プリーはジャガンナート寺院あってのプリーである。もともとジャガンナート神はこのあたりの土着神であったが,ビシュヌの化身,さらには「宇宙の王」と呼ばれる高次の神格を有するようになり,全インドから巡礼者を集めている。
毎年7月に行われる「ラタ・ジャートラ(ヤートラ)祭」では,門外不出のご神体を乗せた3台の巨大な山車が街を巡り,10万人もの熱狂した群集がそれに群がる。当然,毎年何人もの死者が出るという。
プリーのもう一つの顔は,海岸の保養地である。太陽が傾き,日差しの和らいだ頃,海岸の砂浜には大勢の観光客が坐り,潮風と色彩の変化を楽しんでいる。
コルカタ→プリー移動
ハウラー駅(06:00)→ブバネシュワル(13:10)→プリー(15:30)と約550kmを列車とバスで移動する。チケット(131Rp)は前日に中央郵便局の近くにある鉄道予約センターで購入する。ここは外国人専用の窓口なのでパスポートと銀行両替レシートを持参する必要がある。
チケット購入申請書に必要事項(移動日,行き先,列車の等級など)を記入し,出発時間や列車名はブランクのまま,窓口に提出する。職員が当該日の列車時間を教えてくれるので,その中から希望のものを選択し,申請書に記入する。チケットがプリントされて出てくるので,ここで料金を支払う。
僕は夜の移動が嫌いなので,早朝出発便となった。05:00に幹線道路に出てタクシーをつかまえる。インドではメーター付き(使用する)タクシーが少ないので,乗車時に行き先を告げて料金交渉をしなければならない。最初のタクシーは100Rpと言うのでバカと言って別れる。次の運転手は50Rpと言うのでお願いする。道路が空いているため10分少々でハウラー駅に到着する。
ハウラー駅は古くからある駅舎と新駅に分かれており,オリッサ州方面の列車は奥にある新駅から出ている。プラットホームに行くとちょうど列車が入線するところである。ここは列車もホームも長く200mくらいはありそうだ。コーチ番号が表示されているので容易に座席を見つけることができた。
列車は定刻に動き出した。ブロードゲージなので一列6人掛けである。列車のトップスピードはけっこう速い。周囲には広大な水田と乾いた畑が広がっている。オリッサ州に入ると乾いた畑の割合が増えてくる。河川は雨期の何分の一かの細い流れになっている。
ブバネーシュワルの駅舎は立派だ。2階にドミトリータイプの宿泊施設と食堂がある。駅の南口からBSまでのリキシャーは1.5kmで15Rpと高い。プリーまでのマイクロバス(25Rp)は便数が多い。ただし乗車率が100%を越えないと発車しない。
Sri Balaagee Hotel は大失敗
プリーのBSは海岸から2kmほど離れている。リキシャーに乗ったら,「Sri Balaagee」に連れていかれた。これが敗着であった。主人は長屋風の建物にある部屋を200Rpだと言う。
運の悪いことに周辺には他の宿は見当たらなかった。仕方がないので,3日泊まるということで1泊150Rpにしたら,3日分を前払いさせられた。これでは宿を変えることができない。部屋は6畳,2ベッド,蚊帳,T/Sは共同である。
見た目はそれほど悪くなかったが,まず気が付いたことは部屋の中にはコンセントがないことだ。外のテーブルの近くにはコンセントがあるので,日記を書きながらデジカメのバッテリーをチャージすることにした。
それほど不便ではないがチャージの間は近くにいなければならない。このテーブルの上にある蛍光灯も消費電力が小さため,テーブル面はかなり暗く,日記を書くのも苦労した。
夜になって天井のファンを動かしたら恐ろしい音をたてるし,強さの調整も効かない。全速力で回すか,止めるしかないのだ。その日の夜は寝苦しかった。ファンを回すとうるさいし,涼しすぎる。止めると暑すぎるでさんざんであった。主人に文句を言って部屋を替えてもらったが,大同小異といったところだ。
この宿は,料金の高い部屋はともかく,安い部屋は料金に見合うものではない。少し西に行くと100Rp程度でいくらでもいい宿があるのに悔やまれてならない。そのせいなのか,宿の写真は1枚も撮っていないので,宿の近くの写真で代替することになった。
竹細工地区
早起きして海岸に行く。宿の周辺には竹細工を生業としている人たちがこの時間からカゴを編んでいる。日中に通りかかると竹で編んだゴザを立てて強い日差しを避けていた。これはとても良い絵になるので一枚撮らせてもらった。おじさんは仕事の手を休めてカメラ目線になってくれた。
漁師地区海岸の風景
海岸は漁師村のエリアと観光エリアに分かれている。漁師エリアの海岸を歩いてみる。海岸から見える範囲でたくさんの漁船が操業している。漁船が戻ってくると人々が集まる。遠くの漁場まで行った船の獲物は大きい。漁師が船から魚を運ぶと浜辺ではけんかのようなセリが始まる。砂の上にみごとな面構えの大きな魚が置かれていたので,写真にする。
宿の前の学校
宿の近くには2つの学校がある。通りをはさんで宿の前の学校は,ちょっと裕福な家庭の子どもたちが集まっている。ちゃんと洗濯された制服を着ており,ちゃんとした文房具を使用している。女の子の制服は白いシャツに白いスカートであり,ちゃんとネクタイをしている。
写真に対するアレルギーも無い。それどころか一度画像を見せてあげると希望者が集まり,チャイムが鳴るまで撮影会になってしまった。彼女たちの白い制服とネクタイの組み合わせはインドではよく見かける。
漁師村の学校
もう一つは宿から少し離れた漁師村の一角にある小学校である。こちらは全クラスが一つの教室で勉強している。100人くらいはいそうだ。その生徒たちを一人の先生が教えている。
子どもたちは石板に文字を書き,いっぱいになると布でこすって消している。入口から中をのぞいていると先生が手招きしてくれた。先生の許しを得て何枚か写真をとり画像を見せてあげる。
再び漁師地区海岸を歩く
日が高くなると帆を張った小舟を背景に,波打ち際で遊ぶ子どもたちの写真が撮れる。しかし,子どもたちは動きが早いのでフレームがうまくいかない。そのうえ,子どもたちを撮ると決まって「1ルピー」という声とともに手が出てくる。
僕は子どもにはお金をあげない主義なので,彼らの要求を断り続けなければならない。これは骨が折れるし,子どもたちにあっちに行けというそぶりをされるのはちょっとつらい。観光地では当たり前のことかもしれないが嫌なものだ。
もう一つの嫌なものは人間の排泄物である。漁師地域の海岸には波打ち際辺りに点々と残っている。タミール・ナドゥ州の海岸もこのような状態だったので,インドの田舎の海岸ではかなり普遍的な文化なのかもしれない。
インドは輪廻転生の国である。人間の排泄物も輪廻して,きちんと自然のリサイクルの輪に入るのは決して悪いことではない。そうは言っても,その近くを歩いたり,写真を撮ったりしながら,残留物を避けるのも骨が折れる。宿に戻るとなんとなく臭う。調べてみるとやはり靴底が臭うようになった。明日も朝の海岸に行って靴底を洗わなくてはならない。
大きなバニヨンの木の下で
寺院の周辺がプリーの中心部なので,立派な家が多くなる。大きなバニヨンの木があり,その下でサドゥーが坐っている。
彼に写真をお願いすると,2つ返事でOKが出た。白い口ひげがのサドゥーは,長い杖と毛布,それに2つのバッグをたずさえてこの町に来たようだ。
コマーシャル付きのポスト
近くにはポストがある。赤い胴体に黒い帽子を被っている。面白いのはポストの前面に記された文字である。そこにはジャガンナート・ガスの宣伝文句が書かれている。インドの郵便は郵政省が管轄している。その郵便ポストに宣伝文句が入っているとは,郵政省の台所事情は良くないようだ。
路地の向こうにジャガンナータ寺院が見える
ようやく道路の突き当たりにジャガンナート寺院が見えた。古い町並みの向こうに白い拝堂そしてシカラ(大塔)が見える。多くの巡礼者がここを訪れるのでジャガンナート寺院の周辺は,さながら門前市のにぎわいを見せている。
ジャガンナータ寺院前の広場は混雑している
寺院の前はかなりの広さをもつ広場になっている。現在はかなり空間が見えるけれど,ラタ・ジャートラ祭になると,この広場に3台の山車が並び,広場は祭りの群集で身動きが取れないほどの混雑になるという。
寺院の前では巡礼の人々に混じってサドゥー,おもらいさんそして牛がうろついている。巡礼者は入口の水場で身を清め寺院に入る。残念ながら異教徒は中に入れない。
供物を売る店や土産物屋が多く,お菓子を食べたり,写真を撮ったりしてけっこう楽しめた。広場にはたくさんの牛がたむろしており,バナナの皮,バナナの葉,ココナッツの殻など,人間の捨てた植物性のゴミをあさっている。
彼らはある種の移動ゴミ箱の機能を果たしているが,このゴミ箱はときどき消化器官を通り姿を変えたものを落としていく。牛たちの様子を見ていると何となく序列があるような感じを受ける。強そうな牛が他の牛が食べているものを横取りする場面を何回か見かけた。
土産物屋を覗いてみる。ギーを燃やす灯明台の上に,ラタ・ジャートラ祭の巨大な山車に乗せられる御神体の像があった。なかなかユニークで愛嬌がある。
ジャガンナート寺院の本尊は3人の異形の神である。それはクリシュナ神の化身とされる「ジャガンナート神」,クリシュナの兄とされる「バラバドラー神」,クリシュナの妹とされる「スバドラー女神」の3人である。
ジャガンナート寺院はヒンドゥー教徒以外は入ることができないので,異教徒は3神の姿を見ることはできない。しかし,年に1回,7月に行われる「ラタ・ジャートラ(ヤートラ)祭」では,ご神体を乗せた3台の巨大な山車が9日間にわたり街を巡り,グンディチャ寺院に詣でる。
山車は16もの巨大な木製の車輪をもつ車にご神体が置かれる円錐型の台座が乗せられ,高さは13.7mにもなる。この山車を取り囲んで10万人ものヒンドゥー教徒が熱狂しながら行進する。
それを見るために数十万人もの参拝者がやって来るというのであるから,その熱狂と混乱については想像を絶するものがある。熱狂的な祭りが終わると,ご神体はジャガンナート寺院に戻され,プリーの町は平穏さを取り戻すという。
図書館の上から眺望する
異教徒は寺院の中に入れないので近くの図書館の最上階からハヌマーンと一緒に眺めることになる。図書館に行くと扉は閉まっていた。近くの人が16時に開くと教えてくれた。広場に戻り門前市の写真を撮りながら時間をつぶす。
ここは古色蒼然としたところで,まともな図書館には見えない。しかし,インドの田舎ではこんなものなのかもしれない。古い木製の階段を上り,最上階のテラスから外を眺める。正面に寺院前の広場があり,東に向かう通りの両側には商店と露店がひしめいている。
確かに16時に行くと図書館は開いていた。この建物は寺院の近くにあり,高さがあるので高い塀に囲まれた寺院の中を見ることができる。しかし,入るときに入館台帳に記帳させられる。
そこには誰が書いたのか寄付金の金額が記入してある。これでは寄付金台帳である。金額は最低でも100Rpである。しょうがないなあ,とぼやきながら僕は受付に10Rpを払って中に入る。
左側には寺院の全貌が見える。惜しいことに対象物が大きすぎるため,寺院の全景は撮れない。寺院の屋根にはハヌマーン(インドの猿)が何匹も遊んでいる。この図書館の屋根にもハヌマーンがやってきており,ときどき僕と目が合う。
サキゴパールまで足を伸ばす
田舎の風景を見たかったのでブバネシュワル行きのバスに乗り,偶然,サキゴパールで下車した。ここにはサギゴパール寺院がある。日本のガイドブックには全く触れられていないが,ロンプラには記載されているようだ。
ココヤシの実がいっぱい
昼食のため田舎道を歩いていると,ココヤシの実を大量に集めた家がある。中庭一面にココヤシが転がっている。塀にもハザが設けられており,そこにもココヤシが干してある。ココヤシの実ははとても有用である。
実を半分に割ると固い殻の内側に繊維質の部分があり,これはロープやマットの材料になる。日本の亀の子たわしもこの部分から作られる。繊維質の内側には白い胚乳があり,それを乾燥させるとコプラになる。
コプラは細かく砕かれ,カレーなどに入れて食用にされる。また,コプラ油(ヤシ油)をとることもできる。中心部には水が入っている。かすかに独特の匂いと味をもっており,暑い時の飲用水になる。ここの家では主人がココヤシを割って,中の水を飲ませてくれた。
サキゴパール寺院
少数の欧米人の旅行者に出会った。この寺院はジャガンナートと同じ構造をしており,中央の大塔もりっぱだ。中には入れないので周囲を一周してみた。どの方向にも障害物がありシカラ(大塔)は撮りづらい。
ハヌマン・ラングール
サキゴパールには道路沿いに小さな商店が並んでいる。食事のできる場所を探していると,一軒の店先に猿がつながれていた。ハヌマン・ラングールである。インドではラーマヤーナに怪力の神として活躍しており,ヒンドゥー教ではハヌマンという神として人気がある。ハヌマンはサルらしくない風貌をしている。じっと見ていると哲学者のように見えてくる。
バス停の近くの村を歩く
ここでは食堂は見つけられず,バナナを買い,チャーイ屋でいただくことに。しばらく歩き,田舎の風景を楽しんでからプリーに戻る。プリーのBS周辺のリキシャーは本当にたちが悪い。宿までの2kmに40Rpだという。コルカタのタクシーより高い。