寺院における宗教的儀式
バリ人の大多数は土着の信仰,ヒンドゥー教,仏教が混合した独自のバリ・ヒンドゥー教を信奉しており,それに基づいた慣習様式(アダット)が生活の重要な規範となっている。
現在でも寺院を中心としたパンジャールやそれを地域で細分したデサと呼ばれる地域コミュニティを単位として,様々な労働作業や宗教儀礼が共同で行われており,バンジャールからの追放は日本における村八分以上に厳しく,(宗教儀礼に参加できないことから)死に等しいものとされている。
逆にコミュニティの単位で全員が作業や宗教儀礼に参加できることから,バリ人の精神的満足度は非常に高いといわれている。人々は地域社会の一員として小さい頃から隣人との助け合いの心を身につけており,争いごとを好まず,性格は非常に温厚である。
人々はデサ・アダット(慣習的なコミュニティ)の一員として自分の土地を清浄に保ち,穢れを避ける義務を負っている。
そのため,敷地内では複数の特定の場所に毎朝,ときには夕方もチャナンと呼ばれるお供え物をしている。また,日本ではお祭りとされている「ウパチャラ」も宗教的儀式の一形態であり,祭りに見えても人々の意識は宗教的行為なのだ。
バリ・ヒンドゥーは4つのカースト(ワンサ)に分かれており,上位3階級が僧侶・貴族とされており,人口の90%を占める残りの人々は平民ということになる。インドにおけるアウト・カーストに相当するものはない。
バリのカーストはインドに比べてはるかに緩やかなものであり,カーストによる職業選別はなく,カースト間の婚姻も普通に行われている。
バリの宗教的儀式のあらまし
「神々の島バリ…バリ・ヒンドゥーの儀礼と芸能(河野亮仙・中村潔)」より引用すると,宗教儀礼のあらましは次のようになっている。バリ・ヒンドゥーにおける宗教儀式を執り行う人にはプダンダ(バラモンに相当する祭司),プマンク(非バラモンの宗教的職能者)に大別される。
ブマンクはサンスクリットに関する深い知識を持ち合わせてはいないが,教義については一定の理解をもっており,サンスクリットのマントラを誦え花や供物を神に捧げる儀礼を行う。ブマンクの簡易儀礼に対して,ブダンダはバリ・ヒンドゥーの次のように正式儀礼を執り行う。
(1)道具や供物(花,水,香)の浄化
(2)自分自身の浄化
(3)自己神化(自身を神の座として神と一体化する)
(4)降臨した神を水瓶の水に移してそこでもう一度供養
(5)神の従者の神々の供養,そのほかの神々の供養
(6)神々にお帰りいただく
(7)過ちがあった場合の償いの儀礼
人々は「聖なる水」をいただくために儀式に参加する
バリ・ヒンドゥーにおいては神像に相当するものが寺院にはない。あるのは神が降臨するための空間をもつ建造物や玉座である。
インドのヒンドゥー教は神々を具象化することに最大の情熱を燃やしており,それは9世紀のジャワ・ヒンドゥーでも同様である。しかし,バリ・ヒンドゥーでは神像を安置したり寺院の外壁に描き出すことはなくなっている。何か大きな変化があったようだ。
ブダンダの儀礼は神の降臨と浄化された聖水を作るプロセスであり,大多数の平民にとってはそれほど意味のないものである。
重要なのは儀礼により生み出された「聖なる水(ティールタ)」であり,この水は人々を祝福・あるいは浄化するために与えられる。人々にとっては「聖なる水」をいただくために,正装して寺院に参拝するようだ。
上記の一連の写真は市場の近くにある寺院に参拝している人々の様子である。全員が正装であり,男性は白い幅の広いハチマキ状の被り物,白いシャツ,色物のサロン(筒状)あるいはカイン(一枚布),帯(シャツの下に隠れている)の組み合わせであり,女性は白いシャツ,色物のサロン(筒状)あるいはカイン(一枚布)をつけ,シャツの上から帯を締めている。参拝時間は15分ほどであった。
男性はあぐら,女性はかかとを浮かせた正座であり,略式は横座りとなる。男性がザルに乗せられたお供え物をから線香を取り玉座に奉げる。年配の女性がツボの中の聖水を刷毛につけて参列者にふりかける。
両手を額の高さもしくはより高い位置で合わせる,これが祈りの姿勢である。供物の花が配られ,女性は頭につけ,男性は被り物にとめる。
商店の壁面にあるガルーダ像
バリでは大きな商店や銀行の入り口近くにもヒンドゥーに関連する彫像やレリーフが飾られている。寺院の中には神像はないものの,このようなところにビシュヌ神を乗せたガルーダ像が飾ってあるのは不思議なことだ。
大きな交差点にある四面像
ププタン広場の北西の角にある交差点はロータリー状になっており,中央の立っているのは「チャトルムカ」の石像である。チャトルムカは固有名詞ではなく「四面」を意味する。
ジャイナ教の寺院によく見られる中央祠堂が四方に開かれている構造をチャトルムカ(四面)堂形式という。それに対して,ヒンドゥー寺院は前室+聖室が基本であり,聖室は一方向にしか通じていない。
インドネシアでもプランバナンのシヴァ神殿は外観は四面構造に見えるが,中央の主聖室に通じるのは東側だけである。このロータリーにある四面像は固有名刺をもたない像ということになる。観光案内にはマハーバーラタに出てくるブラフマー神を造形化したもので,1973年にウブドの彫刻家により建造されたとあった。
ジャガッナタ寺院に参拝する
宿に戻る途中でジャガッナタ寺院をのぞいてみると,こちらの寺院にも参拝者が集まっていた。庭の一部が芝生と石畳に区分されているのはこのように参拝者が座るためであることが分かった。
地面に置かれたお供え物
宿で朝食をとり2kmほど離れたアートセンターに向かう。小さな寺院があちらこちらにあり,いつものように寄り道をしながら歩く。
小さな寺院の入り口に朝のお供え物が置かれていた。大小5個のヤシの葉の容器に入れられた供物に線香が1本横にして置かれている。このようなお供え物は一般の家の敷地内でも行われ,朝な夕なにいろいろなところに供物が置かれることになる。
女性の入ったガムランは珍しい
この画像はどこで撮ったのかよく覚えていない。どうやらガムラン教室のようだ。ガムランといえば男性のイメージであり,女性のガムラン奏者は少数派である。しかし,女性だけのガムラン演奏グループもある。
今日も練習は続く
この日は午前中からマーチング・バンドの練習がいくつもの学校の校庭で行われていた。
アートセンターに向かう通り
アート・センターに向かう東西方向の幹線道路のあちらこちらに「ペンジョール」と呼ばれる竹飾りが立っている。バリ・ヒンドゥーではガルンガン(先祖の霊を迎える祭儀)とその10日後のクニガン(先祖の霊を天界に送り返す日)という日本でいうとお盆のような祭礼行事があり,そのときに各家庭ではペンジョールを立てる。
ペンジョールは祖先の霊が降りてくる目印になると考えられている。また,神に収穫を感謝するため作物,稲などをつるす豊作祈願の慣習もある。
この行事はバリ暦により決められ210日ごとに回ってくる。2009年は3月と10月の二回のガルンガンがある。現在は6月であるが,祭礼の多いバリのことなので通りにペンジョールが並ぶこともあるようだ。
盛装の従業員
骨董店あるいは土産物屋と思われる店の従業員がバリ島の盛装で客を迎えている。
アートセンターの中通り
アートセンターは広い敷地内にいくつもの芸能会場と露店がある。入り口から入ると二つのものが目に入る。一つは6頭立ての軽戦車に乗り,弓を構えている二人の彫像である。馬の躍動する動きがよく表されている。この彫像の題材はラーマーヤナとみた。
もう一つは通り沿いに並ぶ一段と華やかで豪華なペンジョールである。非常に凝った装飾となっており,高さ1mほどのところに台が取り付けられており,そこには人物像やお面などのアイテムも付加されている。
本来のペンジョールではこの部分は供物の置き場所のはずだが,このような飾りに使用することもあるようだ。この通りに並んでいるペンジョールは竹の本体が分からないくらいに飾られており,竹飾りを一本一本見ているだけでも楽しい。
飛天のイメージだね
ペンジョールの一つにはこのような飾りが取り付けてあった。中国の仏教石窟に描かれた「飛天」を彷彿とさせる。飛天は中国の石窟ではほとんど普遍的なモチーフとなっており,天衣や帯をなびかせながら極楽浄土を飛び回る細身の女性として描かれている。
飛天の起源はインドであり,八部衆(仏法を守護する八種の下級神)の乾闥婆(けんだっぱ)と緊那羅(きんなら)を指していた。しかし,僕のイメージとしては彼らを飛天とするにはちょっと無理がある。この写真のように印を結び読経する如来の回りを飛びながら花びらをまき散らす女性のイメージの方がぴったりする。
風に揺れる小飾り
素材である竹の先端部のしなやかさを利用してペンジョールの先端部はゆるやかな弧を描いて垂れ下がり,先端にはヤシの葉を編んだ小さな飾り(サンピアン)が取り付けられている。
この先端部のゆるやかな弧を描く形状はバリの聖なる山アグン山を模したもの,あるいは祖先の霊が降りてくるときは龍の形をしておりその姿を模したものともいわれている。
ヤシの葉で編んだ小飾りは風によりゆったりと動き,仙台の七夕飾りにも似た動きを見せてくれる。そういえば,日本の七夕飾りもお盆行事の一環であり,バリのペンジョールと同じ意味合いをもっている。
コンテストの出演者
この日は特別な催しが行われており,会場では詩の朗読や女性二人による寸劇のようなもののコンテストが行われていた。この会場の出演者のシャツは一様にピンクであり,なにか決まりがありそうだ。
演技場は割れ門の前に緋毛氈のじゅうたんが敷かれており,出演者は割れ門から階段を下りて登場し,階段を上って退場する。もちろん裸足である。
最前列には採点者が陣取る
採点員は舞台の正面に陣取っており,観客はその後ろもしくは左右から眺めることができる。出場者はすべて盛装で参加しており,少し距離はあるものの,写真には良い題材である。寸劇の声は喉の奥から声を出す発声方法であり,日本の古典芸能にも類似している。
アートセンター・美術館
アートセンター内の美術館にはバリ島の伝統絵画ではなく現代的な表現となっている。僕の感性では「これはちょっと」というところであった。
20年前に購入した細密画
20年前に訪問した時は細密画とバリ州の州鳥であり近絶滅種となっているカンムリシロムク(スズメ目ムクドリ科カンムリシロムク属)の絵をお土産に買った。古いテレビ番組ではカンムリシロムクをバリマイナーと紹介していたこと。
これらの昔の土産物は現在のものに比してずいぶん品質が高かったと思う。左の画像はランダを題材にした細密画をスキャンしたものでほぼ実物大である。バリ島の細密画は極めて質の高いものがある。
魔女ランダが祀られている
魔女ランダを祀った祠があり,そこに納められているランダの姿がずいぶんユーモラスであった。上の画像にある本来に近いランダと比べるとかなり感じが違うことが分かると思う。ランダはバリ・ヒンドゥーの悪の側面を象徴しており,それに対して善を象徴すのが神獣バロンである。
両者は遠い過去から永劫に戦いを続け,どちらかが勝利することはないとされている。このあたりにバリ人の精神世界の一端が表れている。悪の象徴でありながらランダは人の情けに触れると,強い魔力により人々を癒すとされている。ランダの祀られている祠の前には多くのお供え物が供えられている。
お供え物を作る
近くで女性たちがお供え物を作っていた。ヤシの若葉で飾り物を作るグループと円錐状の色つきごはんを作るグループに分かれている。ごはんグループの女性たちは車座になり作業を進めている。このようなときはあぐらか横座りということになり,正座に近い座り方は祭礼用ということのようだ。
このようにして作られた供物は,ご神体のいない建造物の前に並べられ,その後はどうなるのかは分からない。インドのヒンドゥー寺院ではゴミとして処分されていた。もっともごはんのような食べ物は処分の前に牛,山羊,ハヌマーン,カラスなどが仲良くいただく風景が見られる。
昼食は宿の近くで中国系の食堂でミー・スープを注文する。日本語にするとラーメンであるが,出てきたものはメンとスープが別々の容器になっていた。このスタイルは新発見だ。
宿のスタッフがバイクでブノア港まで行ってくれるというのでお願いする。料金は2.5万ルピア,港までは10kmであり,交通量の多いデンパサールでは決して安全な乗り物ではない。
ブノア港は小さな島でバリ島とは干潟を突っ切る道路により結ばれている。ADSP社の事務所を探しているとペルニ社の事務所が見つかり,そこのおじさんが「ADSPは長距離フェリーはやっていないよ」と教えてくれた。
ペルニ社の定期船も2日前に出たばかりだという。2週間に1便なのでどうにもならない。とりあえず近くのクタに行ってもらい,一泊してロンボク島に移動することにした。