17時30分|準備の整った信団鼓楼
肇興の村に戻ると舞台で歌と踊りの練習が行われており,周囲には村人が集まっている。意外と民族服の子どもたちが多い。近くの大鍋では食事の準備が進められている。
このときは2つのイベントの関係は分からなかったが,ごちそうの方は結婚式のふるまい,舞台の方は貴州省の紹介イベントである。
舞台のほうでは子どもたちがたくさん集まっている。正面には大人が集まっており子どもたちは道路の横にいる。そのうち退屈になったのか子どもたちは地面に絵を描いて遊ぶようになる。何人かは小学校で顔見知りになった子どもで,カメラを向けるといい笑顔になる。
17時45分|結婚式の大夕食会が始まる
大鍋の周囲ではごはんが始まった。テーブルが10個ほど出されその周りに村人が坐っている。僕は子どもの集まっているテーブルでいただくことにする。
おこわ,豚肉を煮たもの,トリを煮たもの,豚肉と野菜を煮込んだもの,コメのメン,炒めたピーナッツなどご馳走が並んでいる。甘いサイダーも出された。
チキンはとてもおいしいし,豚野菜煮込みもいい味だ,おこわと一緒にずいぶんいただいてしまった。一通りいただいたので本業の写真に戻る。食事の風景や子どもの写真をたくさん撮る。食べているときはみんな幸せな気分になるのかにこやかにフレームに入ってくれる。
子ども用のジュースもある(大人用はビールであった)
18時40分|食事が終わりオリヅルにする
鼓楼の下には小学校低学年の少女たちが遊んでいるので,まず写真を撮り,オリヅルを作ってあげる。さすがにこの年齢ではちゃんと折るのは難しくほとんど僕が折ることになった。この子たちは本当に日本人によく似ている。
ごちそうを食べ,写真もたくさん撮れたので子どもたちにお礼をすることにする。宿の下で場所を作り,宿の娘さんのクラスメートにヨーヨーを作ってあげる。
これが子どもたちに見つかり周りを取り囲まれる。25個ぐらい作ったところで宿のおばさんからストップがかかり本日の営業はそこまでとなった。
夜になると各家の前に赤いちょうちんが灯る。街路灯が無いのでなかなかの風情である。風雨橋から眺めると,川沿いの家も同じように赤ちょうちんが灯されている。川に灯りが写り灯篭流しのような錯覚を感じる。犯罪とは無縁の村なのか,子どもたちは夜遅くまで遊んでいた。
8時50分|結婚式の行列が始まろうとしている
7時に起床,村は軽くガスがかかっており,家並みの裏山はかすんでいる。いつ降りだしてもおかしくない空模様だ。宿の向かいの家では結婚式の準備が進められている。家の前にはたくさんの天秤棒をカゴが並んでいる。カゴの中にはいろいろな食品が入っている。ビールなどのビン類もある。
爆竹が鳴り女性は軽めの天秤を,男性は重い天秤をかついで歩き出す。爆竹は次から次へと鳴らされ耳をふさぎたくなるような音だ。この行列に付いて行くと何かイベントが見られたかもしれないが,舞台の方が気になって行けなかった。
午後に再び爆竹が鳴ったときには大量の嫁入り道具が天秤棒と大八車で運ばれてきた。まず稲束を天秤棒の両端に下げた女性が次々と到着する。続いてモミの入ったカゴを運ぶ女性やってくる。次に家具,テレビ,冷蔵庫,ベッド用のマットレスなどが人手に担がれてくる。
嫁入りの道具を村の人々に公開するのがこの地域の習慣のようだ。大量の稲束とモミが家の前に置かれ,家の人が袋に詰めている。家の向かいでは今日の労働を担ってくれた人々に昼食がふるまわれている。さすがの僕もここではいただけなかった。
このごはんは信じられないほどの黒さだ
代わりに宿の人と一緒に黒いごはんと鍋をいただいた。このごはんは本当に黒い。信じられないほどの黒さだ。食感はもち米のそれである。黒米はもち米の一種で,その種皮に紫色系の色素(アントシアニン)を多く含む。
したがって玄米は黒色でも5分づきにすると紫色になるはずであるが,今日のごはんは黒に近い紫色である。黒米をあまり精米しないで単独で炊くとこのようなものができるのだろうと感心しながらいただく。米粒の形はジャポニカ種(短粒)である。
この黒いもち米の秘密は貴州省のミャオ族の村を題材にしたNHKのドキュメンタリー番組が解き明かしてくれた。この村では田植えの儀式に際して「黒く炊いたもち米」を使用する。そのため,「黒いもち米の葉」と読んでいる木の葉の絞り汁を使ってもち米を炊くと,真っ黒に仕上がるという。なるほど,そのような仕掛けがあったのだ。ここはトン族の村であるが,もち米を常食する少数民族共通の文化のようだ。
日本では赤米や黒米は古代米といわれる。栽培稲作の起源は(現在判明している範囲では)中国湖南省のあたりで,およそ12,000年前頃とされている。湖南省の遺跡からは「芒(のぎ,野生種のモミに付いているヒゲ状の突起)」の無い栽培種のモミが発見されている。
稲作は8000年前には長江下流域まで広がり,6000年前にはおそらく漁労民により日本に伝えられたとされている。日本ではこの時代の地層から発見された「プラントオパール(イネ科の植物の葉に含まれる植物起源の微小なガラス状物質)」が稲作の証拠とされている。
この品種が熱帯ジャポニカと呼ばれる古代米であり,現在でも東南アジアの焼畑地帯では栽培されている。古代米は中国でも日本でも焼畑のような農地で栽培されていたと考えられている。
その後,中国の長江下流域ではおよそ5500年前に熱帯ジャポニカから温帯ジャポニカという大粒のコメに品種改良が進んだ。これはイネを湿地で栽培する手法が確立することにより生み出された品種である。
水田耕作により産み出された生産性に優れた温帯ジャポニカ種は中国大陸に広まり,3000年前には縄文晩期の日本にも伝えられ,熱帯ジャポニカ種と雑種を作りながら,日本の多様なコメ栽培を担うことになった。
西側の丘から水田の向こうに肇興の集落を眺める
舞台のイベントは夕方からになりそうなので西側の道を歩いてみる。少し高くなると水田の向こうに肇興の集落が見える。とてもいい絵になるが,惜しむらくは手前のコンクリートの建物がじゃまだ。少し先まで歩いたところで雨になったのであわてて村に戻る。
豚の塩ゆで,卵とトマトの炒め物,キューリのピクルスなど
服装はトン族風であるが頭飾り・胸飾りはミャオ族風である
歌と踊りのイベントを楽しむ村人たち
イベントがそろそろ始まるようだ。幸い村に着く頃には雨は上がった。舞台の上には「熱愛貴州,展示貴州,建設貴州」と書かれた大きな看板が飾られている。これからするとこのイベントは貴州の観光PR用であろう。
看板の後ろ(鼓楼の下)が出演者の控えになり,そこには民族衣装を身に着けた女性たちが待機している。ふだんの地味な民族服に比べると,まったく別のいでたちである。
銀の頭飾り,胸飾り,そして手の込んだ刺繍のエプロン,トン族の盛装はこんなに華やかなものだったのかと感心する。特に頭飾り,胸飾り,エプロンの3点セットの女性は最高のモデルになった。
テレビが入っており出演者を撮影するので,僕もそれに合わせて彼女たちのポーズを写真に撮ることができた。舞台は歌と踊りがが主な出し物で,出演者はまず口上を述べてから演目に入る。
観客は正面がイス席になっており,その後ろと道路側は立ち席になっている。演目が終了すると,出演者が全員舞台に上がり記念写真になる。
このイベントで盛装の民族服を見ることが大満足である
大人たちが帰っても子どもたちは残っている
イベントが終了すると村人は家に戻り,子どもたちだけが残っている。昨日と同じように鼓楼の下でオリヅル教室を開く。最初の一回は子どもたちも一緒に作るようにしたがどうも時間がかかり過ぎるので残りは一人で折ることにする。しかし,希望者が多くなかなか大変だ。
宿に戻るとイベントの出演者の皆さんがテーブルを囲んでいる
宿に戻るとイベントの出演者の皆さんがテーブルを囲んでいる。僕の宿は食堂も兼ねているのだ。記念写真を撮ると食事に招かれた。
野菜と豚肉の炒め物と鍋である。どちらもかなりトウガラシで赤くなっているが,それほど辛くはない。このところお呼ばればかりで,お金を払って食事をしていない。
酒の入った男たちが大小の蘆笙を吹いている
日がとっぷり暮れると蘆笙の音が響いてくる。外に出ると酒の入った男たちが大小の蘆笙を持って吹いている。基本的に二拍子の音楽で,集団は2組に分かれ,それぞれ相手に話しかけるあるいは応えるように鳴らし続ける