亜細亜の街角
■ルンテック僧院の一日を見る
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ルンテック  (地域地図を開く)

ガントクから24km,谷をはさんでガントクと向かい合う斜面の中腹にルンテク僧院はある。観光名所あるいは巡礼の名所となっているため,ここを訪れる人は多い。そのため,周辺にはいくつかの宿泊施設がある。


ガントク(25km/1H)→→ルンテク 移動

ガントク(09:30)→ルンテック(10:10)と乗り合いジープ(25Rp)で移動する。ガントクから西側にルンテックの斜面が見える。しかし間に谷があるので走行距離はおよそ25kmになる。

歩道橋の終点にあるショッピングセンターに付近にはたくさんのジープが並んでおり,その一番奥にルンテック行きのジープが待機している。フロントガラスに行き先が表示してあるので,見つけ出すのは難しくない。

道路状況はとても良い。でも,ときどき段差などがあり,ゆれると後部ドアに頭が当たる。乗客10人のうちルンテックまで来た人は4人,あとは地元の人の移動用である。道はいったん谷まで下り,それから1600mまで一気の上りである。斜面の一部は棚田になっており,残りは森林である。

ルンテックに到着すると道路わきに乗り合いジープが一列に並んでいる。ルンテック僧院の入口にはゲートがあり,ここで外国人はパスポートとパーミッションのチェックを受ける。シッキムでチェックを受けたのは,入るときとここだけであった。

パーミッションの文言の中には訪問地の地名がしっかり記載されているが,記載されていない地域に行っても何も問題はなかった。このパーミッションはシッキムの開放地全域のパーミッションと考えて差し支えないようだ。さすがに期間は厳密にチェックされるので,適当というわけにはいかない。シッキムを離れるときはチェック・ポストに立ち寄る必要はなかった。

Sangay GH

ルンテックはルンテック僧院をとりまく小さな集落である。僧院を訪れる旅行者が多いのでそれなりの宿泊施設はある。お勧めはサンゲイ・ゲストハウスである。僧院のゲートをくぐり,少し登ったところを右に入ったところにあるシッキム色の強い快適な宿である。

ただし斜面が開け,見晴らしのよい東に面した部屋に限る。部屋(200Rp)は12畳ほどの広さで,2ベッド,机,ホットシャワーがついてとても清潔である。窓側にはベランダも付いており,朝の日光浴も快適である。

このゲスト・ハウスにはインド人が泊まっていないので夜はほんとうに静かだ。周辺にはほとんど食堂が無いので,食事はドイツ人の女性と一緒にゲストハウスでいただく。ひょんなことから話題は日本の教科書問題になった。第2次大戦中の歴史的事実をどのように次の世代に伝えていくかという問題について,日本とドイツはかなり異なった対応をしている。

日本は「自虐的史実を,誇りのもてる歴史」に変えようとする動きが活発化している。一方,ドイツはすべての事実をそのまま伝えることに国民的合意がとれている。そのようなことを素直に話せるドイツ人は,ある意味でうらやましい。

村の風景

菜の花は満開となっている

ルンテック僧院に向かう道

ルンテック僧院

ルンテック僧院はシッキム最大のゴンパである。チベット仏教を構成する4派のひとつ,カギュ派のゴンパとして名高い。本堂の内部は極彩色の壁画で埋め尽くされている。

正面の壁の前に最高位のラマが坐るイスが置かれている。イスの左右には僧侶が読経するための長い机がある。正面の壁の裏側には大きなブッダ像,その両側の壁面は格子状の棚になっており,その一つ一つに小さな仏像が納められている。

にぎやかな読経

13時過ぎにルンテック僧院を訪れるたとき,僧院の門の前では僧侶たちが2手に分かれて読経をしていた。左の集団は小さな太鼓と鐘をもち,右側の集団はシンバル,ホルン,大太鼓などを担当している。

読経は一音ごとに高低があり,まるで歌っているようにも聞こえる。読経の一節が終わるとにぎやかな合奏が始まる。一人の僧侶が祭壇に供えられた麦の粉で作られた像を外に捨てる。読経と合奏が交互に何回も続き,40分ほどで終了した。その後は,僧たちは本堂に入り,長い机に坐る。僧衣と同じ色の帽子が配られ,僧たちはその帽子を被って,読経を再開する。

僧院入口の左右の壁面を飾る仏画

僧院の中庭

村の子どもたち

GHからの風景

スンゲイ・ゲストハウスの部屋からシッキムの山々が眺められる。部屋の外のテラスからイスに坐り山並みを楽しむことができる。晴れていればヒマラヤも見えるそうだが残念ながら天候は良くない。もやがかかり近くの山でさえかすんでいる。

午後になると遠くから雷鳴が聞こえてくる。いそいで宿に戻るとじきに強い雨になる。雨が上がっても雲の中にいるようだ。夜はなると周囲は真っ暗になる。向かいの斜面にはガントクの灯りがきらめいている。

村人にとって今日もいつも通りの1日が始まる

斜面を利用した民家

周囲に段々畑があることが分かる

葉の形からするとヒバの仲間であろう

もう朝ごはんは済んだのかな

ルンテック僧院の参拝者

読経が始まる前に入り口左右の壁画を撮影する

服装から判断すると僧院の関係者かもしれない

古いマニ車

近くの民家の裏山にもタルチョがある

庭でお勉強なの

参拝者の一団が坂道を上ってくる

■調査中

スギの仲間であろう

お葬式を見学する

宿からSong の方に向かう(ガントクと反対方向)道を歩いてみる。すぐに集落は切れ,のどかな山の風景になる。1kmほど離れた寺院の近くで,お葬式に参列する人々が集まっていた。人々の後をついていくと火葬場に着いた。

すでにタルのような形状のお棺は薪の上に置かれており,人々はその上に薪を積み重ねている。火葬場の四面には小屋があり,正面の小屋では6名の僧侶が読経をしている。時々楽器の音に切り替わる。

遺族が祭壇に向かって手を合わせ,ひざまずいて地面に額をつける。読経は1時間以上続き,その間に薪は組みあがり,お棺の上には紙製の屋根が置かれた。さらに杉の若葉が乗せられる。

下の広場で食事(プリー,カレー)がふるまわれた

この辺で帰ろうとすると下の広場で食事(プリー,カレー)がふるまわれた。木の葉のお皿は使用後,斜面に捨てられ,そのまま土に帰る。再び火葬場に行くと,僧侶が棺の回りに集まり読経をしている。

一人の僧の指示で四方から火の付いた竹の束が差し込まれる。周囲の人々は白い絹の布を棺の周りにかける。遺族はここで立ち去らなくてはならない。ここで初めて遺族の人々は声をあげて泣く。

近くの僧院の内陣

昼食の時間帯

ソン方面に向かって歩く

Song方面にさらに3kmほど歩き,いくつかのビューポイントで写真を撮る。道路の下は立派な棚田になっているのだが,なかなか全景が見えない。大きな谷のところで,谷川の水で体を洗っている青年が「これから先は危険だ」と教えてくれる。「本当ですか」と聞きなおすと,「100%本当さ」という答えが返ってくる。彼らの忠告にしたがって引き返すことにする。

帰り道で見かけたユニークな植物

参拝者と思われる

こちらも参拝者なのだろう

段々畑の風景

宿からガントク方向に歩いていくと左に保護林と小さな温室がある。そこから右に入ると棚田の風景が見られる。平地の少ないこの地域で,人々は斜面を利用して農業をやってきた。しかし,斜面の農業は常に土壌流失の問題を抱え,かつ生産性も低い。

一方,水田耕作の場合は水を張るため等高線の農地が必要になる。そのため斜面を等高線でならし,階段状の農地を造成する,恒久的な農業技術が生み出された。その技術はアジア各地に伝播し,美しい棚田の風景を作り出してきた。ヒマラヤ山麓のシッキムでも多くの地域で棚田が見られる。

ルンテク僧院の下の斜面は写真写りのよい棚田になっている。棚田は斜面を半周するように続いており,その向こうにはガントクの町が広がっている。ここから向かいの町まで直線距離はおよそ10kmほどである。その間にはジスタ川の支流の谷になっている。

標高250mの谷から一気に1600mまでの登りである。棚田は谷から山の上まで断続的に続いている。棚田の周囲は森林になっている。樹木も類似しており,風景は日本の山村風景と酷似している。そういえば,シッキムのレプチャ人は日本人によく似ている。

アマリリスの仲間

チベット系とネパール系の子ども

私も撮ってと声がかかる

問答

夕方4時過ぎにルンテク僧院を訪れる。僧侶たちは外の庭で1対1,あるいは集団になって問答をしていた。質問側の僧が右手の拳を左の手の平に打ちつけながら質問を発する。回答側の僧は間髪を入れずに回答しなければならない。

チベット仏教が密教として成立した11世紀以前に中国から禅がチベットにも伝来しており,少なからぬ影響を与えている。僕の前で繰り広がられている光景はその一端であろう。

質問内容は宗教の範囲を超え,哲学的なものにまで及ぶ。日本でも禅問答といえば「当事者以外には分からない」ことを意味する。当然,解がないような質問も多い。「解の無い問いに答える」ことは,チベット仏教の修行に資することが多いようだ。彼らは毎日2時間を問答に充てている。

灯明室


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