動物園に行くのは簡単ではなかった
コタキナバルの郊外にある「Lok Kawai 動物園」に行くのは簡単ではなかった。ミニバス乗り場で情報を集めるとどうやら動物園に直行するものは無いようだ。動物園の近くまでいくというミニバスに乗り,車掌の指示によりLok Kawai で下車する。しかし,ここは動物園から5kmも離れており,道も分からないので近くの白タク(7リンギット)のお世話になることになった。
コタキナバルの郊外にある「Lok Kawai 動物園」に行くのは簡単ではなかった。ミニバス乗り場で情報を集めるとどうやら動物園に直行するものは無いようだ。動物園の近くまでいくというミニバスに乗り,車掌の指示によりLok Kawai で下車する。しかし,ここは動物園から5kmも離れており,道も分からないので近くの白タク(7リンギット)のお世話になることになった。
ここは自然の中に展開される動物園・植物園となっており,動物以外にも植物などいろんなものが楽しめる。入り口の手前に停まっている機関車型の乗り物は電気自動車で,入園客を乗せて園内を回っていた。園内に入ると,まず植物に目が行く。比較的小さな樹木に取り付けられたたくさんの着生植物が目を引いた。
池にはスイレンが浮かんでおり,白と赤紫のものが咲いている。やはり,赤紫のものが写真写りは良い。
道の横にはヒメノカリス・スペシオサ( spider lily)が白い花を咲かせている。ヒメノカリス・スペシオサは学名,東南アジアでは植え込みなどによく見かける。ヒガンバナ科には85属1100種がある。日本でもよく見かけるヒガンバナ,アマリリス,クンシラン,ハマユウ,スイセンなどもヒガンバナ科に含まれる。花の中央にあるラッパ状の部分は副花冠,細長く伸びた細長い部分は花被と呼ばれている。一本の花茎から分枝し複数の花を咲かせる種もある。
ウツボカズラ(ウツボカズラ科・ウツボカズラ属)は約100種の野生種の総称である。壺のようなユニークな捕虫器をもつ食虫植物としてよく知られている。この園には植物園もあり,複数種類のウツボカズラが育てられている。ツル性の植物で他の植物にからみついて上に伸びる。壺のような捕虫器は葉の変化したもので,壺の下側が本体につながっている。
壺の上部にはふた状の構造があり,それは捕えた虫を逃がさないためのものではなく,雨により内部の消化液の含まれた液体がうすまらないようにするためである。中に落ちた虫はここでゆっくり消化され吸収される。ウツボカズラには通常の葉があるので光合成で不足する栄養分を補充すると考えていたが,wikipedia にはこの葉のようなものは葉柄が広がった偽葉であると記されていた。
サイチョウと同じケージに入っていたのでおそらくサイチョウなのだろう。アフリカのジサイチョウに類似している。サイチョウ(ブッポウソウ目・サイチョウ科)は頭部にサイの角のような鶏冠をもつことから犀鳥と呼ばれている。森林破壊により東南アジアでは数を減らしているはずであるが,wikipedia では絶滅危惧種とはなっていない。
ボルネオ島ではサイチョウは内陸先住民族のイバンの人々にとって重要な動物である。サイチョウの尾羽は戦士の頭飾りとして重要な意味をもっており,イベントのときにはサイチョウの木彫りがよく登場する。ケージの中にはちゃんと鶏冠をもつものがいたが,ケージの中には樹木が植えられており,他のものはなかなか写真にならなかった。
オランウータンは檻ではなく広い敷地が与えられていた。中央の木組みのタワーと周辺の樹木の間にロープが張られており,本来のオランウータンの動きが観察できるようになっている。この展示方法は旭川にある旭山動物園の行動展示と同じ考え方である。旭山では高さ17mの塔を渡るオランウータンの様子を観察できるようにしている。
動物を檻に入れて外観を見せる展示方法から,動物がどのような行動するのかを見せる行動展示に切り替えた旭山動物園の入園者数は2006年には350万人を記録した。人口35万人の旭川市が運営する動物園が,人口の10倍の入園者数をもつという快挙は大きな話題となった。2011年5月にシンリンオオカミのつがいに3頭の子どもが生まれ,実家に滞在中は何回か地元のテレビで紹介されていた。
08:05にピックアップの車がやってきて大型バスまで運んでくれた。ツアー客は26人であり,メンバーは日本人,韓国人,中国人,インド系,ヨーロピアン,マレー系と多彩である。僕のグループはツアーガイド見習の日本人女性と一緒に行動することになった。行程は次のとおりである。
08:30 コタキナバルを出発する
11:00 キナバル山のビューポイント
12:00 ボタニカル・ガーデン
14:00 昼食
15:00 ポーリン温泉
15:20 キャノピー・ウォーク
18:00 キナバル山のビューポイント
21:00 コタキナバルに帰還
コタキナバルの西60kmほどのところにボルネオ島の脊梁山脈に連なる標高1800mほどのクロッカー山脈が走っており,その北の外れに4095mのキナバル山が独立峰のようにそびえる特異な地形となっている。クロッカー山脈は1500万前に形成された褶曲山脈である。しかし,1000万年前にキナバル山の地下から花崗岩が上昇し,山体を大きく持ち上げることになった。キナバル山の特異な地形は局所的な花崗岩の上昇がもたらしたものであり,その一部は山頂付近にも露出している。
キナバル山は見る方向によりずいぶん印象が異なる山だ。11時のビューポイントからは先端が平らなつりがね型であったが,18時のビューポイントのものはほとんど台形となっている。近くには小キナバルというべき小さな山もある。
11時のビューポイントは広い駐車場が整備されており,背後にはたくさんの土産物屋が並んでいる。ここの物価は完全に観光地価格で,えっと驚くほどの値段である。キナバル山頂は上昇気流のため日中は雲に隠れることが多いので,全景を見ることができたのは幸運であった。
キナバル山麓は熱帯雨林から高山帯にかけて様々な動植物の宝庫となっている。そのような植物を集めたボタニカル・ガーデン(植物園)がキナバル山公園内にある。ここは小さいながらもよく整備されていた。メインのツアーガイドは植物に関する知識が豊富であり,逐一ちゃんと説明してくれるので時間がかかった。彼が世界最小のランと紹介したものは苔のような本体から2-3mmほどの花がついていた。
ヘリコニア・ロストラータ(ショウガ目・バショウ科)は複数の花がつく花序を垂らしている。この植物園のものは時期のせいか全体に白っぽいけれど,苞(花を包んでいる葉の変化したもの)は赤色や黄色,緑色に彩られており,花が散っても鮮やかな苞の色はそのままである。
体長60mmくらいの3本角のカブトムシが大きな葉の上にいた。カブトムシはコガネムシ科・カブトムシ亜科・真正カブトムシ族に含まれる。真正カブトムシ族のオスは1本から5本までの角をもつことで知られており,子どもたちにはもっとも人気の高い昆虫の一つである。日本のカブトムシは下位分類の「カブトムシ属」に含まれる。
東南アジアに生息している三本角のカブトムシの代表はアトラスオオカブト属であり,ボルネオにはコーカサスオオカブト,アトラスオオカブト,ボルネオオオカブトが分布している。大きな個体は角の先端から尾端まで100-120mmにもなる。頭部の角は1本,胸部の角は2本あり,その間にも1本の突起があるが,これは角とはされていない。オス同士は餌場やメスをめぐって争い,そのとき頭角と胸角で相手を挟み込む。
ボタニカル・ガーデンには多くの種類のウツボカヅラ(ネペンテス)も育てられている。ウツボカズラは(ウツボカズラ科・ウツボカズラ属)の植物であり,約100種の野生種の総称である。消化液の入った壺のようなユニークな捕虫器をもつ食虫植物としてよく知られている。
分布域の中心は東南アジアである。中でもボルネオ島ではキナバル山などを中心に低地から3000mくらいの高地にまで生育地があり,特に高地には特殊な種が多い。約100種の野生種のうち36種がボルネオに分布し,そのうち29種は地域固有種となっている。熱帯の貧栄養土壌へ適応するため虫から栄養塩を得るという機能を獲得し,他の植物との競合の少ない蛇紋岩,石灰岩,ケランガスなどの栄養塩が少ない土壌に進出することで生き残ってきた。
昼食はポーリン温泉近くの中華食堂でいただく。料理は立派な中華料理である。ごはんはフライドライスであったが,やはり中華には白いご飯がよく合う。食べ方にはついてはお国柄が出ている。中国系の人たちは茶碗に料理を直接のせて食べる。その他の国の人々は自分の皿に取り,それからいただくスタイルである。果物のデザートも出て満足すべき内容であった。
食堂からポーリン温泉までは徒歩5分である。時間がないので温泉かキャノピー・ウォークかを選択しなければならない。でも,答えは簡単であった。オープンの温泉は日本的な感覚からするとこれはとても温泉と呼べるものではない。直径2.5mほどの浴槽を4つに分割して,それぞれに源泉と水を入れている。浴槽内をチェックするとお湯は30cmほどしかない。
ここから,坂道を10分ほど登るとキャノピー・ウォークのタワーに到着する。その間はきれいな水の流れる小川となっており,ボルネオとは思えない風景である。かってのボルネオ島では森から流れ出すきれいな川がどこでも見られた。もちろん,分解した植物から出るタンニンなどの色素を溶かし込んだ褐色の水もあるが,森に守られて土壌の流出はごく低いレベルに抑えられていた。
しかし,木材伐採のため林道が網の目のように作られ,大量の土砂の流出によりきれいな小川は泥の川に変わってしまった。ボルネオ島では多くの川を見てきたが,すべて泥を溶かし込んだものであった。
キャノピー・ウォークのタワーは大木の周囲に四角い骨組で塔を建て,階段により上に上れるようになっている。地上30mほどのところに大きな木を結んでアルミのつり橋が架かっており,その上を歩くことができる。つり橋の間隔が広いのでかなり揺れる。しかし,30mの空中散歩は快感であり,熱帯雨林の様子を普段とは異なる視点で観察することができる。持参しているのはコンパクトカメラなので片手でロープにつかまりながら,片手で写真を撮っていた。
標高は700mほどのこのあたりでは突出して高い超出木があるため,林冠は高さの異なる何層かに分かれている。キナバル山の周辺ではもっとも植生が豊かなところである。つり橋はそのような超出木を結んでいる。それが,標高が1700mくらいになると超出木がなくなり,林冠の高さは揃うようになる。
熱帯雨林(熱帯多雨林)は年間を通じて温暖で雨量の多い地域に形成される。そこでは多くの植物が繁茂し,陽光をめぐる競争が独特の森林を育ててきた。熱帯雨林に見られる植物の7割が樹木であり,垂直方向に層構造をもっている。光を得るため樹木は他のものより高くなろうとしてまっすぐに30-50mの幹を伸ばし,その最上部に球状もしくは傘状の枝葉を広げる。これが樹冠である。
上から見ると複数の樹冠が折り重なるようにして空間を埋めており,林冠を形成している。最上部の林冠は太陽エネルギーの大半を受け取り,盛んに光合成が行われる。林冠は高さの異なる何層かに分かれ,最下層は林床となる。林床は複数の林冠層に遮られ光はほとんど射し込んでこないため,下草などが少なく意外と歩きやすい。
光をめぐる競争においてはルールはなく,仁義なき闘いが見られる。てっとり早く上に伸びるため他人を足場にする植物である。つる植物のように地面から地道に他者に巻きつくものもあれば,ある種のイチジクの仲間ように,大きな木の枝の付け根で発芽し,上には幹を,下には根を下ろすものもある。後者は成長が早く宿主の木より上に枝葉を茂らせ,光を奪ってしまうので宿主は枯れてしまう。植物の世界も生存競争は厳しい。
ラフレシアは東南アジア島嶼部とマレー半島に分布するラフレシア科・ラフレシア属の寄生植物の総称である。多肉質の大形の花をつけるものが多い。最大のものは花の直径が90cmにもなり「世界最大の花」として知られている。ブドウ科植物の根だけに寄生する非常に特異な植物で茎,葉,根をもたない。植物としての本体は宿主の組織内に食い込んだ糸状の細胞列であり,この組織から直接花を咲かせる。雄花と雌花があり腐臭を出して媒介昆虫のハエをおびき寄せる。
ツアーの帰りに希望者はラフレシアを見学することになった。花の見学料は30リンギットとひどく高い。それでも,やはり一度くらいは見たいものである。地元の人が案内してくれる。ラフレシアは囲いの向こう側に咲いていた。直径は40cmほどで,少し距離があるせいか臭いは感じなかった。
18時頃にもう一つのビューポイントに立ち寄った。午前中のビューポイントから見た姿とはかなり異なっており,こちらは山の大きさが実感できない。
帰りのビューポイントのところでガイドが珍しい果物を買いツアー客に分けてくれた。皮は薄く,果肉はミカンのように分かれている。味はグレープフルーツに似ており,種は緑色をしている。
腹具合が微妙に悪いので今日は休日と決め込んで洗濯をした。宿の裏側は東に面しているので運が良ければ半日で乾くだろう。洗濯がすんでテラスに座ってぼーっとしているとすぐに退屈して,第二州立モスクを見に行くとにする。モスクは海岸線を北に5-6kmほど行ったところにあり,帰りをミニバスにすればちょうどよい散歩コースである。
途中のスーパーで水を買う。コタキナバルの物価は高い。アイスクリームは50円,ビスケットも200円以上になる。オレンジジュースの1リットルパックも200円を超えている。果物もリンゴ,ナシ,オレンジが主流で,熱帯産のものは見当たらなかった。食料品の値段に関しては日本とそれほど違わない印象だ。それでも食事は1食150円程度であり,こちらはずいぶん安い。
部外者立ち入り禁止の港湾施設の立派な建物があり,その先は右にゆるやかにカーブする海岸線になっている。遠くに州立第二モスクが見え,その先は高いビルを交えたウオター・フロントとなっている。海岸線に平行して幹線道路が走っており,この道路と交差する道路は英国式のロータリーでつながれている。したがって信号機はほとんどない。
海岸はコンクリートの護岸になっており,その海側には波消しブロックや大きな岩が置かれている。護岸の上は幅1mほどの道路のようになっており,その上を歩くことができる。
近くに自然保護区があるせいか,サギが多い。僕が歩いていくと近くから飛び立ち驚かされる。サギの仲間は波打ち際の岩の上から首を伸ばし水中の魚をとろうとしている。しかし魚が少ないのであろう。くちばしを水中に突き入れる行動はまったく見られなかった。
途中からは狭い砂浜になる。漂着したり捨てられたりしたゴミを拾い集める人々が働いている。集められたゴミの量は砂浜の面積に比してずいぶん多い。マレーシアのほとんどの3K職場ではインドネシア人やフィリピン人が働いている。石油資源に恵まれ,相対的に人口の少ないマレーシアの所得水準は近隣諸国に比べて高い。経済格差はそれらの国から安い労働力を呼び寄せている。
州立第二モスクは幹線道路の反対側が入り口になっている。海岸が西に面しており,その先にはイスラムの聖地メッカがある。イスラム教徒は日に5回の礼拝が義務付けられている。礼拝の方角も「聖地メッカに向かって」と厳密に決められている。
そのため,イスラム教の礼拝堂であるモスクは一様にメッカの方向にキブラと呼ばれる壁面をもち,その中央にミフラーブという窪みをつけている。マレーシアのモスクは東側に入り口があり,西側にキブラをもつ構造になる。礼拝において人々はキブラに向かって全員が同じ動作を行う。
モスクの周囲は池になっている。モスクの施設は半島のように突き出しており,礼拝が行われる大ドームは池の中心辺りに位置している。ドームの東側には箱型の付帯施設の建物が続いている。礼拝に使用する空間は大ドームだけであり,異教徒は礼拝用に敷き詰められたじゅうたんを踏むことはできない。マレーシアではモスクへの異教徒の立ち入りは西アジアの国々よりずっと厳しい。
タンジュン・アル・ビーチは市内から南西に9-10kmほどのところにある。空港滑走路の西側の海岸であり,距離的にはタンジュン・アル駅と同じくらいだ。高裁前のバスストップで17Bに乗り大きな交差点で降ろしてもらう。ここから海岸までは1km強である。
歩道をもった立派な道路は海岸まで続いており,オオゴチョウ(マメ科・ジャケツイバラ属)とホウオウボク(ジャケツイバラ科・ホウオウボク属)が混じった並木となっている。オオゴチョウとホウオウボクの花は良く似ているので混在していても違和感はない。
ホウオウボクは樹高が10-15mほどあり,傘状の樹冠一面に鮮紅色の花をつけるので非常によく目立つ。樹高が高いので花を近くから撮影することは難しい。それに対してオオゴチョウは樹高がずっと低いので花のアップの写真を撮ることができた。
途中で中華食堂を二軒見つけたのでお昼はそこでいただくことにしよう。問題は腹具合である。このところ午前中は下痢,午後は快調というパターンが続いている。今日も途中でトイレのためきれいなカフェに入り2リンギットのお茶を飲むことになった。
道路は海岸まで続いており,向かって左側が第一,右側が第二ビーチとなっている。砂浜はさほど広くはないし,海もきれいではない。当然ではあるがビーチにはだれもいない。
ブルドーザーが海に注ぐ排水路から砂を取り除いている。その結果,近くの施設から出てくる未処理の生活排水が海に流れ込むことになる。ドブの水が流れ込んでくるビーチで泳ぐ人はいない。一つの排水路の仕事が終わるとブルドーザーは海岸を移動して次の場所に向かう。
沖合にはモーターボートを使用したパラセーリングで空に浮かんでいる人がいる。日本ならばスタッフが付いており,船の上に着地するように操作してくれる,ここではそうはいかないようだ。もっとも,あのくらい沖合ならば着水しても海岸の汚水の影響は少ないだろう。
砂浜では小さなカニだけが生息している。カニの穴がたくさん開いており,その周囲にはカニが作った砂の小さな塊がきれいに並んでいる。カニは砂を口の中に運び,含まれている有機物を濾しとり,砂はまるめて吐き出す。ここにきれいに並んでいるのはカニの食事の跡である。砂の性質が異なるのかバングラデシュのクアカタで見たものより塊がかなり大きい。
第二ビーチの陸側は公園となっており,僕の好きなプルメリアも花を咲かせている。おやっ,マンゴーがぶら下がっていると近寄ってみたら,プルメリアに似た樹木であった。白い花はかすかに芳香があり,その後はマンゴーのように果実がぶら下がるようになる。
この実は食用にならないのか木の上で黒くなっていく。落ちたものを踏んでみたら,果皮の内側はココヤシのような繊維となっており,とても食用になるとは思えない。
沖縄ではオキナワキョウチクトウと呼ばれ,海洋博記念公園の横を通る県道114号線の街路樹となっていた。正式和名はミフクラギ(Cerbera manghas,キョウチクトウ科・ミフクラギ属)といい,熱帯から亜熱帯の海岸近くの森林に分布している。
園芸種のキョウチクトウと同様に食害防止のための毒性をもつので,果実をつぶしたり,葉や枝を傷つけたときに出てくる乳液は有毒である。さすがに,街路樹には果実や樹木は有毒なので持ち帰らないことと表示されている。
海を眺めながらボーッとしていたら,いつの間にか昼近くになっていた。来るときにチェックしておいた中華食堂に行くと日本人のおじさんが冷やし中華のようなものを食べている。お互いにすぐに日本人だと分かったようだ。僕は腹具合が気になっていたので暖かいラーメンにした。スープがしっかりしており,薄味なのでとても食べやすい。
このおじさんはコンドミニアムを購入し,ここで3年ほど暮らしているという。本人はマレー語はまだまだだという。仕事か特別の趣味でももっていないと,ここでは退屈するのではといらざる心配をする。海岸近くを通る「Jalan Coastal」を歩いていると入江のような地形のところに大きな水上集落が見える。今日はさすがに寄り道をする元気はない。
「Jalan Coastal」はかっての海岸線のあたりを通っているようだ。この通りの東側(陸側)にも水上集落が広がっている。こちらの水上集落は帰り道なので立ち寄っていく。「Jalan Coastal」と交差し,州立モスクの横を通る幹線道路の「Jalan Sembulan」から板敷の怪しげな橋を渡り水上集落に入る。
まるでコタキナバルの発展から取り残されたような集落である。かってはこの辺りに海岸線はあったが,埋め立ての結果,内陸の水上集落となってしまった。陸側に水上集落があり,海側には商業ビルが林立するという不思議な景観となっている。それでも地下水路により海とつながっているため形だけは水上集落の形態を保っている。