亜細亜の街角
玉取崎と平久保の風景を楽しむ
Home 亜細亜の街角 | 石垣島|Oct 2013

石垣島

今日のプランは玉取崎,舟越,平久保灯台であるが,石垣島の伊原間から北はバスによるアクセスは本数が少ないため難しい。

この日はバスターミナル(06:45,東一周線)→玉取崎(徒歩)→舟越(徒歩)→伊原間(12:31,平野線)→平野(13:01,徒歩)→平久保海岸(徒歩)→県道206号線(13:40,平野線)→バスターミナル(15:16)と移動した。

ポイントは平久保における滞在時間が40分しかないことである。このプランは失敗であった。平久保灯台に行くのであれば帰りは17時45分の最終バスにすべきであった。このバスだとバスターミナル着が19時を回ってしまうので躊躇したが,やはり見たいものはちゃんと見ないと悔いが残ることになる。

平野線

平野線は日に2往復,おそらくバス1台がバスターミナル(11:20)→平野(13:01/13:35)→バスターミナル(15:16/15:25)→平野(17:06/17:40)→バスターミナル(19:21)と運行しているようだ。このバスでは玉取崎と平久保は両立しないので,06時45分発の東一周線で玉取崎に移動した。

玉取崎

玉取崎は伊原間(いばるま)の少し手前にあり,東側に少し突き出した岬となっている。岬の高台には展望台があり,正面の東シナ海,石垣島東側の北海岸と南海岸を眺めることができる。石垣市教育委員会市史編集課が編纂したウェブ・サイト「石垣島の風景と歴史」には次のように記されている。

石垣島有数の景勝地として知られる玉取崎。その展望台からは,北にハンナ岳,トゥムル岳が連なる平久保半島が一望でき,南には,ハイノーラ(南の浦)と呼ばれる湾を望むことができます。そこでは,かつて木綿花が栽培され,月の夜には,白く輝く木綿花の光景が,あたかも白浜のように見えたことから,一帯の地名は別名,月夜浜とも呼ばれ,民謡「月夜浜節」誕生の地といわれています。


この一文にある「木綿花」とはいったいなんだろうと疑問をもち,調べてみた。「木綿」を辞書検索すると下記の4点が出てくる。
(1)セイバ属の植物,例えばトックリキワタ(Ceiba speciosa)
(2)キワタ属の植物,例えばキワタ(Bombax ceiba)
(3)もめんわた,繭から作る真綿(まわた)に対していう
(4)もめん,ワタの種子に付着している繊維を採取・加工したもの
(5)ゆう,楮(こうぞ)の皮をはいでその繊維を蒸して水に浸したもの

綿は古くから人々の生活と密接な関わりをもってきたので,いろいろな使われ方をしており,漢字の表現だけでは意味を解釈するのが難しいことがある。一般的に「木綿花」とは(5)の「ゆうはな」になるが,石垣島の場合は(4)の「綿花」と解釈されている。

人頭税の時代に女性たちは八重山上布(御用布)を貢納することになっており,その原料となるワタが東海岸で集落ごとに共同栽培されており,果実がさく裂して綿花が現れると,月明かりで海岸一帯が白く輝いて見えたのであろう。当時の様子は「月夜浜節」あるいは「木綿花節むみんばなぶし」に唄われている。

バスターミナル発06時45分のバスに乗るため,06時20分には軽い朝食を終えて宿を出る。宿の活動時間帯は07時からであり,寝ている人たちのジャマにならないようこっそりと食べ,こっそりと出ていくことになった。

バスターミナルまでは歩いて15分弱であり,問題なくバスに乗ることができた。石垣島では全路線を5日間乗り放題となる「みちくさフリーパス(2000円)」を使用したので,バス料金について心配する必要はない。ちなみに,今日の3回の行程の料金を合計すると2300円(750円+450円+1100円)なので,それだけでももとがとれる。

玉取崎までの所要時間は68分である。距離はおよそ30kmなので本土のバスに比べるとずいぶんゆっくりしている。これは,路線バスが車で移動できない交通弱者のための生活手段であり,かつ島内の速度規制が40km/hとなっていることによる。

僕のような旅人にとっても,ゆっくり走り,しばしば停留所に止まるバスの移動は望ましい。多くの観光客にとっても,都会のあわただしい日常から逃れてやってきた南の島ではのんびりとするのが一番である。

東に面しているため海の色は鮮やかさが不足している

玉取崎は東に面しているので午後の日ざしの方が海の色は鮮やかになる。逆に平久保灯台からの眺望は西に面しているので午前中の光の方が望ましい。しかし,バスの時間の関係でこれが逆になってしまう。

波照間島でも書いたが海の色は次の3つの光によって決まる。
(1)海面からの反射
(2)海中に入射した光の浮遊物からの反射
(3)海底からの反射

これらの光が合わさったものが観察者が見る海の色ということになる。海面からの反射の大きな要素は空の色である。静かな水面には空や山がくっきりと写っているように,空の青は相当強く観察者の目に入ってくる。

海中に入った光は水分子による吸収が起こる。波長の長い赤い光は水の吸収を受けやすいのでより大きく減衰し,そのような光が浮遊物に反射して海面から出てくるときは赤色少ない(青色の強い)ものとなる。

浅い海底に明るい色の砂や岩があるときは赤色が少し少ない光が海底で反射される。サンゴ礁の砂浜の水深のごく浅い所では海底からの反射により透明に近くなる。少し深いところでは赤色がすこし少ない光の反射が加わりエメラルドグリーンに見える。水深がさらに深くなると海底からの反射は小さくなり,空の青と浮遊物からの反射により青色が強くなる。

ところが,太陽を正面にしたときは太陽光が海面で直接反射されて観察者の目に入るため,全体として白っぽくなる。これを避けるため玉取崎では午後の光の方が青い海がきれいに輝くことになる。

もっとも,午前中の光でも正面以外は太陽光の直接反射が少なるので青い海となる。しかし,この日は曇り空のため海の輝きは50点くらいのものだ。

沖合まで眺望できる高台にある展望台からはサンゴ礁の構造を平面的に観察することができる。サンゴ礁がもっとも発達しているところは,白波が立っている沖合である。

八重山ではこのあたりを礁原(ピー,ピシ)と呼んでおり,水深は大潮の干潮時にかろうじてサンゴ礁を覆う程度となる。八重山の地名をアイヌ語との類縁性で解釈しようとする方のサイトにはアイヌ語の「pi-usi:石が群在するもの」が「ピシ」の語源としている。これなどは意味がよく分かる。

礁原の内側の水深はより浅くなり,大潮の干潮時には陸続きあるいは大小の潮だまりが点在するので礁池(イノー)と呼ばれている。

礁原の外側は急に深くなり外洋に続いている。このようなサンゴ礁の構造は造礁サンゴが数千年あるいは数万年という長い時間をかけて造り上げてきたものである。そこは,小さな海洋生物が群れる命溢れる世界であり,島を守る防波堤の役割も果たしている。

外洋から絶え間なく押し寄せるうねりは礁原により下部が抵抗を受けて遅くなり,上部はそのまま進行しようとするので形が崩れ,白波となって落ちる。このような構造から沖合の白波の立つあたりがサンゴ礁の礁縁(リーフ・エッジ)となる。

大きさから判断してヤエヤマクマゼミかな

展望台の周辺では複数種類のセミの鳴き声を聞くことができるが,僕の目に止まるのは木の幹で堂々と鳴いているセミだけである。このセミは大きさだけからヤエヤマクマゼミだろうと判断した。しかし,まったく自信はない。

青空に映えるアダン

アダンの特異な樹形と青空の配置は毎度のことであるが絵になる。

ゴクラクチョウカ

展望台から降りたところに駐車場があり,ゴクラクチョウカが植栽となっていた。いくつもの花の中からもっとも名前のイメージに近いものを写真にした。

ゴクラクチョウカ(極楽鳥花,Strelitzia reginae,バショウ科・ストレリチア属)の原産地は南アフリカとされており,寒さにはやや弱い常緑多年草である。和名はゴクラクチョウカであるが,園芸では属名のカタカナ表記となるストレリチアやストレチアということも多い。

サトウキビ畑を見下ろす金武岳

前方にそびえるのが金武岳(201m)である。このあたりの地形は金武岳から玉取崎にむかってなだらかな尾根筋がは走っており,その途中に40mほどのところに展望台がある。地形的には展望台のある場所は周辺より10mほど高くなっており,このため東側の眺望が開けている。

玉取崎に連なる尾根の南側はなだらかな斜面となっており,現在は一面のサトウキビ畑となっているが,おそらく琉球王府が人頭税を課していた頃はこの辺りが綿花畑(木綿花畑)となっていたのであろう。

山の雰囲気をもつ金武岳

アオサギを撮ろうとしたら飛び立った

野生生物はやはり警戒心が強くて撮影は大変である。比較的近くの木にアオサギが止まっていたので,望遠レンズに変えてフレームを作ろうとした瞬間に飛び立ったのでそのままシャッターを押した。

伝統的な家屋の修繕もしくは移築工事が行われていた

玉取崎から国道390号線を舟越の方に歩いているとき,伝統的な家屋の修繕もしくは移築工事が行われていたので脇道に入った。外側の足場に加え,家の内側では屋根材を鉄パイプで支えていたので修繕工事と判断した。

沖縄の伝統家屋の屋根構造は寄棟(よせむね)であり,平面図が正方形の場合は方形(ほうぎょう)となる。台風などの風圧にたいして最も強いといわれている。

しばしば強い台風の直撃を受ける沖縄で,この屋根構造が採用されたのは先人たちの知恵によるものであろう。沖縄の伝統家屋はさらに風邪対策として平屋とし,周囲に風よけの石垣を回し,庇の高さなども屋根に上方向の風圧がかからないようにする工夫がなされている。

日本の建築でもっとも一般的な切り妻屋根の場合は屋根の最上部の棟木と小屋梁を結ぶように垂木を配置し,その上に野地板を張る構造となる。ところが,修繕中の家屋は方形であり,どのように垂木を取り付けるかは興味のあるとこであった。

その疑問は家屋の中に入るとすぐに分かった。中心点から放射状に小屋梁に向かって垂木が配置されていた。現在は鉄パイプが支えているものの,実際にはどのように垂木を支えるのかという新たな疑問が生まれた。

農業生産法人の牧場がある

農業生産法人・有限会社いばるま牧場という看板があった。日本では法人が農業を行うことに関しては厳しい規制が設けられてきたが,現在ではかなり規制は緩和されている。「農業法人」とは法人形態によって農業を営む法人に使用される一般名称であり,制度面から次の2つに分けることができる。会社法人のみを<農業法人とする場合もある。

(1)会社法人(会社の形態をとるもの)
(2)農事組合法人(組合の形態をとるもの)

農事組合法人は農業協同組合法を根拠とするもので,農業経営等を法人化するためのものであり,協同組織的性格を有している。会社法人は営利を目的とする一般法人である。

農業法人が野菜工場などのように農地(牧草地を含む)を使用しない場合,および農地を借りて農業を行う場合は特別の制約はない。

それに対して,農業法人が農地を所有して農業を行う場合は「農業生産法人」の法人格を取得する必要があり,そのためには農地法で規定された「組織形態要件」,「事業要件」,「構成員要件」,「業務執行役員要件」の4つ要件を満たさなければならない。

ここにある,いばるま牧場は有限会社となっているので会社法人と考えられる。制度上のメリットとしては融資制度や税制上の優遇措置,社会保障制度,農地の取得支援などがあげられ,経営上のメリットとしては経営管理能力や対外的信用力の向上,農業従事者の確保・育成・福利厚生の充実などがあげられる。

芸術的な泡の造形

牧場の近くに水路があり,橋の下には白い泡がおもしろい造形を作っていた。もっともこの泡は水の汚れによるもので,決して望ましいものではない。

■調査中

ヘクソカズラ

ヘクソカズラ(屁糞葛、学名: Paederia scandens)は、アカネ科ヘクソカズラ属の蔓性多年草でである。日本各地に自生しており,葉や茎に悪臭があることから屁屎葛(ヘクソカズラ)の名がある。

最初に見たときは南国の植物かと思ったが,私の住んでいる関東でも普通に見られる。庭にとっては雑草であり,引きちぎるといやな臭いを放つやっかいな植物である。それにしてもあまりにひどいネーミングである。

二本のガジュマルに挟まれて

二本のガジュマルに挟まれるように人工的に加工されたと思われる大きな石が立っている。なにかいわれがあるのかと近寄ってみたが何も記されていなかった。 おり,その両側

リュウキュウキジバト

キジバト(Streptopelia orientalis,ハト科・キジバト属)は別名がヤマバトとなっているようにかっては山地に棲息していたが,1970年代には街中で堂々と営巣するようになった。

鳩と同程度の大きさであり,ユーラシア大陸の東部に生息している。日本では二種類の亜種が生息しており,南西諸島の亜種はリュウキュウキジバトと呼ばれている。

本土のものに比べると少し全身が少し赤褐色味を帯びており,全体的には暗色に見えるとされているが,僕の目にはその差は良く分からなかった。僕の住んでいるマンションの中庭につがいでよく見かけるので,機会があったら写真に収めて差異点を探してみよう。

舟越|舟をかついで東西を行き来していた

玉取崎と伊原間の間に舟越という漁港がある。ここは平久保半島の付け根の部分にあたり,石垣島でもっとも狭い地形となっており,その幅は300mほどしかない。

玉取先から歩いて行くと,じきに西海岸に向かう道路との分岐点があり,そこが石垣島における国道390号線の終点である。国道390号線は海の上を点線で走り宮古島を経由して沖縄本島に達する不思議な道路である。

分岐点から道路は平久保半島の西海岸を通り平野に向かう。ということで東海岸沿いを歩いていたら西海岸にある舟越漁港のすぐ横を通ることになる。舟越(フナクヤー)という名前の由来は彫像がそのまま物語っている。西海岸から東海岸に出るときは,サバニを担いで渡ったからとされている。確かにこの距離なら十分に可能であろう。

舟越漁港の船着き場

舟越漁港の防波堤の外側に広がる砂浜

時刻は10時半,東海岸の玉取崎では50点の海の色であったが,西海岸の舟越ではきれいなエメラルドグリーンを楽しむことができた。もっとも玉取崎はサンゴ礁が発達しており,条件がよければこことりずっとすごい風景を楽しむことができたはずだ。

ここは漁港の防波堤の外側の海岸の風景であり,晴れてきたこともあってのんびり砂浜で過ごした。伊原間のバス時間は12時31分なのであわてることはない。

大小の貝殻とサンゴのかけらが散乱している

砂浜には枝サンゴのかけらと,白い貝殻が散乱していたので即席のコレクションを作ってみた。

ハーリー舟というより昔の漁船という感じを受ける

漁港の最奥部にはマングローブが植樹されていた

大きさがそろっていうので植樹したものであろう。

かっては舟越村があった

現在の伊原間集落一帯はかつて舟越村があった所であり,1771年の明和の大津波により大きな被害を受けた。当時の人口は男361人,女359人,合計720人のうち生き残ったのは男54人,女41人だけであった。

そこで黒島から寄百姓(政策的に人口の少ない地域に農民を移住させること)をして村を再建した。舟越村の名前は明治期まで存続していたが,伊原間村に変更された。現在,舟越の地名は舟越漁港にだけ残されている。

ドラゴンフルーツ

沖縄で見たかったものの一つにドラゴンフルーツの花がある。ドラゴンフルーツ(dragon fruit) あるいはピタヤ(pitaya)と呼ばれる果物はサンカクサボテン(サボテン科・ヒモサボテン属)の果実である。原産地は中米の亜熱帯地域とされており,現在では東南アジアや台湾,中国南部,沖縄で栽培されている。

僕は東南アジアでドラゴンフルーツを一度だけ食べてみて,野菜のような味のため再びトライすることはなかった。しかし,それは品種改良の進んでいないものであり,沖縄でいただいたものは十分,果物の名に値するものであった。

サンカクサボテンは花が美しく一夜限りでしぼんでしまうためしばしばニュースにもなるゲッカビジン(月下美人,Epiphyllum oxypetalum,サボテン科・クジャクサボテン属)の近縁種であり,同じように夜間に白の大輪の花を咲かせ,翌日にはしぼんでしまう。余談であるが月下美人も適切に受粉させると(自然環境ではコウモリが受粉を媒介する)ドラゴンフルーツのような果実ができる。

僕は月下美人の花の実物は見たことがないので,近縁種のサンカクサボテンの花を見たいと思っていた。沖縄に来て10日以上経っているがなかなかサンカクサボテンそのものに出合うことができなかった。

そのサボテンの農園が伊原間中学校の向かいにあった。ヒモサボテン属の名前のように30-50cmほどのブロック状になった茎をひたすらつなぎ合わせるようにして伸びていく。もちろんブロックの端のところで分岐することもある。おそらく先端部は剪定が必要である。

自然環境ではどのような生活形態をとるか分からないが,茎は自立性がない。そのため農園では支柱に幹となる部分をしばって直立させ,上部から支えに沿って垂れ下がるようにしている。

一つの幹からは複数個の花芽がつくが,適当に間引くことにより,果実の大きさを調整することができる。この農園ではあと2-3日で咲きそうなつぼみがあったが花はおあずけであり,沖縄本島の糸満でようやくたくさんの花を観察することができた。

伊原間公民館の裏手で季節行事が行われていた

石垣牛のたたき

伝統的な料理

立派なガジュマルの木

公民館の裏手の砂浜

名もないけれどきれいなビーチである

この絵は漫画に出ていたような…

久松三勇士上陸之地

バスで終点の平野まで乗ってしまった

ようやく平久保灯台が見える浜に出た

急いで写真を撮る

大地離島が目の前にある

海岸の北側のライン

足輪をした鳩がこんなところにいる


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