亜細亜の街角
サトウキビ一色の島を歩く
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波照間島

波照間島(はてるまじま)は沖縄県の八重山諸島にある日本最南端の有人島であり,面積12.8km2,海岸線長約15km,人口はおよそ500人である。島名の由来は「果てのうるま」(「うるま」は琉球もしくは珊瑚礁を意味する)とされており,漢字の波照間はその当て字である。

石垣島離島ターミナルと波照間港を結ぶ高速船が波照間島にアクセスする唯一の公共交通手段である。離島ターミナルには八重山の島々の無料地図が用意されているので,島を訪問する人はまちがいなく役に立つので入手していただきた。

定期便は日に3便であり石垣島発は08:30,11:50,15:30,波照間港発は09:50,13:10,16:50であり,所要時間は約1時間である。石垣島と波照間港の距離は約50kmなので,平均速度は時速50kmということになる。実際には高速船は時速30-40ノット(55km-74km/h)というモーターボートのような速度で海上を疾走するのでかなりの上下動がある。

石垣島離島ターミナルを11時50分に出る高速船は西表島の大原港を経由することがある。予め大原港の安永観光の窓口に依頼しておくと立ち寄ってくれる。これはありがたいサービスである。高速船の片道料金は大原港(1540円)→離島ターミナル(3000円)→波照間港となるところを大原港(1500円)→波照間島で移動することができる。

隆起珊瑚礁の島でありながら,中央部の最大標高は60mあり,この周辺に集落がかたまっている。また,灯台も中央部にある。主な産業はサトウキビ栽培と製糖であり,全島がサトウキビ畑になっているという印象を受ける。

有人島として日本最南端の島であることから,南海岸には「日本最南端の碑」があり,島を訪れる観光客は必ず立ち寄るところとなっている。海岸から少し内陸に入ったところに島を一周する道路が整備されており,自転車を使用すると見どころに立ち寄りながら,1日で回ることができる。僕は写真を撮るため2日をかけて歩いて回った。

大原港から波照間島に移動する

台風24号のうねりが大きくかなり心配していたが,石垣島離島ターミナルと波照間港を結ぶ定期高速船は運航していた。大原港で乗り込んだ船は甲板席がなく,全席が室内席であった。これでは,運行中の写真は無理だ。もっとも船が動き出すと写真どころではない。

時速50-70kmで疾走するので,波長の長いうねりの上部から底に飛び込み,再び上がるという動作を繰り返すことになり,まるでジェットコースターに乗っているような状況である。

僕はそれなりに乗り物には強い方なので問題なく耐えられるが,正直あまり気持ちのいいものではない。窓の外は波しぶきが飛び,ほとんど景色は見えない。こんなときは目を閉じて,上下動に身を任せているのが良い。

波照間港から最も近い西浜荘

30分ほどで波照間港に到着した。多少風はあるものの天候はよい。もっとも,島の天気は変わりやすくまったく油断はできない。今回の旅行には折り畳み傘を持参しており,この小物は非常灯とともにずいぶん役に立ってくれた。幸いなことに波照間島では昼間は晴れ,夕方から夜間に一雨のパターンが続き,島を歩くには日ざしの強さだけが大敵であった。

波照間港から坂道を上っていくと西浜荘がある。予定していたのは中心部の民宿やどかりであったが,港からの近さにひかれて西浜荘にお世話になることにした。ここは個室の素泊まりで2000円であった。共用の台所では炊事もできるし,その向かいのゆんたく部屋もしくは入り口ちかくのテーブル席で食事もできる。ここではレンタサイクルも営業している。

ソテツ

シテツ科には100種ほどが知られており,東南アジアを中心とする熱帯・亜熱帯に分布している。その中で日本に自生する唯一の種がソテツ(蘇鉄,Cycas revoluta,ソテツ科・ソテツ属)である。

日本の九州南部および南西諸島に分布し,主として海岸近くの岩場に生育する。南国がイメージされる植物のため九州・沖縄地方でしばしば植栽として植えられている。マメ科の植物と同様に窒素固定能力をもつ藍藻類を根粒に寄生させているため,痩せ地でも生育できる。

雌雄異株であり,雄花は松かさを長くしたような形状をしており,雌花は茎の先端に丸くドーム状に膨らみ,種子は成熟すると朱色に色づく。種子は有毒成分を含むもののでんぷん質に富み,水にさらし,発酵・乾燥させると食用になる。ソテツの種子はしばしば飢餓食として利用されており,ときに中毒症状を引き起こしている。

ハマユウ(ハマオモト)

ハマユウ(浜木綿,Crinum asiaticum)はヒガンバナ科(クロンキスト体系ではユリ科)・ハマオモト属の多年草である。水はけが良く日あたりの良い場所を好み,主に温暖な海浜で見られる海浜植物であり,宮崎県の県花となっている。

和名はハマユウ(浜木綿)あるいはハマオモト(浜万年青)のどちらが正式なのか分からないほど混在している。ハマオモト属には約180種が知られており,世界中の熱帯または亜熱帯地域の水辺あるいは海辺に分布している。したがってハマオモトよりハマユウの方がまぎれがない。

円柱状の偽茎からコンブのような葉が周囲に広がり,葉だけの状態でもそれなりに見ごたえがある。夏になると葉の間の真ん中から太くてまっすぐな茎を上に伸ばし,先端に多数の白い花を花を散形につける。

富嘉集落の井戸

亜熱帯地域に位置する波照間島の年間降水量は約1800mm(東京は1500mm)であるが,台風の時期に集中しており,12月から4月までの月間雨量は100mmほどである。これは東京の3-4月とほぼ等しい。しかも,隆起サンゴ礁の島は多孔質であり,雨水は簡単に地面に浸透してしまう。

それに対して西表島や石垣島はある程度の高さの山があるので,湿った大気が上昇気流を作り雨が降りやすい。さらに,サンゴ礁石灰岩は島の内陸部にはないので雨水は表層を流れる。西表島や石垣島には川があるのは単に島の大きさだけが要因ではない。

波照間島に限らず隆起サンゴ礁の島では水の確保が最重要課題であり,一年中,涸れることのない井戸はまさに島の生命線であった。島の東側にある富嘉集落ではいくつもの井戸を見かけた。

隆起サンゴ礁の波照間島はある深さには水を通さない泥岩層がある。基盤の泥岩層をサンゴ礁石灰岩が覆っているという地中構造である。したがって,泥岩層の深さまで掘り下げると水を得ることができる。サンゴ礁石灰岩の厚さは地域により異なり,大まかには北側から中央部は薄く(5-10m),南側は厚くなっている。

このサンゴ石灰岩の厚さは島の集落の場所に影響している。富嘉集落のあたりがもっとも薄くなっており,波照間の集落は富嘉から始まったという言い伝えはそれなりの信ぴょう性がある。サンゴ礁石灰岩の厚さは集落選定の重要要素であるが,基盤の泥岩層が海水面より低いところでは井戸水に塩分が入り込むので好ましくない。

このような条件をクリアして人々は飲料水や生活水を確保してきた。もちろん,雨水を直接貯めるしかけも各家屋にはあったはずだ。その意味では水は貴重品であり,観光客の人でも水を無駄遣いすれば島の人々のひんしゅくを買う。

島には富嘉,名石,前,北,南5つの集落がありそれぞれの集落には住民の共同出資で経営されている「共同売店(商店ではない)」がある。買い物をするときはあれがない,これがないなどとぜうたくを言ってはならない。

海岸から集落まではさえぎるものがないので風対策はとても重要である。そのため,家は風に強い屋根の低い平屋,周囲に石垣と防風林を巡らしている。家の門の開口部と出入口の間にも防風のための屏風のような石垣が置かれている。防風林は多くの場合,福木が用いられる。

農業排水用貯水池

波照間島にはこのような農業排水用貯水池が5ケ所に整備されている。隆起サンゴ礁の波照間島では農地の大部分はサトウキビ畑になっている。そこには都市における上下水道のように給水システムと排水システムがある。

農業排水用貯水池は排水路の末端に設けられ,そこに農業排水や雨水を貯めるようにしている。貯水池はサンゴ礁石灰岩からの漏水を防止するためコンクリートで固められプールのような構造になっている。目的は赤土が海に流れ出すことを防止するとともに農業用水としての再利用を図ることである。

貯水池で砂を沈殿させてからポンプにより高いところにあるファームポンドへ送られ,自然流下で畑まで届けられる。サトウキビ畑の周囲には給水設備があり,そこからホースで散水している光景を目にした。

ノウゼンカズラ

ノウゼンカズラ(Campsis grandiflora)はノウゼンカズラ科・ノウゼンカズラ属のつる性植物であり,気根を出して樹木や壁などに付着してつるを延ばす。夏から秋にかけ橙色あるいは赤色の大きな花をつける。漏斗状の花の形がラッパに似ていることから,英語ではトランペット・フラワー,トランペット・ヴァインと呼ばれている。

これが宿泊予定であった民宿やどかり

富嘉集落の中を歩いていると宿泊予定であった民宿やどかりがあった。西浜荘からそれほどの距離ではなかったのでここでも問題なかった。この宿は旅行計画を立てて,自宅から予約の電話を入れたが,誰も出なかったので予約を断念した経緯がある。

長命草の花

この植物は西表島5に登場している。正式な和名はボタンボウフウ(peucedanum japonicum,セリ科)であり,日本では暖かい地域の海岸近くに自生している。沖縄県ではほとんど島ごとに呼び名が変わるり,長命草(チョーミーグサ)が分かりやすい。長命草の名前は「1株食べると1日長生きできる」とされたことに由来する。

そのようなありがたい植物が波照間島では道端に雑草のように生えており,すぐに興味の対象から外れてしまう。この時はまだ興味が失われていない時期であり,いろんな角度から撮影した。おもしろい構図は高さのそろった花を上から撮るものである。幾何学的な造形は何かの結晶構造のようだ。

黄色系のハイビスカスは艶めかしい

日本ではブッソウゲの仲間の園芸種を「ハイビスカス」と呼んでいるが,本来の「Hibiscus」はフヨウ属を意味する。そのためフヨウ(Hibiscus mutabilis),ムクゲ(Hibiscus syriacus),ブッソウゲ(Hibiscus rosa-sinensis),オオハマボウ(Hibiscus tiliaceus,ゆうな)などフヨウ属の植物の学術名はすべてハビスカス+種名となっている。

ハイビスカスの原種はハワイ諸島,モーリシャス島に数種が分布する。それをベースにした園芸種は1万種近くあるされており,大まかにハワイアン系,オールドタイプ,コーラル系に区分される。沖縄でもっとも多い赤系はオールドタイプであり,赤の多花系はコーラル,花が大きく花色の変化に富むものがハワイアンである。この黄色系はハワイアンであろう。

■調査中

タマスダレ

タマスダレ(玉簾,Zephyranthes candida ,ヒガンバナ科・タマスダレ属)の原産地は南米のアルゼンチンあたりで日本には明治時代に渡来している。球根草であり夏から秋にかけて白い花を咲かせる。日本の風土にもよく適応しており,球根の分球で増える。

花壇の縁を飾る脇役として植えられることが多いが,アップに耐える清楚な花は主役にしてあげたい。ここではすぐ隣に同じような細い葉の茂みから花茎を伸ばしたピンクの花も咲いていた。こちらは同じタマスダレ属のサフランモドキであろう。これら二種類の花と長命草の花は集落中の道路わきを飾っている。

長命草の花に集まる

長命草の花に集まるハチの中には見たことも無いものがいくつかいる。このハチはオリジナルの画像ではほとんど真っ黒に写っており,画像を調整してこの程度になった。それでも見当がつかないので真っ黒なハチで検索し,「クロアナバチ(Sphex argetatus fumosus),アナバチ科・Sphex属」と見当がついた。ただし,頭部に白い毛は無く,奄美以南に生息する別亜種(Sphex argetatus inusitatus)であろう。

アナバチは狩り蜂の仲間であり地中に穴を掘り,泥で固めた巣穴を作り,その中に毒針で動けなくしたキリギリス科の昆虫を運び込み,そこに産卵する。幼虫は生きた獲物を食べて成長する。このように狩り蜂の仲間は生きた獲物を幼虫の食料にするという習性をもち,種によりさまざまな形態の巣を作る。

ちょっと変わり種のハイビスカス

これはコーラル系であろう。

すでに利用されている農業排水用貯水池

少し前に見た農業排水用貯水池は工事中であったが,ここのものは実際に利用されている。砂を沈殿させた水はけっこうきれいであり,水鳥たちも集まっている。

県営かんがい排水事業の看板

事業主体は八重山支庁・農業水産整備課となっており,工期は平成元年〜平成12年,事業量は107ha,事業費は26.5億円となっている。事業の目的は貯水池,揚水機,ファームボンド,管水路の整備を行い,生産性の向上,農業所得の増大を図るとともに農業経営の安定を図るとなっていた。

伝統的な家屋

伝統家屋では門の開口部と家屋の出入口の間に,風よけの屏風石垣を置いているが,車が使用されるようになるとジャマになるので,このように撤去されているところも多い。

琉球瓦の上に置かれたシーサー

福木の防風林と石垣

サンゴ石灰岩を積み上げたコート盛

コート盛は波照間港から中心部の集落(名石,前,北,南の4集落に分かれており境界分からない)集落に向かう道沿いにあるが,僕は富嘉集落の方から回ってきたので,中心部の集落に入る手前で北に向かいコート盛に出た。これは琉球石灰岩を積み上げた見張り台(遠見台)であり,高さは4mほどある。

このような見張り台は八重山地域が琉球王朝の支配を受けるようになった17世紀に,各地に造られた。目的は異国船や進貢船などを監視し,異状があれば烽火によって,波照間→西表→小浜→竹富を経由し石垣島の蔵元に通報されていた。コート盛は螺旋階段により最上部まで上がることができ島内を見渡すことができる。

シシ岩

道路を挟んでコート盛の向かいにある。琉球石灰岩の自然石であるが,言われてみるとシシの姿に見えないこともない。

コート盛からの風景

跳ね回るヤギ

八重山ではヤギが常食される。僕のイメージではヤギ=ミルクを出す家畜であるが,ここで飼育されているのはミルクに縁のない種で,成長するとそのまま肉にされる。ヤギは草地の杭に長いロープでつながれており,よそ者が近づくと跳ね回って逃げる。

学童慰霊碑

コート盛の横の道を波照間港の方に歩いて行くと「学童慰霊碑」がある。太平洋戦争末期の4月8日に軍の命令により波照間島の全島民はマラリヤのが蔓延する西表島南風見(はいみ,はえみ)になどに強制疎開させられ,マラリアに罹患した。

終戦後8月に島民が波照間島に戻ってからもマラリヤが蔓延し,食料不足による栄養不良もあり,12月までに疎開時の全島民の3分の1にあたる488人が犠牲になった。この中には66名の学童も含まれている。悲惨な史実を忘れないようにこの石碑が建立された。

西表島の南風見田の浜にはその事実を忘れないように「忘勿石 ハテルマシキナ」と岩盤に刻まれた文字が残されている。これは国民学校の識名校長が残したものとされている。残念ながら大原滞在中は台風のためこの地は訪問できなかった。

サトウキビの苗造り

学童慰霊碑のとこまで来たので,周回道路の西から北までの4分の1周を歩いてしまうことにした。波照間港に向かう道路の周辺はほとんどがサトウキビ畑となっており,よく苗作りの作業を見かけた。

稲作のように種子から苗を育てるのではなく,成長したサトウキビの茎を二つの節が入るように切断して苗にしている。節のところには芽が準備されており,これを横にして埋めると発芽する。サトウキビを根元で切断するときは手斧のような道具を,茎を切断するときは紙を裁断するような専用の道具を使用する。

琉球石灰岩の山

使用目的は不明であるが握りこぶし大の琉球石灰岩(サンゴ礁起源の石灰岩)が大量に集められていた。南国を印象付ける八重山の白い砂浜は,この石灰岩が細かく砕かれ,砂粒大になったものである。白い砂浜が海底にまで広がっていると海の色は青からコバルトブルーに変化する。その仕組みは実際の海の色が写っている写真で説明することにする。

アダンには雄株と雌株がある

正式名称はタコノキ(Pandanus,タコノキ科・タコノキ属)であり,アジアをはじめアフリカ,太平洋諸島,オーストラリアなど旧世界の熱帯におよそ140種が分布する樹木である。幹の下の方から気根と呼ばれる多数の根がタコ足状に伸び,海岸の砂地などでも幹をしっかり支えることができる。この形状が名前の由来である。沖縄のものは3-5mの低木種であり,海岸線に大きな群落を形成する。

木には雌雄があり,雌の木はパイナップル状の大きな果実(集合果)をつける。若い果実は緑色であり,熟すと赤みが強くなってくる。最後には小さな果実が本体から落ちて散らばる。特異な果実と奇妙な枝のため,一度見たら忘れない。

島の北側海岸は岩場が続いている

波照間港の防波堤が見える北側の海岸はわずかな砂浜を除くと岩場になっている。

残念ながら南国の海の色には出会えなかった

沖縄風の墓

島の周回道路の近くは沖縄風の亀甲墓(かめこうばか,きっこうばか)がいくつも見られた。沖縄の方言ではカーミナクーバカと呼ばれる。名前の由来は墓室の屋根が亀甲形をしていることによる。琉球王朝時代の破風墓が原型であり,士族にのみ許された形式である。明治維新後は庶民の間でも急速に普及した。

沖縄では天然の洞窟や岩陰に遺体を運んで風葬にする習慣があった。時代が進むと岩盤に横穴を掘り,その入り口を石垣で塞ぐ掘込墓と呼ばれる形式の墓が登場する。

16世紀になると掘込墓の前面を切り石で装飾する破風墓と呼ばれる家型の墓が登場する。破風墓の正面屋根を亀甲型に装飾した墓が亀甲墓である。当時の沖縄では火葬は一般的ではなく,風化した骨を洗って蔵骨器(厨子甕)に入れており,亀甲墓の墓室は家族あるいは一門の大きな蔵骨器を複数収めるだけの空間となっている。

集落のほぼ中心部にあるマイクロ波中継塔

波照間島の中央部には小学校,中学校,幼稚園,保育所が道路に囲まれた長方形の敷地の中に集まっている。ここが集落の中心部でもある。学校地区の北東角にNTTのマイクロ波中アンテナがある。

テレビの地上デジタル放送は石垣中継局が石垣島南部および周辺離島(竹富島・黒島・小浜島など),西表島,さらに波照間島までカバーしている。

サトウキビの苗植え作業

集落の北側もサトウキビ畑となっており,そこでは植え付けが行われていた。作業方法は西表島で見たものと同じで,運転手と植え付けの二人一組で作業は進められる。

サトウキビの苗は二節二芽

今年は降水量が少ないので散水が必要なようだ

サトウキビ畑の中に白いものが見えたので近づいてみると散水用のホースであった。今年は降水量が少ないので芽吹いたばかりのものには水やりが必要なようだ。

ニトベカズラ(アサヒカズラ)

琉球石灰岩を積み上げた石垣を覆うようにニトベカズラ(アサヒカズラ)がつるを伸ばしていた。正式な和名はニトベカズラなのかアサヒカズラなのかははっきりしない。google の検索ヒット数ではアサヒカズラに軍配が上がったで,こちらの名前の方がよく知られているようだ。

アサヒカズラ(Antigonon leptopus,タデ科・アンティゴノン属)はメキシコ原産のつる性の低木である。温度条件が合うと急速に成長する。花は一つの花序に十数輪付き,その先端の巻きひげを絡み付けて石垣でも体を支えることができる。

ピンク色に見える花は萼(がく)であり,長い期間を楽しむことができる。開花時期は夏となっているが,熱帯・亜熱帯地域では通年開花するようだ。

塀に描かれた浅倉南(タッチのヒロイン)

アサヒカズラの石垣の向かいの家の塀には浅倉南(タッチのヒロイン)が描かれていた。少し色あせているものの南の特徴がよく出ており,すぐに彼女だと気が付いた。

波照間島のマンホール

波照間島のマンホールのふたには「日本最南端,南十字星が輝く島」の文字が刻印されており,星空観測センターと南十字星を含む満天の星空が描かれている。これを見てから,訪問地の島のマンホールを撮るくせがついてしまった。

そろそろ時間切れ

17時を過ぎると写真の色合いは劣化していくのでそろそろ店じまいの時間帯だ。宿に戻りシャワーを浴び,カップめんの九州ラーメン,チーズ,ポテトチップス1袋で夕食にする。昼はサンドイッチであり,歩いているだけでもカロリーが不足する。そんなときはザックの中にいつも入っている黒糖をかじっていた。

黒糖(黒砂糖)とはサトウキビの搾り汁をそのまま煮沸濃縮して固形化した含蜜糖である。サトウキビのミネラルがそのまま含まれているのでアルカリ性健康食品とされている。波照間島のものは高品質で知られているが,このときは石垣島産のものをいただいていた。

滞在2日目・3日目の行動

波照間島は2日かけて歩いて回った。10月8日の行程は西浜荘→中央集落→長田御嶽→灯台→高那崎→日本最南端の碑→南の浜→中央集落→西浜荘であり,9日は西浜荘→波照間港→ブドゥマリ浜→下田原城跡→シムスケー→かん水淡水化施設→学校→西浜荘である。夕日の時間帯はいつもニシ浜ビーチ周辺で過ごした。あまり効率の良い行程とはいえないが,だいたいを制覇することができた。

石垣の上の子ヤギ

この二匹の子ヤギは石垣の上を縄張りにしているようだ。人間が近づくとどちらに逃げようかと身構える。

真紅のハイビスカス

これはオールドタイプでありフウリンブッソウゲのイメージが残っている。

福木は防風林として広く使用されている

フクギ(福木,Garcinia subelliptica,オトギリソウ科・フクギ属)はフィリピンから台湾に分布している。沖縄県のものは移入されたものと考えられているが,八重山諸島には自生していたという見解もある。

樹高は10-20m,葉は対生で密に茂る。南国の樹木としては珍しく幹が直立するので並べて植栽すると緑の壁のようになり,防風林あるいは防潮林として広く植えられている。樹皮は沖縄を代表する黄色染料として利用されている。

花を撮ろうとしたら…

花の色と形状はゴーヤとそっくりであるが,花がかたまっておりゴーヤではなさそうだ。残念ながら植物本体の写真は撮らなかった。かたまった花が珍しく撮影し,あとで画像を見るとちょうどハチがやってきたところであった。

ふたり野を行く

こんなシーサーもある

長田御嶽

15世紀後半,オヤケアカハチらと覇を競い八重山に一大勢力を築いた「長田大主(ナータウフシュ)」生誕の地である。琉球王府に従属的だった長田大主は仲宗根豊見親と結束して八重山を統一しようとするが,オヤケアカハチは「アカハチの乱」を起こした。この反乱を鎮圧した仲宗根豊見親は琉球王府により先島(宮古,八重山)の統治権を許された。

伝統的な家屋

石垣の上にもオオタニワタリ

森の中にある亀甲墓を囲む石垣にオオタニワタリが着生していた。おそらく人工的にここに置かれたものだろう。

かん水淡水化施設

集落の東側は比較的高低差が少なく,北側にあるかん水淡水化施設が遠望できる。正式名称は「波照間簡易水道かん水淡水化施設」といい,海水から島民の飲料水・生活用水を作っている。

島の東側の井戸から水を汲みあげ,逆浸透法一段脱塩法により淡水化している。1日の処理能力は240トンであり,波照間島の世帯数は267世帯なので生活用水としては十分すぎる能力である。

かってはこの井戸の水をそのまま簡易水道として供給していたが,塩分が入るようになったので現在の仕組みになっている。かん水とは「鹹水」という漢字が当てられ,塩分を含む水を意味する。食品添加物となるかん水は「鹸水(けんすい)」のことであり,炭酸ナトリウムを含む水を意味する。

携帯の基地局はもっとも高いところにある

灯台も島の中心部にある

白原地区農業用給水所

看板に「白原地区農業用給水所」と出ている。先に見た農業排水用貯水池から揚水ポンプで汲み上げ,ここのタンクに貯蔵する仕組みとなっている。このタンクがサトウキビ畑の周辺にある給水設備につながっているかは不明である。

サトウキビの苗造りも機械が使用されている

南東側のサトウキビ畑でも苗作り作業が行われていた。このおじさんは草刈などに使用されるエンジン付き機械でサトウキビの茎をかなりの速さで切断していた。

サトウキビの手刈りはこのような道具が使用される

これは収穫作業ではなく苗作りのため成長したサトウキビを切っているところである。サトウキビの収穫は一部機械化されているものの大部分はこのような手斧のような道具を使用し,手作業で行われる。刈り取った後は茎の上部に伸びている緑の葉や茎に付いている涸れた葉を除去する。除去された残差はバガスと呼ばれ,おそらくそのまま畑の肥料として残されるのであろう。

機械で切断したサトウキビの苗

1年半でこのくらいに成長する

こちらは昔ながらの道具を使用している

グンバイヒルガオの大群落

西表島1に引き続いての登場である。グンバイヒルガオ(軍配昼顔,Ipomoea pes-caprae,ヒルガオ科・サツマイモ属)は世界中の熱帯から亜熱帯の海岸に広く分布する海浜植物である。

西表島の上原港近くの道路わきで見かけて時は海岸に近いということで違和感はなかったが,波照間島では海岸からかなり遠い草地に大繁殖していたのでちょっと意外な感じを受けた。確かに条件さえ良ければ,内陸でも問題なく生育できるのであろう。

シマアザミ

おそらくシマアザミ(Cirsium brevicaule,キク科)であろう。トカラ列島から琉球各島に分布する固有種であり,海岸近くに多く見られる大型の多年生草本である。沖縄の方言ではチバナーあるいはアジママと呼ばれる。

若葉や根は食用・薬用となるので生息地では大事にされてきたと考えられる。葉は根元からロゼッタ上に密生しており,中央部から花茎が伸びる。沖縄本島のものはほとんど白色であるが,ここのものは淡い紅紫色をしている。

シロオビアゲハがシマアザミの花にやってきた

シロオビアゲハ(Papilio polytes,アゲハチョウ科・アゲハチョウ属)の和名は後翅に白い斑点が列をなし,翅を縦断する白い帯模様を形成することに由来する。インドから東南アジアの熱帯域に広く分布し,日本ではトカラ列島以南の南西諸島に分布する。八重山諸島では通年発生している。

ハマゴウ

海岸近くの草地に成育していた植物である。花の付き方と葉の形はクラウンフラワー(Calotropis Gigantea,ガガイモ科・カロトロピス属)に類似しているという印象であった。ひょんなことからハマゴウ(Vitex rotundifolia,クマツヅラ科・ハマゴウ属)であることが分かった。

世界的では中国,朝鮮,東南アジア,ポリネシア,オーストラリアに分布し,日本では本州,四国,九州,沖縄に分布し,海岸の砂浜に群生する海浜植物である。

クサトベラ

クサトベラ(Scaevola taccada,クサトベラ科・クサトベラ属)は太平洋からインド洋にかけての熱帯・亜熱帯の海岸またはその近くに自生する高さ1-2mの常緑低木である。茎の先に集まって密に互生している葉は革質であり,若葉は目の覚めるような緑である。

葉がトベラ(Pittosporum tobira,トベラ科トベラ属)に類似していることからクサトベラの名前が付いたと推測するが,両者はまったく別の科の植物であり,しかも本木植物を「クサ」とするのは疑問の残る命名である。八重山にはトベラも自生しており,花が咲いていなくても枝先の6枚の葉が円周上に揃っているので識別できる。

■調査中

岩だらけの向こうに高那崎が見える

波照間島はだ円形の形をした隆起サンゴ礁の島であり,島中央から南東にかけて大きな高那断層が2本走っている。その間の地域(高那崎から日本最南端の碑のあるあたりまで)は標高が高くなっており,海岸は10数mの断崖となっている。

断層の端にあたるのが高那崎であり,写真のようにはっきりとした断層崖が見て取れる。地元では高那バリと呼ばれている。バリは地元の言葉で割れ目を意味しており,与那国島の久部良バリはそのままの岩の割れ目である。高那バリが断層崖を意味するのか,海岸の断崖にある岩の割れ目を意味しているのかは不明である。ともあれこれほどはっきり分かる断層崖は珍しい。。

島の東側の海岸にうねりが押し寄せる

高那崎を望む琉球石灰岩で覆われたところから東の海岸が遠望でき,盛大に波しぶきが上がっている。これは台風によるうねりによるものか,西南から東北に向けて島を洗う黒潮の早い流れによるものなのかは分からない。ここを訪れたときは台風の記憶が焼き付いており,台風によるうねりはすごいものだと考えていた。

ナンゴククサスギカズラ

ナンゴククサスギカズラ(Asparagus cochinchinensis,ユリ科・クサスギカズラ属)は九州南部および沖縄の海岸の岩場や砂地に自生している。匍ふく生の多年生草本であり,葉はつる状に伸びて岩や地面を這って自分の領域を広げる。


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