アレッピーはコーチンの南64kmのところにあるバックウオターの中心地である。バックウオターは逆流,よどみなどという意味であり,日本語の水郷地帯の方がずっと雰囲気がよく伝わる。アレッピーの周辺は湖と水路が複雑な水域を形成しており,これに人工の運河が加わり,日本の水郷地帯を彷彿とさせる地域となっている。
宿(Dream Nest)は大きな部屋をいくつももっている邸宅であった。日本と同じように玄関で履物を脱ぐルールになっている。3つの部屋を民宿のように貸して部屋代を稼いでいるようだ。250Rpの部屋は8畳,2ベッド,T/S付きでとても清潔である。ベッドが軟らかくて気持ちがよい。シャワー室も3畳くらいの広さがある。テーブルもあり,ベッドに座りパソコン作業をするのにちょうどよい。
結婚式を見つける
明るいうちに食堂を探しに行く。宿から東に歩き最初の大きな交差点で北に向かう。運河に出るとその向こうにYMCAがあるので,おそらくこの南北の通りはYMCA通りであろう。ここまで来る間にローカル食堂が一軒あっただけである。これではホテルで食べなければならないなと考え「アルカディア」を目指して東に歩く。
ところが雨がぱらつき出してしまった。目の前に結婚式の会場があったので,ここで雨宿りをさせてもらうことにした。会場の舞台では新郎新婦と知人たちの集合写真とビデオ撮影が行われている。ビデオの照明の助けを借りて写真を撮る。
18時少し前から食事が始まる。僕も皿を一枚もらいフライドライスとチキンカリーをいただく。最近,たんぱく質はほとんどチキンのお世話になっている。今日初めてのまともな食事なのでお代わりをしてしまった。飲み物は遠慮して食後のアイスクリームをいただく。
食堂がなくて困っていたところなのでとてもありがたい結婚式であった。帰りがけに水を買い,ついでに床屋に行く。かみそりは止めてもらい,カットだけにしてもらう。料金は50Rpとちょっと高めの外国人料金である。
朝食のメニュー
気温は30℃,湿度は100%に近い。昨日の洗濯物はまったく乾いていない。昨日の店でイドリー2個とヴァーダ1個,チャーイをいただく。ヴァーダは小麦粉のドーナッツかと思っていたら,今日のものはちゃんと豆の味がした。
イドリーはコメの蒸しパンであるが,生地を一晩寝かせているのか少し酸味がある。地元の人たちはイドリーの上にマサラをかけて食べている。さすがに僕はそのような食べ方はできないので,マサラは小皿にとってもらい,右手だけでちぎったイドリーをそれに少し浸して食べる。
オートリキシャーでヒンドゥー寺院へ
宿に戻り水浴びをする。湿度が高いのでずいぶん汗をかく。水浴びをして休憩する。宿の青年に11年前に行ったヒンドゥー寺院と女学校の名前を聞く。ヒンドゥー寺院はゴープラムの写真を見せたのでまちがいはないだろう。場所は地図では示してもらえなかった。ヒンドゥー寺院までは1.5km,女学校はそこから歩いて5分だという。
青年に教えられたヒンドゥー寺院はB交差点の北側にあるもので,これは午前中に回ったコースにある。写真まで見せたのにまったく違う寺院を教えられたのでかなり腹が立つ。オートリキシャの運転手に「大きなゴープラムのあるヒンドゥー寺院」と告げると,さらに10Rpと言われた。しかし,着いた所はB交差点から200mほど南にある寺院であった。
北側の運河は機能している
宿→朝食→町の中心部→ヒンドゥー寺院→北の運河→ボート・ジェッティー→バススタンド→東の運河→南の運河→YMCA通り→いつもの交差点→宿,これで2時間コースであった。今後の説明のために宿の前の通りとYMCA通りの交差点を「A」,Mullackal通りとの交差点を「B」とする。(ページ・トップの地図参照)
南側の運河は機能していない
北側の運河はボート・ジェッティー(船着き場)があるため運河として機能している。しかし,その他の運河は完全に水草に覆われており,運河としての機能は果たしていない。
その水路はホテイアオイで半分くらい覆われており,小舟で移動するのは大変そうだ。この強い繁殖力をもつ南米原産の植物は,世界中の淡水域に進出している。国連環境計画の調査によると,世界の53ヶ国で被害が報告されている。
水草の大部分はホテイアオイである。この南米減殺の植物は成長が早く,熱帯では2週間で2倍の面積に増えるといわれている。南アジアではあらゆるため池,水路で繁殖している。ホテイアオイは見てくれはそれほど悪くない。薄紫の花もかれんだ。しかし,いったん水系に入り込むと大変なことになる。
オートリキシャー
アレッピーのオートリキシャーは高い上に英語が全くといってよいほど通じないので使いようがない。北の運河を越えて300mほどのところから宿までいくらと聞くと30Rpだという。1.5kmほどの距離に30とは通常の2倍である。これを聞いてこの町ではオートリキシャーは使うまいと決めた。
南側のヒンドゥー寺院
二つ目のヒンドゥー寺院は入り口は狭いが広い中庭をもっている。入り口から先は履物は禁止である。ケーララのヒンドゥー寺院は木造のものが多い。この寺院の門およびT字形の本殿も木造建築であり,T字の下が入り口となっている。門から本殿には屋根が対いており,その下はコンクリートの通路になっている。そこにはインドでよく用いられる吉祥の紋様が描かれている。
本殿はヒンドゥー教徒以外は立ち入り禁止と追い出された。本殿の建物の壁面には格子状の垂木が取り付けられており,そこから灯明を置くための突起が出ている。壁面全体に何百かの灯明台があり,大きなプジャの時には火が灯されるのであろう。トリチュールのパラメカブー寺院のプジャではこのような灯明が壁面一面に灯されていた。
露店のスパイス屋
B交差点の北側の寺院に向かう間に二軒のスパイスの露店があったので,いくつかのものを撮らせてもらう。目立つのはナツメグである。ナツメグ(ニクズク科)の果実を乾燥させたもので,外側の果肉の部分はメース,内側の種子がナツメグである。
大ういきょう(大茴香)は星型に6枚の突起が出ているおもしろい形状をしているので一度見ると忘れることはない。スターアニス(シキミ科)の若い実を乾燥させたもので,漢方薬にも使われている。
カルダモンはチャーイの香付けでよく見かけた。チャーイはダスト(くずではなく細かいという意味で使用される)と呼ばれる細かく裁断された茶葉をミルクと一緒に煮出して作る濃い味の飲み物である。もちろん砂糖もたくさん使用される。このとき紅茶の香りは飛んでしまうのでカルダモンでカバーするという図式だ。暑い気候のインドではこの熱いチャーイ(断じて紅茶ではない)は不思議によく合う飲み物である。
クローブは胡椒と同様に肉の臭みを消す働きがあるのでヨーロッパで珍重された。クローブはインドネシアの香料諸島の特産だったので,これをめぐってポルトガル,オランダ,英国が争った。クローブは花を乾燥させたものである。つぼみのうちに摘み取られ天日で乾燥させられる。現在では世界の熱帯地域で生産されている。
カルピンチャはこぶみかんの葉を乾燥させたもので,今までインドの各地で何回か「カルピンチャ」をたずねてみたがけげんな顔をされた。しかし,ここでは「うん,カルピンチャだよ」と同意を得ることができた。帰国後に調べてみるとカルピンチャはスリランカの言葉で,インドではカリパタと呼ばれているとのことである。
シナモン(ニッキ,肉珪)はシナモノの木(クスノキ科)の樹皮をはいで乾燥させたもので,上等なものは円筒状に巻いている。ちょっと品質の落ちるものは削りくずのような状態で売られている。シナモンは清涼感のある独特な芳香があり,スパイスというよりはお茶の香付けの方が身近である。インドネシアでシナモンの採取を見たときは木を切り倒していた。細い枝では良いシナモンはとれないようだ。
珍しい野菜
アジアを旅しているとときどきまったく見当のつかない食材に出会うことがある。20cmほどの黒い根塊は正体不明であった。その近くにはカブのように見えるが丸くなった根塊は黒く,茎の部分は赤紫色である。
北側のヒンドゥー寺院
B交差点から北の運河を越えると左側に二つの中学校がある。どちらも「SDV Secondary School」であり,手前が女子校,その向こうが男子校になっている。11年前には昼食時に校門から中庭で食器をもって並ぶ女生徒の写真を撮った。しかし,今回,再訪すると門は格子ではなく鉄板が張られていた。これは僕が写真を撮ったせいではないだろうね。
学校の先に大きなゴープラムが見える。幹線道路から右に入ると三番目の寺院にたどりつく。にぎやかな音楽が聞こえてくる。
本堂には大勢の女性たちが集まっている
本堂の周辺はコンクリートのたたきになっており,そこに大勢の女性たちが集まっている。なにか,今日は特別の日なのかもしれない。何人かの人は白系統のサリーを着ている。インドでは白は悲しみの色とされ,未亡人は純白で縁飾りも何も無いサリーを着るという。
結婚式 Part2
結婚式の会場にちょうど新郎新婦が到着したところであった。入り口のところでカメラとビデオの撮影が行われる。それが済むと新郎新婦は会場に入り,続いて参列者が中に入る。
広い会場にはテーブルとイスが並んでおり,正面の壇上には新郎新婦が並んで記念撮影が始まる。参列者はそれを見ながらテーブルの上のお菓子をつまんでいる。新郎新婦の両親や親戚,知人が次々と壇上に上がり,記念撮影に参加する。ビデオ用の光源があるので撮影は楽だ。このとき,すでに昼食は済ませていたので水を飲んでおいとまする。
洗濯物を干してしばらくすると大雨になった。これではどうすることもできない。1時間くらいで雨が上がるだろうから,そうしたら絞りにいくか。
ケーララでは5月からモンスーンの影響を受け雨季に入る。昨日,コタヤムからアレッピーまで船で移動したとき,風雨に合わなかったのは幸運だったのかもしれない。夕食の時間になっても雨は止まない。洗濯物は雨の当たらない玄関に移動させた。宿から一番近い食堂までは歩いて5分である。
小雨の中を遠くまで歩きたくないので近くの食堂にした。客はほとんどプレーン・ドーサを食べており,僕もそれにする。朝食と同様にバナナの葉がお皿になっており,食べ終わったら二つ折りにしてゴミ箱に捨てるきまりになっている。ともあれ,ドーサはお腹に入りこれで寝るときの空腹感は無いだろう。
唇をかんでしまった後が口内炎になっている。初期の手当てをしなかったため重症になりつつある。マサラの刺激はかなりきつい。トマトの酸味でもかなりしみる状態だ。腹具合が復調したと思ったら今度は口内炎とは。今回の旅行は健康問題でずいぶん悩まされることになった。
ボタンウキクサも大繁栄している
ボタンウキクサはサトイモ科・ボタンウキクサ属の植物でいわゆるウキクサ(ウキクサ科・ウキクサ属)とは異なる。どちらかというとホテイアオイに近い植物である。原産地は中央アメリカから南アメリカにかけてとされている。繁殖力が強いのか世界中の熱帯地域に広く分布している。日本では「特定外来生物」に指定されている。
「 水面上に葉を広げ水中に根を垂らす浮遊植物である。葉は先の丸い楕円形のものをロゼット状につける。この姿のどこから和名の「ボタンウキクサ」になるのかは分からない。牡丹の八重の花をイメージしていると思うがちょっと雰囲気は違う。英名は「Water Lotus」であり,こちらはなるほどねという命名である。
バナナの栽培
バナナは食用果実として非常に重要であり、世界の年間生産量は生食用バナナが1.1億トン、料理用バナナが4000万トン、総計では約1.5億万トンにのぼる。アジアやラテンアメリカの熱帯域で大規模に栽培されているほか、東アフリカや中央アフリカでは主食として小規模ながら広く栽培が行われている。
バナナは果実を食用にするだけではなく、花を食用する地域もあり、葉は皿代わりにしたり、包んで蒸すための材料にしたりするほか、屋根の材料などとしても利用される。
バナナは高さ数メートルになるが、実際には草本であり、その意味では園芸学上果物ではなく野菜に分類される。茎のような部分は偽茎と呼ばれ、実際には、葉鞘が幾重にも重なりあっているものである。茎は地下にあって短く横に這う。茎のような先端からは、長楕円形の葉(葉身)が大きく伸びる。
生食用バナナには種が入っていない。これは突然変異で三倍体となり種子を作らないものが生まれ、人間は種なしバナナを優先的に栽培してきた。バナナは実をつけると次世代の吸芽伸ばして親株は枯れる。そのため種なしバナナは吸芽の株分けなどで増やす必要がある。また、まれにしか種を作らないため、病害虫に強い新しい品種を作り出すのは非常に大変である。
北運河の北岸の道を歩く
YMCA通りから運河を渡り北岸の道を東に歩く。この辺りの運河の水は完全にドブの状態でメタンが湧いている。11年前はこれほどひどい状態ではなかったと思う。この汚い運河から6人乗りくらいボートをチャーターすると1時間400Rpだという。パブリック・ボートの方がずっと楽しめるのにここからチャーターする客はいるようだ。
ボート・ジェッティーの前でも運河の状態はまったく同じだ。この運河は陸側の広い水路に出るためのものなので水生植物は撤去されているが,それを怠るとすぐに南北方向の運河のように水路はふさがってしまうだろう。
家船の船着場
水路から離れ北に向かう。すぐに東に出る道と交差し,そちらからはずいぶんたくさんの車両がやってくる。そちらに向かって歩くとじきに車がたくさん停車している広場に出る。広場の先はハウス・ボート(家船)の船着場になっている。船着場は500mほどに渡り,ほとんど隙間無く家船が停船している。さらに,船着場が足りないので二列あるいは三列になって連なっている。ざっと100隻くらいはありそうだ。
この家船はとても料金が高く,4人家族で2泊3日の船旅で1000$はする。もちろん船の中は生活に必要な設備はすべて揃っており,食事も付いている。しかし,インドにおける所得水準を考えると1000$という旅費は大変な金額である。午前中なのでクルージングを終えた乗客が降りてきてバスや車で次の目的地に移動する。
家船の船着場の南の外れはアレッピーからの運河になっている。そこに浅いおわん形のものが2個浮かんでいる。最初はとても舟とは気が付かなかったが良く見ると座るところと小さな櫂が付いている。船着場で写真を撮った少女が水の入った壷を抱えてやってくる。彼女の父親と弟が一緒だ。少女がまず舟に乗り移り水の壷が倒れないように固定してから,おもむろに漕ぎ出す。父親と弟は別の舟に乗り仲良く家船の背後の方向に向かう。
ベトナムの中部にこのようなおわんの舟があるという映像を見たことがある。ベトナムを旅行したときは見ることができず残念なことになったが,図らずしも類似のものを見ることができた。このおわんの舟はかなり不安定なもので,大きな船のたてる波に翻弄されることになる。
午後は宿の西側を歩いてみる
午後は宿の西側を歩いてみた。教会はあるもののほとんど写真の題材にはならない。珍しいハイビスカスの花を見つけたくらいだ。唯一,子どもたちが2階に集まっている家があった。家の人に断って外階段で2階に上がると子どもたちが歓迎してくれた。しかし,そこは狭いので下に降りてもらって集合写真を撮る。写真のお礼に水をもらい,ヨーヨーを作る。