アラヴェルディ大聖堂に向かう
バスターミナル付近で両替ができグルジア通貨のラリが手に入ったので,今日は町から15kmほど郊外にあるアラヴェルディ大聖堂を見に行くことにする。
商店街の近くに停まっているマルシュルートカの運転手にアラヴェルディ大聖堂行きの交通についてたずねると,「商店街の裏手のBTから出ているよ」と教えてくれた。南北道路沿いにつながっている商店街に隙間があり,そこから裏手に入ると,ミニバスのターミナルと露店がひしめいている。
今日の昼食はどうなるか分からないので非常食としてバナナを5本(3ラリ)買っておく。ミニバスでとなりのおばさんの食べているものに興味を示したら一枚買ってくれた。「ありがとうございます」とお礼を言っていただく。
それはかなり油っぽい薄パンで,ほとんど味が付いていない。半分を食べるとおなかがというよりは口が飽きる代物であった。ミニバスは田舎道を走り,いくつもの集落を通過する。道路の右側に特徴のある建物が見え,バスはその前で停車してくれた。
そこがアラヴェルディ大聖堂であり,僕が降りるとローソク売りのおばさんたちがわらわらと走り寄ってくる。残念ながら僕はローソクは必要ない。彼女らをしり目に道路を歩きながらまず外側から写真をとる。
アラヴェルディ大聖堂
大聖堂はそれほど高さはないものの周囲を石積みの壁で囲われており,一見すると城塞のようだ。この壁の目的はよく分からないが,外敵から身を守るものであることは間違いないだろう。
大聖堂は11世紀に当時のカヘティ王により建てられたもので,正式には聖ギオルギ大聖堂という。しかし,この大聖堂はアラヴェルディ村のすぐ近くにあることからアラヴェルディ大聖堂と呼ばれている。
11世紀といえばバグラト朝のもとで東西グルジアが統一された王国となった時期である。旅行人のHPの情報では「クタイシのゲラティ,ムツヘタのスヴェティツホヴェリとともに統一グルジアの権威の象徴として建てられた」と記されている。
現在の大聖堂は道路に面した部分だけ本来の石造りの壁の外側に高くはないけれどもう一重の新しい石の壁で囲んでいる。これは全体の景観を損ねている上に,写真も撮りづらくなっている。
敷地の中央部に大聖堂の建物がある。この大聖堂を含め,グルジアの古い教会は一定の様式で造られている。基本部は三角屋根をもった建物を十字形に組み合わせたものである。十字架をイメージしたものか長さは異なる。
十字形の中央に円柱型の塔を置き,塔の屋根は円錐形となっている。そして屋根の頂点には十字架が取り付けられている。現在,屋根の材料は金属を使用しているが,11世紀には異なる材料が使用されていたと思われる。実際,十字型の基本部の三角屋根は瓦のような材質で葺かれている。
この大聖堂の敷地内には付属の修道院の建物があり,その横にも円柱形の塔と円錐型の屋根をもった建造物がある。そのためこの大聖堂は見る方向によりずいぶんイメージが異なって見える。
さて,中に入ってみよう。外側の新しい壁の門を抜けると,正面に壁があり,そこにアーチ型の門がある。ここが本来の門というわけだ。修道院の壁面はそのまま外壁と一体となっている。この壁に張り付いて円錐を半分に切ったような石組みの建造物がある。外からはその目的は分からない。
正門をくぐると大聖堂が間近に見える。建物は石造りで,部分的に赤いレンガが使用されている。昔は漆くいで化粧されていたようだが,一部を除き剥離している。僕の入った時間は日曜日のミサの時間だったらしく,それが終わるまでグルジア人の観光客を含め大聖堂の中には入れなかった。
正門の方向には修道院の建物があり,そこには現在も10人ほどの修道士が神を身近な存在とする清貧の生活を送っている。建物の前および敷地の一部には野菜やぶどうの畑があり,これは修道士の自給食料となっている。この一画は立ち入り禁止となっている。
聖堂の入口で同じようにヒマをしている観光客
ミサが終わるまでは閑なので,入口で同じようにヒマをしている観光客の写真を撮る。キリスト教国だけあって若い女性たちも写真に対する多少のはにかみはあっても,まったく問題にはならない。
教会へ入るときの習慣なのか女性たちはスカーフを被っている。それにしては上半身の露出度はけっこう高い。ほとんどスカート姿であり,半数はジーンズやスパッツの上からスカートをはいている。
大聖堂の入口付近に坐っていた少女たちはとてもよい被写体になってくれた。ここは光の具合が良いのでちょっと幻想的な仕上がりになり,ラッキーな写真になった。教会用のスカーフがとても効果的だ。
ミサが長引きそうなので
ミサはかなり長引きそうなので,いったん外に出る。道路の向かいは空き地で,ロバ車の荷台にメロン売りの少年がいる。「ハロー」と声をかけると,手を振って応えてくれた。
これが縁となりメロンを1個買うことにした。値段は0.6ラリ,地元価格として高いのか安いのかは分からない。近くにいた女性,おそらく彼の母親が代金を受け取る。
さて,メロンを買ったのはいいがナイフは持ち合わせていない。大聖堂の入口付近にいる人たちのところに行き,メロンを切ってもらって一緒にいただく。味はまあまあというところだ。
道路をテラヴィ方向に少し歩くと川があり,その向こうはぶどう畑になっている。この橋のからの大聖堂はじゃまな新しい塀がなく,古い石造りの壁と大聖堂本体を組み合わせた写真が撮れる。
大聖堂の背後には蒼く連なるカフカスの山が見える。今日は曇り空である。天気が良ければ青空とカフカスの山々を背景にしたいい写真になるのに残念だ。
ワイン用のぶどう畑は日本で見る生食用のぶどう園のものとはずいぶん異なる。背の低いぶどうの木が一面に広がっている。木の高さは1.5mほどに揃えられており,つるはほとんど伸びていない。
太さは根元でも直径5cmといったところだ。自立しないので一列に植えられ杭と針金に支えられている。木の間隔は1mほどである。列と列の間はもう少し広い。まだぶどうの収穫には間があり,実は青く小さい。それでも一部は青紫色に変わっている。一本の木から収穫できるのは10房程度とみた。
アラヴェルディ村に向かう
道路を反対側に5分も歩くとアラヴェルディ村になる。手前にトウモロコシ畑があり,その肩越しに見る大聖堂もいい絵になる。ちょうど城壁がトウモロコシに隠されるので,畑の中の大聖堂という構図である。
村の入口の家では子どもたちが遊んでいる。彼らは家の前に立ってポーズをとってくれた。さすが,カフカスの男の子はなかなかの面構えである。小さな男の子はロバに抱きつき,写真をおねだりする。ロバってそんなにおとなしい動物だったっけ…。
この家の庭にポンプがあったので水をもらいヨーヨーを作ってあげる。こんな場合に備えて,僕のザックの中にはプラスチックのコップとヨーヨーのセットが入っている。家の大人も「何をやっているんだ」というばかりに覗きにやってくる。
村ではロバ車は馬車は重要な運搬手段となっている
村の中を通る道は車がほとんど通らないので平和である。ほお髭を伸ばした農夫がロバ車でやってくる。荷車の車軸や車輪を支持する自転車でいうスポークに相当する部品がちゃちで,今にも壊れそうだ。
村には果物の木が多い
家の回りには果物の木が多くスモモやくるみの木には実がついている。生食用のぶどう棚もあり,こちらにはたわわにぶどうの房が下がっている。ブルーベリーを一回り大きくしたような実が付いている木もある。あとで村人に聞くと「あれは豚が食べるもの」と教えてくれた。食べなくて良かった!
豚といえばこの村には豚が飼育されている。ずっとイスラム圏を旅してきたので豚にはほとんどお目にかかっておらず,久々の豚の話に「キリスト教国に入ったんだな」と感慨を新たにする。
馬に荷車を取り付ける
村のメインストリートから横道に入ると,田園の風景になる。村人が馬に馬車を取り付けている。僕の小さな頃にはまだ日本にもこんな光景が見られた。刈り取った牧草地と積み上げた牧草の向こうにコーカサスのゆったりとした山並みが広がっている。これがカヘティ地方の原風景であろう。
おばあさんに写真をせがまれる
近くで孫の相手をしているおばあさんに写真をせがまれる。撮った画像を見せてあげるととても喜んでくれた。近所の人たちがスモモの枝を折り,そのまま食べなさいと出してくれる。これはなかなかおいしい。
写真が縁で昼食をごちそうになる
そのお礼なのだろうか,おばあさんの家に連れて行かれた。ちょうどパンを焼いているところだ。ここではパンは買うものではない。生地を作り,釜で焼き上げる。
外のテーブルに坐らされて,パンと新鮮なチーズをいただく。トマトがおいしくて大きなものを半分食べると,次々と出され1.5個も食べてしまった。僕が非常食として持ってきたバナナはこの家に置いてきた。子どもたちはパンそっちのけでバナナをほおばっている。
昼食のお礼にこの家の子どもを含め何人かにヨーヨーを作ってあげる。小さな子どもはフーセンにする。おばあさんはお土産にと大きなパンを僕のザックの中に入れてくれた。とても楽しいひときをここで過ごしアラヴェルディ大聖堂に戻る。
アラヴェルディ聖堂ともお別れの一枚
ミサはすでに終了しており,大聖堂の内部をゆっくり見学する。薄暗いドーム状の内部にはイコノスタス(障壁)があり,周囲にも多くのイコンやフレスコ画がある。しかし,内部の写真撮影は禁止であり,ガイド無しではイコンやフレスコ画がどのような内容であるかは知るよしも無い。
帰国後に調べると,イコノスタスにはイエス・キリスト,聖母マリア,キリストの父・聖ジョセフ,ドラゴン退治で有名な聖ゲオルギウス(ジョージ)が描かれているという。
帰りにイカルト修道院にも寄りたかったが,ミニバスの都合が悪くそのままテラヴィに戻った。宿に戻るとマナナさんがチキンシチューと果物の甘露煮を出してくれた。まだ17時前だったけれど,アラヴェルディのパンと一緒に夕食にする。
グレミ修道院に向かう
翌日も07時に起床し,台所でアラヴェルディ村のパンと蜂蜜で朝食をいただく。ビニール袋に入れて密封しておいたのでそれほど硬くはない。ついでに熟れ過ぎのプルーンを何個かいただく。
08時にマナナさんが起き出してきてシャワーを勧められた。少なくとも午前中は水が出るので朝シャワーとなった。ガス式の瞬間湯沸かし器があり,お湯のシャワーを楽しむ。
バスタブには普段は水が張られており,トイレと手洗い水はそれでまかなうことになる。シャワーが済むとマナナさんがコーヒーを出してくれた。トルコ式のコーヒーは少し待つとコーヒーの粉が下に沈むので普通のコーヒーと同じように飲める。まあ,最後をどこで終わらせるかは難しい。
洗濯をしたたため今日の出発は09:30になる。商店街の裏手にあるBTから19kmほど北東にあるグレミ修道院行きのミニバスに乗る。周囲の人に「グレミ」と聞くと,「このバスが行くよ」と教えてくれる。
もっとも,修道院はこのバスの終点ではないので,あらかじめ運転手にグレミを降りることを伝えておく必要がある。言葉が通じないので安全を期して,グルジア文字の綴りを見せると,運転手は「ああ,グレミか」というようにうなずいていた。
アラヴェルディのような有名なところは音声だけで理解してもらえるけれど,マイナーなところは文字を見せた方が確実だ。その意味では僕のガイドブックにはグルジア文字表記がありずいぶん助かった。
途中で大きなぶどう園を何ヶ所か見かけた。ワイン用のブドウの木は高さ1.5mほどに揃えられており,日本のブドウ農園の風景とはずいぶん異なる。20分ほどで左側の丘の上に修道院が見える。運転手はちゃんとその前で停まってくれた。
羊飼いの人たちと出会う
ミニバスから下車して丘の下から写真写りの良い場所を探していると,近くの川原に羊の大群がやってきた。これは良い被写体になるとすぐその後をついていく。二人の羊飼いに誘導されて羊の群れは橋の下に集結した。昼間は直射日光が強いので日陰で一休みというところだ。
けっこう大きい橋ではあるが羊たちすべてに日陰を提供するほどではない。それでも羊たちは固まってなんとか日陰に集結した。ほとんどの羊は白毛であり,毛が多いせいかまるまると太っているように見える。
近くの広場では羊飼いたちが集まっているので用心しながら近づく。というのは周辺の木陰にはやはり羊が休んでおり,その回りには牧羊犬が寝そべっているからだ。不用意に近づくと危険である。僕は羊がこのように羊の群れが寝そべっているのを見るのは初めてだ。
僕が犬たちを指差すと男たちは「大丈夫だよ」と笑いながら手招きをしてくれる。彼らはちょうどスイカを食べているところであった。僕も差し出されたスイカをおいしくいただく。
男たちはペットボトルの液体を勧めてくれる。ワインかな思って匂いをかぐとビールであった。おそらく自家製であろう。一口だけいただく,こちらはぬるくてビールらしくない味だ。
「どこに行くんだい」と彼らに聞かれ「グレミ村に行くつもりだ」と答えると,「あそこは危ないから止めなさい」と教えられる。何が危ないのかは分からないが,彼らの忠告を受け入れて近くのエニセリ村に行くことにする。
修道院は丘の上にある
橋の上に戻り,修道院の写真ポイントを再び探す。この修道院は樹木の多い丘の上にあるのでいい絵になる。グルジアではいくつかの教会や修道院を見たが,グレミ修道院が一番写真写りが良いと思う。
グレミ修道院は15-16世紀にかけてカヘティ王国の都であったが,サファビー朝ペルシャにより破壊され,この修道院だけが残ったという。
まず,修道院を見学しなければならない。石段を登って丘の上に出る。ここには教会と付属の塔があり,塔の方は博物館になっているので入場料2ラリが必要だ。この丘の上からでも城壁の隙間から周辺を一望できるが,塔の番人が「塔の最上部まで登ることができる」ときれいな英語で教えてくれる。
王族の肖像画であろうか
彼に案内を頼むつもりはないけれど,そのまま彼に付きまとわれ説明を受けることになる。屋上の部屋には当時の王族と思われる人物の肖像画が飾ってある。なぜか女性のものが多い。
さきほどの羊飼いが集まっていたところの手前にも女性の肖像が描かれた看板があった。そういえばグルジアは11世紀から12世紀にかけてタマラ女王のもとで地域のメジャー勢力になったことがある。伝統的に女性の地位が高いお国柄なのかな・・・
カヘティののどかな農村を眺望する
屋上からの眺望はさすがに素晴らしい。緑したたる村の風景が広がっている。グレミ村の背後にはカフカスの山が大きく迫っており,山にも緑は多い。エニセリ村は橋を渡るとすぐのところにある。近くの川は水が少なく細い流れになっている。
聖堂のフレスコ画も相当傷んでいる
聖堂の内部の壁面と柱には一面のフレスコ画が残されており,まだ往時の色彩は失われていない。イコノスタスの上のドームの壁画も素晴らしい。今日はイカルト修道院にするかグレミ修道院にするか少し迷ったが,とりあえずグレミ修道院は充分に見る価値はあった。
石造りの家が多い
エニセリ村の家屋は石かレンガ造りのものが多い。特に自然石を組み合わせて造った壁面や塀は石の一つ一つが分かり,ちょっとした芸術作品のようだ。
三人組の女の子に出会う
橋を渡ってエニセリ村に向かう。橋の向こうで道路が分かれており,左はグレミ村に通じているようだ。村に入ると三人組の女の子に出会う。写真を撮って水が欲しいと言うと,そのうちの一人の家に連れて行ってくれた。
器量の良い子が多い家だ
とりあえず写真のお礼にヨーヨーを作ってあげる。このおもちゃはどこに行ってもすごく人気がある。男の子もいたのでつごう4個を作ってあげてから,「写真を撮って」が始まった。ハイハイ一人ずつ撮ってあげますよ。
その合間に母親がメロンを運んできてくれる。小さな女の子は二歳くらいの女児を抱えて写真を催促する。この子たちのおかげで楽しい30分を過ごすことができた。
村の中の小さい道を歩く
村の中の小さい道を行くとすぐに家屋は途切れ,ぶどう畑が目に付く。ぶどう畑は小さく区切られており,個人経営のようだ。ぶどうの品種はほとんど黒である。
この道は馬車の行き来が多かった。ちょうど昼食の時間帯だったので野良仕事から帰る人が多いようだ。こちらに向かってくる馬車にカメラを向けると,にこやかに挨拶をされる。このような挨拶を交し合うのはとても気持ちが良い。
モロコシ(ソルガム)に似ているが…
道路わきの畑に高さが2.5mくらいのトウモロコシに似た作物がある。金網に邪魔されて近くで観察できなかったがおそらく「モロコシ」であろう。モロコシは漢字では蜀黍,唐黍と書かれるアフリカ原産の穀物である。
学名からソルガムと呼ばれることもあり,中国では高梁(コーリャン)という。世界の穀物の栽培面積では第5位となっている。以前に「紅いコーリャン」という中国映画のビデオを見たことがあり,この穀物(日本では雑穀となっている)に興味があった。このようなところで見られるとは奇遇である。
スターリンはグルジア出身だ
村の共同水飲み場の上にスターリンの肖像が飾ってあった。そういえばスターリンはグルジアのゴリ出身である。非情な政治家として第二次大戦を戦い,多くの民族の悲劇を作り出したと非難されるスターリンであるが,グルジアではまだ英雄の地位を追われていないようだ。