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実家には二冊だけが無事な姿で残っていました
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西谷祥子

西谷 祥子(1943年10月生)は高知県の出身であり,1961年の夏,高校在学中に「ふたごの天使」でデビューしています。3人兄妹の末っ子として可愛がられて育てられたようです。

西谷祥子に関してはネット上でも情報が非常に少ないのですが,「かおるさんのSF大会レポート|西谷祥子先生に聞く(2001年8月19日)」という対談が残されています。その中で子ども時代を次のように語っています。

3人兄弟の末っ子,上2人は兄,子供の頃はゼンソクぎみで体力がなかった。父と兄はいいなりになるほど可愛がってもらった。そのためか男社会(父、兄との関係)が心地良かった。でも社会に出て必要な事が女の子には教えられていないと後に解る。女の子のべたべたした関係が苦手。



西谷の漫画に関する原体験は二人の兄の読んでいた少年雑誌にあり,手塚治虫(鉄腕アトムなど),山川惣治(少年ケニヤなど),小松崎茂(地球SOSなど)の漫画作品や絵物語に影響されたようです。

小学校高学年の時,「赤毛のアン」に出会い,自力で夢を実現していく少女の生き方に感銘を受けています。「赤毛のアン」に出会わなければ少女漫画ではなくより少年漫画に近い中性的な少女を描いていたかもしれないと語っています。

その後,貸本屋でトキワ壮のメンバーの漫画に出会い,特に石森章太郎や水野英子の作品が好みでした。水野が初の長編となる「銀の花びら」を執筆したのは1957年のことですから,この時期は西谷が中学生の頃だと推測します。

高校生の時に石森章太郎が中心となって活動する「東日本漫画研究会」の女子部に誘われ,初代リーダーとして肉筆回覧誌「墨汁二滴」の編集や会員との連絡などを担当しました。

この時期に「墨汁二滴」を見た「少女クラブ」より原稿の依頼を受け,「ふたごの天使」でデビューします。

高校卒業後,漫画で生計を立てられない場合に備えて,1年間かけて母親の店で美容師の免許を取得してから上京します。おそらく1963年のことだと推測します。「西谷祥子ファン倶楽部」の作品リストを見ると,1963年と1964年が空欄となっているのはこの時期にあたります。

1965年に活動の場を講談社から集英社の「週刊マーガレット」に移し,水野英子の「白いトロイカ」のアシスタントをしながら「春子のみた夢」を執筆します。これが漫画家・西谷祥子の実質的なデビューとなります。

このようなデビュー時の事情により,西谷は「初期の自分は石森章太郎と水野英子の間にかってに生まれた私製児」と語っています。西谷の初期作品にあたる「レモンとサクランボ」にもその影響が見られます。主人公の加茂礼子の兄は漫画家であり,その造形はにきびを省略した石森章太郎の自画像を思い出させてくれます。

かって「トキワ荘」のあった豊島区の南長崎花咲公園に「トキワ荘記念碑」が設置されています。記念碑は石碑とその上に置かれたミニチュアのトキワ荘という構成です。石碑にはトキワ荘に暮らしていた漫画家の自画像と2階の間取り図のプレートが貼られています。

かってのトキワ荘メンバーの自画像をすべて見ることができるのは漫画愛好者としてはありがたいことです。プレートの順番の関係で画像を切り出して石森正太郎と水野英子を並べてみました。初期の西谷祥子はこの二人の影響が大きかったということです。



同じ年に発表された「リンゴの並木道」は好評となり,続く「マリイ・ルウ」もヒットします。1966年に執筆された「レモンとサクランボ」も大好評となり,西谷は「週刊マーガレット」の看板作家となります。

1966年から1974年にかけて西谷の執筆量は大変なものとなります。西谷から5歳後に位置する「花の24年組」世代では通常,週刊誌の連載をもつ漫画家はアシスタント制により作品を仕上げていきますが,西谷はストーリーからネーム,描画,仕上げまでほとんどの作業を一人でこなしていました。スクリーントーンもない時代ですから,背景線などもすべて手書きです。

これで週刊誌連載だけではなく短編の読み切りも描いていたというのですから超人的な執筆量ということになります。当然,生活時間はすべて制作に充てることになり,寝る間を惜しんで仕事をしていたと巷では言われています。ひどいときは,1月もの間,お風呂にも入れなかったなどという逸話も残されています。

1960年代後半から活躍した西谷祥子(1943年生)は少女漫画界に大きな足跡を残しました。「水野英子・ファイヤー」でも書きましたが,少女漫画の世界に大きな変化をもたらしたのは手塚治虫(1928年生)の「リボンの騎士」です。少女クラブで1953年1月号から1956年1月号にかけて連載されたこの作品は少女漫画に新しい作品世界と長編ストーリーをもちこんだ画期的なものでした。

これは手塚が少年漫画の世界で行ったのと同じインパクトをもっていました。「リボンの騎士」の登場により,少女漫画の世界は新しい時代を迎えることになります。当時,中学生であった水野英子はそれまでのまんがに欠けていた物語の要素(具体的には物語性と恋愛ロマンス)に圧倒されたと語っています。

水野は少女漫画界における手塚の後継者となっていき,西谷は少女漫画の地平をさらに広げていきました。水野の作品の舞台は完全に欧米に軸足を置いていましたが,西谷の初期作品は欧米の華やかな世界と日本の高校生の等身大の世界が交錯しており,その意味ではこの時期の彼女の作品群は「無国籍」という世間の評価となっています。

これは,西谷が自分の作品にその時代の少女たちの夢やあこがれを投影していたことによると解釈できます。1960年代の後半といえば日本は東京オリンピック(1964年),大阪万博(1970年)という巨大イベントをてこに高度成長をひた走っていた時期であり,大卒初任給は約3万円といったところです。都市勤労者の平均月収はおよそ9万円といったところです。

1$=360円の固定レートの時代ですから。大卒でも初任給は80$程度ということになります。これでは海外旅行などはとても考えられない時代です。しかもこの時期には海外に持ち出せるドルは500ドルまでという制限もありました。

米国の女子高校生の自由な男女交際やステディの関係はその豊かな物質社会とともに日本の女子学生の憧れだったと西谷は考えたのでしょう。同時に日本経済の発展は米国流とはいかないまでも一定の経済・社会環境の中で学園生活を送る高校生の姿を描くことにもつながります。

1970年代には為替の変動相場制もあり日本の経済力と豊かさは米国に迫っていきます。さらに,日本における高校生の男女交際はごく普通のものとなり,そのような経済・社会環境では物語の舞台を豊かで自由な米国に求める必要はなくなります。

そのため,1971年以降の作品の舞台はほとんど日本ということになります。西谷は「登場人物達は自分の分身である,あるいは主人公は狂言回しである」と発言しており,その意味では自分の高校生時代の経験やそれを発展させたあこがれを作品の中に込めていたのかもしれません。

学園ものに恋愛要素を取り入れた作品群は少女漫画に新しいジャンルをもたらし,1960年代後半から1970年代の初めまで,その物語性と瞳の中に窓の反射のような光を入れる華麗な描画は少女漫画の最先端を行くものであり,水野英子,西谷祥子と続く手塚治虫や石森章太郎の系譜は6年後輩の「花の24年組」に引き継がれることになります。

西谷の作品はその華麗な絵にどうしても話題が集まりますが,1971年以降の作品には描画化された文学作品といってもよいものが多くなります。同時に時代の急速な変化の中で読者である女子中高校生が何を求めているかが分からなくなったと感じるようになり,漫画界から引退し,大学を卒業し,結婚して専業主婦になっています。

現在,西谷の作品はほとんど再販あるいは新装版として発刊されることはなくなり,中古市場ではプレミアムが付くようになっています。それは40年あるいは50年前の読者が懐かしさから買い求めるためであり,新刊はその後の少女・女性読者にはそれほど支持されないことから見送られのではと推測しています。

西谷祥子の学園ものの特徴

西谷祥子の学園ものの特徴として挙げられるのは大河小説的な手法を取り入れていることです。通常の少女学園漫画では主人公の少女と周囲の人々,特にボーイフレンドとの関係が物語の主要テーマとなります。しかし,西谷の学園ものでは主人公と周囲の人たちの人間関係だけではなく,周囲の人たちの人間関係も同様にしっかり語られています。

「レモンとサクランボ」を例にとると,主人公の加茂礼子と峰達彦の関係は物語のごく一部であり,礼子のクラスメートの人間関係や,さくらの実家の人間関係が同等の比重をもって語られています。このように物語の進め方が大河小説的と云われる所以なのでしょう。

西谷自身も「登場人物達は自分の分身である,あるいは主人公は狂言回しである」と語っており,主人公は物語を進める先導役のような役割を与えています。このように,少女漫画にありがちな主人公だけがスポットライトを浴びる物語から,学園生活や家庭生活全体を俯瞰して物語を紡いでいくのが西谷の学園ものの特徴ということができます。

西谷祥子作品を時系列的に俯瞰してみると

左の「作品リスト」に単行本化された西谷の作品集を時系列で列挙してみました。当初は米国における華やかな男女交際と日本の学園ものが交雑しており,無国籍と呼ばれる状態です。

しかし,「学生たちの道(1967年)」は19世紀中ごろのスイスの学園を舞台に始まりますが,話は学園内にとどまらず,主人公や周囲の人々を通して当時の社会全体を描くようになっています。「飛んでいく雲(1971年)」は平安時代末期の「保元の乱」から平氏が台頭し滅亡するまでの時期を描いた歴史小説ともいえる作品です。

今まで欧米のまぶしい学園生活,日本における等身大の学園生活を基盤にしてきた西谷はこの2つの作品で少女漫画の地平を一回り広げることになります。寝る間もないほどの忙しさで作品を世に送り出していたかたわらで,西谷は多くの資料を読み漁り時代考証をきちんと固めながら,少女漫画の新しいジャンルを切り拓いていきます。

しかし,私の勝手な推測ではそのような実験的漫画とも言うべき作品は週刊マーガレット,セブンティーンを擁する集英社編集部に気に入られなかったのでないでしょうか。西谷のその後の作品は(編集部の意向によるものなのか)日本を舞台とした学園ものに傾倒していきます。

漫画も商品ですから集英社編集部も看板作家に対して危ない橋を渡らないよう要請したとしても不思議はありません。そのため,1970年代の初めまで少女漫画の最先端を走っていた西谷漫画はその勢いを失い,少女漫画の中に埋没していきます。

「学生たちの道(1967年)」や「飛んでいく雲(1971年)」は文学作品のような趣に輝いていましたので,編集部との折り合いがつけば1970年代も「花の24年組」とともに少女漫画の革新者でいられたかもしれないと思うと残念でなりません。

1966年22号のマーガレット

「レモンとサクランボ」が始まった1966年22号のマーガレットの作品は次のようになっています。なつかしい漫画家の名前が並んでいます。「レモンとサクランボ」を他の掲載作品と比較すると,際立ってセリフが多く物語性が高いことが分かります。この小説を読んでいるような読後感が西谷作品の特徴です。

・レモンとサクランボ(西谷祥子)
・おかあさんの目(花村えい子)
・プリンセスの恋(わたなべまさこ)
・山ゆりの歌(木内千鶴子)
・マーガレットちゃん(よこたとくお)
・赤毛のスカーレット(水野英子)
・チコの青春(武田京子)
・すきすきビッキ先生(望月あきら)
・三つのねがい(鈴原研一郎)
・シロのばか!(福島史朗)
・白へび館(古賀新一)

この時期のマーガレットには古賀新一作品も掲載されていたんですね。楳図 かずお→古賀新一と続く「恐怖マンガ」の系列は当時の大人たちからどのような評価を受けていたかを想像がつきます。

子どもたちに悪夢やトラウマを生み出すようなこのような表現が少女漫画で許容されるかどうかは大人の観点からしっかり議論されるべきことでしょう。「表現の自由」は憲法で保障された基本的な権利ですが,精神的に未熟な子どもたちが読むものにどのような表現でも許されるということにはなりません。

出版社は読者の対象年齢を考慮し,社会的に許容される基準を自分でもたなければなりません。この自主規制は子ども向けの漫画を世に送り出す側の良心ともいうべきものです。

この頃大学生となっていた私でも,悪夢に出てきそうな恐怖表現のあまりのおどろおどろしさにすぐにページを閉じてしまったことを覚えています。


レモンのような少女|P5

志望校に落ちて姉の新3年生になるゆき江と同じ富士高校に通うことになった加茂礼子は入学式の日に学校に行きたくないと駄々をこねて家族を心配させます。通学の電車の中で不良にからまれている浅野さくらを峰達彦が助けようとして,不良たちの矛先が峰に向けられたためゆき江が間に入り不良たちを黙らせます。

もちろん,お決まりのように礼子,さくら,峰は同じ1年B組になります。峰はなぜか制服ではなく背広姿となっています。この程度のことで朝の騒動を忘れたように礼子は「わたし,この学園が好きになれるかもしれないわ」と心のなかでつぶやきます。

B組の担任の戸村はざっくばらんな性格であり,当面の役員として新田次郎と吉川東江を選出し,その補佐として峰達彦と加茂礼子を指名します。続いて自己紹介が始まりますが,礼子は窓の外には電車内で峰にからんできた不良たちが誰かを待っていることに気が付きます。

授業時間が終わり掃除のときに水を汲みにいった峰は不良たちにからまれます。このときは礼子が姉の名を出し,クラスのみんなが集まってきたこともあり大事には至りません。

クラスメートの中には将来の進路を見据えたクラブ活動を始める人もおり,礼子はなんとなく負い目を感じるようになります。そんなとき,礼子の姉のゆき江が生徒会長に立候補することになりました。礼子の心中は穏やかではありません。

さくらと一緒に帰った礼子はさくらの家に寄ることになり,庭でさくらの兄の圭一を紹介されます。家庭内の問題を抱える圭一にてって礼子の明るさにまぶしく感じられるようです。

生徒会の演説会でゆき江は見事に当選し,そのためか礼子は代議員に選出されます。代議員とはクラスを代表して生徒会に出席する人なのでしょう。礼子は面倒事を任されたと感じ,家族の助言にも反発し公園で涙にくれます。

そこで峰が例の不良たちとけんかをしているところを目撃します。相手は刃物を持ち出し,それを奪った峰は「もう,がまんできない,一人刺すのも二人刺すのもおなじことだ」と口にします。礼子は後ろから抱きつき思いとどまらせます。

このケンカは三年生の森田が引き取ります。この森田に翌朝,「加茂の妹だって」と挨拶され,横浜の事件について相談に乗ってもよいと言われます。

兄に会わないで|P82

体育の時間に男子のサッカーボールが頭に当たりさくらが保健室に運ばれます。さくらのかばんを取りに教室に戻った礼子は体育の授業に出ないで自習している新田に出会います。さくらは「新田さんは意識して目立たないようにしている」と分析します。

授業に戻ろうとした礼子は峰を見かけ,「実家が横浜であることをどうして隠すの」とたずねると峰の様子が変わります。礼子がアメリカンスクールのことを持ち出すと峰の顔色が変わり「このことはそっとしておいてほしい」と言われます。

礼子はさくらを家まで送っていくように担任から頼まれます。しかし,さくらは堂々とタクシーを呼び止め,礼子を驚かせます。さくらの家までは1000円くらいになるのです。この頃のタクシー代は2kmで100円程度ですので,距離は20kmほどと推定できます。当時のマーガレットコミックスが240円,大卒初任給が3万円弱ですから1000円の重みが分かります。

さくらの家では圭一の同級生の由里子がちょうど帰るところでした。圭一は学校を休んでおり由里子はノートを届けに来ましたが,圭一が追い返したようです。由里子は才色兼備の才媛ですがどうも圭一は意識して由里子を避けているようです。

しかし,礼子とは打ち解けてトランプゲームで笑いも出てきます。圭一は礼子を送って加茂家のだんらんに触れ,それをまぶしそうに眺めています。

姉のゆき恵が峰のことで悪いニュースを持ち帰ります。一部の生徒たちの間で峰を退学処分にしようとする動きがあるというのです。礼子はいてもたってもいられず森田の家に駈けつけます。森田は峰の退学問題にはかかわっていないと言明し,(峰の起こした事件のについて知るため)翌日,横浜に出向きます。森田の運転する車の中で礼子は森田がゆき恵を怖がっているという信じられない話を聞かされます。

峰は横浜の実家におり事件の概要を二人に語ります。クラスの黒人の子どもに人種差別的な発言をした白人子どもとの間でいさかいとなり,止めに入った峰は白人の子どもが持っていたナイフで傷つけてしまいました。学校と実家に迷惑が及ばないよう峰は東京の学校に急きょ転校しましたというのが事件の真相でした。

翌日の校内では悪いうわさが広まっており,礼子のクラスでもその件について問いただす生徒もいます。しかし,クラスでも人望の厚い生徒たちはうわさだけで判断するのはやめよう,峰のことは自分たちの方がよく知っているはずだと発言します。

生徒会では緊急委員会の動議が可決され,すぐに委員会が開かれることになります。その直前に森田が良からぬうわさを流した生徒を連れてきて真相が明らかになりました。

ゆき恵は「心ないもののいたずらであった」と校内放送で話しますが,1968年頃の学校でもこのような事件が起きたら「いたずら」では済みません。それこそ人権問題として緊急員会を開いて懲戒を決議すべきものでしょう。

しかし,この当時の学校制度においては(現在もそうですが)そもそも生徒会が生徒に懲戒や退学を決議するなどということはあり得ません。峰の一件がうまく片付いたことにより,峰と礼子,森田とゆき恵というカップルがなんとなく出来上がります。

中間テストの日程が発表され,礼子は休んでいるさくらのところにそれを届けに行きます。さくらは圭一の具合が良くないので休んでいたようです。礼子は再び帰りがけの由香里と出会います。心なしか礼子を見る由香里の視線が冷たいようです。

由香里には冷たい態度をとる圭一も,礼子には明るく接します。自分の家と由香里の家の関係を知っているさくらはそれを不安に重い,帰りがけに「兄に会わないようにして」と口に出してしまいます。特に喜一を意識したことのない礼子はなんだか不愉快な気分です。

礼子は中間テスト用の勉強を一緒にする森田とゆき恵を見てさくらのことを思い出します。そして,そのあたりに鈍感な礼子も由香里がそれに関係しているのではと雑念が入り,テスト勉強に身が入りらず,ゆき恵に叱られます。

中間テストの結果は学年の上位30名が掲示されます。この頃の高校では偏差値はありませんでしたので,生の点数だけが出ています。礼子にとってまあまあの順位であり,1年のトップは新田でした。日頃は目立たないようにしている新田はこのときだけはクラスメートの口の端に上ります。新田はいたたまれなくなり,教室の外に出ます。

不吉な影|P145

礼子は新田には何か事情があるはずだと考え彼を擁護します。さくらも「新田さんはおからだが悪いんじゃない」とやはり新田を擁護し,意見の一致により二人の間のもやもやしたわだかまりは解消します。

帰りに礼子はさくらを自宅に連れていきます。一番上の兄が「小野章」のペンネームで漫画家をしており,さくらが漫画家の日常に興味を示したからです。名前の「章」は石森章太郎からもらったものでしょう。

漫画家という人の出入りの多い仕事のため,加茂家には裏と表の二か所に入り口があり,裏口の表札は「小野」になっています。二人がやってきたとき漫画家の兄は漫画家志望の女子高校生を相手に持ち込み作品の講評をしています。そこにクラスメートの沢田がやってきます。沢田は礼子があこがれの漫画家の妹と知って驚きます。

体育の時間に峰は一緒に勉強したいと言い出し,期末テストの時は一緒にということになります。新田はあいかわらず体育の時間は教室で自習です。クラスの男子生徒が新田の左手の手袋を取ろうとしているところに担任の戸村が入ってきて,男子生徒を殴ってしまいます。

この一件は学校内で問題となりますが,新田は何も語ろうとはしません。戸村は校長との話し合いでも何も釈明せず立場を悪くします。PTAの会長が学校にやってきた日に峰は屋上で新田を問い詰めます。

そして,もみ合いの中で新田の左手首がないことが明らかになります。峰は自分の件を引き合いに左手のことは隠すのではなく話してしまった方がずっと楽になれると説得します。新田は授業が始まっても戻ってきません。放課後になってさくらは屋上に出向き,「みんなは友だちだってこと忘れないでほしいの」と声をかけます。新田は自ら校長室に行きます。

峰と一緒に礼子が帰宅すると圭一がいます。圭一は加茂家の家庭としての健全さにひかれているようです。礼子はそう語って帰って行った圭一に何か不吉なものを感じとります。入れ替わるようにゆき恵が森田と一緒に帰宅し,戸村先生の一件は無事に解決したようです。

漫画家の兄に夕食を知らせにいった礼子は兄と最近入ったアシスタントの女性が床に座って何やら深刻なことになっているのに気が付きます。兄は彼女にプロポーズしているところだったのです。それを聞いて家族のみんながドアの外で聞き耳を立てます。幸いプロポーズは成功したようです。礼子は自分の部屋で兄のプロポーズの言葉を反芻します。

もの思いにふけっているとさくらから電話が入ります。圭一が帰宅していないというのです。礼子は5時半くらいに加茂家から帰ったと伝えますが,なんとなく胸騒ぎがしてさくらの家に向かいます。途中で公園を通りと近道になり,そこで礼子は倒れている圭一を見つけます。

病院でさくらと礼子は由香里と彼女の母親と出会います。由香里の話では二人が浅野の家を訪問することになっていたため,圭一は公園で時間をつぶしていたようです。さくらの父親が病院に駆けつけ,医者から話を聞いて圭一を検査入院させることにします。

由香里と母親を礼子に紹介したこともあり,さくらは「兄に会わないで」といったときの事情を説明します。しかし,鈍感な礼子は圭一と由香里が(親同士が決めた許婚者に近い)特別な関係であることにまだ気が付きません。

学校では沢田が礼子の兄のプロポーズの顛末を聞き知っており,このままでは学校中に言いふらされそうです。授業前の時間にクラスの男子は新田を誘ってドッジボールに興じます。彼らは(体育の時間に自習をしている件で新田を揶揄したとがあり)謝っただけでは気が済まず,新田がボールを受けられるようにしようとしています。

礼子にとっては穏やかな学園生活が戻ってきました。さくらと礼子が圭一の病室を訪ねると,圭一が由香里を追い返そうとしているところでした。由香里を追い返す圭一のかたくなさはどこから出てくるのか疑問に思う展開ですね。

圭一は自分のこころの内を由香里に話すつもりないのでしょうか。精神的に未熟な高校生とはいえ,自分を一途に慕ってくれる由香里を理由も話さずに追い返すことは通常は考えられません。

小さいころから由香里を意識するように育てられたことに対するわだかまりはそれほど大きなものなのでしょうか。かって高中であった父親と由香里の母親が,お互いの伴侶が亡くなったため再婚しようとしているのがそれほど許せないことなのでしょうか。圭一はさくらに「許せない,絶対に」と感情を語りますが,何を許せないのか自分で分かっているのか疑問に感じます。

期末テストを控えて加茂家には森田と峰が集まりテスト勉強です。ゆき恵は圭一の精神状態をかなり重症と分析します。

期末テストの後は夏休みを控え,クラスのメンバーはそれぞれ楽しいプランをもっているようです。その中でなんとなくカップルができるようになります。片見は峰を葉山の別荘に誘いますが,峰は礼子を選択します。

クラスの有志の行事として1週間ほど箱根でキャンプをする案がまとまり,担任の戸村も同行することになります。礼子の兄の婚約披露パーティがホテルで行われ,礼子はそのホテルでさくらの父親と由香里の母親が連れ立って歩くのを目撃します。

それを見かけたさくらは礼子を物陰に引っ張って行き,「このことは誰にもいわないで,とくに兄には絶対に言わないでね」と念を押されます。この時点でも鈍感な礼子は圭一やさくらが何に苦しんでいるのかまったく気が付きません。

パーティの会場に戻りさくらは大人に進められるままに,ビールを飲みます。この時代は漫画における未成年の飲酒シーンについてそれほどうるさく言われなかったようです。

未成年者の飲酒が社会問題となったのは1990年代の中ごろからであり,それまでは日本全体が飲酒に対して比較的寛容な社会でした。その結果,1996年における高校生の飲酒率は男女とも87%程度となっています。

高校生の飲酒率は2012年には50%程度まで下がっており,これは社会が飲酒にその結果生じる事故や事件に対して厳しい視線が向けられるようになったためと分析できます。未成年者の飲酒は心身の発育に大きな悪影響を及ぼしますのでこの傾向は喜ばしいことです。

未成年者の喫煙や飲酒が社会的な問題になったことにより,青少年を対象にした漫画における喫煙・飲酒シーンは製作者側の自主規制によりずいぶん少なくなったと感じています。

未成年者の飲酒が減少することは社会的に喜ばしいことでも,子ども向けの漫画というメディアの中で未成年者の飲酒シーンが自主規制されるというは別問題です。

そもそもテレビをは始めとするマスメディアからはあらゆるお酒のCMが大量に流されており,そのような「おいしいあるいは刺激的な」飲み物の誘惑からどのように未成年者を守るのかを考えなければなりません。

愛の苦しみ|P219

夏休みに入り,ゆき恵は受験勉強一色の生活になります。1年生の礼子はまだその実感がありません。箱根のキャンプの当日,礼子はさくらを迎えに行きますが,さくらは圭一の病院に詰めているようです。病院に圭一の容体は悪化しており,このところめまいや頭痛がひどくなってきてきています。さくらはキャンプを辞退することになります。

電車とバスを乗り継いでキャンプ場に到着します。バスはなつかしいボンネット型であり時代を感じさせます。テントを張り,湖で泳ぎ,はんごうでご飯を炊きます。夜のとばりが下りてくると礼子はなぜか圭一の容体のことが気になって仕方がありません。

キャンプ地の近くに映画のロケ隊が来ており,その中に片見がいます。女子が声をかけると「私は映画に出るの」と浮き浮きしています。校則では芸能界活動は認められていませんが,そんなことはどこ吹く風であり,俳優を見かけると駆け寄っていきます。

キャンプに戻ると食事の支度ができています。戸村がおいしいと言ったみそ汁の具はその辺りに生えている草だというのですから,この当時の高校生はたくましいですね。礼子が説明すると戸村はその草が「イノコズチ」だと知り驚きます。「イノコズチ」はその根を漢方薬としても知られていますので少なくとも毒ではないようです。

みそ汁の具材に端を発し,この日は食べられる野草探しをすることになります。図鑑を持った戸村を先頭に生徒たちが続きます。渓流沿いに歩くと,なんとなくカップルができていきます。生徒たちはキャンプの非日常性に楽しい時間を過ごし,夜は満天の星に感動します。1968年ですと箱根でも人工的な灯りにより星空が見ずらくなる光害はそれほどではなかったことでしょう。

そんな夜中に女性の悲鳴が上がり,男子たちは声のするところに駆けつけます。助けを求めていたのは片身で,彼女に手を出そうとしたのはくだんの俳優でした。

戸村に説教され,片見はキャンプの仲間入りをすることになります。何となく仲がギクシャクしていた礼子と片見も打ち解けるようになります。さらに,圭一が伊豆に静養に来る途中ということでさくらも加わります。ハンサムな圭一は女子の熱い視線を浴びることになり,峰は複雑な心境です。

キャンプが終わり,礼子はさくらと一緒に伊豆の別荘を訪ねます。圭一は元気そうですが,つり橋のところで頭痛で手すりに倒れ掛かります。さくらは「父は兄のすきなようにさせろと言っているの」と話し,礼子は不安な気持ちで聞いています。

芦ノ湖の料亭に行ったとき,三人はさくらの父親と由香里の母親が一緒に出てくるところに出会います。圭一はもの思いに沈みに料理の注文のうわの空です。

圭一が書いた手紙を見て伊豆の別荘に由里子が訪ねてきました。彼の手紙には圭一の父と由里子の母はかって恋仲でしたが,家の都合でそれぞれ別の人と結婚することになりました。それでも,生まれてくる子どもは一緒にさせようと考えていたようです。

しかし,ここにきて事情が変わりました。圭一の母親は若い頃に亡くなり,由里子の父親も最近他界しました。二人の想いは19年経っても変わらず,再婚を決意したようです。圭一にとって二人の再婚はお互いの連れ合いが亡くなるのを待っていたと映ったようです。

その二人がしくんだ子ども同士の結婚に対して潔癖感の強い圭一が強い拒否反応を示すのは少しは理解できます。由里子をかたくなに拒否するようになったのは,再婚話が持ち上がってからのことのようです。

由里子は「もうこれっきりお会いしません」と話し,増水した川に身を投げます。外が騒がしくなり圭一は別荘を飛び出し,川に飛び込みます。圭一は由里子を引き上げますがすでに手遅れでした。

圭一に宛てた由里子の遺書には圭一に対する想いの深さと,母親をよろしく頼むと記されていました。遺書を読んだ圭一は自分も由里子を深く愛していたことを独白し,由里子の遺体に重なるように息絶えます。二人の魂は一緒に天国に向かいます。

合同の葬儀には二人の遺影が並んで掲げられました。圭一は手の施しようのない脳腫瘍で亡くなりましたが,さくらにはそれが自殺に思えてならず,父親を嫌悪するようになります。

礼子も愛について思い悩むとともに,二人の死という現実を前に宿題にも手が付かず,夏休みの最後に帳尻を合わせることになります。加茂家を訪ねてきた森田と峰が新田が牧師になるため留学するというのです。そのため,戸村のところにクラスのメンバーが集まるというのです。新田は心の拠り所を求める人たちの気持ちを分析したいということが牧師になる動機だと語ります。

そこにさくらの父親が訪ねてきます。圭一が亡くなってからさくらは伊豆の別荘に閉じこもり,誰とも口をきかない半病人の状態だというのです。夏休みの出来事からまだ精神的に立ち直っていない礼子ですが,伊豆に行くと言います。

そのとき,新田が「僕じゃだめでしょうか」と口にします。左手の一件ではさくらの助言により好調に事情を説明する気になったので,その感謝をしたいというのです。

始業式の朝に新田はさくらを連れ戻してきます。新田はクラスメートの見送りを受けて船で出発します。さくらは「私はまだあの人たちが許せないの。でも,いつかは許せる日がくるような気がしてきたの」と礼子に語りります。そんな二人を峰の暖かいまなざしが注がれています。


要約が難しい作品です

「レモンとサクランボ」この時期の少女漫画としては非常にネームの多い作品であり,要約は難しいと感じました。登場人物の一つ一つの言動が作品の中で意味をもっているので,スターりーを説明しようとすればそのようなエピソードを省略することができないからです。

別な言い方をすれば主人公以外の登場人物の言動が物語の飾りとなっているのではなく,物語の中核となっているということです。つまり,物語が主人公を中心とした一つの円で閉じているのではなく,主要登場人物を中心とした同心円的な広がりをもった作品だということです。

単行本一冊の作品の要約でこれほど文字数を費やしたのは私にとって珍しい事例です。このような手法を用いた作品として挙げられるのが「小山田いくのすくらっぷブック」です。

この作品の核心は主人公三人組の青春グラフティではなく,芦ノ原中学の2年7組のメンバーと教師を含む芦ノ原中学校の在籍者,地域の人々との交流ということになります。このような展開は当時も,そして30年後に見直してみても新鮮な感じを受けます。

当時の少女漫画の一作品の長さはそれほど長いものではありませんでしたので,「レモンとサクランボ」も1年B組のメンバーのエピソードや言動のほんの一部しか描けなかったという事情があったのでしょう。

作者の描こうとした世界の一部しか表現できなかったかもしれませんが,久しぶりに読み直してみると作者が新しいスタイルを目指した作品であることが分かります。


われら劣等生

幼稚園から大学までを備えた双葉学園・高等部に持ち上がりで進学した「千田久人」が幼稚園以来の腐れ縁の梅原浅香や新たに試験を受けて入ってきた菅野さつきと一緒のクラスとなります。

担任は新たに二葉学園に加わった峠泉という名前に似つかわしくないいかつい男性です。入学式後の出席取りで久人は峠に「女性の名簿の中に男の名前が入っているぞ」と言われ,「私が千田久人です」と抗議することになります。

高等部の生活の中でハンサムな今西をめぐる女の闘いや久人の兄が通学途中で見初めた,可憐な女子学生がいかつい峠先生の妹であることが分かるなどがコメディタッチで描かれています。

飛んでいく雲

「飛んでいく雲」は1970年代後半に発刊された文庫本で持っていましたが,文字が小さいため手放してしまいました。

源氏の嫡流である源為義には義平・・・頼朝・・・義経など8人の男子がおり,長男・義平が嫡流ということになります。義平は平治の乱において敗れ,斬首されますが,義平が男の子を設けたというところから物語が始まります。

前半は義平と真柴姫との恋がハイライトであり,二人は結ばれ山奥の寺院で子どもの誕生を待ちます。しかし,平治の乱により義平は斬首され,生まれた男の子(天寿丸)は源氏の嫡流になるため,殺害されそうになります。

義平に仕えていた道泰は天寿丸を連れて逃げ,紀ノ國の豪族・落合家で育てられます。男の子は元服して綱盛となり兄の子どもの美稲,紅子と一緒に育てられます。

落合家は源氏・平氏の争いにおいて中立を保っていましたが,綱盛の兄は平氏に加担することになり,綱盛も平氏方として戦いに望むことになります。道泰は綱盛の出生の秘密を明かし,源氏として戦うことを強く勧めますが,綱盛は決断できず,大きな流れに身を任せることになります。

学生たちの道

「学生たちの道」は1970年代後半に発刊された文庫本で持っていましたが,文字が小さいため手放してしまいました。個人的には西谷祥子の最高傑作であると考えていますのでなんとか入手したいのですが,さすがに過度のプレミアム本は買い求める気にはなりません。

物語の舞台はイスの「セント・アザレア学園」です。おそらくドイツのギムナジウム(9年生,日本でいうと小学校の5年生から高校3年生までが在学する)と同じであり,主に大学への進学を希望する子どもたちが進学する学校と推測します。ギムナジウムの上級段階の6年生として弁護士を父親にもつアルバートが入学します。

彼の周りには街娘のジョアンナ,父親の友人の息子のモーリス,級友のジョゼフ,ジョルジア(ジョルジュ)たちがそれぞれ複雑な家庭問題を抱えながら学園生活を送ります。アルバート自身も父親の急死により,妹と一緒に知人の金貸しの家にお世話になることになり,ついには退学します。彼の友人たちも入獄,退学,卒業などで街を離れますが,物語の最後にはみんなが学生街に集い,そこから新たな道を歩み出すことになります。