セブ島の東側に面積4117km2,人口114万人のボホール島がある。島の半分は石灰岩で覆われており,全体に起伏の多い地形である。
ボホール島とそのすぐ南西に位置するビーチ・リゾートのあるバングラ島との間は道路で結ばれている。ボホール島と周辺の小島を含めてボホール州となっている。タグビラランは人口約9万人,ボホール州の州都であり,最大の町である。
この町にはボホール大学やボホール・ナショナル・ハイスクールがあり,朝夕は学生が通りに溢れることになる。また,トライシクル(サイドカーを付けたバイク)やサイカー(サイドカーを付けた自転車)が庶民の足となっており,朝夕のラッシュ時には通りはトライシクルで溢れることになる。
島の中部には石灰岩でできた高さ30m-50mの円錐形の小山が多数集まっている。乾季になると小山を覆っていた草が枯れ,茶色に見えるところから「チョコレート・ヒル」と呼ばれる観光名所がある。また,フィリピンメガネザル(Philippine Tarsier,ターシャ)という世界最小級の霊長類の生息地でもある。
セブ・シティ→タグビララン 移動
08時に居心地のよいセブ・シティの宿をチェックアウトし,大通りでジープニーに乗る。本来なら埠頭1近くまで行くところであるが,周辺で大規模な工事が行われているため,300mほど離れたところでUターンしてしまう。
そこで降ろしてもらいオーシャン・ジェットの窓口でタグビララン行きの往復チケット(520ペソ)を購入する。復路のチケットは日時が指定されていないオープンとなっている。
荷物検査のおじさんとは昨日の下見のときに顔なじみとなった。おじさんは僕の荷物をチェックせずに待合室に入れと合図する。おじさんが紙コップに入ったコーヒーを飲んでいたので,「いくらですか」とたずねると,近くの自動販売機を指差しながら「8ペソだよ」と教えてくれた。
スターバックスの1/20の値段であり,物価の安いフィリピンでもなかなか得がたい値段だ。荷物を検査台の上に置いて買おうとするとコインがない。
おじさんは僕の20ペソ札をもって自動販売機のところに行き,お札のしわを伸ばして挿入する。一回目は失敗しお札は出てくる。反対側から入れると今度は受け入れてくれた。
僕がコーヒーとおつりを取り出すと,おじさんは10ペソを取り上げもう一杯コーヒーを出した。それは同僚のためのものであった。ちょっと高い手数料に僕は苦笑するしかなかった。
ここの搭乗手続きは航空機のものとよく似ている。荷物検査を受けてチェックインのための待合室に入る。イス席が用意されており,ここでゆっくりコーヒーをいただくことができる。
チェックインでは乗船券が確認され,大きな荷物は預けることになる。僕は飛行機と同様に船内持込とする。次の搭乗待合室でしばらく待ち,09時過ぎに乗船となる。
高速船は流線型の細長い船体である。座席の配置は飛行機のそれと似ており,2,4,2の一列8人,それが40列ほどありそうだ。メインザックは船首のところのスペースに置くことにする。チェックインのときに乗客が預けた荷物は後部甲板に防水布にくるまれて置かれている。
船は定刻前に動き出した。船室からは色付きガラスのため外は見づらい。船尾から二階デッキに上がることができ,そこからは外の景色を眺める。出発時は珍しく雨模様であったが,ボホール島に近づくと天候は回復してきた。
高速船はさにがに早い。セブ・シティの街は船のたてる波の向こうにどんどん小さくなっていく。途中でセブ・シティに向う高速船とすれちがう。セブ,タグビララン航路には他の船会社の高速船も就航しているようだ。僕の乗った船は先を行く船を追い越していく。
セブ・シティとタグビラランの間の直線距離は約75km,高速船は1.5時間ほどでタグビラランの港に到着した。ボホール島と隣接しているバングラオ島にはアロナ・ビーチというリゾートがある。そのため,桟橋の近くには宿泊客や宿の名前を記したサインボードをもった人たちが集まっている。
船着場から宿までは800mほどなので歩いていくつもりだったが,サイカーの運転手から5ペソなので乗ってくれと頼まれ,お願いすることにした。
ビラ・カミラ・ペンション・ハウス
ビラ・カミラ・ペンション・ハウスは埠頭からまっすぐ東にいったスクールエリアの静かな環境にある。さすがに街中なので夜は車やバイクの音が少し気にかかる。家族経営のような宿で女性たちが仕切っていた。
僕の部屋は5畳,シングルベッド,トイレ・シャワーは共同で320ペソである。窓が広く,机もありとても清潔である。セブ・シティに引き続き居心地のよい宿に恵まれた。
寝るときは窓を半開きにしてファンを回しておく。夜半には室温が下がり,ファンを止めてシーツを被って寝ることに寝る。04時を過ぎるとオンドリの時の声が響いてくる。
朝早くに起きるとゴミ箱の近くに大きなクモがいる。タランチュラを細身にして足を長くしたような姿だ。これは気の毒だが退治するしかない。
近くには武器になるものは見当たらないのでクツの底で3回ほど軽くたたくと動かなくなった。外出するとき宿の女性が廊下の掃除をしていたので,一緒にはき出してもらい,一件落着である。
近くの学生の多い屋台で昼食をいただく
今日は「ターシャ」を見に行くつもりなので,一休みをして近くの屋台で昼食をいただく。ここは学生が多く集まるところなので,ごはんと豚の角煮で20ペソと安い。味も一級品であった。ただし,学生の昼休みに合わせて営業しており,午前中や夕方に行っても閉まっている。
ジープニーと徒歩でターシャ・サンクチュアリに到着する
タグビラランのダオ・バスターミナルは中心部から4-5km離れており,ジープニーを使用することになる。この乗り場が宿から1kmほど離れている。
トライシクルは行き先が運転手に分かる場合はとても使いやすい乗り物である。しかし,僕が宿の名前やボホール・ユニバーシティと告げても全然分かってもらえず,ローカルバスでどこかに行こうとするといつも往復を歩くことになる。
さらに,ダオ行きのジープニー乗り場は分かりづらく,毎回その辺りを歩き回ることになった。ようやくジープニーを見つけ乗車する。ダオ・バスターミナルは町の大きさに比してずいぶん広い。ここでのバス探しはいつも苦労させられた。
ターシャの見られるコレラ(現地の発音はコレリアに近い)行きのローカルバスを探していると,係員はジープニーを紹介してくれた。このジープニーは30分か1時間おきに出ているようだ。終点のコレラまでは30分弱で13ペソである。
ただし,ターシャ・サンクチュアリはそこから4kmほど先にあり,客待ちのバイクタクシーは片道40ペソとゆずらない。場所が分からないので仕方がなくバイクの後ろに乗ることにする。
道路はずっと舗装されており,案内板のところで横道に入るとサンクチュアリがあった。サンクチュアリの建物は明るく,とても感じがよい。入園料は20ペソである。ここにはターシャに関する情報が展示されているが,それを見る前にガイドが金網で囲われた範囲を案内してくれる。
すぐに金網で囲われた保護区を案内される
メガネザルはサル目(霊長類),メガネザル科に分類される哺乳類の総称である。生息地はインドネシア,フィリピンであり,アジア区に属する原猿類のようだ。夜行性の動物なので大きな目とパラボラアンテナのような大きな耳をもっている。
体重100g程度,体長は15cmほどであるが,体よりずっと長い尻尾をもっている。夜行性動物にもかかわらず,メガネザルはタペータム(網膜裏側の反射膜)を持たない。
タベータムはほとんどの夜行性動物がもっており,網膜の裏側で光を反射させて夜間視力を増幅させる仕組みである。よく。動物を扱うテレビ番組で夜間に光を当てられた彼らの目が光るのはこのためである。
メガネザルはタペータムをもたないので,代わりに眼球を大きくして夜間視力を改善している。昼間でもものを見ることはできるようだが,眩しすぎるのか木の幹などにつかまってじっとしている。手足の指は長く,枝や幹をしっかり掴むのに役立っている。
彼らの目は体に比して大きすぎるためなのか,眼窩の中で動かすことができない。代わりに首を180度回転させることができ,真後ろも見ることができる。彼らの食料は昆虫や小型の動物である。
後ろ足が長く筋肉が非常に発達しているので彼らは3mくらいのジャンプをして,他の枝に飛び移ることができる。獲物を見つけると,ジャンプで飛び移りながら獲物を捕らえることができるという離れ業の持ち主である。
彼らのハンティングの様子はNHKの「ダーウィンが来た」で詳しく紹介されている。もちろん,あまりの早業のため高速度撮影でなければどうなっているかよく分からない。
フィリピンでは一時期,剥製にするため乱獲されかなり数を減らしてしまった。現在は保護の手が入り,この愛らしい動物は保護区で繁殖している。フィリッピンでは「ターシャ」と呼ばれている。これは,フィリピンメガネザルの学術名「Tarsius syrichta」に由来しているものだろう。
ターシャはとても小さく,しかも昼間はじっとしていることが多い。ここの金網で囲われた1000m2程度のエリアに8頭の成獣がいるそうだ。しかし,ガイドに教えてもらわない限り見つけるのは大変だ。
ガイドは各個体がおおよそどのあたりにいるかを知っており,そこを重点的に探していた。それでも,「う〜ん,ここにはいないね」とあきらめることもある。
ターシャは臆病な動物なので大きな声を出すことは禁止されている。写真撮影は許されるがフラッシュは厳禁である。カメラの設定をプログラムモードにして,試験的に一枚撮りフラッシュが光らないことを確認しておく。
(ほら,あそこ)とガイドが指を差す。それでも簡単にはどこにいるのか分からない。(あっ・・・いたいた),木にしがみついて,大きな目でこちらを観察している。大きさは大人の握りこぶし程度だ。驚かせないように少しずつ近づき写真を撮る。
四足とも指が発達しており,木の幹にしがみつくには都合が良い。最初の一頭は長い尻尾がよく見えなかったが,次のものはよく見えた。確かに体調の3-4倍もある。特に枝に尻尾を巻き付けて体を支えるような機能はないようだ。とすると,この長い尻尾は何のためにあるのか疑問だ。
金網のエリアにいる個体は飼育されているわけではなく,自然のままに放置されている。金網の外側に広がる森にはたくさんのターシャが生息しているので,この希少動物を保護するためには,生息区域の森そのものを保全する必要がある。
しかし,人口圧力により,このサンクチュアリのすぐそばまで開発の手は及んでいる。早急に保全地域を確保しないと,この愛らしい動物はこの地域から姿を消してしまう危険性がある。ターシャ・サンクチュアリが種の保全に実効あるものになることを願って止まない。
ターシャに関する展示を見る
ガイドにお礼を言い,建物に戻る。ここにはターシャの食べ物が展示してあった。チョウ,ガ,セミ,バッタ,トンボとまるで昆虫標本である。彼らは強靭な後ろ足でジャンプ一番,昆虫を前足で捕獲し,すぐ噛み付いて息の根を止める。
おもしろい展示物もあった。ターシャとヨーダを半分ずつ並べたものだ。ターシャはスター・ウオーズに出てくるルーク・スカイウオーカーの師となる「ヨーダ」に似ているのだ。ヨーダは身長わずか66cmのジェダイ・マスターであり,老人の姿をしている。
脚力は特別に発達しており戦闘においてはライトセーバーを手に変幻自在に跳ねまわる体術を駆使する(wikipedia)。う〜ん,これはターシャの特徴と酷似しており,このサンクチュアリでその類似性を展示する理由が分かる気がする。
メガネザルの一族がどれほど長い尾をもっているかを説明する展示物もある。いずれも体長の4倍ほどの長い尾をもっている。尻尾の付け根の部分は毛が薄くネズミの尻尾ような感じを受けるが先端部は毛が多くなる傾向がある。
この尻尾は彼らの生存にとってどのようなプラスがあるのだろうか。展示されている骨格標本では尾の先端まで骨が届いている。そういえばネズミも長い尾をもっているが,あれもそれほど役に立っているようにも見えない。
ターシャの場合は,獲物を捕らえるため飛び移るという行動が必要であり,先端に毛の多い長い尻尾は方向を安定させるのに少しは役立っているのかもしれない。
自然淘汰による生物の進化は合理性をもつはずであるが,動物の世界では非合理的な側面ももっており,その一例が「進化の袋小路」である。
ある種の鹿ではメスをめぐるオス同士の戦いのため大きな角を発達させた。生存に不向きになっても角を大きくする進化圧力は続き種の存続が危ぶまれるようになる。
ニューギニアに生息するフウチョウ(ゴクラクチョウ)もメスを獲得するためオスの飾り羽を生存に不向きになるほど発達させたしまった。自分の子孫を残す行為の積み重ねが種を衰退させる要因になる事例である。
ターシャの森のすぐ近くまで人の営みが迫っている
サンクチュアリからの帰りは歩くことにした。道路に出てコレラ村に向って歩き出すとすぐに畑が現れる。サンクチュアリの森がある山の反対側まで開発の手が伸びてきているのだ。人の生活と動物保護のせめぎあいは,この小さな動物の聖域のすぐ近くまで来ている。
さすがのジープニーにもこれ以上は乗せられない
ジープニーが通りかかった。車内も屋根の上も人と荷物でいっぱいである。村人は近くに積んである薪の束を積み込もうと運転手と交渉している。いくら積載能力の高いジープニーでもさすがに限界はある。運転手は交渉を打ち切り,車はそのまま動き出した。
収穫の終わった水田とココヤシの風景
道路から少し先の丘までは水田となっており,その境界にはヤシの木に囲まれた小さな家がある。水田には水がなく歩いても大丈夫なくらいだ。前回の刈入れで残った株から新しい茎が伸びており薄い緑の風景となっている。
この先,雨に恵まれれば二番稲が稔ることになる。さすが亜熱帯,ずいぶんうまい話があると思ってはいけない。二番稲からの収穫は一番稲の1/3程度であり,コメの品質も良くない。
水牛の背中に白サギがとまる
近くの草地で水牛が草を食んでおり,その背中に白さぎが乗っている。白さぎは荒起こし,代掻きなど水田の作業が行われているところで餌をとるため,よく大きな集団ができる。また,水牛が草地を歩き回ると,バッタなどの昆虫が飛び出してくる。白さぎはこれが目当てで水牛の周りにもよく見られる。
水牛はそのいかつい体にもかかわらず神経質な動物だ。僕が道路から草地に足を踏み入れると顔を上げてじっとこちらを見る。その緊張感が白さぎに伝わると彼らは飛び去ってしまう。ゆっくりと,限界距離まで近づいて写真を撮る。
ヘリコニア・ロストラータ
一軒の家の庭に珍しい花が咲いている。垂れ下がった花茎の両側に赤い花が交互に付いている。本体の葉は横方向に裂ける性質をもっているので芭蕉の仲間のようだ。
この花はインドネシアやフィリピンでは園芸植物のようによく家の周りに植えられている。正式名称はヘリコニア・ロストラータ(ショウガ目・バショウ科)という南米アマゾン原産の植物である。赤く見える部分は花弁ではなく苞(花を包んでいる葉の変化したもの)である。
この花を見ていたとき強い雨が降り出した。あわててこの家の軒先で雨宿りをしようとすると犬に吠えられた。犬は忠実に見知らぬ侵入者を撃退しようとする。幸い家の住人が犬を叱ってくれたので15分ほど雨宿りをさせてもらった。
ハイスクールの生徒たち
タグビラランに戻りメインストリートを宿に向って歩いているとハイスクールの生徒たちの下校時間であった。フィリピンのハイスクールは日本の中学校に相当する。
男子は白いシャツとズボン,女子はセーラー服のように襟が肩を覆う白いブラウスにピンクのチェックのスカートである。男女とも手提げカバンではなくザックを背負っている。生徒の数はとても多く,交差点から道路越しに車の切れ目をねらい何枚かの写真を撮ることができた。
短い橋を渡りボホール島に行く
宿の前の通りを西にまっすぐ歩くと埠頭に出る。海岸から海を分断するコンクリートの突堤が西に伸びている。南側はボホール島とパングラオ島を結ぶ道路があり,しかも水深が浅く海水の流入が少ないのか水は汚れている。
岸辺を水上集落が埋めている。中央に筏があり,その上に小屋が乗っている。この周りでは魚の養殖でもしているのであろうか。突堤の反対側は船着場になっており,何隻かのヨットが係留されている。
セブ行の船の時刻を確認する
この少し先に高速船の埠頭がある。埠頭の先端から海に沈む夕日を撮ることができると期待していた。しかし,埠頭の先端は立ち入り禁止になっており,夕日のポイントは建物にさえぎられている。
トラックがきれいなシルエットになってくれた
ちょっと方向を変えるとトラックとその上で夕日を見物している人たちがいいシルエットになっている。雲にさえぎられる直前の夕日と組み合わせて満足のいく写真が撮れた。突堤を少し戻ったところもそれなりのビューポイントになっている。
チョコレートヒルに向かう
ボホール島の中央にカルメンという町があり,そこから少しタグビララン側にチョコレートヒルという景勝地がある。タグビラランからは Loay,Bilar の町を経由してカルメンに向うローカルバスで行くことができる。ダオ・バスターミナルからはおよそ50km,所要時間は2時間ほどである。
料金は50ペソ,1ドル当たり50kmは妥当なものだ。インド圏や東南アジアのローカルバスの料金は1ドルでどのくらいの距離を乗れるかを知っておくと便利だ。
僕の経験ではインドは80km,東南アジアや中国では50kmである。もちろんタイのように冷房の入ったグレードの高いものは30-40kmになる。
いつものようにジープニーでダオBTに行き,建物のある一画でバスを探す。今度はすぐに見つかった。ボホール島では町と呼べるところはタグビラランとカルメンくらいしかない。その二つの町を結ぶバスは30分間隔で出ている。
僕の乗った07:30発のバスは,かなり年代物である。窓枠は木製でガラスは入っていない。雨が降ると雨戸のように窓枠の下の板を引き上げて空間をふさぐようになっている。
サスペンションもなきに等しく,幹線道路に出るまではひどい振動であった。このローカルバスには決まった停留所はない。乗客は好きなところで乗り降りすることができるので,ひんぱんに停車することになる。
ニッパヤシとココヤシの風景
幹線道路はしばらく海岸近くを走っており,ときどき良さそうな海岸風景が現れる。湿地帯ではニッパヤシの大群落が広がっている。ニッパヤシは水辺から直接ココヤシの葉のような葉柄を伸ばしている。
高さは5mくらいにも達する巨大な葉である。昔は屋根を葺くための材料として使用されていたが,トタンが普及した現在は相対的に価値が低下している。
籾を乾燥させている
小学校もいくつか見かけた。早朝の時間帯なので朝礼あるいはその後に行われる学校周辺の掃除をしている。ロアイからは内陸に入る。急な坂をクリアすると標高150mほどの比較的平らなところに出る。平地はかなりの割合で水田になっている。
すでに刈り入れの終わったところもあればもうじき刈入れという水田もある。水さえあれば二期作が可能な土地なので乾季の状況を知りたいものだ。中には刈り入れ後の水田に水が入れられているところもある。
古い教会もいくつかありあったが名前は確認できない
古い教会もいくつかありあったがバスの中ではどうにもならない。特に1595年に建造されたバクラヨン教会はマニラのサン・オウガスチン教会,セブ・シティのサント・ニーニョ教会と並びフィリピンで最古の教会とされている。
坂道を上ってチョコレートヒルの展望台に到着する
平地のところどころに30mほどの円錐形の小山が見えるようになる。チョコレートヒルはもう近いようだ。運転手には「チョコレートヒルで降ろしてくれ」と告げておいたので,分岐点のところで降ろしてもらえた。
自動車道路を上り料金所で50ペソの入場料を支払う。さらに道路を歩き,石段を登りきると展望台に到着する。ここからははるか先まで連なっている上部が少し茶色になった円錐形の小山が見える。
そもそもこの展望台のあるところも小山の一つではないかと思われる。というのは小山を除くと周囲はほぼ平らな地形となっているからだ。そのような地形からほぼ同じような高さの円錐形の小山がたくさん並ぶという特異な景観となっている。
このあたりはさんご礁起源の石灰岩でできており,小山の形成過程は分かっていない。平地は森林であり,小山の中ほどまでは樹木が生えている。しかし,その上部は一様に草だけしか生えていない。現在は緑がまばらに残っているが,乾季が進むとこげ茶色の景色になるという。
視点を別の方角に移すとかなり先まで平坦な地形となっており,その一部は畑や水田になっている。そんなところにもぽつんと一つだけ円錐形の小山が残されている。
展望台の下には土産物屋が軒を連ねている。ここを訪れる観光客はけっこう多いようだ。宿泊施設やレストランもあるが,ここを訪れる人はほとんどツアーを含めて車を利用した日帰りなので,これはちょっとやっていけそうにない。
肥沃な土
帰りは幹線道路に下りてバスをつかまえる必要がある。天気もいいし少しタグビラランの方向に歩いてみることにする。男性が水牛に鋤を引かせて畑を耕している。畑の土は黒々としており,とても石灰岩の痩せた土壌とは信じられない。
農地の肥沃さは厚さわずか15-20cmほどの表層の土壌(表土)により決まる。土壌は植物が長い間をかけて形成した植物に必要な有機物あるいは無機物の栄養素を含んだ部分であり,そこではみみずや昆虫,微生物などが植物の生育に適した環境を作り出している。
地球の歴史の大部分を通して土壌の形成量は浸食量を上回ってきた。それに対して農地は作物栽培のため表土が深く鋤きこまれ,かつ一年のある時期表層から植物が全く無くなるため,風や雨により容易に表土が失われる。
もちろん,注意深く営まれる農地では表土を増加させ,持続的な農業も可能である。南アジアや東アジア地域が何千年にもわたって多くの人口を養うことができたのは水田耕作というすぐれた農業システムによるものである。
水を張った水田はそれ自体がダムの働きを有しており,風食や雨食から土壌を守ってきた。チョコレート・ヒル周辺の農地は周囲の森と植物に守られているのでその肥沃さを失ってはいない。男性が鋤き込んだ土地に女性が直に種を蒔いている。彼らは僕の向けるカメラを気にすることもなく農作業を続けていた。
小学校を訪問する
道路から少し奥まったところに小学校があった。道路と校舎の間は花壇になっている。門のところに”Well come to ****”と記されていたので校舎の方に歩いて行く。
教室の外に先生がおり,中に案内された。きれいに整理された教室であった。4年生くらいの子どもたちが勉強している。イスはベンチ形になっており後ろの机と一体になっている。少し詰めると3人が座れるくらいの大きさだ。
先生は授業そっちのけで僕のために時間を割いてくれる。5分間をいただきオリヅルを作ってあげる。休み時間になったので男女1名ずつを選んでオリヅルにトライしてもらう。
折り紙に慣れていないので角を合わせてきちんと折るのは難しい。複雑なところは僕が代わりに進めるのでけっこう時間がかかった。それでも完成品のツルをもち,子どもたちは得意そうだ。
子どもたちと先生に見送られて道路に出るとちょうどバスがやってきた。ダオBTの周辺は水たまりができており,一雨あったようだ。宿に戻ると夕立がやってきた。もう少し遅れると外で夕立に遭遇するところであった。
舗装はアスファルトではなくコンクリートを使用している
海岸に面したガラレス通りを歩いてみる。埠頭からみるとこの辺りの海岸には水上集落が広がっていたけれど,陸側からはアクセスできなかった。
道路は途中から工事区間になっていた。舗装はアスファルトではなくコンクリートを使用している。高さ20cmほどの型枠を並べそこにコンクリートを流し込む。作業員が表面を滑らかにならし,それで1ブロックの作業は完了である。
フィリピンではよくコンクリート舗装の道路を見かけた。特に山間地ではその傾向が強い。日本のように専用の大型機械が導入できないので,アスファルトはドラム缶に詰めて工事地域に運搬し,舗装時に熱で溶かす必要がある。さらにローラーのような重機も必要となる。
それに比べコンクリートは水と砂利とセメントがあれば舗装ができる利便性が買われているようだ。廃棄物として残るのはセメントの袋だけなので,この点でもコンクリートの方に軍配が上がる。
フィリピンではよく道路に収穫した籾を広げて乾燥させている。アスファルトではちょっと抵抗はあるけれど,コンクリートなら許せる気もする。
石造りの教会はなんとなく歴史を感じさせる
石造りの教会がある。本体は新しくなっているが鐘楼は歴史を感じさせる。祭壇の背後と両側には神の家を形にしたような構造物があり,キリスト,聖母マリア,大天使などの聖像が並んでいる。この様式の教会はフィリピン南部ではよく見かけた。
サント・ニーニョを抱くキリストの像
壁面の窪みにはサント・ニーニョを抱くキリストの像があり,これはちょっと違和感を感じる。左右の壁面には窓とステンドグラスが組み合わされており,明るい空間となっている。ステンドグラスはキリスト生誕に関するものが多い。
岩穴から外に向って祈る聖母マリア像を仰ぐ灯明台
教会の外には二つの灯明台がある。一つは聖人のレリーフが並んでいるもので,もう一つは岩穴から外に向って祈る聖母マリア像の下にある。ビサヤ諸島に属するボホール島の教会はサントニーニョとマリア信仰が根強い。
バンカーボートからは四方に長い竹ざおが伸びている
バングラオ島はボホール島に隣接している直径10kmほどの小さな島で西部のアロナ・ビーチはリゾート地になっている。ボホール島との間は浅い海のため土を盛って道路を通している。中ほどの20mほどの区間は潮の流れと小舟の航行のため橋が架けられている。
バングラオ島につながる道路の手前には小さな魚市場とバラック造りの食堂がある。バングラオ島の居住者がここを通るときに魚を買い求めるようだ。食堂は近くの漁師のためのもののようだ。
このあたりは漁師が多く,コンクリート製の波止場から海面に向って階段が設けられており,そこにはバンカーボートたくさんが係留されている。バンカーボートからは四方に長い竹ざおが伸びている。これはいったい何のためのものなのか不明だ。
道路があるため潮の流れが阻害されるためか,この辺りの海はかなり汚れている。そのようなところでも小さな砂浜があるとシオマネキが見られる。このカニは振動に対して敏感で,人が近づくのを察知してすぐに穴の中に逃げ込んでしまう。
オスの片方のハサミは他方に比してずいぶん大きい。これはメスに対するアピールのためとされているが,通常の生活には不必要の大きさである。シオマネキは砂を二つのハサミで口に運び,そこに含まれている有機物やプランクトンを濾しとって食べる。
メスは二つのハサミを使用できるが,オスは小さな方のハサミだけしか使用できない。これは個体の生存にとってかなり不利な条件になっている。動物の世界ではこのような非合理的な進化がよく見られる。
ハサミの大きさは健康で強いことの証であり,メスはより強い子孫を残すためそのようなオスを繁殖の相手に選ぶ。世代を重ねるごとにハサミの大きなオスが選択されていくのだ。シオマネキのハサミは進化の袋小路の一例である。
ロープに付着する不思議な動物
近くで漁師が網の補修をしている。網を支えるロープには不思議な貝がびっしりと付着している。言葉ではこの不思議な動物の形態はうまく説明しきれない。
ロープに胴体の一部を食い込ませて体を固定させる。円筒形に伸びた胴体の先に二枚貝のような貝殻が付いており,そこから触手のようなものを出して獲物をとらえるようだ。
ムラサキガイの仲間は水中のロープにも上手に付着して成長することができるが,この貝のような生物は殻とロープの間を5-10cmほどもある赤みがかった足でつながっている。このようなものがロープにびっしりと付着しているのであるから僕でも気味が悪い。
帰国後に調べてみても簡単には分からない。google 検索で「ロープ,付着,貝」で探してもさっぱりこれといった情報は見つからない。文献中には「フジツボ」が出てきたのでこのキーワードで検索してようやく「エボシガイ」にたどりついた。
「エボシガイ(Lepas anatifera)」は、固着性の甲殻類の一種で蔓脚類(広義のフジツボ類)に分類される。流木などに付着し,海面を漂って生活する。体は5枚の白い殻板に覆われた頭状部と殻板のない柄部からなる。(wikioedia)
たしかにこの動物の仲間に違いないようだ。近代的な生物分類を確立したリンネはフジツボを貝の仲間としていたが,現在では甲殻類に近いものとされている。これでは貝をキーワードに検索しても見つからないはずである。
「エボシガイ」の生態は海岸の岩場に付着している「フジツボ」と類似している。殻板の中にはフジツボと同じように蔓脚があり,これを動かしてプランクトンなどを捕食する。
網の補修をしている漁師はこの不気味な生物に特別の注意を払うことなく,黙々と作業を進めている。彼らにとってこの生物は特に害になるものではないようだ。
茶屋で子どもたちにオリヅルを教えてあげる
島を少し歩いても面白そうなものには出会えなかったのでボホール島に戻る。島を結ぶ道路の付け根の食堂で紅茶を飲みながら休息をとる。うまくいくと夕日が見られるかもしれない。
魚の露店を見物し,子どもたちの写真を撮り,ヨーヨーを作ってあげる。そのうち夕日の時間帯になった。残念ながら雲にジャマされてきれいな茜色にはならない。