亜細亜の街角
世界最大の近代的な水上集落が広がる
Home 亜細亜の街角 | Bandar Seri Begawan / Brunei / May 2009

バンダル・スリ・ブガワン  (地域地図を開く)

ブルネイの正式名称はブルネイ・ダルサラーム国,面積5770km2,人口40万人の小国である。スルターンの称号を有する国王が国家元首であり,首相を兼任する絶対君主制に近い政体である。しかし,国民の大多数は国王を崇敬しており,現在の政治体制に対する不満はないようだ。

国土の中央部を流れるリンバン川流域はサラワク州となっているため,国土は分断されており,国民の大多数は西側に居住している。

石油と天然ガスというエネルギー資源に恵まれ,一人あたりGNPは2.8万ドルとなっている。しかも,所得税は無く医療費も無料であり,国民は豊かな生活を謳歌している。2009年の原油生産量は約6000万バレル,天然ガスは約114億m3(石油換算で8400万バレル)となっており,ブルネイの輸出総額の約96.1%を占めている。

ミリ→バンダルスリブガワン 移動

ミリから陸路でブルネイに行くことにした。ガイドブックにはバンダルスリブガワンで唯一に安宿であるYH(ユース・ホステル)の宿泊には会員証が必要と記載されており,一度は入国をあきらめたが,会員証は不要との情報をコタキナバルで入手したので行ってみるかということになった。

しかし,すでにキャンセルのできない航空券を買ってしまっており,コタキナバル(空路)→ミリ(陸路)→バンダルスリブガワンという遠回りかつ費用のかかる移動となった。本来であればコタキナバル→ブルネイ→ミリと陸路と海路で移動できるところだったのでちょっと悔しい。

バラム川を渡る

ミリからブルネイに向かうバスは07時に街中のバススタンドから出ている。バススタンドで国境までのチケット(13リンギット)を買う。06:50にバスがやって来て,ヨーロピアンの4人組と一緒にバスに乗り揉む。運転手はこの国境移動ルートについて熟知しており,各ポイントでどうすればよいかを教えてくれる。行程は次の通りであった。
07:00 ミリを出発
08:00 マレーシア出国
08:15 ブルネイの検疫
08:30 ブルネイの入国審査,ここでバスは乗り換えとなる
09:00 川の渡し船
09:15 クアラ・ブライトの町,ここでバスは乗り換えとなる
10:00 スリア,ここでバスは乗り換えとなる
12:30 バンダルスリブガワン到着

ブルネイのイミグレーション

国境近くを流れるバラム川の橋を渡るとじきに「スンガイトゥジョー」の国境となる。ここでの手続きも運転手が教えてくれる。ブルネイのイミグレーションを通過するとバスは乗り換えとなる。

スンガイトゥジョー

このバスはすぐにスンガイトゥジョー(7番目の川)の渡し船のところが終点となり,渡し船の先には別のバスが待機している。このバスは国境からもっとも近いクアラ・ブライトの町まで行ってくれる。ここまでの運賃はミリで支払った金額に含まれている。

クアラ・ブライトの町

クアラ・ブライトの町ではバス待ちの間にHSBC銀行に行き,ATMでブルネイドルをキャッシングした。100B$を指定したところ100B$が一枚だけでてきた。日本円にすると6,000円札である。

最初のバス代は1B$なのでとても使用できるような状況ではない。さてどうしようかと困っていると後ろのおばさんが払ってくれた。「ありがとうございます」と言いながら2リンギットを差し出したが,「いいわよ」と受け取ってもらえなかった。

バスを乗り換えるスリアの町の商店で1B$のカン・スプライトを買って,ようやく小銭を作ることができた。

サッカーロッド・ポンプの風景

ブルネイに入ると公園のように整備されており,新旧の家がところどころに出てくる。陸上油田から原油を汲み上げるサッカーロッド・ポンプが公園のような芝生に設置されている。これがかってのブルネイの原風景である。

少し建物が多くなったなと思ったら,バンダルスリブガワンのバスターミナルに到着した。

ユース・ホステル

ここから宿のYHまでは400mほどある。建物はこれだろうということは分かったが,YHへの入り口が分からず5人で難儀した。マネジメントも不在でチェックインができない。宿泊者が空き部屋に荷物をおいていいと鍵を渡してくれたので9号室に荷物を置いて町の見学に出かける。

この一件は正式のチェックインの時に管理人からお小言を言われた。僕の泊まった10B$の部屋は8畳,2段ベッドが2つ置かれている。トイレとシャワーは共同でとても清潔であり,お湯もちゃんと出る。エアコンの設定温度も適切で気持ちよく寝ることができた。

中心部の街並み

バンダル・スリ・ブガワンはブルネイ川に面した地域とカダヤン川の東側に広がる内陸地域ではずいぶん感じが異なっている。内陸部は近代的なビルが立ち並んでおり,整備された道路を車が行き交っている。

なんといっても面積5770km2,人口40万人なのだ。人口密度は70人/km2であり,三重県や愛知県に40万人しかいないようなものである。

自然豊かな環境を維持しても十分ゆとりをもった社会環境や生活環境は確保できる。これにエネルギー輸出で莫大な国家収入が入るので国づくりは容易だろう。

ビルの谷間にある中国寺

ビルの谷間に中国寺院がある。中国人はどこに暮らしてもこの種の寺院を建てるし,中華料理を忘れることはない。また,血縁・地縁をとても重要視する。

遠い異国の地にあっても出身地域に基づく社会的な強いつながりをもつ。寺院,墓地などの必要な施設は地縁集団により管理されることが多い。

サンダカンの墓地には「この墓地は湖州人のためのものである。非湖州人が利用した場合は法律により罰せられる」と記してあった。この寺院は福建省出身者の集まりが立てたようだ。壁面を飾る多数のタイル画には「福建」の文字がたくさん記されている。

このタイル画は一枚ごとに説明文が記されているので知っている単語があるだろうと探してみたが,さっぱり見つからなかった。どうも,福建省のかなりマイナーな物語を題材にしているようだ。

市場(オープンマーケット)

バスターミナルからユースに行く途中に水路向こうに市場(オープンマーケット)が見えたので,あそこで昼食がとれるだろうと思って行ってみた。確かに食堂はあった。しかし,それはマレーシアではとても見られないような半露店のものであった。

魚のカリーにも唐辛子が使用されており,口も胃もびっくりする代物であった。値段もマレーシアではお茶代に相当する1B$(2リンギット)であった。

容器は中国でよく見かけたふた付きの発砲スチロールである。オープンマーケットという特殊事情があるにせよ,お皿の文化がこのような使い捨て文化にとって代わられるのをのを見るのはつらい。

細い水路を挟んだ対岸は高層ビル群となっている

中心部を東に向かうと芝生の公園がある

公園の周辺には政府系の建物が多い

ロイヤル・レガリア

ロイヤル・レガリアは王族所有の品々を展示する博物館である。内部は土足禁止で厚いじゅうたんが敷かれている。大ドームの両側に建物があり,見た目以上に内部は広い。展示物は歴代の王族,現国王の記録,各国からの贈り物,手工芸品。ブルネイ独立の歴史と多彩である。

スルタン・オマール・アリ・サイフディンモスク

オマールモスクは1958年に当時のスルタン(=国王)であるオマール・アリ・サイフディンにより建設された。中央には高さ52mの黄金のドーム,その東北側に高さ54mのミナレットが付属している。

敷地は直径250mの円形であり,東北部分だけは方形となっている。方形部分は埋立地,残りの部分は池になっている。モスクの建物は少し北に傾いた東西方向が基軸となっており,その延長線上にメッカがあるはずだ。礼拝堂の南側には御座船が係留されている。

モスクの東側は道路が走っており,入り口もそちらにある。外側と同様に内装もしっくいの白を基調としており,とても明るい印象のモスクである。異教徒の僕は黒い長衣を着せられ,礼拝空間以外の特定の領域だけを歩くことが許された。もちろん写真は禁止である。

ブルネイ川とケダヤン川の合流付近

オマールモスクの池を囲む環状道路の外側には水上集落が迫っている。というより,ケダヤン川の東側に広がっていた水上集落の一部を取り壊して,水の上に浮かぶイメージのオマールモスクを造営したようだ。

現在はケダヤン川の東側の水上集落は縮小されており,メインの水上集落は逆U字に蛇行するブルネイ川の両側となっている。特に対岸のものは幅2.5km,奥行きは250-400mの地域となっている。

ブルネイでは水中にコンクリートの杭を立て,その上に家を建てている。ケダヤン川の東側では取り壊された水上集落も多く,あるものは朽ち果て,あるものはコンクリートの杭だけの状態になっている。

集落が水上にあるので学校も水上に建てられている。ケダヤン川の東側には川筋に沿って茶色の学校が,西側にはそれとT字となるところに白色の学校がある。

写真で分かるように二つの学校は木道ではつながっていない。その間はケダヤン川となっており,ブルネイ川との合流部のところに人が渡るための橋が架かっている。

橋の中央部は現在の水面より5mほども高くなっており,橋脚となっているコンクリートの柱の間を水上ボートが猛スピードで走り抜ける。

二階建ての集合住宅もある

木道により水上集落が結ばれる

水上集落から陸上の立派なモスクが見える

水の上に電柱が並ぶ

ブルネイの水上集落は水道も電気もきている。水道管は家屋をつないでいる木道を利用して各家庭までつながっており,電気は水の上に並んだ電柱により供給される。

下校風景

ブルネイ川を走る水上タクシー

このあたりのブルネイ川の川幅は約200m,そこを水上タクシーや自家用ボートが爆走している。陸上と異なり速度規制はないようだ。船は幅が狭くて細長いロングボート型と幅が広くて短いモーターボート型に区分され,どちらもモーターボート並みの速度で行き来している。

両岸を結ぶ水上タクシーはモーターボート型であり,片道の地元料金は0.5B$であるが,外国人は1B$になる。また,乗り合い型のものもあり,帰りはそれを利用すると0.5B$となった。水上タクシーで30分ほどのブルネイ川クルージングは30B$と声がかかる。

対岸には世界最大級の水上集落がある

水上タクシーは男性に混じって女性も運転している。救命胴衣などはない。速度が速いだけあって,水しぶきがかかったり,波を受けると軽くジャンプしたり,強い風圧を受けるなど決して乗り心地は良くない。もっとも200mほどの距離なので1分ほどで到着する。

イベントの家にお呼ばれする

水上集落とは思えないような立派な家屋が多い。ブルネイでは陸上に家を建てるのはまったく難しいことではない。にもかかわらず,この集落の人々は自らの選択で水上に居住している。

一軒の家でなにかイベントがあり,人々が集まっているので中に入れてもらう。日本のように玄関のところで履物を脱いで中に入ることになる。

ブルネイ風の正装をした男性がたくさんいる。ゆったりとしたズボン,長衣,円筒型の帽子の組み合わせであり,それに加えて腰の回りに布を巻くのが本来の正装であるが,腰布は少数派であった。

ブルネイの国語はマレー語であり,小学校4年生以上は主要科目の授業では英語が使用される。そのため,多くの人は英語を話す。一人の男性が今日はこの家の初七日の集まりだと教えてくれた。

すぐにお皿に乗せられてお菓子を出された。5品目10点もあり,これだけでお腹がいっぱいになる分量だ。料理は大きなテーブルの上に並べられ,自分の皿にごはんと料理を取り分ける。

回りの人がどんどん入れてくれるので「多すぎます」といってお断りしなければならない。魚の素揚げはあっさり味でおいしい,チキンの空揚げも普通の味だ。野菜料理はスパイスや唐辛子が使用されており,独特の味だ。たくさんごちそうになり,家の人にお礼を言ってこの家を後にする。

近代的な水上の町

ここは「水上集落」というより「水上の町」という表現がぴったりする。コンクリートの杭の上にある家屋は陸上の家屋と比べてもまったくそん色はない。電気と水も来ており,炊事はガスが使用されている。

ご近所に行くときは木道を利用し,少し遠くに出かけるときは自家用ボートを利用する。床下が水であることを除くと陸の暮らしと変わらない。

唯一の違いは生ごみや汚水の処理であろう。どちらも流しやトイレからそのまま流され,水がすべてを運んでくれるので周辺環境はとてもきれいだ。

多くの東南アジアの水上集落は干潟にあるため,床下はゴミだらけとなる。ブルネイの水上の町はとても環境が良いのだ。汽水域なので蚊や他の昆虫も少ないと考えられし,陸上よりもずっと涼しいことだろう。人々は陸上より環境の良い水上を選択して暮らしているのだ。

家の前は板張りの遊び場になっている

もちろん,水上生活のマイナス要素はある。子どもたちは自由に遊びまわれないこともその一つだ。家によっては庭ならぬ板敷の広い空間をもっている。周囲は転落防止の柵が設けられている。そのような家には大勢の子どもたちが遊びにくる。そんな家におジャマしてみた。

10人くらいの子どもたちが仲良く遊んでおり,大人が近くにいるので,見知らぬ侵入者が入ってきても警戒心はない。すぐに紅茶と揚げバナナが運ばれてくる。この揚げバナナは僕の好物だ。子どもたちはビスケットの方が好みのようだ。子どもたちの写真を撮ってから,水をもらいヨーヨーを作ってあげる。

半水上のモスクもある

人々の足は自家用ボートである

水上の町にも道路というべき空間はある。空間の端には人が歩くための木道があり,その横をボートが走っている。ここの暮らしでは自家用ボートは欠かせない。おそらく大人はみんな運転ができるのだろう。水上の暮らしでは車よりずっと安いボートが人々の足となっている。

水上集落の上に虹が出ていた

水上集落が途切れると鳥のねぐらが現れる

対岸には近代的な街並みが広がる

帰りは地元の人たちと一緒の水上タクシーに乗せてもらったので,料金は0.5B$ですんだ。ケダヤン川の東側では水上集落が減少し,その東側はブルネイ川の近くまで近代的なビル街が迫っており,川岸はコンクリートの護岸となっている。

オマール・モスクにも虹がかかっていた

バスで内陸のモスクに向かう

バスターミナルからNo.01のバスでボルキアモスクに向かう。となりに座った70代のおじいさんがいろいろと話をしてくれた。ブルネイには進んだ医療施設があり,国民はほとんど無料で治療を受けることができる。石油と天然ガスによる収入だけで豊かな暮らしができるので国民はさっぱり働こうとはしない・・・。

ブルネイのサクラのイメージである

ジャメ・アサール・ハサナル・ボルキア・モスク

ボルキアモスクは1994年に現在のボルキア国王により建造された新しいものであるが,伝統的な様式を踏まえており,オマールモスクより古い感じも受ける。

ボルキアモスクは不思議な形状をしている。少し北に傾いた東西を東西を基軸にして大小2つの礼拝用の建物が並び,その間は管理施設になっている。礼拝用の建物は八角形の基壇の上に金色のドームが置かれている。西側の大きな方が男性用,小さなものが女性用であろう。

ボルキアモスク男性用礼拝堂

イスラムにおいては男女を分離するという原則があり,それは礼拝の場合にも適用される。東南アジアのモスクでは仕切りなどにより分離することが多く,このように礼拝施設を2つにするケースは珍しい。

大ドームの四隅には巨大なミナレットが立っている。建物とバランスさせるため直径は10mほどもある。外側の写真を撮ってから中に入ろうとすると10時からだと断られた。

イスラムの天国のイメージだね

周囲の庭園を散策して時間をつぶし,09:30に団体客の後をついて中に入る。さすがにお金のかかった建物であり,床材には大理石や花崗岩が使用されている。礼拝の前に手足を洗うための設備はセンサーに触れると水が出てくるハイテクである。

礼拝室はドームの下の八角形の空間であり,10本の柱により支えられている。ビジターは入り口付近のじゅうたんの敷かれていない部分だけ立ち入ることができる。ただし,礼拝室の写真は禁止である。内部はエアコンが入っており寒い。これではゆっくり礼拝をしていると体が冷えてしまう。

礼拝室の階下は図書室や大会議室になっており,イスが近くにあるにもかかわらず,女性たちは床に車座になって学習している。

日本大使館

バス停で30分ほど待ってもどちらの方向にもバスはやってこない。散歩がてらモスクの近くにある日本大使館を見学する。「Embassy of Japan」の案内板があり,場所はすぐに分かる。高さ2.5mほどの塀に囲まれた普通の民家という感じであった。

中心部に戻るバスをつかまえる

電気店の集まっている一画があったので,そこで待っているとようやくNo.20のバスをつかまえることができた。ブルネイでは自家用車による移動がメインとなっており,バスの便はけっして良くない。このバスは周辺を一回りしてからバスターミナルに向かった。

水辺のモニュメント

オマールモスクの東側には「Taman Haji Sir Muda Omar Ali Saifuddin」という150mX100mほどの公園がある。日本語ではオマール・アリ・サイフディン公園ということになる。この公園はまったくただの芝生であり,目的がよく分からない。

この公園の北側には政府関係の大きな建物があり,南側はブルネイ川までの300mほどが商業地区となっている。ブルネイ川の川岸は整備された遊歩道となっており,わけの分からないモニュメントもある。

ミリに戻る車窓から


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