ヴィッタラ寺院の南門前のビシュヌ寺院
ハンピバザールを出発して1時間半をかけてようやくヴィッタラ寺院の南門に到着した。門構えから南が正門かと思ったら,東であった。ヴィッタラ寺院の南側には通りを挟んでビシュヌ寺院がある。この寺院も周壁をもっているが,ほとんど崩れている。周壁はレンガの構造体を挟むように石材が使用されている。ヴィジャヤナガル朝の石組み技術はかなり稚拙だったようだ。
この構造では長持ちしないのはあきらかだ。レンガの使用は造営コストを下げるためと考えられる。それにしては小さな寺院がハンピのいたるところにある。数を減らして後世に残るものを造ろうという考え方はなかったのだろうか。この寺院本体も石組みのまずさから正面右の部分に亀裂が入っている。また,石柱のレリーフも大したことはなくほとんど見る価値がない。
ヴィッタラ寺院の塔門
ヴィッタラ寺院の南塔門は下半分が石造り,上半分はレンガ造りとなっている。当然,耐久性がかなり異なるので上半分は風化がひどく原形がよく分からないほどだ。
レンガで骨格を造り,漆喰で形を整える手法は石の彫像を造るよりずっと手間がかからない。しかし,こと耐久性に関しては石よりずっと短い。ハンピの寺院は14-16世紀のものである。500年という年月は漆喰を落とし,レンガの地肌をむき出しにさせるのに十分な時間だったようだ。
チケット売り場と入り口は東側なのでそちらに移動する。入場料の250Rpは帰国を控えた現時点では大きな出費である。しかも,ロータスマハルと共通券になっていながら,有効期間は1日だという。駆け足の見学を強要させるチケットとなっている。オートリキシャを使用すると2ヶ所を1日で見ることは可能だが,歩いてアクセスすることに意地になっていることがあり,ちょっとつらい。
ヴィッタラ寺院の東塔門の上部もレンガ造りとなっており,同じように風化が進んでいる。最上部は欠落しており,こちらも原形は分からない。それでもその下の2層になった神像は風化から守られたのか保存状態はかなり良い。特に塔門の内側部分の神像は状態が良い。
ただし,長い間廃墟となっていたため漆喰の上にカビが付き,全体は真っ黒になっていたようだ。この写真にある部分は洗浄されたためオリジナルの地肌となっているが,中心から右の部分は黒いままである。ここを黒いままにしているのは,修復前の状態と修復後の状態を対比させるためなのかもしれない。
ヴィッタラ寺院は東西を基軸としている
ヴィッタラ寺院の主神はビシュヌ神とされている。15世紀に造営されたもので,それ以降も歴代の王たちにより手が加えられてきた。往時は寺院の周辺には街並みがあったとされている。google の航空写真で見ると確かに北側にはそれらしい痕跡が残されている。
周壁はおよそ東西150m,南北100mとなっている。この寺院の周壁は高さ1mほどの石造りのマウンドを造り,その上に壁と石柱で回廊を形成している。考え方としては周壁に沿って歩くことができるようになっているようにみえるが,回廊に登る階段は東側にはなく,北側にも1ヶ所しかない。塔門は西を除く三方向にあるが,各辺の中心にあるものは東塔門だけである。
塔門をくぐると本堂との間には,車輪が付いた山車型の小さな祠堂があり,本堂に向かって象に引かれる構図となっている。東塔門,車輪の祠堂,本堂は一直線に配され,この寺院の基本軸になっている。これら3要素は基本軸に対して左右対称の構図となっている。それに対して周壁内にある4つの祠堂は基本軸に対してランダムに配置されている。
本堂はおよそ東西80m,南北40mの大きさであり,東側はいくつかの角をもった半円状,その西側は少し幅の狭い長方形となっている。東側から前殿,前室(拝堂),本殿の配置となるので,聖室は最も西側となる。本殿上部の塔構造は正面からわずかに見える程度の控えめなものである。東側部分の雰囲気はハッサンやマイソールの近郊に残されているホイサラ朝の寺院に類似している。
車輪が付いた山車型の小さな祠堂
ヴィッタラ寺院の見どころの一つは東塔門と本堂の間にある車輪が付いた山車型の小さな祠堂である。造営時にはなく,16世紀前半に追加されたとされている。この祠堂は山車を二頭の象が本堂に向かって引いている構図となっている。象との大きさを比較するとこの祠堂はとても大きいことになる。
本堂の入り口手前に主神の従者や乗り物である動物の像を置くことはまったく珍しくない。バザール近くのヴィルーバークシャー寺院は東に500mも離れたところにナーンディ像があり,その間は参道になっている。
ヴィッタラ寺院の主神はビシュヌ神であり,彼の乗り物はガルーダである。にもかかわらず象の引く山車が置かれたのはユニークである。と思っていたら祠堂の中にはガルーダの像が納められていた。なるほど,山車はガルーダのための小神殿という位置づけなのだ。
前殿の石柱はユニークだ
前殿の石柱は「象に引かれた山車」と並んでこの寺院のハイライトである。石柱はいくつかの種類がある。四角柱の四面に彫刻を施したもの,四角柱の中ほどのところを複数の円柱に加工したもの,四角柱の四辺に複数の円柱を使用した飾り柱が付加されているものなどがある。
これらの石柱は全体が一体となっており,大まかな形で石材を加工し,それから細かい装飾を施したようだ。中にはレンガ状の石材を積み上げただけのものもあり,これは場違いなものなので修復時の補強材であろう。
この石柱には密度の濃いレリーフが装飾されており,ガイドブックにあるように「柱や天井の精緻な彫刻はハンピでも群を抜く」という表現は正しい。ただし,タミールナドゥやマイソール近郊の寺院に比べると傑出したというものではない。
前室は屋根が落ちていた
前殿と本殿を結ぶ前室は天井が落ちており,立ち入り禁止となっている。ここにもレンガ状の石材を積み上げた柱があり,やはり修復時の補強材なのであろう。
崩壊を食い止める
本堂以外の寺院も崩壊の危機に瀕しており,建物の一部に亀裂が入っているものもある。崩壊を食い止めるため,建物の壁の外側に控え壁(バッドレス)が付加されている。この材質は本堂の補強材と同じ材質となっている。
石の切り方
川岸の巨石のすき間に人々が入っていく。中には何かが祀られているようで,人工の構造物の一部が見える。巨大な岩とそのわずかな空間に聖なる場所を求める気持ちは世界で共通しているようだ。
ハンピの周辺にある巨大な岩はほとんど硬い花崗岩である。寺院建築にはこの石材が使用されている。巨石の転がっている岩山で人工的に割った岩を見つけた。切断面に沿って岩に小さな穴をあけている。そのあと,何らかの方法で衝撃を与えると,穴に沿って岩が割れるようだ。
マータンガ山の途中から眺望する
参道を通ってアチュタラーヤ寺院に向かい,途中からマータンガ山への登り口はないかと探してみたが,東側と西側にしかないようだ。
代わりにナーンディ廟の上部から東に伸びる参道を眺める。500mほど先にヴィルバークシャ寺院の塔門があり,そこまでが参道ということになる。現在のハンピバザールは塔門の東側にあり,その北側に流れるトゥンガバドラー川との間がツーリストエリアになっている。参道の左右にある一層もしくは二層の構造物はオリジナルの参道の一部であろう。現在はバザールに近い部分は地域住民の居住空間となっているところもある。
山羊はやはり岩場が得意だ
このあたりの岩場はヤギの放牧地となっている。岩場に生える乏しい植物,その多くはトゲで武装しているがヤギはものともせず食べている。岩場の上からヤギの一群が降りてきた。けっこう大型種のヤギであり,子ヤギも多い。
丸くなった岩は足場に乏しいが,彼らは強い足で岩場を飛びまわっている。子ヤギも岩場で飛び跳ね足を鍛えているかのようだ。ヤギはやはり山羊と書くように,山岳地域に適した動物である。
大きな岩の上に立つヤギはいい絵になるので何枚か撮ることになった。ヤギは急峻な岩場を簡単に移動できるが,飼い主はそうはいかない。彼らはヤギの群れからはるかに遅れて,迂回路を通ってやってきた。
昼食
バザールに面した日本語の書かれた食堂でターリーをいただく。当初の目的メニューはオムライスであったが,フライドライスの上にオムレツを載せるという内容を聞いて変更することになった。ここのターリーはごはんとチャパティがつており,僕にはごはんだけで十分な量だ。
背後に壁がないのでいつも逆光になるガネーシャ象
雲が多く風が強い。午後に一雨あるかもしれないと思いながら,バザールのゲートを通り南に歩き出す。仮に雨に遭遇したとしても午後の雨は1時間ほどで止むのでどこかで雨宿りをすればよい。
ヴィルバークシャー寺院の南側の岩場の裏側が見える。岩場の下は整備されて公園になっている。そこに大きなガネーシュの像が置かれている。この時間は逆光になっており,きれいには撮れない。そのときは太陽の方向との関係かと考えたが,この像は天井はあるのに背後の壁がないので,いつも逆光状態となってしまい写真写りは良くない。
道路が周壁と交叉している
ガネーシャ象の少し先で道路はY字に分岐しており,右に行くとホスペット,左が王宮地区やカマーラプラム村を経由して右の道路に合流している。ホスペットからバスで来るときはカマーラプラム村を経由したようだ。
この道路はビシュヌ寺院の敷地内を堂々と通っており,そのため寺院の外側の周壁の一部は削られ,石柱と屋根を組み合わせた構造物に代わられている。世界遺産の遺跡にこんなことが許されるのか疑問に思う。道路を周壁の西側だけにしてもたいしたことではないと思うのだが…。
周辺はバナナとサトウキビの農園となっている
王宮地区を目指していたのでクリシュナ寺院とシヴァ寺院は飛ばして先に進む。遺跡の中をバス道路が走っており,2ヶ所で交差している。道路の周辺はハンピでは珍しい農地が広がっており,バナナ,サトウキビなどの畑になっている。花崗岩が風化した貧しい土地を植物は時間をかけて豊かな土壌に変えた。
道路の両側にココヤシが並木のように並んでおり。風が強いので葉ずれの音がすごい。まるで雨が降っているような音になる。宿のすぐ外にもココヤシがあり,葉ずれの音で雨かとびっくりすることもあった。
まるで巨人が積み上げたような岩
道路は岩場に入り軽い上りとなる。道路の周辺には巨石のオブジェがいくつも見られる。有名なものは2つの巨大な岩が互いに支えあうように立っている「Sister Stone」であろう。個人的には写真にある積み木のような造形の方がずっと感性に響いてきた。
自然の造形は物理と化学の作用により驚くようなものを出現させる。しかし,自然界においてはすべてのものは変化するものであり,「Sister Stone」も「積み木の造形」も千年後にはこの形を保ってはいないだろう。すべてのものは変化する,にもかかわらずそれに執着するところから悲しみや苦しみが生まれると2500年前のブッダは説いた。
王宮地区
この寺院のところで左に折れるとハザララーマ寺院に出られる。にもかかわらず案内板はないので最初は通り過ぎてしまった。「Underground Temple」は現在も発掘中のため中には入れない。確かに寺院の基部は地下にある。最初からこのような構造の寺院を造営したとは思えないので,ちょっと謎だね。
王宮地区の一画にはイスラム建築が残されている。案内板には「Mohammadan Watch Tower」と記されていた。16世紀にハンピを攻略したイスラム勢力は町を破壊し,王宮の近くに自分たちの建造物を残したようだ。
展望台から見る貴族の住居地区
案内板があるのでそれと分かった。といっても住居の基部だけが残されており,展望台から見ると広大な空間に基部の石組みが残されている。
ハザーラ・ラーマ寺院
ハザーラ・ラーマ寺院は大きな塔門をもった寺院である。ここにたどり着く直前から雨になり,1時間以上ここに閉じ込められた。そのため塔門や本堂の外側の写真は撮れなかった。本堂の前室は多柱式となっており,いずれも全面が精緻なレリーフで飾られており見ごたえがある。しかし,雨のため外側の写真は撮れず悔しい。
ハザーラ・ラーマ寺院の前室は石柱の間となっている。ここの石柱は精緻なレリーフが刻まれ,黒に彩色されている。本来は真っ黒のはずであるが,細かな土砂が舞い込み,レリーフの線を茶色に染めているため,艶めかしさを演出している。個人的にはハンピの彫刻ではこの石柱が最高だという印象をもった。
ハザーラ・ラーマ寺院は厚い周壁に囲まれており,その外側には壁面いっぱいにレリーフが施されている。この周壁のレリーフも見事である。周壁はレンガの構造体を芯にして両側に石材を積んでいる。積み上げられた5段の石材の1段ごとに異なる題材のレリーフが刻まれている。
上2段は女性の踊り子,3段目は楽師と兵士,4段目は馬を引く人々,5段目は象の行進となっている。イスラム勢力からの防衛拠点であった「勝利の都」にふさわしい行列が延々と続いている。同じ題材のものでもすべて異なる動きで表現されており,職人たちの情熱が伝わってくるようだ。
15:30に到着してからずっと雨が降り続いており入り口の建物に避難した。それほど強くはないもののカメラはザックにしまわざるを得ない。だんだん暗くなってくるのでどこかで区切りをつけてバザールに戻らなければならない。この寺院の周辺にはオートリキシャーもいない。17:30,ザックカバーを引き出してしっかり本体を覆い,長袖を着て雨の中を歩く。
なかなかみじめな気分だね。雨はたいしたことはないとはいえ,しだいに濡れてくる。雨と風が一緒に攻めてくるので始末が悪い。バス道路に出て雨宿りのできるところで二回休憩し,二回目の休憩のとき乗り合いリキシャーに拾われた。バススタンドで料金の5Rpを払う。すると誰かが僕の袖を引く。振り返ると一緒に乗ってきたサルがお金を要求しているようだ。これには苦笑せざるを得なかった。
マータンガ山からの眺望
ナーンディ像の前で右に折れるとすぐにマータンガ山への登り口は見つかった。周辺は大きな岩塊がごろごろしており,深いクレバスもある。足を滑らせて落ちたらまず助かりそうもない。道はそのようなクレバスを岩で埋めて先に続いている。大きな岩には下から石段を積み上げて登っていく。先に巨大な岩の壁がありここで道は終わりかと思ったら,その岩の手前に狭い道があり,先に続いていた。
その先は岩の表面を削ったステップを注意しながら登ることになる。足を滑らせたら100mほどジャンプすることになる。カメラはたすき掛けにして両手を使って慎重に登り寺院に到着した。ここは頂上のすぐ下にあたり,頂上に行くにはステップのない片斜面の岩の上を歩かなければならない。さすがにこれは命がけの行為になるので引き返すことにした。
ここからの眺望も大したものだ。ヴィルヴァーグシャ寺院の塔門からまっすぐ伸びるハンピバザールが一望できる。バザールから東に伸びる参道の両側はココヤシの林となっている。トゥンガバドラー川のゆるやかな流れの東側には昨日訪れたアチュタラーヤ寺院への参道が人工的な直線となっている。寺院本体は岩にジャマされて見えない。また,昨日おとずれたヴィッタラ寺院の塔門が小さく見える。
川の北側には岩塊を積み上げてような山が断続的に続いている。山の一つに蛇行しながら白い線が頂上に向かっており,これは登山道のようだ。しかし,風が強くなり雨がぱらつきだした。失礼して1坪ほどの何もない小さな寺院で雨をしのがせてもらう。降りるときも風が強くてかなり神経を使った。ともあれ,ハンピの半分を眺望することができて満足である。
クリシュナ寺院
ハンピでは雨の合間に観光する状態であった。そのため,いくつかの寺院や遺跡を見ることができず,残念なことをした。クリシュナ寺院はハンピバザールから南に500mほどのところにある。寺院は二重の周壁に囲まれており,外側はおよそ東西150m,南北100m,内側の周壁はおよそ東西100m,南北75mである。
塔門は内周壁の東・北・南側にある。東側が入り口となっており,外周壁にも東門がある。ところが,その間にバス道路が走っており,外周壁の東側は一部を除き痕跡だけとなっている。東門から東に向かって500mほどの参道があり,その北側には沐浴池がある。現在は沐浴池と参道の両側の石組みの一部が残されている。
クリシュナ寺院の塔門は下半分は石造り,上半分がレンガでできている。そのため下半分はしっかりしているが,上半分の傷みは激しい。特に塔門の外側はひどく,内側はそれに比して程度は良い。おりからの雨により,レンガの塵が上半分を朱色に染めている。
塔門内部の石柱のレリーフは保存状態は良く,細かいところまでよく観察することができる。クリシュナ寺院でも雨に降られ,塔門の石の上でしばらく待機することになる。することがないので,周辺のレリーフを眺めて過ごす。
塔門をくぐると正面に本堂があり,周辺には複数の小祠堂がある。本堂の周囲は壁と列柱からなる回廊になっているが,一部を除き残っていない。本堂の前殿は壁のない多柱式の空間となっており,石柱の前面に多くの神々のレリーフが刻まれており,見ていて楽しい。
前室(拝堂)も多柱式の空間となっており,石柱には前殿と同じような素材のレリーフが刻まれている。残念ながら暗くて写真にはならない。聖室には現在はなにも置かれておらず,そのため前室までは靴で入ることができる。
ナラシンハ像
シヴァ寺院は床面積8畳ほどの小さな建造物で,中には大きなリンガが置かれている。近くの用水路から水を引いており,リンガは水の上に浮かんでいるように見える。シヴァ寺院の近くにナラシンハの大きな像がある。周辺は天井のない壁で囲まれており,ナラシンハの像は壁よりも高くなっている。正面の部分は壁がなく,柵で仕切られており,そこから写真を撮ることができる。
再び雨が降り出す。モンスーンの雨は本当に好き勝手に降ってくれるので行動の制約が大きすぎる。シヴァ寺院の近くの屋根付きの建造物の下で雨宿りをする。雨が小止みになったので歩き出そうとすると再び降り出した。天気の変化がまったく読めないので,南の遺跡群を見ることはあきらめて宿に戻ることにする。
保護色のトカゲ
参道の北側には放置された沐浴池があり,そこを訪れるのは水鳥くらいのものだ。近くにはカワウやサギの仲間が羽を休めている。人との関わりが強いのか,非常に警戒心は強い。周辺には多くの石材が散らばっており,その色に溶け込むような体色のトカゲがいた。体の半分ほどの長い尾をもっている。こちらはのんびりとしたものでかなり接近して撮影することができた。
クリシュナ・バザール周辺
東門から東に向かって500mほどの参道があり,その北側には沐浴池がある。現在は沐浴池と参道の両側の石組みの一部が残されている。ガイドブックには「クルシュナ・バザール」と記されていた。外周壁の東側は痕跡だけになっており,そこから参道に下りる石段が続いている。
参道の両側は石柱と天板を組み合わせた回廊になっており,常識的には一般の参拝者はここを通ったものと考えられる。二つの回廊の間の広い参道は騎乗あるいは馬車などの乗り物が通行したものであろう。この参道の正面にはレンガ色に染まり少し赤っぽいクリシュナ寺院の東塔門がある。この寺院へのアクセスを容易にするため東側に道路を通したと推測される。