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日本の農業生産

農林水産省「2008年農業総産出額(概算)」によりますと国内の農業総産出額は8.5兆円です。農業総産出額とは農家の販売金額(企業の売り上げに相当するもの)です。部門別にみると,畜産は2.6兆億円(30.5%),野菜が2.1兆円(24.9%),コメが1.9兆円(22.4%)となっています。

日本の農業総産出額はGNPに比例するように伸びてきましたが,1985-90年あたりをピークに減少に転じています。畜産類や野菜類はそれほど減少しておらず,減少の主要因はコメということになります。

農業総産出額の減少は生産量の減少と単価の低落という2つの側面があり,このあたりの様子は左の「図録|農業生産と農業所得の金額推移」をチェックするとよく分かります。

大ざっぱにいうとこの20年で生産量は15%減少し,産出額は25%減少しています。日本の農業を巡る環境は非常に厳しというのが実情です。ただし,農業総産出額の減少の主たる要因はコメによるものであり,農業が日本では衰退しつつある産業となっているとはいえません。

太平洋戦争時に日本では食糧管理制度(現在は食糧制度に変更されています)が制定され,政府が主食である米や麦などの食糧の価格や供給等を管理する制度ができています。

この制度は政府が農家から(農家が消費するものを除き)すべてのコメを買い上げ,消費者に供給する仕組みです。農家からの買い上げ価格を「生産者米価」,消費者に供給する価格を「消費者米価」と呼んでいました。

食管制度は戦後も継続され,主食であるコメの安定供給に一定の役割を果たしてきました。食管制度の仕組みからすると政府がコメを買い上げ,管理し,供給するには経費がかかりますので,生産者米価<消費者米価となります。

ところが,日本経済が成長軌道に乗ると,都市住民の所得は次第に増加し,相対的に農村住民の所得との間に格差が生じます。現在の社会情勢からも分かるように一国内での所得格差の拡大は社会の不安定要因となります。

所得格差を解消するため生産者米価は政治的な判断で引き上げられ,農家も経済成長の恩恵を受けることになります。生産者米価は引き上げられましたが,消費者米価をそれに応じて引き上げるわけにはいきませんので,生産者米価>消費者米価という状態になります。

その間のギャップ(政府の逆ざや)は食管会計の赤字ということになり,最終的には税金で補てんされることになります。ここで注意しておかなければならないのは政府が価格統制を行っていたものは主食であるコメと麦に限定されていたということです。農家が生産する他の農産物については市場原理により取引されていました。

コメについては政府が生産保証,価格保証をしてくれますので農家は他の農作物に優先して生産するるようになります。全国農協中央会は生産者米価の引き上げを求め,政府・自民党に圧力をかけるようになりました。

生産と消費のバランスがとれている間はこの制度は一定程度効果的に機能しました。ところが,コメをめぐる生産と消費の状況が変化してきます。生産の面では日本型緑の革命(品種改良,化学肥料の投入,栽培方法の改善)により単収は1950年の300kg/10aから1990年には530kg/10aに増加しています。

それに対して食生活の変化と軽労働化により一人当たりのコメ消費量は1965年の112kgから1985年には75kg,2005年には61kgと減少しています。総消費量は1965年の1350万トンから2005年には850万トンへ減少しています。その結果,生産量>消費量かつ生産者米価>消費者米価という状況となり,食管制度の累積赤字は1980年代には1兆円にもなっていました。

1970年には生産量>消費量の状態を解消するため「生産調整」と「自主流通米」の制度が導入されました。ここが日本のコメにとって歴史的な転換点となっています。

その考え方は生産量を消費量に見合ったレベルまで引き下げることと,コメの全量を政府が買い上げる制度から買入限度を設定するものでした。政府が買い上げた以外のコメは「自主流通米」として市場価格での販売を認めるものです。

1987年に31年ぶりに生産者米価が引き下げられました。ここが日本のコメにとって第二の歴史的な転換点となっています。このときの生産者米価は5.95%引き下げられ1俵(60kg)当たり17,557円となっています。同時に消費者米価も3.4%引き下げられ,ほぼ生産者米価=消費者米価となり,それ以降は生産者米価<消費者米価の状態となっています。

コメの生産調整は「減反政策」と呼ばれています。本来の趣旨は国内で生産過剰のコメ栽培から他の農作作物に転換するというものでした。しかし,現実には休耕田,調整水田,転作田というようになっており,国からそれぞれに10aあたり1-4.5万円の補助金が出ます。

全国でどれだけの水田が転作田になったかは分かりませんが,「減反政策」が始まってから40年も経過し,この間におよそ7兆円の税金が投入されたにもかかわらず,減反対象の水田は減少していません。現在でも国内消費量だけを考えるならば1/3の水田は過剰なのです。減反政策は単に農家の所得補償制度に過ぎなかったのです。

1994年に食糧管理法が廃止され代わりに「食糧法」が制定されました。この法律により食糧に対する国の管理は緩和され,農家が自由に米などの作物を販売できるようになり,スーパーでもコメを販売できるようになりました。

この変更はコメの輸入解禁に備え,国内農家の競争力を向上させようとするものでした。2004年には食糧法の一部が改正され,農業従事者に限らず誰でも自由に米を販売したり流通させることが出来るようになりました。

このような制度改革の結果,1990年以降,米価(市場価格)は一貫して下落しており,玄米60kg当たりの価格は1990年が21,600円,2000年が17,054円,2010年は15,000円を割り込んでいます。

米価の下落により生産農家の手取りは減少し,さらに農家の個別補償制度により売渡し価格は買いたたかれ,2010年は(銘柄によっては)10,000円を割り込んでいる状況です。生産量(消費量)の減少と米価の下落が1990年以降のコメ産出額のトレンドに表れています。


食料自給率とはなにか

「食料自給率」は農業問題を論じるときによく出てきますが,なんとなく分かったようで分からない概念ですので定義を明らかにする必要があります。農林水産省は食料自給率を「国内の食料消費が国内の農業生産でどの程度賄えているかを示す指標」と定義しています。

「食料自給率」の基礎となるデータが「食料需給表」です。これは食料の類別・品目別に国内生産量,輸入量・輸出量,国内消費仕向量の統計であり,その総量が自給率の基礎数字となります。また,この統計からは国民1人1日(あるいは1人1年)当たりの供給量,熱量,たんぱく質量,脂質量などを表示しています。

食料需給表は食料需給の全般的動向,栄養量の水準とその構成,食料消費構造の変化などを把握するのに有用なデータです。ただし,食料の供給量及び栄養素量は国内に流通した量であり(廃棄されるものがありますので),必ずしも国民栄養調査で示される実際に摂取された食料の量および栄養素量ではありません。

「食料需給表」には下記の自給率が掲載されています。
・品目別自給率
・穀物自給率
・供給熱量ベース総合自給率
・金額(生産額)ベースの総合食料自給率

「品目別自給率」および「穀物自給率」は重量ベースですので,個々の品目の自給の度合いを量的に把握することができます。

「熱量ベース総合自給率」は食料をそれが生み出す熱量(カロリー)に換算して計算します。熱量は生命維持のために必須の基礎的な栄養価ですので熱量ベースの自給率は食料安全保障の指標となっています。

この指標では輸入飼料で生産した分の畜産物の熱量は国産とはみなさないため,畜産物の国産熱量を算出する際には飼料自給率が乗じられます。輸入飼料への依存度によっては畜産物の生産はこの指標の数値への寄与が小さくなります。

「金額ベース総合自給率」の算出ベースである「金額」とは当該年度の「食料価格×量」のことです。国産食料については農家の販売価格,輸入食料については国境における価格(輸入価格+関税)です。

また,国内産の畜産物および加工食品については輸入飼料及び輸入食品原料の額を国内生産額から控除して算出します。この指標は経済活動としての日本の農業がどの程度健闘しているのかを見るのに適しています。


金額ベースと熱量ベースの食料自給率

金額ベースの食料自給率は約70%であるのに対して熱量ベースでは40%となっています。この差はどうして生まれるのでしょう。日本で生まれた子牛を100%米国産のトウモロコシで肥育して市場に出荷したとすると,自給率は次のように計算されます。
・熱量ベース:100%輸入飼料で肥育されたので国産率は0%
・金額ベース:食肉価格−輸入飼料金額=国産の金額

つまり,熱量ベースでみると100%米国産のトウモロコシで肥育された国産の肉牛は,米国から肉牛を輸入したのと同じ扱いとなります。一方,金額ベースでみると食肉価格から輸入飼料価格を引いた金額は国産として扱われます。酪農農家の付加価値分は国産ということなのです。

この数値の差分が金額ベース70%,熱量ベース40%の差となっています。同じ食料自給率という呼称をもっていても,「金額ベースは経済活動の指標」であり。「熱量ベースは食料安全保障の指標」なのです。

「供給熱量ベース食料自給率」は農業という経済活動の実態を正確に反映していないことに注意しなければなりません。日本は毎年1600万トンものトウモロコシや340万トンもの大豆を飼料あるいは搾油のために米国などから輸入しています。

このようなものは国産の熱量ではありませんので,熱量ベースの自給率は当然低くなります。逆に,野菜の自給率は高くても熱量の少ない野菜は熱量ベースの数値には寄与できません。

日本人の食生活が肉食化している現状では,熱量ベースの自給率を向上させるためにはトウモロコシ,小麦,大豆などを増産しなければなりません。日本の穀物自給率は27%程度であり,それが熱量ベースの自給率を押し下げている最大の要因なのです。


穀物自給率は耕作地面積に依存します

日本の農業の問題は2つ指摘されています。一つはどうすれば日本の農業が国際競争の中で存続できるということであり,もう一つは日本の食料安全保障をどうするかということです。

また,付随的な事柄としては,農地が放棄されると里山にも人の手が入ることはなくなり,日本の山村の風景が大きく変わることや,水田のもつ保水機能が失われることも指摘されています。

そのためには熱量ベースの食料自給率を上げなければならないというのが農水省の考え方のようです。一部の政治家もそのように発言しています。それがどのような意味をもっているのか考えてみましょう。

世界的には熱量ベースの自給率を採用している国は例外的であり,食料自給率とは穀物自給と考えてそれほど大きなまちがいはありません。日本では肉や卵も穀物が姿を変えたものであり,日本の熱量ベースの食料自給率が低いのはひとえに穀物自給率の低さによるものです。

農業とは農耕地(耕地,果樹園,牧草地など)がなければ成立しない産業ですので,一国の穀物自給率と耕地面積,人口は密接な相関があることはすぐに分かります。もちろん環境条件と栽培条件により単収(単位面積当たりの収量)に差は生じますが,耕地面積の大きな国はより多くの穀物を産出することができます。

世界の国から3つのパターンの国を選び日本と比較してみました。中国とインドは国土も広く人口も多い国です。フランスと英国は国土面積が日本と同程度であり,かつ先進国なので日本と比較することができます。米国とオーストラリアは人口に比して国土面積が広い国です。

各国の耕地面積,一人当たり耕地面積,穀物自給率をまとめると左表のようになります。大ざっぱにいって穀物自給率を100%にするためには10a/人くらいの耕地が必要なことが分かります。日本の場合はその1/3ですから27%の自給率は異常なものではありません。

中国やインドといった人口大国は国民を飢えさせないことが最重要な課題ですのでおよそ10a/人の耕地を確保し,穀物自給率はほぼ100%となっています。

日本は英国の1.5倍ほどの国土面積をもっていながら,耕地面積は2/3に留まっています。同じような島国でも日本は耕作に適した土地の割合はとても少ないのです。フランスの場合は一人当たり耕作地が日本の8倍以上もあり,農業生産力には歴然とした差があります。

さらに,家畜の飼料となる牧草地の面積を含めると,日本(3.7a/人),英国(28.4a/人),フランス(49.6a/人)とその差はさらに拡大します。日本では牧草地は一部地域を除いてほとんどなく,2001年の統計では採草放牧地は7万haです。森林となっていない原野を含めても34万haです。

日本に輸入される穀物の大半は家畜の飼料用ですから,牧草地の拡大により穀物消費量を減らすという選択肢も限定的です。また,ニワトリは穀物以外では飼育できません。

米国やオーストラリアの一人当たり耕作地に至っては日本の15倍から60倍です。穀物自給率が高いのは当然のことなのです。同時に機械化の容易な平坦で広大な耕地からは高い生産性(単収ではなく農家1軒当たりの生産量)が実現できるため,穀物の価格競争力は向上します。

日本は平地が少なく,かつ人口密度の高い国なので穀物自給率が低くなるのは当然であり,それは政府の怠慢でも農家の努力不足でもないのです。日本の耕地面積431万haには山間地や傾斜地という条件の悪い土地も相当割合で含まれているのです。それは主食のコメを生産するため多くの人々が営々と努力してきた結果なのです。

穀物自給率とは一人当たりの耕地面積に比例せざるを得ないのですから,日本の穀物自給率(≒食料自給率)を向上させるには耕地面積の拡大が必要ということになります。しかし,日本では耕地どころか牧草地の拡大ですら困難です。

それどころか経済発展と都市化により,もっとも条件の良い耕地の多くは宅地や商工業地に転換されています。優良な農地とは広い面積の平地であり,それは宅地や商工業地としても都合が良いわけです。

ここ何十年か農水省は農業予算の25-50%を投じて圃場整備(1枚の水田面積を大きくする)や灌漑施設,農道など優良農地の基盤整備事業を進めてきました。それは農業の機械化(効率化)を図るための政策だったのですが,最良の商工業地を造成することにもつながっています。

現在でも整備された農地が転用されて宅地や巨大ショッピングセンターなどになっているのです。大ざっぱな試算では,この50年間に転用により失われた耕地面積は200万haと見積もられています。現在の耕地面積が431万haですから,1/3の優良農地が失われたことになります。

減反政策によりコメを作ることのできない水田で家畜用飼料を栽培するのは可能であり,食料自給率の向上につながります。しかし,同じ面積から得られる産出額はコメの数分の1となり,補助金なしにはとても経済的に立ちいかないでしょう。コストの面で米国のトウモロコシにはとても競合できません。

あるいは,補助金により小麦の増産を図る政策も可能ですが,どこまで国民がそのような負担に耐えられるかは不明です。さらに,小麦の場合はうどん,スパゲティ,パンなど最終製品の用途により最適品種があり,品質の高いものを高温多湿の日本で栽培可能なのか疑問です。

日本の食料自給率を上げる実現可能な手段は,輸入穀物,大豆などで生産されるパン,食肉,鶏卵,植物油などの摂取を減らし,代わりにコメで熱量をとることです。これらの品目の摂取量を半分にすれば輸入穀物の1/4程度は不要になり,食料自給率は50%を越えるでしょう。

しかし,これは国民の消費嗜好の問題であり,農業の問題ではありません。また,肉などの消費を半分にしたら,日本農業の高付加価値部分である畜産が壊滅します。地理的な制約や経済性を無視して穀物自給率を高めようとするとどこかで歪が出ます。食料自給率を上げるなどと発言する政治家は信用しない方がよいでしょう。


食料安全保障と農産物の国際開放

日本農業の国際的な競争力は決して強くはありませんが,工業力に支えられた円の価値の上昇(円高)により農業総産出額(8.5兆円)でみると中国,インド,米国,ブラジルに次いで世界第5位の農業大国です。専業・兼業を含め基幹農業従事者数は205万人(2010年)もいます。

国際関係,日本の財政,農業従事者の年齢構成から考えて日本の農業を現状のままで守ることはほとんど不可能な情勢です。外圧にしろ内部問題にしろ,日本の農業のある部分はこのままでは立ちいかなくなる可能性が大きいのですから,一定の競争力と持続性を担保した改革が必要なのは確かです。

FTAやTPPの場では農業を含めた貿易の新しい関係づくりの交渉が進められています。このような交渉を始める前に日本としての国家経営の青写真をもたなければなりません。農業は食料生産の基本であり,自然や治水と密接に係わっているからです。その将来の「あるべき姿」に対照して現在の農業をどの範囲で,どのように守るのかという戦略を考察しなければなりません。

経済効率最優先でコメ,酪農といった農業総産出額の主要部分を国際競争力にそのままさらすという選択肢もあります。工業の国際競争力と国民負担を多少犠牲にしても現在程度の食料自給率は維持するという選択肢もあります。

10年先,20年先の日本という国で国民は都市と農村でどのような生活を送るのか,その中で農業の中核であるコメ,畜産,野菜,果物などの生産形態をどうするか,どの程度を自給するのかを考える必要があります。

20年後には世界の食料事情やエネルギー事情は激変している可能性は十分にあります。お金を出せば食料やエネルギーが必要なだけ入手できるとは限りません。山間地の水田が保水機能を果たさなくなったら,豪雨の影響は現在よりずっと大きくなっているかもしれません。私たちの次の世代は里山の風景を映像の中でしか見られなくなるかもしれません。

今まで世界の人々の半数が飢えたような事態は発生していないので,今後もそのようなことはないと言い切っている能天気な大学教授がいました。それは,日本の原発で深刻な事故は起こりえないと言い続けてきた学識経験者の発言に通じるものがあります。

現在の延長で未来を考えたり,現在の微分値で20年後,30年後に影響するような判断をするべきではありません。一度失われた農業基盤や里山の自然を復活させるにはどれだけ大変なことになるかを考えなければなりません。

国家の安全保障とは長期的視野に立ち,かつ起こりうる最悪の事態を想定して立案すべきものです。福島原発のような事故が浜岡で起きたら東京と大阪を結ぶ物流の大動脈は分断されてしまい,日本経済は立ち直れないほどの痛手を受けます。

食料については国土の広い国や人口密度の低い国ならば復元余力が高いのですが,日本のように可耕地面積が少なく,人口の多い国では輸入が途絶えるとそのまま食料不足となります。

国民の食料の確保は国家の最重要責務ですから,あらゆる状況の変化に備えて対応できるようにしておかなければなりません。現在も積み増している巨額の財政赤字を減らすためには経済成長こそが唯一の道であるという程度の矮小化された議論で選択されてはかないません。

日本の農業をどのように守っていくにしても一定の国際競争力が不可欠です。日本の農業だけが世界から切り離されて存在できるわけではないのです。実際,日本の穀物自給率は27%に過ぎません。これでは食料主権などもむなしく聞こえます。

日本の農業のある部分は国際競争力がありませんので,関税により(国際的に流動性の高い)主要部分は保護されています。日本の農産物の平均関税率は諸外国に比べて十分に低く,日本より低いのは米国だけであるという議論はネット上でもよく見かけます。しかし,この品目毎の関税の平均値は(実効的には)さしたる意味をもっていません。

それは8.5兆円の農業総産出額のうちコメ,酪農といった産出額の大きく,かつ国際的に流動性の高い分野については高い関税がかけられているからです。日本の農産物に対する実効的な関税をみるためには品目ごとに産出額X関税の値を算出し,その総和を農業総産出額で割る必要があります。これは加重平均の考え方です。

そのような実効関税がある程度分かるように品目ごとの産出額と関税,自給率の関係を左表にまとめてみました。バターとチーズを除き上位の10品目は産出額の順に並べています。産出額のうち少なくとも4兆円は20%以上の関税がかけられています。WTOが作成した加盟国の2010年関税リストによると,日本の農産物の実効関税率は21%になっています。

関税の中にはコメのように単位量当たりいくらというように設定されているものがあります。これはコメの輸入価格に大きな幅があるため割合ではなく定額にしています。この表で見ると輸入価格が0円でも国境を通過すると4020円/10kgとなります。

この表には出しませんでしたが産出額は小さくてもこんにゃくのように地域の特産物となっているものには高い関税がかけられています。これは日本の食文化や地域の産業を守るためのためのものです。

野菜,果物,花きにの関税は0-10%であり,これらは一定の国際競争力をもっているようです。そうなると,問題はどうすればコメや畜産を(米国並みではなく)野菜並みの競争力に引き上げることができるかということになります。


農業形態の各国比較

日本農業の特徴は農家数を見るとよく分かります。左図は「第25回東京財団フォーラム(2009年)」において農林水産省が発表した資料から作成しました。データは2005年のものです。

日本は耕地がEU諸国に比べてずっと少ないにもかかわらず,農家戸数は農業大国とされるフランスの4倍近くになっています。その結果,日本の1農家あたりの耕地面積は1.8haであり,とても農業で生計を立てられるような状況ではありません。

この30年,EUでは経営規模の拡大と農家への直接支払いにより農業の国際競争力を高めてきました。政策としては農家を守るのでなく,農業を守るようにしたわけです。それに対して日本では農家を守ることが政策の基本であったたため,特にコメ農家は小規模のものが存続してきました。

その政策は工業から農業への所得移転という形になっており,山村社会の崩壊を防ぐうえで一定の役割を果たしてきました。私はネット社会の論客が言うように「だから,我々は国際価格に比べてはるかに高いコメを買わされているんだ」という意見には賛成しかねます。

日本人のコメ消費量は年に60kgです。4000円/10kgとしても月に2000円であり,安いものは2500-3000円/10kgです。主食にかける費用としては決して高すぎることはないはずです。

米国のスーパーマーケットにおけるカリフォルニア米の販売価格は20-30$/10kgですから,1$=100円(現在は超円高ですが)とすれば日本の50-100%といったところです。経済成長の続く中国産米でも最近では10,000円/60kgの水準になっています。

問題はそのような米価を維持するためだけに巨額の税金が使用されていることであり,それにより日本の稲作の生産性が抑えられているため,農業自体が弱体化,衰退化していることなのです。米価が高いという人にとっては税金で高い米価を維持している図式であり,ひどすぎる仕組みだということになります。

コメの関税を下げざるを得ない事態になったとき,競合相手となるのは同じ温帯ジャポニカ種のカリファルニア米や中国米いうことになります。世界のコメ取引の主流になっているのはインディカ米であり,いかに価格が安くても(600$/トン,FOB)日本人の主食にならないでしょう。また,そのような最安のコメと競合しようなどとは考えるべきではありません。

カリフォルニア米は生産量が200万トン程度であり,日本が輸入するということになれば市場価格は上昇するため,日本にとっては重大な脅威にはならないので,日本の国際競争力は中国を基準とすべきです。

日本でも5ha以上の主業農家におけるコメ生産コストは10,000円/60kg程度まで下がっていますので,耕地の集約により生産性を高めると中国米に対しても一定の価格競争力が期待できます。

日本のコメが相対的(為替の変動要素が非常に大きいのでこのように表現します)に高いのは減反による生産調整があるため,市場原理が働かないかだという意見はその通りです。

減反政策を廃止し国内的にコメの生産を自由化すれば,価格は最も生産性の高いものに収斂していきます。これが市場原理です。おそらく小売価格で2000円/10kg(12,000円/60kg)レベルまで下がるでしょう。そのような政策ができない原因が小規模(稲作)農家の多さです。

農林水産省は農家を「経営耕地面積が10アール以上又は農産物販売金額が15万円以上の世帯」と定義しており,2010年の農家戸数は253万戸となっています。

農家は「販売農家(163万戸)」と「自給的農家(90万戸)」に大きく区分され,販売農家はさらに「専業農家(45万戸)」,「第1種兼業農家(23万戸)」,「第2種兼業農家(96万戸)」に区分されています。それぞれの農家の定義は左の図を参照してください。

農業を産業として考えると農家とは「専業農家」,「第1種兼業農家」に限定すべきと考えます。というのは減反や戸別補償制度のような農業政策を実施する上で,どこまでを対象とするかにより政策の意味がまったく変わってきます。

すべての農家を対象に戸別補償制度を実施するならば,それは小規模農家の延命策であり,農業経営の集約化により国際競争力をつける政策とは逆行するものです。減反政策もすべての農家を対象としているため,本来はコメ生産の中核となるべき専業農家までもが対象となり,やはり強い農家を弱体化させる政策になっています。

日本の農家戸数が多いのは戦後の農地改革により多数の小作農が土地持ちの農家になったことから始まっています。当時の農業は最大の就労人口を抱える産業であり,主食を生産する大切な役割を担っていました。

彼らの努力により戦後の飢餓は数年で解消しました。しかし,増え続ける人口を養うためコメの生産増は国家的課題であり生産者価格により生産意欲を向上させる政策は妥当なものでした。生産第一であり,価格は第二であったわけです。

ところが1970年頃から生産量と消費量の関係が逆転します。つまり,生産過剰になったわけです。このときに導入されたのが減反政策という生産調整です。政府が正面から減反を法制化するわけにはいきませんので,農家の自主的な運用という建前になっています。

この生産カルテルにより小規模農家は淘汰されず生き残ったわけです。日本の小規模農家が生き残ってこられたのはひとえに減反政策による価格支持でした。この40年の農政の基本はコメ農家を守ることであり,国際競争の中での農業を守ることではなかったのです。

日本の農家戸数がどのように変遷してきたかを左図に示します。北海道とそれ以外の地域では農家の形態がかなり異なるので分けています。このデータはさる学生さんの卒業論文から作成しました。

ただし,農家の定義が1975年と1980年では異なっており,1975年は「経営耕地面積30a以上」,1980年以降は「経営耕地面積10a以上」となっています。この定義の変更により北海道以外の農家戸数は1975年から1980年にかけて増加しています。

また,販売農家の区分は専業農家,第1種兼業農家,第2種兼業農家から主業農家,準主業農家,副業的農家に変更されており,定義が異なりますので,30年くらいのスパンで農業を考える場合は以前の名称を使わざるを得ません。

現実には減反政策による価格支持をもってしても,下流側の流通は自由化されていますのでコメ価格(生産者売渡し価格)は下落を続けています。農家の戸別保証制度が導入されると,政府から補助金が出るるということで生産者売渡し価格は暴落しています。一体何のための政策なのか首をかしげたくなります。


小規模農家はどうしてコメを作り続けるのか

減反政策にもかかわらず小規模農家はどうしてコメを作り続けるかについては経済的な理由があります。それは生産者売渡し価格(政府買い入れ価格),小売価格,生産費の関係で決まるようです。

通常,生産費は全算入生産費と呼ばれており,全算入生産費=純生産費用+家族労働費+自己資本利子+自作地地代という関係にあります。コメ作だけで生計を立てるには全算入生産費<生産者売り渡し価格(生産者価格)という関係が成立しなければなりません。

ところが,小規模の兼業農家の場合は農業収入に対する依存度が大きくないため,全算入生産費のうち純生産費つまり生産のために農家が支払う費用(農家の持ち出し分)が関心事となります。純生産費用<生産者価格の関係が成立している限りでは(投入労働量を無視すれば)コメを販売して収入を得ることができます。

さらに,自給的農家の場合はさらにハードルが低く,純生産費用<小売価格の関係が成立すればコメを買うより作った方がよいという判断になります。このような考え方がすべての小規模農家で成立するかどうかは分かりませんが,一定の説得力のある分析であり,実際にデータの上でも確認することができます。

農家戸数の推移でデータを使用させていただいた卒業論文の主要なテーマは「零細農家はどうしてコメを作り続けるのか」です。その中から2つのデータを図表化しました。

なんと,1980年からずっとコメ生産の平均収支は赤字なのです。耕作規模と生産性がリンクすることはすぐに推測できますように,5ha以上の農家はコメ作で黒字を出しており,平均,さらには0.5-1.0haの小規模耕作農家の順に赤字幅は大きくなっています。

もう一つの図表は政府買入価格と純生産費,全算入生産費を比較したものです。全算入生産費との比較では1.0以下となっていても,純生産費との比較では1.0を超えており,家族の労働投入量などを含めなければ収入となる実態が表れています。

耕作規模と生産コストがリンクしていることは明らかです。農林水産省が公表する「農林業センサス」というデータがあります。いってみれば農業の国勢調査のようなもので,膨大なデータが入っており,その中から「2010年世界農林業センサス結果の概要」を参照サイトに含めておきました。

このページは概要ですが,その背後には膨大なデータがあり作成側でなければ読み解くのが困難です。同じページからデータ群にもリンクができていますので,興味のある方は開いてみて下さい。

概要のページは官僚のある種の意図に基づいて作成されたものでしょう。私のような素人では元データを引き出し,分析し,動向を把握するのは困難ですから,国民の知る権利に応えて,概要のページを中立的な立場で充実させ,コメントを入れてもらいたいものです。

「2010年世界農林業センサス結果の概要」からコメの栽培規模とコストの関係は左図のようになります。全算入生産費でみると経営規模による生産性の向上は明らかです。注目すべきは10-15haの経営規模では生産コストが玄米60kgあたりの生産コストが10,000円を下回っていることです。これは中国米のレベルに近い数値です。


高齢化の進む農業従事者

小規模農家のコメ作による収入は都市の勤労世帯に比べて魅力的とはいえないようです。そもそも,平均的な規模でも労働力の対価が収入にならないような状態なのです。

農業への新規参入者は現役世代に比べるとはるかに少なく,年金をもらいながら自家用の飯米を生産する自給的農家はともかくとして,あと20年もすれば生産の中核を担う人材が払底するかもしれません。

日本農業の抱える大きな課題の一つがここにあります。いかにして職業として魅力のある農業,国際的に競争力のある農業を育成するのか,政府の本来の政策はここに集約されるべきです。現状のように小規模の農家を守る政策を続けていると,日本の農業が衰退するのは明らかです。

1.2億人の人口を抱える国ですから,食料に対する需要が少ないわけではありません。選択と集中により農業の中核部分を強化することは可能であり,実現しなければなりません。

同じ農業予算を使用するならば,政策の方向性を明らかにすべきです。コメの生産者価格が安くなって農家が困っているから戸別補償制度を全農家に導入しようではただのばらまきであり,政策の理念や将来への展望はまったくありません。

こんな風に書いていますが,私は小規模農業が淘汰されることは好ましいことだとは思っていません。産業として収入と競争力のある農業と自給的農業を分離し,併存させることはできないかという虫のいいことを考えています。

実際,多くの小規模耕地は条件の悪い山間地にあり,集約や効率化は困難です。このような耕地が耕作放棄されると,耕地はもちろん里山のように農業と共存する管理された自然も荒廃してしまいます。

働いても都市生活が満足にできないような収入しかない人,仕事をリタイアし田舎暮らしがしたい年金世代の人たち,社会生活や対人関係に悩み家庭に引きこもっている人々が山村で自給社会を営めるようにならないかななどとついつい考えてしまいます。

この20年の年齢構成の推移から分かることは若年層の新規就農が非常に少ないことと基幹的農業従事者の平均年齢の増加です。2005年を起点にすると20年後(2025年)には60歳以上の人々は引退しているでしょうから,就農人口はざっと150万人ほど減少する計算です。

ただし,主として農業以外で働いていた就農者の相当部分が,退職後に基幹的農業従事者数になるめ減少分150万人のうち何割かはカバーされるでしょう。

2010年農業センサス概要によると販売農家の基幹的農業従事者数に占める65歳以上の人の割合は2005年が57.4%(総数224万人),2010年が61.1%(総数205万人)へと,基幹的農業従事者の減少と高齢化が同時進行しています。


コメ以外の農家は集約化が進みました

コメ農家の集約が一向に進まないのに対して野菜や畜産の分野では集約化が進んでいます。もちろん,酪農にしても野菜にしても生産者の集約は一定の痛みを伴うことは十分に考えられることです。

しかし,農業も経済活動の一部であるという大原則に立てば(国土の保全という側面はあるものの)おのずと限度があります。主業農家の生産シェアは野菜82%,酪農95%に対し,コメは38%にすぎないのです。しかも,その主業農家も減反という重いくびきにあえいでいます。

40年間,7兆円をかけてコメの生産効率化を抑えてきた政策はもう廃止すべきです。実際のところこの先,減反政策を続けても事態は全く改善されません。展望のない政策に税金を投じるのではなく,痛みを伴う改革に使用すべきです。

減反政策が廃止されるとコメは生産から流通,消費まで(国内的には)完全自由化され,より生産の効率化が進むとともに,生産者価格は下がり,コメを売っても収入にならない農家は生産をやめるでしょう。

コメ以外の農産物を生産しようにもすでに他の分野では主業農家がおり,片手間の農業では新規参入は困難です。選択肢は耕地を貸し出す,売り渡す,自給的生産を続けるなどでしょう。そのような経済的環境の変化に対して一定額の税金を一定期間投入するのはやむを得ないでしょう。

しかし,その金額はそれほど大きくはないはずです。平均的なコメ生産農家の所得については 「農業統計調査(2011年)」に詳しく掲載されています。

それによると平均的な農家の収入は次のようになっています。
@農業所得・・・・・・・・・・・・・・・・・・34.6万円
A農業生産関連事業所得・・・・・・0.2万円
B農外所得・・・・・・・・・・・・・・・・・・198.6万円
C年金等の収入・・・・・・・・・・・・・・205.5万円
D総所得(@+A+B+C)・・・・438.9万円

つまり,耕地面積1.5haほどの平均的なコメ生産農家の収入438万円のうち農業所得は35万円しかないということになります。このような農家の農業粗収益(売上)は209万円,農業経営費は175万円となっており,その差額が農業所得となっています。

日本の平均的なコメ農家は収入の9割以上を農業以外の収入に頼っているということであり,仮にコメ生産を止めても(農機具等の償却費などを除くと)収入は1割しか減らないということになります。

少なくとも副業的農家は減反政策が廃止され,自由生産になってもコメを自給的に作るか,作らないかで悩む程度で済みそうです。このレベルまで税金で面倒をみるというのは明らかに行きすぎです。このような農家に所得補償制度を適用するならば,労働市場からほとんどこぼれ落ちた状態のいわゆる「ワーキングプア」の人たちも所得補償すべきでしょう。

減反政策の廃止で痛みを感じるのは農業の収入が相対的に大きな農家であり,そこには所得補償制度が必要でしょう。ただし,面積当たりいくらの定額ではなく,年度毎に生産標準価格を設定し,それに対して売り渡し価格が下回った場合に差額を支給する制度が妥当と考えます。生産性に対する一定の目標値なしに所得補償をするのは経営努力を促す制度ではありません。

コメが自由生産になると市場価格は生産性のもっともよいところに収斂していきます。おそらく一般銘柄では玄米60kgで12,000円程度になるでしょう。特定銘柄についてはプレミアムが付きますので現在ほどではないにせよ一定の価格は維持されるでしょう。

このような政策はコメ農家にとっては厳しいものかもしれませんが,野菜や畜産農家では当たり前のことになっています。キャベツが大豊作になると消費量<生産量の関係になり,市場価格は暴落します。

市場価格を回復させるため野菜農家は出荷量を制限します。需要と供給の関係は市場を通して調整されます。このような事態になってもキャベツ農家には戸別補償制度は(今のところ)ありません。国内農業の中でもコメ農家だけが突出して保護されているのです。

コメの減反政策が廃止されると(市場価格が下がりますので)相当割合の耕地は集約され,主業農家の経営規模は拡大するとともに単収を増加させるための努力も生まれてくるでしょう。コメ生産を止めた農家は耕地を貸出し,代わりに地代を受け取ることになります。

都市の周辺では農地→宅地・商工業地への転用も増えるでしょう。しかし,20年後を考えると優良農地の転用は政策的に回避すべきです。オイルピークが世界の農業に及ぼす影響を考えると優良農地の保全は食料安全保障に直結します。

条件のよい耕地では確かにこのようなストーリーが予測されますが,山間地のように集約化が困難な地域では耕地をどのように維持・管理するかが問題となるでしょう。

このような地域では地代ゼロでも水利費と土地改良費を耕作者が負担すれば委託するという選択も出てきます。耕地は営農活動が停止するとすぐに草地となってしまい,耕地に戻すには大変な手間がかかることを考えると,集落全体で共同営農のような形態をとって,自給的耕地として活用するのも一つの方法です。

もっとも回避したいのは耕作放棄です。農業従事者の高齢化は進んでおり,一つの世代が耕作できない年齢に達しても,後継者がいない場合もあるでしょうし,農業に見切りをつけてしまう場合もあります。そのようにして耕作を放棄された耕地は2010年には約40万haにも達しています。

減反政策を廃止する場合には,山村社会が崩壊しないようにする目配りも必要になります。コメ農家を主業農家と自給農家に分け,前者は販売用のコメを生産し,後者は自給用のコメを生産するというように区分し,補助の形態を変えることにより,競争力のあるコメと山村社会の継続を両立させてもらいたいものです。現在の政治家と官僚の器量からすると,このような絵は夢のまた夢といったところです。