オリッサはベンガル湾に面した豊かな地域であり,その中心地がブバネーシュワルである。この地域の歴史は古く,紀元前3世紀にカリンガ国が繁栄していた。カリンガ国は紀元前3世紀にマウリア朝のアショーカ王に攻め滅ぼされ,そのとき10万人を越える犠牲者を出したという。この惨禍の後,アショーカ王は仏教に帰依したと伝えられている。
マウリア朝の勢力が弱体化すると,地域の勢力は独立し,独自の文化を発展させた。7-13世紀にかけてヒンドゥ教の建築文化が大いに発展し,カジュラーホと並ぶ北方型の寺院建築の代表作を生み出した。10世紀にはガンガ朝の都となり,その繁栄は15世紀まで続いた。
ブバネシュワルはこの地域の宗教都市と位置づけられ,繁栄の時代に数多くの寺院が建造された。かっては7000もの寺院があったと伝えられており,バナーラスと並ぶ聖地となった。しかし,16世紀にイスラム教徒の侵入により,この町の繁栄は終止符をうたれた。
現在でも多くの寺院が残されており,それらはすばらしい観光資源になっている。一部は有料化されているけれど,無料の寺院を回るだけで十分にその素晴らしさが堪能できる。
コナーラク→プリー 移動
コナーラク(08:00)→ブバネシュワル(10:20)と約50kmをバス(25Rp)で移動する。06時に起床,昨夜も気持ちよく寝られた。朝食はパンの黒焼きにバターをぬったもの,日本ではトーストと呼ばれるものである。インドではガスでパンを焼くのでこのような黒焼きになってしまう。
宿の裏手の土産物屋の通りを抜けて,歩いて10分ほどでバススタンドに到着する。マイクロバスが2台停車しており,そのうちの一台に乗せられる。ブバネシュワル行きのマイクロバスは定刻に出発したが,あちことで乗客を集め,乗車率は200%になる。神経に障るインド音楽も加わり快適からはほど遠い。バスは集落ごとに停まる。大きな町に入ったなと思ったらブバネシュワルであった。
ブバネシュワル・ホテル
バスは目的のブバネシュワル・ホテルの前を通ったので,その前で降ろしてもらった。ブバネシュワル・ホテルはこの町の老舗のホテルである。受付はしっかりしており,部屋代はPCで管理されているという理由で,ディスカントには応じてもらえなかった。
部屋(175Rp)は6畳,1ベッド,T/S付きで清潔である。シャワー室ではときどきゴキブリと対面したので,手桶でたたいて排水溝に流していた。
グランドフロアから上にあがる階段のところにジャガンナート寺院の3体の神像の模型が飾ってあった。確かにインドでは珍しい非常にユニークな顔かたちをしている。
販売用の石像が展示されている
宿の前の道路を南に行くと大きな交差点があり,その先には州立博物館がある。ここまではおよそ2kmくらいだ。さらに南に行くと右側(西側)にムクテーシュワラ寺院が見える。ここまでは5-6kmあり,炎天下を歩くのはしんどい。しかし,歩くことにより街の様子はよく分かる。
とりあえず分かったことは,この通りにはホテルは多いけれど僕の利用できそうな食堂は見当たらないということだ。インターネット屋も見つかったけれど,残念ながら日本語入力はできない。州立博物館は道路に沿って続いており,非常に広い敷地を占めている。
石屋も見つけた。使用している石材は赤砂岩,題材はほとんどがヒンドゥーの神々であり,その姿は1000年前となんら変わっていない。機械が使えるようになったので仕上がりはシャープだし,細かいところも掘り込まれている。
ムクテーシュワラ寺院(9世紀中頃)
ムクテーシュワラ寺院が見えたので近くで冷たい飲み物をいただく。スプライトの小びんが6Rpなのはうれしい。ムクテーシュワラ寺院は特に入場制限はないし,入場料もとられない。同じ敷地内には「Sidheswara 寺院」も同居している。
確かにジャガモハン(拝堂)とレカー・デウル(高塔)の組み合わせは二組ある。そのうち,トーラナと呼ばれるアーチ型の塔門をもち,精緻なレリーフが刻まれているものがムクテーシュワラ寺院である。
この塔門はなかなかユニークなものでオリッサで初めて見るものである。しかし,拝堂と高塔の写真を撮る時にはちょっとジャマである。拝堂と高塔はすべて赤砂岩でできており,標準的なオリッサ様式である。高塔がそれほど高くないので横からの写真は撮りやすい。
ムクテーシュワラ寺院の精緻なレリーフ
ムクテーシュワラ寺院の拝堂も高塔も下部は柱上になっており,そこにはすばらしいレリーフが施されている。特に高塔のレリーフはいつまで眺めていても飽きない。しかし,寺院の敷地内は裸足にならなければならない。強い陽光で石の床はとても熱くなり,のんびりというわけにはいかない。
材質の赤砂岩といい,精緻なレリーフといい,アンコールワットのバンテアイ・スレイ寺院との類似性が強い。9世紀の造営というので時期的にも近いものがある。
深遠な哲学と生命の躍動
ムクテーシュワラ寺院の拝堂の中は掃除の行き届いたほとんど何も無い空間になっている。そこには唯一,横に液体が流れ出る腕が付いている円形状の石器(ヨーニ)が置かれ,その中心部にはリンガと呼ばれる円柱の基壇があり,その上に頭をもたげるコブラの像がある。
ヨーニの円周と腕の部分には花が飾られており,その上にはまるで日除けのように刺繍布が広げられている。リンガとヨーニの組み合わせはシヴァ信仰の象徴である。
ここのものは乾いた状態であったが,多くの寺院では参拝者がリンガにミルクを注ぐ。ミルクはヨーニの受け皿にたまり,そこから腕のように伸びた部分を通って流れ出す。ヒンドゥー教では生命の躍動をそのまま生々しく表現するものが多く,ヨーニとリンガの組み合わせもその一つである。
アーリア人の祭祀を集大成した聖典「ヴェーダ」に始まったバラモン教は,ヴェーダ文献の最終段階では,インド土着の宗教から影響を受けながら「ウパニシャッド(奥義書)」となった。その中には「輪廻転生」と「梵我一如による輪廻からの解脱」について語られている。
梵(ブラフマー,宇宙の根本原理)と我(アートマン,個体原理)が究極的には同一であることを学び悟ったものが解脱できるという教義は宗教というより哲学に近いものである。ブッダの教えもこの延長線上にある。
このように哲学といってもよい宗教観をもつに至ったバラモン教から発展したヒンドゥー教は,形而上はともかく,極めて現世利益的であり生命の生々しさをむき出しにしたものになっている。
インドの支配民族となったアーリア人も宗教的にはインドに飲み込まれ,その一部になったようだ。インドの懐の深さは,あらゆるものを飲み込む力強さに起因しているのかもしれない。
ラージラーニー寺院はフェンスの外から撮る
ラージラーニ寺院は周囲を塀で囲われ,内部は公園になっている。これはインドの得意技で,外国人の入場料は100Rp,カメラ持ち込みは25Rpとなっている。すでに十分にレリーフは見学したので入場はあきらめ,囲いの外からの写真でガマンする。
バニヨン(ガジュマル)の木は聖木とされることが多い
ビンドゥ・サガル湖からの眺望
パラスラメシュワラ寺院のすぐ先にはビンドゥ・サガル湖がある。南北に細長い長方形の湖の周辺には多くの寺院がある。南側にはブバネシュワルを代表するリンガ・ラージ寺院の高さ50mの高塔がそびえている。
湖の中島にあり,浮かんでいるように見えるのがビンドゥ・サロヴァラ寺院である。そしてその左にはアナンタ・ベシュデーヴァ寺院の高塔も見える。
この風景はブバネシュワルを代表するものだ。残念ながらリンガラージの高塔は修理中なのかやぐらで囲われている。今回は南アジアの乾期に旅行したため,ミャンマーでもインドでも修理・修復中の建築物が多く,泣かされた。
パラスラメシュワラ寺院
パラスラメシュワラ寺院はムクテーシュワラ寺院からビンドゥ・サガル湖に行く道の左側にある。ジャガモハン(拝堂)とレカー・デウル(高塔)というよりは,祠堂と大きなリンガの組み合わせという程度の小さな寺院なので最初の日は通り過ぎてしまった。
翌日,まあちょっととのぞいてみたら,ここのレリーフも見事であった。入口ゲートから見て正面にガネーシュ,裏面にシヴァが配されている。神像から最上部のシカラにかけて,石組みが一段,一段積みあげたような構造になっており,その一段毎にすばらしいレリーフが刻まれている。
オリッサの寺院建築のすばらしさは決して大小ではないということを知らされた。石工の宗教的情熱が伝わってくるような,さまざまな造形のすごさにただただ感心する。
ヴァイタール・デウル寺院
ビンドゥ・サガル湖を反時計回りに歩き,湖の西側にあるヴァイタール・デウル寺院に到着する。ここも異教徒が無料で入ることができる。寺院そのものはとてもシンプルであるが,ここの高塔の壁面にも細かいレリーフが施されている。
装飾用の柱が1m間隔に並んでおり,その一つ一つに神像が彫り込まれている。中には女神というよりは踊り子と思われるものも含まれている。おそらく神殿で踊る巫女の姿を写し取ったものであろう。損傷が少ないので美しい造形を現在に残している。
拝堂の周囲もレリーフで埋め尽くされている。ご神体はシヴァ神の眷族のガネーシュである。西日に照らされて像の赤がいっそう鮮やかに輝いている。
ナワケスワラ寺院
ナワケスワラ寺院はムクテーシュワラ寺院の向かいにある。最初の日は中に入れないと言われ,塀の外からの写真でがまんした。翌日,再び行ってみると問題なく入れてくれた。
入り口の左右には2体のライオン像が置かれている。この配置は寺院の守護者という位置づけなのだろうが,愛嬌のある笑っているような顔と子どもの絵のような色使いなのでまるで迫力はない。
ライオン像の台座のところにサドゥーが坐っている。僕が片側のライオン像の写真を撮ると,「ワシのほうも撮ってくれ」と注文がきた。画像を見せてあげると,ウンウンとうなづいている。修行者,遊行者といわれている彼らの世界にも,新しい文化は確実に入り込んできている。
ここの拝堂と高塔はどちらも切石を積み上げただけのものであり,全面が漆くいで化粧されている。石の質感も感じられず,ムクテーシュワラ寺院の繊細なレリーフと造形とは比べるまでもない。
寺院内には井戸があり,バラモンと思しき人の指導で巡礼者が水を汲み上げている。彼らはその水をペットボトルに入れている。それは彼らにとっては「聖なる水」であり,大事に持ち帰り,村の人々に分け与えることになるのだろう。
ガンガーの最上流部の聖地ガンゴトリーに近い村では,祝福を受けたガンガーの水を容器に入れ,遠く離れたところに暮らす人々に届ける一種のデリバリーサービスを生業の一部にしている。
インド郵政省は密封容器にガンガーの聖なる水を入れ,インド全国および世界中に配達するサービスを検討しているという。そこまですると聖水のありがさは格段に落ちるような気がするが…。
寺院の敷地内には沐浴場もあり,何人かの男性が沐浴していた。イスラム教では礼拝前に身を清めることを聖典の中に記してあり,ヒンドゥーにおいても神聖な寺院に参拝する時は同じように沐浴する習慣があるようだ。
もちろんヒンドゥーの場合は手足を洗ったり口をゆすぐ程度ではなく,全身を水に浸す沐浴なのでみんなが実行するわけではない。
礼拝堂の中ではギーが焚かれ,中央にはヨーニとリンガを組み合わせたシヴァ神の象徴が置かれている。参拝者は灯明台に灯りをともし,ヨーニに触れてより良い現世を願う。
アナンタ・ベシュデーヴァ寺院
ビンドゥ・サガル湖を時計回りに戻り湖の東岸に出る。ここにはアナンタ・ベシュデーヴァ寺院がある。門を守っている2頭の獅子の間を抜けて中に入る。この獅子像は彩色されておらず顔つきもいかめしいので,門番の機能を果たしそうだ。
この寺院も拝殿プラス高塔の基本構造をもっているが,拝殿には大きな祠堂のような建物が連なっている。また,たくさんの建物が周囲を囲んでいる。この寺院はかなり大きなものだ。
とても残念なことに,高塔の壁面にあるレリーフの頭部はひどく破壊されている。16世紀にイスラム教徒が侵入したときの被害であろう。気の毒な像の何体かを写真にする。
なぜか,この寺院の中では盛大にヨーグルト作りが行われていた。インドではヨーグルトは素焼きの壺に入れて作られる。周辺にはたくさんの壺が並べられており,壺をもった男たちが行き来している。
まるで寺院を廃業してヨーグルト屋になったようだ。それでも,高塔の回りには足場が組まれ,修理工事が行われているので,もとの寺院に戻る日も近いかもしれない。
リンガラージ寺院前の広場
リンガラージ寺院の周辺は,広場になっており,供物や土産物の店でにぎわっている。食べ物の屋台もいくつか出ている。寺院の敷地は高さ5mもの回廊のような塀がめぐらされており,拝殿と高塔の上部だけがのぞいている。
寺院の入口は大小4頭の全然怖くない獅子に守られている。入り口の上部は拝堂のようにピラミッド型に石が積まれている。さすがに立派なものだ。
獅子の両側には喜捨を求める人々が並んでいる。強い日差しが照りつけているので日傘は必需品である。体を動かすことはないが,日がな一日,この炎天下に坐っているのは大変なことだろう。
山車の製作が佳境に入っている
オリッサ最大の祭りはプリーで行われるラタ・ジャートラである。ご神体を乗せた巨大なラタ(山車)を数千人の信者が引いて町を巡る。信者や群集の熱狂は大変なものだという。
ブバネーシュワルではこれからそのような祭りがあるようだ。リンガ・ラージ寺院の近くではテントが張られ,男たちが監督の指示の元で巨大な車輪を製作していた。厚さ20cmほどもある板材をつなぎ合わせて直径2mほどの車輪の形を整えている。車輪の表面を削って滑らかにしている人もいるし,側面を加工している人もいる。道具はカンナではなく,刃の付いた小さなクワのようなものを使用している。
中心部は車軸が通るので同じ厚さの板で補強してあり,専門の職人がノミで穴を開けている。当然,裏側も同じように加工しなければならない。そのためか,車輪の下には長方形の穴が掘られ,そこに角材を渡し,その上に車輪が乗っている。穴の中に人間が入れば逆向きながら,穴加工はできる。
道路の反対側では山車の車体が組み立てられている。長さ6-7mの5本の角材が横木に取り付けられ,中央部には2本の大きな梁が渡されている。横柱と接するところは切込みが入れられており,柱の1/3ほどが切り込みに嵌合するようになっている。これが台車の部分になる。
梁の部分は縦柱を立てるための穴があり,近くにはそれと思しき柱がある。ここに四本の柱を立てて,カー・デウル(高塔)の形を造るようだ。
見晴らし台からリンガラージ寺院の内部を見る
異教徒は中に入れない。入口から中を覗いてみてもほとんど何も見えない。
入口の右側面に見晴らし台があり,そこから内部を見ることができる。しかし,近すぎて横アングルでは高さ50mの高塔全体が写真に入らない。それにしても見事な高塔である。
惜しむらくは工事中のため,足場の竹のやぐらがじゃまだ。崩れてしまったがコナーラクのスールヤ寺院のものは,かって60-75mあったと推定されるのでさぞかしすごいものだったのであろう。
ブバネーシュワル駅
コルカタに戻るためのチケットを買いに駅まで出かけた。宿の前の通りを左に行き,次の角を曲がると駅が正面に見える。駅舎に着いて当日以外のチケット売り場を探す。これがなかなか難しかった。窓口を三つ回ってようやく探し当てた。
インドで当日以外のチケットを入手するのはかなり大変だ。申請用紙に必要事項を記入し,内容確認・質問受付用の窓口(エンクワイアリ)で内容を確認してもらい,改めてチケットの窓口に並ぶ手続きが必要だ。
30分ほどエンクワイアリで並び,内容を確認してもらう。窓口のスタッフは日本の住所を書けとのたまう,(オイオイ,日本の住所を記入してどうなるというんだ)とは口に出さず,素直に適当に書く。
続いてC7の窓口に並ぶ。窓口の上には女性,年寄り,外国人と書かれている。窓口の処理速度は1人あたり3-10分ほどである。僕の前の10人ほどを処理するのに1時間ほどかかった。しかし,インドでよくみられるような窓口に殺到することはなかったので気楽に待つことができた。
日本にいるときはスーパーのレジでちょっと待たされるといらだつのに,海外に出ると30分や1時間は平気で待つことができるようになる。日本人は自国の客を待たせないサービスにあまりにも慣れすぎているようだ。
ということで,144Rpのチケットを手に入れるのに午前中の大半を使ってしまった。ダウリの岡に行くのは午後からにしよう。昼食は駅の近くで魚カリーにする。15Rpのカリーは可もなく不可もなく,期待通りの味であった。
ダウリの岡を見に行く
ブバネシュワルから南に10kmのところにダウリという岡がある。20年ほど前に日本山妙法寺のストゥーパが岡の上に建立された。田舎の風景を楽しむために,ちょっと遠出をすることにした。
もっとも,このような場所に行く直通バスはないので,プリー行きのバスに乗り,ウハラで降ろしてもらう。そこは小さな商店があるだけの田舎である。リキシャーが寄って来たのでダウリと告げると往復で100Rpだという。
片道2km程度なのでひどい値段だ。バカと日本語で告げて歩き出す。道路と直角方向に水路があり,村人の話ではそれに沿って行くとダウリに出るという。目標となる白いストゥーパはここから見えるのであとは歩くだけだ。
水路の幅は15mほどで水量は豊かだ。水路の両側は1mほど高い土手の道になっており,ココヤシの木が一列に延々と続いている。ココヤシの木の下を歩く時はそれなりに気を使わなければならない。重さ2kgもある実の直撃を受けると,命にかかわるからだ。できるだけ,水路側を歩くことにしよう。
水の豊かな風景
周辺は緑豊かな田園地帯になっている。乾期なのでほとんどの水田は茶色になっており,わずかに雑草が生えている。それにしてもヤシの木の多いところだ。水路の反対側は冠水しているところがあり,ハスの花が咲いている。
いつの間にか,水路の向こう側にもう一本の水路が現れた。どこかで分流しているようだ。この水路は近くの集落の方に向かっている。水路は農業用水だけが目的ではない。村人はこの水路で体を洗ったり,食器を洗っている。
ストゥーパの岡が近づくと,水路の両側は湿地に変わり,ホテイアオイや他の水草で水面は覆われている。ホテイアオイの花は今が盛りである。繁殖力が強いため,世界中の熱帯地域の内水面でやっかいものになっているホテイアオイも,その花はけっこう可憐だ。
アショーカ王の勅令を刻んだ岩
橋を渡って岡に続く道を歩く。岩から削り出したゾウの前半分の石像がある。近くにはアショーカ王の仏教帰依の勅令を刻んだ岩がある。2300年の風化に耐え,勅令の一つ一つの文字がはっきり分かる。
アショカ王がこの地域を支配していたカリンガ国を征服したとき,10万人を越える犠牲者を出したという。この惨禍の後,アショーカ王は仏教に帰依したと伝えられている。アショカ王は支配地に多くの石柱を立て仏教の法(ダルマ)を記した。
この地域だけはそれでは不十分として勅令を岩に刻んだのであろう。この場所からは岡の上に白いストゥーパがしっかり見える。失礼な表現だが岡の上に巨大な白いキノコが生えているようだ。
この山には仏教とヒンドゥー教が同居している
ストゥーパの手前にはシヴァを祀るヒンドゥー寺院がある。妙法寺のストゥーパが完成後に,遺跡だったものを修復したという。そのため,ずいぶん新しいような気がする。内部には巨大なリンガの石像があり,その前にラタ・ジャートラ祭のご神体のミニチュアが置かれていた。
ストゥーパからの眺望
白いストゥーパは近くからでは写真の対象にならない。周囲を一回りすることができるようになっており,そこからはオリッサの緑豊かな平原を眺めることができる。
森と農地がいい感じで混ざり合っており,ところどころにため池の青い水面が見える。オリッサはとても豊かな土地のようだ。この土地の生産性のおかげで,ブバネシュワルの多くの寺院が造り出されたということだ。
村の子どもたちにヨーヨーをプレゼントする
帰りは用水路の左側の道を歩いた。堰のところで遊んでいる子どもたちに出会った。水がすぐ手に入るの久しぶりにヨーヨーを作ってあげる。この見慣れない日本の玩具を子どもたちはとても喜んでくれた。
二人の子どもが家の前で食事をしている
畑の向こうに集落があるので訪問する。村の家屋はだいたい土壁とヤシの葉でできている。二人の子どもが家の前で食事をしているので撮らせてもらう。特に写真をいやがる素振りは見せない。子どもたちは食器にたかっているハエを気にもしないでごはんを食べている。二人にはお礼にヨーヨーを作ってあげる。