聖エチミアジン教会
ヨーロッパ広場から北側の道路を登っていくと聖エチミアジン教会があるが,改修中であった。チコバワ通りは完全な自動車用道路で横断は非常に危険だ。少し先のアヴラバリ広場の近くに地下横断歩道がある。
ヨーロッパ広場から北側の道路を登っていくと聖エチミアジン教会があるが,改修中であった。チコバワ通りは完全な自動車用道路で横断は非常に危険だ。少し先のアヴラバリ広場の近くに地下横断歩道がある。
この大聖堂の敷地は東西方向を基軸とした長方形となっており,長辺(東西方向)は250mほどもある。入り口は西側にあり門から聖堂まで白大理石の参道が伸びている。
広場の横を北にどんどん上っていくとツミンダ・サメバ大聖堂に出る。この新しい大聖堂は広大な敷地を占めており,グルジアらしくない建物が多い。大聖堂は丘のもっとも高いところに位置している。
正面から見ると大聖堂は側廊をもった三角屋根が三段になった構成になっており,その後ろに円錐型の屋根をもった円柱型の塔が置かれている。おそらく上面図は十字架に近いものだろう。十字架の下が西,上が東であり,十字架の交点に円柱型の塔が位置している。
正面が西に面しているため午前中の光では逆光になる。大聖堂は東西を基軸としており,東側に聖障を配置するため,入り口は西側となる。
大聖堂の入口から見ると城壁に囲まれれたような白い建物が,その横には鐘楼と思われる建物がある。そこまではゆうに50mは離れている。この広大な敷地内はまるで公園のように整備されている。
教会の内部もずいぶん広い。全体が漆くいの白でまとめられており,外からの光でそれなりに明るい。正面や周囲の壁面にはイコンが飾られており,東方正教会では珍しい立体の十字架とキリスト像がある。
イコノスタス(聖障)の前では黒服の司祭が聖句を唱えている。教会の内部は音響効果がよく,その抑揚をもった低い声は会堂全体に響きわたる。東方正教会のすばらしさはイコンとこの声明である。
ヒンドゥー教や密教ではマントラ(真言)は「聖なる思念が盛り込まれている文言」であり,霊的な効果をもつとされている。この教会で司祭の唱える聖句を聞いていると,なんとなく宗教的な高揚感を感じる。
おそらく,言葉の意味を理解できる現地の人たちは僕の何倍かの高揚感を感じることであろう。ヨーロッパと東洋の違いはあるものの,聖句を媒体とする宗教儀式には大きな類似性があるものだと感じた。
壁面や壁のイコンは写真OKである。もちろん僕は教会の中でフラッシュを使うような無作法なことはしたくない。モスク,ヒンドゥー寺院,仏教寺院でも同じであり,祈りの場である宗教的空間でフラッシュを使用するのは,祈りの空間を損なう行為となる。
幸いこの教会の内部は比較的明るいのでそれなりの品質で写真を撮ることができた。イコンの題材は聖母マリアが多く,女性の聖人も混じっている。現在のグルジア文字とは異なる文字で意味は分からない。
アヴラバリ広場に戻り,メテヒ橋に下る道で壁に取り付けられているおもしろい板画を見つけた。楽師の絵なのだがどうも服装からはオスマンの雰囲気が漂っている。
確かに,オスマン帝国の時代にはグルジアの西半分はその支配下にあったので,オスマンを感じさせる絵があっても不思議は無いが,ソ連の時代を経てそのような絵が残っているはずもない。これは謎だね。
メテヒ橋の半ばほどからメテヒ教会を見る構図はトビリシの写真にはよく見られる。川岸から立ち上がる崖の上に教会があり,その横にはヴァフタング王の騎馬像がこちらに合図を送っているようだ。
実際には騎馬像は教会に比べてはるかに小さいのだが,ここから見るとちょうどつりあいのとれた大きさになっている。ちょっと残念なのは崖の下には工事用の足場が組まれており,それがフレームに入ってしまう。
旧市街を見下ろすビューポイントを目指してナリカラ城塞への道を登り出す。けっこうな急斜面で途中で休憩をとらなけれなならない。城塞の門まで登ると,あとは斜面にそって少し行くとベンチのあるビューポイントに到着する。
さすがに素晴らしい光景だ。まず川越しにメテヒ教会の方角の写真を撮る。メテヒ教会と背後の市街地を入れる構図はなかなかのものだ。ツミンダ・サメバ大聖堂はここから見ても大きい。
旧市街の中心部もすばらしい絵になる。はるか向こうに大分前に渡ったパラタシュヴィリ橋があり,ゆるやかに蛇行するムトゥクヴァリ川の両側は緑が豊かだ。意外に教会のとんがり屋根は少ない。
旧市街の屋根は規制があるのか,赤っぽい瓦でまとまっている。日本は京都や奈良を除き,このような都市空間の美的調和を考えもしないので,ヨーロッパ人の目にはずいぶん乱雑な街並みに写るだろう。トビリシの旧市街は素性がとても良いのでどこから撮ってもいい絵になる。
旧市街の教会散策はこれで充分満足したので,国会の近くにあるネット屋を探すことにする。それでも,レセリゼ通りを歩いていくと2つの教会がありついつい写真を撮ってしまう。
自由広場からメトロのモエダニ駅を過ぎて真っ直ぐ行くと国会議事堂があり,その先に日本語可のネット屋があるはずだったのに,まったく影も形もなかった。こんなつまらないことで今日も1時間を無駄にしてしまった。
まあ,それでも2003年の11月の「バラ革命」の舞台となった国会を見られたのは一つの成果であった。グルジアでは1992年から10年以上もシェワルナゼを最高指導者とした統治体制が続き,経済成長の停滞と,政府の汚職が蔓延することになった。
2003年11月の議会選挙では国内外の選挙監視団体からシェワルナゼ寄りの著しい不正操作があったとして非難された。サアカシュヴィリ(現大統領)を中心とする野党連合はこの選挙の結果を受け入れず,市民に対して非暴力のデモを呼びかけた。
11月中旬からトビリシや主要都市で反政府デモが始まった。11月22日に新議会が召集されたが,野党支持者は手にバラを持って議会ビルを占拠し,シェワルナゼの議会開会演説を妨害した。シェワルナゼは護衛に守られ退場した。
翌23日にロシアのイワノフ外相の仲介でシェワルナゼの大統領辞任が発表された。議会選挙時にバラを使用したことからこの事件は「バラ革命」と呼ばれるようになる。
シュワルナゼ政権はロシアを最大の友好国としてきたが,サアカシュヴィリ新政権は,はっきりと親欧米のスタンスをもっており,ようやく欧米の念願であった,BTCパイプラインの着工が始まった。これにより,カスピ海の原油はロシアを経由せずに地中海に送れるようになった。
グルジアの現状をより深く知りたい人には「グルジア大統領府の英語のHP」にアクセスすことをお勧めする。メインのコンテンツには「グルジアとEU」があり,グルジア政府が現在何を指向しているのかはっきりと理解することができる。
HPの中には英訳されたグルジア国歌があったので紹介する。タイトルは「自由(Freedom)」となっている。2004年1月にサアカシュヴィリが大統領に就任し,その4月には新しい国歌が制定された。
Our icon is the homeland
Trust in God is our creed,
Enlightened land of plains and mounts,
Blessed by God and holy heaven.
The freedom path we've learnt to follow
Makes our future spirits stronger,
The morning star will rise above us
And lighten up the land between the two seas.
Glory to long-cherished freedom,
Glory liberty !
昨日からの無駄なネット屋探しはあきらめて,ムツヘタの世界遺産を見に行くことにする。メトロに乗りトビリシ駅の3つ先にあるディドゥベ駅まで行く。ここは近郊のムツヘタやカズベキ行きのミニバスが出ている。
ムツヘタはトビリシから20kmほど北に位置する小さな町で,BC3世紀から5世紀にかけて古代のイベリア王国の都であった。4世紀にイベリア王がキリスト教を国教としたとき,ここのスヴェティ・ツホヴェリ大聖堂にグルジア正教のカトリコス(総主教座)が置かれた。
12世紀に総主教座はトビリシに移されたが,いまなおグルジア人の精神文化の中心にある。1994年に複合的な文化遺産として町全体がユネスコの世界遺産に登録されている。
街は北からのアラグヴィ川と西からのムトクヴァリ川の合流点の北西に広がっている。街の見どころはアラグヴィ川の西側に集まっている。東側はちょっとした丘になっており,その頂上にはジュヴァリ大聖堂がある。
ディドゥベ駅前は大きなバスターミナルになっている。近くの人にムツヘタ行きのバスついて教えてもらい,ミニバスに乗り込む。運転手らしい男性が料金1ラリを集めに来る。
トビリシからムツヘタまでは約25km,高速道路になっており30分ほどで到着する。高速道路はアラグヴィ川の東側を通っているので,その手前で高速から下りて,ムトクヴァリ川の橋を渡る。
ここの景色はなかなかのものだったので次の停留所で下車する。民家の間を抜けてようやく川が見えるところに出た。ムトクヴァリ川は水の流れはほとんどなく,水面はおだやかなたたずまいを見せている。川の南側は緑の多い低い山が連なっており,緑がかった水面によく映えている。
本当にグルジアは景色のきれいなところが多い。南カフカスや中央アジアを抜けてきたヨーロピアンに「一番きれいだったところはどこですか」と質問すると,多くの人は「グルジア」と答えていた。
ここの景色も日本の風景と比較するととくに珍しいものではないが,水の少ない南カフカス地域ではとてもすばらしいものに見える。道沿いに歩いていくと広場に出て,大聖堂と思われる建物は左に見える。
スヴェティ・ツホヴェリ(生命の柱)大聖堂は周囲を高さ4mほどの擁壁に囲まれている。内部の建物が教会なので「擁壁」という言葉を使用したが,実際は城壁と言った方が正確だろう。
伝承によればその昔,この土地のユダヤ人がエルサレムに行き,キリストの外衣を持ち帰った。彼の妹はそれを手にして感激のあまり死んでしまった。彼女と外衣は一緒に埋葬され,そこから杉の木が生えてきた。その木で教会を建てようとしたら柱の一本が空中に浮かんで動かなかった。
しかし,聖ニノ(光照者ニノとも呼ばれ,4世紀の前半にグルジアにキリスト教をもたらした女性)が祈りを捧げると柱は浮遊を止め,中から香油が溢れ出てきたという。この伝承により大聖堂は「スヴェティ・ツホヴェリ(生命の柱)」と呼ばれる。
城壁の外側から見える大きな建物は11世紀のもので,地震やチムールの征服により被害を受け,17世紀の改修で現在の姿になった。この大聖堂の元になった6世紀の石造りの教会は見つからなかった。
門をくぐり中に入る。ここは現役の教会として活動しているので入場料の類は取られない。敷地はそれなりに広いのに大聖堂の建物が大きすぎてフレームに簡単には収まらない。
建物の長手方向を横にして写真を撮るのは距離が足りなくて無理なので,45度のところから撮らざるを得ない。全体の写真を撮るなら城壁の外からの方が良い。
城壁の内部には大聖堂の建物しかない。城壁に一体化して鐘楼の建物があり,その下のベンチで休憩することができる。ここで若い女性からインタビューを受けることになった。
どうやら外国人旅行者からアンケートをとっているようだ。突然話しかけられ少し慌てることになったが,まあ何とか彼女の目的は達成されたようだ。
教会の内部は薄暗く,ところどころに明り取りの窓の形をした光が入ってきている。レリーフの施されている十字架があり,その上にはまるで帽子のように円錐型の飾りが置かれていた。
このような十字架は今まで見たことが無い。教会の屋根にも円錐型が使用されている,この形は何か特別の意味があるのかもしれない。この十字架の先端部にはちょうど外からの明かりが入るようになっている。
祭壇の前の床にはいくつかの墓石が埋め込まれている。これはグルジア王国の歴代の王のものだという。さすがに墓石を踏むのはまずいので,教会内を歩き回るときには注意が必要だ。
イコンは大きなものが多くほとんど絵画である。聖ニノのイコンも大きなものであった。左手に福音経,右手に葡萄十字(水平の部分の両端が少し下がっている)を持った姿がおそらくもっとも普遍的な造形なのだろう。彼女は4世紀にグルジアにキリスト教を広めた女性であ,正教会,東方諸教会,カトリック教会で崇敬されている。英語やロシア語では「ニーナ」となっているが,グルジアでの発音は「ニノ」が近い。
イベリア王ミリアン3世を改宗させ,ミリアンは327年にキリスト教を国教とし,ニノは死ぬまでグルジアにおける伝道活動を続けた。そのためグルジアでは特に崇敬されている。彼女の墓は東部グルジアのカヘティ(Kakheti)にあるボドベ修道院にある。すでにテラヴィは回ってしまったので彼女の眠っている修道院は見ることができないのはちょっと残念だ。
周囲の壁面や柱は多くのイコンやフレスコ画で飾られている。フレスコ画はかなり傷んでおり,聖書の物語を題材にしたといわれているが,内容はわからない。こんなときはガイドが欲しいと思う。
建物の外に出て回りを一周してみる。木の扉の上にはキリストを膝に置いた聖母マリアのフレスコ画があった。マリアの両側には天使がまるで彼女を支えるようにしている珍しい構図である。
スヴェティ・ツホヴェリ大聖堂の外に出てサムタヴロ教会の方に歩き出す。見通しの良いところからは東の山の上にあるジュヴァリ教会が見える。あそこまで行くにはムトゥクヴァリ川の南側から延々と歩かなければならないのでタクシーにでも乗らなければ無理だ。ジュヴァリとは十字架を意味しており,この教会も聖ニノの伝説に彩られている。
伝説によれば、現在ジュヴァリ教会が建っている丘に異教徒の神殿があり,聖ニノがその場所に大きな木製の十字架を立てたとい言う。その場所に小さな教会が建てられ,6世紀に現在の姿となったと。
道路わきの空き地に文字の彫られた自然石が立っている。その上には石造りの聖書と十字架が置かれており,お墓のように見える。しかし,グルジア文字には数字は無く,アルファベットと数値が対応するという特殊な表現方法となっているので,碑文を見ても何も分からない。
広場に出るとその向こうにサムタヴロ教会が見える。銀色に輝く屋根が印象的だ。この教会も高さ1mくらいの低い塀で囲われている。中に入るとバランスの取れた美しい建物である。建物の内部には黒い僧服を着た尼僧と思われる女性たちが何人かいた。
右横にはとても小さいお堂のような建物がある。自然石をほとんど加工しないで使用している壁からするとかなり古いもののようだ。
内部はほんとうに狭い空間があり,聖ニノと思われる十字架を持った女性のフレスコ画がきれいに残っている。このフレスコ画はジュヴァリ教会のレリーフと同じ構図のものであろう。聖ニノが十字架を立て,二人の天使が十字架を支えている。
この教会前の広場の道路側にバスの停留所があり,しばらく待つとトビリシ行きのミニバスがやってきた。クタイシは世界遺産になっているにもかかわらず,観光客は非常に少ない。
もっとも,グルジアそのものがそれほど観光客が多いところではない。そのおかげで古い街並みや歴史的な大聖堂をのんびり見学することができた。
宿に戻りお湯のシャワーを浴び,洗濯をする。明日は移動日であるが午後からなので充分乾くだろう。イェレバンの民宿「リダおばさんの家」の場所を教えてもらい,あとはおしゃべりで過ごす。19時頃から空模様が怪しくなり,21時から本格的な雨になる。僕の洗濯物は生乾きのまま取り込む。