葉城は叶城とも呼ばれる西域南道のオアシスである。ちょうどカシュガルとホータンの中間に位置し,ここから西チベットに向かう新蔵公路が分岐している。街の中心は大モスクの周辺で,そこには近代的な商場とバザールが同居している。
左の航空写真ではタクラマカン砂漠の西側を半円形に縁どる緑の帯がタリム川の上流部である。崑崙山脈の雪解け水が流れ下り,西域南道と交差するあたりが葉城(叶城)である。
葉城ではヤルカンド川(英語版地図による)と呼ばれ,タクラマカン砂漠の北側でホータン河と合流し,そこからはタリム川と呼ばれている。タリム川は内陸河川であり,その終点はタクラマカン砂漠の東側のロプノール湖あたりである。
ヤルカンド川のもう一つの水源はカシュガルからのもので英語版地図ではカシュガル川と表記されている。カシュガル川も緑の帯になっているので航空写真で確認することができる。
インド亜大陸とアジア大陸の衝突により現在もタクラマカン沙漠の南側は少しずつ隆起しており,その影響でタリム川も1000年単位で見ると何回か河道を北に移動させている。そのため,ロプノール湖は生成と消滅を繰り返している。
紀元前1世紀の「漢書西域伝序」には「縦横ともに300里の鹹湖(かんこ)で冬も夏も水量が変わらない」と記されている。西岸には都市国家楼蘭が栄えシルクロードの要衝となっていた。
しかし,3世紀頃からこの地域一帯の乾燥化が進み,タリム川の河道の変化もありロプノール湖は縮小し楼蘭は急速に衰退した。このため,西域南道は一部区間の往来が困難となり,メインルートは天山南路に変わっていった。
ホータン→葉城(叶城)移動
ホータン(10:00)→墨玉(10:30)→沙安(14:00)→葉城(叶城)(15:30)と260kmをバス(31元)で移動する。この区間はバスの本数が多いので,適当な時間に汽車站の窓口に出向いてチケットを買う。
ミニバスは定刻通りに出発する。今日は日曜日なのでホータン郊外でバザールが開かれているようだ。ロバ車が数十台同じ方向に進んでいく。墨玉河はほとんど流れておらず水たまり状態だ。
昼頃から風が強くなり,砂がアスファルトの上をすべるように流れていく。工事区間では埃がひどいのでカメラはザックにしまう。振動もひどくザックの中の携帯用HDが心配だ。再び舗装区間になると,路面が砂で覆われ,視界も悪く危険な状態が続く。砂ぼこりの向こうから急に対向車が現れる。
葉城に近づくと道路脇を用水路が流れ,子どもたちが水遊びをしている。絵のような田園風景である。葉城(叶城)の汽車站に到着して周囲を眺める。宿泊施設は汽車站に隣接する交通賓館しかないのでそこにチェクインする。
交通賓館
交通賓館フロントの漢人のおばさんは,定価80元の宿代を70元以下にはしてくれなかった。部屋は2ベッド,机,T/S付き,どちらも清潔で快適である。汽車站は街の中心から少し離れており,周辺には食堂と露店があるだけだ。
大モスクの周辺
この街の情報はまったくないので,ヨーロピアンの旅行者に見どころを聞いてみると,大きなモスクだと教えてくれた。でも,そこまでは距離があるのでバスに乗って行きなさいと忠告された。汽車站からモスクまで2路のバスで4つ目の停留所である。
確かにモスクはあるが,すぐ近くに大きな商場の建物があり,風景を乱している。モスクの正面は道路から少し奥まったところにあり,右手前に大きな商場ビルがあり,左は小さな食堂が並んでいる。中央の空間はたくさんの露店が乱雑に占拠している。
人々の顔を観察するとウイグル系とモンゴル系が混血しているような印象をうけた。写真に対する嫌悪感も残っており,撮影には少し苦労することもあった。
商場の前の階段には大勢の人が日差しを避けて坐っている。カメラを向けたら一人のおじさんに指を指された。「おっ,写真を撮っているぞ」というような感じである。撮り終わると軽く会釈をしてお礼を言う。モスクはとくに変わったものではない。ここも入り口の階段には老人たちが坐っている。
バザールの食べ物
西域南道の町ではナンとパンが混在している。ここのバザールではナンよりずっと小さくて厚みのあるパンが主流であった。中には何も入ってないものと羊肉のあんが入っているものがある。
時間がたつとだんだん固くなるので焼きたてがおいしい。露店でパンを買い,食堂で羊の串焼きを注文して一緒にいただく。串焼きは小さいものを注文したのに,1本3元の特大が出てきた。まあ,おいしからいいけどね。さすがにこの昼食は重かった。
少年が氷水を商っている。茶色いものと白いものがあり,茶色いのは乾燥したナツメヤシを入れたもの,白いほうはヨーグルトと思われる。どちらも原料に水を加え,さらに大きな氷を入れたものである。
中国の氷の安全性にはちょっと疑問符がつくが,冷たい飲み物の誘惑には勝てなかった。茶色のものをいただく,一杯0.5元である。最初の一口をいただく,冷たい水が喉を通過する。ナツメヤシのほんのりした甘さが口の中に残る。これも甘露である。
石炭が主要燃料
道路の脇には石炭の販売所がある。急激な経済成長の続く中国はすでに世界第二位のエネルギー消費国となっている。2000年のエネルギー消費量は原油換算で約12億トン,これが2010年には16億トンに達すると予測されている。
中国の原油輸入量は年々増加しているとはいえ,エネルギー供給に占める石炭の割合は増加しており,2007年には76.6%に上昇した。世界的な原油の高騰により今後も石炭の比重は増すものと考えられている。
石炭は石油に比べ発生エネルギー当たりの二酸化炭素排出量は1.3倍ほど多い。天然ガスに比べるとおそらく2倍程度になるであろう。しかも,石炭には硫黄分が相対的に多く含まれている。
残念ながら中国の石炭の質はそれほど高くない。沿岸の大都市では,石炭の燃焼ガスによる大気汚染が多くの人々の健康を損なうレベルにまで達しており,呼吸器系疾患は中国の風土病になりつつある。
人口密度の小さい新疆はまだその影響は出ていない。うずたかく積まれた石炭を崩して袋に詰める。量りに乗せて料金を計算する。風が吹くと細かい粉塵が舞う。
村の子どもたち
葉城の中心部は近代化されているけれど,そこを少し離れると西域らしい風景に出会える。といっても僕は適当に歩く主義なので,町のあのあたりだったとは確定できないこともよく起きる。
舗装道路から枝道に入ると砂地になる。両側にポプラや柳の街路樹が茂っている。家の前には木組みの庇があり,下には縄ベッドが置かれている。とても雰囲気のよい通りだ。
子どもたちが止まっているロバ車の上に坐っていた。ポーズが楽しそうなので足を止めた。母親らしい人が家から出てきた。「ちょっと待っててね,いま写真を撮るから,はい,ありがとうございます」,この間は10秒くらいである。母親がロバ車に乗り,合図をするとロバはトコトコと動き出す。
シルクロードの風景
砂地の道はずっと先まで続いている。道の片側は柳の並木になっており,その横には水の流れていない用水路がある。家は日干しレンガで造られており,通りに面した壁には小さな扉がついているだけだ。
老人がロバ車に乗って少しばかりの埃を巻き上げながら,ゆっくりとこちらにやってくる。オアシスの時代の風景とは,このようなものであったにちがいない。
再び村の子どもたち
3人の女の子が木材の山の上で遊んでいた。写真を撮り画像を見せてあげると,お気に入りの場所で何枚かを撮らされた。一人が近所の子どもたちを呼び,すぐに10人以上の子どもたちが集まってきた。
はいはい,みんなまとめて記念写真を撮ってあげましょう。ということでちびっ子の集合写真になる。この子たちのモデル代はフーセンにする。この道では同じような集合写真を何回かとった。子どもたちは写真慣れしていないので,ほとんどが直立不動のポーズになる。
ふるい分ける
宿の前を町と反対側に1kmほど歩くと昔ながらの人々の生活が見られる。周辺の家はほとんど,日干しレンガでできている。ある家の前で家族総出で仕事をしている。。娘さんが乾燥させた植物をふるいにかけている。スパイスかハーブのようだ。
羊の串焼きに使うスパイスはこれなのかもしれない。ちょうどいい風が軽いゴミを飛ばしてくれる。カメラを向けると娘さんは恥ずかしがって横を向いてしまう。家族からちゃんとポーズを取りなさいと言われ,この一枚が撮れた。
トラクターで脱穀
6月下旬,西域南道沿いのオアシスでは主食となる麦の収穫が行われていた。手で根本から刈った麦を集め,トラクターで踏んで脱穀する。茎の部分は家畜の飼料や日干しレンガのつなぎとして使われる。
小石混じりの麦はふるいにかけたり,風で軽いゴミを飛ばす。家族総出のほこりだらけの作業である。麦の収穫の後,畑にはすぐトウモロコシがまかれる。綿の畑もあり,この時期の農家は忙しい。