榕江(ヨンンチャン) (地域地図を開く)
榕江は凱里,黍平,从江,三都に向かう道路の交点に位置し,貴州東南部の交通の要衝の町である。北から南に向かって都柳江が流れ,それと平行して3本の道路が走っている。
南側には立派な商店街もある。汽車站の周辺には住宿の看板はあるものの外国人の宿泊は難しい。少し北側の東西道路沿いには賓館や安宿が多い。
榕江の「榕」は榕樹(和名:ガジュマル)を表している。町から5kmほど北に「車江古榕風景区」があり,そこの川沿いにはたくさんの榕樹が並んでいる。
榕江は凱里,黍平,从江,三都に向かう道路の交点に位置し,貴州東南部の交通の要衝の町である。北から南に向かって都柳江が流れ,それと平行して3本の道路が走っている。
南側には立派な商店街もある。汽車站の周辺には住宿の看板はあるものの外国人の宿泊は難しい。少し北側の東西道路沿いには賓館や安宿が多い。
榕江の「榕」は榕樹(和名:ガジュマル)を表している。町から5kmほど北に「車江古榕風景区」があり,そこの川沿いにはたくさんの榕樹が並んでいる。
从江(15:30)→榕江(17:40)とバスで移動する。从江の宿の2日目に公安のチェックがあり宿泊できなくなったため急遽榕江に移動することになった。
ミニバスの最前列の席に坐る。途中で水と魚の入ったビニール袋を桶に入れ,天秤棒で運んでいる人々が乗車した。桶は水平に置かなければならないので通路は桶でいっぱいになる。
当然,乗り降りのジャマになる。しかし,このようなとき運転手も乗客もまったく文句は言わない。バスが人と荷物を運ぶことは地元の地元の人たちにとっては当たり前のことなのだ。
川沿いの道をバスは時速70-80kmで走る。拷洞のあたりにダムがあり,上流部は広いダム湖になっている。榕江には17:40に到着した。
榕江の汽車站はかなり古びており,周辺の建物も古いものが多い。汽車站の南に広場があり「住宿」の看板がいくつか見える。しかし,どこも営業をしていないか,外国人宿泊不可である。彼らは一様に少し北側にある「利登来賓館」に行きなさいと言う。
行ってみると利登来賓館は立派なホテルである。受付の女性にたずねると部屋代は少なくとも200元,おまけに満室だという。しかたがないなと次の宿を探すため外に出ると雨が降っている。歩くにはちょっと強過ぎる。
ホテルの受付の前でしばらく雨宿りをさせてもらう。雨は次第に強くなり風も出てきた。時間だけが過ぎて行きだんだん暗くなってくる。40分ほどで雨は弱くなり,受付で「民政賓館」という名前を聞いて歩き出す。
広場に戻り北に行くと西に向かう道がある。この道をしばらく歩くと民政賓館が少し奥まったところにある。しかしここも満室と断られ途方に暮れる。
幸い通りの向こう側に「交通賓館」があり,ここは80元で泊まれることになった。部屋は10畳,2ベッド,T/HS付き,TVと机も付いており清潔である。たぶん昔は立派なホテルであったようだが,現在は料金に見合うものではない。
公安の名前の通り,ここは地域の警察が運営しているようだ。窓からは中庭が見え,事故でスクラップになった車両がたくさん置かれている。
町を一通り回ってから公安招待所をチェックアウトし,通りの東側に看板を出している春城招待所に行くと,2つ返事で部屋に案内してくれた。部屋は8畳,2ベッド,T共同,TVが付いており部屋は清潔だ。大きな窓もあり20元の料金は安い。ちゃんと住宿登記をしてベッドで一休みする。
これならば昨日も宿泊できたかもしれないと,ちょっと悔しい思いをする。唯一の問題点は部屋の外カギが無いことだ。宿の人は誰も入らないので大丈夫と言うがやはり心配だ。
7時に起床し今日の作戦を考える。午前中に榕江の町を見て,午後は車江に行く。公安招待所は午前中にチェックアウトし安宿を探す。安宿が見つからない場合は,そのまま雷山に移動する。
朝食をとり汽車站で凱里行きのバスをチェックする。ミニバスの本数は多いので時間は気にする必要はない。ミニバス(35元)と空調車(46元)と料金が異なることが分かった。
広場の周辺には道端に商品を置いている人たちが多い。籐のカゴ,竹の皮を編んだザルがたくさん並べられている。大きな円形のザルの中には中心部が膨らんでいるものがある。編み目も粗いので何か別の用途に使用されるのかもしれない。
川の風景を撮るために広場の東側の橋を歩く。町は土手ではなく石垣により川と分離されている。下流側には川,農地,山の風景が広がっているがガスと光量不足のため写真の写りは良くない。川と岸辺の一画が網で囲われアヒルの養殖場になっている。
露店をたどっていくと市場に出る。鮮やかな青色の民族服を着て,頭頂で髪を束ねたおばさんたちがたくさんいる。民族服の色は青と藍色の2種類がある。概して言うとお年よりは藍色が多いようだ。
屋根付きの常設市場の前にはテーブルが出され,油条,豆乳,スイトンなどの朝食メニューがある。特にスイトンはおいしそうだ。
市場の中には先ほど見かけた民族服の既製品がたくさんハンガーにかけられている。民族服も既製品を着用する時代になってしまったようだ。
近くの籠の中にはアヒルのヒナがたくさん入っている。小さなぬいぐるみが動いている様子はいつ見てもおもしろい。手を入れるとエサと勘違いしてさかんにパクパクとかじろうとする。あっ,いけない。鳥インフルエンザが流行っているので鳥に触ることはご法度だったのだ。
カゴの向こうには竹皮で編んだ動物を入れるための手提げタイプのバスケットが売られている。これは仔豚を入れるものだろう。
いちご屋があり5元分を注文すると袋にたくさん入れられ12元だと言う。少し戻してもらい10元分をいただく。宿で食べてみると甘みも酸味も少なく,水っぽい味だ。見てくれにすっかりだまされてしまった。
宿の心配が無くなったのでバイク型の乗り合い三輪車で4kmほど離れた車江に向かう。バケツを引きずって走るような音をたてて三輪車は動き出す。およそ20分で車江に到着する。料金は1元と格安である。
入口に「天下第一トン塞」と書かれた大きな鼓楼が塀で囲われている。中に入るためには10元の入場料が必要である。中に入ると21層の大きな鼓楼があり,門から鼓楼までは風雨橋を通る構成になっている。周辺にはトン族の人々の集落はあるものの,ここは明らかに観光用の施設である。
風雨橋は中央に塔楼が一つだけ置かれ,両側には龍の飾りが配されている。中国人の観光客を喜ばすには十分な仕掛けである。周囲は広場になっているので山を背景にした鼓楼は絵になる。周辺を回って何枚か写真を撮る。正面に回ると「三宝鼓楼」と書かれた額が掲げられている。
内部は太い柱と梁,厚い板と細い柱を複雑に組み合わせた構造になっている。建物を支える通し柱は16本でコンクリートの床の上に置かれた石の上に立っている。
最下層の屋根の内側を一周するようにたくさんの板絵が飾られており,まるで壁画のようだ。民族の生活や風景あるいは人物が題材となっている。
中央には太鼓が置かれている場所まで上れる階段がある。入口の戸が開いていたので上に上る。確かに直径1.5mほどもありそうな巨大な太鼓が置かれている。
その上の階に上がると屋根と屋根の間から周囲の景色を見ることができる。鼓楼の両側には古い木造家屋が密集している。道路の向こうには広い平な農地がある。貴州ではめったに見られない平地の風景である。
階段を下りていくと入口の戸が施錠されている。何ということだ,僕は鼓楼の中に閉じ込められてしまったのだ。周囲には人がおらず助けを求めることもできない。戸の上は乗り越え防止のために釘が飛び出している。これは困った。
仕方がないので階段の手すりに上り,戸を迂回するようにして下に降りた。入口は2階くらいの高さにあるのでちょっとした冒険になった。
鼓楼の先には榕江付近で都柳江に合流する川が流れており,岸辺には風景区の名前の由来ともなった古い榕樹の木が大きく枝を広げている。鼓楼から榕樹に続く道は細長い丸石が敷き詰められている。石は何らかの図形を描くように配置されており,地面にいろいろな模様を作っている。
一列に並んだ榕樹の右側には村の小道があり,その前にはほとんど流れを感じさせない水面が広がっている。石の上に板を渡した洗い場があり,藍染の民族服の女性が洗濯をしている。
川岸では2人の中学生くらいの娘さんがごはんを食べている。カメラを向けるととたんに真顔になってしまい,ちょっと写真としては面白くない。
村の小道はさきほどの細長い丸石が敷き詰められている。近くで遊んでいる子どもの写真を撮ろうとしたら,母親が出てきてリボンを付け,撮影の許可が出た。フーセンをあげるとしっかり所有権を主張している。
6才くらいの民族服の女の子が通りをやってくる。お礼のフーセンを出す間もなく,笑顔の写真を一枚残してさっさと通り過ぎてしまった。
この集落ではまだ糸を染め,布を織る伝統が残っているようだ。ところどころに白い木綿糸の束が干されている。路地の奥まった家の前で2人の姉妹がいる。姉は宿題をしていて手が離せないので,妹が洗濯の手伝いをしている。
彼女たちの写真を撮っていると母親と一緒に2人の子どもが出てくる。4人はいくらなんでもこの国では多すぎる。ここは大家族制の家なのかもしれない。
写真のお礼に4人分のヨーヨーを作ってあげる。その中の一人は石森章太郎のマンガに出てくる女の子にそっくりだなあと感じたが,あいにくその作品が思い出せない。
帰国後に記憶をたどってたとりついた作品名は「あかんべえ天使」であった。不思議なことに僕はこの作品を読んだことがないはずだ。にもかかわらず,一枚の画像や本の扉絵を見た記憶が同じような髪型の少女を見たことにより呼び覚まされたようだ。
村の小道をさらに行くと子どもたちが集まってくる。小学校高学年の子どもも混じっているので近くの家でオリヅルを教えてあげる。なかなか筋がよい。折るときのラインがきちんと決まっているので,もしかしたら他の日本人から教わったことがあるのかもしれない。 家の中ではおばあさんが機を動かしている。ここは写真を満足に撮れないうえに,子どもたちからはイークヮイ(1元)とかウージャオ(5角)と要求され早々に退散する。
幹線道路に出てみる。周辺には木造あるいはレンガ造りの家屋が並んでおり,田舎らしい雰囲気が漂っている。自転車の後ろに荷車を取り付けた車の隊列がやってくる。周囲の風景とよく合っておりいい絵になる。通りの榕江側には別の村があり,ぶどう畑が広がっている。
木造家屋の集落の向こうに低い山の連なりがあり,いかにも貴州らしい風景である。その先の川にはコンクリート製の橋が架かっている。ほとんど工事は完了しているが両側の道路ができていないため,橋には斜めになったはしごを上らなければならない。
少し下流側には古い木材や細い杉材を組み合わせた橋がある。低いところは水面から50cmほどしかないので水量の少ないときだけの橋であろう。
橋の向こうには斜面の上まで段々畑が続いている。こんなところでも畑にはビニールのマルチが使用されており少なからず驚く。帰り道の畑でトン族の民族服のおばさんが,これから作物を植えるためクワを使って草取りをしている。
再び幹線道路に出てその東側の広い農地を歩いてみる。ここだけは2-3km先の山まで貴州らしくない平地になっている。その多くは水田になっているが,現在はまだ田植えの準備も行われていない。一部が泥田になっているだけだ。畑になっているところも農作業などは見られずすぐに引き返すことになる。