「すくらっぷ・ブック」の世界
すくらっぷ・ブックは1980年から1982年にかけて「少年チャンピオン」に連載されました。長野県小諸市の「市立芦ノ原中学校」における主人公たちの中学2年進級時(1981年)から卒業までの2年間の学園生活をほぼリアルタイムで描いた作品であり,全101話から構成されています。
単行本は11巻で,その中には「12月の唯」,「春雨みら〜じゅ」,「三角定規プラス1」の3作品も同時に収録されています。これらの作品は「すくらっぷ・ブック」と作品世界を同じくしており,すくらっぷ・ブックが構想されるためのホップとステップに相当するものです。
すくらっぷ・ブックの執筆が開始されたとき作者の小山田いくは24歳であり,ちょうど10年前の中学時代を回顧して描き上げたものです。作者にとっては初の長編作品ということになります。
物語の舞台は「芦ノ原中学校」であり,小諸市には「芦原中学校」が実際に存在します。なんとこれが作者の出身中学ということです。この他にも実在に近いネーミングの学校や商店などが出てきます。
登場人物は2年7組のメンバー全員と同じ中学校の先輩や後輩,教師,さらに他校の生徒など非常に多岐に渡っています。おそらく,このうち何人かは作者の中学時代の友人・知人などのモデルがあるのではと推測します。
連載を開始するに当たり作者はクラス全員の顔や性格,座席の位置などを書いた名簿を作っていたと述懐しています。このような綿密な設定が2年間を通してぶれのない物語につながっていったと考えます。
「すくらっぷ・ブック」は人気がありましたので編集部からも延長や続編が望まれましたが主人公たちのクラスが卒業する時期に合わせて終了しました。おそらく,主人公たちの高校生活を描いても一定の質の作品はできたことでしょう。しかし,2年間で連載を終了したことにより作者の想いのもっとも熱い部分が集約されたことにより,この作品は不朽の名作となりました。
作者は中学卒業後に長野工業高等専門学校・機械工学科に進学しています。この時期の学園生活を描いた作品には「ぶるうピーター」があります。こちらは「すくらっぷ・ブック」の連載を終了させる条件としてほとんど準備期間のないまま連載が開始されたこともあり,ストーリーに少し難点があるように感じました。
主人公は誰れ?
「すくらっぷ・ブック」の主人公は「柏木晴(晴ボン)」もしくは市野清文,坂口光明を加えた三人組ということになります。しかし,物語の核心は三人組の青春グラフティではなく,芦ノ原中学の2年7組のメンバーと教師を含む芦ノ原中学校の在籍者,地域の人々との交流ということになります。
いってみれば,課外活動を含めた大きな学級日誌のようなものなのです。このような物語では誰が主人公かという議論はあまり意味がなく,強いて言うと「2年7組のメンバー全員」が主人公ということになります。
故郷の情景
「すくらっぷ・ブック」の中には小諸市周辺の季節の風景が繰り返し描かれており物語に彩を添えています。また,地域の民話や習俗も描かれており,こちらも興味深いものがあります。
作者は「背後に山がないところでは暮らせない」と漫画家になってからも小諸市を離れることはありませんでした。故郷を象徴する情景は作者の日常的な観察眼から描き出されたものです。私も何回か長野県を訪れており,ときどき,この景色は「すくらっぷ・ブック」に描かれていたものと類似しているなあという印象をもつことがあります。
虎落笛(第30話)には「芦刈り」と「よしず」が出てきます。中学校の名前が「芦ノ原」となっているようにこの地域には芦をとるための葦原があったようです。アシ(ヨシ)はイネ科ヨシ属の多年草であり,河川の下流部,湿地帯,干潟に大きな群落を形成します。本来の名称は「アシ」であり葦,芦,葭などいろんな漢字が充てられています。
しかし,「アシ」は「悪し」に通じることから「ヨシ」と言い換えた名称もよく使用されます。大ざっぱに西日本は「ヨシ」,東日本は「アシ」が使用されています。アシは地下茎で分布域を広げ,地上茎は直立して2-6mにもなります。
大きな群落を作ることと直立して丈夫な茎をもつことから茅葺屋根の材料,よしず(葦簀)の材料として古くから利用されてきました。よしずは夏の日よけとして使用されることが多いのですが,日本海側では冬の季節風から家屋を守るための囲いとしても使用されます。
葉を落とした枝,竹垣,よしずの囲いなどに強い風が吹きあたるとすき間を抜ける風がピーツ,ヒューという笛のような音をたてます。この音を虎落笛といい,地域の風物詩となっています。
冬銀河(第31話)では冬晴れの日に観察できる天の川を題材にしています。私の住んでいる関東圏では光害のためきれいな星空を眺めることのできる場所は限られています。物語当時の小諸市ではこのようなきれいな星空を眺めることができたようです。
私は子どもの頃,北海道の帯広という町で育ちました。当時は冬に家から外に出るだけですばらしい満天の星空を見ることができました。さすがに寒さのため観察時間は3分程度に制限されますが,空一面の星のまたたきに魅了されたものです。
作者の小山田さんは星にまつわる神話や民話が大好きであり,それを題材にした「星のローカス」を描いています。物語の時期から30年が経過し小諸市の冬銀河がどの程度見えるのか訪ねてみたいものです。
フロストフラワー・ポエトリー(第33話)に描かれている道路から眺める霧氷(朝霧が木の枝に氷りついたもの)の風景は北国の人たちにとってはなつかしいものでしょう。この美しい情景はチャンピオンに掲載されたときはカラー版となっていました。
カラマツ(落葉松)は針葉樹であるにもかかわらず,秋には葉が黄色く色づき冬芽を残して落葉し,水平に近い枝が幹の四方に張り出している姿を見ることができます。初茜(第35話)にも落葉松のシルエットが描かれています。
晴れた冬の朝は放射冷却により地表付近の大気温度が下がります。ある温度の空気中に含むことができる最大の水蒸気量を飽和水蒸気量といい,温度が下がると小さくなります。
夕方にはまだ地表付近の大気温度はそれほど下がっていませんので水分は大気中に留まっていますが,明け方に温度がぐっと下がると飽和水蒸気量を越えてしまい,氷や水分の小さな粒になります。これが霧と呼ばれているものです。霧が明け方によく発生するのはこのような理由によるものです。
北国の冬の最盛期には気温が一段と下がり氷点下となります。気温が氷点下になってもある条件下では空気中の水滴(霧)や水蒸気はすぐに氷に変化しません。この状態を過冷却といいます。
風により過冷却状態の水滴や水蒸気が冷たいものにぶつかるとその衝撃で一気に凍結します。その結果,木々の枝の表面が氷の膜で覆われるようになります。これが霧氷です。有名な蔵王の樹氷も過冷却状態の冬の季節風が樹木に衝突して凍結したものです。晴ボンとイチノが早朝に見た霧氷は朝日に輝いており,晴ボンがいうようにガラス細工のようにきれいです。
物語の中では冬の風景の描写が多いように感じます。北国の冬の風景には厳しさと美しさが同居しているため,より印象深いのでしょう。北国育ちの私としても作者と同じ目線で風景を捉えることができます。しかし,個人的には北海道の寒さが苦手で関東に暮らしています。
暁着3時31分(第66話)では東北旅行から夜行列車で戻ってきた三人組が小諸市の夜景を眺めています。「浅間山に向かってせりあがる光の連なりはボクたちの街の光だ」というナレーションで説明されています。このシーンもいいですね。
浅間山(2568m)と千曲川に挟まれた小諸市は標高600-700mの比較的平坦な土地に位置しています。浅間山の火山噴出物が台地上の地形を造り,千曲川の流れが時間をかけて削り取っていき,急斜面の谷を形成しています。
小諸市は浅間山の緩斜面に広がっているため,浅間山に向かってすこしずつ標高を上げていく市街地は光の連なりとなっているのでしょう。故郷の夜景は誰にでも懐かしいものであり,その情景をみごとに表現しています。
小諸市の周辺の地形をもう少し細かく説明しますと,千曲川の反対側は急な傾斜で標高700-800mの御牧ケ原台地の東端部となっています。ここも浅間山の火山噴出物が形成した台地地形の一部なのでしょう。
千曲川は新潟県に入ると信濃川と名前を変えます。全長367kmのうち信濃川と呼ばれている部分が153km,千曲川と呼ばれている部分は214kmとなります。「城址公園」にある「懐古園」からは千曲川を見下ろすことができ,ここは島崎藤村の「小諸なる古城のほとり」という詩で有名なところであり,芦ノ原中学の生徒たちが写生の授業でよく訪れるところです。
2年7組の青春グラフティ
「すくらっぷ・ブック」は2年7組の青春グラフティのようなものです。第22話と第23話の表紙に2年7組のメンバーがすべて紹介されています。この39人が物語の主役ということになります。
それにしても,よくこれだけ人数の顔を描き分けたものだと感心します。作者はクラス全員の席順と性格を設定してから連載を開始しました。物語の中でだれがどのような行動をとるかということの大枠をあらかじめ設定しているのでストーリー展開にほとんどブレがありません。それぞれのメンバーが自分の持ち味を出しながら物語を作っていくことになります。
登場人物は顔が大きいため2頭身から4頭身くらいで描かれており,しかもほとんど丸顔です。足も甲の部分が省略されておりゾウさんの足のように描かれています。このような造形のキャラクターでは悲惨な物語はとても作れないようになっています。
物語は中学時代のできごととして頭に浮かぶ恋愛,友情,クラブ活動,試験,いたずらなど一通りのものが出てきます。ほとんどが一話完結のスタイルをとっており,いろいろないさかいやけんかはあっても最後は必ず和解となります。また,中学校でよく問題となるいじめや仲間外れという状況はまったくなく,健全な中学生活が描かれています。
物語の中ではけっこうシリアスな事件もあり,そのような出来事を中学生の範疇で立派で解決していきます。丸顔の幼いキャラクターにもかかわらず,登場人物は精神的にはずいぶん大人びているという印象を連載当時は受けました。
現在,読みかえしてもその印象は変わりません。行動としては中学生らしい幼い恋愛やいたずら,いさかいがありますが,問題を解決するときには精神年齢の高い中学生としてふるまうパターンが随所に見られます。
このように,ときには子ども側にときには大人側に振り子のように揺れる登場人物の物語が「こんな中学生活を送りたい」という子どもたちの共感となっているのではと想像します。大人の視点からすると,こんなに熱くてさわやかな中学生はありえないという評価にもつながります。
最近の子どもたちは小学校の高学年ともなると大人の注意などはどこ吹く風といった態度を取ることが多く,こんな子どもたちはどのようなしつけや教育を受けているのかを嘆きたくなります。
家庭内のしつけや教育の第一の目的は社会に適用できる人格と適応力を育てることです。知識の詰め込みは人格の形成には役に立ちません。このもっとも肝心なところが置き去りにされているため,現実の世界では1970年代の後半から小中学校における「いじめ」が問題視されるようになり,1980年代になるといじめを苦にした小中学生の自殺が大きな社会問題になっています。
大人の視点からみてありえないと考えるのは簡単ですが,どうすれば「すくらっぷ・ブック」のような子どもたちを育て上げることができるかを社会全体が考えなければなりません。人格の大部分は遺伝子に支配されるのではなく,周囲の環境の影響を大きく受けるものなのです。
私の好きなエピソード
「すくらっぷ・ブック」は101話から構成されており,それぞれすばらしい物語となっています。その中でも特に個人的に「いい話だな」とうなずけるものがありますのでそのいくつかを紹介してみます。
第4話(クマと木もれ日)では千曲川の川べりで写生授業が行われます。この時点では2年7組にもいくつかのカップルができており,親友のイチノの恋人である理美に想いを寄せている坂口としてはそのようなカップルを眺めるのはつらいようです。
思い余って晴ボンに相談すると晴ボンは「ぼくだって坂口と同じように悩んだよ!でもさびしくなんかはなかったよ!」,「理美ちゃんは恋人にはなってくれなかったけど,とってもいい友達になってくれたもの!」,「それでいいって坂口,自分で決めたんだろ!忘れちゃったの?」
と応えます。これで坂口は吹っ切れたようです。
第8話(日ざしの中で)では晴ボンの誕生日にこっそりとTシャツを送った日生香苗が登場します。内気な彼女は晴ボンを巡って麻紀と勝負することもできず,おそろいのTシャツを着て仮想の恋人気分に浸っています。坂口と香苗のやりとりが晴ボンと麻紀に伝わります。
麻紀は「あたしだって晴ボンを誰にもとられたくないの」,「だけど,陰で晴ボンがあのTシャツを着ているのを見て満足しているなんて,あたしをバカにしているよ!そのほうがもっといやなの」,「対等に勝負してよね」と告げます。
晴ボンは「香苗ちゃん…Tシャツありがとう,今はこんなことしか言えないけど…」と続けます。この一件でクラスに溶け込めていなかった香苗はみんなと友だちとなることができ,晴ボンのいる美術部にも入部することになります。
第15話(機織る乙女)ではいつものメンバーが桜井光代の家で七夕飾りを見ます。浴衣姿でお茶を勧める光代に坂口の目の色が変わります。そこで晴ボンは光代の「晴ボンのGFになりたい」という短冊を見つけます。
晴ボンは日本古来の機織る乙女の神話を例に「僕の棚機女はマッキーだけ!たいへんな棚機女だけど…」と説明します。光代の家を出るとき晴ボンはさりげなく新しい短冊を手渡します。晴ボンの意図を察した光代は「弟に妹…いつまでも仲よく」と短冊を書き換えます。
第57話(乙女の紅つつじ)では坂口とかかがりがカップルとなり,それを見ている光代はなんとなく寂しそうです。その前に校長先生から聞いた「山つつじ」の伝説を聞いたことも光代のこころに影を落としているようです。
友田は「わかってるだろ?一組のカップルの後ろで,たいてい誰かが泣いているもんだ」と晴ボンに告げ,「後はまかせたぜ…夢の修理屋」といって対応を晴ボンに任せます。しかし,光代と話して,彼女がはさびしさをコントロールできる大人であることを知ります。光代にはつつじが似合っているのはつつじの花ことばが「秩序」だからなのです。
第99話(千百回日は昇り)の最終ページの香苗の独白はきれいな詩になっています。
千百回 日は昇り
あなたは 少し大人になった
千百回 日は沈み
わたしは 少し明るくなった
千百回 日は昇り
わたしは あなたを好きになり
千百回 日は沈み
あなたは 大事な友達になった
わたしは もう 平気です
ひとりでも のぼっていけます
あとは あなたとの思い出と
白いキャンバスがあれば
わたしはいつでも 負けません
それは あなたと同じはずです
千百一回 日は昇り
あなたは 虹を駆け続け
千百二回 日は沈み
わたしもまた…
わたしもまた 虹のかなたを めざします
第101話(閉じる一冊 開く一冊)では懐古園で中学生として最後のHRとなります。担任の正木は次のように語りかけます。
3年間いろんなことがあった。
思い出したくないことだってあるだろう…
けど それもいつかはみんななつかしい思い出になってしまう。
いや,思い出になればいいが,忘れちまうことのほうが…多いんだ。
だけどさみんな…この友達のことだけは忘れないでくれよ。
友達一人について一つの場面だけでいい!しっかり覚えていてくれよ。
一人一人の一場面を写真みたいに…
新聞の切り抜きみたいに心の中に残しておけ!
それを『芦ノ原中学時代』っていう題のスクラップ・ブックにはっておけ!
そうすればいつでも…あの時は…って思い出せる。
どんな思い出もおまえらの”愛すべき命の断片”には違いないんだからな。
そしてその思い出をこれからの自分に生かしていけ!
思い出はなつかしむだけにあるんじゃないぞ
未来をよりいいものにするためにあるもんだ
この物語のタイトルを「すくらっぷ・ブック」と付けたときから,作者はこのエンディング場面を想定していたのでしょう。正木の言葉のあとで,みんなは「先生,またね」,「ああ,またな」と挨拶して解散します。
マンガの場合,編集部の都合で突然死することもありますが,「すくらっぷ・ブック」は作者の思い描いたすばらしい場面で最後を飾ることができました。この最終場面などは(好き嫌いはあるかもしれませんが)個人的にはマンガ史に残るものだと考えています。