雷山から東北に36kmのところにある西江苗寨(西江苗塞)はミャオ族最大の集落として知られている。ここには1100世帯,5900人の人々が住んでおり,そのほとんどがミャオ族のため「千戸苗寨」とも呼ばれている。もっとも西江鎮は単一の村ではなく,12の村を集めた行政単位である。
白水河が刻んだ谷が北西から南東にかけて開けている。北東の山の斜面を覆い隠すように木造家屋が密集しており,それを見るだけでもここに来る価値はある。谷の南東側は白水河の両岸の斜面にみごとな棚田が広がっており,ここもすばらしい見どころになっている。
斜面に建てられた木造家屋は「吊脚楼」と呼ばれている。斜面の傾斜をそのままにして家を建てるため,建物の前部分を支える柱は長くし,山側の後ろ部分を支える柱は短くする。半高床式住居で宙に浮いているように見えるので「吊脚楼」と呼ばれる。
西江は古くからの文化的な蓄積が大きく,銀飾り,刺繍などの工芸品は国内外の博物館で競って収蔵されていると言われている。斜面側の通りには土産物屋が軒を連ねていたが,印象に残っているものはない。そのような品物は人々の普段の暮らしの中で使用されているものなのであろう。
雷山(36km)→西江苗寨 移動
汽車站に停まっている西江行きのバスの運転手に発車時間を聞くと08:40だという。朝食をとり,宿で一休みをしてから外に出ると雨である。バスは屋根付きの駐車場にいるので問題はない。そのうち大雨になり,屋根伝いにバスまで行ける交通招待所にしておいてよかった。
それにしてもよく雨が降る。これだけの水分はどこから来るのであろうかと疑問に思う。海から1000km以上離れている内陸にあり,季節風があるわけでもない。樹木の多い山と大気の間で水のキャッチボールをしているのかもしれない。
川沿いの道を少し東に行くと棚田と古い街並みがある。斜面がゆるやかなので平地の水田のようだ。このような景色は黄里までに3ヶ所あった。道路は途中まで舗装されているがその後は砂利道になる。凹凸が少ないので意外と振動は少ない。
黄里から先は車酔い防止のためとなりの女性が窓を開けているので寒い。西江苗寨は雨模様である。少し手前の道から斜面に密集している集落が見える。すごい眺めだ。
バスは道路わきの狭い空き地に止まった。目の前に政府招待所と民族招待所がある。宿はこの他に新築のものがもう1軒あるだけだ。ただいま観光開発中といったところである。
民族招待所の部屋は6畳,1ベッド,T/HS共同,TVと机が付いて30元,まあまあ清潔である。僕の泊まった3階には10室くらい客室があるが,宿泊客はほとんどいない。
西江苗寨概観
荷物を置いて外に出ようとすると雨が降っている。しばらく部屋で横になり,雨が小止みになったので下に降りると服務員が折りたたみカサを貸してくれた。村の道路は白水河沿いにあり500mほど家並みが続いている。宿から北東側の道路は砕いた石が敷き詰められ舗装待ちの状態である。
川には2つの橋が架かっており,一つは中学校の前にある風雨橋である。これは新しいものでほとんど観光用である。その先の橋は車が通れるもので,雷山から来るときは南西の道路を通り,この橋を渡って到着した。斜面の大集落の写真を撮るなら,この南西の道路からがよい。
橋の南西側は川の両岸に大規模な棚田があり,村の食糧はここで賄われている。ざっと村の様子を見てから風雨橋を渡り小学校に行ってみる。昼休みのため子どもたちはほとんどいない。
「中国民俗博物館・西江千戸苗塞館」と記されている
この内容は大岩に記されているだけで博物館に相当する建物はない。おそらく西江千戸苗塞そのものが苗族の文化・習俗・生活を展示した(生きた)博物館ということなのだろう。
対岸の斜面から見た西江苗寨の全景
南西の道路から大集落の写真を撮る。よくもまあこれだけ密集して建てたものである。2つの山が家屋で埋め尽くされており,低いところではそれがつながっている。外敵からの備え,土地を最大限に農地にしたいということが理由なのだろうが,さながら斜面のテラスハウスである。
子どもたちの写真はまったく問題なかった
小さな子どもたちは写真慣れしておらず,カメラを向けると逃げてしまう。そのくせ,オリヅルを作ってあげるとたくさんの手が出てくる。
扇子をもったおしゃまな子もいる
再び小学校に戻ると低学年の子どもたちが校庭で遊んでいる。今度の子どもたちは数が多いので安心しているのか写真は撮りやすい。それでも友だちの陰に隠れてしまう子どももおり,カメラに対する反応はいろいろだ。
扇子を持った女の子の4人グループはほとんど物怖じしない。校庭のいろいろな場所で写真を撮らされた。
幼稚園(学前班)ではお遊戯の最中であった
教室に入ってみると学前班はお遊戯の練習中である。じゃましてはいけないので写真をとってすぐ退散する。
少し上ると川沿いの棚田の風景が見えるようになる
生活橋の南東側から家屋の密集する斜面の道を登る。広くはないが石段があるのでそれ伝いに上に登っていく。南東方向に川沿いの水田が広がっている。これだけでもすごい眺めである。水田の両側の斜面にははるか高いところまで棚田が続いている。あそからの眺望はどうなっているのかと胸が弾む。
川沿いの両岸に棚田が広がる
集落内のいくつかの分岐点を通りどんどん上に行くと,まだ1/5くらいではあるが,棚田の曲線がはっきりしてくる。すでにほとんどすべての水田に水が入っている。これだけの水をどのように供給しているかも興味のあるところだ。
さらに上ると棚田の景色が広がる
それにしても棚田のもつ複雑な曲線,水の反射はいつ見ても感動させられる。遠くてはっきりしないが,一部の田はすでに田植えが済んでいるようだ。集落内の石段はコンクリートが使用されている。それでも卵石の紋様はコンクリートに植えつけられている。
結婚式の家
一軒の家に人々が集まっている。家の庭に下りていくとおじさんに中に入れと勧められる。結婚式のお祝いだという。長いテーブルが2列に並べられ,ごちそうがよそわれるところだ。女性たちは次の間で食事の準備に忙しそうだ。
結婚式の素朴なごちそうが並んでいる
テーブルに坐っているのは男性だけだ。テーブルの上にはおかゆ,豚肉と唐辛子の煮物,豚を茹でたスープ,何か植物の根か茎と唐辛子の煮物がならぶ。さらに空いた茶碗に酒が入れられる。
お互いの茶碗を持ち合い交互に酒を飲む
一人の男性が口上を述べ,向かいの男性とお互いの茶碗を持ち合い交互に酒を飲む。これがミャオ族の習慣のようだ。客人にたくさん飲んでもらおうという気持ちはありがたいが,全く飲めない僕は何回か舐めさせられて閉口した。
皆さんと一緒に御馳走になってしまった
ごはんは正体不明のにがい茎料理(おそらくどくだみの地下茎であろう)以外はおいしくいただいた。しつこい豚の脂身も慣れるとちゃんと食べれるものだ。この頃になると女性も集まってきてなごやかな宴会になる。
子どもたちが入口のところに立っているのでフーセンをプレゼントする。子どもたちは外に出てすぐ別の子どもたちが入ってくる。この家の子どもも部屋の方から出てくる。まあ,フーセンはたくさんあるし,おめでたい席なので,僕も大盤振る舞いである。
結婚式の家の出窓は棚田のビューポイントである
この家の出窓からは棚田の景色がすばらしい。写真を撮るととなりのおじさんが出席者をとりなさいと言う。あリがたく何枚かを撮り,画像を出してカメラを回し見てもらう。
明日はもっと上から見学することにしよう
ここからさらに上に登ると棚田の風景もさらに広がる。高度差が無いため南東側の斜面の棚田はきれいには見えない。明日は直接,向こうの棚田に登ってみよう。帰りは集落の中の道を通る。
丘の斜面に上手に密集した家屋を建てるものだ
斜面に向かって右側の高い丘と左側の丘との間に小さな谷がある。向かいの丘は頂上まで家が建っている。集落の家屋を近くから観察すると,多くの家は「吊脚楼」のように半高床式にはなっていない。斜面の下の部分を石組みでカバーし,平地を作って家を建てている。
家屋が密集しているのは外敵から身を守るためであろうか
上側の舗装道路沿いには野菜の露店が並んでいる
集落から下りると川の北東側のメインスリーと斜面の間にもう一本の道があり,その両側が商店街になっている。この通りは石畳になっており,中央には卵石を使って動物や植物の絵が描かれている。
道端には野菜等の露店も出ており,民族服のおばさんの写真を撮らせてもらう。近くには豚肉を扱う露店もあり,値段を聞くと肉は11元/kg,ブロックは9元/kgである。この通りは宿の前でメインストリートと合流し,小さな広場になっている。バスはこの広場に停まる。
舗装道路に卵石を使って動物や植物の絵が描かれている
早朝市|カサもささずに客待ちをしている
翌朝も小雨が降っている。野菜売りのおばさんたちはカサもささずに客待ちをしている。風雨橋からショートカットして南西側の道路に行き朝の集落の写真を撮ろうとする。残念ながら近くの集落の煙突から盛大に煙が立ち昇っており,写真にはならない。
南東側の棚田の最上部まで上ることにする
生活橋を渡り棚田の探検に出かける。昨日は集落の横を上ったので,今日はもっと上流側の斜面を登り出す。棚田の1段は1-5mほどもあり,そのまま登ることはできない。しかし,作業用の小さな道があり,それをたどって上に行くことができる。道が無くなると等高線上の畦道を歩く。そのうち上につながる道が見つかる。
苗は小さく密植である
少し上ると大集落の北西部分が見える。この方角からだと全体の1/5くらいしか見えない。平地の水田はすでに田植えが終わっている。10cmほどの小さな苗が密植状態で植えられている。特に決まったラインはなく全くランダムに植えられている。
種を収穫した殻も肥料として利用されている?
他の水田では去年の切り株が残っており,それらはきちんと並んでいる。2種類の田植え方法があるということか。ここの斜面はそれほど急ではなく一枚の田が大きい。水を張られた田んぼに刈り取ったアブラナの束が入れられている。緑肥として鋤き込まれるのであろう。
棚田の最上部はまだまだ上だ
棚田にとって畦はとても重要だ。ちょうど階段のステップに相当するところなので,ここがしっかりしていないと棚田そのものが崩れてしまう。通常,畦は50cmほどの幅があるが,下の斜面が崩れて20cmほどのところもある。さすがにこれほどの規模の棚田になると斜面に石垣は造らないので,土を固めて斜面の崩落を防いでいる。
棚田の水はみごとな給水システムにより供給されている。畦道を歩いていると方々に小さな水路が流れている。一つ一つの水量はわずかなものだ。
この水路で斜面に広がる棚田の隅々まで水を行き渡らせているのだ。積算すれば広大な面積になる棚田も,わずかな水を長い時間かけて供給すれば水田になるらしい。
ここでは化学肥料も農薬も使用していないようだ。ふん尿の混じった家畜の敷きワラや下肥が使用されている。この斜面は集落からかなりの距離があるので,それらを天秤棒で運搬するのは大変な労力を必要とする。
カメラが壊れたときが旅の終わり
斜面はすべて水田というわけではなく,野菜やジャガイモの畑もある。野菜は虫食いのものが多い。それは無農薬あるいは減農薬の証でもある。
道はしだいに南東に向かい,川沿いの平地は無くなる。そのぶん対岸の斜面が近くなる。ゆるやかな斜面には60段くらいの水平線が走っている。ここが棚田の道の終点のようだ。
まるでそれを待っていたかのようにカメラのレンズが収納できなくなる。というよりレンズが出ている状態で故障してしまった。歯の治療,カメラの修理の条件が重なったので帰国せざるを得ない。不幸中の幸いは貴州の訪問地は西江が最後であったことだ。大集落,谷一面の棚田を撮れたのだからよしとしよう。
午後はカメラ無しで川沿いを歩いてみた。20人ほどの男性たちが鳥かごを持ち寄り,小鳥の鳴き比べをしている。見かけは地味な鳥であるが,まるでカナリヤのような立派な鳴き声である。
宿の裏手の道を上り大集落の中を歩く。小学校はすでに終わっているのに,集落ではほとんど子どもたちに出会わない。それどころか大人たちも農作業に出ているのか人の気配がない。
犬に吠えられて困っていたら少年が出てきて追い払ってくれた。これが縁になり彼の家におじゃまする。囲炉裏の部屋は土間になっている。家の主人夫婦ともう一人の男性がいる。少年にヨーヨーを作ってあげると酒が出てくる。さかんに勧められるが僕にとっては拷問に等しい。
続いてごはんになる。鉄鍋の中には豚の脂身と韮菜(チュウサイ)を煮たものが入っている。これをごはんと一緒にいただく。ごはんの後,僕はザックからビスケットを出して皆で分ける。
食べ物をシェアするのは楽しいことだ。家の主人は「よくミャオの家に来たくれた。歓迎します。ろくなもてなししかできなくて申し訳ない」と紙に書いてくれた。そんなことは決してありません。苗族の家のもてなしがとても嬉しく感じられる。