人類とサルとの共通の祖先から分かれて300万年ほどの間,人類が使用できるエネルギーは食料による2000kcal(Cal)ほどのものだけでした。進化したホモ属は肉を焼くため,あるいは他の肉食動物から身を守るため火を使うようになりました。新しいエネルギーは食料から得られるのと同じくらいの量でした。農耕が始まり人類は家畜を使役に使うようになり,使用エネルギーは12,000kcal,遠い祖先に比べて6倍ほどに増加します。人類は文明を発展させ,水車や風車など自然エネルギーの一部を使用するようになります。1000年前に豊かな暮らしをしていた人は23,000kcalのエネルギーを消費していたようです。
人類の使用するエネルギーが急激に増加するのは18世紀後半の産業革命に端を発します。19世紀のイギリス産業人の使用エネルギーは77,000kcalに達しています。20世紀に入り石油の時代が到来し,人類の使用エネルギーはとどまるところを知らずに増加しています。現在の日本人一人当たりの消費エネルギーは石油に換算して毎年4.5トンにもなります。日本全体では約5.6億トン,この巨大なエネルギーが私たちの快適な生活を実現しているのです。私たちはこのような生活がこの先ずっと続くと考えていないでしょうか。地球上にはいくらでもエネルギー資源があり,地球環境問題を考えるより経済成長や株価のチャートの方がずっと重要なのだと。
現実の世界では2つの制約があります。一つは石油という安価でエネルギー効率の優れた資源の限界が近いことであり,もう一つは石炭,石油,天然ガスなどの炭化水素を燃焼させることにより大気中の二酸化炭素が増大し,地球の気候を温暖化させることです。新しい技術が太陽エネルギーや燃料電池に代表される水素エネルギーの時代を開いてくれるなどと楽観的に考えている人も多いでしょう。残念ながら石油は地球上にあるエネルギー資源の中で最も優れたものであり,安易に技術が解決してくれるようなものではありません。
現代社会ではほとんどあらゆる生産活動,経済活動が石油に依存しており,石油無しの生活は想像もできません。脱石油社会が話題になっていますが,それは現在の経済構造,社会のインフラストラクチャーを根本的に変えることに他なりません。世界はこぞって化石エネルギーに最大限に依存する米国流の大量生産・大量廃棄型の経済成長至上社会,経済効率最優先社会を目指しているようです。それは,地球上の資源をどれだけ早く消費できるかを競い合っているようなものです。市場メカニズムは安価な資源があれば,それを最大限に使用して経済の規模を拡大していくものですから,石油が無くならない限り脱石油の方向に動く道理がありません。
40億年の生命の歴史の中で,光合成を開始したバクテリアが出現してから生物の世界にエネルギー問題は発生していません。人類を除く生物は太陽エネルギーだけを利用して,生命活動に必要な物質を無限の回数リサイクルしながら使用してきたからです。物質の循環と再生可能エネルギーの組み合わせがなければ,生命は40億年を生き抜いてこられなかったでしょう。そもそも,地球温暖化は生物にとって不都合なことばかりではありません。生命の歴史においては二酸化炭素濃度が現在の2倍あった時代は珍しいことではありません。
気候変動の抱える最大の問題点は,「気候変動により自然システムや将来の人類の活動基盤に与える影響」ではなくて,「気候変動を低減する施策が現在の経済成長や自分の生活に与える影響だけを考える」という人々の身勝手さなのです。この身勝手さの論理が問題をただ先送りし,途上国は先進国の豊かさを求めて経済成長路線をひた走っているわけです。現在の先進国の豊かで快適な生活が地球の環境容量を超えているということを認識し,価値観とライフスタイルを変革することが脱石油社会への第一歩になるでしょう。脱石油社会とは際限のない人類の欲求が生み出したモンスター,石油に依存して拡大してきてきた大量生産・大量廃棄型の生活,からの脱却でもあるわけです。しかし,…
宇宙の根本原理の解明に手が届くところまできている賢い人類は,自分たちがよって立つ基盤が崩れかかっているのに,なんら有効な手立てを立案し実行することができないのです。賢さと英知はまったく別物だと考えざるを得ません。この2世紀の間,人類は生命の輪から大きく外れ,炭化水素の燃焼エネルギーに依存してきましたが,他の生物と同じように太陽エネルギーに回帰する道を選択しなければ健全な姿で22世紀を迎えられないでしょう。脱石油社会の構築はとても険しい道ですが,人類の英知を結集して取り組む価値のあることです。
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