高那崎を眺める地点から東海岸を眺望する
波照間島は隆起サンゴ礁の島であり,東海岸は一面の琉球石灰岩の荒々しい岩場となっている。こちら側には断層はなく,海岸線は普通の岩場となっている。潮混じりの風にさらされる厳しい岩場にも植物は進出し,少しずつ岩を包み込んでいく。
波照間島は隆起サンゴ礁の島であり,東海岸は一面の琉球石灰岩の荒々しい岩場となっている。こちら側には断層はなく,海岸線は普通の岩場となっている。潮混じりの風にさらされる厳しい岩場にも植物は進出し,少しずつ岩を包み込んでいく。
厳しい岩場の環境に適応した芝生のような植物が地面を覆っており,踏むとふかふかのじゅうたんのような感触である。このような環境で懸命に生きている植物を踏むのはさすがにはばかられるので,なるべく緑のじゅうたんの少ない岩を選んで歩くことにする。
岩場にはサンゴ時代の痕跡が残っているものもある。この花が集まったようなものはキクメイシの仲間であろう。僕は海に潜る趣味は持ち合わせていないので,生きているサンゴの写真はない。画像検索でキクメイシのイメージがよく分かるものを「YAHOOきっず図鑑」から一枚引用した。
現在陸上に露出している石灰岩の多くは生物起源のものであり,その代表的なものはサンゴ礁である。サンゴは軟体動物であるイソギンチャクの仲間であるが,その中の造礁サンゴは炭酸カルシウムの殻を作る。その殻が積み重なってできたものがサンゴ礁石灰岩である。
波照間島はかって海中にあり,その上部の泥岩層はサンゴが生存できる海面近くにあった。そこに厚さ10m以上のサンゴ礁が発達した。地殻変動によりこの地域は隆起し,一部は海面から姿を現して島となった。隆起は少なくとも3回あったと考えられ,その痕跡は波照間島に残る海岸段丘に残されている。
サンゴは有性生殖と無性生殖を使い分けている。満月の夜に地域の同種のサンゴが一斉に行う大産卵は海の幻想的な光景としてしばしば映像で紹介されている。この産卵で受精した卵は「プラヌラ幼生」となリ海中を漂い,生育に都合のよい場所にたどりつくと,表面に付着し,口や触手などの軟らかい体とともに炭酸カルシウムの骨格を作り「ポリプ」となる。
ここまでは有性生殖のプロセスであるが,いったんポリプになると無性生殖の分裂により増殖し,群体を形成する。この群体がサンゴと呼ばれている。つまり,一つのサンゴは同じ遺伝子をもったポリプの集合体ということになる。
もちろん,生きているのは表面のものだけで,内部は死んだサンゴの骨格だけが残されている。造礁サンゴが大規模に集まったところがサンゴ礁ということになる。
炭酸カルシウムは貝の殻,ある種の植物プランクトンや動物プランクトンの殻を形成する重要な物質である。炭酸カルシウム(CaCO3)の分子式を見て分かるように,その中には二酸化炭素(CO2)が含まれており,地表の二酸化炭素循環において重要な役割を果たしている。
大きな岩を覆うようにしている地味な本木植物はアップの写真を撮らなかったので名前の調べようがない。この植物は横に広がる性質をもっており,この写真のものはおそらく1本の木であろう。
高那崎の西側に「星空観測タワー」がある。岩場の植物を痛めないように高那先の先端部に進んでいくと,このような光景になる。
高那崎は断層により周囲から一段高くなっており,海側は10数mの断崖となっている。付け根のところには岩の裂け目があり,押し寄せてきた荒波が砕け散っている。個人的にはこのような岩の割れ目があるので地元では高那バリと呼ばれていると考えている。
高那崎から西側の海岸は日本最南端の碑のあたりまでずっと断崖が続いている。断崖は水中にも続いており,そのため海の色は深い青色となっている。海の色は海底の状況,水深,海水中の浮遊物により変化し,観察者,海面,太陽の位置関係によっても変化する。海の色として観察者の目に入ってくる光は次のようになる。
(1)海面からの反射
(2)海中に入射した光の浮遊物からの反射
(3)海底からの反射
これらの光が合わさったものが観察者が見る海の色ということになる。海面からの反射の大きな要素は空の色である。静かな水面には空や山がくっきりと写っているように,空の青は相当強く観察者の目に入ってくる。
海中に入った光は水分子による吸収が起こる。波長の長い赤い光は水の吸収を受けやすいのでより大きく減衰し,そのような光が浮遊物に反射して海面から出てくるときは赤色少ない(青色の強い)ものとなる。
浅い海底に明るい色の砂や岩があるときは赤色が少し少ない光が海底で反射される。サンゴ礁の砂浜の水深のごく浅い所では海底からの反射により透明に近くなる。少し深いところでは赤色のすこし少ない光の反射が加わりエメラルドグリーンに見える。水深がさらに深くなると海底からの反射は小さくなり,空の青と浮遊物からの反射により青色が強くなる。
参考までに空の色が青いのは太陽光が光の波長より小さい大気中の窒素や酸素分子にぶつかり散乱(レーリー散乱)し,このとき青のように波長の短い光が強く散乱されるので地上からは空全体が青く見える。青より波長の小さい紫や藍色はより散乱されやすいので高高度から見る空は藍色が強くなる。
高那先の断崖の直下は水深があるので海は青色となり,岩に砕け散ったときだけ白くなる。この現象は海水中にたくさんの空気が混ざり込み,光の波長より大きな気泡によるミー散乱あるいは反射のためのため,波長に関係なく散乱(反射)されるので白っぽく見える。
星空観測タワーは1994年4月に設立された。日本の最南端にあり,人工の光が少なく,海に囲まれているので大気のゆらぎが小さい波照間島は星を観測するのに適している。ここでは北半球はもとより南十字星のような南半球の星も観測することができる。
星空を観測するため夜間も開いており,各民宿からの送迎(有料)サービスもある。付属施設としてプラネタリウムと200mm屈折式望遠鏡が備えられている。
僕はここにたどり着いたときには手持ちの水が少なくなっていたので,ウオタークーラーの水を十分に飲ませてもらった。おそらく,その水は「かん水淡水化施設」で作られた水なのであろう。僕は海外では必ず水のボトルを買うが,沖縄ではどこの島でも水道水をボトルに詰めていた。
星空観測タワーの周辺には数匹のヤギが出迎えてくれた。彼らは生きた草刈り機としてここにいるのであろう。ヤギは悪食でおよそ緑色のものならなんでも食べてしまう。そのような食性のヤギを放し飼いにしておくと,周辺の草はきれいに食べられてしまう。
波照間島は日本で最も南にある有人島なので,南側の高那海岸に「日本最南端之碑」が設置されている。同じように与那国島には「日本最西端之碑」がある。ちなみに民間人が普通に行けるという条件では日本最北端は宗谷岬(北海道稚内市),最東端は納沙布岬(北海道根室市)である。
葉の感じからするとモンパノキであろう。場所が日本最南端の碑の近くであり,しかも若木がこれほどかたまっているのであるから人が植えたものであろう。モンパノキ(ハマムラサキノキ,Heliotropium foertherianum,ムラサキ科・キダチルリソウ属)は東アフリカからアジア,オセアニアの熱帯から亜熱帯の海岸に生育する常緑低木である。
日本では、南西諸島の奄美群島以南および小笠原諸島に普通に自生している。とりたてて特徴のない植物であるが,波照間島には「モンパノキ」という名前のほとんで島で唯一の土産物屋がある。
「日本最南端之碑」近くの海岸は高那崎から続く断崖となっており,その一部が大きくえぐり取られたようになっている。ここは柵もない危険箇所であるが,怖いもの見たさは人間の習性のようだ。観光客の女性が断崖の近くまで行ってじっと岩に砕ける波の光景を見ている。
ここから高那崎の方を眺めると,断崖の風景がずっと続いている。僕のいる場所からは南の浜方向の海岸が見通せないが,断崖の風景は少し先で終わるはずだ。正午が近いので東方向の海の色はすばらしい青であり,正面の海は太陽からの直接光が反射するため白っぽいものになる。断崖の近くに足場を確保して眼下で砕け散る波を30分ほど眺めていた。
「星空観測タワー」から南の浜に向かう周回道路にはアダンが街路樹として使用されている。側枝を切るとアダンも普通の木のように直立する。アダンは雌雄異株であり,雌株にはパイナップル状の果実が付いている。
島の南海岸の中央部は南の浜(ペムチ浜)であり,星砂質の砂と島地図には記載されている。周回道路から浜に通じる小道の周囲はジャングル状態となっており,とても入り込めるようなところではない。
海岸に通じる道を作るため樹木を伐採すると,光が地面まで届くようになり,そのような場所は光を好むクワズイモが大きな群落を形成している。
クワズイモ (Alocasia odora,サトイモ科・クワズイモ属)はサトイモを巨大にしたような葉をもつ常緑性多年草である。大きな葉は傘に出来るほどにもなる。中国南部から東南アジア,インドなどの熱帯・亜熱帯地域に分布し,日本では四国,九州の暖地から沖縄に自生する。長崎県五島市では天然記念物に指定されているが,沖縄ではどこにでも見られる。
光沢のある葉が好まれ,本土では観葉植物として流通している。クワズイモの棒状の塊茎は毒性があり,食用とはならないので「クワズイモ」と呼ばれている。しかし,中には食用にできるものもあり,東南アジアや西太平洋に島々では栽培されている。
伐採されたアダンがあり,その断面を見ることができた。写真のように葉がスクリュー状に巻いて付いていることが分かる。そのあたりが英語名の「Screw Pine」の由来ではないかと考えている。
隆起サンゴ礁の波照間島は中央部の最高標高が60mあり,海岸に向かって緩やかに傾斜している。そのような傾斜地で農耕を行うと台風の大雨などにより表土が流失しやすい。そのため,石垣を組んで土地を平らにならし,いわゆる等高線農業を行っている。簡単にいうと一枚の面積がとても広い段々畑である。
ヤエヤマアオキ(Morinda citrifolia,アカネ科・ヤエヤマアオキ属)は八重山ではよく見かける常緑小高木である。原産地はインドネシアであり,インド洋から東部太平洋の熱帯・亜熱帯地域に広く分布している。
果実の内部は空洞となっており,海流に流され広い範囲に生息域を拡大したと考えられる。原産地のインドネシアでは地域により異なる呼称があり,果実は食用,薬用として利用されている。
一般的には「ノニ」として知られているが,これはジュースを健康食品として販売する業者がハワイの現地語である「ノニ」を使用したことによる。沖縄本島の本部ではヤエヤマアオキの果樹園を見かけ,なんのためかと疑問をもったが,日本でも健康食品ブームで需要はあるらしい。
アダンはパイナップルと同様に多数の果実が集まった集合果である。一つひとつの果実は独立しており,熟すと本体から離れ落ちる。
南の浜の外れ,ちょうど南側海岸線の中央部に農業排水用貯水池がある。波照間島は面積の大半がサトウキビ畑となっており,農業用水の確保は重要課題である。農業排水や雨水はここにいったん貯められ,ポンプで島の中央部に送られ再利用される。
貯水池に続く岩場からは180度の海を眺望することができる。しかし,正午の太陽が正面にあり,太陽光の反射が強くてきれいな海の色にはならない。自動露出では下の写真のように海が白っぽくなり,露出を調整すると海の色は良くなるが全体として暗い写真になる。
南の浜の貯水池から中心部の集落に向かう真っ直ぐな道が続いている。この道の途中から海側を撮影してみた。傾斜は一様ではなく何段かに分かれている。
集落に入るとすぐに「まるま売店」があり,自動販売機の飲み物をいただく。10月に入っても八重山では天気がいいと本土の真夏並みの気温になる。
八重山の島では小学校の卒業生は校舎の塀に卒業記念の絵を残していく慣わしがあるようだ。生徒数が少ないないので共同制作が可能となる。自分たちの絵がこのような形で残されるということは子どもたちにとってはすばらしい思い出づくりになることだろう。
波照間島に一つしかないものにはすべて「日本最南端の…」という形容詞を付けることができる。学校ブロックの西側にある波照間郵便局は日本最南端の郵便局ということになる。絵葉書をここから投函すると日本最南端の消印が押される。
郵便局の前の道をまっすぐ西に進み,周回道路を横断してさらに行くと波照間製糖工場がある。この道と一つ北側の道の識別がうまくできなくてけっこう歩くのは苦労した。
郵便強前の通りを西に行くと「波照間酒造所」がある。普通の民家のような建物なので注意して歩かないと見落としてしまう。ここでは幻の泡盛とされる「泡波」が造られている。幻の泡盛とされているのは生産量が少ないので島の外では入手しづらいことによる。しかも,この酒造所では販売されていない。僕が訪問した時は港の船客ターミナルで小瓶が売られていた。
ルリフタモジ(瑠璃二文字,Tulbaghia violacea,ユリ科・ツルバギア属)であろう。分類体系によってはネキ科とされており,茎や葉を折るとニンニクの匂いがする。原産地は南アフリカであり,沖縄では園芸種として流通したものが帰化している。
和名の「瑠璃二文字」はそのままでは意味が通じない。二文字とは韮(ニラ)の別名である。日本書紀ではネギを「岐(き)」,ニラを「爾良(にら)」と表記している。ここから雅な表現としてネギを一文字,ニラを二文字と呼ぶようになったとされている。ルリフタモジの命名者は古典の素養があり,瑠璃色の花をもつニラのような植物として命名したのであろう。
滞在3日目は波照間港から島の北側海岸線近くの道を歩いた。ここは未舗装の農道のようなところだ。道と海岸の間に大きなゆうなの群落があった。おそらく防潮林として植林されてものであろう。
ゆうなとは沖縄の呼称であり和名はオオハマボウ(Hibiscus tiliaceus)である。しかし,アダン(タコノキ)にしろクバ(ビロウ)にしろ島にいると島言葉が先にインプットされてしまう。ゆうなはアオイ科の常緑高木であり,ムクゲやオクラに似た黄色の花を咲かせる。
ゆうなの花は朝の咲き始めは明るい黄色,午後になるとやや赤みを帯び,次第に橙色になってしぼんでしまう。個体による差があるのか,このように黄色の状態でいっぱいに花を開いているものは多くない。この状態は長くは続かず,あと3時間もしたら橙色に変わっていく。
ゆうなは琉球民謡「ゆうなの花」として唄われている。この歌は「You Tube」で聞くことができる。
ゆら ゆら ゆうな ゆうなの花は
さやさや風の ささやきに 色香もそまるよ
ゆら ゆら ゆら
ゆら ゆら ゆうな ゆうなの花は
しっとり露に つつまれて 色香もぬれるよ
ゆら ゆら ゆら
ゆら ゆら ゆうな ゆうなの花は
おぼろの月に いだかれて 色香もにおうよ
ゆら ゆら ゆら
天候のせいもあるが,島の北海岸にあるブドゥマリ浜(大泊浜)から見る海には南国の明るさはなかった。このあたりは昔の船着き場であり,おそらくこの岩の間にサバニ(小舟)を停泊させていたのであろう。
モクビャッコウ(木白虹/木白香,Crossostephium chinense)はキク科・モクビャッコウ属の半耐寒性常緑小低木であり,八重山では海岸の琉球石灰岩の岩場に群生している。園芸種では大きくなるものもあるが,自生種は20-30cm程度である。シルバーリーフが特徴であり,すぐ識別できるが,葉の形が細長くて切れ込みのないものと先端部に切れ込みのある幅広のものがあり,これらが同一種であるかどうかは不明である。
下田原城(しもたばるじょう)は15世紀頃に築城されたグスクと考えられているが,正確な年代や誰によって築かれたのかは不明である。僕は北側海岸沿いの頼りない道を東に進み,そこから少し内陸にある下田原城跡に辿り着いたが,その手前にあるはずの下田原貝塚は見つけられなかった。
八重山諸島では農耕社会の発達を背景に12世紀末頃に支配者層が現れ,1500年にオヤケアカハチの乱により琉球王国の支配下に置かれるまでの間,各地に群雄が割拠してた。下田原城もこの時代のグスクと考えられており,15世紀から16世紀にかけての中国の青磁器片が出土していることから,築城は15世紀と考えられる。
現在,城跡周辺は城跡を意味する島言葉にちなんで「ぶりぶち公園」となっている。城跡は琉球石灰岩の丘の上にあり,周囲を野積みの琉球石灰岩で囲われている。
しかし,摩耗した石灰岩の石段を上ったところは植物が繁茂しており,自由に歩き回れるような状態ではなかった。石段の下の公園にも琉球石灰岩の大岩を抱きかかえるように根を伸ばしたガジュマルが盛大に枝を広げており,一人で訪問するにはちょっと不気味な感じも受ける。城跡には遠見台もあったとされ,実際,上からは島の北側の海を遠望することができる。
城跡にはウナヅキヒメフヨウがしぼんだような赤い花を咲かせていた。ウナヅキヒメフヨウ(Malvaviscus arboreus,アオイ科・ヒメフヨウ属)は中南米原産の常緑低木であり,漢字では「頷き姫芙蓉」という美しい名前になる。名前の通り花は下向きで,半分閉じたようになっているが,これ以上開くことはない。どうやって受粉するのか心配になる形状である。
島の北側には牧場があり,シロサギが牛の周囲に立っている。牛が動くと草むらの昆虫があわてて飛び出すので,それをねらっているとされている。牛とシロサギの写真を撮ろうと少し近寄っただけでシロサギは飛び立ってしまった。
周回道路を東に進んで行くと案内板があり,少し海岸方向に入ったところに「シムスケー」と呼ばれる古い井戸がある。井戸の脇の説明板には、次のような由来が記されている。
波照間島の北端に位置するこの一帯は,かってシムス村とよばれる集落がありました。このシムスケー(古井戸)はその当時から使われてきた古井戸です。この井戸は水量豊富,水質良好で,昔の島民にとってかけがえのない貴重な水源でした。
大旱ばつになって島中の井戸が枯れ果ててもこの井戸だけはいつも水を湛え,島の人々の生活を支え続けてきました。「シムスケーのお世話になる」ということが大旱ばつの代名詞になっていたほどです。
この井戸にはつぎのような由来が伝えられています。昔,波照間島が7ヶ月にも及ぶ大旱ばつにみまわれ,人々が水不足と飢饉にあえいでいたとき,シムス村のベフタチバー(ベフタチは名,バーはお婆さんの意で,貝敷家の先祖)のアマラ牛(赤牛)が角や前足で石や土をかきわけ,水を掘り当てて飲んでいました。
それを見たベフタチバーは村人を呼び,みんなで井戸を掘って水不足から救われたのでした。その後人々は,この牛を神の化身だと崇拝し,牛の死後は手厚く葬って,井戸の側に牛の肝に似た石を据えて拝所としたといわれています。(竹富町教育委員会)
シムスケーのあたりからは風力発電用の風車がよく見える。この日は1基だけが動いていた。この風車は日本初の可倒式風力発電設備として2009年に導入された。年間を通してある程度の風が見込める八重山,宮古では風力発電は有力なエネルギー資源である。
1990年代に風車が設置されたが,台風の強風によりしばしば倒壊,ブレードの損傷などの被害を受けてきた。そこで,強風に耐えるのではなく,強風を避ける風車が導入された。フランス・ベルニエ社製の可倒式風車は高さ38m,羽の直径32mで1基あたりの設備容量(定格発生電力)は245km(2基で490kw)である。
風力発電はいつも最高の風が吹くわけではないので設備稼働率は30%程度となる。2基を運転すると1月当たりの発電量は約10万kwhであり,これは350世帯分の消費電力に相当するので,蓄電システムと組み合わせることにより島の全電力をまかなうことができる。
アコウ(Ficus superba,クワ科・イチジク属)は東南アジアから中国南部にかけて分布している半常緑高木である。日本では本州南部,四国南部,九州,南西諸島に自生している。
樹高は10-20m,幹の分岐が多くイチジクの仲間であるとすぐに分かる樹形である。もっとも遠目にはガジュマルと区別がつかないので,僕が沖縄で見てきたガジュマルの中にもアコウが混じっているのかもしれない。
枝や幹から多数の気根を垂らし,岩や露頭などに張り付く。この能力により他の植物が着生しづらいサンゴ礁石灰岩の土地でも生育することができる。イチジクに似た形状の小型の隠頭花序を幹や枝から出し(幹生花),果実は幹や枝に直接付いているように見える。
北集落からかん水淡水化施設に向かう途中に若夏国体採火式の記念碑がある。1972年(昭和47年)5月15日に沖縄(琉球諸島及び大東諸島)の施政権がアメリカ合衆国から日本に返還された。いわゆる沖縄返還であり,日本政府の公式用語(法令用語)は沖縄の復帰という。
これを記念して1973年に沖縄でミニ国民体育大会が開催された。沖縄では初めての全国規模のスポーツ大会でもある。その時の採火式がここで行われた。
ここで島の東部にある井戸から汲み上げられたかん水(塩分の混じった水)を淡水化して簡易水道として供給している。施設の中を見学したかったが,フェンスで囲まれており,門は施錠されていた。
かん水あるいは海水を淡水化する方法は蒸発法(単純に蒸発させて水分と塩分を分離する)と逆浸透法(逆浸透膜を介しかん水側に圧力を加え塩分を排出する)がある。海水から真水が造れるというのは水不足に悩む地域にとっては朗報であるが,問題は淡水化に必要なエネルギーである。各方式のエネルギー消費量は次のようになっており,造られた水はエネルギーの瓶詰なのだ。
方式 | エネルギー消費(kwh/m3) |
---|---|
蒸発法 | 25 |
逆浸透法 | 3-5 |
太陽熱+蒸発法(併用) | 4 |
波照間島で採用されている逆浸透法では1トンの水を造るのに3-5kwhの電力が必要になる。2007年の日本経済新聞の記事によると淡水化コストは60円/m3であり,技術的な改善によりこの10年でコストは半分以下になった。河川水の浄化あるいは下水の再利用するコストは25-30円/m3であり,かなり価格競争力はついてきている。
しかし,これは安価な電力供給があっての話であり,水資源の豊富な日本では河川水の有効利用と節水があるべき姿である。とはいうものの河川水に頼れない波照間島では仕方がない。もっともこの施設も老朽化しており,一度は断念した西表島からの海底送水計画が再浮上しているという。
島の中央部の集落内にある南売店の横にアカハチ屋敷と呼ばれる屋敷跡が残っている。ここはオヤケアカハチの生誕地とされている。オヤケアカハチは15世紀ににおける八重山の有力者の一人で,石垣島に渡って一大勢力となる。
1500年に琉球王府の重税に反対し,農民の代表として反乱を起こす。この反乱は鎮圧され,その後,八重山は琉球王府の支配下に組み込まれていく。敗れはしたものアカハチは八重山の民を救うために立ち上がった英雄とされ,各地に記念碑が残されている。
波照間港には石垣港離島桟橋からの高速船が接岸する浮き桟橋があり,乗客はこの旅客ターミナルを利用する。中には食堂(イノー)と売店がある。僕はここで初めてペットボトルに入ったシークヮーサーの飲み物を紹介され,以後,病み付きになってしまった。
天気が良いと波照間港の水の色はかくもすばらしい青色になる。
撮影は10月8日の夕方である。真っ青な空,太陽との角度がすばらしい海の色を見せてくれた。
水深の浅いところでは白い砂地の海底が太陽光をすべて反射して透明に近い色になっている。海面の波紋はそのまま海底に写っている。
ヘクソカズラ(屁糞葛、学名: Paederia scandens)は、アカネ科ヘクソカズラ属の蔓(つる)性多年草である。日本各地に分布しているが,僕は沖縄で初めて知った。葉や茎に悪臭があることからヘクソカズラというひどい名前をもらうことになった。花に特徴があり,注意して見ると,僕の住むマンションの中庭にもこの雑草はつるを伸していた。
沖縄の離島の主要農産物はサトウキビである。サトウキビは収穫後は断面から酸化が始まるので速やかに生産地域の製糖工場で処理する必要がある。そのため,沖縄県には八重山の西表,波照間,小浜,与那国をはじめとして伊平屋,粟国,伊江島,多良間に8ケ所の製糖工場があり,島の経済を支えている。
しかし,各工場は稼働してから40-50年が経過しており,老朽化が著しい。そのため沖縄県は高品質・低コストの新型製糖工場を順次,建設している。2011年度には小浜,伊江島,粟国の3工場が新築された。
波照間島でも2013年11月完成を目指して新工場が建設されつつある。サトウキビは冬場に収穫・製糖されるので,春に操業を終えた旧工場を取壊し,その跡地に次の収穫シーズンまでに新工場を建設する計画である。(八重山毎日新聞記事を要約)
波照間港の西北部に隣接している波照間島で唯一の遊泳可能なビーチである。港とビーチの間には製糖工場があり,ここがビーチの終端となっている。
波照間ブルーともいわれる海の色と白砂のビーチは南国の雰囲気そのものである。海底まで白い砂に覆われているので,太陽光は海底で反射されて海面に出てくるのでサンゴ礁の砂浜特有のエメラルドグリーンの海となる。
この海岸は遠浅のため,エメラルドグリーンの範囲が広く,その先は水深が深くなるので青色が強くなる。おそらく,エメラルドグリーンの範囲は遊泳には適さない水深ではないかと推測する。僕は泳げないし,シュノーケリングの趣味もないので確かめようはないけれど…。
もっとも10月に入るとさすがに海に入る人は少数となり,シュノーケリングを楽しむ人がまばらにいるだけだ。いちおう砂浜を端から端まで歩いてみた。向かって右側は港の防波堤が終点となり,その近くに製糖工場の工事が進んでいる。
反対側は半島のような地形となっており,その先ばペー浜となっている。漂流物を見たり,ヤドカリと戯れる以外は大してすることはない。何よりもニシ浜ビーチの岩場から見る海の色と夕日の時間帯がもっとも素晴らしい。
波照間島を訪れる人は必ずと言っていいほどこのビーチで時を過ごすので,島を歩いていても時々しか出会わない観光客がたくさん集まっている。夕暮れの時間帯になるとさらに多くの人たちが集まって来るけれど,夕日に金色に染まる海の写真を撮るには日没の少なくとも30分前には来ていた方がよい。
この時間帯は海が黄金色に染まり,もっとも美しく輝く。低くなった太陽からの光が海面に光の帯を作り,その中にいる人がきれいなシルエットになってくれた。まったく見知らぬ人であるが,この人に感謝である。