ジョードプルはタール砂漠の入口にある人口84万人の町である。ここは15世紀にラージプートの王ジョーダがマールワール王国の都として造営した城塞都市である。町は10kmもの城壁に囲まれており,その中央部にはインドでも有数の規模を誇るメヘラーンガル砦がそびえている。旧市街の家屋の多くは青い壁となっており,メヘラーンガル砦から眺めると全体が青く見えることからブルーシティの別名がある。
ラジャースターンでは水は貴重品である。州都のジャイプールの年間降水量は約500mm(東京は1500mm),砂漠の入口のジョドプルでは350mm程度,砂漠の中のジャイサルメールは150mm程度である。タール砂漠地域は世界の砂漠地帯に比して著しく人口密度とその増加率が高く,15世紀とは比較にならないほど人口圧力が大きくなっている。
クーリー村(08:10)→ジョードプル(15:00) 移動
08:10にピックアップトラックが通りかかった。ARUJUNの男性はバスは09時なので,これで行くかいと誘ってくれた。これははっきり断るべきであった。しかし,ジョードプルに明るいうちに到着できるというのは魅力的だったので乗り込んでしまった。トラックの荷台にそのまま座るのであるから乗り心地はひどいものだ。
唯一,良かった点は09:30のバスに間に合ったことだ。政府系のバスは民間のものに比べて車両が良くない。そのため,ガイドブックでは民間バスを利用するように推奨している。しかし,タイミングがぴったりだったのでそのまま乗車した。料金は137Rp,これで5-6時間の移動である。朝方は快適であった。とくに座席は,その前に地獄を見ているので天国のように感じられた。
サンライズGH
オートリキシャーに地図を見せ「サンライズ」までいくらと聞くと50Rpであった。ガイドブックでは30だよと強く言うと30になった。城門をくぐると狭い道をオートリキシャーは進んでいく。リキシャー同士がすれ違うのがやっとという狭さである。そこに,駐車しているバイクや歩行者がいる。
二階に受付があり部屋を見せられた。あまりの広さに「150Rpのシングルを探しているんだけれど」と念を押すことになった。管理人は何日滞在するのと聞くので3日と答えると,この大きな部屋に決まった。ただし,3日分の部屋代は前払いさせられたので,領収書をもらうことにした。部屋は12畳,2ベッド,T/Sは共同,清潔である。広さと清潔さは何の問題もない。電気回りもしっかりしている。T/Sは共同である,水浴びの回数が多いので,これだけはちょっと面倒だ。
バザールの西門に向う道は手工業製品が並んでいる
宿の前の通りにはゲストハウスが集まっており,それに付随して土産物屋やネット屋が並んでいる。この通りはバザールの西門に通じる道とT字で交差している。ここから西門までの道は竹製品,木製品,壷など手工業製品が並んでいる。ザルを編んでいる男性はだまって写真を撮らせてくれたが,その材料を作っている女性は写真はダメとあっさり断られた。また,近くの家から手招きされたので行ってみると,フォト,ルピーのパターンであった。これではクーリー村と同じである。
時計塔までは5分であった
サダル・バザールの西門までは5分足らずの距離であることが分かった。往時は時計塔を中心に方形の区画がすべてバザールであったのではと推測する。現在はその区画の四隅に建物があり,残された時計塔を中心に十字形に広がる空間にはびっしりと露店が並んでいる。
僕の立っている西門の反対側には東門があり,その先は城門に向って広い通りが伸びている。もっともバザールからはこのような周辺構造は分からない。メヘラーンガル砦の上から旧市街を鳥瞰してはじめてそのような構造が理解できる。
高さ20mほどの時計塔はさすがに立派であり,もっとも分かりやすいランドマークになる。バザールからはメヘラーンガル砦も見えるが,こちらはあまりにも大きくてランドマークにはならない。
時計塔周辺の露天
時計塔を囲むように露天が出ており,この光景は10年前と同じだ。ほとんどの店はテントのように日差しを遮るようになっているが,中にはこの強い日差しの下で商売をしている女性たちもいる。この二日間ほとんど野菜や果物を食べていないので露天でトマトを買い,キューリの皮をむいてもらって食べ,オレンジとバナナを買った。
これだけあるとしばらくは栄養補給に役立つだろう。金物屋の露天もあったのでナイフを買った。20Rpのものはカバーがないので持ち歩きに不便だ。45Rpと値の張る折りたたみ式にした。これでメロンも食べることができる。
初日は時計塔までの移動方法が分かっただけで十分である。また,フォト,ルピーのパターンが蔓延していることも分かった。この町での写真は難儀しそうだ。宿に戻りシャワーを浴びても体温を下げる効果はほとんどない。
ペットボトルに水道の水を入れて,これで体を濡らして一時的に体温を下げる方法も試してみた。極端に乾燥しているので3分も経たないうちに水は乾いてしまう。
夕食は屋上のレストランで茹でたジャガイモを注文してみた。器が小さかったので足りないかと思ったらけっこうお腹がいっぱいになった。スイート・ラッシーは濃厚な味でなかなかのものだった。ここの料理人はけっこういい腕をもっているのかもしれない。今日の夕食は二品で75Rp,観光地のレストランでは妥当な値段であろう。
暑くてうるさい夜が明けると
さてどのような体制で寝ようかと考えてみたが,この暑さではファンを回したまま,パンツ姿で寝るしかない。これをすると,明け方の涼しさで体を冷やすことになるのだが,ともあれそれしかない。人間の適応能力はたいしたもののようだ。この暑さの中でちゃんと寝ることができるのだ。
しかし,真夜中に窓の下の通りで工事が始まった。コンクリートミキサー車を回すエンジンが夜の静寂を100%ぶち壊している。夜中にこんな騒音をたてられてよく近隣住民が苦情を出さないものだ。昼間は交通量が多いので,夜間に工事が行われるようだ。この暑さと騒音の中で寝られるわけがない。しかし,横になっているといつの間にか静かな朝になっていた。部屋の温度は寝るときとほとんど変わっていない。宿の前はコンクリートが仮舗装されていた。
朝の儀式に行くと便がゆるい。おやっと思っていたら,出掛けにもう一度トイレに行くことになった。これはまずい,症状は大したことはないので,少し大事にすれば回復するだろう。朝食はトーストとオムレツを頼んだがさっぱり食欲がない。これも良くない兆候である。オムレツは卵2個を使用していたとはいえ,残してしまった。
坂道がつらい
午前中は休養すべきであった。宿からメヘラーンガル砦への道は急勾配の石畳のためかなり疲れた。体力が低下しているのが分かる。それにしても,旧市街の道はあちらに曲がり,こちらに分岐し,なかなか手ごわい。石畳に出るとあとは一本道になり,その周辺まで家屋が密集している。
かなり高くなってきているので旧市街を見下ろすことが出来る。反対側には岩山と同化するようにそびえている城壁の上に,宮殿の建物が見える。ようやく駐車場のあるとこまで登り切り一休みする。体はかなりつらい状態だ。外国人用の窓口で入場券を買う。300Rpとは世界遺産以上の値段である。宮殿博物館に入るにはさらになにがしかの料金が必要である。
この体の状態で砦の最上部まで登るのはかなりきついなと思っていたら,料金20Rpのエレベーターがあった。天の恵みのようなエレベーターで宮殿の入り口まで連れて行ってもらい,ずいぶん助かった。
中庭から見る宮殿の建物
特にチェックされることなく博物館に入った。宮殿の一部を武器や防具の展示している。また,王や妃の部屋などは当時のままになっている。このような部屋は華やかな装飾で満ちているが,一般の部屋はシンプルである。中庭から見る宮殿の建物はジャイサルメールと同様に精緻な石細工が壁面を飾っている。
最上部には多くの大砲が設置されて
博物館を回っているだけで疲れを感じ,最上階は見ないで中庭の石段で腰を下ろす有様である。やはり,砦の訪問は午後にすべきでった。中庭から砦の外壁に出る。ここは砦の南側にあたり,旧市街の時計塔から眺めていたところだ。最上部は平らになっており,城壁はその1mほど上まで囲っている。実用的な意味合いは不明だが多くの大砲が設置されており,その部分は城壁がない。
砦の上からの風景
砦の上から旧市街の写真を何枚かとる。旧市街の家屋は城塞に面した壁は青になっておりブルーシティの異名をもっている。しかし,10年前に比べて青色以外の壁が増えているような気がする。眼を転じると,時計塔を囲むようにサダル・バザールが十字形に広がっているのが分かる。これで見るものは全部見たので,よたよたと石畳の傾斜路を下りて入り口に向かう。やはり,何を見るにも,写真を撮るにも体力と気力が欠かせないということがよく分かった。
村から買い物に出てきたと思われる着飾った女性たち
14時少し前にアーグラから先の列車のチケットを買いに行く。歩いてみると体は十分に普段の状態に戻っている。時計塔の近くには周辺の村から買い物に出てきたと思われる着飾った女性たちが集まっている。
子どもの写真を撮ると母親たちが自分たちも撮ってという好ましい状況になり,けっこうたくさんの写真が撮れた。午後の強い日差しの写真なので決してできは良くないと思うが,画像を見て彼女たちはとても喜んでくれた。
近くには飲料水の給水所があった。暑くて乾燥している気候なので1日に3リットルくらいの水は必要になる。そのため水飲み場はいつも大勢の人々でにぎわっていた。ここでも子どもの写真を撮ろうとしたら母親が一緒に入ることになり,水飲み場を背景にした一枚となった。
道具屋の店先にはインド独特の生活用具が並んでいる
時計塔から南に向かい城門を過ぎるとじきに新市街の大きな交差点に出る。新市街に入ると街並みは一変する。インドの普通の都市のたたずまいである。道路も広くなり車の往来もある。そのような新市街でも商店の前で営業する露店は数多くある。
その中で道具屋を見つけた。穴のたくさん開いた金属製のおたまは油で揚げたものを取り出すときに使用するものだ。すくい取るものに合わせていくつかの形状が用意されている。穴が一つの金属製おたまも同じように使用されるのであろう。
両端に握りの付いた木製の道具はスパイスをすり潰すものではないかと想像した。片側に取っ手の付いた木製の幅の狭い平らな板は用途が想像できなかった。道具からインド人の生活をあれこれ想像するのは楽しい。
鉄道駅は遠かった
新市街の大きな交差点から鉄道駅までは1km以上あった。露店の商品を眺めたり写真を撮ったりしながらのんびり歩く。バングラデシュや北インドで見かけた非常に固い果実があった。刃物でではとても割れないので,地面にたたきつけて割り,中の柔らかい果肉でジュースを作る。女優の大きな写真パネルにラージャスターン風のワンピースが掛けてあった。これはみごとなデザインであり,日本でもドレスとして十分通用する。
ようやく鉄道駅に到着した。石造りの立派な建物である。中に入るとざっと200人くらいの乗客が列車待ちのために床に座っている。彼らにとっては日常よくあることなのだろうが,僕が中に入った瞬間は目が暗さに慣れていなかったこともあり,ちょっと異様な光景に見えた。
予約オフィスは鉄道駅にはなく,300mも離れたところにあった。こちらの建物は冷房が効いているのか涼しく感じられた。窓口は4つ開いており,女性と老人がそれぞれ列を作っているところに並ぶ。外国人窓口もここだろうと見当をつけたら正解であった。
窓口には女性と老人が各5人並んでおり,僕は11番目であった。インドでは女性が横から入ることを認める駅がありこれは非常に腹が立つ。後ろに長い行列ができていても横からスイスイ最前列に入られては気持ちが治まらない。女性用の窓口を作ったほうがずっとすっきりする。もっともインドの駅はこの数年でオンライン化が完了しており,窓口の処理時間は平均して3-5分くらいである。コンピュータ化により処理は格段にスピードアップされた。
正直な運転手は最初から30Rpと言ってくる
列車のチケットが入手できたので機嫌がよい。大通りに出ると牛にひかれた荷車がやってきた。新市街でもこのような光景が見られるのはやはりインドである。
オートリキシャーの運転手がどこに行くのかと聞いてきた。写真を撮りながら歩いて時計塔に行くよと答えると,インド人の地元価格で乗ってくれと言い出す。料金を聞くと30Rpであった。正直な運転手なのでついつい乗ってしまった。もっとも時計塔の東側の門から先はとても混雑しているのでその手前でいいよと下車する。
カメラを向けるとすてきな笑顔で応えてくれた
サダル・バザールの周辺はやはり写真にしたい題材が多い。東門の近くに地面に坐っている女性たちいる。おしゃべりにも見えるし,疲れているようにも見える。カラフルな色合いの衣装に引かれて一枚撮らせてもらう。
東門の中には何人かの子どもたちが坐っていた。門の中は日陰となっており背景も暗いのできれいな写真になる。カメラを向けるとすてきな笑顔で応えてくれた。
午前中は体の調子が悪く,メヘラーンガル砦見学もいま一つ気合が入らなかった。旅でもっとも大事なのは健康であることを痛感した。体力と気力,このどちらかが続かなくなると,そこが旅の終点になる。
午後に体調は回復したので,この先も旅行を続けることができるだろう。夜中の暑さにも騒音にもずいぶん慣れてしまった。騒音は一昨日よりはずっと軽減されたこともあり,05:30までぐっすりと寝ることができた。
このところ咳き込むことは少なくなり,インドのど飴のお世話になる回数はぐっと減った。クーリー村で咳止めシロップをあげてきたのは正解であった。体重はこの1ヶ月で2-3kg減ったように思う。それはズボンのウエストで知ることができる。これ以上体重が減らないようにせいぜい努力して食べなければならない。
上り坂の家でヨーヨーを作る
宿から歩いてメヘラーン・ガル砦の近くにあるジャスワント・タダを目指す。宿から東に向かう50mほどの区間の道は閉鎖されていた。昨夜のコンクリート舗装の成果らしい。この道を閉鎖されるとかなりの遠回りになりそうだ。城砦は歩いているときでもときどき見ることができるので,だいたいの方向は確認できる。問題は旧市街の道は複雑に曲がりくねり交差していることだ。このためすぐに道が分からなくなる。
何回か道をたずねて,かなりジャスワント・タダに近づいたようだ。石畳の上り坂が始まり,途中で二人の女の子の写真を撮った。とても素直に応じてくれたので,家の中に入り(といっても中庭である),ヨーヨーを作ってあげる。二家族の子どもたちがいるため5個作ることになった。この家ではチャーイもいただき,とても楽しい時間を過ごすことができた。
メヘラーンガル砦を横から見る
目的のジャスワント・タダはメヘラーンガル砦に続く岩山の上にあった。ガイドブックにある「砦からゆっくり下って15分」という表現が理解できた。住宅地の石畳の道から砦に通じるアスファルトの道に出た。さきほどの家のおじさんが,そこの石段を登ると近道だよと教えてくれた。石段を上る前に,道路から見るメヘラーンガル砦の写真を撮る。この構図は10年前と同じものだ。ここからだと,砦を斜めに見ることになり容易に全景をフレームに納めることができる。
おじさんの教えてくれた石段は本当に岩を少し加工しただけの石の階段であった。この岩は縦方向に割れやすい性質をもっているようだ。そのため自然に階段のような構造になり,人間が少し手を加えるだけで自然石の階段となる。
ジャスワント・タダは大理石の瀟洒な建物
入り口には入場料の窓口があり,ここで入場料の30Rpとカメラ持ち込み料の25Rpが徴収される。素直に支払うと入場券とカメラに取り付けるタグが渡される。その先で入場券のチェックとともにこのタグがカメラに取り付けられ,ちょっとわずらわしい。
ジャスワント・タダはインド・イスラム色の強い白大理石の建物である。左右対称の建物の上部には先端部のとがったドームがあり,両側のラインはいくつものチャトリで飾られている。正面入り口両側と両端のチャトリは特に大きく,建物のファザードをインド的なものにしている。
ジャスワント・タダは白大理石でできており,とても繊細な感じを受ける。メヘラーンガルが巨大で無骨なイメージなので,それに比べるといかにも繊細で優美である。
ジャスワント・タダはマハーラージャの廟として建てられたもので,周辺には親族の小さな廟が並んでいる。石造りの建物かと思っていたら,ホールには鉄骨も使用されているという。中に入ってみてもそのような感じは受けなかった。
入り口は正面ではなく,右側であった。正面のものは飾りということになる。ホールの中央には柱で囲まれた主の座るための場所があり,ここは立ち入り禁止のロープが張られていた。その奥にもなにかロープに囲まれた一画があり,この床下に棺があるのかもしれない。
雨水を集めた池がある
背後はくぼ地になっており,そこに雨水を集めた池がある。ここは周辺の山に囲まれた地形となっているため,水を溜めるには適した地形となっている。都合よくこんな地形があったのか,メヘラーンガルの城壁や建造物を造るための石材を切り出した場所なのかは分からない。
乾季の今でも十分な水をたたえており岩山の風景の清涼剤となっている。ここはジャスワント・タダに住み着いている鳩の水場となっており,ときどき大きな群れが飛び立ち,周囲を旋回する。建物の反対側の岸辺に一羽だけシロサギがいるだけで,水鳥はいない。
帰り道は遠かった
帰り道はだいたい来た道をトレースすることができた。大きなチョウクではさすがに少し迷ったが,砦の方角で道を決めてぴったりの場所に出た。あと50mで宿である。しかし,そこはコンクリートが張られたため立ち入り禁止になっている。近くの回り道はないようだ。
結局,チョウクまで出て時計塔の西側の門のあたりから宿まで歩くことになった。この道は精神的に遠かった。暑い気候の中でひたすら重労働を強いられているロバに同情しながら歩く。宿の近くでスプライトを飲んだが冷たさはいまいちであった。これで,吐き気が抑えられるといいんだけれど。
大きな穀物市場
寝ていたりパソコンばかりをしているわけにもいかないので15時から旧市街を歩くことにする。木製品街の通りを南西に歩く。これは旧市街のメインストリートの一部だ。この通りは商店が並ぶだけでさほど写真の題材はない。南に向かう通りがあったのでそちらに曲がる。この通りは比較的写真の題材が多かった。
石造りの城門があり,その内側は穀物市場になっていた。まず,袋を縫う男性の写真を撮る。この袋は穀物や豆類を入れるものだろう。ジュートもしくは麻を使用した天然繊維の袋なので何度も使用していると傷みが生じる。男性は黙々とその傷んだ部分を繕っていた。この雰囲気は漁師が網の修理をしている場面とダブって見える。市場の雰囲気はちょっと怖そうだが別になんの問題もなかった。
スパイスも何種類か売られていた
穀物市場の主要商品は麦と豆である。インドにおける豆の種類は驚くほど多い。大きなものから小さなものまでさまざまである。スパイスも何種類か売られていたのでこの機会に拡大した写真を撮っておく。花を撮るときのマクロ機能を使用してみたが,パソコンに移してみないと画像の良し悪しは分からない。
布製品の多いところ
金属製品の多いところで東に向きを変える。インドでは同じような商品を扱う店が集まっており,目的をもって買い物をする人にとっては,商品の比較が出来るので便利にできている。おやっと思ったのは金属容器の店主の前に大きな計量秤が置いてあることだ。よもや,商品を重さで売るのではないだろうね。
布製品というのはサリー用の布地のことだ。同じような柄に見えてもサリーの布地は一つの店でも100や200は置いてある。買い物の女性は多数の布地を並べてもらい,親族や知人と一緒に好みの柄を決めるようだ。布地さえ決まればサリーは両端を処理するだけなのですぐに出来上がる便利な衣類なのだ。
あれっ,いつの間にかサダル・バザールに出た
ところどころで写真を撮りながら歩いて行く。インドの通りでよそ見をしながら歩くのは大変危険だ。歩行者に加えて自転車,バイク,オートリキシャーが行き交う。運転手はすき間があれば突っ込んでくるので行動パターンは読みづらい。歩行者としてはできるだけ端にいること以外に身を守る術はない。
特にバイクは歩行者の体のすれすれのところを平気で走るので,一歩間違うと引っ掛けられてしまう。ジョードプルの旧市街ではそのような事故が多いのではと推測する。
気が付くとサダルバザールに出ていた。ここの交通事情も相当に危ない。露天がたくさん出ている空間をバイクがかなりの速度で走り回るからだ。近くのヒンドゥー教の寺院には大理石のガネーシュが坐っていた。これはなかなか良い被写体になってくれた。
宿の北側を歩く
宿の北側はゲストハウスが集中している。この界隈を抜けると民家が増えてくる。子どもたちが坂道でクリケットで遊んでいる。狭い坂道ではゲームを進めるのは大変なことだろう。子どもたちからはけっこう写真を撮っての声がかかるので撮りやすい。もっともその後にスクールペンの要求がくるので,いちいちノーペンと対応しなければならない。
ジョードプルの旧市街は本当に迷路であり,そこに家畜と人間が同居している。こんなところでどうやって家畜のエサを確保するのだろうかとかなり疑問に思う。路地をうろついている牛のように自分で食べ物を調達しているとはとても思えない。