した。しかし,管理者に宿泊希望を伝えると,「明日から家の修繕が始まるので宿泊は今日だけ」と伝えられた。別の宿を探すのも面倒なので,胡屋は1日とし翌日は本部に移動することにした。

もともとは3日間の滞在予定であったので余った2日間は山原に行くことにした。しかし,実際には本部の3日目から天候が悪化し,山原をあきらめて那覇に戻ることにした。最終的にこの2日間は慶良間諸島行きに充てることになった。

ごーやー荘は伝統的な民家を素泊まり宿にしたもので1泊2100円である。到着すると台所に厚手のクレープのようなお菓子が大きな皿に盛ってあり,喜んでいただくことにした。糸満の「みん宿ヤポネシア」の朝食はパン,パパイヤチャンプルー,ヨーグルト,コーヒーであり,十分にいただくことができたので,昼食はこのお菓子だけで十分であった。

国道330号線|住吉交差点から東を見る

国道330号線|住吉交差点から西を見る

このボーリングセンターは良いランドマークになってくれ,方向音痴の僕にとってはありがたい存在であった。

国道330号線|胡屋北交差点付近

国道330号線を西に行くと胡屋北交差点があり,ここから北側に通じる道が「パークアヴェニュー」と呼ばれている。パークアヴェニューをまっすぐ行くと嘉手納基地の外縁を通る沖縄自動車道に出る。

その手前に複合商業施設「コリンザ」がある。ここの屋上は嘉手納基地やコザ周辺を眺望することのできる隠れた穴場である。「コリンザ」はパークアベニューの活性化のために造られた第三セクターが運営する複合商業施設であるが,テナントの相次ぐ撤退により経営は厳しい状況である。

パークアベニュー

琉球人とアメリカ人が秩序ある取引のできる場所を作ろうと生まれたのが,ここ中央パークアベニューだ。当初は,通りの開設目的である「商業の中心地」という意味の「BCストリート(Business Center Street)」という名前が付いていた。

1950年の開設からしばらくは,健全な商売をする飲食店が主だったが,やがて売春などをする店が増え風紀が乱れて行ったことから,沖縄市主導で1982年に日本人向けのショッピングモール・中央パークアベニューへと生まれ変わった。

このときヤシの街路樹と白い屋根の連なる姿の美しさが話題となり,1987年には建設省(現・国土交通省)から手作り郷土賞を受けている。(沖縄市観光ポータルサイトより引用)

一方通行で両側は商店街になっている

パークアベニュー郵便局

演劇の案内と不思議な造形の取り合わせ

横文字の看板も多い

「アメリカンピザマン」のオーナーはうちなーアメリカン,直径35cm,重さ1kgという特大ピザ(2700円)がメインメニューとなっている。とても少人数では食べきれないので1ピース350円でも販売している。

ブロックごとに庇の色が変わる

パークアベニューは通りで仕切られたブロックごとにシンボルカラーが変化している。

刺しゅうの店 クレイジーストアー

ここはオーダーメイドのワッペンを手掛ける刺繍の店である。壁一面に貼られた既成ワッペンはアメリカ人の好みをよく表している。店の名の由来はアメリカ人の客が刺繍の素晴らしさに「I'm crazy about it! (正気を失いそうなくらい素晴らしい出来だ!)」と激賞したことによるという。

タコスは沖縄の味?

タコスはメキシコを代表する料理のひとつである。主食であるトウモロコシのトルティーヤ(鉄板で焼いた薄いパン)で様々な具を包んで食べるものであり,メキシコ版のサンドイッチあるいはハンバーガーともいうべき国民食である。

トルティーヤに挟む具材は肉料理,内臓料理,魚料理,野菜料理など多様であり,地域により異なる。また,食事の時間帯により好まれる具材も変わる。

このタコス(スペイン語の単数形はタコ)はおそらくメキシコ系の米国軍人が持ち込んだものである。米軍基地周辺ではタコスを出す飲食店ができ,沖縄に広まっていった。当時の為替レートは固定相場制であり1ドル=360円であり,米軍関係者は相対的に安いタコス料理を食べることができた。

ところが1970年代になると変動相場制に移行し,円はドルに対してどんどん値を上げていった。そのため沖縄の米兵はタコスの値段が高いという不満をもつようになった。確かにタコスだけでお腹いっぱい食べるとすればそれなりの値段になったことだろう。

この不満を解決するためごはんの上にタコスの具材を載せる料理が作られた。それが「タコライス」である。ごはんで満腹感が得られるため安上がとなった。この店に記載されている「メキシコ生まれの沖縄育ち」というコピーはそのような事情によるものであろう。僕はけっこう長い間,沖縄を旅行したがタコライスにはまったく縁がなかった。

コリンザからの眺望|85号線と沖縄自動車道

パークアベニューの終わりには複合商業施設コリンザがあり,その屋上からコザや嘉手納基地が眺望できる。

コリンザからの眺望|自動車道の向こうは嘉手納基地

嘉手納基地

一般的には「嘉手納空軍基地」と呼ばれているが,日本側の正式名称は「嘉手納飛行場」というようだ。総面積は約20km2,3700mの滑走路2本を有する日本でも最大級の飛行場である。面積は日本最大の空港である東京国際空港(羽田空港)の約2倍である。かつてはスペースシャトルの緊急着陸地に指定されていた。(wikipedia)

コリンザからの眺望|東側

コリンザからの眺望|南側

ゲート通りの終点近く

コリンザからやまなか通りを南西に行くとじきに嘉手納基地の正面ゲートと国道330号線を結ぶ「ゲート通り」に出る。ここはもう基地ゲートのすぐそばなのだが警備兵の姿は見えない。基地ゲートもチェックポストがあるだけだなので,ちょっと拍子抜けする。

ゲート通りの商店や飲食店は嘉手納基地の米軍関係者のを相手に発展していった。今でも往時の異国情緒を最も残す場所で,雑誌の撮影などにもよく使われている。

嘉手納基地ゲート

ゲート通りは胡屋交差点まで続く

ゲート通りは国道330号線まで伸びており,そこが「胡屋(ごや)交差点」である。ここは「胡屋十字路」とも呼ばれ,そこから国道を2kmほど東に行くと「コザ十字路」がある。これでは地元の人でもまちがえそうだ。

横文字の看板が多い

ゲート通りは米軍関係者が主要な顧客であったことから確かに英語の看板が多く,異国の雰囲気が多少なりとも漂っている。現在は円高ということもあり,米兵相手だけでは商売にならない状態であろう。かといって昼の時間帯に商売が繁盛しているようにも見えない。

初代ネーネーズの「あめりか通り」は20年前くらいのこの通りを唄ったのであり,その歌詞から往時のにぎわいを感じとっていただきたい。

いろんな国の言葉たちが
街にあふれてる
アコークロー昼と夜のはざま
パーンショプのにぎわい
オーディオ店のネオン
インド人の洋服屋
異国のように
横文字が踊っている

*1)あめりか通りのたそがれは
ロックに島唄ラップにレゲエ
我っ達島やコザの街
チャンポンチャンプルー
チャンポンチャンプルー
あめりか通り

糸をひくよな飛行機雲
大空に絵を描く
アコークロー昼と夜のはざま
白いはだの女
黒い肌の男
茶色のはだの島の人
ガラスのショーウィンドーに
恋人たちを写している

*1)繰り返し

映画のセットのような店
街に輝いている
アコークロー昼と夜のはざま
GIたちの笑顔
風になびく金髪
物売りの変な英語
街はおもちゃ箱みたい
夢とロマンがころがっている

*1)繰り返し

胡屋交差点|東西の国道は330号線

ゲート通りの南側の終点は胡屋交差点であり,ここは沖縄の音楽発信基地の一つである。英語と漢字の看板が並存することからも分かるように,この地域はアメリカ音楽と三線のたおやかな音色が交差するチャンプルー地域でもある。その中から沖縄独特の音楽が生まれている。

現在は沖縄市となっているこの地域は太平洋戦後に米軍統治下に「胡差市」となる。「コザ」の名称は米軍が胡屋(GOYA)をKOZAと誤認したものといわれている。胡差市は米軍相手の商業を中心に発展し,1956年の7月に「コザ市」となった。日本復帰後の1974年にコザ市は美里村と合併して「沖縄市」となったが,「コザ」の名前は今も沖縄の人々の中に生き続けている。

胡屋交差点|広島東洋カープを応援する

胡屋交差点|安い散髪屋がある

コザは沖縄の音楽中心地

沖縄シティ一番街の入り口が見える

沖縄ではライオンズマンションのエントランスには…

コザはエイサー発祥地ともされている

エイサーは沖縄県で旧盆の時期に踊られる伝統芸能である。この時期に現世に戻ってくる祖先の霊を送迎するため,若者たちが歌と囃子に合わせ,踊りながら地区の道を練り歩く。明治時代は手踊りとともに念仏の詠唱を村の若人が代行する形であったエイサーが戦後に現在のようなスタイルに変わった発信地がコザとされている。

この時期,コザ市は若者人口が多く,1956年に始まった全島エイサーコンクール(現の全島エイサー祭り)の影響もあり,観客を意識した派手な衣装や太鼓のパフォーマンスなどが取り入れられた。

沖縄市は地域の誇れる伝統芸能であるエイサーを今後とも継承発展していくとともに,青少年の健全育成,エイサーの活用による地域活性化を推進することを目的に平成19年に「エイサーのまち」宣言を行った。

交通安全もエーサーに頼る

自販機の商品群

僕は自宅にいるとき自販機で飲み物を買うことはほとんどないので商品知識には乏しい。それでも沖縄の自販機には関東では見ることのない商品がいくつかあることが分かる。

月桃と書いてゲットウと読む

ゲットウ(月桃,Alpinia zerumbet,ショウガ科・ハナミョウガ属)は熱帯から亜熱帯アジアに分布し,日本では沖縄県から九州南部に自生する多年草である。

地上に出ている茎は偽茎であり,地下茎から伸びた葉鞘が何重にも重なって茎のように見えるものである。偽茎は高さ2mほどになり,先端の方に大きな葉をつける。この葉を見るとショウガの仲間であることが分かる。花の時期は9-10月とされ,ここのものはすでに赤い実になっている。

沖縄では冬至前にゲットウの葉で「ムーチー」をくるんで蒸す習慣がある。「ムーチー」は餅を表す沖縄方言であるが,本土のように蒸したもち米をつくのではなく,もち米の粉をこねて黒砂糖などで味付けし,ゲットウなどの葉でくるみ蒸して作る。与那国島ではクバの葉でくるんで蒸したクバ餅をいただいたが,それと類似のものであろう。

琉球瓦ではなくスレートになっている

国道330号線を東に移動し宿を通り過ぎたあたりに,道路から下の土地が見える場所があった。そこには何軒かの伝統的な家屋が固まっていた。ただし,屋根は赤瓦ではなくスレートになっていた。こんなところにも時代の流れを感じることができる。

看板から世相が分かる

宿の近くに看板屋があり,店の前にはサンプルが並んでいた。ポイ捨て禁止やとび出し注意は現代の世相を反映してものであり,ハブに注意は沖縄だねという気にさせる。

夕食はデイゴホテルでいただく

夕食は宿の常連のおじさんに誘われてデイゴホテルの二階にあるレストランでいただく。ゴーヤ,豆腐,卵,豚肉を使ったゴーヤチャンプルー定食(900円)の味は上々であった。もずく酢の酢は自家製ということでとてもやさしい味でそのまま飲んでもむせることはない。サトイモのお菓子タームは上品な甘みがよい。

公設市場の朝市を見学する

翌日は移動日であり,朝の早い時間に近くの公設市場の朝市を見学に行く。ここは前日の夕方に訪れたが,すでに終わりの時間であったので,ミカンだけを買って今朝は再訪問となった。

島にんにく

島にんにくは球根部分だけではなく茎の部分も一緒にして売られていた。この姿だと「ニンニク」が主ではなく「ニンニクの芽」が商品となっているようだ。

えんさいは空芯菜のこと

ヨウサイは空芯菜(クウシンサイ),エンサイなどとも呼ばれ,ヒルガオ科・サツマイモ属の野菜である。茎が空洞になっているため中国語で空心菜あるいは通菜という。いってみればサツマイモのつると葉を野菜としているようなものであり,関東ではほとんど見かけない野菜である。中国や東南アジアでは湯(スープ)や炒め物としてよくお目にかかる。

定番のゴーヤ

沖縄料理では定番となっているゴーヤである。正式和名は「ツルレイシ」であり,「ニガウリ」とも呼ばれる。しかし,沖縄方言の「ゴーヤ」あるいは「ゴーヤー」が全国的に使用されるようになった。ゴーヤ(Momordica charantia var. pavel,ウリ科・ツルレイシ属)は未熟な果実を野菜として利用している。レイシ(茘枝,ライチ)は東南アジア・中国南部で広く栽培されている果物であり,外観的にもゴーヤとはかなり異なっているので僕の中でもピンとこない。

つる性の一年生草であり,成長すると長さ4-5mになる。果実は細長い紡錘形で長さ20-50cmであり,表面はたくさんの小さなイボで覆われている。食用とする未成熟のゴーヤは緑色であり,完熟すると黄色になり裂開する。果肉の中には種子があり,その外側の仮種皮は赤いゼリー状となるので鳥が食べ,種子を散布することになる。

冬瓜(トウガン)

トウガン(冬瓜,Benincasa hispida,ウリ科・トウガン属)はつる性一年草であり,野菜として栽培されている。原産地はインドから東南アジアにかけての地域であり,トウガンの名前は中国語の冬瓜(トングワ)からきている。

冬瓜の名前にもかかわらず,日本では夏の野菜となっている。沖縄でもそろそろ収穫の終わりの時期になっているようだ。実は楕円形で80cmにもなるが,成分のほとんど(96%)は水分である。水分の多いスイカでも水分含有量は90%程度なので,トウガンの水分は際立って多い。

新鮮なショウガ

タルガヨー

写真には「たるがー」の文字までしか写っていなかったので調べるのに手間取った。「沖縄 柑橘類」で検索すると沖縄の柑橘類を食べ比べた「Dee okinawa」というサイトが見つかった。この方のサイトにはディープな沖縄情報が掲載されている。下の写真と以下の文章はこのサイトから引用させていただいた。

四季柑はカラマンシーのことであり,フィリピン開発された柑橘類である。和名の由来は四季を通して収穫できることからである。フィリピンではホットレモンのメニュー表示はだいたいカラマンシーが使用されている。

シークヮーサーの和名はヒラミレモン,刺身に絞ったりという薬味的な使い方あるいはジュースなどの加工品として広く出回っており,僕も沖縄旅行中にはずいぶんお世話になった。

カーブチーは「皮が厚い」ことに由来する名前の沖縄在来種のミカンである。。タルガヨーはカーブチーとオートーという沖縄在来種の交配種らしい。ウンジュ,タロガヨなど色々呼び名があるけど最近はタルガヨーで統一されてきたようだ。昨日,僕が買ったタルガヨーは温州ミカンに比べて少し酸味が強いという程度であり,問題なくいただくことができた。

なた豆

ナタマメ(鉈豆,Canavalia gladiata)はマメ科の一年草であり,刀豆(トウズ,タチマメ)などとも呼ばれている。いずれも名前の由来は特異な形状の豆のさやによる。熱帯アジア原産で江戸時代に渡来し,特に薩摩藩でよく栽培された。

夏に淡紅紫色または白色の花をつけ,その後に長さ約25cmにもなる平たい湾曲したさやをつける。若いさやはそのまま食用に使用される。熟したさやの中には大粒の豆が10粒以上も入っている。この豆にはいくつかの薬効成分が含まれており,血行促進や免疫力の向上などのさまざまな効能がある。そのため,「なた豆」で検索すると,「なた豆茶」がたくさんヒットする。

なた豆の内部はこうなっている

輸入品の菓子類も多い

米軍関係者が買い求めるのか,ここには米国で販売されていると思われる菓子類もたくさん並んでいる。

肉屋では豚が解体されている

本土ではスーパーマーケットでパック入りの肉を買うことが多くなった。いわゆる精肉店でも枝肉にしたものを仕入れて販売している。ところが沖縄では肉屋の奥で豚が解体されていた。本土の女性たちが見たら逃げ出したくなるような光景である。僕は中国や東南アジアの市場を覗いて,このような光景は見慣れているので逆になつかしい感じも受ける。

長い沖縄の歴史においては豚はハレの食事には欠かせない材料であり,ハレの日以外にはめったに口にできないものであった。「蹄と鳴き声以外はすべて食べる」という中国の影響を受けて,一頭の豚を文字通り頭から足先まで料理に使用する。本土では特殊な料理にだけ使用される部位も,下記のように沖縄では一般家庭料理として使用される。

● ラフテー(ばら肉の角煮)
● ソーキ(あばら骨の部分を煮込んだもの)
● ミミガー(耳を軟骨部分ごと食べる)
● チラガー(頭部の皮を利用したもの)
● 足テビチ(足の部分をじっくりと煮込んだもの)
● イリチー(内臓を炒めたもの)
● 中身汁(内臓を使用した吸い物)

公設市場の精肉店では部位ごとに分類されものが販売されており,その中には足テビチや内臓も含まれている。このような光景を見ると肉を食べるということはこういうことなのだと屠殺された動物に対する感謝の念が湧いてくる。

穀物や野菜などの植物についても同様であり,人間の食事は命をいただいているということを認識させられる。アジアの多くの市場を見学すると,命をいただいていることが良く分かるので,僕は材料を含め可能な限り食べ物を捨てない生活を心がけている。


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