亜細亜の街角
■ブラマプトラ川と竹加工の村を見る
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ドゥブリ  (地域地図を開く)

ブラマプトラ川は遠く西チベットに源をもち,インドの東端を回り込み,バングラデシュを2分してベンガル湾に注いでいる国際河川だ。アッサムの平原部では川幅数kmに広がり,多くの中州を形成している。

ドゥブリはブラマプトラ川の北岸にある小さな町だ。アッサムの町とブラマプトラを見るためこの町を訪問することにした。旅の情報は全く無い。ただ,地図でドゥブリの地名を見つけてそこに向かう。

ジャイガオンから直接行ける便があれば簡単であったが,交通の中心地のシルグリで1泊してから翌日のバスで移動することになった。

僕がドゥブリに引かれたのはブラマプトラ川を見るためである。シッキムの宿で地図を広げこの場所を決めた。ブラマプトラの源は西チベット,カイラス山の少し東側である。チベットを西から東に横断し,そこではヤル・ツァンポ川と呼ばれる。

チベットの東端で向きを変え,アッサムを東から西に横断する。バングラデシュに入るとジョムナ川となりベンガル湾に注いでいる。このアジアの大河はドゥブリのすぐそばを流れている。

この町にはベンガル人,ビハール人,アッサム人が居住しており,それほどはっきり識別はできない。宿は街の大通りに面しており,バススタンドを南東に10分ほど歩くとブラマプトラ川に到着する。

シリグリ→ドゥブリ異動

シリグリ(08:35)→州境(13:20)→ドゥブリ(15:00)と220kmをバス(118Rp)で移動した。シリグリはこの地方の交通の中心地である。BSはさすがに大きい。ここからベンガル,シッキム,アッサムへのバスが出ている。

8時にBSに行きドゥブリ(アッサム州)行きのチケットを買う。裏面にプレート番号を書いてくれたのでバス探しは容易だ。バスはASTCの大型,座席は2+2の一列4人掛けである。座席が広いのでザックを足元に置いて坐ることができる。

バスは75%の乗車率で出発する。僕の隣は体重100kgくらいの小錦顔のおじさんだ。急に座席が狭く感じる。シリグリの各所で乗客が増えたのでほぼ100%になる。道路の状態は良いし,農村の風景はきれいだし飽きない。

州境を超える

1時過ぎに西ベンガルとアッサムの州境でバスは停車する。積荷の検査に時間がかかるのか両方向ともたくさんのトラックが並んでいる。バスから降りて堂々と写真を撮っていたら軍隊に詰問された。「日本人旅行者,写真が趣味」と説明して解放された。

アッサム側のチェックポストでパスポートの内容を記帳される。アッサムに入ると道路は悪くなる。バスは路面の穴を避けながら,慎重に進んでいく。左側に絵になりそうな水路の風景がしばらく続き,ドゥブリのBSに到着する。

Town Hotel

周辺を見渡してもホテルらしい建物は見当たらないのでちょっと不安になる。少し先にタウンホテルがあり,きれいな部屋をもらって一安心である。7畳ほどの部屋(90Rp)は1ベッド,蚊帳,机,T/S付き,とても清潔で快適,お勧めである。

大規模な露店市の跡

大通りを歩いていくと左側の広場でたくさんの露店が店じまいをしている。何か大きなイベントが終了したようだ。商品と設営道具一式がトラックに積み込まれていく。露店が引き払った跡は大量のゴミだけが残される。

広場の向こうには,来るときに見た大きな水路がある。この水路は町の東側でブラマプトラに合流している。ここではブラマプトラが北東から南西に流れている。川の対岸から少し南に行くともうそこはメガラヤ州である。

メガラヤ州は「世界で最も降水量の多い地域」として知られている。標高2000mほどのメガラヤ高地の南斜面にあるチェラプンジ村の降水量は年平均で12,000mmにも達し,これは東京の8倍である。

1960年には26,000mmという記録がある。しかも,雨は6-9月のモンスーンの時期に集中して降るので,大変なことになる。1994年にNHKで「雲の国・メガラヤ」が放映された。その中ではチェラプンジ村の想像を絶する雨の様子が記録されている。

モンスーンの時期,インド洋に巨大な高気圧が発生する。この高気圧から吹き出したした風はアラビア海を渡り,大量の湿気を含んでインド亜大陸に上陸する。一部はインドの大地を潤し,その先に立ちふさがるヒマラヤの壁にぶつかり,上昇気流となって大量の雨を降らせる。

このモンスーンの風の一部はヒマラヤの東に回りこんで東南アジアを経由して日本にまで到達する。日本ではこの影響により梅雨となる。

NHKの番組ではチェラプンジ村に暮らすカシの人々の暮らしを紹介している。ここでは末娘が家産を相続する珍しい女系制度がまだ残っている。この地域も是非訪れたいところであるが,アッサム州より東側は特別の許可がなければ立ち入ることはできない。

渡し船で対岸に渡る

水路と対岸を渡し舟が結んでいる。最初の便はあまりにも乗客が多く,船べりからこぼれ落ちそうなので見送った。戻ってきた渡し船に乗り対岸に行く。水路の対岸は竹細工人々が働いていた。回りには民家が見当たらないのでここは作業場のようだ。

作業は竹を2つに割り,表から長手方向に切れ目を入れる。裏面の白い部分を節を含め削り取り,長さをそろえて切ると竹のシートが出来上がる。この材料は家の床や壁に使用されるので需要はとても多い。

17:30になると夕陽の時間帯になる

17:30になると夕陽の時間帯になる。水路の向こう側が茜色に染まる。竹のシートを積んだ船がシルエットになり,水路を滑るように動いていく。悠久の流れはゆっくりだが,止まることなく大量の水を運んでいく。川岸に腰を下ろし,ようやく巡りあえたブラマプトラの夕暮れを楽しむ。

お父さんと一緒に写真に収まる

時刻は18時,そろそろ写真の限界だね

常設屋台で朝食をとる

夜は21:30頃からうたた寝をしてしまった。気が付くとあちことがかゆい。明かりをつけようとしたら停電である。トーチの明かりで薬をぬり,蚊帳を吊って寝る。ここはインドでもっとも東に位置しているため朝は5時頃から明るくなる。7時になり朝食のため下に降りると,戸口には1kgはありそうな巨大な錠前がかかっている。

別の出口から外に出て食堂を探す。表通りの商店はまだ閉まっており,小さな通りの常設屋台で朝食をいただく。ロティが2枚,ダルとジャガイモのカリーの小皿それにチャーイで6Rpである。田舎の物価はかくも安い。

今朝もブラマプトラの方に歩いていく。天秤棒をかついだ野菜売りが通りを歩いている。チャーイ屋だけが開いており,男たちは朝の一杯を楽しんでいる。

竹を運ぶ荷車の列が続く

リキシャーはまだひまな時間帯である

ブラマプトラ川の風景

水路との合流点に出る。こちら側の岸にも,対岸にもこれでもかというくらい大量の竹が浮かんでいる。水の広がりに比し舟の数はとても少ない。水路の中ほどには岩が顔を出しており,魚が飛び跳ねている。漁師の小舟が水路を往復している。本流には漁師の舟は出ていない。

昨日と同じように,渡し舟で対岸に渡る。50人ほどが乗る舟を船頭は竹ざお一本で動かしている。対岸では竹シート作りがもう始まっている。少し大きな子どもは親の手伝いをしている。小さな子どもたちはその回りで遊んでいる。

渡し船で対岸に渡る

昨日と同じように,渡し舟で対岸に渡る。50人ほどが乗る舟を船頭は竹ざお一本で動かしている。対岸は普通の陸地のように見えるが1kmほどの中洲である。この中洲の北側(陸側)のは3kmほどもある大きな中洲があり,その間はやはり水路で隔てられている。分かりやすいように南側のものを中洲A,北側のものを中洲Bと呼ぶことにする。

中洲Aの竹加工の作業場

対岸では竹シート作りがもう始まっている。少し大きな子どもは親の手伝いをしている。小さな子どもたちはその回りで遊んでいる。3人の子どもたちの写真を撮ると周囲の大人までが集まってきて集合写真となる。

竹ざお1本で大きな竹筏を動かす

ドゥブリは竹の集散地でもある。舟に積まれたり,竹いかだに組まれたりしてここに集められる。目の前を30m四方ほどもある竹いかだがエンジン付きの船に押されてゆっくり移動している。

いかだといっても,竹を束ねたものを多数組んだものなので,人が100人くらい上に乗っても耐えられそうなものだ。僕がいかだにカメラを向けると,男の子はイカダにあがり,写真を要求する。この男の子が中州に上がり再び集合写真を撮ることになる。

作業場の風景

渡し船で中洲Bに渡る

展望公園からの眺望

路に戻り先を行くと展望公園がある。少し高台になっている,ここからブラマプトラがよく見える。バングラデシュではよく見られなかった大河が目の前を流れている。

ブラマプトラの川幅は広い,1kmなのか2kmなのか見当がつかない。このあたりは中洲が多いので,向こうに見える緑の線は対岸とは限らない。大陸の川はスケールが違う。

ベンチに坐り巨大な水の流れを記憶に刻み込む。合流地点の周囲では漁師が小舟で漁をしている。岩がいくつも顔を出しており,風景に変化を与えている。本流を航行するする船の数は多くない。

この地域にはムスリムの人も多い

これからお勉強なの

展望台公園の東側に小さな学校があった。親に手を引かれた子どもたちが中に入っていく。幼稚園から小学校低学年に見える。子どもたちの服装は男女ともワイシャツにネクタイである。この地域の良家の子女という感じを受けた。

先生の許可をもらい敷地の中に入る。朝礼が終わり生徒たちはそれぞれ教室に入る。窓からの逆光で陰影のある写真に仕上がった。

竹加工の村

展望公園の東側は小さな湾のようになっている。川岸には舟が係留され,大規模な竹細工の作業場になっている。加工方法はどこも同じだ。竹のシートを作り,規定の長さに切りそろえ,束ねる。小学生くらいの子どもも刃物をもって働いている。

女の子は竹の内側を削ったクズを拾い集めている。一度写真を撮ると彼女たちは僕のそばから離れない。竹細工の作業を撮ろうとカメラを構えるといつの間にかフレームに入る。

作業場の子どもたち

出来上がった竹の板はトラックに積み込まれる

ここは樹木の日陰になっており作業環境はよい

家船付きの竹筏がやってくる

これらは本格的な家船のように見える

樹木の背後にシーク教の白い寺院が見える

堤防から作業場の全景をとった写真には白いシーク教寺院が写っている。

トラックの積み込み作業は続く

小魚をすくい取る

金物屋が通りで売り歩く

シーク教の寺院は撮影禁止と言われた

帰りにシーク教の寺院に立ち寄ってみると,写真はダメだと言われちょっと気分を害される。あの,総本山の黄金寺院でさえ写真フリーなのに...。

午前授業が終わりリキシャーで家路につく

年長の生徒の制服がサリー姿の女学校がある。「どうして未婚の学生がサリーを着ることができるのか」とたずねると,「学生は未婚でもサリーがOKなのだ」という返事が返ってきた。残念ながらここは写真禁止である。代わりにリキシャで通学するこの学校の生徒を撮る。

■調査中

野菜売りが昼下がりの通りを歩く

大通りを北西に歩いてみる

水路の向こうの農村を見るためにシリグリ方向に歩いてみる。道路は悪く車が通るとひどいほこりだ。だいぶ歩いて対岸に渡れる橋を見つけた。土手の向こうには広い水田地帯となっている。

村の道で遊んでいる子どもたちの写真を撮ったのが運のつきであった。どこに行っても子どもたちに付きまとわれて閉口する。何度,帰りなさいと言っても効き目が無い。身振りで帰りなさいをすると子どもたちは散るのだがすぐに集まってくる。

家船が集まっている一画があった

移動日の朝の風景


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