バスでレーに戻る
シェーゴンパからの帰りは難儀した。用水路のあたりでミニバスを止めようとしたがすべて満員で素通りされてしまった。ようやく日本語の話せる僧侶の車に乗せてもらい,残りは乗り合いタクシーでレーのバススタンドに戻って来ることができた。
シェーゴンパからの帰りは難儀した。用水路のあたりでミニバスを止めようとしたがすべて満員で素通りされてしまった。ようやく日本語の話せる僧侶の車に乗せてもらい,残りは乗り合いタクシーでレーのバススタンドに戻って来ることができた。
昨日の夜も寒かった。06時に起床すると雨が降っている。今日は停滞かなともう一度ベッドに入る。07時前に雨は上がったのでバススタンドに向かう。
バススタンドでは08時発のストック行きがあり,ぴったりのタイミングであった。おかげでナンを食べる機会を失した。いつもの道を通り,インダス川を渡り,村までは長い上りであった。
バスは停車しバスから降りる。しかし,ゴンパはどこにも見えない。ヨーロピアンの二人の女性は畑の中をどんどん歩いて行くので僕もその後をついていったが,水路やヤクの写真を撮っている間に見失った。
親切なおじさんに道を教えられてなんとかストックゴンパに到達することができた。案内板のところで小道に入るとすぐにゴンパが見える。しかし,僧院は開いておらず僧の姿も見えない。後でわかったことだが,ストックの小学校で大きなイベントがあるのでそちらに全員が出向いていたのかもしれない。
ストックゴンパからチョグラムサルまでのんびり歩いて帰る。ストックゴンパには僧侶がおらず,本堂も施錠されていた。家造りの現場にお邪魔すると,ツァンパ(大麦の粉をバター茶でといて少し練ったチベットの常食)とバター茶(お茶にバターと塩を入れかきまわして作る)を出された。
ツァンパはきな粉をそのまま食べているような味で一口で辞退する。バター茶は特異な味ではあるが,それほどまずいものではないので全部いただくことができた。給仕をしているおばあさんに小さな孫がいるかとたずね,指を3本出されたので食事のお礼にヨーヨーを3個作ってあげる。
風景を楽しみながら町の近くにくると,小学校に人々が集まっている。そこでは高位のラマ僧の説法が行われていた。
中央に一段高いひな壇が作られ僧侶が説法をしている。その回りに他の僧侶,男性,一部の女性,見物の旅行者が坐り,女性と子どもたちは一段低い地面にシートを敷いて坐っている。僕は旅行者の席で見学していた。僧侶だけでも15人ほどいる。どうも彼らはストックゴンパの僧侶らしい。
僕の周囲の人々は男性も女性も盛装である。若い女性は丈の長い上着の民族服を着ているが,その柄は龍をあしらったもので,中国的なデザインである。彼女たちはつばの両端がめくれた,カラフル山高帽を被り,ビーズや色とりどりの石でできた首飾りをしている。
説法が終わると僧侶たちの読経が始まる。老人は小さなマニ車を回しながら小声でそれに合わせる。近くの人から順に白絹の布をラマ僧に渡し,祝福を受ける。女性たちや子どもたちの長い列がひな壇に向かう。
チョグラムサルの山側にチベット難民キャンプがある。1959年のチベット動乱により,多くのチベット人がダライラマとともにインドに亡命した。彼らがこの土地にやってきてからすでに30年以上の時間が経過している。人々は石や日干しレンガで家を建て,普通に暮らしていた。
電気はきているが,上下水道はない。人々のこころの支えはチベット密教である。白い仏塔の周囲には広く石が積み上げられ,マニ石が置かれている。大きなマニ車がつるされており,お年寄りがそれを回している。高地のため紫外線が強く,眼を患っている人が多い。
王宮からは山の頂に建てられたゴンパが少し大きく見える。この空の青は何と形容すればよいのだろう。晴れた日のレーの空は深い青色に染まっていた。その青色を背景に小さなゴンパが立っている。
王宮から先は細くて急な道が頂上のゴンパまで続いている。王宮までは登ることができたが,この先は無理だ。少し先に着いた元気なヨーロピアンはゆっくりと急な道を登り出した。