クンバコーナム
タンジャーヴールから北東に37km,カーヴェリー川沿いに位置するチョーラ朝(845年頃-1279年頃に南インドを支配したタミル系のヒンドゥー王朝)の古都である。
デカン高原から東に流れ下ってきたカーヴェリー川はクンバコーナムのあたりで扇状地を形成し,いくつかの支流に分かれている。このような土地は農業に適しており,古代から地域の中心となってきたことは想像に難くない。
実際,カーヴェリー川の流域にはティルチラパッリ,タンジャーヴールガンガイコンダチョーラプラム,ダーラースラム,チダムバラムなどドラヴィダ文化を現在に伝える古都がいくつもあり,世界遺産に登録されているヒンドゥー寺院も多い。ヒンドゥー文化に深く浸りたい旅人にはお勧めの地域である。
タンジャーヴール→クンバコーナム移動
宿の前の近距離バススタンドからクンバコーナム行きのバスが出ている。ガイドブックには「日中は15分毎に」と記載されており,確かに5ほど分待っていたらバスが来た。
そのバスがクンバコーナム行きかどうか僕には分からない。案内所かチケット売り場の人が「ほら,あれだよ」と教えてくれた。バスは珍しく空いており,荷物を座席の上に置き2人分の座席を占拠していた。
町を抜けると水田の風景が現れる。乾季の今は水の制約があるので田植えが終わっている面積はそれほど広くは無い。濃い緑の苗床はたくさんあり,雨季が始まるとこの辺りは一面の水田になるのだろう。
乾季の今はどうやって水を工面しているのであろうか。一ヶ所だけ太いパイプから水田に水が注がれているところがあった。やはり地下水を使用しているのかな。
Pandian Hotel(Guest house)
大きな寺院の周壁が見えたのでとなりの乗客にたずねると「クムベーシュワル寺院」ということだったのでそこで下車する。
バススタンドは町の東の外れにあり,宿はこの近くが探しやすい。バス停から予定していた宿までは500m以上もある。35度を越える暑さの中で荷物を背負ってこの距離を歩くのはずいぶんしんどい。「Pandian」に到着したときはロビーのイスに荷物を降ろし,呼吸を整えることになった。
幸い部屋はありチェックインすることができた。190Rpのシングルの部屋は6畳,1ベッド,T/S付きで清潔である。机とイスがあり,これはパソコン作業にちょうどよい。シャワーはヘッド部分がなくパイプから直接水が出てくる。インドのシャワーヘッドのできは不合格のものが多く,ここのものはそのようなヘッド付きのものよりずっと使いやすい。
サランガバニ寺院の入り口周辺の巨大な山車
宿のすぐ東にはサランガバニ寺院があり,寺院の参道の始まる交差点に巨大な山車が置かれている。山車は金属製で重さは何トンあるのか検討もつかない。
4つの巨大な車輪が付いており,前の車軸に取り付けられている太いロープを引くと動くようになっている。この巨大な山車はクムベーシュワラの大祭で町の中を引き回される。
日本でも神輿を乗せた山車が街中を引かれる祭りは多く,そのルーツは南インドにあるとされている。世界的には山車文化は台湾,タイ,イランにも見られるので,日本に伝播してきたルートは南の海洋ルートであろうと想像できる。
インドと日本の山車の差異は神殿と霊山であろう。インドではそのまま神殿を運ぶものであり,日本では神仏や祖霊が降り立つという山岳信仰から霊山を模したものが原型となっている。
この山車の側面には多くの神々のレリーフが刻まれている。この構造はヒンドゥー寺院の本殿を飾るものと類似している。それは当然のことであろう。
インドでは山車は動く神殿そのものなのだ。逆に固定の神殿の装飾として車輪を取り付け,象や馬がそれを引くという造形もしばしば見られる。ベンガル湾に面したインド東海岸では神殿と山車の密接な関係がよく見られる。
サランガバニ寺院
サランガバニ寺院はクンバコーナムでは最大のビシュヌ派寺院である。本殿はチョーラ朝(9-14世紀)の時期に建造されたが,大部分は17世紀のナーヤカ朝によるものである。入り口は東に面しており塔門から先は写真禁止であった。東の塔門は高さが45mもあり,他のものに比して格段に大きい。
入り口から多くの石柱で支えられた大きな空間がありこれは前殿のようだ。その先には壁面で囲われた本殿があり,その回りを一周することができる。この神殿の側面には象と車輪の石像があり,まるで象が車輪の付いた神殿を引いているような構図である。
内部は写真撮影禁止のためサランガバニ寺院の写真は東塔門のものだけである。40mはありそうな塔門は12層に分かれており,各層に平均して30人くらいの神々の塑像が置かれている。この層構造はそのまま神殿の構造になっている。つまり,各層が神殿の形式となっており,そこに神像が置かれているのだ。
この装飾は塔門の両側はもちろんのこと側面にも施されている。すべてのすき間を神像で埋め尽くすというのが塔門の基本的な考え方のようだ。神々の塑像はすべて極彩色で彩色されており,大変なにぎやかさである。
メインストリートは交通量が多い
サランガバニ寺院とクムベーシュワラ寺院は300mほど離れており,町のメインストリートで結ばれている。このアイークラム通りは狭い割りに交通量が多くのんびりと歩くわけにはいかない。
間に大きな池があり,南側から池越しにサランガバニ寺院のいくつかの塔門の写真を撮る。この池もたくさんのプラスチック製品が浮かんでおり,そこで子どもたちが水遊びをしている。
池越しに見るサランガバニ寺院
アイークラム通りに戻り,池越しにサランガバニ寺院を撮ってみる。池の中央には金泥の神殿が置かれている。サランガバニ寺院の主要建造物である金泥の神殿,西塔門,本殿,東塔門が一直線上に配置されており,塔門は高さ5mほどの周壁の一部となっていることが分かる。
現在はほとんど使用されていないが,池は沐浴のためのものであり,西塔門から池に下りることができるようになっている。
レモンウオター
宿近くの交差点の食堂で冷たい飲み物を扱っている。水にレモンの絞り汁と砂糖を入れたものであり,炭酸は使用していない。このレモン・ウオターはあまりのおいしさに感激した。おそらく日本で飲んだら甘いレモン水に過ぎないのであろうが,乾季のインドで飲むとまさしく甘露である。ステンレス製の大きな冷却容器の中には何種類かの飲み物があり,注文があると柄の長い小さな柄杓ですくってグラスに入れてくれる。
一杯で5Rpであり,ビン入りのスプライト(200CC)の半分である。値段が安くとても冷たいので2倍くらいにおいしく感じる。しかし,この飲み物はどうやって冷やしているのであろう。ステンレスの容器を二重にして間に氷を入れるか,電気で冷やしていると考えられる。衛生に関する疑問はあるもののこのおいしさには負け,帰りにも一杯いただいた。
クムベーシュワラ寺院の東側入り口
クムベーシュワラ寺院の東側の入り口はアーケード形式の門前市を通ることになる。そのため東の塔門は写真にならない。
13:30に見学に来たらアーケードの奥のところにある鉄格子の扉が閉まっており,その手前には10数人の男性が石畳の上で昼寝をしていた。クムベーシュワラ寺院の見学は16時からのようだ。
クムベーシュワラ寺院の東側門前市
門前市にはなぜか金属製品を扱う店が多い。直径30cmくらいのほとんど平らな円形の鉄板はなんに使用するのか疑問であったが,商店の男性がチャパティやオムレツを焼くのに使用すると教えてくれた。日本のフライパンとはずいぶん違う道具である。
クムベーシュワラ寺院
クムベーシュワラ寺院はクンバコーナム最大のシヴァ派寺院である。この寺院は東側にも西側にも障害物があり塔門の正面からの写真は撮れなかった。
内部には本殿を含め少なくとも3つの神殿があり,18時からそれぞれの神殿でプージャが行われていた。本殿手前の場所で楽隊が太鼓とラッパで音楽を奏で,灯明の灯された神殿の中ではバラモンがプージャの儀式を執り行っていた。
寺院の出口にもどると象が参拝者からお金や食べ物を受け取っていた。この象はインド象としてはかなり大きな部類に入る。食べ物を鼻先で受け取ると口の中に放り込み,お金を受け取ると寄進者の頭に鼻先を乗せ,お金は横に控えている象使いに渡す。
象は陸上最大の動物であり,アフルカゾウに比して小さいアジアゾウ象でも体重5トンにもなる。毎日150kgもの植物を食べ,100リットルの水を飲み,120kgもの糞を排出する。
このため象を飼育するのは大変なことであり,専門の象使いが飼育にあたる。南インドではココヤシの葉あるいはエレファントグラスという丈の高い草が飼料になる。日本の動物園では乾燥させた牧草や果物が与えられる。
不思議な果物
露店の果物屋でマンゴーに似た果物を買った。1kgで50Rpととなりで売られているマンゴーより少し安い。形はまったくリンゴと同じであり,熟すると表皮の色は黄色から薄い赤に変わっていく。果物屋のおじさんは「ウマニ」と呼んでいた。
これは日本ではアップル・マンゴーと呼ばれているアーウィン種のマンゴーなのかもしれない。今までインド圏で出会ったマンゴーは一様に扁平な楕円形であり,このような形のものは初めてである。
球形なのでリンゴと同じようにして皮をむく。果肉もマンゴーと同じように黄色であり,においも同じである。リンゴと同じようにかじってみると味はそのままマンゴーであった。種子は楕円形のマンゴーと同じ形であり,少し小さい。食べるところが多いのでお買い得だ。
ラーマスワミー寺院周辺
幹線道路を渡りラーマスワミー寺院に向かって歩き出す。寺院の西門は閉鎖されており,やはり東が正規の入り口となっているようだ。この辺りは多くの人々が居住しており,共同の蛇口に女性たちが容器を持って集まり水を入れている。近くで子どもたちが遊んでおり写真を撮る。自然な笑顔も撮れて成功の部類である。
ラーマスワミー寺院東塔門
寺院の南側に回ると南塔門は開いていたのでそのまま中に入る。塔門装飾部の最も下の列にはそれぞれ異なる動作の踊り子たちの彫像がある。近くの人に「バラタナーティアム」かとたずねると,僕の感は当たっていた。東塔門は内側からは逆光になるので,裸足のまま外に出て道路から写真を撮る。僕の足の裏は連日の熱い石畳の歩行によりかなりきたえられたようだ。
ラーマスワミー寺院小神殿
東塔門から見て本殿の右手前に小さな神殿がある。本殿の内部は写真禁止であるが,このような神殿は写真OKである。
南に面しているこの神殿は建物の両側面に車輪が取り付けられ,それを引く馬の彫像がある。つまり,二頭の馬が神殿全体を引いている構図となっている。この神殿の奥には黒いシヴァ神の像があり,灯明の明かりの中でで艶かしく見える。
本殿は入り口から真っ直ぐのラインの先にあり,写真禁止となっている。列柱の向こう側に灯明の灯された灯明台があり,そのずっと先にご神体の納められた部屋がある。
ご神体の手前は金属の柵が設けられており,バラモン以外は入れないようになっている。参拝者は柵の両側から首を曲げてご神体を見るようになっている。開かれた扉の先には何か黒いものがあるが,リンガなのか神像なのかは判別がつかない。
灯明
帰りにさきほど写真を撮った子どもたちがいたので,近くの商店の階段を借りてヨーヨーを作ってあげる。最初は5人だったのが作っているうちに数が増え9個になった。一通り作り終わって子どもたちの遊び方を見ようと水場の方に行くと,新手の男の子たちが「バルーン」と言いながらやってきた。
12歳くらいの男の子は生意気盛りで,「もうお終い」と言ってもバルーン,バルーンとうるさい。僕が帰ろうとすると背中のザックをドンとたたかれた。インドではときどきこのような敵意をもったイタズラに出会う。
こんなときは相手にせずさっさとその場を立ち去るのがよい。しかし,2回目のドンがあり,背後の子どもたちを追い散らすことになった。近くの大人は「彼らはサルと一緒だ,早く行きなさい」と忠告してくれた。彼の表現は地元の人が一般的に感じている印象なのだろう。
街角で見かけたもの
午後はアイラーヴァテシュワラ寺院を見学するためバスでダーラースラムへ移動した。後で知ったことだが,今日は州政府の首相がやってくるということでいくつかの交通規制がしかれていた。
幹線道路は一方通行となり,ダーラースラム方向のバスは一本南側の通りを走っている。それに気が付かずしばらく幹線道路の交差点でバス待ちをしていた。近くの警官に聞いてようやくバス停が違うところにあることに気が付いた。
結局,ラーマスワミー寺院の前からバスに乗り込んだ。満席であったが車掌の指示で最後尾の席をゆずってもらえた。バス代は2Rpであったが車掌は受け取ろうとはしなかった。車掌にお礼を言ってバスから降りる。
アイラーヴァテシュワラ寺院
アイラーヴァテシュワラ寺院までの道は地元の人にたずねてすぐに分かった。芝生を挟んで二つの寺院があり,奥のものが12世紀に造営され,世界遺産に登録された「アイラーヴァテシュワラ寺院」である。建物の外壁のレリーフや彫刻の密度が高く,かつチョーラ朝の寺院の中ではもっとも完成度が高いとされている。
東側の正門は小さな塔門の構造をしており,その外側に頭を寺院に向けたナーンディの像が置かれている。ナーンディはシヴァ伸の従者であり、おそらくこの寺院の主神はシヴァ伸であろう。
寺院は130mX80mほどの周壁に囲まれており,ほぼ長方形の寺院は50mX80mほどある。周壁の内部空間に比して寺院はとても大きいので広角でも全景は入りきらない。
寺院は東西を基軸としており,東は前殿,西が本殿となっている。前殿と本殿の南側にはそれぞれ出入り口の石段が突き出しており,寺院建築では珍しく非対称要素となっている。寺院の内部は前殿から真っ直ぐに列柱で支えられた前室が伸びており,それが本殿まで続いている。外から見ると前室と本殿の間は幅が狭くなっており,くびれの先に本殿がある構造になっている。
本殿の高さは約40m,切石を積み上げ彫刻やレリーフを施している。一部には壁面をそのまま彩色して神像や彫像の背景を描いている。前殿に上る石段の両側には象を飲み込もうとするようなライオンの像がある。南インドではこのモチーフの像を何回か見かけた。
寺院を引く馬車
前室は南に出入り口の張り出し部分をもっており,その両側に車輪とそれを引く馬の石像がある。馬は南に向かって寺院を引く構図となっている。東西に長いI字の寺院なので東に向かうのが常識的であり,この構図には別の意図があるのかもしれない。前室の壁面や石柱の彫刻は味わい深いものがある。
ダイヴァナー・アンマン寺院
アイラーヴァテシュワラ寺院の隣北側にもう一つの寺院がある。ネットでチェックしてようやくダイヴァナー・アンマン寺院であることが分かった。周壁は40mX80mほどで,周壁の内側の空間の大半は寺院が占めている。周辺の土地は空き地となっており,もう少し空間的な余裕をもった周壁にすればなどと思ってしまう。
この寺院は単純なI字形をしている。東側の入り口から前殿,前室,本殿が一直線上に並んでいる。列柱に支えられた前室から本殿を見ると最奥部にご神体が明るく輝いている。こちらのご神体はシヴァ神そのもののようだ。
寺院の壁面にはたくさんの彫像やレリーフがあり,こちらの寺院も味わい深い。周囲の回廊を一回りし,次に建物の回りを回って気に入った彫像などの写真を撮る。前殿の入り口には正面(東側)に石段は無く,左右に付いている。この石段にも奇妙な動物の装飾がある。左右のものはそれぞれ南北に引き合う構図となっている。
本殿の上部は切石を積み上げた塔状の構造となっている。最上部にあるクジャクが羽を広げたような構造物は東西南北にそれぞれ設けられており,4面の構造物が合体したように見える。
クンバコーナムの食事情
来るときバスを降りた交差点でバスを待っていたが15分ほど経ってもやってこない。腹具合がちょっと怪しくなってきたのでオートリキシャーをつかまえて宿に戻る。
この運転手から「今日は州政府の首相がやってくるので交通規制がひどい」という話を聞いた。幹線道路には首相を迎える人々が集まっているのでリキシャーに乗ったまま写真を撮る。
昼食をとりそこなったので近くの菓子屋に入り甘いお菓子を2ついただく。インド世界のお菓子の甘さは日本人には驚きである。普通の状態ではとても食べようとは思わない。
今日のお菓子の一つ目は焼き菓子であるが,日本のお菓子の甘さとは異質のもので喉を通りづらい。もう一つのものは甘い砂糖蜜に浸してあったもので,強烈な甘さにたじろぐ。合わせて17Rpの甘いもので僕のお腹の不平は治まった。
クンバコーナムの食事事情は悪かったので、夕食はラヤズ・ホテルのレストランに行く。ここの食堂はけっこう洗練されており、客もこの中級ホテルに泊まる人たちである。
チキン・ビリヤニの味は昨日のものとそれほど差はない。しかし,レモン・ソーダを付けたのでこれで口の中をリフレッシュして,次の一山に挑むことができる。付け合せのオニオンスライスをカードに浸したものもいい刺激になる。ということで夕食代は98Rpとなる。
インドの食の楽しみの一つはマンゴーである。今日の分は夕方に買っておいた。出荷の最盛期なのか1kgで30Rpととても安い。中くらいのものが2個で20Rpであった。このマンゴーは皮がずいぶんしっかりしているのでむくのが大変であった。味は普通、ちょっとあっさりした甘みが好ましい。酸味もあり口内炎を少し刺激する。