Home 亜細亜の街角 | Badambang / Cambodia / May 2003

バッタンバン

バッタンバン州の州都,カンボジア第2の都市で人口は約10万人。周辺はカンボジアを代表する穀倉地帯である。バッタンバン州は長くタイの領土であったが,フランスがタイから奪い,第2次大戦中は再びタイに併合され,戦後カンボジアに返還されたという複雑な経緯をたどった。

州都のバッタンバンはトンレサップ湖につながるサンカー川の周辺に開けた町である。ここはフランスの統治時代に計画的に開発され,フランス風の二階建ての美しい建物が残されている。

欧米人には人気の高い町であるが,なぜか日本人にはほとんど知られていない。タイから国境を越えてやってくるバックパッカーもほとんどアイエムリアプを目指し,方向の違うバッタンバンは無視されている。しかし,この町と周辺には見所も多く,僕はカンボジアに来るたびに立ち寄っている。

定宿のローヤル・ホテルは5$程度で設備の良い部屋に泊まることができるのも魅力だ。このブログを書き直すのに合わせ,2018年末のローヤルホテルをネット上でチェックしたら,google map に1350円(12$)と表記されていた。僕のいつも利用するスタンダードの部屋ということであれば,カンボジアもたいぶ物価が上がっているようだ。

ポイペト→バッタンバン移動

朝食をとってからゲストハウスに待機しているバイタクにシソポン(ポイペトの東にある町で,ここがシエムリアプ行きとバッタンバン行きの分岐点になっている)に行きたいと伝えると,市場に行ってくれた。

バイクが止まると運転手がワラワラとよってきて客引きをする。中には英語のできる人がいて,3$もしくは100Bでバッタンバンに行くという。彼の白タクはエアコン付きのトヨタ・カムリである。

すでに2人の先客がいて,あと1人そろうと出発するという。しかし,あと一人はなかなか見つからず,時間だけが過ぎていく。先客が僕があと100B出せば3人でも出発できると言う。100Bは旅行中の僕にとってはちょっとした金額であるが,時間優先で200Bを払ってバッタンバンに行くことにした。

外にいる運転手にその旨を伝えるとすぐに出発となった。シソポンまでの道路状況はよい。サスペンションもちゃんと効いており,カンボジア移動としてはずいぶん快適であった。

カンボジアの穀倉地帯といわれるように,道の両側には広大な農地となっている。水の制約のため水田の一気策であり,乾期の今は草だけが生えている。

シソポンから先の道路はところどころでひどく傷んでいるが,サスペンションのおかげでさほど苦にならない。何よりも車内に定員オーバーの状態でぎゅうぎゅう詰めにならない移動なので快適である。

途中でシャワーにあった。日本語ではスコールと表現されるが,本来の意味は一定の風速がある時間続く突風である。日本でも夕立の前にしばしば「夕立風」と呼ばれる突風が吹く。これは強い積乱雲から下降流が吹き下ろし,その領域が強い雨になるからだ。ということでシャワー(突然の強い雨)とスコール(強い雨の前の突風)は日本では混同されることになる。

手書きの日記によると,ポイペトを出たのは10時50分,バッタンバン到着は13時15分であった。100Bの御利益は早く,快適にであった。

ローヤルホテル

市場に西側にあるローヤルホテルは名前の通り立派なホテルで,AC無しの部屋は5$である。部屋は8畳,トイレ・シャワー付き,きれいなシーツの敷かれた2つのベッド,物干し台がある。シャワー室も清潔である。この内容は前回訪問時のブログとまったく同じである。そう,宿代が4$から5$になったこと以外は・・・。

得度式の車列

乾期はイベントの季節のようだ。結婚式,仏増のお披露目,少年の得度式などの行列を見かけた。上座部仏教国では,男子は一生のうち一度は仏門に入る習慣がある。12-14才くらいの少年時代に2ヶ月ほど僧侶としての経験をさせることも多い。そして,そのための儀式が得度式である。

中には(お寺の都合なのか)近郊の村からやってくる人たちもおり,トラックの荷台に大勢の人が乗っている車列も見かけた。トラックには天蓋があったのでそれと判断したが,尼僧の白い法衣からするとお葬式の可能性もある。トラックの上の人々に笑顔が多かったので得度式にしておこう。

朝の市場

カンボジアでは地域によるが,カンボジア・リエル,タイ・バーツ,米ドルの3種類の通貨が使用できる。タイからやってきた僕はだいたいタイ・バーツで買い物をしていた。レートは50Bが4000リエル程度である。日記にはカンコーラが15B,ビンコーラが1000Rと記載されている。

バッタンバンの中央市場はローヤル/ホテルのすぐ東側にある。ここは建物の外に早朝から生鮮食品を扱う人々と買い物に来る人々で混雑している。このような場所は地域の人たちの生活が見られるので見逃せないポイントである。また,扱われている食材も興味の対象である。

得度式の行列

何組かの着飾った日傘の集団が歩いていく。主役の少年は頭をまるめ合掌している。なぜかバイクに乗っているところが現代風である。少年はこれから2ヶ月の間お寺で修行し,その後親元に戻ってくる。

バイクタクシーで近くの村に向かう

小学校を訪問する

コウモリの木

学校帰りの子どもたち

道路沿いの家にお邪魔する

市場の周辺を歩く

寺院の前の中学校

母親の商売を手伝う

結婚式の行列

手に手に贈り物を持ち,着飾った人々が行列をつくって歩いていく。雰囲気からして結婚式であろう。後を付いて行くと近くの家に飾りつけがしてある。ここが花嫁の実家で,披露宴はここで行われるようだ。100人ほどの行列は家に入り,贈り物を祭壇の前に置いていく。

カンボジア風結婚式

花嫁の両親は姿をあらわさない。司会役の2人の男性が家の内と外で掛け合いを始めた。「花嫁をいただきたい」,「いや,ただでは出せませんよ」と言っているようだ。15分ほど経ってから,艶やかなクメール風のドレスに身をつつんだ花嫁が出てきた。同じような服装をした3人の若い女性が付き添っている。花嫁は花婿と一緒に両親と先祖の祭壇に手を合わせる。

蓮の種は食用になる

ホテルの西側のオリヅル教室はにぎやか

庶民の移動はピックアップトラックの荷台だ

南の路地を歩いてみる

町の中心部を歩く

サンケイ川の風景

民家でカメラマンになる

どこに行っても子どもたちが多い


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