ティエンザン(前江)とハウザン(後江)に分かれてベトナムに入ったメコン川はその河口に総面積5万km2の広大なデルタを形成する。2大河川の水深は5-30mほどで,おおまかにいって河口に近づくにつれて浅くなっている。
デルタには2大河川から派生した多くの分流が生まれ,これに加えて灌漑や洪水排水,そして交通路として開拓されてきた無数の運河が縦横に発達している。このためメコンデルタの全地点が水路で行き来できるほどのシステムが形成されている。
地域の気候は熱帯モンスーン性で雨季と乾季に分かれる。カントーの年間降水量は1500-1700mmで東京のそれと大差ない。ただし,降水の90%は5月から11月までの雨季に集中しており,1-3月の乾季にはほとんど雨は降らない。
メコンデルタはベトナムの穀倉地帯となっており,全国のコメ生産量の50%以上を産出している。このことからメコンデルタは肥沃な土壌と考えられがちであるが,かつて海面下に沈んでいた影響から硫酸塩土壌という農業生産にとって致命的なハンディを抱えている。それでも平坦な地形と豊かな水は入植者の高度な土地利用を可能にし,ベトナム国内でももっとも人口密度の高い地域となっている
カントーはホーチミンシティの西約160キロに位置するメコンデルタの中心都市で面積1390km2,人口112万人(2004年)の大都市である。2004年に成立した省級の中央直轄市で,現在も周辺に膨張を続けている。
街はカントー川に面し,川沿いの市場はメコンデルタ最大の規模をもっている。しかし,10年前は半露店で陽気なおばさんたちが切り盛りしていた市場も大きな建物の中に収容されて往年の活気がいま一つ伝わってこない。対岸の水郷のような農村地帯もふくれあがる町に飲み込まれようとしている。
チャウドック(100km)→カントー 移動
チャウドック(08:20)→ロンスエン(09:30)→カントー(11:00)→とバスで移動する。宿でカントー行きのバス・チケットを買うとBTまでの迎えの車が来てくれる。宿の1階で待っていると,おばさんが日本のホッカイロの袋を持ってきて,これがどのようなものか説明を英語で書いてくれと言う。北部ならいざしらず,年中夏のベトナム南部でなぜホッカイロなのかといぶかしがりながら説明文を書く。
07:50にピックアップが来てかなり遠くのBTまで運んでくれる。ここでミニバスに乗り換えて出発する。本来の料金は3.5$程度なので,5$との差額はピックアップ料金と手数料ということになる。
道路はハウザンと並行しており,舗装状態は悪くない。道路の両側の家並みはほとんど途切れない。左側に広い水田が見える。一部は黄色に色づき始めており稔りの季節は近いようだ。大きな町を一つ通過した。たぶんロンスエンであろう。きれいで近代的な町並みである。
カントーのBTに着くとバイクタクシーの運転手が集まり,街まで1$と口々に言う。チャウドックの宿から一緒だったオランダ人旅行者がこれを拒否し,10,000ドンと値切り交渉を始める。彼のロンプラにはバイクタクシーの料金まで記載されているようだ。
No.31は市場の南側にある新しいホテルだ。部屋は8畳,2ベッド,T/S付き,清潔である。この部屋で4$の料金に不満は無い。水が冷たいのでシャワーが気持ちよい。
宿の1階は繁盛しているレストランで,夕方には地元の人や外国人の旅行者でいっぱいになる。メニューを見せてもらうと2$(約30,000ドン)以上のものが多く,結局ここで食事をすることはなかった。
ベトナムではチェックインのときパスポートを宿に預けるのが一般的だ。今日は銀行に行くので宿のスタッフからパスポートを返してもらう。
この国のベトコム・バンクでは1%の手数料でドル建てのTCをドルキャッシュに両替してくれる。このサービスはとてもありがたい。おまけに手数料分を引かれるので小額紙幣が入り都合が良い。
ドルキャッシュは街中でもそのまま使用することができる。ホテルの料金はドル払いだし,買物のおつりはベトナム・ドンで帰ってくるので原理的にはドンに両替する必要は無い。ただし,おつりの両替レートは決して良くないので,ドンとドルを上手に使い分けるのがよい。
変わってしまった市場
宿から川沿いの道までは1分,そこから北に歩くと時計塔のある土産物屋と大きな公園がある。公園のベンチでは若いカップルが肩を寄せ合っている。この新しい公園は昔の市場跡にできたようだ。
その間には対岸に渡るフェリーが運航されている。バイクの普及により大きなフェリーが必要となり,小舟の利用はおばさんたちの足に限定されている。
新しい市場は川沿いの道の南側にある。大きな建物の中に生鮮食料品が溢れている姿は変わっていないものの,10年前のおばさんたちの陽気さ,バイタリティは感じられない。街全体もずいぶん新しくなり,旧いイメージを引きずってきた僕には驚くことばかりだ。
シュガー・アップル(釈迦頭)
市場でちょうど食べごろのシュガー・アップル(釈迦頭)を見つけ1個(4000ドン)いただく。店のおばさんにすぐ食べるというしぐさをするとかなり軟らかくなったものを選んでくれた。手で皮をむきかぶりつく。極めつけのさらりとしと甘さだ,たくさんある小豆大の黒い種に注意していただく。今まで食べた中で最も大当たりの釈迦頭である。
ベトナムはコメ輸出国になっている
2011年における世界のコメ生産量は1.6億トン,そのうち国際取引されるものは3200万トンである。これは世界生産量の20%ほどであり,小麦と異なり大生産国=大輸出国という構図ではない。輸出国の順位と輸出量は下記の通りである。このうち安定的な輸出国は上位3ヶ国だけであり,残りの国は国内生産量が少し減少すると輸出はなくなると考えたほうがよい。世界の穀物市場におけるコメはそのくらい不安定なものなのだ。
タイ |
1000万トン |
ベトナム | 640万トン |
米国 | 325万トン |
パキスタン | 320万トン |
インド | 280万トン |
カンボジア | 100万トン |
フェリーで対岸に向かう
フェリーに乗って対岸に渡る。往復でも1000ドンという安さだ。片道の500ドンでは町で買物をすることもできない。対岸の川沿いの道は細いままだが舗装されている。両側には家が密集しており,ところどころに幅2mくらいの枝道がある。どこを歩いても家ばかりで水の豊かなデルタのイメージはない。
竹のような茎はニッパヤシのものである
家の間を抜け川に出てみる。小さな船着場があり女性や子どもたちが水浴びをしている。カメラを向けると子どもたちは大はしゃぎでポーズをとってくれる。小さな橋のかかっている水路では子どもたちに案内されて何枚も写真を撮らされた。近所の子どもたちも集まり,最後は15人ほどの集合写真になる。
3才くらいの女の子になつかれ,抱っこしてあげるともう離れようとしない。両親にお返ししようとするがそれでも手を離してくれない。この体勢では写真が撮れないんだけど…
子どもの写真の希望者は多い>
対岸の南側を散策してみる。道路の両側の家,川岸の船着場は北側と同じ風景である。かわいい被写体が多いので写真の枚数が増える。
小学生の制服
干し方が面白くて,上下のつなぎのように見える。
昔ながらの板とヤシの葉でできた家も残っていた
川沿いの道の脇はほとんど新しい家屋となっているが,中には昔ながらの板とヤシの葉でできた家も残っていた。メコンデルタの原風景のような家屋を見るととてもほっとした気分になる。
何かのお祝いなのかご馳走が並んでいる
一軒の家の軒先で男性たちがごはんを食べていた。なにやらご馳走が並んでいるので誘われるままに仲間に入れてもらう。豚の角煮,雷魚の姿焼き,チキンのスパイス炒めをいただく。
どれもおいしい,ベトナムの家庭料理は僕にはまったく違和感はない。特に雷魚はそのちょっとグロテスクな姿からは想像しづらい上品な味だ。最後に甘いデザートまでいたただきおなかが一杯になる。
池の上に突き出たトイレ
あまり書きたくありませんが究極のリサイクルとだけ説明しておきます。
少し下流側に地域で唯一の橋が架かっている
しばらく行くとハウザンに架かる橋に出る。橋の上から見たカントー川は茶色に濁り,たくさんのホテイアオイの塊を浮かべている。東側はさらに家並みが続いており,カントーの町がどんどん膨れ上がっていることが分かる。
ニッパヤシの若木
橋からさらに南に行こうとするとおばさんが「もうこの先には何も無いよ」と手振りて教えてくれたので引き返すことにする。途中で西側の水路をちょっと歩いてみる。
水辺から直接(幹無しで)ココヤシの葉のような出すニッパヤシを見かけた。大きなものは4m以上にもなる。この植物は僕のお気に入りなので周辺を歩き何枚か写真を撮る。しかし,このカントーの町の対岸も開発が進み,10年前には広がっていた農村風景はほとんど見当たらない。
幼稚園を発見
下流の橋を渡ってメコン川の西側に出て市街地に戻る。銀行の帰り道に幼稚園を見つけた。小さな子どもたちの安全を守るために門は施錠され,周囲は壁と金網で囲まれている。建物の中では子どもたちがプラスチックのままごとセットで遊んでいる。
何人は庭に出ているので,金網の間からレンズを出し写真を撮る。画像を見せてあげると子どもたちが集まってきて集合写真が取れた。日本の幼稚園だよと言っても信じてもらえそうな顔立ちである。
鳥インフルエンザに要注意
2006年,東南アジアや中国は鳥インフルエンザの脅威にさらされていた。鳥から人への感染によりかなりの死者も出している。
カントーの街の中には感染予防のためのポスターを何枚も見かけた。死んだ鳥に素手で触れてはならない,うがいをし,必要なときは病院にいくことなどの情報が写真と文章で記載されている。
インフルエンザは人類にとって最大の感染症の一つである。エイズのように接触感染ではなく空気感染をするので,感染の拡大を抑えるのは非常に難しい。しかも,免疫力の無い場合,および適切な治療を受けない場合の死亡率は驚くほど高い。
1918年の春から翌年にかけて世界中で猛威をふるったスペイン風邪は2,500万人の死者を出した。当時の世界人口はわずか12億人であり,人の移動および都市集中化は現在の比ではない。
新しいタイプのインフルエンザ(H5N1)は現在のところ渡り鳥から家禽への感染にとどまり,ヒトへの感染は例外的に発生している程度だ。しかし,ウィルスの変異によりヒトからヒトへ感染するようになると世界的な感染爆発が生じる。
というのは,人類はこのウイルスに対する免疫力をまったく有していないからだ。現在接種されているワクチンは,新型インフルエンザにはほとんど有効ではない。
ベトナム近代写真展|ディエン・ビエン・フーの陥落
「ベトナムの60年」と題した写真展が開かれている。1945年のベトナム民主共和国臨時政府樹立から昨年までの出来事を写真で綴ったものである。
この翌年からフランスとの間に第一次インドシナ戦争が始まった。この年から1975年のサイゴン陥落までベトナムで戦火の止むことはなかった。当然,写真の主題は戦争となる。その中の一枚にディエン・ビエン・フーの陥落の写真があった。
フランス軍最後の基地が陥落し,「金星紅旗」を振る有名な一枚である。この旗は現在のベトナム国旗と同じで赤地に黄色の星が一つ描かれている。
赤は革命で流された尊い血を表わし,黄色の星の5条の光はそれぞれ労働者,農民,知識人,青年,兵士の5階層の団結を象徴している。同じようなものはホーチミン博物館でも見れるはずであったが何か理由があるのか,兵器以外の展示室は閉ざされていた。
仏教寺院
ベトナムの主要宗教は大乗仏教であり中国経由で北伝仏教が伝わっている。そのため,上座部仏教が主流の他の東南アジア諸国とはだいぶ趣が異なる。
大乗仏教以外にも道教,キリスト教(カソリック,プロテスタント),イスラム教,カオダイ教,ホアハオ教など多彩である。このうちカオダイ教,ホアハオ教はベトナムで生まれた新興宗教である。
06:17|メコンの朝日
カントーはカントー川の西側に位置しているので,町からは川の向こうから昇る朝日が眺められる。06:00に宿を出て公園を歩き写真に適したポイントを探す。
あいにく雲が多く東の空が赤くなる程度である。それでも赤く染まった空と水の間に,対岸のヤシのシルエットが映える景色は絵になる。こんな時間にもすでにフェリーは動いており,大勢の乗客が対岸からやってくる。
10:30|カントーのバスターミナル
カントーの近くの「フーン・ヒエップ」にはベトナム最大といわれていた水上マーケットがあった。そこでは特定の産物を扱う大きな卸船と小さな船が集まり,大規模な売買が行われていた。
陸上輸送が貧弱なため,産物の集散はいきおい水上輸送に頼らざるを得ない。そのため,いくつかの運河が交差するような交通の便の良いところに水上マーケットができる。
フーン・ヒエップもそのようなものの一つであった。しかし,いくつかの要因と当局の規制により,現在では往時に比べてずっと規模が小さくなっているという。ということで,カントーのバスターミナルから小型バスに乗って出かけることにする。