州立博物館
VIC(旅行案内所)から南に向かう大きな通り沿いは州立博物館を中心とするツーリスト・エリアとなっている。まず布地博物館(Textile Museum)に向かう。布地博物館にはボルネオ・マレーシアに居住する各民族の衣類や織物の歴史が分かり,とても興味深い。
布地博物館から歩いて5分ほどのところに州立博物館がある。州立博物館にはボルネオのさまざまな動植物や文化が分かりやすく展示してあった。
1階は動植物の標本などが展示されており,自然史博物館のようになっている。2階は古い精霊信仰に基づくような木彫り,生活用具などが展示されている。また,先住民族の住居を復元したものもあり興味深い。
展示品の中にはジョカあるいはチョンカ(フィリピンではソンカと呼ばれていた)が展示してあった。この遊び道具はインドネシアからフィリピンにかけて残されており,民族移動の流れを類推させてくれる。ここに展示されているものは舟形,8X2列の穴と両側の陣地の構造になっており,小石もしくは小さな貝殻を使用する。フィリピンで習った遊び方は「バナウエ」を参照していただきたい。
ここでツアーガイドから声をかけられた。セメゴンとインドネシア国境にあるロングハウスの訪問で,250リンギットのところを200にするという。ちょうどマレーシアにおけるジョカの遊び方を知りたいところだったので,このゲームについて彼の知識をチェックすることにした。
彼は呼び名と遊び方についての一通りの知識をもっていた。ただし,現在ではこの遊びはほとんど廃れてしまっているとのことである。僕の出した知識テストに合格したので明日のツアーに参加することにした。
州立博物館の庭のモニュメント
博物館の前には大きなトーテムポールが置かれている。類似のものはマハカム川上流部のロング・バグンでも見ているので先住民族の文化のようだ。
ただし,ここのものは柱の上から下まで隙間なく彫刻が施されており,最上部には人が配されている。何人もの人が積み上がっている構図の柱もあり,これなどはニューギニア島の「生命の樹」のような集団彫刻文化とも類似している。
博物館前のものは光線の向きがあり,きれいな写真にはなかなかならない。また,裏側にも大きなカメ(甕)と細長い盾の彫刻がある。この造形は博物館見学のときにはきれいに撮れなかったので再挑戦した。博物館旧館の前にも柱があり,こちらは二本の柱を使いその上に家を乗せている。近くにはいくつかの考古学的遺物のレプリカも展示されている。
博物館近くの広場には巨大な板根をもつ木がある
博物館前の広場に巨大な板根をもつ木が何本かある。熱帯雨林では本来土中にある根が地表に出てきて,板状になったものをよく見かける。植物にとって根は水分と養分を吸収する以外にも,本体を支えるという重要な働きがある。
ところが熱帯では表土が薄いため,根が地中深くへは伸びていっても養分の吸収には役に立たない。そのため,根は地表の浅いところを水平方向に伸ばさざるを得ない。
その一方でどんどん大きくなる本体を支えなければならないので,根を板状の頑丈なものに変化させている。これが板根である。この板根は水平方向に20mほども伸びる場合もある。そのため,板根をもつ大木の写真はいつも苦労することになる。
ジョカ(ソンカ)
博物館内は写真禁止であるが,付属の土産物屋だけはOKであった。ここのジョカは7X2列となっているが,6X2列のものもある。上に乗っている小さな像はジョカとは無関係である。
ツアーに出発する
州立博物館を見学しているときにセメゴン・オランウータン保護区とインドネシア国境にあるロングハウスを訪問する翌日のツアーに誘われた。料金は250リンギットのところを200にするという。ガイドのKONさんはそれなりの知識があることが分かったので参加することにした。
08時に宿のすぐ近くにあるボルネオホテルの前で待っているとじきに車がやってきた。後部座席には上品なヨーロピアン中年女性が二人座っている。運転手兼ガイドのKONさんがお互いを紹介する。彼女たちはオーストラリアからやってきているという。
KONさんの英語は分かりやすい。オーストラリア女性の英語はとてもきれいなのに分かりずらい。僕としてはきれいで早い英語に耳を慣らすように訓練が必要だと感じる。
最初の訪問地はセメゴンにあるオランウータン保護区である。ここでは自然に帰るための訓練中のオランウータンが何頭か飼育されている。ちょうど食事時で3頭を間近で見ることができた。オランウータンの生態がよく分かるように餌台と近くの木の間にロープが張られている。ロープをつたって移動する様子はほとんど自然のままの行動であろう。
オランウータンを観察する
彼らの特徴は手と同じように足でものをつかむことができることだ。樹上生活の大型類人猿は手足の指は4本が同じ方向に向いており,親指(拇指)だけは他の4本に対して45度から90度横に向いている。このような構造を拇指対向性といい,これにより親指と他の指を接触させることができ,ものをつかむのにとても役に立っている。
もちろん人類の手もこの構造になっているが,足指は5本の指が同じ方向を向いている。ヒトの足指が拇指対向性を失ったのは進化の結果かそれとも退化によるものなのかが議論になっている。
ともあれ,オランウータンは腕も長く,樹上生活では人類よりずっと優位にある。ここには日本人の写真愛好家のグループと出会った。さすがにすごい器材を持ってきており,良い写真を撮るのは大変なことのようだ。
ローカル・マーケット
ローカル・マーケットでは近郊でとれた野菜や果物を扱っている。山の幸はほとんどなく,畑で収穫されたものが主流である。柿にそっくりの果物があり,それについてはガイドに質問するのを忘れたことが悔やまれる。
アテモヤ
イシ(釈迦頭)とチェリモヤを交配して品種改良したものである。釈迦頭はその名のように果皮がうろこ状あるいは亀甲状の凹凸がある。一方,チェリモヤの果皮にもうろこ状の模様はあるが,果皮自体はひとつながりになっている。どちらもねっとりとした甘さが特徴で,チェリモヤは「森のアイスクリーム」と形容されている。
両者を交配してできたアテモヤの果皮はうろこ状というよりは突起状になっている。甘味だけの釈迦頭に比べ程よい酸味と芳香を兼ね備えているため,近年は高級種として栽培されるようになった。ツアーの最中とはいえ買っておくべきだったと悔やまれる。
コショウの村を見学する
昼過ぎに小さな村を訪問する。ちょうどコショウ(コショウ科・コショウ属)の収穫期であり,日当たりの良いところにむしろを敷いて,その上で乾燥させている。むしろといっても材質はラタンの表皮を編んだものである。この辺りではまだラタンが採取できるようだ。収穫した時は緑色のコショウは天日で干されると,次第に黒色になっていく。
コショウの木はツル性で支柱に巻きつけて生育させる。種子を発芽させるのが難しいため,通常は挿し木で増やす。植えてから十分な収穫が得られるまでは6年かかかり,その後は15-20年ほど収穫できる。果実は50-60個が集まってぶどうのような房状になる。
乾燥前の状態
コショウの未熟果実は緑色,熟すると赤みが付いてくる。多くの場合,未熟果の状態で収穫する。それを乾燥させると黒くなり黒コショウとなる。中には乾燥させずに塩漬けにしたり,特殊な乾燥装置を使用して短時間で乾燥させると緑色を保持した緑コショウとなる。コショウには強い殺菌作用があり,大航海時代のヨーロッパでは珍重された。
乾燥後は黒くなる
収穫時は緑色だったコショウは乾燥させると黒色に変わる。これが黒コショウであり,もっともよく使用されている。熟してから収穫し,乾燥後に水につけて柔らかくして皮を取り除くと白コショウとなる。
コショウの辛味成分はピペリンと呼ばれるアルカロイドの一種である。アルカロイドは多くの植物が有している窒素を含む塩基性の有機物である。約1000種が知られており,強い生物活性をもつものが多い。
植物毒,薬用植物の主成分の多くはアルカロイドである。アコニチン(トリカブト),アトロピン(ベラドンナ),カフェイン(コーヒー),キニーネ(キナ),コカイン(コカ),ストリキニーネ(マチン),ソラニン(ジャガイモの芽),テトロドトキシン(フグ),ニコチン(タバコ),モルヒネ(ケシ)と人類の生活と深く係わっている物質が多い。
コショウの村にはカカオもある
コショウの村にはココアやチョコレートの原料となるカカオの木もある。カカオ(アオイ科・カカオ属)の原産地は中央アメリカから南アメリカの熱帯地域であるが,現在では商品作物として世界中の熱帯地域で栽培されている。
カカオの果実は長さ15-30cm、直径8-10cmの大きな卵型であり,幹から直接ぶら下がる幹生果である。外皮の色は種類によって異なる。
カカオを栽培食物としたのはマヤ文明であり,コロンブスが種子をヨーロッパに持ち帰った。ヨーロッパ列強は西アフリカで奴隷労働により生産を拡大した。現在の主要生産国はコートジボアール,ガーナ,インドネシア,ナイジェリアである。奴隷労働こそなくなったが,西アフリカではカカオ農園における危険な児童労働が問題となっている。
ガイドは知り合いの家の木からカカオの実を取り,二つに割って中の種を取り出した。種子の周りにはわずかな果肉がついており,これは食べることができる。カカオの果肉を食べるのは初めての経験である。ねっとりとした甘みがある。しかし,この果肉はとても薄く,種子ごとしゃぶって味わう程度である。
残った種子がカカオ豆であり,胚乳部分を加熱してすりつぶすとカカオマスとなり,その中の脂肪分はカカオバター,ある程度脱脂した成分をココアパウダーという。チョコレートはカカオマスに砂糖,ココアバターなどを加え,練って固めたもので,こげ茶色はココアパウダーの色である。
この辺りはオイルパーム,コショウ,カカオなどの商品作物を栽培しており,それで現金収入を得ているようだ。
国境近くのロングハウス
今日のツアーのハイライトはインドネシア国境から数kmのところにあるロングハウスである。ボルネオ島のプロト・マレー系の数十の先住民族はダヤクと総称される。その多くはロングハウスと呼ばれる横に連なった長屋のような木造の集合住宅に居住していた。
しかし,現在ではマレーシアでもインドネシアでも伝統的なロングハウスは減少しており,(観光化したものを除くと)簡単には訪問できない。
ロングハウスの近くには川が流れており,一部はせき止められて子どもたちの水遊び場になっている。ここで昼食をとる。オーストラリア人女性が果物を配ったので,僕も比較的小さな子どもを対象にヨーヨーを作ってあげる。これを見てロングハウスからも子どもたちがやってきて,持参した20個ほどの材料を使い果たすことになる。
ロングハウスの前は高床の乾燥場がある
ロングハウスの正面側は共有分で,壁の無い一体の空間となっている。共有分の背後は専有部分となっており,家族の単位で仕切りがある。結婚などにより新たな家族単位ができると,ロングハウスの端に彼らのための住居が追加される。こうして,大きな集落では長さが100mにもなるロングハウスができる。
このロングハウスは共有部分の外側に少し下がった高床の乾燥場をもっており,収穫物はここで乾燥されるようだ。ロングハウスに上がる階段はこの乾燥場に取り付けてあった。階段といっても一枚の厚い板にステップを切ったものでクツをはいて登るときはちょっと不安定だ。
ロングハウスの共有部分
共有部分は住民の作業場であり,子育ての場であり,社交の場である。時代の変化とともに伝統的なロングハウスは数を減らし,現在では観光用のものを除くとこのように奥地に来なければ見ることはできない。
ロングハウスの内部は期待通りであり,かつ規模も大きい。共有部分でははるか先まで見通すことができる。4-5m間隔で柱があり,それが天井と屋根を支えている。
伝統的なロングハウスを訪問するときは手ぶらというわけにはいかない。ガイドはキャンデー,僕はクラッカーの大箱を持参していた。ガイドはそれらを大人,子どもを問わず配っている。しかし,僕にとってこのようにむやみに物を配る光景は決して気持ちの良いものではない。
共有部は作業場であるとともに,人々が集まり世間話をしたり,宴会が行われるコミュニティの場としても利用される。
16年前にラジャン川上流のロングハウスを訪問した時はライスワインを囲んでの宴会となり,飲めない僕は閉口した。ライスワインはコメを醸造させたもので,日本のにごり酒に近い。アルコール度数は日本酒よりずっと低く,甘いのでついつい舐めてしまい,宴会のあいだは寝てしまっていた。
竹やラタンでかごを編む
おばあさんが共有部でカゴを編んでいる。共有部は板壁と格子窓になっているので,出入り口に近い明るいところで作業をしている。使用している材料は竹やトウ(ラタン)である。
トウ(ヤシ科・トウ連)はトウ属など17属の植物の総称で,約600種が知られている。多くはツル性植物であり,外皮は竹に類似している。この外皮を細く切ったものは丈夫で曲げに強い素材となり,東南アジアの先住民はカゴなどの生活用品を作るのに利用している。
Wind Cave を見に行く
クチンからバスで1時間ほどのところに「Wind Cave」という鍾乳洞がある。ガイドブックには掲載されていないが観光局でもらった地図の裏側にこの洞窟へのアクセス方法が記載されていた。サラワクは知る人ぞ知る鍾乳洞の名所が多いところだ。国立公園となっているムル周辺は特に有名である。その他にも巨大な鍾乳洞が数多く存在しており,その多くは地元の人にも知られていない。
Bauでの待ち時間は2時間20分
Wind Cave までの行程はクチン→Bau→Wind Cave であり,所要時間は1時間ほどではあるが,バスの便はすこぶる悪い。
クチン(08:10)→Bau(09:20)(11:40)→Wind Cave(11:50)となり,クチンのバススタンドでの待ち時間が50分,Bauでの待ち時間が(1便が欠航したため)2時間20分であった。この間に食事を済ませておく。都市間交通を除き,バスの便の悪さはサラワク全体に共通するものであり,これでいちいち腹を立てているとサラワクではやっていけない。
Wind Cave の案内図
Bau からWind Cave までは3kmほどの道のりなので,歩いたほうが早いかもしれない。Bauから幹線道路をクチンと反対方向に進み,T字の分岐点で右折(ちょっと記憶が怪しい)し,そのまま直進すると「Wind Cave」の看板が出ている。看板の指示通りに進むと300mほど先にある管理事務所に到着する。
ウインド・ケーブは石灰岩の岩山にあいた鍾乳洞であり,山全体と周囲は森林に覆われている。しかし,そのすぐそばまでオイルパーム(アブラヤシ)農園が迫っている。ウインド・ケーブの入場料は3リンギットであり,シニアはその半額となった。
中央下の入り口から洞窟に入る
洞窟の内部は照明がないので20mほど進むと先は暗闇となる。入り口の方を振り返ると透明な光の輪が見える。ここから先はライトが必需品である。もっとも内部は木道が整備されており,まったく危険性はないので,暗闇が好きな人は手すりに沿って歩くこともできる。僕もライトを消して少しの間,暗闇の雰囲気を味わってみた。
洞窟の壁面にはたくさんの蝙蝠がぶら下がっている
洞窟内ではヒソヒソ声あるいは女性の含み笑いのような音が強弱をもって聞こえてくる。それらは洞窟内にたくさん住み着いているコウモリの声のようだ。コウモリはエコー・ロケーション(反響定位)能力のおかげで暗闇を自在に飛ぶことができる。超音波を利用したレーダーのようなもので,反響音から周囲の状況を正確に把握することができる。
コウモリのエコー・ロケーション能力はすばらしいもので,空中を飛ぶ蛾や蚊のような昆虫を認識することができる。コウモリの子育てはもっぱらメスの役割である。母親が採餌活動のため洞窟を出ると,子どもは一人で留守番ということになる。戻ってきた母親は暗闇の大所帯の中から自分の子どもを探し出して胸に抱く。この識別方法も知りたいものだ。
洞窟にはいくつかの出口がある
この洞窟にはいくつかの出入り口があり,木道はそれらを結んでいる。石灰岩の洞窟は地下水あるいは地表水が長い年月をかけて石灰岩を溶かしてできたものだ。常識的にはだいたい水平となっているはずであるが,なかなかそうはいかないようだ。出入り口の一つはずいぶん高いところにあり,階段がそこまで続いている。洞窟の外に水の流れがあるところもある。
すぐとなりまでアブラヤシ農園が迫っている
洞窟探検を堪能して外に出る。洞窟のある岩山の周遊道路を挟んだ向こう側はアブラヤシ農園となっている。まだそれほど背が高くなっていないので観察するには手ごろだ。
バウに向かう道路に面してアブラヤシ農園の入り口があるので中に入る。高さの揃ったアブラヤシが整然と並んでおり,見方によってはきれいな人工の森にも見える。しかし,ここは紛れもなく農園なのだ。農薬も使用されるのでアブラヤシとわずかな下ばえのシダ類があるだけだ。
アブラヤシ(ヤシ科・アブラヤシ属)は西アフリカを原産とするギニアアブラヤシと中南米の熱帯域原産のアメリカアブラヤシの2種が知られている。インドネシアやマレーシアで大規模に栽培されているのはギニアアブラヤシであり,一般的にこの種がアブラヤシと呼ばれている。
英語名はOil Palm であり,日本の文献でもオイルパームとされることも多い。その名の通りアブラヤシの果実と種子からは植物油を採取することができる。単位面積当たりの植物油生産量は4000kg/haと大豆やナタネの10倍程度になる。世界の生産量は4600万トン(2009年)であり,そのうち85%をマレーシアとインドネシアが占めている。
ヤシの仲間なので幹の先端部の成長点から葉柄とそれにつながる羽状の葉を伸ばす。若木では年に30枚,成木では20枚の新しい葉を付ける。古くなった葉は葉柄の根元の部分から脱落する。そのとき葉痕が残るため,深い凹凸のある太い幹となる。
成長点のところに小さな花の密集した総花序をもち,多数の種子からなる球形の果房となる。受粉から果実が成熟するまでは約6ヶ月かかる。その間に次の葉が成長するため収穫前の房は葉柄に囲まれたようになっている。
黒い果実は熟すると赤みを帯びるようになる
未成熟の果実は黒っぽい色をしており,成熟すると赤やオレンジ色に変わってくる。果房の重さは20-50kgにもなり,そこには数百個の果実が付いている。一本の木は一年間にこのような果房を10-12個ほど産生する。一年を通して果実ができるため,農園の収穫作業も通年で行われる。
果実を収穫するときは,果房の根元の部分を鎌のような道具で切る。アブラヤシは年々成長し高さ15-20mにも達する。多くの農園ではハシゴなどは使用せず,長い柄に取り付けた刃物により果房の根本を切り,そのまま落下させる。
サゴヤシの木を見つける
「Wind Cave」からの帰りは散歩がてらにBauまで歩くことにした。T字路までの途中でサゴヤシを見つけた。少し低くなった湿地に何本かが固まっている。近くの民家の人に確認するとやはり「サグ」であった。ボルネオ島ではサゴではなくサグと呼ばれている。サゴは植物名ではなく樹幹からとれる食用でんぷんのことをいう。
したがって,サゴヤシとはサグが採取できる植物の総称であり,その中にはヤシ科だけではなくソテツ目のものも含まれる。その中でももっとも広く利用されているのはホンサゴやトゲサゴである。ここのものは樹幹のトゲは見られなかった。ココヤシやオイルパームに比べると葉がそれほど横に広がっておらず,上に伸びている感じを受ける。これでサゴヤシの特徴はしっかり頭に入った。
この庭にはブンタンの木もある
サゴヤシの木がある家の敷地内にはブンタンの木もあった。ブンタン(ミカン科・ミカン属)の原生地は東南アジア・中国南部・台湾などであり,日本には江戸時代初期に渡来した。和名はいくつもあり,ザボンが正式の和名のようだ。果実は直径15cmから25cm,重さ500gから2kgまで幅があり,共通して厚い外皮をもっている。
果肉はかんきつ類としては果汁が少なく,独特の甘みと風味をもつ。多くの品種があるようで,フィリピンのサンボゾアンガで食べたものは酸味も甘みも乏しくひどいものであった。ミャンマーのモーラミャインで食べたものは大きさがグレープフルーツの1.5倍ほどもあり,白い果肉は水分が多く,適度な甘みがありとてもおいしかった。