黒島
黒島は琉球石灰岩で覆われたほぼ平坦な島である。八重山諸島のうち竹富島,波照間島も同じような地質的特徴をもっている。それぞれの島の基盤岩は2000-1500万年前に海底で形成された八重山層群と呼ばれる堆積岩であり,地殻変動により隆起してできた島である。
海底が海面近くまで隆起してくるとサンゴ礁が発達する。島の隆起速度に比して生命活動であるサンゴ礁の形成はずっと早いので,基盤岩の上にサンゴ礁が形成される。
サンゴ礁は上方と水平方向に発達するが,海水面近くまで達すると上への成長はできなくなる。そのため,水平の広がりをもつサンゴ礁となり,島がさらに隆起するとサンゴ礁は海面上に出て,化石化した琉球石灰岩を表層とする平らな台地状の島となる。
黒島は面積10km2,周囲は12.6km,最高標高が14mという平坦で小さな島であり,人口は219人である。島のほとんどが牧草地あるいは放牧地となっており,飼育されている牛(黒毛和種)は約3000頭であり,人口の14倍となっている。
集落は中心部の東筋がメインであり,他に西南海岸近くの仲本,宮里,北側の黒島港周辺の保里などがある。黒島は高速船(毎日5便)とフェリーで石垣島と結ばれており,その玄関口となっているのが黒島港である。
周囲12.6kmの小さな島であり,その気になると1日で回ることができそうだが,3泊してのんびり見学することにする。
与那国空港から石垣空港に移動する
今日のフライト時間は09時45分である。出発準備が08時のバスに間に合わなかったので,おじ〜に送ってもらうことにした。09時少し前に空港に到着し,おじ〜に3日間のお礼を言ってお別れする。
チェックインは09時からということでしばらく待合室で待つことになった。チェックインの後も登場待合室の入り口が開くまで待つことになる。この間はみやげ物店を回ることになった。
与那国の黒糖は100円,与那国特産というクバもちは4本で500円であった。クバもちはクバの葉が練り込んであるわけではない。もちをクバの葉にくるんで蒸したものである。クバの葉には強い殺菌力があるので日持ちするという。昔の人の知恵である。クバの葉のお茶は薬としても利用されていたという。
グルクンのポスターもあったので写真にする。グルクンはお沖縄の呼び名であり,正式な和名はタカサゴ(Pterocaesio digramma,スズキ目・タカサゴ科)である。インド洋・西太平洋の熱帯域に分布する海水魚であり,沖縄では県魚に指定されている。旅行中に一度は食べてみたいと思っていたが,残念ながら希望は叶わなかった。もっとも,市場関係者のサイトでは「沖縄や西南諸島では代表的な食用魚だが,関東などでは評価の低く,値段は安い」という評価が掲載されていた。
窓側の席はとれたが前の座席との間隔が狭いので足元の荷物がじゃまだ。おまけに,離着陸時はデジタルカメラ,デジタルビデオを含めて電子機器の電源をお切りくださいというアナウンスが流れる。カメラ禁止とは初めて聞く。これはカメラを内蔵している携帯電話を考慮してのことであろう。
東崎の岬はこのようになっていたのだ
眼下には東崎が見える。滞在2日目に強風の中を歩いた道が灰色の線となって東崎に向かっている。あの日の行程はたいへんだったなあと追憶しながら眼下の風景を眺めていた。
石垣空港から離島ターミナルに移動する
石垣空港到着は10時15分頃となる。石垣島の離島ターミナルから黒島行の高速船は13時発なので時間は十分にある。石垣空港はすでに見学しているのでそのままバスで離島ターミナルに移動する。
待合室で黒島と竹富島の観光地図を入手し,与那国空港で買ったクバ餅を2本いたたき昼食にする。クバの葉は蒸したものが使用されており,独特の匂いがある。もちろん,それは不快なものではない。
離島ターミナルに移動するバスの中で高速船の割引券(260円分)をいただいたので,黒島往復は2230円となる。安永観光の公式サイトでは黒島の往復運賃は2140円であるが,燃料油価格調整金が片道170円加算されるので通常運賃は2480円となる。黒島までの所要時間はおよそ30分である。
今日も巡視船が係留されている
チケットは割引の関係で安永観光で購入したが,船は八重山観光のものとなった。この二社はチケットの互換性をもっている。八重山地域では高速船の運営会社が3社もあり,顧客獲得競争を繰り広げてきた。
これは市場経済原理に基づくものであるが,小さな市場における過度の競争は共倒れの危険性をつねにはらんでいる。離島に住む人々にとって高速船は必要不可欠のものであり,あるべき姿は適正利潤による持続可能な経営である。主要二社が過度の競争から共存を図るようになったのは離島の人々にとっては安心できる材料であろう。
高速船は定刻の13時に出港した。この船の前方は客室キャビンの普通座席,後方は甲板席となっており,窓を開けることができる。もちろん,天候が悪いときは完全に締め切らなければならないが,今日のような晴天時には開けても問題はない。もちろん僕は写真の撮れる開いた窓側の席を確保した。
今日は珍しくE岸壁(離島ターミナルの西側にある岸壁)に巡視船が係留されていた。船名は「いしがき」となっており,これは第11管区海上保安本部・石垣海上保安部に所属する海洋巡視船である。海洋巡視船あるいは巡視艇にはその地域の海岸地形などからとった名前が付けられる。石垣海上保安部に所属する艦艇の名前は次のようになっている。
・巡視船 はてるま
・巡視船 いしがき
・巡視艇 よなぐに
・巡視船 みずき
・巡視艇 なつづき
・巡視艇 あだん
・監視取締艇 あんたれす
この中で「みずき」は名前の由来がピンとこなかった。植物のハナミズキは八重山に限定されたものではないし,検索してもめぼしい情報は出てこない。
石西礁湖は日本国内最大のサンゴ礁の海域
石西礁湖(せきせいしょうこ)は石垣島と西表島の間に広がる日本国内最大のサンゴ礁の海域である。「石西」という名前は石垣島の「石」と西表島の「西」から名付けられた。東西約20km、南北約15kmにわたって広がっており,竹富島,小浜島,黒島,新城島周辺海域等が含まれる。400種を超える造礁サンゴが分布し,沖縄本島等へのサンゴ幼生の供給源として重要な役割を果たしている。(wikipedia)
近年はオニヒトデの大発生による食害や海水温の上昇による白化現象のため大きな被害を受けており,再生を目指す石西礁湖自然再生事業が進められている。
造礁サンゴは生育環境の変化にとてもデリケートである。生育に適しているのは海水温が25-30℃,3-4%ほどの高い塩分濃度,水深30mまでの浅くて透明度の高い海域である。海水温が18℃くらいが生育下限であり,30℃を超える状態が長期間続くと白化現象を起こす。
現在の地球上の大規模なサンゴ礁は太平洋,大西洋,インド洋の西側に集中している。これは主として風の力により赤道付近では東から西に向かう暖かい海流が流れていることによる。この海流が大陸に行く手を阻まれたとき地球の自転によるコリオリの力が働き,北半球では時計回り,南半球では反時計回りの海流となる。
海洋の東側では暖かい海水が移動することにより,それを埋めるように中緯度から冷たい海水が流れ込むことになる。このような海流の動きにより,海洋の低緯度域では東側が低温,西側が高温となり,サンゴ礁は暖かい西側の海域に集中することになる。
サンゴは石灰質の殻をもった小さなイソギンチャクの仲間であり,それが多数集まった群体がいわゆる私たちが目にするサンゴである。群体を形成する一つひとつのサンゴ個体(小さなイソギンチャクのようなもの)をポリプといい,一方に穴の開いた石灰質の骨格(小杯状体)の中に一つのポリプが入っている。この骨格はポリプが自分の住処のために造った部屋のようなものである。
一つの群体を形成しているポリプは最初に定着した個体が無性生殖で分裂したものなので,すべて同じ遺伝子をもつクローンである。サンゴは有性生殖と無性生殖を使い分けるユニークな生活環をもっている。
同種のサンゴはある時期にタイミングを揃えて一斉に産卵する。これは産卵の1月ほど前に産卵を促す性フェロモンが伝達物質として放出されることにより,タイミングが揃うと考えられている。そして次の満月から2-3日後に海域の同種サンゴは一斉にバンドルと呼ばれる卵と精子の入った袋を放出する。
水面に出たバンドルははじけて,天文学的な卵と精子は混ざり合い受精が行われる。このような場合,遺伝子の近いもの同志は受精しづらいという仕組みも働いている。受精した卵は海の流れりより遠くまで拡散していき,その過程でサンゴ幼生となる。
大多数の卵や幼生は捕食者により食べられ,運良く残ったものが浅い海底に着生しポリプとなる。それが,分裂してしだいに大きな群体を形成するようになる。一つひとつのポリプには寿命があるが,分裂により次々と新しいポリプが生み出され,外側を覆っていくことによりサンゴ群体は大きく成長していく。サンゴ群体で生きているポリプは最も外側のものだけで,内部は石灰質の骨格だけが残される。サンゴ群体としての寿命は数年から1000年以上と種により大きく異なる。
サンゴが生育するためには海水温だけではなく透明度が高く太陽光が十分に届く環境が必要である。これはポリプが体内に褐虫藻という光合成を行う単細胞藻類(真核生物)を体内に住まわせ,その余剰生産物を受け取っているからである。ポリプも夜間はイソギンチャクのように外骨格から触手を伸ばし,プランクトンを捕食するが,褐虫藻なしでは栄養不良となる。
造礁サンゴが生態系の中で生産者であるか消費者であるかは長い間,議論の的となっている。最近は生産者と考えられる傾向が強い。海水の透明度が高いということは貧栄養であることを意味している。その貧栄養の環境がサンゴ礁により海の熱帯雨林と呼ばれるほどの豊かな生態系となっているのであるから,生産者と考えるのが妥当であろう。
このように熱帯・亜熱帯の貧栄養の海域に豊かな生態系をもたらしてくれるサンゴ礁が世界的に危機を迎えている。海水温が30℃を越える期間が長くなると,サンゴは共生していた褐虫藻を追い出してしまう。褐虫藻がいなくなったサンゴは白くなるのでサンゴの白化現象という。白化したサンゴは時間とともに死滅する。
赤土がサンゴ礁の海域に土砂が流入すると,海水の透明度が著しく悪化し,サンゴの生育に必要不可欠な光が届かなくなり,サンゴの栄養状態が悪化する。また,サンゴの上に粘土やシルトが堆積すればポリプが死滅する。
サンゴ礁はデリケートな生態系であり,最大限の注意をもって環境を維持しなければ保存することはできない。サンゴ礁は沖縄の海における最大の観光資源であり,サンゴ礁の死滅は沖縄観光の死活問題である。
シアン系の色素を溶かしたような海の色である
石垣島→黒島の移動ルートは石西礁湖の縁を通ることになり,劇的に変わる海の色を飽きずに楽しんでいた。天候が良い日にここを移動できたことはとてもラッキーであった。googlemap のように水深のあるとことはコバルトブルー,浅い海域は薄い翡翠色から薄い青色に変化するグラデーションを楽しむことができる。
民宿あ〜ちゃん
素晴らしい海の色を楽しむ時間は25分ほどしかない。高速船は黒島港に到着した。ターミナルを出ると「民宿あ〜ちゃん」のスタッフが迎えにきてくれた。民宿まではほんの数分の移動である。
「民宿あ〜ちゃん」は2食付で1泊5500円,ゲストの宿泊棟と食堂棟に分かれており,その間は中庭になっている。部屋は和室の6畳で,トイレとシャワー室は共同である。小さな机があり,そこはパソコンの作業場として使用させてもらった。入り口は中庭の反対側にあるが,もっぱら部屋のベランダを利用して出入りしていた。
食事の時間になるとスタッフのおじさんが呼びに来てくれる。ここはパーラーを併設しており,食堂棟の前半分は普通の食堂になっており,宿泊客はその奥の部屋で一緒に朝食と夕食をいただくようになっている。
細い線の入ったハイビスカス
時刻は14時を少し回ったあたりであり,足ならしのため宿の周囲を歩いてみる。宮里から仲本のあたりは道がちょっと複雑なので記憶にとどめておく。
あ〜ちゃんの家の塀に置かれている
「民宿あ〜ちゃん」の家の塀にはシャコガイの殻が置かれている。貝殻が肉厚のため見た目ほど可食部は少ないようだ。
シャコガイはザルガイ科・シャコガイ亜科 (Tridacnidae)に属する二枚貝の総称である。熱帯から亜熱帯海域の珊瑚礁の浅海に生息し,オオシャコガイは二枚貝の中で最も大型となる種である。幼生はサンゴ礁に着生すると再び移動することなく,長い時間をかけてその場で成長していく。
シャコガイといえば最大種のオオシャコガイが有名であるが,熱帯域にのみ分布しており,八重山諸島では小柄な個体がわずかに生息している。沖縄ではシャコガイを常食しており,同属でもっとも小さいヒメシャコガイの評価が高い。
史跡・番所跡
宿の前の道を南に向かうとすぶに宮里海岸に出る。その少し手前に番所跡がある。琉球が薩摩藩の実質的な支配下にあった時代,石垣島には八重山群島の総元締が置かれ,黒島にはそれにつながる番所が置かれていた。当時は首里王府派遣の役人が常駐しており,人頭税の徴収や島に出入りする船舶を管理していた。
番所跡はビジターセンターになっている
番所跡の敷地には黒島博物館ともいうべき黒島ビジターセンターがある。ここには黒島の歴史や古い民具・農機具・生活用品などが展示されている。
ビジターセンターの立派なシーサー
門の向こうに広い庭があり,建物の前には立派なシーサーが出迎えてくれる。
展示品|竹を利用した籠
黒島では竹の群落は一度も目にしなかった。にもかかわらずここに展示されているということはかっては竹があったか,近くの島から持ち込んだものなのであろう。
テリハボク
テリハボク(Calophyllum inophyllum)はオトギリソウ科(またはテリハボク科)の常緑高木である。原産地は熱帯海域と考えられるが,太平洋からインド洋にかけて広く分布しているので特定できない。日本では南西諸島と小笠原諸島に自生している。
八重山では街路樹にも利用されており,西表島や石垣島でも見かけた記憶がある。高さは10-20mにもなり,下から見上げてもなかなかテリハボクだとは分からない。僕の場合は地面に落ちた特徴のある果実が無ければ簡単には識別できない。
テリハボクの種子
ピンポン玉より一回り小さく表面がしわしわの果実が落ちていたら,その木はテリハボクと識別している。もちろん,背が低い状態では木に付いている果実を観察することができるので,それも識別の材料になる。
宮里海岸の手前にあるプズマリ
黒島ビジターセンターから宮里海岸に通じる小道の横に琉球石灰岩を積み上げた塔状の建造物「プズマリ」がある。平坦な地形のプズマリの上が黒島ではもっとも高いところであり,琉球王府が八重山を統治していた時代には海上交通を監視する遠見台であった。
八重山の島にはこのような物見台が置かれ,船が見えると,火や煙を使って近くの島へ連絡し,石垣島の元締めまで情報が伝達された。現在は崩落の危険性があるので上ることは禁止されている。
宮里海岸は遠浅のサンゴ石灰岩となっている
宮里海岸はこのページの「サンゴ礁地形の断面を簡易に説明するための模式図」そっくりの地形となっている。陸域の琉球石灰岩は海食によりノッチという下の部分がえぐられた地形が見られる。
狭い砂浜の先には潮だまりがあり,クツをはいていても干潮時は沖に向かって歩いて行くことができる。その先はサンゴ礁の海となっている。周辺の島に遮られて高い波が来ないのか,リーフエッジの白波は見えなかった。
潮だまりは多いが生き物は少ない
広い潮だまりには(浅いため)生き物がいっぱいというわけにはいかなかった。潮だまりの領域を歩いても目立った生き物は見当たらず,ちょっとがっかりする場所であった。
仲本海岸とはつながっている
宮里海岸と仲本海岸は隣接しており,境界になっている岩を一つ越えると仲本海岸になる。
二つの岩の間を結んでいたしめ縄のようだ
海岸近くの琉球石灰岩の岩には太いロープが結んであった。おそらく近くの岩との間を結ぶしめ縄となっていたようだ。しめ縄(注連縄)は神道において神域と俗世を隔てる結界の役割をもち,場所によっては禁足地の印にもなる。
現在では大岩,湧水地,巨木,岩礁などにも注連縄が張られる。それらは尊崇すべき自然を代表するものであり,中には御神体そのものである場合もある。
よく知られている那智の滝の落ち口に張られたしめ縄や二見ヶ浦にある夫婦石に張られた大しめ縄は信仰の対象となった事例である。信仰の対象とまではいかなくても,宮里海岸の岩礁の場合は自然を尊崇する素朴なこころがしめ縄になったのではと推測する。
潮だまりに怪しげな足が見える
生き物はほとんど見当たらない潮だまりで不思議な足を見つけた。どうも本体は穴の中におり,足だけを出しているようだ。
正体はクモヒトデであった
しばらく正体は分からなかったが,穴の外に出ていた個体がおりウデフリクモヒトデであることが分かった。普段は穴の中におり,潮が満ちてくると2-3本の腕足を出して,プランクトンなどを捕食する。その様子はまるでおいでおいでをしているようなのでウデフリクモヒトデの名前になっている。
島のカラスは磯の生き物を餌にしている
潮が満ちてきた潮だまりにカラスが飛来してきた。カラスはその辺りを動き回り,ときどき何かをついばんでいる。おそらく磯の生き物を餌としているのだろう。
全体が一株なのかもしれない
宮里海岸は高さ1-2mほどのテーブル状の琉球石灰岩が海食に曝されている。ここは海水のしぶきが飛んでくる植物にとっては過酷な環境である。それでもホソバワダン(Crepidiastrum lanceolatum,キク科・アゼトウナ属 )は岩の窪みに根を張り黄色の花を咲かせている。
琉球石灰岩に覆いかぶさるようにしてテリトリーを広げているこの植物は名前が分からなかった。特異な環境で,特異な形状をもつ木本植物なのですぐに分かりそうであるが,見つけられなかった。この植物は西表島の高那崎で見かけてものと同じであろう。もっと丁寧に写真を撮っておくべきだったと悔やまれる。近くはハマシタン(ミズガンピ)の群落があったのでおそらくこれもハマシタンと推測するが確信はない。
ハマシタン(ミズガンピ)
正式な和名はミズガンピのようだ。ミズガンピ(Pemphis acidula,ミソハギ科・ミズガンピ属)は太平洋からインド洋の熱帯・亜熱帯地域の海岸に分布する常緑低木である。日本では南西諸島の琉球石灰岩の上に自生している。高さは1mほどであるが,波照間島のハマシタン群落の古木は高さ3mほどになっている。
ミズガンピの名前の由来はよく分からない。ガンピ(雁皮)はジンチョウゲ科・ガンピ属の落葉低木であり,それと似ていてかつ海岸に生育するのでこのような名前がついたのかと推測してみたが,ガンピはミズガンピとはとても似ているとはいえない。
近くにはイソマツの花も咲いている
与那国島2に続いて2回目の登場である。ウコンイソマツ(Limonium wrightii,イソマツ科・イソマツ属)は伊豆諸島および小笠原諸島,南西諸島に分布し,日本国外では台湾の蘭嶼島に分布する。海水が飛沫する石灰岩の岩礁帯に生育する。
名前の通り草本ではなく木本の植物である。葉をよけて根元を観察すると確かに木質化していることが分かる。ウコンイソマツは島による変異があり,ここのものはピンク色の花の色から「Limonium wrightii var. arbusculum」であることが分かる。
生育地である海岸の開発や薬用および園芸用の採集により,個体数・生育環境とも減少し,絶滅のおそれが高まっている。環境省では絶滅危惧II類(VU)(環境省レッドリスト) に指定している。また,鹿児島県や沖縄県でも絶滅危惧種に指定している。
砂浜を這って生息範囲を広げるものもある
グンバイヒルガオ(軍配昼顔,Ipomoea pes-caprae,ヒルガオ科・サツマイモ属)は世界中の熱帯から亜熱帯の海岸に広く分布する海浜植物である。
沖縄では「アミフィーバナ」または「ハマカンダー」と呼ばれ,海岸近くに一面のみごとな群落を形成する。葉は先端に浅く切込みが入る楕円形であり,これが軍配に似ていることが名前の由来となっている。
グンバイヒルガオの戦略はほふく前進である。1ヶ所でしっかり根を下ろし,そこから周辺に茎を伸ばし,生息範囲を広げる。
キクメイシ
キクメイシは造礁サンゴの仲間であり八重山の海岸ではもっともよく見かけるものである。ハチの巣のようなブロック(莢,きょう)が一つひとつのポリプが造り出した外骨格である,その集合体がこのような大きなサンゴになる。
莢は直径10mm前後で円形もしくは多角形であり,これがキクの花のように見えるのでキクメイシと呼ばれる。中央部分は穴が開いたというより,サンゴの成長時になにか障害物があったためこのようになったように見える。
琉球石灰岩は波に浸食されやすい
テーブル状の琉球石灰岩は絶え間なく波に浸食されており,海面と接するあたりは大きくえぐられている。このような地形をノッチという。中央の動物に似た岩はかっては大きなテーブルの一部であったが,浸食によりこのような姿になった。このように孤立した岩が海食により根元部分が細くなり,きのこのような形状になるものもある。
タテハチョウの仲間
さすがに翅の裏面だけでは種は特定できない。
黒島研究所
正式名称は「NPO法人日本ウミガメ協議会付属 黒島研究所」である。主としてウミガメの研究をしており,研究の成果を伝える展示室にはサンゴの標本や民具が展示されている。飼育中のウミガメなども見ることができるので,小さな水族館のようなところである。
外の池にサメが泳いでいる
研究所の敷地の境界は堀のような池となっており,そこにはサメが泳いでいる。
人と牛の比率は1:15
施設の入り口には「数字で見る現在の黒島」として,島の人口と飼育牛の頭数などの最新の数値が表示されている。このときの数字では牛は人口の15倍近い。
今年のウミガメの上陸数は26頭となっている。八重山諸島で産卵が見られるのは黒島,西表島,石垣島,新城島,波照間島などの外洋に面した砂浜であり,アカウミガメ,タイマイ,アオウミガメの3種の産卵が確認されている。産卵シーズンは4月から8月と長期にわたっており,およそ90日で26回なので産卵を見るのは大変なようだ。
ヤシガニが飼育されている
黒島研究所ではヤシガニが飼育されていた。初めて見たヤシガニはとても大きくて,ヤドカリの親戚とは思えないサイズである。黒島では野生のものも観察することができたが,体色や体の構図があまりよく分からないのでwikipedia 掲載のものを参考として引用しておく。
ヤシガニ (椰子蟹)Birgus latro はエビ目(十脚目)・ヤドカリ下目・オカヤドカリ科に分類される甲殻類の一種であり,陸上生活をする甲殻類では最大種である。分布域はインド洋と太平洋の熱帯・亜熱帯地域に広がっている。
ただし,その間に空白域があり,インドネシア,マレーシア,ニューギニア島には生息していない。これは島の住人によって食べつくされた結果と考えられている。
日本では沖縄,宮古,八重山に生息している。人間による捕獲や車にひかれることなどにより生息数が急激に減少しており,環境省のレッドデータブック絶滅危惧II類に分類されている。しかし,近年の沖縄食ブームにより食用目的の乱獲が続いている。国家レベルの絶滅危惧種でありながら乱獲の規制がほとんど行われていない珍しい事例となっている。
ヤシガニはエビ目(十脚目)に分類されるので肢は5対10本である。しかし,実際には1対の前肢は巨大なハサミをもった鋏脚となっており,次の3対の肢は陸上歩行に適した歩脚となっている。残りの1対の肢はえらの掃除に使われ,折りたたまれて鰓室の中に入っているため外部からは見えない。そのため外観的には肢の数は8本に見える。
甲殻類(エビやカニの仲間)はキチン質と呼ばれる硬い含窒素多糖類の殻で体表を覆って身を守っている。しかし,身体の機能上,腹部はキチン質には覆われていないためそれが弱点となっている。カニは腹部を甲羅の中に巻き込んでこの弱点をカバーしている。
それに対してヤドカリ類は腹部が弱点のままであり,それを補うため貝殻などに腹部を入れて身を守っている。外敵に襲われると貝殻の中に入り込み,鋏脚で入り口をぴったり塞いで防御態勢をとる。
オカヤドカリは陸上進出のため貝殻の中に少量の水を蓄え,柔らかい腹部が乾燥するのを防ぎ,陸上での鰓呼吸も可能となっている。また,陸上生活に適応するため鋏脚や歩脚は太く頑丈になっている。しかし定期的な水分補給や交換が必須であり,水辺からそれほど遠く離れられない。
ヤシガニはさらに陸上生活に適応した種であり,成体は腹部がキチン質や石灰質でおおわれ硬くなり,カニのように尾を体の下に隠すことで身を守る。腹部が硬い物質で覆われるることで水分の蒸発を防ぐことができる。呼吸も鰓が退化して空気呼吸となり,完全に陸上生活に適応できるようになった。
しかし,卵は海中に放たれ幼生時代は水中ですごす生活環はエビやカニと同じである。また,成体となる前は柔らかい腹部を防御するため貝殻などを使用する生態は他のヤドカリ類と同じである。
ヤシガニはココヤシ,イチジク,アダンなどの果物を食べるが,雑食性であり葉や腐った果物、カメの卵,動物の死骸も食べる。強力な鋏脚で硬いヤシの実やアダンの実もバラバラにして食べる。日中は地中や岩の割れ目の巣穴で過ごし,夜になると食べ物を探しに出る。
宿にもヤシガニがいた
黒島研究所から戻ってくると,宿の前に大きな容器があり,中にヤシガニがいることに気が付いた。こちらの個体は容器の深さが60cmほどしかないので写真写りは良い。僕は朝夕にこのヤシガニに挨拶することを日課にしていたが,夜行性のヤシガニにとっては迷惑だったかもしれない。
夕食は中庭でバーベキューの予定であったが,雨が降り出したので食堂棟の部屋でいただくことになった。宿泊客は7名で,二つのグループに分かれて焼肉と蒸した魚を楽しんだ。僕は肉よりは魚の方が好きなので,人気のない魚を引き受けることになった。
夜のヤシガニ探検|オカガニが道路に出ていた
夕食が終わってしばらくすると宿のご主人(あ〜ちゃん)がヤシガニツアーに誘ってくれた。島の道路を走り,運が良ければ道路上に出てきているヤシガニが見つかるという。今日は雨が降ったので幸運が期待できそうだ。
最初に見つかったのはオカガニ(Discoplax hirtipes,オカガニ科)である。ヤシガニ同様に陸上生活に適応した種で成体は鰓を介さず空気から直接酸素を取り入れることができる。海岸近くの林に巣穴を掘り,落ち葉などの植物食を主としているが,ヤシガニと同様に雑食性と推測される。
夏の大潮の時期に放卵するため,メスガニは道路などの人工物を横切って海岸に向かう。このとき多くの個体が車にひかれるたり,人工障害物のため海岸にたどり着けないことが問題となっている。運よく海岸にたどり着いたメスガニは波打ち際で激しく震わせて産卵する。
夜のヤシガニ探検|ヤシガニも道路に出ていた
この夜は運よくヤシガニを見ることができた。まだ若い個体でありそれほど大きくはない。宿の御主人はヘッドライトで道路上の生き物をしっかり見分けることができるようだ。懐中電灯の光に照らされたヤシガニはしばし動かなかったが,そのうち前進し人間が進路をふさぐと後ずさりして逃げ出した。前進より後進の方がずっと早い。
伊江桟橋からみる満月
宿の御主人は伊江桟橋をゆっくり走りほとんど先端部にやってきた。潮が満ちており静寂の中で波の音だけが規則的に響いてくる。この日は満月に近く,人工の光がほとんどない夜空に輝いていた。満月とはこんなに明るいものかと知らされた夜であった。