西安は地図で見ると中国の東側に位置しているが,漢民族の舞台としてはかなり西よりにある。かっての唐の都・長安はシルクロードの東の起点であり,古来から多くの商人や旅人がここから西を目指して旅立った。
しかし,現在の西安にはシルクロードの面影を偲ばせるものはほとんどない。町は急速に近代化そして観光地化され,古いものはどんどん新しいものに取って代わられている。
西安周辺には多くの史跡や遺跡が残されている。それらは中国政府により管理され,ほとんどがテーマパークのようになっており,歴史の重さを求めてこの地に来た旅人は,その光景に唖然とするかもしれない。
北京→西安 軟臥車移動
北京西駅(19:00)→西安駅(08:00)と1200kmを快速鉄道の一等寝台(軟臥車,417元=約6000円)で移動した。この夜行寝台列車はけっこう混むのであらかじめキップを購入しておくのが望ましい。この列車は中国の物価水準としては著しく高額であるが,日本から西安への片道航空券の値段を考えると,北京経由でこの列車を利用しても安上がりである。
北京駅の外国人専用窓口はどうしても見つからなかった。しかたがないのでキップ窓口の近くにある列車番号,発車時間,到着時間が記載された巨大な列車運行掲示板をチェックして,メモ(明天,北京→西安,19:00発,列車番号,軟臥,417元)を作る。
このメモを一般の窓口に出すと,あっさりと翌日のキップを購入することができた。国営企業時代のひどい窓口業務は影をひそめ,服務員はていねいに対応してくれた。この後,バスで移動するときも同じようなメモを窓口に出して問題なくキップは購入できた。
北京西駅は巨大でかつ空港のように近代的な建物であった。軟臥車の乗客用の待合室も立派である。発車の40分前にX線荷物検査と改札が始まった。ほとんど空港サービスと同じである。プラットホームに下りると車両ごとに客室乗務員が付いており客室に案内してくれる。
広軌鉄道のため4人用のコンパートメントはけっこう広い。上下に寝台があり下段の方が少し料金が高い。ベッドは清潔,エアコンが効いていて快適な一晩を過ごすことができた。それぞれのベッドの足側には液晶TVがあり6CHほどの番組を楽しむことができる。日本でもなかなかこれほどのサービスには出会えない。
時刻表の通りに08:00に西安に到着した。西安に近づくと車窓の風景は麦畑になる。黄土高原を思わせる丘が次々と現れる。そこでも段々畑により麦が栽培されている。畑の中にはお墓と思われる石碑や白い花輪が飾られていた。中国では土葬が多い。この土地に生きた人々は,自分の耕した土地の片隅に葬られるのであろう。
尚徳賓館
西安駅から出ると旅行とホテルの客引きがうるさい。とうとう英語のできる客引きにつかまり,尚徳賓館にお世話になることになった。西安駅前の広場の反対側に汽車站(バスステーション)があり,尚徳賓館はその右側の尚徳路の向かいにある。部屋(35元)は10畳ほどで4ベッド,T/Sは共同,お湯も出て清潔である。シーツは毎日交換している。
巨大な時刻表
西安駅の前には巨大な列車時刻表がある。日本人はこれで運行区間と時間が分かる。この表を見ながら乗車日時,列車番号,利用区間,座席の区分(注)をメモし発券窓口に出す。席があればその場で発券してくれる。残念ながら僕の希望の列車は「没有(注)」であった。
注1)座席区分は硬座(2等),軟座(1等),寝台は硬臥(2等),軟臥(1等)
注2)この場合の没有(メイヨー)は切符が無いという意味
西安は大都会
宿から鐘楼に向かって和平路を南に歩き出す。西安は大都会であった。シルクロードのかおりを求めてやって来た僕にはいささか拍子抜けの町並みであった。
片側3車線,歩道と車線の間にはバス停と共用の自転車レーンがある。近代的な町並み,そして交通量もずいぶん多い。中国経済の急速な発展はシルクロードの面影をすっかり過去のものにしてしまったようだ。
革命公園に立ち寄る
革命公園の近くで少しおなかが空いたので,肉まんを買って公園内でいただく。日曜日のためカップルと家族連れが多い。若いカップルはデートの場所が少ないのかこのような場所でいちゃついている。
子どもの塗り絵のコンテストが行われており,掲示板にたくさん張り出されていた。キティやポケモンのキャラクターに時代を感じる。
遊園地では家族連れが乗り物に乗っている。ほとんどが親子3人連れであるが,中には2人の子ども連れた家族もいる。新婚のカップルが写真撮影のためいろいろなポーズをとっていた。ぼくも便乗して一枚撮らせていただく。
鐘楼は大きな通りの交差点上にある
大唐の都長安の時代,この鐘楼の鐘が時を告げていたという。この角度から見るとその鐘は右端の石垣の上にある。日本のお寺の鐘に比べるとずいぶんかわいいものだ。
25年前のNHKシルクロードはこの鐘楼を起点にローマを目指す長い旅が始まった。西の道を行けば黄河を越えて河西回廊に入る。僕も同じルートをたどり蘭州を目指す。
しかし,25年の歳月は地域の街並みや人々の生活を一変させてしまった。旧シルクロードは街の風物をそのまま撮影してもすばらしいドキュメンタリーになったが,25年後の新番組は撮影対象を選定するのに大いに苦労したことであろう。
鐘楼の西側に鼓楼がある
鐘楼の西側に鼓楼があり,その周辺は土産物屋が軒を連ねている。「ミルダケ」,「ヤスイヨ」と日本語で声がかかる。
昔懐かしい一画
観光地化された一画からちょっと裏通りに入ると,レンガ造りの古い家並みが続き,昔ながらの人々の生活が残っている。鳥かごの小鳥たちは鳴き声の美しさを競っている。老人たちは仲間内のマージャンを心から楽しんでおり,反対側の歩道では人々が机を囲みお茶を飲みながら世間話をしている。
西安発近郊ツアー|木の美術館
西安の近郊には多くの歴史的遺跡があり,それらを訪ねるツアーは40-50元程度である。しかし,中国の観光地はほとんどがテーマパークのようになっており,僕の参加した6ヶ所の入場料は210元ととても高い。見ごたえがあるのは始皇帝陵と兵馬俑だけである。
西安発近郊ツアー|始皇帝陵墓
中国を初めて統一支配した始皇帝の墳墓は巨大な岡であった。近年,科学的調査により巨大な地下宮殿の存在が確認された。歴史書の記述通りなら大変なものが見つかるかもしれない。
始皇帝陵のふもとでは秦の時代の軍勢を模した行進が見られる。長い槍を持った一団,太鼓を持った一団,笙を持った一団がにぎやかに行進していく。テーマパークらしい演出である。
西安発近郊ツアー|兵馬俑
始皇帝陵墓から数kmのところに有名な兵馬俑がある。1974年西安郊外の農民が井戸の改修作業中に偶然発見した。それは始皇帝の墳墓を守る等身大の地下の軍隊であった。
春秋・戦国の時代,秦では国王が亡くなると臣下の殉死が慣例化していた。国を支える人々の損失を防ぐために,殉死を禁止し,代わりに焼き物の人形を陪葬したのが俑の始まりだと伝えられている。
現在でも発掘が行われており総数は6000-7000体と推定されている。俑は学校の体育館を何倍も大きくしたような建物に覆われている。整列した兵士を守る天井が崩れたため,多くの像は倒れたり壊れたりしている。多大の努力と労力を投入して修復が行われた。
絲綢路起点群像
バスに乗って街の西外れにある「絲綢路起点群像」を見に行く。西安のバス停の掲示板には路線と停留所名称が記載されているので,特に路線地図がなくても利用することができる。革命公園の横をまっすぐ西に進み,城門をくぐり,しばらくして目的の停留所名を確認して下車する。
ラクダを連れた隊商の石像が並んでいる。唐の時代,ここには開遠門があり,ここを出て旅人が西に向かったという。現在は石像の回りは金網で囲われ有料の公園になっている。別に中に入らなくても,外側から十分にその雰囲気は伝わってくる。
大雁塔
近くのバス停で路線を調べ,大雁塔に向かう。バス亭で下車したとき,ザックのファスナーが開いており,ガイドブックが無くなっているのに気が付く。落としたか,盗まれたか,いずれにしても困ったことになった。まあ,インターネットもあるしそれなりの情報は集められるだろう。
道路から大雁塔までは巾100m,奥行き300mくらいの巨大な公園になっていた。以前来たときはこの公園は無かったはずだ。ここにあった建物と住人はどうなってしまったのだろう。周辺の観光施設は現在も建設中である。大雁塔も中に入らず公園から写真にするのがちょうどよい。
小雁塔
大雁塔から2kmほど北西に歩くと小雁塔がある。崩れかけた先端部分が古いレンガ造りの家並みの向こうにそびえている。小雁塔の最上部は半分崩れた状態である。
周囲を回ってみたがそれほどのビューポイントは無い。代わりに子どもたちの写真が撮れた。漢人の子どもたちは写真慣れしており,ピースサインを出す子も多い。服装も日本の子どもとそう変わりは無い。