吐魯番(トルファン) (地域地図を開く)
トルファンとはウイグル語で低地を意味する。ユーラシア大陸の中心部に位置しながらトルファンの標高は-154mと海面下のレベルにある。この地形的なトルファンは中国でもっとも暑い地域として知られており,夏の6-8月には40℃を越えることも珍しくない。古くからオアシスの町として繁栄してきた。
町の周辺は酷暑の乾燥地底であるが,北に連なる天山山脈の雪解け水をカレーズという地下水路を通して引いているので,町は緑の多いオアシス都市になっている。
トルファンとはウイグル語で低地を意味する。ユーラシア大陸の中心部に位置しながらトルファンの標高は-154mと海面下のレベルにある。この地形的なトルファンは中国でもっとも暑い地域として知られており,夏の6-8月には40℃を越えることも珍しくない。古くからオアシスの町として繁栄してきた。
町の周辺は酷暑の乾燥地底であるが,北に連なる天山山脈の雪解け水をカレーズという地下水路を通して引いているので,町は緑の多いオアシス都市になっている。
ウルムチ(10:00)→トルファン(12:30)とバス(30元)で移動する。宿から101路の市内バスに乗り,ウルムチ南車站に向かう。南車站がバスの終点だと思っていたので乗り過ごし,終点から帰りのバスで引き返して南車站に到着する。汽車站のゲートでキップのチェックを受けてバスに乗り込む。
道路は完全舗装で極めて良好である。町を出てしばらくすると大きな人工湖が見える。高度が下がると周囲は岩山の景色になる。気温がどんどん上がっていることが肌で感じられる。岩山が途切れるとれき沙漠になる。高度計は0mになり酷暑の世界が広がっている。
トルファンの汽車站に着くと日本語を話す客引きが寄ってくる。過去の経験からして彼らについて行っていいことはまず無い。しかし,トルファン賓館まで2元のタクシーで連れて行かれた。
チェックインのときウルムチのドミで一緒だった日本人女性が現れ,部屋で彼らの8ヵ所ツアーが300元と高いこと,CITSなら65元で回れることを教えてくれた。トルファン賓館のドミ(25元)はコンクリートの床,5ベッド,トイレは共同,シャワールームは別棟にある。全体的に清潔で居心地は悪くない。
ツアーの情報を集めるため帽子を被って外に出る。受付の横には天気予報の掲示板があり,今日の予想最高気温も表示されている。6月中旬で最高気温が39℃とは恐れ入る。
宿の前の青年路はぶどう棚になっている。中国では何かするときには徹底してやる。500mほどに渡り,石畳の道路の上にぶどう棚を作っている。道路と歩道の間にはぶどうが植えられ,みごとな葉を茂らせている。
6月の時点では実が膨らんできているいるものの,まだ食用にはならない。この地域のぶどうはマスカットのように緑色のもので,ほとんど干しぶどうになる。トルファンの酷暑と乾燥はぶどう作りにも,干しぶどう作りにも適している。
道路とぶどう棚の間には石造りのベンチになっており,ところどころに人々が坐っている。夕涼みや,昼間の暑い日ざしを避けるにはとても良い場所を提供してくれる。子どもたちもいるので,オリヅルを教えてあげる。磨かれた石の表面は折り紙にちょうどよい。
街をちょっと歩くと体から水分がしぼり出される。しかし汗はかかない。極端に乾燥しているため汗はすぐに蒸発してしまう。青年路と交差する老城路の西側には緑豊かな公園になっている。北京時間の7時を過ぎてもまだ5時前の明るさで,男性はずらりと並んだ縁台で中国将棋に熱中している。
夕方の散歩のとき夕涼みの家族に出会った。カメラをかまえると喜んでそれに収まってくれた。画像を見せてあげると驚きかつ喜んでくれた。
もっとも,トルファンではいくつかの不愉快な思いもした。現地価格を知らない観光客からふんだくとうとする輩は多い。スーパーマーケットのようなところでも2回もいやな経験をした。ツアー中の食堂では恐ろしい値段がまかり通っている。
07:00に起床して青年路の右側にある食堂でウイグル風の朝食をとる。店の主人は日本語を話し,彼に呼び止められてこの食堂にの前のテーブルに坐った。ナン,ミルク,野菜サラダのメニューで4元である。
今日はトルファン1日ツアーに参加する。料金は120元と日本語を話すグループに比べてずいぶん安い。ツアー客はカナダ人夫妻と中国語を話すイギリス人の青年である。ゆかいな人々で楽しい1日(と思っていたら2日ツアーになってしまった)を過ごすことができた。
トルファンの郊外にはたくさんの見どころがあり,ツアーに参加すると主要観光地を効率よく見ることができる。個人的にはのんびりと一人で回りたいところであるが,貸切のタクシーしか移動手段は無いので仕方がない。
最初に向かったには唐の時代に繁栄した高昌故城である。日干しレンガでできているため,現在では多くの建造物は風化し,土に還ろうとしている。車から降りるとロバ車が並んでおり,観光客はこれに乗って回るのが流儀のようだ。しかし,我々の一行は自分の足で見て回るためこれを断る。
中央アジアから西アジアにかけては「土」の建築文化圏である。ほとんど建築用の樹木が無いので当時も,そして近代になっても日干しレンガで家を造ることになる。雨の少ない地域とはいえ,日干しレンガはどんどん風化される。
歩き出すと崩れかけた泥の塊がどこまでも続いている。ところどころに塔のようなものが立っていたり,泥の塊の横に穴が開いていたりする。しかし,ほとんどは赤茶色の泥の起伏の風景である。
遺跡の中央部にある程度原型が残されている建物の残骸がある。観光客はみなここを目指し,記念写真を撮る。ドームの上部を水平に切り取ったような建物も残っているが,これは最近復元されたものであろう。回りには民族衣装を着たウイグルの物売りの少女たちがひまそうにしている。
唐代の墓,これはアスターナ古墳のことであろう。門を入ると塀に囲まれた広い敷地の中に見晴台があり,その周辺には十二支の動物像が配置されている。敷地の外に地下墓地とミイラが2体ある。まったく見る価値が無い。
仏教遺跡のベゼリスク石窟は川沿いの崖に刻まれていた。崖の中腹30mくらいのところに歩道がしつらえてある。ここからの眺望はなかなかのもので,下は河床の跡が残り,ポプラの林になっている。谷の向こうの斜面はむき出しの赤茶色で,緑の点すらない。
トルファン周辺はひたすらこの赤茶色の大地が支配している。ベゼリスク石窟はその後イスラム教徒の勢力圏になり,石窟の内部は徹底的に破壊された。
仏像も持ち出されておりその跡だけが残っている。外観はきれいに整備されているが,内部には本当に何も無く,かすかに残った壁画でがまんするしかない。
火焔山は西遊記で有名である。そういえばドラゴンボールにも出てきた。牛魔王の城があり,周辺には消えることのない炎が燃え盛っている。しかし,風のために砂埃がひどく,あの燃え立つような赤茶色の山肌は,目の前にあるにもかかわらず完全にかすんでいた。
観光ぶどう園,どうしてこんなところに20元を払わなければならないのか。古い民家と用水路,すもも畑,そしてぶどう棚があるだけだ。園内にはたくさんの品種の干しぶどうが販売されている。
日本ではコメにブランドがあるように,ここでは干しぶどうにブランドがあり,それぞれに名前が付いている。しかし,ブランド品はさすがに高い。やはり市場で無印良品を買うことにしよう。風が強くなってきたためなのか,ツアーはここで打ち切りとなり,続きは翌日ということになった。
ウイグル人の店で昨日と同じ朝食を食べ終わった頃,3人を乗せた車がやってきて本日のツアーが始まる。交河故城はその名の通り2つの川が交わるところにある。川は深く大地を削り高さ50mほどの崖を作っている。故城は2辺が崖になった三角形の台地に位置していた。
都市の防衛に適した土地であったことだろう。台地の端からは雄大な風景が楽しめる。河床の近くはポプラの林になっており,赤茶色の大地に緑が新鮮だ。足下は切り立った崖になっており,もろそうな大地にちょっと足がすくむ。
ここも風化した日干し煉瓦の凹凸が延々と続いている。高晶故城よりは原型が分かる程度に残っている。高さ5mほどの土の回廊があり,ところどころに小さな穴が開いていて,人工物だと分かる。中央部に石碑があり,崩れかけた塀に囲まれた,なにやらいわれのありそうな建造物がある。
方形の土台の4隅に太い方形の柱が立ち,中央にはストゥーパのような円筒形の柱が立っている。周囲には誰もいない。古のざわめきの代わりに,かすかな風の音が聞こえる。トルファン郊外の見どころとしては一番印象に残った。
カレーズ園は完全に観光用になっている。水の流れているカレーズの様子は分かるが,生活の匂いはまったくないのでつまらない。中国人観光客用に作られたテーマパークである。ここではウイグルの民族舞踊を上演していたが,20元の入場料にさらに20元を払う気は起きない。
モスクのような物は蘇公塔あるいは額敏塔と呼ばれている。1779年,この地を支配していたスライマン(蘇来満)が,父親エミン(額敏)のために建設したので,このような2つの名前が付いている。
墓とモスクを兼ねておりミナレットの高さは44mある。内部に入ることはできるがミナレットの扉は閉ざされていた。美しい外観の建物であるが最近の改修であまりにも新しくなり中国人好みのテーマパークになってしまったのは寂しい。
これで8ヶ所巡りは終了したが,ほとんどのものが中国人好みのテーマパーク化しており僕の感性には合わない。ガイドブックをなくしたことが悔やまれる。別れぎわに陽気なカナダ人夫妻がかけてくれた「この先もよい旅行を」という暖かいことばにちょっと感動する。
トルファン賓館の斜め向かいにある食堂の入り口に多くの着飾った人々が集まっている。結婚披露宴が行われているようだ。普段はちょっと難しいお年寄りの写真をとるチャンスだ。
まず,子どもたちの写真を撮る。スカートを広げたり,持ち上げるのがお決まりのポーズらしい。それを大人たちにも見せてあげ,写真に対する免疫ができたところでお年寄りを撮る。この作戦は大成功で民族衣装の何組かの老夫婦を撮ることができた。
ウイグル人の女性の写真を撮ることは難しい。写真に対する宗教的な禁忌は強くないが,あまり家の外に出ないからだ。イスラム世界では多くの家は壁や塀で囲まれており,その中が女性たちの生活の場となっている。
青年路から適当に曲がり歩いているときれいな水路がある。近くで野菜を洗っている子どもの写真を撮る。警戒心からかちょっと表情が硬い。隣では洗濯が同時進行している。このような田舎の風景はとてもなつかしい。
一軒の家の前にたたみ一畳ほどの広さの縁台があり子どもたちが遊んでいる。折り紙を取り出して作りかたを教えてあげる。家のおばさんが何事かと外に出てきて,不思議な遊びに見入っている。完成品が出来たら記念撮影になる。ピンクのブラウスを着た女の子は大の写真好きで何枚か撮らされることになった。