トン族最大の村でトン族の象徴である鼓楼と風雨橋が5つもある。5つの村を統合したためとも言われているが,5つの鼓楼を含む村のメインストリートは1kmほどしかない。
村は東西のメインストリートの両側に広がっており,その北側に川が流れている。鼓楼と風雨橋はセットになっており,川に風雨橋がかかり,メインストリートの近くに鼓楼があるという構成だ。
メインストリートはきれいな石畳になっており,周辺の建物はすべて伝統的な木造家屋である。宿も新しい木の香がただよいとても居心地がよい。
この村では特別なものを除きコンクリートの建物はご法度のようだ。そのおかげで村の景観はとても落ち着いたものになっている。トン族の村で人々の暮らしを見させてもらうには最適のところだ。
黍平(70km)→肇興 移動
7時に起床し,卵とトマトの炒め物で朝食をいただく。味は悪くないが油の使い過ぎのため1/3を残すことになった。汽車站に行くと肇興行きのバスは午後にしかない。
肇興の西25kmにある水口行きのバスは肇興を通るのでチケットを買おうとすると,服務員が外の駐車場に案内してくれる。すでに発車時間を過ぎているバスに乗り込む。
バスは片側2車線,まだ舗装されていない道路を南に進む。途中で普通の道になる。舗装状態が悪くひどい振動で,メモも書けない状態だ。工事中の区間も何ヶ所かある。
それにしても貴州ではどこを走っても平地が無い。皮林という村だけは巾1kmほどの平地に恵まれていた。まさに,「地に3里の平地無し」である。
農地の大半は斜面に作ることになる。斜面の農地は基本的に棚田となっており,高低差は100mくらいのところが多い。山の上部1/3は森林になっており,地域の環境は今のところ保全されているようだ
人手の入っていない山は原生林となっている。雨が多いので樹木はよく育つ。ゆるやかな山の連なり,広葉樹と針葉樹の混合林,それは日本の風景と酷似している。
短区間の乗客がたくさん乗ってくる。天秤棒から外された荷物がエンジンフードの上に置かれる。振動のため荷物はしだいにずり落ちてくる。何となく肇興が近いなと感じていたら,前方に飾り門があり,その先は木造家屋の並ぶ村になっている。
トン家旅館
村の通りに入るとすぐに大きな鼓楼が目に付く。そのまま東に向かい肇興賓館に行ったところ,少なくとも160元なので次を探すことにする。
西から2番目の鼓楼,これはメインストリートから少し奥まったところにあり道路との間は池になっている,の隣にトン家旅館がある。木造の3階建ての家で,まだ木肌が日に焼けておらず新しい。
30元の部屋は4.5畳,1ベッド,T/HS共同,十分に清潔である。部屋の中では木のぬくもりに包まれるようで心地よい。角部屋なので窓は2方向にあり,東側には洗濯物を干すための棒が突き出ている。
宿の人にお願いするとガスボンベの栓を開けてくれるので熱いホットシャワーも楽しめる。宿の1階は食堂になっており,2階は家族の部屋になっている。
智団鼓楼
村のメインストリートから池越しに見る
村は東から西に流れている川沿いにある。川の南側に村のメインストリートがあり,その両側と川の北側に家屋が密集している。
川沿いの家は木造の2階建てが多く,屋根裏部屋は物置のように使用されている。屋根は普通の瓦屋根で,屋根裏部屋は風通しのためであろうか半分オープン構造になっている。
メインストリート沿いの家も同じ構造であるが,こちらは3階建てが多い。家と家の間はほとんど隙間が無いので通り抜けられない。
宿の横の少し奥まったところに「智団鼓楼」がある。道路と鼓楼の間は池になっており,その右側がトン家旅館になっている。この鼓楼は9層の屋根をもち14本の柱で支えられている。
各層の下の飾り板には絵が描かれ,屋根の端の飾りには動物の像が使用されている。この先には西から順に興団,礼団,仁団の鼓楼がある。
礼団鼓楼には建物の大きさを表す表示があった。屋根は13層,高さは21.4m,床面積133m2となっている。内部から見ると鼓楼の上部に太鼓を置くための床が天井のように張られている。
構造用とは別に10cmほどの木を通した柱が立っており,これを登って太鼓床まで上がるようになっている。多くの鼓楼はもう太鼓を使用することは無くなっているのか,登り柱は付いていない。
子どもたちは写真慣れしており笑顔になる
観光客が多いため,子どもたちは写真に対する警戒感はほとんどない。カメラを向けると「あっ,写真だ」というように笑顔で指を指す。
メインストリートの北側はほとんどすき間なく家が並ぶ
信団鼓楼
11層でもっとも保存状態がよい
メインストリートのもっとも西側に11層の「信団鼓楼」がある。これは村で一番立派なもので,その横には舞台が設けられている。基本構造は今まで見てきたものと差は無い。下の2層は四角形,上の9層は八角形である。
屋根の端の反り返りと弓形の飾りも同じだ。正面(北側)から見ると,この鼓楼は各層の下に飾り板が取り付けられ,トン族の生活を題材にした絵が描かれている。第3層の下には彩色された龍の彫刻が飾られている。
信団鼓楼
設営舞台の上で男の子が遊んでいる
鼓楼の下には大きな木製のベンチが置かれており,老人がよくそこに坐っている。隣の舞台は男の子の遊び場になっている。なんとなく男女の遊び場が決まっているようで,女の子は鼓楼の下が本拠地のようだ。
川の両岸の風景
村の中央を肇興河が流れている。川の両岸には狭い道があり,人々の生活を見るならこちらの方が良い。川の水量はそれほど多くはないし,水もきれいではない。しかし,そこは地元の人の生活の場になっている。
川の高低差を上手に使い,50mおきくらいに小さな堰が設けられている。堰の上流側に水がたまり洗濯などに使用されている。ところどころに両岸を結ぶ丸木橋もしくは丸太を2本組み合わせ,その上に半分に切った小さな丸太を並べた橋がある。
そのような橋が架かっているところで子どもたちが集まっている。川にオールを大きくしたような板材が浮かんでおり,男の子がそれを組み合わせて筏を作って遊んでいる。カメラを向けると橋の上のギャラリーもいかだの上の少年もポーズをとる。
その少し先には風雨橋が架かっている。橋の基礎部分はコンクリートになっており,その上に橋が乗っている。屋根は鼓楼に比べてずいぶんシンプルな造りになっている。
川沿いの道は細長い丸い石を地面に並べた,石敷きになっている。石は地面に埋められており,頭の部分だけが表面に出ているので,砂利道などよりずっと歩きやすい。石はランダムに置かれているのではなく,一定の模様を描くようになっている。
肇興民族小学校
コンクリート製の卓球台
橋を渡って再びメインストリートに出て東に歩く。右側の奥まったところに民族小学校がある。広い校庭があり隅の方に総コンクリート造りの卓球台があり男の子が遊んでいる。ぼくもやらせてもらったが,ラケットのラバーが擦り切れておりドライブをかけるのがちょっと難しい。
北側には校舎があり,東側が幼稚園,西側が小学校になっている。もっともここでは幼稚園ではなく学前班というプレートが教室の前に出ている。幼稚園児を撮ろうとしていたら小学生が集まってきて合同の集合写真になる。
肇興民族小学校
背後の標語がおもしろい
小学校に通じる階段の上には「教育要面向現代化,面向世界面向未来」というケ小平の言葉が大きく張り出してある。彼の推進しようとした現代化はこの山村にも着実に入ってきている。その恩恵を彼らはいま食べているアイスクームという形で享受している。
村の東の外れから先は棚田の風景になる
メインストリートをさらに東に行くと川を横切り,その先は棚田の風景になる。そのまま道路を歩くとすごい棚田の風景に出会えるのだが,第一日目は用水路の横の小道を登ってしまった。
急な小道を登ると斜面の底にある30アールくらいの小さな水田がある。斜面は棚田になっているがまだ水は入っていない。正面の斜面に道路があり,その先には集落がある。
枝先にかわいい松ぽっくりが付いている
斜面のところどころにツツジの花が咲いている。白い花びらの内側にピンクの斑が入っており日本のものとそう違わない。杉の木は少し変わっていて,枝先にカラマツのような茶色の実を付けている。
シーソー式の籾摺り器
帰りにシーソー型の足踏み式の籾摺り機を見た。普通の籾摺り機は杵に相当する部分は木製であるが,ここのものは石の容器に石の杵である。
おまけにシーソーの支点を固定させる部分も石でできている。これだけ,木造建築に長けている民族がなぜこのような道具を使用しているのか疑問に思う。
(結婚式に備えて)蘆笙を調整する
礼団鼓楼の方から蘆笙の音が響いてくる。近寄ってみると鼓楼の下で地元の人たちが蘆笙の調整を行っている。ここの蘆笙は竹を材料にしている。尺八の胴のように先が広がった部材に穴を開け3-4本の音を発生させる竹(音竹)を差し込む。
音竹は胴部材に差し込まれる先端部以外の節はくりぬかれている。差込口と演奏者が指で押さえるところの2ヶ所に穴が開いている。胴部材の細い部分に節を取られた吹竹を差込み,全体として空気が抜けないようにする。
音竹の穴を指で塞ぎながら吹竹に吹くと音が出る。音の高低は竹の長さで変わるので蘆笙も大中小の3種類の大きさがある。音を響かせるため音竹の先端部には太い竹が取り付けられている。
ここの人々はそれらの笙がちゃんと鳴るかどうか調整しているところだ。これは近いうちに何かイベントがあるのかもしれないと期待が膨らむ。
長靴の形をした竹細工の道具
山作業用の鉈を入れるためのものである
肇興民族小学校
子どもたちの遵守すべききまり
なかなかよい被写体になるのだがどうもフレームがうまく決まらない。僕も先生の後を引き継いでヨーイドンをやってみる。さすが村の子どもは元気で足も速い。
教室を覗くと子どもたちはまだ授業中である
4時少し前に再び小学校を訪れる。教室を覗くと子どもたちはまだ授業中である。2人掛けの机に男女のペアで坐っている。窓が比較的大きいのでフラッシュ無しで写真にする。
小学校は少し高いところにあり甍の向こうに鼓楼が見える
先生がかけっこのスターターをやらされている
授業が終わると子どもたちは校庭に出てくる。生徒に人気のある先生が低学年の子どもたちにつかまり,かけっこのスターターをやらされている。
夕方の信団鼓楼
夕方になると西側の鼓楼の周辺には学校から開放された子どもたちが大勢集まる。特に舞台の上はかっこうの遊び場になっている。男の子は元気が良すぎていい写真にはならない。その点,女の子は行儀よく並んでくれて集合写真を撮ることができる。
お礼に鼓楼の下でオリヅルを教えてあげる。大きな木製のベンチがちょうど良い作業台になる。難しいところを何ヶ所か手伝ってあげ,なんとか全員ものにすることができた。このオリヅル人気はとても高く,もう少し付き合ってあげたかったが暗くなってきたので明日にする。
このときの教え子の一人が宿の子どもであった。夕食を済ませ宿に戻ると,家の人たちが夕食で集まっている。僕も食べなさいと誘われ少しいただく。女の子がかばんからオリヅルを取り出し,得意げに家族に見せる。下の子がそれを取ろうとダダをこねるのでフーセンで機嫌を直してもらう。
ガスのため太陽がかすんでいる
今朝は少しガスが出ているが雨はまあ大丈夫であろう。太陽は黄色と赤の日輪になり,ぼんやり光っている。朝食を探していたら近くのケーキ屋でマントウとおかゆが見つかり,おかゆを注文する。
出てきたものはごはんと炒ったコメにスープをかけた不思議な食べ物であった。固いものと軟らかいものが混在しているので食べずらい。どんぶり一杯でけっこうお腹がいっぱいになる。今日は地坪に行く予定なのでレーズンパン半斤を昼食用にいただく。
結婚式用の豚を計量しようとしている
礼団鼓楼の横の道には豚が集められており,その横では大鍋が用意されている。人々が豚の足をしばり,重さを計る。こんなとき豚はあらん限りの力と悲鳴で抵抗する。しかし,4人がかりにはかなわない。
物置から蘆笙を取り出す
オープンスペースになっている2階から蘆笙が降ろされている。今日は何か行事があるのかとたずねると明日だという。これで安心して地坪に行くことができる。
地坪に行ったら風雨橋はなかった
ケーキ屋の青年に教えられ9時過ぎの水口行きのバスに乗る。ほぼ満員状態で,そのうえ荷物の多い乗客のため通路がふさがれ乗り降りに時間がかかる。
道路は良くない。コンクリートの路肩はできているのに舗装されていない区間が続く。200mほど上ると棚田の雄大な景色が2ヶ所で見られた。
道路はますます悪くなり,工事区間も多い。市が開かれている村を通る。道路の両側に露店が並びバスの幅ぎりぎりである。通行人に注意を促すためか,乗客を集めるためか,バスは盛大にクラクションを鳴らす。
地坪は道路沿いに新しい建物が建ち,川の向こうに伝統的な家屋が残っている。その間には立派な風雨橋が架かっているはずであるが,修理中であった。橋の部材はきれいに解体されシートの下に保存されている。
対岸の橋の起点があったと思われるところには飾り門があり,そこから階段が続いている。「全国重点文物保護単位 地坪風雨橋」と記された石碑がある。左側は小さな集落となっている。
地坪
子供用のカラフルな民族衣装が吊るされている
幹線道路に戻り,コンクリートの橋を渡り,村に向かう。仕立物屋があり子供用のカラフルな民族衣装が吊るされている。前ボタンは付いていないで頭から被るブラウスと同色のスカートの組み合わせである。
橋の上を補助輪のついた自転車で2人乗りをしている。カメラを向けたらあいさつのつもりか舌を出された。橋の向こうの川沿いの道を子どもたちがやってくる。昼食のため家に戻るところであろう。この子たちはピースサインでポーズを取ることが多い。
地坪
この子たちはピースサインでポーズを取ることが多い
地坪
風雨橋は修理のため解体されていた
風雨橋のビューポイントと思われるところから集落を背景にして写真を撮る。近くには小中学校や集落はあるが特におもしろいものはない。早々に肇興に戻る。棚田のビューポイントではガスを通して標高差100mくらいの棚田とその中部に固まる集落の写真を撮ることができたのが今日の収穫である。
村の幹線道路を東に行くと棚田の風景が始まる
肇興の村の幹線道路を東に行くと棚田の風景が始まる。去年の稲の根っこがそのまま残る水田で,人々が農作業をしている。腰の後ろには長靴の形をした籐か竹を編んだカゴを付けている。この不思議な形は山作業用の鉈を入れるためのものである。今日は田の仕事のため鉈は入っていない。
棚田ではすでに代掻きが終わっている
近くの棚田は代掻きも終わり,田植えを待つ状態である。ところどころに赤くなった水田がある。それは水面が赤っぽいウキクサに覆われているものだ。
少しづつ視界が開け棚田が見えるようになる
少しづつ視界が開け棚田が見えるようになる。一つの丘を回りこむと270度の棚田の景色になる。道路の位置がそれほど高くないし,空気中の水分のために写真の写りは決して良くない。それでも雄大な棚田の景色に大満足である。
一つの丘を回りこむと270度の棚田の景色になる
道路を歩いていくと棚田の景色はどんどん変わっていく。それがおもしろくて写真の枚数はどんどん増える。もちろん道路の上の斜面も棚田になっているが見上げると階段状の斜面が見えるだけだ。
標高が上がると今まで歩いてきた道路が棚田の中央部を横切っていることが分かる。この棚田のかなりの面積は肇興の人々のものであろう。村からこれだけ離れた棚田で農業を続ける苦労が偲ばれる。
天秤棒でこの高さまで有機肥料を持ち上げる
道路わきには家畜の糞や敷きワラが入ったカゴが置かれている。村から天秤棒にかついで持ってきたものだ。荒起こし,代掻き,施肥,田植え…八十八の手間をかけてようやく米は収穫できるという。
枯れた菜の花を踏んで種子を取り出す
斜面の上ではおばあさんが菜種を取っている。刈り取ったアブラナを畑の周辺で干し,頃合を見て布かビニール・シートの上に置き,足で踏みつける。乾燥したさやが割れて菜種が出てくる。残った茎は家畜の飼料か堆肥にされることだろう。この山村では無駄になる緑は何も無い。