亜細亜の街角
トバの超巨大噴火で生まれたカルデラ湖
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トゥットゥッ  (地域地図を開く)

スマトラ島西部に位置するトバ湖は面積1103km2,最大水深529m,貯水量240km3という世界最大のカルデラ湖である。約74,000年前のトバ噴火は噴出量が2800km3,これは9万年前の阿蘇巨大噴火の約4.5倍に相当する。この噴火によるカルデラは世界最大で100kmX30kmにもなる。面積1103km2のトバ湖はカルデラの半分程度に過ぎない。

火山噴火の大きさを表すためによく利用されるのはVEI( Volcanic Explosivity Index)という尺度で1-8に区分される。VEIが「1」大きくなると噴出物量は10倍となる。噴出物量が1000km3を超える超巨大噴火はVEI=8となり,火山学者が知る範囲ではVEI=8の噴火は過去3回,トバ以外では米国のイエローストーン,ニュージーランドのタボだけであり,トバの噴火は過去10万年では最大のものである。

トバ湖の周辺は火砕流堆積物の層によって囲まれており,同種の岩石が3,000km以上離れたマレーシアやインドにも存在することが確認されている。また火山灰は東インド洋やベンガル湾でも見つかっている。このような超巨大噴火は巨大なカルデラを形成する。

ただし,規模があまりにも大きいので全容を知るには衛星写真のような超高度からの画像解析が必要になる。トバ湖に浮かぶサモシール島はカルデラの陥没後にマグマの圧力により再隆起した地形である。


ブラスタギ(07:20)→トゥットゥッ(14:10) 移動

ブラスタギからトバ湖沿岸のパラッパッまでは直通のバスがなく2回乗り換えることになり,ブラスタギ(07:20)→カバジャヘ(08:00)(08:10)→プマタン・シアンタール(11:00)(11:20)→パラッパッ(13:00)(13:20/ship)→トゥットゥッ(14:10)という行程となった。幸い接続が良く約6時間で到着した。

ブラスタギの宿は旅行会社を兼ねており,ツーリストバスなら直行で行けるとおばさんが勧めてくれた。しかし,料金を聞くと38万ルピアと飛行機並みの値段だったので即座にお断りする。上記の行程でトゥットゥッまでのバス料金は3万ルピア弱だったので比べものにならない。

プマタン・シアンタールのバススタンドに到着し,パラッパッ行のバスを待っているときに,尻のポケットに入っている財布がないことに気が付いた。社内での苦しい体勢によりずり落ちたようだ。ミニバスの最後尾の座席に落ちているはずだ。

親切なおじさんとバススタンドの案内人が一緒に探してくれ,2台めで回収することができた。インドネシアではこのようなときには関係者に謝礼をする文化があり,運転手と親切なおじさんには5千ルピア,案内内人には1万ルピアをお渡した。

パラッパッへの道は問題なく,1時間足らずで到着した。席の手配をしてくれた車掌にお礼を言って下車すると,彼は「良い旅行を」と英語で返してきた。

下車地点から埠頭にかけては数多くの露店が乱雑に集まり,歩く場所がなかなか見つからないほどだ。船着き場には「TUKTUK」と表示された船が停泊しており,行き先を確認してから乗り込む。湖の周辺の複数個所から煙が上がっている。焼畑はまだこの地域では行われているようだ。

船は湖のいくつかのポイントに立ち寄りながらおそらくアンバリータかトモッあたりに向かっているのだろう。僕の目指すバグーズベイは最初の立ち寄りポイントである。名前のように小さな湾のような構造になっており,水面を挟んで船着き場の向こうにバグースベイ・リゾートの施設が見える。船着き場からは陸を回って行くことになる。

バグース・ベイ

バグース・ベイはトゥットゥッでも一等地を占めている。広い敷地には大きなレストランとネット環境のあるPC室がある。広いレストランの建物の中ではゆったりとした配置でテーブルが置かれている。宿泊施設はこの地域独特の舟形の屋根をもつコテージが3棟と食堂につながる数室だけである。

部屋は4畳,1ベッド,トイレ・シャワーは共同,ベッド以外は何もない部屋で清潔である。共同のシャワールームもしっかりしている。部屋代は2万ルピアと安いが,食事代は2-4万ルピアもする。

施設の収入のメインはレストランからの上りということのようだ。到着日は土曜日だったせいか夕食時には伝統的なダンスとフォークソングのショーが行われた。

バグース・ベイにはコテージもある

バグース・ベイにはレストランと棟続きの宿泊施設以外に伝統的な家屋の形状をもった何棟かのコテージがある。ここは家族連れの宿泊には適しており。コテージの周辺はきれいな芝生になっている。といっても本来の芝生ではなく,熱帯性の丈の短い草が使用されている。

コンクリートの堤を伝って先端まで行ける

リゾートの人工の船着き場に向かって岩を積みコンクリートで舗装した通路がL字に伸びている。通路の両側は浅い水面となっており,一部は囲われている。船着き場には傘の付いたイスがあり,湖を見ながらのんびりすることができる。

岩とコンクリートの通路の上からヤシの木が葉を茂らせている。コンクリートの上に土が盛られ,そこから湖側に水平に幹が伸び,途中で直角に立ち上がっている。この重さを盛り土だけで支えるのは難しいだろう。

湖面方向に対して右側にはパラッパから乗ってきた連絡船の船着き場の突堤があり,突堤の手前側は村人の洗濯場になっている。ここは午前中と午後に人々が集まっており,さっそく見に行くことにする。湖面方向に対して左側は小さな半島のような地形となっており,そこにはいくつもの宿泊施設が連なっている。

船着き場までは徒歩で5分くらいである

バグース・ベイの突堤から船着き場は20mほどの距離であるが,陸側からアクセするにはバグース・ベイの敷地を出て道路を少し歩くことにばり,5分ほどかかる。突堤に降りる坂道の手前でこれからマンディ(水浴び)に行く子どもたちに出会った。観光地だけあって写真慣れしており,気軽にポーズをとってくれる。

道路から船着き場の突堤までは岩を積み,コンクリートで固めた通路になっている。両側は果樹園になっており,コーヒーやカカオの木が栽培されている。

洗濯場で人々は直接合成洗剤を使用して洗濯をしている。村人に比して湖はずっと大きいので水質の変化はまだ観察されない。しかし,ある一線を越えるとこの巨大な湖でも水質汚染が現実の問題となる。地球上のあらゆる場所で人が集まるところでは自然資源・環境の劣化は避けようのない問題となる。

突堤には丸木舟型のカヌーが引き上げられている。この船は漁師が使用しているもので,湖面を一艘のカヌーがゆっくりと移動していた。

東南アジアでは子どもたちはよく家の手伝いをする。とくに女の子は弟妹のお守りや,家事の一部を担っており,小さいころからよく働く。今朝は洗濯場に向かう子どもたちに出会った。洗濯はけっこう力のいる仕事なので,この年齢の子どもたちには大変だろう。

洗濯場の湖岸にある集落では水遊びを終えた子どもたちが遊んでいる。まだ服を着ていない男の子もおり,彼らの上には洗濯物が干されている。石段のところに4歳くらいの女の子が座っており,カメラを向けるととてもよい笑顔で応えてくれた。

画像を見せてあげていると,近所の子どもが隣りに座り,もう一度撮り直すことになった。観光客が多いのでこの辺りの子どもたちは写真慣れしており,写真は撮りやすい。

近くの集落を訪問する

夕暮れの時間となっているので宿の前の道を軽く歩いてみる。小さな集落があり,この地域でよく見られる舟形の屋根構造をもつ家屋があった。時間がないので大急ぎで家屋と子どもたちの写真を撮る。この舟形の家は柱が円柱形の石の上に直に置かれている。このような構造は日本の伝統的な家屋,例えば合掌造りなどにも見られる。

このでも洗濯帰りの子どもたちに出会った。彼女たちは僕がカメラを向けると洗濯物を頭に上げてポーズをとってくれた。

スイレンは運良く堤のすぐ横で咲いていた

バグース・ベイの突堤に向かうコンクリートの通路に囲まれた池状の湖面はスイレンとボタンウキクサがかなりの部分を覆っている。ホテイアオイもこの水域に進出してきている。

薄いピンク色のスイレンがたくさん咲いていた。スイレンやハスはなかなかきれいな写真にならない。水の上に顔を出して咲いているので舟でもないと近寄ることができないからだ。

運よく岸から近いところに咲いてくれるとラッキーということになる。この池では通路沿いにきれいに咲いていたので写真にする。これだけきれいに撮れたのはタラカン以来,二度目だ。

スイレンの和名(中国名)は睡蓮もしくは水蓮である。形態や花のよく似たハス(蓮)の仲間とされていたが,現在ではハスはハス科・ハス属として独立している。スイレンの仲間は昼に咲き,太陽が沈むと花を閉じる性質をもっており,睡眠をとる花ということで睡蓮という名が付けられたという。もっとも,スイレンの中には夜に咲くものもあるという。

ボタンウキクサ

ボタンウキクサはサトイモ科・ボタンウキクサ属の植物でいわゆるウキクサ(ウキクサ科・ウキクサ属)とは異なる。どちらかというとホテイアオイに近い植物である。原産地は中央アメリカから南アメリカにかけてとされている。繁殖力が強いのか世界中の熱帯地域に広く分布している。日本では「特定外来生物」に指定されている。

「 水面上に葉を広げ水中に根を垂らす浮遊植物である。葉は先の丸い楕円形のものをロゼット状につける。この姿のどこから和名の「ボタンウキクサ」になるのかは分からない。牡丹の八重の花をイメージしていると思うがちょっと雰囲気は違う。英名は「Water Lotus」であり,こちらはなるほどねという命名である。

早朝の洗濯風景

バグース・ベイの船着き場と公共の船着き場は隣り合っており,コンクリートの船着き場のすぐ向こうは昨日僕の乗った船が到着した突堤である。朝のこの時間帯は突堤で女性たちが洗濯をしている。

洗濯場は07時台が最盛期であり,船着き場のコンクリート面を洗濯板にして主としてもみ洗いとなっている。使用しているのは合成洗剤であり,水中での分解速度が遅いので,決して湖の環境に好ましいものではない。

しかし,周辺住民の数に比して湖は十分に大きいので,環境の変化はまだないようだ。ホテイアオイなどは水中の富栄養化が進むと爆発的に増殖するが,ここでは岸辺の一部に限定されている。

こちらから見るとこの突堤の下部は広い階段状になっており,洗濯をするのはとても都合がよい。今日は日曜日なので早い時間に仕事を終わらせて教会に行くのかもしれない。サモシール島の主要民族であるバタック人の多くはキリスト教徒である。

背後の山も中島の一部である

サモシール島は面積は約630km2,35X20kmほどの長楕円の形状をしており,長手方向は北西・南東方向になっている。島を一周する道路があるのでバイクを雇うとどこにでも行くことができる。

見どころは石の文化が残されているトモッやアンバリータ,温泉郷があるパングルーラン,伝統的なバタッ舞踊が見られるシマニンド村などである。

トゥットゥッから西側を見ると屏風のような山並みが続いている。約74,000年前のトバ噴火により周辺地域が大きく陥没し,100X30kmほどの巨大なカルデラを形成した。その後のマグマの上昇により中央部が盛り上がったものがサモシール島である。このような巨大な地形構造は衛星写真を使用しないとはっきり分からない。

トモッやアンバリータはトゥットゥッから5km圏にあるので徒歩でアクセスできる。トゥットゥッはサモシール島の東海岸に突き出した半島の先にあり,半島の根元のところを幹線道路が走っている。

トモッはその南東側,アンバリータは北西側にあるので両方を見るためにはだいぶ歩かなければならない。湖の風景と植物の写真を撮りながらのんびり歩いて行く。トモッとアンバリータを結ぶ幹線道路との交差点までは2.5kmほどである。

パゴダフラワー(clerodendrum paniculatum)

パゴダフラワー(クマツヅラ科・クサギ属)はボルネオ島でも見かけた。高さは2-3mほどの灌木で不釣り合いに大きな葉をもっている。この3裂した葉の形が桐に似ていることから和名は「シマヒギリ」となっている。花は幹の先にこれも不釣り合いに大きな円錐形の花序を付ける。その姿は仏塔に似ていることから英名は「Pagoda flower」となっている。

花を見た感じではパゴダフラワーがもっともイメージが合うし覚えやすい。インドネシアでは「寺の花」あるいは「王様の槍」などと呼ばれている。原産地は東南アジアとされている。遠くから見ると赤いパゴダのように見えるが,実際には小さな花弁は白く,つぼみや長い雄ずいが赤なので全体も赤っぽく見える。全体が白のものもあり,こちらはあまり目立たない。

オジギソウもどき

葉に触れると小葉が先端から一対ずつ順番に閉じて,最後に葉全体がやや下向きに垂れ下がるオジギソウ(ネムノキ科もしくはマメ科・ネムノキ亜科・オジギソウ属)は日本でもよく知られている。

東南アジアにももちろんオジギソウは自生している。しかし,これによく似た植物も自生しており,触れても葉を閉じることはない。僕は名前が分からないので勝手に「オジギソウもどき」と呼んでいる。正式名称は「ギンネム」であろう。

この植物は道端や空き地の雑草として生えており,枝の両側に7対(オジギソウは2対)の羽状の葉柄が並び,それぞれの葉柄は偶数羽状複葉となっている。植物用語では「偶数二回羽状複葉」というらしい。それ以外は花の感じもトゲだらけの茎もよく似ている。道端でこの花に気が付き,葉に触れるとぜんぜん応答なしということでがっかりさせられる。

榕樹とベンガルボダイジュ

バタック人の多くはキリスト教徒である

サモシール島の主要民族であるバタック人の多くはキリスト教徒である。そのため伝統的な家屋とキリスト教の墓が融合したお墓がよく見られる。

この果実は食べられるのかな

高さ10mほどの木にオレンジ色の房状にまとまった果実が下がっていた。近くには青いものもあるのでオレンジ色は熟した色なのであろう。近くに集落があり,十分に食べられそうな感じがするが,旅先では地元の人が勧めてくれるもの以外は口にすべきではない。

伝統的な家屋が集まった集落がある

インドネシアのスマトラ島,スラウェッジ島,ニアス島などには棟先が反り上がった急勾配の舟形屋根をもつ伝統家屋がある。それらが同一の源流をもつものなのか,別個に発生したものなのかは分からない。

それでも,彼らが海洋民族であり,内陸で農耕生活をするようになってからも,海洋民族である先祖の記憶を保持するため舟形屋根を残してきたという説は相当の説得力がある。なんといっても,普通の切妻屋根に比べると舟形屋根はずいぶん手間がかかる。

幹線道路をトモッの方向に歩いていくと,舟形屋根をもつ家屋が道路から少し上ったところに並んでいる。小道を通り近づいてみると,道路側に舟形屋根の家と少し小さめの家が対になって並び,その奥側に広場があり,子どもたちが遊んでいた。大人の男性の許可をもらい建物の写真を撮る。

子どもたちは写真が大好き

大人の男性が一軒の家に上がっていいよと言ってくれたのでお言葉に甘えた。梯子を上るとかがんで入らなければならない狭い入口がある。内部は仕切りのない空間であり,天井もないので切妻の屋根がそのまま上に見える。妻側の高い位置に明り取りのすき間が開いており,内部は存外に明るい。

子どもたちは写真に対して興味津々でフレームに入ってくる。高床式の階段のところに並んでもらい集合写真を撮ってあげる。画像を見て子どもたちは大はしゃぎである。とても感じの良い子どもたちだったのでお礼にヨーヨーを作ってあげる。

なにぶんにも人数が多すぎるので6個に限定した。男の子にじゃんけんで決めなさいと告げると,親指を突き出す不思議な方法で勝敗を決めていた。ヨーヨーを扱うには小さ過ぎる子どもにはフーセンにする。こちらもずいぶん人気があった。

ヨーヨーとフーセンをあげた後,子どもたちはなかなか解放してくれない。「ほら,あの子を撮ってあげて」という他薦型と,「私たちを撮って」という自薦型がたくさん出てきて何枚か写真を撮り,その都度本人に画像を見せてあげることになった。

伝統家屋を模したキリスト教徒の墓

先を行くと舟形屋根をもつ伝統家屋を模した立派なお墓が幹線道路の脇にある。この地域の主要民族であるバタッ人の多くはキリスト教徒なので不思議はない。

建物は二つあり,一つは確かに十字架が入っている。しかし,もうひとつは大きな人の中に小さな人がいる構図の像があり,両側の柱にはトカゲが彫り込まれている。これは精霊信仰,祖先崇拝と関係しているものであろう。キリスト教に改宗しても,古い信仰の形態は失われていないようだ。

養殖用の生簀がいくつか浮かんでいた

トモッの村はすぐに分かった。幹線道路の両側に土産物屋が並んでいる。ここはサモシール島の観光スポットの一つなのだ。その手前の湖岸近くには養殖用の生簀がいくつか浮かんでいた。このような閉水域で大規模な養殖を始めると確実に周辺の水質は劣化していく。自然環境が与えてくれる以上のものを収穫しようとすると必ずどこかに歪が出る。

自然豊かなトバ湖においても,違法伐採により周辺の森林は急速に減少しているし,水質汚染も進行しているという。この辺りは富栄養化が進んでおり,湖岸のホテイアオイはトゥットゥッの比ではない。周辺地域からの農薬等の流入,森林の減少による土砂の流入,水力発電所の過剰取水による水位の低下など環境劣化は確実に進んでいる。

トモッの土産物屋

土産物屋の通りに面している屋根の端は三角形に持ち上がっており,船形の家屋を模している。トモッの土産物屋はたくさんあり,訪れた人々は石棺はそっちのけで土産物屋を回っている。ここは船着き場の近くなので観光客も多く,船着き場にはたくさんの船が停泊していた。

食堂では昔の日本で使用されていた炭火を使用して引っくり返せるタイプの魚焼き網を使用していたのでトライしてみた。日本なら塩焼きになるところであるが,塩はまったく使用されておらず,スダチのようなかんきつ類をしぼっていただく。久しぶりの焼き魚はおいしかった。ご飯付きで1.3万ルピア(130円)の価値は十分にある。

石像が墓を半円状に取り囲んでいる

トモッの見どころの石棺の場所はすぐに分かった。人々は一様に階段を上っていくので,その後をついて行くと石棺があった。スマトラ島および周辺の島々には巨石文化の遺跡が多数残されており,それらの規模に比べるとささやかなものである。

石棺と呼べるものは二つある。一つはキリスト教式のもので,もう一つは伝統的な石棺である。キリスト教式の石棺に向かって半円状に高さ60cmほどの人の上半身の石像が並んでいる。それは石棺の主の死を悼んでいる人々のようにも見える。背後から見るとこれらの石像のいくつかは胴と頭部が分離している。

もう一つの伝統的な石棺はとなりににある。そもそもこの一帯は王家の墓所となっており,ここにある大きな石棺は地域の王であったシダブダル王の石棺である。

この石棺は前面上部には王の顔の彫像,その下には近衛軍のサイド将軍のレリーフがある。石棺の後部には王がこよなく愛した王妃の彫像があり,彼女も王の死を悼んでいるようだ。ずいぶん珍しい様式であるが,このような石棺はアンバリータにも残されている。

観光客が多いので近くに船着き場がある

トモッは観光客の多く集まる場所であり,パラパッからはカーフェリーも運航されているという。しかし,この島にカーフェリーを運航させても利用客がいるのか疑問だ。メダン方面からの車なら湖を1/4周して西側のバングルーランから橋を渡って入れば済む。

バングルーランはかって地峡になっており,サモシール島は本島と陸続きになっていたが,船の運航のため橋に変えられている。近くには温泉があり,1998年に訪問した時はまるで温水プールの温泉に浸かることになり,まったく興ざめであった。

この遊びは日本もあるね

トモツの土産物街の店先で女の子が手をお互いに打ち合わせる遊びをしていた。これは日本の「手遊び」と同じである。確かに女の子がよくしていた遊びだったと記憶しており,歌の出だしは「せっせっせ ぱらりとせ 夏も近づく 八十八夜 トントン」であった。各地でいくつかの替え歌もあったようだ。歌に合わせて手を合わせるフリが決まっており,歌が早くなるとなかなか大変になる。

日本ではもうほとんど見られなくなった「手遊び」はインドネシアの各地で行われており,それは歌も手のフリも異なっているがまぎれもなく共通の文化である。記憶をたどるとインドかネパールでもこの遊びはあったようだ。

アンバリータは発見できなかった

トモッからベモで5kmほど離れたアンバリータに行こうとするとさっぱり動く気配はない。まるでストライキ状態である。結局,バイクタクシーで移動することになった。

アンバリータには左の写真のような伝統家屋の集まっているところがあるはずだが,発見できなかった。地元の人も首を振るばかりである。僕の発音が悪かったのか,探している地域が違っていたのか,アンバリータ見学は諦めることにした。

幹線道路のんびりトゥットゥッの方に歩きトバ湖の風物を写真に収める。おっ,バイクを使ったアイスの移動販売車がある,おっ,トーチジンジャーがある,葉茎は人の背丈ほどもあるんだという感じである。

バニラとクローブ(丁子)

新築の舟形家屋

周回道路の風景)

不思議な花

不思議な花ではなく果実である。東南アジアではときどき見かけるものであるが,ベニノキ(ベニノキ科・ベニノキ属)の果実であることが分かった。熱帯アメリカ原産の常緑低木で,種子から食用色素あるいは染料をとるため熱帯各地で栽培されている。

果実は楕円形の赤橙色で外側の仮種皮には柔らかいとげ状の突起が毛のように生えている。イメージは果物のランブータンに近い。この果実は熟すると茶褐色になり,列開して中の種子が飛散する。

僕はまだこの植物の花を見たことはない。画像で見ると淡いピンクがかった紫の花弁の中央に薄紫の多数のおしべがつく美しいものである。色素や染料としての用途は減少しており,花と果実を楽しむ鑑賞木となっている。

水牛に睨まれる

稲が刈り取られた後の水田には水牛が入っている。水牛のお友達の白いサギが近くにおり,一羽は水牛の背中に乗っている。この写真を撮るため比較的広い畦道を歩いて行く。

水牛は大きな体に似合わず気が小さく,ある距離より近づくとこちらを警戒する。近くの藪が動き水牛が顔を出した。明らかに僕を警戒しており,じっと見ている。これ以上進むのは危険そうなので引き返すことにしよう。

トゥットゥッからパラパッに戻る


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